【過去レコ】燕/槍/笠(表銀座):職場同期夏山登山第1弾、半袖隊長、中房♨から新穂高♨へ山の原点
- GPS
- 82:00
- 距離
- 44.0km
- 登り
- 4,093m
- 下り
- 4,461m
コースタイム
8/5(火)前日:移動
8/6(水)初日:中房温泉=(合戦尾根)⇒合戦小屋⇒燕山荘⇒燕岳⇒燕山荘
8/7(木)二日目:燕山荘=(喜作新道)⇒大天井ヒュッテ⇒赤岩岳⇒西岳ヒュッテ=(東鎌尾根)⇒北俣乗越⇒ヒュッテ大槍⇒槍岳山荘
8/8(金)三日目:槍岳山荘⇒槍ヶ岳=(西鎌尾根)⇒千丈沢乗越⇒樅沢岳⇒双六小屋
8/9(土)四日目:双六小屋⇒弓折岳⇒秩父岩⇒抜戸岳⇒笠ヶ岳=(笠新道)⇒杓子平⇒新穂高温泉
8/9(日)最終日:帰宅
天候 | 連日の晴天 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
【帰路】栃尾温泉=(バス)⇒高山駅=(JR)⇒名古屋駅⇒新大阪駅⇒大阪駅/梅田駅=(阪急)⇒甲東園駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
◆下山後の温泉:栃尾温泉の民宿(具体名は不詳) ★写真:アナログ写真プリントをコンデジで撮影 ★写真コメント:当時のシマダレ隊員に拠る |
写真
感想
【2013年10月20日 記述】
1980年代後半から90年代前半、職場同期生と同時期に夏期休暇を取り、アルプス縦走を中心とした山旅に出掛けた。
会社の同期入社の同僚に誘われて、初めての本格的な登山に参加したのが1986年の夏で、いきなり北アルプスの盟主・槍ヶ岳を中心とする北ア南部縦走コースであった。
初日から三大急登として知られる合戦尾根を登ることになったが、当時は会社のラグビー部に所属し、春季を除いて活動していたため、体力面での不安はなく、全行程に付いて行けた。
言わば、この山行が拙者の山との出会いであり、原点である。当時は、まだまだラグビーが私生活の中心であったから、その後、これほど山との関わりを持つことになるとは想像もしなかった。
槍ヶ岳への登りは、今ほどの混雑はなかったが、オジサンが先頭に立ち、拙者の直前で足場探しに苦労するシマダレ隊員をサポートしたのが懐かしい。
一方で、連日、ピーカンの晴天が続き、暑さとの戦いとなった。特に最終日の笠ヶ岳への登りと笠新道の長い長い下りで全員が疲弊、特にシマダレ隊員は途中で鼻血を出すほどで、途中、木陰で30分?ほど、横になって休憩していたのを覚えている。
一方で、双六小屋での豊富な冷たい水を使い放題だったことをよく覚えている。
また、笠ヶ岳山荘のトイレには、やたらと蝿が多かったことも。
どこの民宿に泊まったのかは定かではないが、下山して、温泉に入って、ビールを飲んで・・・「山だ、ビールだ、温泉だ!」が合言葉であった。
そして、それが今のユーザーネーム「yamabeeryu」の起源である。
【参加行程】
必ずしも希望通りの日程で休暇が取れるわけではないので、全ての山行に参加できたわけではありませんが、思い出せるだけ、列挙してみました。
1986年:北アルプス表銀座(燕⇒槍⇒双六⇒笠⇒新穂高)★本編★
1987年:南アルプス白根三山(広河原⇒北⇒間⇒農鳥⇒奈良田)
1988年:北アルプス折立⇒雲の平⇒三俣蓮華⇒???
1989年:?????
1990年:北アルプス裏銀座(扇沢⇒爺ヶ岳⇒鹿島槍⇒爺⇒針ノ木⇒扇沢)
不明:尾瀬沼+会津駒(大清水⇒尾瀬沼⇒(桧枝岐温泉)⇒会津駒ケ岳往復)
不明:八ヶ岳往復(美濃戸⇒(赤岳鉱泉?)⇒赤岳⇒美濃戸)
不明:常念岳往復
不明:巻磯山往復
不明:両神山往復
隊長ラガーマンだったのですね
初めての本格的登山が表銀座から裏銀座への縦走とは何と贅沢な…
合戦尾根も三大急登の名に恥じない状態だったかもしれませんね!
今は返上した方が良いんじゃないかと思うくらい普通の登山道ですから…
隊長はラグビーされていただけあってガテン系の良い体格ですねぇ!
それも今ではラガーはラガーでも違うラガーに心酔しちゃって…勝てん系ですかぁ〜(笑)
若かりし頃とは言え、かなりの強行日程ですね?
私なら6日はかかります、女性もいるではないですか?
27年ほど前ということは、隊長は現在55歳ぐらいですか?
掲載を拝見していて、同年輩(60歳)ぐらいの方かなと思っていました。
ところでアップしている写真数が多いいのですが、ヤマレコとはどのような契約になっていますか?
私の場合はPREMIUM PLANですが、1ヶ月2・3件の記録で月300MBをオーバーして写真をアップすることができなくなります。
夏山しかやりませんので冬場はあまり掲載しませんが、暇な冬場に隊長のように『過去レコ』を掲載しても良いかなと考えています。
隊長、こんにちは。
いいもの見せてもらいました。
まさか昔は隊長が○性だったとは。
一枚目の社員の右端の人が気になるMです。
隊長、この場をちょっとお借りします。
yamahennroさん、私は最初携帯で写真を取っていたのですが
デジカメで取ったのを載せたら容量が凄くて大変なことに
まりました。
それをレコに書いたら「圧縮」という方法を教えて頂き
解決しました。
写真の圧縮と縮小とかで検索すると無料ソフトがヒット
すると思います。
本格的ではないのですが、19歳から32歳くらいまで、ラグビーをやってました。
学生時代は同好会で、社会人では素人が大半の弱いチーム。
太りにくくて、筋肉が付き難い体質なので、ヒョロっとしてまして、基本はバックスでした。
弱い割には練習熱心なチームで、普段から走れ・走れの練習をしてましたので、山を縦走するのは苦ではなかったですよ・・・暑さを除けば。
そして、誘われて、初めて付いて行った先がこのルート。
その頃は、このルートの貴重さを全く知らず、槍ヶ岳ぐらいは名前を知ってます・・・程度。
なので、よ〜く考えてみたら、初めて登った百名山が槍で、2番目が笠・・・なんて、すごいデビュー戦ですな
麓の山を歩いて練習・・・なんて全くなしで、いきなり北アで本番ですから。
翌年は、やはり、南アの白根三山で本番でしたよ
隊長
合戦尾根という地名?も知らぬまま、みんなに付いて行って、ハイ、登りましょうって ・・・ノー天気なものでしたなぁ
東鎌だの西鎌だの・・・訳も分らず、付いて行きましたよ。
笠新道の下りは・・・飽きましたなぁ・・・いつまで経っても林道に降り立てず
合戦尾根より、その後、単独で登ったブナ立て尾根の方が印象に残っているような・・・
いずれにせよ、今は昔の話ですよ
今はですね・・・違うラガーに心酔すると懐によくないものですから、第三とか雑酒を好むようにしています
隊長
そうなんです、コント55号、松井の背番号なんですよ、今年
ですのでyamahennroさんからすれば、まだまだ若輩者でござりまする
連日、天気がとてもよかったもので、予定通りの日程をこなして歩いたのですが、焼け過ぎて、耳たぶの皮までめくれてしまったのを覚えています
写真の件ですが、拙者は普通のプランです。
デジカメの性能がよくなると、一枚当たりのサイズ(画素数、容量)が大きくなり、掲載できる枚数が制限されてしまいます。
なのでmillionさんがおっしゃっているように、圧縮してから、ヤマレコにアップロードしています。
Windowsだと圧縮にも3段階あって、このレコでは最も小さなサイズに圧縮してます。写真をクリックしても、ほとんど大きさが変わらないでしょう?
他の例で言えば、拙者の最新作(高尾山スタンプハイク)では、下から2番目のサイズに圧縮しています。写真をクリックすると、このレコの写真より大きくなります。
確か「Windows Picture Manager」に「画像の編集(I)」というのがありますから、それを使います。
但し、一度、圧縮すると、元には戻らない(画像の質が悪くなったまま)ので注意が必要です。
拙者は、写真を一度ヤマレコ作業用にコピーしてから、圧縮作業をしています。
隊長
すでにこの時から「ひ○○ま。」でした。
この遠征隊の隊長夫人です。
(当時、拙者は、まだ半袖隊長を名乗っておりません・・・当たり前ですか )
このレコとは別に、1990年の鹿島槍・針ノ木山行のレコもアップしているのですが、そこにも登場されていますよ
隊長
millonさん、yamabeeryuさん ありがとございます。
ヤマレコ質問箱で「圧縮」で検索すると、次のような応答がありました。
参考になりますよ
「写真の掲載枚数について」
http://www.yamareco.com/modules/plzXoo/index.php?action=detail&qid=1159
隊長
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