槍ヶ岳登頂ならず
- GPS
- 19:20
- 距離
- 25.2km
- 登り
- 2,761m
- 下り
- 1,869m
コースタイム
- 山行
- 8:27
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 8:27
- 山行
- 11:30
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 11:30
天候 | 晴れ夕刻雷雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
槍ヶ岳の頂上直下で人為的落石に遭いヘリで救助された備忘録です。
今回5人パーティーで、新穂高〜小池新道〜双六小屋(泊)〜西鎌尾根〜槍ヶ岳(泊)〜飛騨沢〜新穂高、2泊3日の予定で入山。
初日の小池新道は高温多湿にやられて、皆んなバテていた様だ。それでも標準タイムどうりに双六小屋のテント場に到着。
背負ってきたハイドレーションの水2ℓはほぼ空になっていた。
テントを設営し、熱中症気味で少し頭痛があり横になる。
暫くすると雷雨で小屋に行っていた皆んなが慌てて戻って来るのが分かった。
それから小1時間うとうととして、気がつくと雷雨も上がり、皆んなの居るテントで今日の労を労った。
翌日深夜、早出の人達の撤収の音で目が覚める。
3時には目が開いてしまい、小屋のトイレへ行き、水の確保と朝食を済ませ、準備とテントの撤収をし、6:00に樅沢岳を登り始める。
朝は寒くて厚めの長袖を着ていたが、西鎌尾根に出ると暑くなりTシャツに着替える。
今日も昨日に続いて暑くなりそうだ。
途中、他のパーティーに抜かれたり抜いたりでゆっくりと周りの展望を楽しみながら歩いた。
残雪が何箇所かあり、火照った身体には天国だった。
槍ヶ岳山荘へ向かう最後の急登は暑さで流石に応えた。
一足先に着いていたメンバーが、テント場がいっぱいなので殺生ヒュッテのテント場に変更するとの事。槍沢を見下ろすと、殺生ヒュッテのテント場は空いているのが見えた。
一人遅れて合流していないが、待つか登頂か?
暫く待つが我慢しきれず、一足先に重いザックを下ろして4人で槍の穂先へ向かった。
11:30登頂開始。
人は多いが流れているので大した渋滞もなくペースの早い登攀で息が切れる。
鎖場はホールドが多くグングンと登れて楽しい。
11:50最後の梯子。
仲間の2人は既に登頂しているか?上部を確認せずに、梯子が空いていたので手をかけ登り始めた頃、ラク!の叫び声、見上げると既に頭位の岩が僕の延ばしていた左手の甲を押し潰しそのまま左側頭部に激突、左肩、左腰、左膝に次々とヒットして落下していった。
少し意識を失いかけたが、梯子の途中なのだ、手を離せないという自己防衛が働いた。
見上げると左手甲の裂傷が有り、左腕が血で染まっている。
ヒットした側頭部は変な熱さが有り、恐らく流血しているだろう。
サングラスは破損していた。
梯子から降りるとリーダーも降りて来て流血している手の甲をタオルで止血してくれた。
幸い左手の握力は有り、骨は大丈夫の様だ。
誰かが救助を呼んでくれた様子で、少しとどまる様指示があったが、意識はしっかりしていてアドレナリンが湧き出しているせいか、片手で鎖を掴みながら走る様に降りて行った。
途中、救助に来た山小屋の人とすれ違ったが、自力で歩けると告げ診療所へ駆け込むとドクターと看護士がいてこれから駆けつける準備をしてくれていた。
まず負傷箇所の確認、頭の裂傷箇所を縫う準備、
血圧と体温の測定をするが興奮しているせいか何方も異常に高く何度も測定し直した。
やはりコロナで敏感になっていてお決まりのコロナ問診で何も問題が無い事を確認すると、解熱剤を飲ませてくれた。
ヘルメットを見せてほしいというので確認すると、左側部下端が欠けていて血痕が付着していた。
一応大事を取り脳内出血の可能性もあるので、ドクターが保険の有無を確認するとヘリを要請したほうが良いということで承諾した。
しかし焼岳でも遭難があったらしく天候悪化でヘリは待機中らしい。時間がかかる事と槍方面も積乱雲でフライトは無理の連絡。民間レスキューの方が2名駆けつけてくれた。
高度を下げれば焼岳の救助後、迎えに来れそうとの事で下山開始。
殺生ヒュッテ迄一緒に下りて再度要請するが天候不安定で無理の連絡。
槍沢ロッジまでなら何とか来れそうだという事で歩けますかの問、無理なら殺生で明日朝まで待機しますがと選択を迫られる。
未だ暗くなる迄には時間が有るので歩く事にした。
途中、雷雨が有りカッパを着るが蒸して暑く負傷した手の甲と頭がズキンズキンと痛み、双六から歩き通しの身体には荷物が軽いとはいえ応えた。
レスキューと一緒に歩いていると、ひっきりなしに無線が入ってくる。
焼岳の救助の様子、八ヶ岳でも滑落があった様だ。
どうやら焼岳のレスキューは結局ヘリが飛べず、背負い搬送の様子で、コロナ時期、もし陽性者ならレスキュー後2週間は出勤停止となると話していた。 コロナの緊急事態宣言で、例年に比べ都会からの登山者は多く、遭難も増えていると話していた。
暫く槍沢を下っていくと雨も上がり始め、東の空に晴れ間も見えだしてきた。
レスキューの携帯へ松本空港からヘリの準備が出来たと連絡が入ったので、この先ババ平の河原でヘリを待つこととなった。
河原へ降り、ピックアップ用のハーネスを付けられ、ホバリング時の注意事項を聞き待機。
もう一人のレスキューがすぐ下流の槍沢の募営客に、ヘリコプターが降りてきて音と風圧がすごいのでと一声かけに行った。
30分ほど待っただろうか、東の空に爆音とともに県警のヘリコプターが見え、いったん現場を確認し、ホバリングと旋回で散乱物を一掃させ離れていった。
再び戻ってきて低空でホバリング。
レスキューがワイヤーで降下して来てハーネスをクリップ、あっという間にヘリコプターに収容された。
当初、松本市内の相澤病院へ直接向かうはずだったが松本市内は雨で松本空港に変更、そこから救急車で病院へ向かった。
救急救命センターで問診後、頭のCTを撮影、画像診断所見に特に異常は見られないと説明を受け一安心し、迎えに来てくれた家族の車で帰宅した。
翌日、僕の携帯に病院の専門医から連絡があり、よく見ると左頭頂部に出血らしき小さな塊が見えるのでMRI検査をしたほうが良いと連絡が入った。
早速、近くの松代総合病院の脳神経外科と形成外科へ紹介状とCT画像のCDRomを松代総合病院に送る段取りをしてくれて、週明けの月曜日受診した。
相澤病院のCT画像を見ながら、この白い塊は出血では無く髄膜のカルシウムが溶け出したものではないか?今回の衝撃による出血とは違うだろうとの事だった。
何れにしろ紹介先の病院へ結果の返事をしなくてはいけないというので、大事を見てMRIの予約を入れた。
今回の落石事故は、運が悪いといえばそれまでだが、避けられた事故だと思う。
混んでいるとはいえ、上部に人がいない事を確認してから登るべきだった。
経験して分かっていたことが、いざそうゆう場面に差し掛かると、まわりの雰囲気や疲労感で危険予知能力が無くなってしまう。
危険と安全は何時も隣り合わせだということ、何度か経験してきたはずなのに、自分の未熟さをひしひしと感じた。
タダでさえ各自の重いザックで、残された僕のザックを担いで下山してくれた仲間、下山に付添ってくれたレスキュー、診療所のドクターと看護士、その他救助に携わってくれた全ての方々に感謝をします。
人為落石が怖いので、私は北鎌尾根は混んだ日は絶対に昇りません。(よくみんな、混んでいるって判っているのに昇るなと思いますよ。)
でも、一般槍肩からの山頂って、落石するようなところあったかなあ??あれだけ人が入っているところはチェック入っている気がするんだけど。???
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