立山・剣岳縦走
- GPS
- 49:10
- 距離
- 16.1km
- 登り
- 1,460m
- 下り
- 3,113m
コースタイム
8/1 3:30起床5:25−6:02剣荘6:07−6:26第1鎖−6:32黒百合コル方面合流点−6:36第2鎖−6:43一服剣−7:27第3鎖−7:44第4鎖−7:58前剣8:10−事故現場に差し掛かる
天候 | 1日目:雨・曇り(ガスで視界なし)2日目:雨とガスで展望なく、ぬれた岩場の鎖場で緊張を強いられる。(滑落事故あり−死亡) |
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過去天気図(気象庁) | 2009年07月の天気図 |
アクセス | |
コース状況/ 危険箇所等 |
室堂−立山−剣沢・・,初日は剣沢へのアクセスの位置づけだが雨とガスで視界なし。雄山までは団体多数。雄山から先は縦走者殆どなし。コースには何ら問題ないが視界が悪く、40年ぶりのコースで前回の記憶が皆無に近いので標識を頼りに慎重に歩く。 剣沢−剣岳−早月小屋−馬場島・・,前剣手前で平蔵谷への女性の滑落事故があり,発生1時間後に現場に差し掛かる。救助隊による救助活動が開始されて1時間弱の待機となり、この間,隊員の無線を通じて状況が逐一耳に入る。後刻女性の死亡確認。以下編集中 |
予約できる山小屋 |
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写真
感想
09年7月31日(金)
立山三山・一の越から雄山へ
室堂にて広島から夜行バスで来た@kiと合流。9:50発。一の越着10:52。同11:00発,ゆっくり登って体を山になじませる。
12:05雄山着。登山者多数。中学校の集団登山あり、みな立派な靴を履いている。
雄山の標高は3003mとなっているがこれは雄山神社のあるピークであって三角点の高さは2991m。神社には500円の参拝料を払わないと入れない。@kiが雄山神社を参拝すると言うので休んで待つ。
雄山は北アルプスの中でも第1級の展望台だが一帯は視界10m程のガスで何も見えない。
大汝山のこと
12:40発,大汝山・富士の折立を目指す。縦走路に入ると1人の登山者もなく、神社の喧騒が潮を引くように消えて静かな山旅となる。室堂側から湿っぽい風が吹く中、20分で大汝休憩所着。
大汝休憩所は避難小屋を兼ねていて緊急避難的に宿泊することができる。
40年ほど前,行き暮れて思案している女性を拾ってこの休憩所に泊めてもらったことがある。一般の山小屋ではないのだが食事も山小屋並みに出してもらえた。
小屋主の遠北邦彦氏は、当時売り出し中の上条恒彦氏を髣髴させる恰幅のいい人で、精悍な顔が破顔一笑,柔和でやさしい目になるのが印象的で、彼の物言いともてなしが嬉しかったのと、翌朝の大展望が素晴らしかったのとで、後年わざと遅い時刻に着き、行き暮れた風を装って再度泊めてもらったことがある。それが(多分)37年前のことで、このコースに入るのはその時以来である。
残念ながらその時は遠北氏には会えなかったが、さらに後年、氏が経営する仙人小屋で再会し、また民宿簗場荘にも投宿する等の交流を持った。
そんな想い出に浸りながら小屋のベンチに荷を下ろしたときに中から出てきた人が『雨が来るよ!』と言い、すぐにパラパラッと音がし始めて@kiが雨具を着る。
めざすは剣沢
13:10発。10分で富士の折立の標識を見る。標識の50mばかり先のガスの中に小さなピークが霞んで見えているのが折立であろうか・・。
さらに進んで『内蔵助カール上部』と書かれた標識を見る。@kiにカールの説明を求められるが、言葉では説明できても展望がないので実物を見てもらえないのが何とも歯がゆい。
13:51,大走り分岐通過。ここから雷鳥沢に下ることが出来る。今回のコース取りでは、雷鳥沢をベースにして初日に立山三山を散策後幕営,2日目空身で剣岳頂上ピストンと言う案も提起したが@kiはこれを一蹴。縦走して早月尾根経由で馬場島に下ることを望み、この日は剣沢を目指すことになった。
この先のコースにはさしたる問題はないが、何しろ40年近く前のことなのでどのように歩いたかの記憶は無いに等しく、展望もないので出て来る標識を頼り前進するのみであるが、@kiはのんびりとハイマツの赤い芽やヨツバシオガマの写真を撮ったりしている。
霧中遊歩
富士の折立から剣沢に至る縦走路は、前出の大走り分岐に続いて真砂岳・内蔵助山荘方面への分岐点(合流点)を通過し、別山を越えた分岐点で剣御前小舎方面への道を捨てて右手に下る。
その分岐点,合流点ごとに小さな標識があって、ガスで視界がない中ではそれが大いに頼りになる。
大走り分岐点13:51,真砂岳分岐点14:04,真砂岳との合流点を14:10に通過し、さらに進んで14:47に別山方面への分岐点に到達すると、先行パーティーが直進して剣御前に向かう道を進むか別山を経由するかで迷っていた。
それは案内標識の直進路が写真の通り『残雪期危険』となって向こう側で剣御前への道と繋がるように書いてなかったからで、自分も一瞬どちらに行けばいいのか迷った。
丁度その時に別山から下りて来た2人連れがあり、女性に『内蔵助の山荘はどちらですか?』と聞かれたが、自分もよく分かっている訳ではなく間違って教えてはいけないので『分かりません。自分で地図を見て確かめて下さい』と答える。
冷静に考えれば自分達が来た方を教えればよかったのだと気づいたが、何しろ2〜3歩離れると見えなくなるほどの濃霧であるし、自分もちょっと混乱しかけていた。
ここは標識を尊重して別山に向かう。ガラガラの岩場を登って15:08山頂着。寒いのですぐに下って15:27,反対側の分岐点に着く。
剣沢CP場
そこは剣御前方面(黄色い矢羽・左向き)と別山をトラバースする道(右向き手前),別山を経由する縦走路(右向き中),剣沢に下る道(右向き向こう側)が交差する変形十字路で、剣沢へは下りて来た別山に戻るような感じで右に鋭角に曲がって急下降となる。
一気に下ると花が湿性お花畑のそれに変わる。一刻も早く着いてテントに潜り込みたいところだが、こんな時にも@kiは花を見ることに余念がなく図太さを発揮する。30分下って剣御前小屋からの道を合わせ、さらに10分下ると右手下の雪渓で雪を掘っている人が見え、その雪渓の下部を渡るとテント群が見えて16:13,剣沢CP場着となる。
剣沢にて
天候は相変わらずの曇りだが、この時点では剣岳方面が晴れていて眼前にその全貌を望むことが出来た。写真を撮るにはやや暗すぎ、何となく翌朝も同じように晴れているだろうと思い込んで撮らなかったのが仇になって全体像の写真はなし。
すぐに設営してテントに入り、一服後に@ki嬢にお任せの夕食。
夕暮れのひと時,一番星を探してテントを出る。剣岳はガスに覆われて見えず、月齢7日の月が西空で顔を見せたり付近の雲を白く染めていたが、天頂付近はガスの動きが激しく、目指す明るい星はなかなか見つからない。
北から西にかけての雲は薄くて時に晴れ、空が暗さをます中,剣岳山頂方向に北極星を見る。その西に北斗のひしゃくの柄の部分が見えては隠れ、その曲線が描く先に金色の麦星,さらにそのはるか先の山際近くに青白い真珠星があり、月はその傍にあった。
東から南の空は雲が重くガスの動きも鈍く、ようやく天頂付近に現れた明るい星を琴座のヴェガと見当をつけて大三角形を探すも、ある時はわし座,またある時は白鳥座と切れ切れに星座のかけらが認められるだけで、3つの明星が同時に姿を見せることはなかった。
ただ一度、風とガスのいたずらか,白鳥座の全体像だけを切り取ったように見せた瞬間があった。その翼の先から先までの長さは嘴から尻尾の先よりも長い。
結局星空から翌日の天候を伺うことは出来ず、成り行きに任せることにして早々に寝る。
夜半,爆睡してもう日付が変わっただろうと時計を見るとまだ0時前だったのにがっかりし、それからの長い時間をうつらうつらと悶々を繰り返しながら過ごす。 少し寒かった。シュラフとセーターを持って来たのは正解だったようだ。
8月1日(土)
剣沢から稜線へ
3:30起床。雨は落ちてはいないが途中で降られる公算が大きく前進するかどうか判断に迷うところ,出発の準備を進めながら自分達より早く動き出したテントの行き先を伺う。2つのパーティーが動き出したのと、幾分空模様が明るくなったのを見て5:25に出発する。もちろん天候が悪化すれば途中でも撤退する。
前日、剣沢到着時点では全貌を望むことが出来た剣岳はガスの中にあり、前方には一服剣方面へのなだらかな登りと、その先の稜線から立ち上がる前剣の急登部を望むのみで、そこから先は見えていないことが不安を掻き立てる。ぬれた岩場の重装での縦走,加えて決して経験豊富ではない若者を同行していることが重圧になってかつてない緊張を強いられ、雨を口実に室堂へ逃げ帰りたい気分もある。
剣荘の脇から稜線に向かう登山道に入る。6:16,雨が落ち始め@kiが雨具を着る。前方に3人のパーティーがあり、その先に稜線があって右手に小さなピークが見えており、数人の登山者が認められるそこを一服剣と見当をつけたが、後で調べるとそれは違っていて前剣直下の大岩らしかった。
6:32黒百合のコルからの道を合わせ、2つの鎖場を越えて6:43に一服剣(2618)を通過。そこは小さな手書きの板切れの標識があるだけの何の変哲もない所だった。時々雨が降り岩がぬれているが天候は落ち着いており、今のところ大荒れする心配はない。
前剣〜事故で足止め
武蔵のコルに向かう辺り,前方からほぼ等間隔で1人,3人,2人のパーティーが続き、その向こうには前直下の大岩が見えている。
7:22から5分休んで大岩の鎖場にかかり、7:44に大岩を抜けると左手に早月尾根を望む場所に着く。馬場島方面を見下ろしていると目の高さよりやや低い辺りに早月小屋の屋根を見つける。
この時、上から下りて来た登山者が『事故があったらしい』と言うのを聞いて前方を見ると、前剣下りの岩棚に7〜8人の登山者の集団が佇んでいるのが見え、そのパーティーが電話で救助要請している声が聴こえた。
前剣にはその場所から右手に直登するようになっており、パーティーがいるのは前剣の先である。這い上がる感じで7:58,前剣(2813m)着。休まず直進してパーティーの脇を通り平蔵の頭との鞍部,平蔵谷の最上部にかけられたジュラルミン製(?)の橋に向かって下ろうとしたところへ救助隊が到着。すぐに捜索活動が始まって現場が封鎖され、8:10から登りの登山道上で待機することとなった。
問題の橋にさしかかったまさにその時に現場が封鎖されたため自分達が最前線に位置することになり、救助隊員がザイルを固定して平蔵谷に降り、女性を発見した様子を伝える無線を通して生々しい事故状況のすべてを聞かされることとなる。その内容をここに記すことは憚られるので詳細な記述は避けるが、要するに呼吸,意識ともになく厳しい状況ということで、後刻,死亡が確認されたことを知る。
現場は登り専用のルートで前剣を過ぎて一旦下り、次の小さなピークの岩場を巻くようにつけられた鎖場との間の幅5mほどの鞍部にかかる金属製の橋(写真)。右は平蔵谷に繋がる雪渓であるから踏み外せばひとたまりもなく、一気にもって行かれる。気の抜けるところなどどこにもない剣岳の稜線でも特に慎重さを要する場所である。
がまた、前剣を通過してホッとして、次の岩場のわずかばかりのスタンスに設けられた鎖場(写真)を目の前にしてその凄さに圧倒され、束の間呼吸を整えると言うか、緊張の連続が一瞬途切れやすい場所でもある。そこにわずかな隙が生じたのかもしれない。
事故が何故起きたのか、その瞬間を見た者はパーティー内に誰もいなかったと言うことでその状況を知ることは出来ないが、滑りやすい金属製の橋だったことが災いしたのかも知れない〜,等とも思って見た。
転落したその瞬間,あるいは止まらない猛スピードの恐怖と絶望の中で、彼女は我が不注意と不運を一生分の思いで呪ったのだろうか・・。だが彼女の時間は戻らなかった。
2ヶ月近くを経た今になってしきりに思われる彼女の胸中にまで、その時思い至らなかったのは、自分もまた事故現場に遭遇したショックと興奮の中にいたせいだろうと思う。
小さなニアミスをいつも繰り返して、たまたま事故にあわずに今日に至っている自分は事故を論評する立場になく、この事故についての言及も本意ではないが、居合わせた者として感じた最小限のことを書かせてもらった。
雨で条件が悪く、ただでさえ遅れが生じていたのに加えて事故に遭遇した緊張感も加わってその後の動きがより慎重になる。登頂が予定より大幅に遅れることになるのは明白で、その日のうちに馬場島に抜ける目標を断念,目の前のルートに全神経を集中して進むこととなる。
約40分の待機後、下山ルートを使って登るようにとの指示に従って少し後戻りし、8:50から行動を再開する。
下山ルートは金属製の橋がある鞍部の下を通っており、見上げると救助隊員の人が踏ん張ってザイル確保しているのが見えた。その橋の先の小突起の岩山を下から廻りこんで次の平蔵の頭への登りにかかる鞍部が前剣の門と呼ばれる場所と思われた。
そこに至る鎖場の岩がぬれており、またガスの動きが早くて後から来る@kiの姿が見えたり見えなかったりするのでゆっくり待ちながら離れないよう慎重に進む。
平蔵の頭に向かって20分ほど歩いた時、前方から『おッ! 〇〇さん!』と突然声をかけられ、訝りながら立ち止まって顔を上げる。瞬時にはわからなかったが、下山中の10数名のパーティーの中で笑いかけていたひときわ背の高い人は広島労山のA氏だった。
数年ぶりの予期せぬ再会に驚きかつ懐かしみ、前夜からの行動ルートを聞いたり朝の事故のことを話したり、5分ほど立ち話しをして別れる。ほぼ全員が頂上ピストンの中に3名ほど北方稜線を上がってきた人がいたと言う。今回の剣岳縦走が北方稜線を視野に入れていたものであるだけに、もう少し詳しいことを聞きたいところだが、そう言う場合ではもちろんない。9:35まで話して平蔵のコルに向かう。
平蔵の頭への登りは鎖場の連続で、前方に10人くらいの集団があってやや渋滞気味だが、こちらも意識的にペースを落としているので丁度よかった。
@kiは鎖を嫌って自分でホールドを探して登る傾向がある。自分も鎖は使わないのでその気持ちはわかる。だが、それも時と場合による。登りはいいが下りの時、荷が大きくて振られることがある上に滑ってスタンスを確実に確保できない場合があるのでここでは拘りを捨て、@kiにも鎖を使って上半身を岩から離して降りるよう助言。こんなふうにパートナーの一挙手一投足を見ながら歩くのは初めてのような気がする。
9:56平蔵のコル,さらに進んで10:07カニのタテバイ。前のパーティーがザイルを出したので待機しているところへ@kiが追いつく。
ここは岩に打ち込まれている鉄の杭に足の置き方と方向を強制され、右に斜上するようになっている。一旦右に出た後、ボルトと鎖に従ってやや左斜め上から右斜め上に上がり、最後にまた左にと『くの字』を2回辿って岩棚に達する。10:18に@kiが抜ける。
そこから先は天候が良ければ30分弱の距離だが、視界が悪くルートの状況がつかめないので核心部を抜けたという安堵感はなく、休憩を入れながら緊張を保ったまま縦走ペースでゆっくり進む。
11:06登頂。2h30mの遅れ。山頂には30人くらいの人々。風が強くじっとしていると寒い。次々と入れ替わり立ち替って記念撮影する人々の合間を縫ってそそくさと写真を撮り、早々と下山路に向かう。
下山
11:25発。山頂から早月尾根へのルートは剣沢のルートとしばらく重なるが、ナイフリッジを右へ右へと進むうちに次第に離れて白い金属製の十字形の標識のあるところではすでに分離している。この標識は登る時に見えていたので多分そこが下山口だろうと見当をつけていたものだがしかし、着いてみると字が全然読めずまったく用をなしていない。晴れていればどうと言うことはないかもしれないが、ガスで視界がない中では『それはないだろう』と言いたくなる。
そこからさらに下がったところにもう1つ案内標識がある。これは文蔵尾根を分ける位置を示す標識で、これがなかったら一度は文蔵尾根に入り込んだかもしれない重要な標識である割には、見落とされかねないくらい貧弱なものだ。
早月尾根上部の鎖場は立派で丈夫な鎖が設置してあるのに比べて、この標識の心もとなさは何なのだろう〜と言う気がする。こう言う標識を設置する場合、ガスの日に初心者を同行して作業すべきかと思う。
下山の早月尾根の上部はカニノハサミ等の厳しい鎖場が3つ4つと続く。下りであるだけに登り専用のカニノタテバイなどよりはるかに難しく慎重さを要求される。雨とガスで下が見えにくい上に大きな荷が邪魔になってスタンスが取りにくいのでここは鎖を使うべきところ。写真を撮りながら下る場面ではない。
12:27,1時間かかって山頂から0.7km,2800m地点まで下る。休憩12分の後、さらに1時間あまり下って13:46,山頂から1.6km,2600m地点に到達。
早月小屋までは1.3kmと中間地点を過ぎており、大きな岩場はなくなるが長い道のりが続き、幾分気分も緩んできて2度3度とスリップを繰り返す。@kiは知らないふりをしてくれていたが、何度目かに右手の人差し指が地面にめり込んでいやと言うほど捻られ、これで目が覚める。
雨が次第に強くなる中、通常2.5時間のところ4時間近くを費やして15:15に早月小屋・CP場着。
土砂降りに近い雨が小降りになるのを待つが寒いのでぬれながらテントを
張り、潜り込んで湯を沸かし熱い紅茶を飲んでやっと人心地を取り戻す。しばらくは放心状態でぼんやりとすごす時間を楽しむ。
夕刻、雨が上がり小屋から出てきた人々のざわめきにつられて小屋の前広場に向かう。日没には一足遅かったがどうでもよかった。明日降られずに下れるならそれでいい。
前日の立山を含めて2日間,雨とガスで展望もなく、ただ縦走しただけに終わりそうだがそれは覚悟のことで、悪条件にもかかわらずここまで来れたことにとりあえず満足。
明日は4:30起きの6:00発でよかろうとなる。少し緩んだか・・。
以下,編集中
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