2022.3霞沢岳滑落事故
- GPS
- 11:48
- 距離
- 16.1km
- 登り
- 1,609m
- 下り
- 1,629m
コースタイム
天候 | 前夜:降雪 当日:無風快晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
当日 坂巻温泉に駐車 |
コース状況/ 危険箇所等 |
表面は新雪でラッセルを強いられたが、ルートを誤らなければ下に固い層があり、雪はしまっていた。しかしルートを少しでも誤るととても大変なラッセルとなった。 凍結は無く、核心部も爪が良く掛かり登りやすかったと思う。その為予定より1時間早く登頂出来た。 下山時も雪の状態は良く、私は高下駄になる事無く快適だった。 しかし救助の為1時間経過の後下山再開したら高下駄になった。それ程少しの時間と少しの気候の違いで雪の状態は変わるんだと実感した。 |
その他周辺情報 | 救助現場の上空、少し離れた箇所に木の空間が出来ていた。その為救助ヘリが2回目のトライで降りて来てくれた。 でないと後数時間は救助を続けないといけなかったと思う。 搬送を終え、荷物をほぼ回収出来たおかげでふみさんの車を乗ることが出来た。(釜トンネルまで消防車両が到着していたので駐車場まで送ってもらえた)その足で警察署に向かい状況説明、ご遺体確認、ご家族との対面をし、帰路に着いた頃には翌日になっていた。 不幸中の幸いで今回は救助の全てがスムーズだったと思う。 |
写真
感想
2年前にガスガスでグズグスの霞沢岳に登り、リベンジしたかったふみさん。
1ヶ月前に藤内沢で会ったT氏を誘った事で彼のスケジュールに合わせて、この日3人で行くことになった。
前日の降雪を心配していたが、積雪状態は良かったので予定より早く登頂して、下山もスムーズに出来そうな良い進みだった。
13時半頃、標高1800m辺りの3-4m程の急斜面に差し掛かった。
今回CLのふみさんは先頭を歩き、急斜面は終始クライムダウンしていた。斜面が緩やかになった所で向きを変えた瞬間か?(詳細は分からない)緩めの斜面を滑りだした。上から見ていた客観的な感想としてはその時のふみさんには余裕が見受けられた。ちゃんと滑落停止体制を取っていた。
しかしアイゼンを引っ掛けたのか?(詳細は分からない)体が跳ねて頭が下に向いてしまい、その後運悪く大木に頭をぶつけてその先の急な斜面を滑っていってしまった。(メディアにも書かれていたが、この日ヘルメットは被って居なかった。しかし、この直前の休憩でストックに変更しようとしていた位の穏やかな林道であったのも事実だ)
T氏はアルパインに長けた現役消防士だ。緊急事態と判断し、私に指示をし、ロープも持っているので直ぐに斜面を駆け降りて行った。
私は電波の入るその場で119.110に連絡、警察と何度もやり取りをした。1時間後T氏がふみさんを発見した旨を警察から連絡を受け、登山道から降りるように言われて直ぐに救助の場まで向かった。
待っている間本当に葛藤があった。しかし救助と待機。後で思うととても大事な役割分担だと思った。
ふみさんが停止した場所は下の道路から近かったが、負傷が酷いため動かす事は出来ず、とにかく声掛けと温めること。息をしてもらうこと。への手助けをした。
T氏が発見した時は意識はあり言葉でのやり取りも出来た。300m以上滑落したのに奇跡的だと思う。私が到着しヘリが到着までは呼吸があった。
私はT氏の指示の元、ふみさんを温めるためのお湯を沸かしたり、ヘリ到着の合図や物が飛ばされないようにの準備位しか出来なかったが、T氏は懸垂下降を2度行いふみさんを発見して直ぐ足から頭まで保温して、止血、気道確保、手を握っての声掛け。自身の寒さもかえりみずに対処してくれていた。
ふみさんもきっとマラソンだと思い最後まで頑張って呼吸してくれた。
救助に特化したT氏でも冷静を保つ為に相当な精神力を持って対応してくれたんだと思う。
もしも私ひとりだったら、私も二次遭難をしてしまうか、何も出来ずに心が死ぬかのどちらかだったと思う。
救助隊と協力しヘリまでふみさんを搬送し終えると全身氷まみれになっていた。
それまでの緊張が途切れたわけでは無く、闘いの後の様な複雑な気持ちだった。
運良く救急隊の車が釜トンネルを越えた所に到着していた。ふみさんの車まで送ってくれた。鍵がなかったら警察署まで送ってくれるとの事で本当に助かった。
あのまま救助が長引いたら、帰路も歩きなら、きっと私達も寒さにやられていた。しかし警察署に向かう道中で留守本部からふみさんの死亡連絡が入り、また何とも言えない気分になった。
事故後直ぐに留守本部に連絡も入れていたし、計画書に緊急連絡先も書いてあるので、遠い松本市までご家族もこの日のうちに到着して頂けた。
ご遺体確認でふみさんと対面した時、ご家族と会い状況説明するのは本当に本当に辛かった。
ご家族仲が良かったふみさん一家。だからこそ私の存在も認めてくださり、逆にお礼の言葉を頂けた事で、私は今も前を向いて歩けれるんだと本当に感謝で一杯で、今もまだ沢山の感情と葛藤が入り混じっていて整理は出来ていないけど、これからもふみさんが応援してくれるであろう事をして行こうと思う。
いつも慎重なふみさん、さほど危険で無いこの場所、だけど一瞬の何かが重なったんだろう…こんな大事故になってしまった。
山での心得
『まずは事故(転ばない)をしない事。事故をすぐリカバリー出来る事。もしも何かあった時の技術と知識。それに備えての前準備。』
また雪山シーズンが到来しました。このタイミングにこの文面を見て、ひとりでも多くの人が何かを思い、何かに気を付けて山行してくださったらなぁと切に願いレポを上げることにしました。
山の色々な趣向がマッチしたふみさん。私をバディと呼んでくれた、大事な大事なふみさんを失ってしまいました。
この日から確実に弱くなった私が居ます。だけど止まらないでいるのは、ふみさんが止まることを望んでないから。そして私自身が山に行きたいから。しかし今もまだ色々がリハビリ中です。
事故を起こしてしまった側の気持ちはまた複雑でしょうが、今の私には全ては分かりません。
分かることを書きますと、「残った人が何を出来たか」で残った人の生死に関わると思います。
生き残ってちゃんと生き続けるように予めの準備をして挑んで欲しいです。
持ち物で言うとロープ、ガスコンロ、ツェルトなどの救命道具の重要視。
そして紙の計画書と地図は基本であり、残される側としてはとても重要です。
今回の3人のパーティはある程度の関係性があったので、私の慢心で無ければ体調などの体の変化の把握は出来て居たと思いますが、些細な事でも仲間の様子を互いに思いやれる事で事故防止に繋がる事もあるかと思います。
先頭の者が余裕と思った道も、後続の者にも伺いをしてみる。それで防げれる事故もあるのかもしれない。
そんな事故防止の色々を考えると、声掛けがシンプルで確実な対策かと思いました。
伝えたい事は沢山ありますが、自分のエゴでしかないのかもしれません。だからこれ位にしておきます。
長文読んでくださりありがとうございました。
どうぞ皆様ご安全に、楽しい登山をして下さいね🏔
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