南ア・鳥倉林道通行止め地点から三伏峠─荒川三山往復
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- GPS
- 56:00
- 距離
- 43.7km
- 登り
- 3,862m
- 下り
- 3,848m
コースタイム
- 山行
- 2:38
- 休憩
- 0:35
- 合計
- 3:13
- 山行
- 9:51
- 休憩
- 2:21
- 合計
- 12:12
- 山行
- 6:01
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 7:01
天候 | (1日目)晴れ時々曇り (2日目)晴れ時々曇り (3日目)霧後曇り時々晴れ |
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アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
奥西河内岳(荒川前岳)への急斜面は上りはどうってこと無いが、下りは危険! |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
着替え
靴
ザック
ザックカバー
行動食
非常食
飲料
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
ライター
地図(地形図)
コンパス
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
ロールペーパー
時計
タオル
カメラ
ポール
テント
テントマット
シェラフ
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感想
登山歴11年目の私がこれまで最も多く行っている場所は、室堂でもなければ大雪渓でも上高地でもない。南アルプス中部の登山拠点・三伏峠である。去年までに5回も三伏峠に行っているが、今年も懲りずに三伏峠に行くことにした。最初は1泊2日で三伏峠から塩見岳往復を考えていたのだが、思いもかけず2泊3日の日程が取れたので、三伏峠から荒川三山を往復することにした。ちなみに荒川三山も過去2回も行っている…。
三伏峠へのアプローチはJR飯田線伊那大島駅からバス(夏季季節運転で1日2往復)で塩川小屋まで行き、そこから歩くのがメインルートであるが、かつてのメインルートで廃道になって久しかった大河原道が鳥倉林道の開通によって復活。こちらのほうが行程が1時間短くて済む。ということで今回は後者のルートを採ることにした。
車で富山を出発したのは25日の朝7時過ぎ。14時くらいに鳥倉林道の終点に着くことになり、この日の宿泊地・三伏峠に着くのは18時頃の計算になる。安房峠を越え、途中松本で食料を買い込み、塩尻、伊那を経由し、高遠からとても100番台の国道と思えない悪路の152号線に入る。が、殆ど対向車なるものがないので、あっという間に分杭峠を越えて鹿塩に着いた。分杭峠から来た場合、鹿塩のバス停から50 mほど行ったところに公衆便所があるが、その左脇の細い道に入り、そのまま真っすぐ行くと鳥倉林道に入る。鳥倉林道終点へ車を走らせていると、ありゃりゃ『この先土砂崩れで通行止め。登山のかたはここから歩いてください』なる看板が立っている。お蔭さまで45分余計な歩きを強いられたものの、予定どおり18時前に三伏峠に着いた。普通の小屋なら18時ギリギリに小屋にたどり着こうものなら何か一言言われるのだが、ここの小屋の場合、前述のバスの2便目(塩川着:13時24分)で塩川小屋から三伏峠を目指すとどうしても到着がこの時間帯になるという事情があるため、何も言われなかったりする。この日はここで幕営。三伏峠名物の遠い水場への往復の途中、夕陽を浴びて赤くなった塩見岳の雄姿が印象的だった。
翌26日、5時に三伏峠発。40分足らずで烏帽子岳の頂上に着くと、見える見える、南アルプスの山々が…。甲斐駒、仙丈、北岳、間ノ岳、塩見岳、これから目指す荒川三山、赤石岳、聖岳、そして富士山も。雲が少しかかっているものの中央アルプスも見えた。巷あふれる中年女性登山者3人組が、この雄大な景色に大いにハシャギ回っているのを尻目に先を急ぐことにする。相変わらず荒れ果てた避難小屋が建つ小河内岳を過ぎ、南アルプスらしい樹林帯のなかを歩いているうちに大日影山、板屋岳を越え、高山裏避難小屋に着く。が、ここでは休まず、小屋の先を20分弱行ったところにある水場で休むことにする。水場はこの猛暑のためかもの凄くナサケナイ状態になっていた。水場のない中岳避難小屋に宿泊予定なので、翌日の分まで4Lの水が必要なのだが、それを汲むのに15分もかかった。水場から暫くは山腹を巻いていくが、道に石がゴロゴロし始めるとそこはもう荒川前岳、もとい奥西河内岳北面のカール底である。ここから奥西河内岳頂上までは標高差700 mの急登である。前にここを登った時は了いには『20分登って10分休み』というバテバテ状態になり、休憩込みで3時間半かかったのだが、今回は2時間10分でクリア。奥西河内岳の頂上には12時過ぎに着いた。ここから荒川中岳、もとい魚無河内岳の頂上を経て宿泊予定地の中岳避難小屋に着いた。ここに荷物を置いて悪沢岳へ向かう。3,141 mの悪沢岳頂上の『本邦第6位』と書かれた標識と塩見岳をバックに記念写真を撮り、笊ヶ岳や赤石岳をじっくり眺めた後、中岳避難小屋に戻ると、時間はまだ15時前。2000円の宿泊費がかかる中岳避難小屋に泊まるより、400円払って高山裏でテントを張ったほうがいいと素早く計算すると、再び荷物を背負い、あれだけ苦しんで登った奥西河内岳の急坂を下り始めた。奥西河内岳から降りてすぐ、稜線からカールへ降りるところのザレ場は登りでは問題なく通過できたが、下りになるとモノ凄く怖い。ほとんど腰がヒケた状態で慎重に下っていくと、烏帽子岳頂上で居合わせた中年女性トリオとすれ違った。オバサンたちはこの急坂の上りに相当参っていて、下ってきているこちらに全く気づかず、「コンニチワ」と声をかけると「ワッ、びっくりした」と驚いていた。ははは。急坂を下り切り、水場を過ぎ(結局先ほど汲んだ4Lの水は荷物を無駄に重くしただけだった…。)高山裏避難小屋に着いたのは17時過ぎ。テントの受付のために小屋のオヤジのところに行ったら、例によってオヤジ、客を客と思わぬ横柄な態度に出る。'94年8月号の『山と溪谷』の南アルプス特集の覆面座談会で非難されていた主人の態度が悪いT小屋とは紛れもなく高山裏避難小屋の事で、あの記事のお蔭で幾らか態度が改まったかと思っていたら、全然変わっていないやんけ!!! さすがに頭にきたが、今ではあの人はあーゆー人なんだと諦めるしかないんだと思うことにしている。そのうち高山裏避難小屋のオヤジに怒鳴られないと南アルプスに来た気がしなくなるかも知れないなぁ。ははは。
翌27日、朝起きるとものの見事にガスっていた。ガスが出ているだけならまだしも、風も強い。前日無理して高山裏まで戻っておいて良かった。こんな強風の中奥西河内岳直下のザレ場を下ることを考えると、ああ、コワコワ…。ガスの中、往路を忠実に戻っていくと、小河内岳と烏帽子岳の間辺りからガスが晴れだし、展望が開けてきた。烏帽子の頂上で最後の展望を楽しんだあと、三伏峠へ戻ったのは9時半過ぎ。三伏峠には塩川からのバスに間に合うべく下山の準備に余念のない登山者が大勢いた。何しろ塩川発13時30分のバスを逃すと、さらに2時間ほど歩いて鹿塩のバス停まで行かなきゃいけない。さらにこの日は日曜だったのでその鹿塩からのバスも運休。何がなんでも塩川のバスを捕まえなきゃいけないわけだ。その点、マイカーで来ていると時間に縛られないため気が楽である。途中、水場でのんびりしながら大河原道(今や、豊口山コースだが)を経て、鳥倉林道の車を駐めているところへ戻った。こうして2泊3日の強行登山はこちらの計算どおりにコトが運んだのだが、最後の最後に大きな計算違い。帰りのルートを往路と同じく、鹿塩→高遠→伊那→塩尻→松本→安房峠→神岡→富山としてしまったため、モロに安房峠の大渋滞に引っかかり、中ノ湯−平湯間を抜けるのに3時間かかった。今回の山行、これが一番コタえたかもしれない。鹿塩→飯田→妻籠→坂下→下呂→高山→富山とくるべきだったとホゾを咬んでも、あとの祭りだった…。
(越中やたらと登る会会報「さんぼ」No.11(1995.12.8発行)掲載の記事をほぼ全文忠実に転載)
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