剱岳〜奥大日岳
- GPS
- 25:00
- 距離
- 20.3km
- 登り
- 2,693m
- 下り
- 2,488m
コースタイム
9・17 快晴 早月小屋515〜剱岳頂上900=930〜剱山荘1230〜御前小屋1400
9・18 快晴〜ガス 御前小屋530〜奥大日岳830〜大日小屋1020=1040〜大日平小屋1300〜林道1515〜称名1530
過去天気図(気象庁) | 2009年09月の天気図 |
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アクセス | |
予約できる山小屋 |
剣山荘
|
写真
感想
早月尾根から剱岳〜大日岳 09・9・16(水)〜18(金) ☆☆☆☆☆
9・16 晴れ〜ガス 馬場島515〜早月小屋1100
9・17 快晴 早月小屋515〜剱岳頂上900=930〜剱山荘1230〜御前小屋1400
9・18 快晴〜ガス 御前小屋530〜奥大日岳830〜大日小屋1020=1040〜大日平小屋1300〜林道1515〜称名1530
9・16 晴れ〜ガス 馬場島515〜早月小屋1100
剱岳は「点の記」ブームなのだという。けれど、早月尾根から過去に何度も失敗して、すべて天候不順なのだが、先月に続いてまた期待していく。平日休日だったりして。
魚津からの馬場島へのクルマの道というのは、何だかいきなり砂利の河川敷の道になってしまったり、田舎というのは道路状況も悪いんだろうか? しかもコンビニというのが、高速のIC付近にしかなくて、勝手に走っていればどこでもコンビニというのも東京近郊だけみたい。有名な馬場島というところも、毎度の田舎だった。未明に星空になって、明け方に下弦の月明かり。明るくなってから出る。馬場島へは上市から入りましょう、魚津からではクルマがダメになる。
晴れていたというのも、ほんの8時頃までで、上がってきたガスがあっという間に山全体を覆う。暖かい空気が冷やされるとガスになるよねえなんて、思いながら、富山側は暖かい空気で、長野側(剱沢)が冷たい空気か?と不思議になる。ガスになれば、本日頂上に行くことはしないからと、不貞腐れてゆっくり登って、午前中に早月小屋に着いて、早々に宿泊することにする。登行2200mを一日体験したかったが、二日に分けて合計10時間になった。
寂しい小屋だから夕飯はボンカレーっぽかった。15人のツアーが剱岳を往復してきた。朝6時に出て、14時戻り。往復8時間かあ。そのガイドと夕方は庭でおしゃべり。仙人池から黒部川へ雲切新道を3年前に開設したチーム阿曽原のメンバーになるそうで、地元のガイドはやっぱり地元に相当詳しい、当然なのだがね。
9・17 快晴 早月小屋515〜剱岳頂上900=930〜剱山荘1230〜御前小屋1400
明け方の満天の星空。でもさほど安心しない。数時間は晴れてくれればそれだけでいいよ。そんな簡単に快晴は続かないだろうから。5時からの朝飯をさっさと食って、15分後にはもう出発した。朝飯食わずに弁当で出かけて人もいた。でも今日、ここから剱岳へはほとんど単独ばかりで7人くらいで、まあ少数精鋭じゃなくて、呑気に静かな山行。
数年前の秋に積雪10センチの時期に、2800mまで登ったが、ときどきその時を思いだす。でも僅かな雪の違いだけでも、イメージ違うなあ。
2800mといえば、もうかなりの高度になっている。すぐ右に別山尾根が手に取るように近いし、そこを登っている室堂方面からのうんざりする客が、同じようにこちらに登ってくるのも本当に近い。別山尾根の向こう側は剱沢の大いなる平和な日の当たるカールなのだが、こちらのヒッソリした感じともまた大きく違う。もっと右の遠くには、奥大日とか大日が、予定通りならそっちまで登りに行くのだが、頂上部分だけ朝日が射して輝いている。こちら側山の西側というのは、午前中はいつも日陰で逆光でひんやりしていて、その暗さのマイナー系が、またたまらない。左側は、遠くにやはり朝日が頂上部分だけ当たっている毛勝山。近くになれば、小窓尾根のギザギザと、もっと近くは剱尾根。そうそう昨日は早月尾根下部から、大窓が綺麗に見えていました。上品な風景だなあ。
2800m超えると、初体験。何箇所かクサリがあったけれど、さほどでもなくて、ちょっと先で別山尾根に合流。山盛りの登山客。頂上へ出ると午前9時頃は、登頂タイムの混雑で30人以上いてにぎわう。でも個人客よりもツアー客が多いのが剱の不思議なところだ。他の客に「富山湾が見える、富士山が見える」と言われたが、見どころはその程度か? 富山湾などは昨日から見ていたし、富士など見たくないわい。今日は日本全部の山がここから見える。そういう絶好調には、「丸出しに見える」と今度は馬鹿にするのだから、客の心理は微妙だ。
頂上の神社は昨年改築されたというが、さほど綺麗でもなく、「北方稜線禁止」と書いてあるから、50mくらい進んでみたくなる。過去に何度かここに来たはずなのだが、子供の頃だったからすべて忘れた。剱は頂上北側に小広いところがあって、テントも張れそうなくらいに広いし、槍の反対側(北鎌側)は、一歩も踏み出せないところなのだが、剱のそれは、何歩でも踏み出せるくらいに意外な感じで穏やかだ。まあだから三ノ窓へも、八峰の頭の方へも気軽に出かけていたのだが。
それに長次郎雪渓が緩傾斜に穏やかに広いし、いつかやっぱり5月にスキーでここに来るべきだと思う。でも何だか県警に計画書提出する期間らしいのだが、今どきスキーでもそんなこと必要なんだろうか。40年も前の規則なんて変更して欲しい。
30分ほど滞在して、一般ルートの別山尾根を下る。10分前に下山したパーティが15人。その5分後に同人数のパーティ。大集団でツアー客は動く。
下山に「カニの横ばい」だけを心配していたのだが、そこで集団に追い付いてしまう。ガイドが指図して客を誘導しているが、そういうのを見るのは何だか嫌だ。しかもクサリに大きなカラビナ通しでシュリンゲでセルフビレイしながら下降しているのを見ると、いいのか?そんなんで。当然ボルトの前後だと付け換えるよねえ。しかもガイドのシュリンゲにテンションが掛って、そこから指示だしているんだぜ。連中が降りた後に一人で続くが、ガイドが言っている「その一歩」というのが、最初の一歩で目線がそこに届かなくて、ちょっと手ごわい。鎖のボルトに捕まってそこに右足を置けば、後は左に平行に下っていけばいいのだが、やっぱり緊張する。500人くらい降りれば、一人は墜落して死んじゃうようなところだ。一般道がこんな危なくて本当にいいのか?と疑問になる。皇太子がここを登れば、きっと岩壁を壊してエレベータ作るだろうから(スイスのように)安全になるのか? もう一度ここを下りますか?と聞かれると、「もういい」と答える。横ばいも過去よりも難しくなったのか、自分の登山能力の低下。
思うよねえ、よくぞこんな危険を一般ルートにしているって。スイスのガイド協会の基準で判断すれば、ガイドはザイル携帯で客を確保しながら一人一人降ろさないといけないでしょう。あるいはビレイ用のザイルを地元で残置するか、単独はパートナーが来るまで待って、ビレイなしでは行動できないとか。何もしないで500人中に一人くらいの墜死は放っておくとは、やはり特攻隊百名山のオジオバ連中ですよ。日本の山はフェアーじゃない。隣に座った客が、さっき死んじゃったと聞いても、案外体重40キロで自分の本位の蚊とんぼのようなオバサンなんて「あら、そうなの」と、平気なもんです。おばさん達って、下界じゃ罵り合いだから、「あんたじゃ剱は無理」とかいって、体重50キロの人はすでに排除しているんです。だからガイドの早足にも、駆け足でおばさんはくっついて行くし、遅れるのは5番目以降の腹ボテの男連中ですよ。その遅れが私の目の前で転倒して、緩斜面の草付きだからすぐに止まったけど、まさかそのまま転げないともあせったよ。ガイドはずっと前に婆さんと行ってしまって、後で聞いてそうなの?と、塗り薬だしていたけど、そんなん全部後ろから見てたさ。それで今シーズンは15回目の剱で、バブルで客が多いねとは、おまえ本当のガイドか?
私そう言う風潮が怖くて、パニくりそう。横ばい下りで最も悪いのは、1m間隔でドンドン客がつながって降りてくると、一旦下降に踏み出した足にスタンスがなくて、「一旦戻りたい」と上に上がろうとしたときに、「詰まっているから、無理だ」と言われた瞬間にその人は岩壁パニックで墜落するということですよ。マジにね。
他のクサリはさほどでもなくて、3時間後に剱山荘の前に出る。登山道が自然と小屋前に導かれてう回路はなくなっていた。さらに剱沢小屋前を通って、御前小屋へいって泊まる。
夕方はまたもや時間があまりに余って、談話室にあった芦峅寺物語を読んでいたら、佐伯一族の話が面白くて、ほとんど全部読んでしまった。佐伯文蔵は神様だったか。
9・18 快晴〜ガス 御前小屋530〜奥大日岳830〜大日小屋1020=1040〜大日平小屋1300〜林道1515〜称名1530
大きな目的は昨日達成したから、今日の予定はどこでも良かった。昨日と同じように朝飯後に早々と出発。大きな小屋は昨日の小さな小屋よりも、食事全体含めて良い。やっぱり計画通りに大日岳へいく。1時間で室堂乗越へ下って、2時間で奥大日へ登る。御前からだと、こちらの方が奥大日よりも高くて、先方は小さな山に見える。けれど室堂乗越へ下ってくと、室堂が近くなってくるのはもちろんだが、大日もまたドンドン高くなっていく。昨日の早月側も良く見える。東大谷も見える。
奥大日や大日は穏やかな山だ。でも花崗岩の露出で、クサリも少しあるが、前日に比べれば問題はない。今日は静かだ、客は数人しか合わない。ただね、最近の小屋は学生バイトが支配人やっていて、「いらっしゃいませ」は絶対に言わないし「お疲れ様」も聞いたことないよね。じゃ客の方が気を使って、小屋番に挨拶するのか?じゃないよねえ。やっぱり山にいるというだけで、客に声かけるのは先方からでしょ。それ誰もできていないってのは、小屋はバブリー商売で、支配人学生は頭が足りないと思うなあ。大日小屋なんて、ランプの小屋といいふうに紹介されているけど、小屋前のベンチで休憩していても、学生バイト従業員が出入りして、ギョロっとにらむだけで、おまえらコンビニ店員の爪の垢でも飲んでおけ!
大日平へのカールを下って、溶岩台地から称名滝の300mのガレのわき道を下る。
そういえば大日岳裁判の慰霊登山というのは、毎年9月のこの後の時期らしいが、この日もガレの大下り辺り(牛首からの下山路)を本気で補修工事していて、ふみ台のある立派な木の梯子にドンドン付け替えられていた。裁判で負けたのは文部省だから、予算出して慰霊登山のコースを充実させているのだろうかと、勘繰る。
下りついた称名は、滝見学の一般客もいるところだったが、滝まで数分歩くのが嫌で見ない。ただ落ち口だけは少しここからでも見える。溶岩台地を侵食したガレの滝は、日光の華厳も称名も同じで、滝の種類としてはあまり好きじゃない。造山運動の隆起と侵食のようなヨセミテの滝と比べてしまったら、どこも見劣りがするが仕方がない。っていうほどでもなくて、一ノ倉沢の散策途中でも雨が降ってくると、壁全体がいきなり全部滝になってくるのだが、そっちの方がずっといい。まあ登山家に観光客相手の「称名を見ましょう」といっても、次元が違って馬鹿馬鹿しいものだ。
降りてからはバスで地鉄の立山にでて、上市まで乗って、タクシーで馬場島へクルマ回収し、その後仮眠取り運転しながら12時間かけて東京へ、翌日午前8時着。面白かった。最近の小屋泊は一泊三食で一万円に値上がりしていたし、馬場島〜上市なんて7400円の協定料金だし、普通はこういうのすべてカード支払いなのに、山はカードが使えなくて、五万円くらい持っていても簡単になくなるし、みんな財布に10万円くらい平気で持っているんかなあ。平日三日の休みとか、私もハイキング貴族なのかしらん?もしかして。しかし滑川〜練馬と400キロも走って、高速料金1600円と言われるとこちらにも格安違和感があるし、物価は田舎よりも東京が安いか?
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