利尻山《日本百名山》
- GPS
- --:--
- 距離
- 27.9km
- 登り
- 2,271m
- 下り
- 2,295m
コースタイム
- 山行
- 2:43
- 休憩
- 0:07
- 合計
- 2:50
- 山行
- 8:57
- 休憩
- 1:39
- 合計
- 10:36
天候 | 1日目:晴れ、2日目:曇りのち晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2006年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
タクシー
船 飛行機
下山:姫沼経由鴛泊港 |
写真
感想
1日目(7/6)
この春開港したばかりの神戸空港からJALのクラスJのシートで優雅に寛ぎ、窓を見ると下界は殆ど雲の中。切れ目からかろうじて富士山と北アルプスが見えたのは儲け物だった。千歳は雨。スーパーラウンジで羽田から来る二人を待つ。利尻へはANAの小型プロペラ機で定員は40人ほどだろうか雨の中を飛び立ち雲の中を行く。機長のアナウンスで「利尻の天候は晴れ」との言葉に「ほんまかいな?」と半信半疑に窓の外を見ていると、雲が切れ島が見えて来たではないか!島の東から北に回り込み滑走路にそのまま下りるのかと思ったら更に南に回りこみ北に向けてタッチダウン、20分遅れての到着だった。
利尻空港にはタクシーの常駐はなく電話で鴛泊から来て貰った。事前に沓形郵便局留め“ゆうパック”で送っておいたEPIガスを受け取り沓形旧道登山口まで乗った。林道ができてからは五合目見返台まで車で入りそこから登る人が殆どだが、拘り山行の我々は敢て、海辺の街から始まる旧道を登って鴛泊の港まで歩きたい。運転士は随分心配し頼みもしないのに役場に登山道の状況を聞いてくれ「問題ない」との返事に彼一人が安心していた。というのも数日前に山頂直下の雪渓トラバースで滑落事故があったばっかりだったのだ。
タクシーを降り林道を歩き出すと両側は早速花が出現、葉はタンポポのようだが茎が異常に長い、さて何だろう。花の名前は難しい。帰って山岳会のおやじ殿に教えてもらおう。花を見るたびに立ち止まり写真を撮るので前を行く二人からは常に遅れがち。やがて南北の林道と交差すると山道となったが道はしっかりしている。だんだん傾斜が増し標高420m付近で五合目見返台からの道と合流した。下山の人と出合い話を聞くと、運動靴で雪渓トラバースが越えられず断念したそうだ。
六合目(標高623m)を過ぎると樹木の背が低くなり高原の雰囲気が出てくる。傾斜が急になり赤いブロック塀が見えてくると今日の宿泊地の七合目避難小屋。入口付近がずり下がったコンクリートの床に長椅子と電線コイルを活用した丸机がある。公称定員10人とは言え5人が限界だろう。小屋の前からは鴛泊の街が一望でき礼文島も指呼の間だ。最果ての地の日暮れは遅く19時過ぎに礼文の南の海上が赤く染まりだし、20時になって漸く闇が訪れた。この日避難小屋泊まりは初めてと言うSさんはピカピカのシュラフで値札が付いているのがご愛嬌だった。
2日目(7/7)
3時起床、夜中に気圧の谷が通過し雨が降ったようだ。既に薄明るくなり外に出ると最早ヘッドライトは要らない。携帯トイレ専用のブースでキジを打ち、雨具上下を付けて4:10出発した。木々や下草はタップリ水滴を溜め上下とも結構役に立ってしまった。曇りながら山頂や礼文島はくっきりしており、きっと晴れてくると確信を持った。小屋の前後はゴゼンタチバナやハクサンボウフウの群落で礼文岩に至る。目前の大きく立ちはだかる三眺山の左上に利尻山が聳え期待が高まる。沓形稜の尾根道に出て益々傾斜が増して登り詰めると九合目・三眺山(1,461m)に達する。山頂には”利尻三眺の宮社”の祠があり、展望は360°。しかしガスが出てきて西に利尻山が聳えているはずだがロウソク岩らしきものがおぼろに見え隠れしている状態。辺りにはエゾツツジやチシマフウロウが咲きなかなかのものだ。
ここからは危険地帯、まずは急斜面のロープ場を下り一旦高度を下げる。背負子投げ、親不知子不知の難所を慎重に越え利尻山北峰直下に達する。直線距離は200m足らずだが直登できるような斜面ではない。北稜の鴛泊コースとの合流点まで500m近く迂回する。この間が最も危険な雪渓やガレ場のトラバースで経験の浅いSさんを心配するが、写真撮りでやはり遅れ勝ちに後から行き結局ほったらかし。10mほどの雪渓が現れ数日前の滑落事故はここで起こったようだ。皆無事に通過できた。崩壊で砂状になったガレ場のトラバースはもっと危険。先頭を行くFさんが固定ロープにぶら下がっている。やがて元に戻り歩き出したようだ。あとで「なに遊んでいたの?」と聞くと「落ちそうになって、必死だったのよ!」と怒られてしまった。
鴛泊コースとの合流点でザックをデポし、ほぼ180°進行方向を変え北稜を南へと登る。山頂までの500mの間も崩壊が激しく足元に注意が必要だ。左側通行が指定され慎重に進む。西側に落石を起こすと下をトラバースする沓形コースに落ちる。そう言えば下を歩いているとき落石の音がしていたなあ・・・・。稜線を乗越す所では両側に3mほどの壁でき崩壊の進行を知ることができる。近年の百名山ブームで人が増え崩壊に拍車が掛かったようだ。乗り越えた所で鴛泊コースの利尻山避難小屋(標高約1,255m)に泊りもう登って来たと言う高齢者のグループに出合った。ひと曲がりすると利尻山北峰(1,719m)山頂に到着した。山頂には10数年前にヘリで上げたと言う大山神社の祠に利尻山と表示されている。ガスで視界がないのは残念だ。以前はここに「利尻絶頂」と云う凄い名前の2等三角点があったはずだが台座らしきコンクリートの塊が祠の傍に転がっているだけで亡失してしまっている。
利尻山の主峰は南峰(1,721m)でこの先300m。ロープで通行止めにされている。これはいつ頃閉鎖されたのか知らないが鬼脇コースの一部で、昔を知る人は厳しいが名コースだったと折り紙を付けるところだ。今は廃道となっているが。南峰まではロープを越えれば到達可能だ。FさんとSさんに「先に行っていて」と言い残し南峰を目指した。踏み跡はしっかり残り岩場を何度も上下し利尻山最高峰に到達した。狭い山頂には壊れた標識があるだけ。勿論展望は360°だが・・・。
北峰にもどると二人はまだ休憩中、一瞬ガスがさっと引いてローソク岩と南峰が姿を現した。デジカメの電池が切れ予備の電池に取り替えるが動かず、持っていた3組を試してみるがどれも動かない。残念だが写真は諦め下山に掛かった。時刻は7:41この頃になると鴛泊コースを登山口から登ってきた人達が山頂に達し沓形分岐までのガレ場で数組すれ違った。その後も多くの人とすれ違い、平日だと言うのに短い夏のメインコースの人の多さを実感した。
沓形分岐から先は崩壊も少なく通常の登山道になった。暫く下りると「九合目ここからが正念場」の表示があり登りの険しさを表わしていた。沓形分岐から40分ほどで利尻山避難小屋に到着した。収容人員30人の小屋で、窓から覗くと2段になったベッドが整い居住性は沓形より格段上だ。小屋前で暫し休憩し、奥さんだけ山頂を目指し下りてくるのを待っているという男性やこれから登ると言う人たちと情報交換した。後で聞いた所ではずっと探していたリシリヒナゲシはこの付近の登山道を外れたあたりに咲いている都の情報だった。
すぐ先のコブが長官山(約1,255m)だが山頂を示すものは何もない。“薬師如来”と刻まれた岩があっただけだった。300mほど下った広場に「八合目・長官山1,218m」の標識があるが勿論ここは山頂ではない。登山道を外れた稜線の先端に1等三角点「利尻山」がある。天気が良くなり利尻山の山頂まで見えるようになってきた。この長官山稜線から下は利尻山が見えなくなるのでしっかりその姿を目に焼きつけ下りだした。
第2見晴台で鴛泊方面の展望がありポン山の突起が判別できるようになってきた。七合目付近から七曲と云われるくねくね道になり、第1見晴台(700m)へと達する。この頃になるとFさんに疲れが出て小まめに休憩を取りながら進む。ポン山分岐に達するともうこのまま下りると言う。計画ではポン山、小ポン山、姫沼、学校山、灯台山を登ることになっているのだが・・・・。昨年北アルプスで捻挫して以来体力が落ちているようだ。ここで別行動を取りFさん、Sさんはキャンプ場から鴛泊に直接下りる事になった。Sさんはその前にポン山・小ポン往復に同行する。歩き出して10分、姫沼への分岐点でザックをデポしササ原を登って行くと稜線に出る。小ポン山への分岐を右に見送り樹林帯を進むと展望が開け、ポン山(444m)山頂に到着した。山頂標識はないがベンチが置かれ整備され利尻山の展望が良い。シラネアオイの花を見つけた。
折り返して分岐を越え小ポン山(413m)に向かう、分岐を越えても下り続け鞍部から登り返して山頂に至る。北方向に僅かな展望があり、鴛泊の港や灯台山が見える。姫沼の分岐でFさんの待つキャンプ場に向かうSさんと分かれ姫沼へと急ぐ。小ポン山を左に見ながら尾根と谷の襞を越えるたびに予想外のアップダウンがある。やがて谷筋を下り、平原の樹林帯となり姫沼に達する。例の「島を愛す」に歌われた「君を訪ねて姫沼悲し」の一節、23年越しに漸く訪れることができた。ここはカモメたちが体についた潮を洗う所で、無数のカモメが羽根を休めていた。
観光道路を下り島の海岸から少し内陸に入った丘の上を走る自転車道で鴛泊へと向かう。ほぼ平坦な道で深く切れ込んだ谷も姫沼橋、富士見大橋、湾内大橋の100mを超える長大橋で一気に渡ってしまう。前方に小高い丘が見えてくるとそれは学校山(105m)だ。自転車道から150mくらいで山頂なのだがどこにも道はなさそうだ。大型哺乳類のいない島なので、千島笹の薮を漕いで登ることにした。山屋でも学校山なんて言っても誰も知らないだろう。ピークへの拘りもここまでくれば殆ど病気。千島笹の粉でズボンやTシャツは真っ白!何でこの程度の山でこんな苦労を・・・・
辿りついたピークは何もなくただ、北海道の管理する何かの塔が立っていた。と言うことは管理のための道があるはず。塔の下まで来ると果たしてそれはあった。草に埋もれかけているが轍のはっきりした道路で楽に鴛泊の街に下りることができた。
まだ時間は早い。山から見えていた海に突き出したペシ岬に灯台山と言う山がある。標高93.2m、先端にはペシ岬灯台があり素晴らしい眺めが得られる。山頂では神戸ポートアイランドに住むという老夫婦、話をしていると昔京都御所の近くに住んでいたと言う。「それはお近くですね。私は七本松出水で生まれました。」と言うと、「そう、そのへんに市民病院があったな」、「はい、そこで生まれたのですよ!」、「へえ〜」なんて会話が盛り上がった。そしてこんな低山ながら1等三角点「鴛泊」があり、「これが三角点ですよ」と教えてあげると、「測量関係の仕事してるの?」、「いや山屋の常識です。しかもこれは1等で一片が18センチあり、明治の中頃当時の陸軍陸地測量部の文官達がほぼ40キロ四方に一つ設置したものですよ」と薀蓄を垂れるとえらく尊敬されてしまい、楽しいひと時を過ごすことができた。
灯台山の麓に会津藩士の墓がある。碑文を読むと19世紀初頭、ロシアの南下で北方領土が脅かされ始めため、幕府は各藩に北方警備を命じ、会津藩はこの島を担当したらしい。会津も寒い所だが、内地の格好で最果ての島の冬を越せず死んだ藩士も数多かったとか。そうロシアの不法占拠のルーツはこの頃からのものなのだ。
下界を見ると下の道道を歩くFさんSさんの姿を発見。港で合流すると、さてどうしよう?稚内行きまでまだ2時間半もあるので“利尻富士温泉”に行くことにした。もう歩くのは億劫でタクシーで行くがワンメーター610円で事足りた。入浴料は400円。風呂上りのビールは格別美味かった。旅情あふれる連絡船で稚内へと渡り駅前の料理屋で美味しい魚を食べいい心持で、夜行列車“はなたび利尻号”に乗り込んだ。事前準備はバッチリで増結21号車(いったい何両連いでんね!)のお座敷車の指定券を取ってある。お座敷で枕や毛布も付いて特急券の他は追加料金なしの超お買い得商品!(これが寝台車なら追加6,000円ほど必要)
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