広徳寺の駐車場からスタートします。
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3/23 6:55
広徳寺の駐車場からスタートします。
途中の分岐から林道を行くと「御嶽神社」社号標と鳥居。左に麓から直接登ってくる参道がありました。
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3/23 7:04
途中の分岐から林道を行くと「御嶽神社」社号標と鳥居。左に麓から直接登ってくる参道がありました。
うっすら雪化粧した大岳山(右)と馬頭刈山方面
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3/23 7:05
うっすら雪化粧した大岳山(右)と馬頭刈山方面
なかなかりっぱな石段
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3/23 7:06
なかなかりっぱな石段
御神木のヒノキ。見事なコブがありました。
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3/23 7:09
御神木のヒノキ。見事なコブがありました。
社殿の佇まい。
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3/23 7:10
社殿の佇まい。
お犬様はペットのよう。昭和49年。
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3/23 7:13
お犬様はペットのよう。昭和49年。
こちらはちょっと細身。犬種が違う?気のせいかな。
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3/23 7:14
こちらはちょっと細身。犬種が違う?気のせいかな。
社額は典型的な武蔵御嶽神社風。
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3/23 7:14
社額は典型的な武蔵御嶽神社風。
社殿右手に石祠と先代のお犬様。
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3/23 7:16
社殿右手に石祠と先代のお犬様。
こちらも独特なフォルム。カモノハシのような口元。
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3/23 7:17
こちらも独特なフォルム。カモノハシのような口元。
ガッツ星人?
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3/23 7:19
ガッツ星人?
台石に願主銘かな?
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3/23 7:22
台石に願主銘かな?
一般ルートに戻って小峰公園へ向かいます。金剛の滝はまた夏に来ましょう(イワタバコ)。
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3/23 7:42
一般ルートに戻って小峰公園へ向かいます。金剛の滝はまた夏に来ましょう(イワタバコ)。
路傍に「百番観世(音)」。「文政十龍舎丁亥四月如意日」(1827)、願主は「小和田/留原」の方々。*如意日≒吉日
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3/23 7:45
路傍に「百番観世(音)」。「文政十龍舎丁亥四月如意日」(1827)、願主は「小和田/留原」の方々。*如意日≒吉日
この標高でも、ちょっとだけ昨日の雪が残っていました。
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3/23 7:50
この標高でも、ちょっとだけ昨日の雪が残っていました。
本日の電気供給は大丈夫でしょうか?
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3/23 8:03
本日の電気供給は大丈夫でしょうか?
雰囲気の良い所
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3/23 8:07
雰囲気の良い所
小峰公園最高地点336m
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3/23 8:11
小峰公園最高地点336m
この尾根道は八王子往還街道だったとのこと。立派な馬頭尊があります。
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3/23 8:19
この尾根道は八王子往還街道だったとのこと。立派な馬頭尊があります。
「馬頭観世音/文政五壬午八月吉日(1822)/隣村講中」
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3/23 8:20
「馬頭観世音/文政五壬午八月吉日(1822)/隣村講中」
小峰公園の石造物群。手前の庚申塔は寛政二年(1790)。
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3/23 8:32
小峰公園の石造物群。手前の庚申塔は寛政二年(1790)。
左はおそらく馬頭尊像。右のお地蔵さんは「文久二戌年十一月□□」の墓標。
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3/23 8:36
左はおそらく馬頭尊像。右のお地蔵さんは「文久二戌年十一月□□」の墓標。
2基とも百番(巡礼)供養塔。白「文化八辛未年二月吉祥日(1811)留原・・・」赤「文化九<剥落>孟夏吉辰」(1812)*孟夏は四月、吉辰は吉日。
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3/23 8:41
2基とも百番(巡礼)供養塔。白「文化八辛未年二月吉祥日(1811)留原・・・」赤「文化九<剥落>孟夏吉辰」(1812)*孟夏は四月、吉辰は吉日。
八坂神社(天王さま)がありました。
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3/23 9:07
八坂神社(天王さま)がありました。
御由緒・江戸期は「牛頭天王社」留原村総鎮守、別当)天王山地蔵院・尾張国津島神社の須左之男命牛頭天王を勧請・昭和25年現地に遷座
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3/23 9:07
御由緒・江戸期は「牛頭天王社」留原村総鎮守、別当)天王山地蔵院・尾張国津島神社の須左之男命牛頭天王を勧請・昭和25年現地に遷座
牛頭天王の御札
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3/23 9:09
牛頭天王の御札
梅の花と薄化粧の馬頭刈山と大岳山
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3/23 9:16
梅の花と薄化粧の馬頭刈山と大岳山
小峰公園周辺は工事中でした。車道を横断して前山公園に入ります。
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3/23 9:24
小峰公園周辺は工事中でした。車道を横断して前山公園に入ります。
展望地にある石祠。戦前まで「お犬様」と呼ばれる祠があったという(おそらく御嶽神社)、その後継かな。
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3/23 9:29
展望地にある石祠。戦前まで「お犬様」と呼ばれる祠があったという(おそらく御嶽神社)、その後継かな。
前山トンネル。全長30mほど。
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3/23 9:33
前山トンネル。全長30mほど。
本日の核心部。つい近道をしようと思ったら、滑って怖かったです。
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3/23 9:36
本日の核心部。つい近道をしようと思ったら、滑って怖かったです。
高尾神社入口。当地は旧高尾村。
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3/23 9:44
高尾神社入口。当地は旧高尾村。
高尾神社、祭神は火の神。高尾山(薬王院)や高尾太夫とは関係ないみたい。
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3/23 9:46
高尾神社、祭神は火の神。高尾山(薬王院)や高尾太夫とは関係ないみたい。
左に軍荼利明王社。別当大光寺が天明期に焼失し、その後本堂落慶のあと建立されたという。
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3/23 9:50
左に軍荼利明王社。別当大光寺が天明期に焼失し、その後本堂落慶のあと建立されたという。
その奥には石祠が並んでいます。
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3/23 9:52
その奥には石祠が並んでいます。
右手の奥にも石祠が並び、その前方に
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3/23 9:53
右手の奥にも石祠が並び、その前方に
御嶽神社がありました。
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3/23 9:54
御嶽神社がありました。
こちらも「みたけ」神社のようです。
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3/23 9:55
こちらも「みたけ」神社のようです。
感知センサーで灯りがつきます。軍荼利、御嶽といい高尾神社なかなかです。
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3/23 9:56
感知センサーで灯りがつきます。軍荼利、御嶽といい高尾神社なかなかです。
奥宮に向かいます。何気に急登です。
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3/23 9:57
奥宮に向かいます。何気に急登です。
ビューポイント
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3/23 10:06
ビューポイント
五日市線の電車が走っています。
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3/23 10:06
五日市線の電車が走っています。
その先に奥宮が見えてきました。
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3/23 10:09
その先に奥宮が見えてきました。
傍らに日正教の記念碑(昭和十八年)がありました。中には「御嶽教大講義」も名を連ねています。
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3/23 10:11
傍らに日正教の記念碑(昭和十八年)がありました。中には「御嶽教大講義」も名を連ねています。
手洗石(大正十三年、1924)には高尾青年団や永楽講中(日生教)の銘がありました。
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3/23 10:16
手洗石(大正十三年、1924)には高尾青年団や永楽講中(日生教)の銘がありました。
日生教の石祠に先程と同じ武蔵御嶽神社の御符が祀られていました。
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3/23 10:16
日生教の石祠に先程と同じ武蔵御嶽神社の御符が祀られていました。
一段下がった所に石祠と「一心講先達」の方の「命」碑。霊神碑のようなものかな。
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3/23 10:18
一段下がった所に石祠と「一心講先達」の方の「命」碑。霊神碑のようなものかな。
激下り、見かけの山並み通りのアップダウンです。
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3/23 10:28
激下り、見かけの山並み通りのアップダウンです。
やっとこさで山頂のようです。
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3/23 10:50
やっとこさで山頂のようです。
網代城山
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3/23 10:51
網代城山
向こうに見える尖がりは?笠山?
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3/23 10:52
向こうに見える尖がりは?笠山?
網代城跡・15世紀中頃、地侍と農山村民らによる「南一揆」の山城。逃散の場としても使用された。・16世紀中頃滝山城に入った北條氏照により、一揆は解体、その支城となる。
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3/23 10:56
網代城跡・15世紀中頃、地侍と農山村民らによる「南一揆」の山城。逃散の場としても使用された。・16世紀中頃滝山城に入った北條氏照により、一揆は解体、その支城となる。
「城山」三等三角点330.7m。
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3/23 10:57
「城山」三等三角点330.7m。
下りです。遺構の平場がいくつかあります。
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3/23 10:58
下りです。遺構の平場がいくつかあります。
ここが大手道あたりかな?
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3/23 11:03
ここが大手道あたりかな?
そして弁天への登りです。
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3/23 11:11
そして弁天への登りです。
弁天山292m。
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3/23 11:13
弁天山292m。
いよいよお待ちかねの洞窟です。
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3/23 11:29
いよいよお待ちかねの洞窟です。
説明板。毘沙門天像は無銘とありますが・・・
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3/23 11:30
説明板。毘沙門天像は無銘とありますが・・・
レコでは狭いと見えた入口は、実際は大きく感じました。
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3/23 11:32
レコでは狭いと見えた入口は、実際は大きく感じました。
そして内部は想像してたよりさらに広かったです。左に大黒天、右に石燈籠と毘沙門天みたいです。本来は燈籠の奥に辨天様が祀られていたのでしょう。
11
3/23 11:33
そして内部は想像してたよりさらに広かったです。左に大黒天、右に石燈籠と毘沙門天みたいです。本来は燈籠の奥に辨天様が祀られていたのでしょう。
暗がりの中のまさに大黒天。年季がはいってます。
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3/23 11:34
暗がりの中のまさに大黒天。年季がはいってます。
「文明九年丁酉閏正月六日」(1477)とあるようです。今まで見てきた石仏神像の中では一番古いと思います。
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3/23 11:36
「文明九年丁酉閏正月六日」(1477)とあるようです。今まで見てきた石仏神像の中では一番古いと思います。
一方、毘沙門天像。残念ながら両腕の先は欠損していますが、迫力満点です。
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3/23 11:37
一方、毘沙門天像。残念ながら両腕の先は欠損していますが、迫力満点です。
無銘ということでしたが、念のため確認してみると背面に願主銘がありました。「施主頭」
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3/23 11:39
無銘ということでしたが、念のため確認してみると背面に願主銘がありました。「施主頭」
中央の方が頭でしょうか。女性銘もあるようです。紀年銘は見つかりませんでしたが、肩に「中」の字がありました。
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3/23 11:39
中央の方が頭でしょうか。女性銘もあるようです。紀年銘は見つかりませんでしたが、肩に「中」の字がありました。
誰かに似てるんだよな。フェイバリットな毘沙門様に会えてテンションマックスです。
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3/23 11:41
誰かに似てるんだよな。フェイバリットな毘沙門様に会えてテンションマックスです。
燈籠には中央に「<種子ウ>秋留山辨財天女 願主久保田氏正(栄)」両脇に「奉納石灯籠御寶前信心諸願所/延寶八庚申年八月吉祥日」(1680)とあります。こちらも古めです。
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3/23 11:45
燈籠には中央に「<種子ウ>秋留山辨財天女 願主久保田氏正(栄)」両脇に「奉納石灯籠御寶前信心諸願所/延寶八庚申年八月吉祥日」(1680)とあります。こちらも古めです。
ほんとビックリ空間です。
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3/23 11:52
ほんとビックリ空間です。
入口上方に「奉納 奥の院」の石標がありました。
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3/23 11:53
入口上方に「奉納 奥の院」の石標がありました。
ちょっと下って「貴志嶋神社」です。当所の「網代」さんの奉納です。昭和五年(1930)、「石工 三内 岸松三」銘あり。
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3/23 11:58
ちょっと下って「貴志嶋神社」です。当所の「網代」さんの奉納です。昭和五年(1930)、「石工 三内 岸松三」銘あり。
石段の両脇に建つ石灯籠
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3/23 12:01
石段の両脇に建つ石灯籠
「明治二己巳年八月朔日 現住大嶺代」(1869)、まだ神仏分離の波は押し寄せていないようです。
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3/23 12:01
「明治二己巳年八月朔日 現住大嶺代」(1869)、まだ神仏分離の波は押し寄せていないようです。
弁天様ですので、御祭神は市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)ですね。足利尊氏御母堂守護神として勧請したという話も。大開帳60年毎己巳年、中開帳が30年毎。
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3/23 12:03
弁天様ですので、御祭神は市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)ですね。足利尊氏御母堂守護神として勧請したという話も。大開帳60年毎己巳年、中開帳が30年毎。
もう一つ享和元年(1800)の石燈籠がありました。「愿奉納天女堂・・・」「現妙臺實山」*当時の別当が妙臺寺
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3/23 12:06
もう一つ享和元年(1800)の石燈籠がありました。「愿奉納天女堂・・・」「現妙臺實山」*当時の別当が妙臺寺
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3/23 12:08
「明治三年政府の神仏分離政策によって仏教的要素が排除され貴志嶋神社と改称された」とあります。
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3/23 12:09
「明治三年政府の神仏分離政策によって仏教的要素が排除され貴志嶋神社と改称された」とあります。
30年毎に開帳は昨年だったようです。残念!
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3/23 12:10
30年毎に開帳は昨年だったようです。残念!
長く洞窟内にいたためか、この辺りのログが取れていませんでした。
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3/23 12:16
長く洞窟内にいたためか、この辺りのログが取れていませんでした。
石祠には「奉再建八雲神社/東宮殿下御外遊紀念」とあります。
*東宮殿下=皇太子、この場合は裕仁親王(昭和天皇)
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3/23 12:19
石祠には「奉再建八雲神社/東宮殿下御外遊紀念」とあります。
*東宮殿下=皇太子、この場合は裕仁親王(昭和天皇)
「大正十年七月十五日建設」(1923)「石工 横沢 田野倉石之助」まさにピッタリなお名前ですね。
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3/23 12:20
「大正十年七月十五日建設」(1923)「石工 横沢 田野倉石之助」まさにピッタリなお名前ですね。
弁天山は巻きます。
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3/23 12:27
弁天山は巻きます。
城山から南峰に向かいます。下山方向にテープ、踏み跡も明瞭。
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3/23 12:54
城山から南峰に向かいます。下山方向にテープ、踏み跡も明瞭。
城山南峰320m。これが「東京三五○」さんの山名板ですね。
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3/23 13:03
城山南峰320m。これが「東京三五○」さんの山名板ですね。
その後の踏み跡も明瞭、お隣はゴルフ場で賑やかでした。
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3/23 13:20
その後の踏み跡も明瞭、お隣はゴルフ場で賑やかでした。
鉄塔の建つ尾根に合流し、西へ向かいます。
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3/23 13:22
鉄塔の建つ尾根に合流し、西へ向かいます。
巡視路も兼ねているので極楽な尾根道でした。
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3/23 13:34
巡視路も兼ねているので極楽な尾根道でした。
小峰峠。特に表示なし。
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3/23 13:50
小峰峠。特に表示なし。
渡には勇気のいる木橋。
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3/23 13:54
渡には勇気のいる木橋。
天国?地獄?への擬木段。これを登ると
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3/23 14:07
天国?地獄?への擬木段。これを登ると
小峰最高点
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3/23 14:09
小峰最高点
ミニチュアのような眺め
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3/23 14:45
ミニチュアのような眺め
手前が小和田御岳山、その向こうに高尾から網代城山への峰々。
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3/23 14:46
手前が小和田御岳山、その向こうに高尾から網代城山への峰々。
広徳寺に戻ってゴールです。
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3/23 14:50
広徳寺に戻ってゴールです。
以前見かけた案内看板
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3/23 15:08
以前見かけた案内看板
あずきでございます(*^O^*)
早速行かれたのですね!!
おいらのレコが少しでも参考になったなら、嬉しい限りです♪
やはりお詳しいですね!!
お勉強させて頂きました!!
今度ぜひご一緒させて下さい(>_<)笑
本当に良いものを見させていただきました。ありがとうございました。
病み上がりではなかったら、すぐにでも八王子探検隊に加入させていただきたいのはやまやまですが、何せ今の状況ではAzuさんのペースにはとてもついていけません。もう少し回復したら是非連れて行ってくださいませ。それでは。godohan
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