宿願の飯豊連峰完全縦走
![情報量の目安: S](https://yamareco.info/themes/bootstrap3/img/detail_level_S2.png)
![都道府県](/modules/yamainfo/images/icon_japan_white.png)
- GPS
- 78:54
- 距離
- 44.8km
- 登り
- 3,200m
- 下り
- 3,704m
コースタイム
8月2日
御西小屋5:35-6:45大日岳-8:00御西小屋8:35-9:20天狗の庭-10:00御手洗ノ池-11:10烏帽子岳-11:35梅花皮岳-12:10梅花皮山荘(泊)
8月3日
梅花皮小屋5:50-6:15北股岳-7:00門内岳-8:10地神山-8:20地神北峰-9:00頼母木小屋9:30-11:30朳差岳小屋(泊)
8月4日
朳差小屋5:20-5:25朳差岳-6:05前朳差岳-7:30権内ノ峰-8:00カモス峰-9:25東俣登山口(第1橋)9:50-10:45東俣林道ゲート11:10(タクシー)11:40JR越後下関
天候 | 霧・雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー
帰り:東俣林道ゲート〜(タクシー)〜桂の関温泉ゆーむ(関川村) |
コース状況/ 危険箇所等 |
弥平四郎は余り知られていない登山口ではないだろうか。 弥平四郎集落の唯一の民宿「大阪屋」は古い民家で、地物の山菜や川魚の料理、 素朴なもてなしがうれしい。 弥平四郎登山口から松平峠までは、山腹をからむ鬱蒼としたが路が延々と続くが、特に危険なところはない。 尾根に出れば、御秘所以外は、特に緊張するような個所はなく、晴れていれば、快適な尾根歩きが楽しめる。 頼母木小屋から朳差小屋までは、大石山から鉾立峰までの登りがきつい。 朳差岳から東俣道の下山路は急で長いが、西俣道に比べ登りやすく、下りやすい気がする。 |
写真
感想
今から30年ほど前、初めて飯豊連峰に足を踏み入れ、その山の深さ、大きさ、たおやかさに魅了された。その後数年間、毎年のように、いくつかの登山口から登り、ますますその魅力に取りつかれた。そして、いつかは飯豊の長大な尾根を南の端から北の端まで縦走してみたいと思うようになった。しかし、その後、縦走は果たせないまま、飯豊からは足が遠のいてしまった。
あれから30年、またぽつぽつと高い山に登り始めた。そして、登るうちに、もしかしたら縦走も可能かもしれないと思うようになった。同時に、年齢的にいっても、体力、気力から考えても、単独で飯豊縦走を果たすための時間は自分にはそう残されていないのではないか、登るなら今だと思った。
7月下旬から、毎日、うっとおしい空をながめながら、天気予報を頻繁にチェックする日々が続いた。新潟、東北地方の梅雨明けは1日1日延びてゆき、ついに7月末を迎えた。とうとう我慢も限界に達し、あまり芳しくない予報を横目に、思い切って出かけることにした。
登る前日の7月31日は、弥平四郎集落の大阪屋という民宿に泊めてもらった。古い歴史のありそうな民家だった。同宿者は百名山完登まであと数座という三重県の人ひとりだった。登った山のことをいろいろ聞かせてもらい、お陰さまで、登る前の緊張がほぐれた。しかし、夜中に激しい雨の音で目が覚めた。明日のことが不安で、なかなか眠れなかった。
8月1日(木)
明けて8月1日、起きて外に出ると、霧が立ち込め、いい天気とはいえないが、幸なことに雨は止んでいる。4時半、三重の百名山さんの好意に甘えて、登山口まで同乗させていただく。先週の大雨で、道路は傷み、傍らを流れる沢には、土砂に流された杉の大木が、何本も無残に横たわっている。
登山口駐車場で百名山さんと別れてすぐに、沢に掛かる橋を渡る。数日前に大雨で流されて、修復されたばかりの橋だ。
祓川山荘で、朝食を食べ、本格的な登りにかかる。山腹を巻く道が延々と続く。それほど急ではないが、天候のせいもあって暗く、あくまでも長い。途中で、百名山さんが休んでいるところに出会う。改めて、朝のお礼をいって、先行する。
ある場所で休憩した時のことだ、ザックを不安定な場所に置いたせいで、ふとしたはずみに、灌木の急斜面を転がり落ちていった。どこまで落ちていくのか、身が縮む思いがした。幸い、10メートルほどで木にひっかかって止まってくれた。藪をかき分け、ザックを取りに行く。斜面を必死の思いで、よじ登った。
松平峠までくると、尾根道となり、視界が開けてきた。こころなしか空も明るくなってきた。疣岩山への急な尾根をたどっている時だった。前方から、茶色の小さい塊が、ものすごい勢いでこちらに向かって転がり落ちてきたかと思うと、股の間をくぐり、藪の中に走り去った。振り返って見ると、それは茶色の子兎だった。脱兎のごとくとはこういうことをいうのかと、ひとり笑ってしまった。
三国岳の手前で、下山してくるひとりの登山者と出会う。
―もう15分くらいで三国小屋ですよ、と声をかけてくれる。
三国小屋で管理人のおじさんと話をする。川入の登山口が水害で通行できなくなり、小屋の宿泊者が少なくて困っているという。どこまで行くのかと尋ねられたので、縦走して、大石ダムに下るのだと答えると、
―へー完全縦走ですか、といわれる。
そうか、今自分がたどろうとしているコースは、完全縦走なのか、と少し胸が熱くなり、気持が引き締まる思いがする。
切合小屋あたりまで来ると、時折、青空がのぞき、飯豊本山も望めるようになってきた。切合小屋の管理人も、登山者が少ないことを嘆いていた。この時間に泊まってくれとは言えないしね、とぼやいていた。上の方の小屋よりビールが安いので、せめてと思い、ここで調達した。
姥権現のところで2人のパーティに会う。昨夜、切合小屋でテント泊をして、本山をピストンしてきたところだという。昨夜はひどい雨だったそうだ。顔に疲労の色が濃い。
御秘所の岩場を慎重に通過し、本山小屋への最後の長い登り、御前坂に掛かる。ここはいつ登っても、長くて、きつい。心に「御前坂(おんまえざか)、御前坂…」と唱えながら、電光形に切られた登山道を一歩一歩辿る。ようやく、頂点に達すると、目の前に本山小屋が大きく見えてきた。ところが、その小屋を前にして、突然雨が降り出した。駆け込むようにして、小屋に入る。
小屋で昼食を食べさしてもらう。これからの行程を尋ねられたので、答えると、ここでも、ほう、完全縦走か、といわれる。午後から、雷注意報がでているから、早く行った方がいいと忠告を受ける。
昼飯も呑み込むように食べ、小屋の隣の神社に手を合わせて、歩き出す。飯豊本山の山頂に立つが、ガスと雨で、まったく眺望はきかない。写真さえ撮れない。頂を下り始めて、しばらくして、はっとする。もしかしたら、間違って、ダイグラ尾根を下っているのではないかと思ったのだ。歩き詰めで8時間半、かなり疲労がたまり、頭もぼんやりしてきている。道標を確認したかどうかもはっきりしない。一昨年、ここで道を間違えたことが頭にあって、急に不安になったのだ。重い体をまた山頂に運び返す。道は間違っていなかった。がっくりする。
飯豊本山から御西岳までのこの緩やかな稜線は、飯豊の中でも最も美しいところのひとつだと、秘かに思っている。花々の咲く草原と、広々とした豊かな雪渓。晴れていれば、天空の庭といってもいいほどの穏やかで、美しい光景が広がるはずだ。それが、何ということだ、雨とガスの中を、疲れた重い体をとぼとぼと運ぶだけとは。おまけに、人っ子一人会わない。
ようやく御西小屋が霧の中に浮かび上がってきた。ただ、小屋に入る前に、水場に立ち寄って、今夜と明日の分の水を汲まなければならない。水場がまたかなり下るのだ。息を切らせながら、登り返して、ようやく御西小屋に入る。
御西小屋の泊まりは、親子のパーティー2人と、こちらを合わせてたった3人だった。わがままをいって、2階に場所を取らせてもらう。
8月2日(金)
翌2日目も霧の中で朝を迎えた。小屋の周り数メートル先から視界が閉ざされている。迷ったが、予定通り大日岳をピストンすることにした。完全縦走という言葉が、背中を押した。飯豊連峰の最高峰・大日岳をパスするわけにはいかない。
サブザックを背に、登ること1時間10分、大日岳山頂に立つ。ガスで何も見えない。携帯のカメラで道標だけ撮って、早々に引き返す。下り始めて、はっとする。登ってきた時と様子が違うのだ。あわてて引き返す。やはり、牛首山の方に下っていたのだ。霧の中は、気をつけないとこわい。こういう注意力のなさが、致命傷にならないとも限らない。帰路、霧の中からコバイケソウの白い群落が、幻想的に浮かび上がっては消えていく。
御西小屋に戻ると、男女4人のパーティがいて、これから大日岳をピストンするという。聞くと、やはり弥平四郎から登り、同じ縦走コースを行くという。同じコースを歩く人がいて、単独行者としては少し心強い気がする。
一昨年、この御西小屋の早朝、ブロッケン現象に初めて遭遇したことを思い起こす。あの時の、御西から北股岳までの快晴の中の尾根歩きは、今でも目に焼き付いている。花と草原と輝く雪渓、烏帽子岳、梅花皮岳、北股岳と連綿と連なる峰々。飯豊の核心部ともいうべき山岳景観が展開する。しかし、今日はすべて霧と雨に閉ざされている。ひたすら自分の歩行の中に沈潜し、梅花皮小屋に一時でも早く着きたいと思うばかりだ。
途中、登山道の脇に一輪のニッコウキスゲがすっと立ち、その向こうに一瞬霧が晴れて、岩陵がそそりたつ光景があらわれた。カメラを取り出そうとも思ったが、面倒臭くなって、やめてしまった。代わりに、あの一幅の絵のような光景が強く目に焼きついた。
烏帽子岳のあたりで、ひと時、雨があがって、上空に青空がのぞいたが、たちまちのうちにガスが立ち込め、雨が降り出した。
雨に濡れながら、梅花皮小屋に正午過ぎに到着。小屋1番乗りだった。まだ時間が早いので、晴れていれば、次の門内小屋か、あるいはもっと先の頼母木小屋まで行けそうだが、その気力も出ない。
濡れたものを干し、昼食を食べ終わるころから、登山客が続々とやってきた。夜は、登山者で小屋はほぼ満員状態だった。
隣りあったのが、栃木から初めて飯豊に登りに来たという人で、とても気さくな人だった。渓流釣りをする人で、山菜・キノコ採りの話で盛り上がった。周りには石転び雪渓を登ってきた秋田の人や、地元山形の3人のグループの人などがいて、楽しい話を聞かせてもらった。今日の雨の中のうっとおしい歩行が、吹き飛んだ思いがした。
8月3日(土)
8月3日の朝を迎えた。期待していた天候の回復はなかった。相変わらず、山はガスと雨に閉ざされている。北股岳の登りは、まだ体が完全に目覚めていなくて、足取りが重く、非常に長く感じた。山頂は風雨が強く、写真も撮らず通過した。晴れていれば、連峰の全容が眺められるのだが・・・。
門内岳、扇ノ地紙、地神山、地神北峰、頼母木山と、時折吹きつける雨風に耐えながら、歩く。
頼母木小屋に到着すると、意外に多くの人達がいた。同じ縦走ルートを歩いている4人のパーティは、既に小屋で休憩をしていた。さらに、一般の登山客とは別に、登山道の刈り払いをしている地元山岳会と思われる人達も休憩をしていた。
頼母木小屋で長い休憩を取り、水を3リットルほど補給する。朳差小屋から水場が遠いと聞いたので、今夜と明日の分を持っていくことにしたのだ。それに加えて、酒とビールも買ったので、ザックの重さが急に増した。
大石山まで下り、さらに1450mの鞍部まで、どんどん下る。これをまた1600mまで登り返さなければならない。鉾立峰までの登りは特に急で、背中のザックの重さが体力を奪っていく。さらに、水をザックに詰めた位置が悪く、左右に体が振られ、危険を感じたので、途中で、ザックの詰め替えをする。それにしても、登っても登っても鉾立峰の頂上はあらわれない。心のぼやきが頻度を増すころ、やっと鉾立峰に到着する。
ところが、登山道の先は急な下りとなっているではないか。
―これを下って、また登るのかよ、と心のぼやきが声になって出る。
だが、ここから朳差小屋までは、見た目ほどつらくなかった。途中、飯豊の開拓者・藤島玄のレリーフが霧の中からこちらをじっと見ている。写真を撮りたかったが、その余裕は残念ながらなかった。
11時半、最後の宿泊地である朳差小屋に、ようやくたどり着く。先行する4人のパーティーは2階にいるようだ。こちらは1階の片隅に場所を定める。降り続く雨で、何もかもずぶ濡れだ。特に、靴の中はぐちゃぐちゃで、気持が悪い。
しばらくすると、登山道の刈り払い作業の2人が休憩のため、小屋に入ってきた。こんな雨の中、本当に頭が下がる。彼らが出ていくと、ひとりの登山者が入ってきた。胎内から足ノ松尾根を登ってきたという。福島県の人で、よく飯豊には登るそうだ。ぽつりぽつりと話す人で、それだけに誠実そうな人柄がにじみ出ていて、互いにつまみなど交換しながら、いろいろ山の話をした。
もう外が暗くなるころだった。男女3人の登山者がやってきた。しかし、彼らは、登山者ではなく、刈り払い作業のボランティアの人達だった。関川山の会のメンバーだという。今朝、東俣道の登山口から10時間以上、刈り払いをしながら登って来て、ようやく小屋に辿りついたという。ただでさえ険しく長い山道を、草刈機で作業をしながら、しかも機械の燃料だけでなく、自分たちの燃料(食糧)も背負い、登る。考えただけで、並みの体力ではない。おかげで、我々は快適な山歩きができるのだ。これがなければ、登山道はたちまち藪に覆われ、安全な登山ができなくなる。ありがたいとしかいいようがない。
そんな重労働の後でも、彼らは、元気に夕食を食べ、酒を飲み、おしゃべりをしていた。本当にすごい体力だ。逆立ちしても真似ができないと、つくづく思った。
8月4日(日)
とうとう下山の朝がやってきた。期待はしていなかったが、やはり御来光は拝むことができなかった。4日連続、霧の中を歩き始めることになる。歩き出してすぐ、何でもない平坦なところで転倒してしまう。気を引き締めねば、と思う。
前朳差岳を越えるあたりから、少しずつ空が明るくなり始めてきた。雨具を脱ごうとザックを下したところで、ザックカバーがないことに気がつく。あの転倒の時に取れてしまったに違いない。しかし、もはや取りに戻る気力はない。
下るにつれて、どんどんガスが晴れ、青空も覗き始めた。何日ぶりの青空だろう。山頂の方はまだ雲に覆われているが、天候は明らかに回復しつつあるように思う。
登山道の脇は灌木に覆われているものの、両側が切れ落ちているところが続く。昨日の刈り払いのお陰で、道はきれいになっている。ただ、刈られた草が夜露に濡れて滑りやすいので、要注意だ。こんなところで、滑落したら、登山者も少ないし、携帯も通じないし、かなりやばいことになる。慎重に、慎重にと、緊張感を持って下る。しかし、晴れているので、視界もきいて、歩きやすい。どんどん下界が近くなってくる。
小屋から下ること4時間、ブナの巨木がうっそうと茂る森を抜けると、東俣川に架かる橋があらわれる。橋を渡ると登山口に到着だ。車が1台とまっていた。あの刈り払いの人達の車に違いない。ここでザックを下し、沢に下りて、顔や手足を洗い、さっぱりする。ここまで来れば、残り5キロほどの林道歩きを残すだけだ。張り詰めていた緊張が解ける思いがする。
林道を歩くこと1時間余り、11時に東俣彫刻公園のゲートに到着した。長かった4日間の縦走の終点だ。
長年の宿願を果たしたのに、意外なことに、思ったほどの感動や感激はやってこなかった。何か虚脱したような、心にぽっかり穴があいたような、不思議に虚しい感覚に捉えられた。多分、重い疲労のせいと、長い緊張から解放されたためだろう。
携帯でタクシーを頼み、それを待つ間、傍らのベンチに腰を下して、自分がたどってきた山の方向をただ放心したように眺めていた。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する