新穂高〜西穂〜奥穂〜涸沢岳西尾根〜新穂高
- GPS
- 176:00
- 距離
- 17.1km
- 登り
- 2,308m
- 下り
- 2,312m
天候 | 日中の気温マイナス15度、夜の気温マイナス20度 絶えず強い風が吹き、顔に氷が刺さる |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2008年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
ジャンダルムを懸垂で降り、ロバの耳は登り返す。夏は下がるが冬は上部をトラバース。 絶対落ちられない厳しい場所だ。しばらくトラバースするとハーケンを発見。 ここから、2回の懸垂下降で夏道へ降りた。 雪を拾って下降していくと奥穂へのコルに出た。 ロバの耳のここら辺のルート取りが難しい。 コルから奥穂への登り。ここも夏とは大違いで厳しい。 足元が切れ落ちるところは無かったはずだが、空中を歩いている様に切れ落ちている。ルートが違うのか? しかし、丸いペイントの標が見えた...間違いないようだ。 |
写真
感想
厳冬期北アルプス。私は今ここにいる。夏の縦走とは全てがまるで違っていた。
人を寄せ付けない凛とした気高さを感じる、マイナス20度の世界。
私は寒さで10本の指先が凍傷でやられてしまった。
全行程を確保しながらの縦走は1週間もかかってしまったが、我々の力量ではこれ位は守りたいと思う。
しかし、奥穂の山頂に立った時はさすがに涙が出た。相棒とハグ。
いつかまた、やってみたいルートだ。
1月2日
風の強い年明け2日の朝。
相棒を家まで迎えに行き8時弘前を出発、国道7号線を南下する。
途中に見る日本海の荒波。岩に打ち付けられ波は泡たち風で舞い上がる「潮の華」
初めて見る相棒はそれに感激していた。
今日はまた、たくさん飛んでいる。ふと、八ヶ岳の冷たい風を思い出した。
新潟から高速に入り、今夜は上信越道の黒姫野尻湖PAで車中泊。途中で買った惣菜とワインで登山の安全を祈って乾杯。「明日からよろしく!」
明日は新穂高ロープウェイに乗り西穂山荘までの行程。早出の必要のなく気分も楽であった。
1月3日
目が覚めた時はすでに明るくなっていた。長野道に入り松本ICで高速を降りる。
いざ、新穂高温泉へ。沢渡までは通い慣れた道だが、冬に来るのは初めてで新鮮である。
上高地への釜トンネルは冬期間封鎖されている。その前を通り過ぎ左折。間もなく安房峠有料道路だ。
しかしたかがトンネルを通るだけで750円は高いと思う。
平湯温泉を過ぎると、くねくねと曲がった山道が続く。さすがに雪も多くなって来た。
新穂高温泉に着いた。正月3日ともなると案外駐車場は空いていてロープウェイに近いところに車を止めることが出来た。
暮れから山に入っていた登山者達だろうか、雪で埋もれた車を出そうと雪を掘っている。
槍平の雪崩遭難で4名の方が亡くなった。山では平地の3倍の雪が降るというから、いっきに3mの雪が降ったと思われる。
その大量の雪が寝込み登山者を襲った痛ましい遭難だった。亡くなられた方々のご冥福を祈る・・・。
「我々もそんな危険地帯に足を踏みいれるのだ」と思うと心の底から「ゾクッ!」とする。
ロープウェイは観光客で溢れていた。今頃入山する登山者は我々だけの様で注目の的であった。
異常にデカイのと、異常に小っちゃいコンビ。背負っているザックの大きさは指を刺される程デカくて、ちょっと恥ずかしい。
ロープウェイは西穂口に着いた。我々は観光ではないので、展望台には向かわず西穂小屋へ急いだ。観光客から離れホッ!とする。
西穂小屋まではトレースが付いていた。しかし樹林帯の中のトレースは以外と急でしかも長く感じとてもきつかった。
西穂小屋の屋根が見えた。リーダーのいつものおふざけ「た、隊長!着きました!」という。「おおー着いたかー」と私。毎回同じだ。
さてさて、小屋でテント泊の手続きをし、テント場を探す。広くてどこでもいいようだが、丹念に場所を探すリーダー。
雪崩を気にしているのだ。あんな雪崩事故があった後だものな。
やっと気に合う場所が見つかったらしい、「ここだ!」
あんなに探して、結局他の人のテントの隣。まあーこんなものだ。
でも、従って損はない人だから言われた通り整地しテントを張った。
テントは全部で3張りだった。明日下山する男女4人のグループ。単独で昨日からここでテント泊を楽しんでいる女性と私達である。
このグループの一人のおっチャンが夜に酔って騒いで大変だった。
一緒のグループの女性を泣かせ、また単独の女性のテントを潰した。
私達の話を聞いて、「お前ら!東北か!」と吠える。私達は低い声で話、おまけにアイコンタクトで笑ってしまう。
しばらく続いたが、どうも寝てしまったらしい。よかった、よかった。
私達も就寝。明日は4時起きだ。
1月4日
昨夜からの降った雪が積もっていた。
テントを撤収しいざ出発。の前にハンドテストをする。首をかしげるリーダー。
「少し下がって!」と言われたので下がる。吹き溜まりに足を入れたとたん横一直線20m位に雪の壁は割れ、そして雪崩れた。
「あっ!」という間の出来事。私は腰半分雪に埋もれてしう。
出られない私をリーダーは掘りだしてくれた。
「今日はここに停滞しよう!」というリーダー。
撤収したテントをまた設営し直し山小屋に休憩料とテント宿泊料の1800円を支払って私達は小屋のダイニングで登山者数人との話に興じていた。
10時半頃になると、朝いちのロープウェイで来た登山者が雪崩の後をドンドン登って行く。
それを見ていたリーダーはじっとしていられず、その様子を見に行った。
「大丈夫そうだから、これから出かけよう!」と言う。
急いでテントを撤収し出かけたにが11時半。精神的に疲れた。
それとLが遅れた時間を稼ごうとしているのか、やたらと飛ばす。
私はとうとう疲れてしまってマイペースになった。
そこは風で雪が飛ばされ積もらないのである。強風で目出帽が凍る。とても冷たい。
先に行ってしまったLに告げずに私は目出帽を取り換えた。登山一日目で顔の凍傷は嫌だったからだ。
私が独標に着いた時、Lは降りる体制。「ちょっと待って!」としばし景色を見る。
独標の下りはバックで降りれば大丈夫そうだが、慎重なLは自分で往復して私を下ろしてくれた。
独標を降りたら、とたんに私達だけになった。
いくつかのピークを越えた。日は少し西に傾き、私達の足跡だけを映し出す。
「そろそろ今日は終わりにしよう」というL。西穂まではまだほど遠いところであった。
風をよけられる岩陰を整地しテントを張りテントにもぐりこんだ。
テントに入ったリーダーの元気がない。高山病だというLは頭痛薬を飲んで寝た。
明日は治っていますように・・・。
1月5日
晴天の朝だった。Lの頭痛が回復した様でとても元気だ。
テントを回収し出発する。いきなりの急登をあえぐ様に登る。
かと思ったら今度はナイフリッジだ。
こんなところあったかな?と思いつつ、両側切り立った岩場を四つん這いで移動する。
そして微妙な場所でザイルは終わる・・・。こんな切り立った場所での確保はかなり厳しい。Lには落ちて欲しくない。
ナイフリッジは無事終了。少し下り過ぎ、コルを登りかえし稜線へ出た。
するとテントを張った跡があるではないか。人間の形跡を見れて安堵する。
風が強くなった。雪煙の中をひたすら前に進む。
こんちには。
citrusさんのこの記録も興味深く拝見しました。写真を拝見し、若い頃の記憶が甦りました。
それにしても、1週間かけてこのルートを完走するところはたいしたものです。弘前市在住との事ですが、このような豪傑中年女性(失礼!)が青森県内にいるとは思いませんでした。
厳冬の穂高は84〜85年の年末年始に滝谷四尾根を登攀しました。このころの私は激しく登山をやっている頃で、パートナーの先輩もカラコルムの7000m峰を登ってきた直後、二人とも絶好調でした。涸沢岳西尾根から北穂高に行き、滝谷へはいつものアプローチで四尾根に取り付き、ツルムのテラスでビバークして稜線に戻りました。四尾根登攀の2日間は小雪か薄曇りで、それ以外は吹雪でした。二人ともお互いの力量は分かってましたので、ザイルは四尾根しか使いませんでした。北穂高から涸沢岳西尾根間の稜線通過は行きも帰りもノーザイルで、「落ちたら自分の責任だからね」という具合でした。帰りは松波岩の雪洞を出発したのが午前9時、新穂高温泉で午後2時にはビールを飲んでいました。
どうか、いつまでも登攀をつづけてください。青森県内には山岳登攀と呼べる、ある程度の距離のあるルートが無いことが不利な点です。強いていえば白神の沢をいくつか継続してつなげる事ができるくらいでしょうか。それでも2泊あれば抜けれますが。
どこかでお会いできるのを楽しみにしております。
といっても、今は大人しくなりました。理由はもう一個の方にレスしています。
どこの山に行くにも、基礎は体力だと思います。
そして、経験が一番の技術でしょうか。
私はそんなたいそうな経験も技術も持ち合わせておりませんけれど。
でも、自分の得意とする部分は把握しているつもりです。
これが、経験なのでしょうか?
スーパーオバサン、こんにちは。
確かに、山は基礎体力です。学生時代、人よりも自分のザックを重くして人よりも早く歩くことが夏合宿の自分のテーマでした。
けど、今は全然ダメ。特に太ももと腰の筋力が弱まって、はねるように登った昔は今いずこ。
クライミングの技術なんてもんはすぐにつきます。4月に入った素人新人が8月には穂高屏風岩なんかを登ったりしていましたから。私もクライミング初めて2年目で5級ルートを難なくトップでこなしていましたから。
今思うに、経験は大事ですが、一番大事なのは、図々しさかな。
ちなみに、海外の空港や免税店でいちばん図々しいのは日本のオバサンですが
いや、私のことではありません。パミールさんのことです。
5級をリードですか?私はとても無理です。4級がいいところです。
どうしても腕力がなく、直ぐへばってしまいます。
登るスピードはあまり早いとはいえませんが、同年代と比べればいささか早いようです。
最近はスピードより、山を楽しみながら登ることが多くなりました。
今はスーパーがとれて、普通のオバサンです。
免税店で図々しくはないですが
citrusさん、おほめいただき有り難うございます。少し照れますね。
クライミングは好きでした。80年代前半でしたからあまり5級ルートは無かったのですが、その当時のルート集に載っていた穂高屏風岩の5級ルートは3つほど、丸山東壁、甲斐駒赤石沢奥壁などを、相棒とつるべで登っていました。ただ、ルートの一番むつかしいピッチは自分がリードするように画策していましたが。
トップでの墜落も結構しましたよ。一番長いのは前穂4峰南東壁で約20m。このときは墜落している時間がなが〜く感じられ、もうだめかなんて思っていました。後輩がよく止めてくれたと思います。感謝です。
後輩の女性部員を屏風岩東陵や滝谷ドーム西壁などへ連れても行きましたよ。みんな、さほど遅れる事無くスムースに登ってました。
確かに5級ルートでは腕力が必要なところもありますね。だから今はおそらく無理だけど。
ただ、ゲレンデでのボルダリングはあまり好きではなかった。やっぱり、山の中の岩壁を登るのが好きでした。学生時代のクライミングの目標は厳冬期の穂高滝谷と谷川岳一の倉滝沢リッジでした。厳冬の滝谷は登りましたが、3月の滝沢リッジは敗退してしまいました。
今でも滝沢リッジは心の底にありますが、、、。
縫道石山も登りましたよ。雨の日にルートを外して適当にハーケン連打してルートを作った事もありましたよ。
クライミングは基礎さえ出来れば、多くの冬の岩稜は登れます。だから、今はあまり岩壁を登ろうとは思いません。おじさんがフリークライミングなんかを目指してもかっこわるいしね。
パミールさんのを読んでいますと、ため息がでますね。
昔、長野の会員と屏風岩雲稜ルート、滝谷ドーム中央稜、北岳バットレス中央稜など、チャンスはありながら天気や仕事の関係で駄目になり結局登っていません。
そうしている内、体重と年ばかり増えてしまい今は登れるという自信無です。
真面目に座頭石の岩場で遊んでおります。
若い方はフリークライミングのルートやウォールに行きますね。
近いところでは、久慈の侍浜や、龍泉洞です。
ウォールは青森、弘前の「ラット」です。
私も同じ遊ぶなら、ウォールに行くよりはも座頭石の方がいいタイプでしょうね。
登っていて一番楽しく、愉快だったのは穂高屏風岩です。特に右岩壁は快適なスラブでした。
屏風の東壁ルンゼでは上部岩壁の2ピッチめの小ハングの出口のボルトリングが欠けていて芯の見えているシュリンゲがかかっていたのですが、これにそーっとアブミをかけた事がいまでもどきどきする記憶です。
JECCルンゼ状スラブでは、小柄な私にはボルトの間隔が非常に遠く、ザイルのトップで、ボルトの頭に載って背伸びして新しいボルトを打ったりしました。
奥又白の岩壁は雰囲気が好きでした。いかにも山の中〜という感じが良かった。雪渓もあったりして奇麗ですよね。
前穂高鶤峰南東壁が難しくて楽しかった?!。ここは受難続きで、84年夏に清水RCCを2パーティーに別れて登っていて、後続の後輩パーティーのセカンドが落ちて宙吊りになり、引き上げるのに苦労しました。ルート上のテラスに引き上げるのがやっとで、そのうちに暗くなってしまい、先にルートを抜けた私のパーティーは小雨の中雨具を着込んでザックに下半身をいれて鶤峰の頂上付近でビバークしました。寒かった。翌朝、ルート途中のテラスでビバークしていた後輩のパーティーと登攀終了点で合流した時は嬉しかった。その翌年の夏は私の20mの自然落下がありました。
それぞれ、いろんな思い出がでてきます。このサイトがなければ思い出すこともなかったと思います。
最近はマラソンをやっているので体重が大学卒業時と比べて2キロほどまでしぼれてきましたので、簡単な岩稜くらいは出来ると思っています。
こんなことを考えているとまた行きたくなりますね。
スーパーオバサン、どうか、またチャレンジして下さい。オバサン、おじさんのほうが図々しいですから、登れますよ。
追記:ウオール(直訳すると壁ですね)って何をさしているのですか? 最近の用語のような使い方をサラッとされていますが、、、
室内壁が正しいのでしょうか?「ラット」で分かると思いました
最初は随分やったのですが、あれも凝り過ぎると指を怪我しますね。
若い方も随分と怪我をしています。
パミールさんのコメントを読んで、岩壁のルート図を久振りに開いて見ました。
私の本はほとんどが4級です。5級が少し。
パミールさんがいう難しルートというのは5級でしょうね。
芯の見えているシュリンゲにアブミですか キツイですね。
私にとって、楽しい範囲でありませんね(笑)
ラットっていう人工壁があるのですね。知りませんでした
今の若い人には、岩登りは登山の一部ではなく、単純なフィジカルなスポーツとして人気があるのですね。
私たちの現役のころは、ゲレンデでは上手に登れるけど登攀ルートでは高度感や天気、落石などの自然環境などに負けて登れなくなる人を 「ゲレンデクライマー」 と呼んで馬鹿にしていましたよ。
私のことだなー
はじめはみんなゲレンデクライマーですよ。それから脱却できるかどうかは精神力かな。
昔の記録いくつか載せました。おじいさんの昔話みたいですが
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-84788.html
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-85310.html
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-84807.html
などなど、なにかのご参考になれば嬉しいです。
登攀は怖いですね。ゲレンデクライマーで終わった方が長生きできる気がします。
パミールさんの記録拝見しました。
想像以上の迫力で恐ろしいです。
私は冬は縦走かトレッキングに変更です。
一人だし、危険が多すぎですから。
確保の技術がしっかりていれば登攀は怖くありません。山という自然が怖いのですよ。だれでもおんなじです。
ゲレンデで華麗に登れるのは、自然にさらされていないからだと思います。
私は山岳部に属していましたから、「山頂に登るための登攀」に魅力を感じていました。今では、年齢もとったし、筋力も落ちたので激しい登攀はできませんが、山頂に登ることにはこだわりがありますよ。
室内の側壁や、座頭石のようなゲレンデの岩場を登るだけなら、登山ではありませんから。
パミールさんの言わんとしていること、やっと分かりました。
2度、3度と読み返してですが・・・。
私もやはり年相応・・・という事は考えますね。
また座頭石で、ハングの練習や、ザイルワークの練習、確保、支点のとり方位は練習できます。
先を急いでしっかり覚える前に「大岩壁」なんて事にならない様に指導して行きたいと私は思います。
ご返事いただき有り難うございます。
岩登りの指導は確保の技術、ランニングビレイのコツ、懸垂下降を教えることで十分です。登り方はひとそれぞれ、能力も感性もひとそれぞれですから。
私は後輩に教えたのは確保の仕方、アプザイレン、スムーズにザイルがでるようなランニングの取り方、アブミ上での休憩の仕方だけです。だから、毎年、春に1〜2回教えただけ。自分もこれ以外にあまり指導されなかった。ボルトの打ち方や、ハーケンを打つコツなどは、先輩に聞いたのみで、自分で考え実際の岩場で覚えました。
座頭石には通いましたが、あえて練習目的に行ったことは無いような気がします。何となく誰かが居て、トップローブで墜落するのを見て冷やかしたり、ホールドを教え合いながら、体でみんな覚えましたよ。
困難な山岳登攀が出来る人はほっといても出来るようになり、出来ない人はいくら教えても出来ません。山岳登攀はぬくぬくとしたゲレンデでのアクロバットとは違いますから、上記以外は教える必要はありません。
つまり、ゲレンデ登りは安全な行為ですが山岳登攀は危険な行為であるということを教えるのが一番大事です。
ただし、やる気がある新人がいて、その所属する会の中でのびるかどうかは先輩の度量によると思います。
なんか、固い話になりましたね。
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