日光/女峰山
- GPS
- --:--
- 距離
- 15.8km
- 登り
- 1,232m
- 下り
- 1,954m
コースタイム
天候 | 晴れ後曇り |
---|---|
アクセス |
写真
感想
表日光連山の盟主女峰山。
6年前のやはりゴールデンウィークに山内から登りモッコ平経由で降りてきたが、女峰山に焦がれるH井さんを伴いより”楽な”霧降高原からピークを目指し山内へ降りてくるルートで挑んだ。
5時に起床し朝飯を摂り、5時55分に出た。親父が車で高原ハウス前まで送ってくれるのでかなり時間のセーブになる。ここに登山カードのポストがある。
高原ハウスからはリフト沿いに小丸山まで急坂を歩いていく。路傍にカタクリが見られるが、まだ蕾が堅い。
最初のピッチが一番しんどいところと極力スローペースで入っていった。それでも汗が滴る。
小丸山に辿り着いたところでフリースシャツを脱ぎ、Tシャツだけになる。また、汗止めにバンダナを縛った。
小丸山からは赤薙山の展望が良い。
小丸山から赤薙山まではさらにワンピッチ。
いずれが焼石金剛かは解らないが、幾つかの岩がごろごろとしたところを過ぎ、キスゲ平辺りからコメツガの樹林帯に入る。樹林帯に入ると雪渓が現れだした。先行していた登山者が赤薙山で引き返してきたが雪も多く、トレースも無いようなことを言いながら降りていった。この御仁は仕事があると言うことで時間を区切っての登山だったが、10日前と雪の状態は変化がないようなことを言っている。
こういった話は結構H井さんを不安にさせたが、赤薙までは難なく到着した。赤薙山頂には立派な鳥居がある。
赤薙奥社跡がある2203mのピークまでさらに1時間。
好天であったのも赤薙山まででそこからはガスが次第に濃くなってきている。所々に石楠花も見られるようになってきたが市中ではもう満開だったのに未だに蕾は堅い。
樹林帯は涼しげだがザックに背負ったピッケルの先が木の枝に引っ掛かりやすいのには閉口する。
トレースは思ったよりもしっかり着いていて迷うことはない。
奥社跡でスパッツを着けるが、まだポールで十分と思いピッケルは背負ったままだ。H井さんはダブルストックで順調に歩いている。
赤薙山から奥社までは小さなピークを一つ越え、奥社跡から次の2209mのピークまでも一旦降りて登り返す。2209mのピークから一里ヶ曽根までは勾配が殆ど無いなだらかな尾根道だ。夏であると結構やせ尾根で肝を冷やすところもあるのかもしれないが、しまった雪で非常に歩きやすい。
時たまガスを透かして女峰の山影が見える。日が射さないせいか気温は5℃辺りだ。
一里が曽根からは2318mのピークが目の前である。更にその先でルートは左に曲がり急登が続いている。
ふと一瞬ガスが薄くなり右手の遠くにぴくんぴくんと耳が立ったような峰が遠望された。おそらく燧ヶ岳だろう。展望が良ければ会津駒辺りも一望できるであろうに。
所々に3cmほど新雪が積もっている。木曜日に市中で雨が降ったときにここでは雪であったという。金曜日には女峰が白く化粧していたとのことであった。
木枝に積もった雪は日射で解けるのであろうが、積雪の上に降った雪は残っているようだ。積雪は多いところで1m以上ある。が、日射が無いせいもあるか、気温が上がらないためか、雪は腐らず歩きやすい状態が続いている。
いよいよ女峰山の肩に取り付く。
最初のコブは遠くからはかなりの急登に見えたが近づいてみるとそれほどではなく一安心。九十九折り状に細かく回転しながら高度を稼いでいく。
更に上部では北側の斜面を登攀するところで結構露出感が高い部分が10m程ある。ここを乗り越えればもう2463mの三角点のあるピークはすぐそこであった。
南側に若干張り出した白い稜線に先行する2人の踏み跡がはっきりと付いている。H井さんは慎重にダブルストックを突いて登ってきている。三角点のピークでは雪に埋もれているのか三角点を確認することは出来なかったが、もう目前に祠を有する女峰山山頂が見える。最高点に先行した2人が居るのもよく見える。
写真を撮っている間も惜しい気持ちで早々に三角点のピークを離れ女峰山山頂に向かう。ほんの2・3分で祠に出る。6年前と変わらない姿の祠がそこにあった。
H井さんは長いこと祠に向かって感謝の念を表していた。
頂上で20分ほど休憩をとる。風がないので過ごしやすい。それから唐沢小屋に向かっての下降である。女峰山から山内への下りは1800m以上の標高差になる。長く辛い帰り道だ。
その出だしの唐沢小屋までの下りは急なガラガラ坂だが、幾らか締まった雪が付いているお陰で多少は歩きやすい。適当な斜度のところでは足裏を平にして滑るのが楽しい。
もっともH井さんは雪のある山は2回目と言うことでこういう場面ではヒヤヒヤであったようだ。
どこかの大学のワンゲルっぽい4人が軽いザックで女峰山を目指すのに出会ったが、滑り台のようなステップで苦労していた。下りで山内まで人に遭ったのはこれだけだった。この滑り台は滑り降りるにはなかなかの快楽だった。H井さんも見事成功!
やがて傾斜も落ちて唐沢小屋に至る。小屋も様子は6年前と変わっていない。投げ出された80Lクラスのザックが4個。途中で遭った彼らのものだろう。
唐沢小屋から黒岩まで休憩を我慢しながら降りていったが、ここまでで登りで稼いだ貯金を使い果たした勘定だった。
田母沢源流の気持ちの好い笹原を過ぎて次の同じような源頭部に出たところが黒岩だ。
6年前には正面の岩壁を伝って落ちる滝が無数に見られたが、今日はそのような光景には出会わなかった。雪解けが遅いのかもしれない。
H井さんが「グランドキャニオンみたいな景色が見られる」と言ったが、下は雲竜渓谷の上流部である。
黒岩は東側の小高い部分を指すようで西側のもこもことした岩は七滝逍遙岩と呼ばれるらしい。先ず逍遙岩によじ登って下を除くが、どうやらY字峡の上流の七滝沢に当たるようで、Y字峡ははっきりと見えない。
黒岩に今度は登ってみたが、やはり木々も邪魔をしてY字峡までは視野に収まらない。では対岸の大鹿落としはどうかというとガスの向こうで判然としない。どうも消化不良の感じだが時間も押しているので諦めて下ることとした。
ここからはずっと尾根伝いに日光市内に降りていく。たまに右手に男体山が見えることがある。その南の方に薄く高い山影があるがおそらく皇海山ではないかと思われる。熊笹に覆われた樹林の道を延々と降りていく。
この下降路のランドマークは歴史を感じさせるものばかりだ。黒岩から1時間程降りたところには水呑の碑があった。安永年間の銘がある。その下には稚児ヶ墓、殺生禁断の碑、行者堂と続く。白樺金剛とは厳めしい命名だが、その実は開けた熊笹の野原に白樺が生長している風光明媚な場所だ。
6年前と同じ白樺にカメラを向ける。赤いテープが3本巻かれていた。
まだ1300mかと考えると嫌気が差してくる。でもこれで山内まで漸く1時間圏内に入ってきたわけだ。
更に樹林帯に入って20分ほどで稚児ヶ墓に達する。ここで黒岩を出てから2回目の休憩をとる。この位の標高にまで降りてくるとようやく松にしろヤシオにしろ芽吹いてきている。ヤシオはすごい群落だ。後2週間程も経つとすごい眺望になるだろう。おそらくここまで見に来る人は殆ど居ないのでは。ものすごい贅沢だ。
松の新緑はまだ4〜5mm。何とも言えない若さをその色にも感じる。
稚児ヶ墓から30分歩くと殺生禁断の碑に至る。高さ3mはあろうかという巨大な石碑だ。どのようにしてここに築いたのか不思議になる。
しかしながらゴールが見えると足も速くなる。
足の豆もつぶれきったようで先ほどまでの激痛が引いてきた。
危うく見逃しかけた二荒山の分岐に達し、やや強い傾斜を行者堂に向かって降りていく。行者堂は輪王寺の一部だがこれを取り囲む杉林は森の主のような巨木が揃っている。
ここからは石段になる。が、そのクッションの無さが酷使してきた足・膝に響く。堪らず石段を避けて脇の落ち葉道を歩くようになる。こんな道も15分程も続き、漸くにして輪王寺、二荒山に辿り着く。
一応、これにて長い旅も終わりである。
真の旅の終わりは親父の家まで。
途中小野口酒店に寄ってビールを買いぶらぶら歩いていく。
今晩はタラの芽の天ぷら、と充実した山行を噛み締めて、考えながら歩いていた。
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