常念岳【目撃 オコジョ&ヘリでの救助】
- GPS
- 32:00
- 距離
- 12.7km
- 登り
- 1,649m
- 下り
- 1,649m
コースタイム
天候 | 曇り時々雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2014年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
タクシー 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険個所は特にないが、胸突き八丁の上あたりは、道が狭くふらつくと転落の危険あり。実際、ここから転落し、ヘリで運ばれていくのを目撃しました。翌日の新聞記事では、頭蓋骨骨折の重傷だったようです。 |
その他周辺情報 | 登山後は、常念坊に宿泊。お手軽な値段で、温泉と料理を楽しめ満足です。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
行動食
非常食
飲料
地図(地形図)
コンパス
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
常備薬
携帯
時計
タオル
ストック
カメラ
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共同装備 |
ツェルト
コッヘル
ガスカートリッジ
火口
|
感想
ある飲み会の席で、70歳代の山の先輩Oさんが、「もう山に行く体力もあまり残っていないので、最後にどこか連れて行ってくれ」と言い始めた。年齢に加え、大病を繰り返し、胸や腹は手術の跡だらけという体だ。
どうせなら思い出の山がいい、ということで最初に候補に上がったのは、奥又白池。
昔は前穂高岳4峰東壁や厳冬期のDフェースを3日かけて登った人だ。もう一度岩肌を見てみたい、という気持ちも分からないではない。しかし、奥又白池に行くには、テントや食糧まで担いで、あの火を吹く中畑新道を登らなくてはならない。サポートすべき我々「若手」ももう50歳代。
なんとか燕岳〜常念岳の小屋泊の計画で納得してもらった。
さらに、燕山荘のクラッシックコンサートと重なるため、反対の常念岳から燕岳に縦走する計画に変更して、福岡を車2台で出発した。
安曇野までは約12時間の運転。2〜3時間おきに運転を交代しながら、ほとんど一睡もできないまま、午前9時過ぎに東京から合流するHさんとの待ち合わせの穂高駅に到着した。しかし、Hさんは、高速バスが遅れて松本駅に到着したばかりだという連絡が入った。仕方ないので、一旦しゃくなげ荘へ行き、10時20分に迎えに行くことにした。
ところが、10時20分着の電車に乗っていなかったので再度連絡すると、大糸線に乗るべきところを、間違えて篠ノ井線に乗ってしまった、とのこと。Hさんにはあとから追いかけてきてもらうことにして、タクシーを呼び一の沢登山口へ向かった。
結局、登り始めは予定より遅く、11時過ぎとなった。
メンバーのうち2人が先行して常念小屋の受付をしてもらうことにして、70歳代の4人と、5,60歳代の3人でOさんのペースで歩くことにした。
スタートからOさんの足取りは重く、苦しそうで一向にペースが上がらない。ただ、カメの歩みのようだが、着実に前進して行く。ペースを作ろうと少し前をゆっくり歩くが、すぐに離れてしまって、立ち止まらなければならない。
2時間ほど歩くと、Hさんが追いついてきたので、Oさんとサポートの3人を残し、4人は先行してもらうことになった。
スタートから5時間半ほどで、先行していた2人がサポートに下りてきてくれたので、最終水場の手前から一人先に行くことにした。ようやく常念乗越に到着したのは18時。陽は傾き、槍の穂先はシルエットとなって目の前にそびえていた。
常念小屋に荷物を置き、再びサポートのため急坂を第3ベンチくらいまで下ったところで、Oさんたちが登ってきた。全員が小屋に入ったのは、あたりが闇に沈む直前の19時だった。
2日目、前日の計画であった常念岳のピストンに6時前に出発した。ときどき小雨混じりだったが、しばらくのぼって振り返ると、常念小屋の上に虹がかかっていた。
相変わらずOさんのペースは上がらず、ゆっくりと着実に登っていく。空身で非常用の装備だけをサポートの3人で持ち、わたしは30mロープを1本肩にかけて登った。後ろから登ってくる人に道を譲りながらゆっくり歩いていると、早出のパーティーが頂上から下ってくるのにすれ違うようになり、さらに立ち止まって待つ時間が増えた。
某大手ツアー会社の20数名のパーティーが下ってきた。燕岳から縦走してきて3日目だという。中高年の女性が多いが、中には若い人もいて、「蝶が岳までですか〜?」と聞いてくる。こちらの格好を見て、「あ、違いますね」と自分で答えを返している。
頂上まで半分を切ったころ、先行していたメンバーが登頂して戻ってくるのにすれ違い始めた。
登り始めて1時間半が過ぎ、ようやくOさんが「ここまででいい」といった。頂上まであと標高差で100mほど。時間をかければ登れないことはないのだろうが、燕山荘までの縦走を考えれば、時間的には限界だろう。Oさんには、その場で待つか、ゆっくり下ってもらうことにして、サポートしていた3人で頂上へ向かった。
8時ごろ頂上に立ち、下り始めたところで、また雨が降り始めた。今度はやむことはなく、しだいに本降りになり始め、先に下っていたOさんに追い付くころには土砂降りになった。
ようやく常念小屋に戻ってきたときは、体が芯まで冷えていた。急きょ作戦会議が開かれ、〕縦蠶未蟇躬柿颪惺圓、一の沢へ下る、1の様子を見て場合によっては常念山荘にもう1泊する、の3者択一となった。^討蓮Oさんのスピードと天候から難しいということになり、下山という方針で固まった。私とH君が先に下って、しゃくなげ荘まで車を取りに行き、一の沢の登山口でピックアップすることになった。
そうしているうち、小屋に遭難の通報があったようだった。「22人のパーティー」とか「自力で歩けない」などの言葉が漏れ聞こえてくる。
下り始めるころには雨も上がり、いくぶん滑りやすいものの、順調にマイペースで下ることができた。最終水場を過ぎ、胸突き八丁へトラバース道を歩いていると、道の上で携帯をかけている女性がいた。そこから下の谷を見ると、ツェルトをかぶせられて横たわっている人と、それに付き添っている人が見えた。どうやらさっき小屋にかかっていた電話は、ここでの滑落の連絡だったらしい。それほど滑りやすい場所には見えなかったが、当時一番雨がひどかった時間帯で、スリップしたら20mほど下の谷底までさえぎるものはない。
落ちたのは、さっき常念岳への登りですれ違った大手ツアー会社のパーティーの一人らしい。
そのときヘリコプターの音が遠くから近付いてきた。地形や風向きを観察しているのか、3度ほど大きく旋回したあと、ホバーリングし、けが人を収容した。
烏帽子沢で休憩していると、オコジョが近付いてきた。カメラを向けても、ちょこちょこ動き回るので、なかなかかわいい姿を撮れない。好奇心が強いらしく、手を伸ばせば岩かげに隠れ、また顔を出すといった具合で、私たちの周りを離れようとしなかった。
登山口近くでツアー会社のパーティーに追いついた。すごく歩き方が慎重になっていた。
13時ごろ登山口につき、しゃくなげ荘までタクシーで行き、その日の宿や温泉の情報を仕入れて14時半ごろ登山口に戻ると、ちょうどみんなが着いたところだった。
Oさんも、下りはコースタイムの倍かかることはなかったようだ。
その日は温泉宿で風呂と料理とビールを楽しみ、翌日、福岡へと長いドライブをし、
夜遅くに帰着した。
我が家のレポートに拍手していただいたので覗きに伺いました。冷静にコミュニケーションを重ねて行動されているパーティーのお姿が目に浮かびました。私は若い頃縦走登山をかじっていましたが、現在は地元に近いくじゅうを中心に子連れハイキングを楽しんでいます。しかし気楽に歩けるくじゅうといえども一歩踏み外せば大事にいたる怖さをひしひしと感じております。こちらのレポート大変勉強になりました。ありがとうございました。
Jerrieさん、コメントありがとうございます。若いころは海外や冬山など結構やっていた山岳会のメンバーでの久々の北アルプスでした。70歳代が4人で、うち一人が病み上がりという状態のパーティーで、周りから見れば無茶だと映るかもしれませんが、判断力といざというときの技術は皆持っていると思います。
九重での子連れハイキング、羨ましく拝見しました。うちの子はまだ3歳なので、九重デビューはもう少し先かな。
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