ペテガリ岳(元浦林道から)《日本二百名山》



- GPS
- 22:18
- 距離
- 50.6km
- 登り
- 3,063m
- 下り
- 2,981m
コースタイム
- 山行
- 2:48
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:48
- 山行
- 12:14
- 休憩
- 1:30
- 合計
- 13:44
- 山行
- 5:30
- 休憩
- 0:16
- 合計
- 5:46
天候 | 1日目(7/18):晴れ 2日目(7/19):曇り一時晴れ 3日目(7/20):曇り一時小雨 |
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過去天気図(気象庁) | 2008年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
飛行機
|
写真
感想
1日目(7/18)
千歳便の始発は関空から飛ぶ。朝一番の“はるか”に乗り空港に着き荷物を預けると、持ち込み禁制品が入っているのでザックを開けろと言われた。ガスは現地調達のつもりなので何もないはずなのに・・・係員の申し訳なさそうに言う所では平成20年6月からガスは勿論のこと、残留ガスの危険があるのでガスヘッドまで持ち込み禁制品になってしまったそうだ。これがなければ避難小屋泊まりの山行などできるものではない。仕方なく空港に預けて北海道へと飛び立った。
会社の福利厚生で安く借りられたレンタカーに乗り一路日高へと走った。車も少なく爽快に走ることができるのは流石は北海道! “爽快”に走り過ぎて、後を見るといつの間にかパトカーが付けて来て17キロオーバーで反則切符を切られてしまった。とほほほ・・・・
朝から悪いことばかりで気が滅入りそうだが、天気も回復してきて、静内のホームセンター「ホーマック」でガスとガスヘッドを調達することができた。日高の海岸を153卅り登山口に近づき浦河町荻伏から元浦川に沿った林道を走り、神威橋で左岸に渡るとり3劼曚匹播瓦離押璽箸肪した。手前に駐車スペースがあり登山者のものであろう車が6台位止まっていた。
平成19年「倒木処理作業」を名目に突然林道が閉鎖されてしまい神威山荘までこのゲートから延々13劼鯤發ざるを得なくなった。熊の目撃談もあるので鈴を景気よく鳴らし歩き出した。空港に着いたときは雨上がり直後だったが徐々に晴れ間が出てきて暑い。それもそのはずゲート付近の標高は155mしかない。元浦川からニシュオマナイ川と何処からか名を変え神威山荘へと遡るがかなり高い位置に林道は付いている。東から流れ込むソエマツ川を渡ると斜面が大きく崩れた箇所があるが復旧されているので車の通行にも問題はない。
ゲートから7.7卉賄世離縫札マナイ橋で右岸に渡り北から流れ込む鹿追沢を回り込んで渡り、10.5卉賄世瞭鷂垓兇悩討唳鹸澆北瓩辰拭1萓は概ね昭和49年頃の植林地でトドマツが植えられている。キタキツネが道を横切り、対岸の作業道にはエゾシカの親子が草を食んでいた。左に分岐する林道はペテガリへの道、分岐を見送って800m歩くと神威山荘(標高385m)に到着した。
先客は2人、30分遅れで登山口から桑名の男性が到着、登山口で登山準備をしていた人は1時間ほど後に到着して、合計6人が今日の宿泊者となった。この小さな小屋にもツアーが入ることがあるという。小屋の前に小川があり水は豊富だ。ただしキタキツネの生息地で生水は禁物。
2日目(7/19)
北海道の夜明けは早い。長丁場に備え4時丁度に出発した。ガスっぽい中、先ずはペテガリ山荘に向かう。林道分岐まで戻らず植林地をショートカットしニシュオマナイ川渡渉点にでた。橋はなく幅5m、水深20僂曚匹寮遒鯏呂襪飛び石伝いとは行かない。ここは登山靴を脱いで裸足で渡った。靴を脱いでいると、同宿だった桑名の小父さんが躊躇することなく運動靴で川に突っ込み軽く追い抜かれてしまった。
暫くは林道が続きニシュオマナイ川の支流沿いに進んだ。山深くなってくると渡渉が始まり水没しない程度の飛び石で行くことができた。渡渉回数を20回までは数えていたが沢を縦に歩いたりするともうカウント不能になった。登山道に指導標は一切ないが、赤テープが随所にあり迷うことはない。最大の難所は無名の滝でニシュオマナイ川渡渉点から1.4勸未僚蠅砲△襦6mほどの落差があり左の斜面を這い上がり滝の落ち口に達した。滝の上部も渡渉の連続でだんだん流量が少なくなり、登山道から滲み出す程度となり、やがてチシマザサの覆う普通の登山道となった。日高山脈中ノ岳の西に派生する尾根を乗越す峠(名はなく標高約650m)に到って初めて一本立てた。
峠を下り始めると直ぐに道が泥濘だし、やがて水流が現れ沢下りとなった。ペテガリ側の距離は短く400m程度で沢を離れた。右にトラバースすると人の手の入った平地に飛び出した。植林されたばかりの平地の向う側にベッピリガイ沢川が流れ本流を渡渉した。靴を脱ぐのも面倒なので手近な石を放り込み渡渉ルートを確保した。こういう時ストックがあるとバランス取りに都合が良い。渡り終えたとき、後では同行者が足を滑らせ両足を水没してしまい対岸で靴下を絞っていた。後は林道歩きでペテガリ山荘へと向った。まだ5卍の距離がある。天候が回復してきて晴れ間が覗きだした。まだ朝なのにかなりの暑さだ。
本流の渡渉が2回ありペテガリ沢川の橋を渡るとペテガリ山荘(標高400m)は近い。林道は閉鎖されているというのに、何故か1台1BOXワゴン車が小屋前にあり、持主かどうか分らないが男性が二人鼾をかいてお休み中。「もう7時ですよ」。
ペテガリ山荘に到る林道は遥か手前にゲートがあり歩いてくる人はまずいない。ここまで誰とも会わなかったので昨日登った人は誰もいなかったようだ。夜の寝床を確保し身軽になってペテガリへと向かった。登山口は小屋のすぐ裏から始まり最初は沢沿いの道だ。渡渉を数回繰り返し右手の斜面に抜け180°方向転換した。長いトラバースから徐々に傾斜を増し標高880mで一旦平らになり再び急登で1050mコブに達した。見晴らしが良く南のほうにピリガイ山、ベッピリガイ山そして日高山脈主稜線の中ノ岳(1,519m)も見えるが頂上を雲が隠していた。ただ遥かなるペテガリは未だに見えない。
ペテガリ岳の南西から派生する長い稜線を進み、1259mコブ、1293mコブと山名がなく無機的な通称で呼ばれている標高点が続く。1293mコブまで来ると前方に初めてペテガリの姿を望むことができた。ただ山頂部は雲の中。晴れていた空もだんだん曇りだし晴れ間がなくなってしまった。次の1301mコブとの間は2.3劼△蠎侈未魏爾辰討い襪函男性が登ってきた。昨日ペテガリ山荘に泊まり、ペテガリ岳に行き神威山荘まで行くと言う。昨夜は6人泊まって、4人が登っていると言うことだった。神威山荘で一緒だった桑名の男性とは1301mコブとペテガリの鞍部で会ったという。これは随分早い、荷が軽いとは言え58歳の年齢を考えると素晴らしい脚力だ。
1,130mの鞍部まで下るので登り返しは170mと結構ある。1301mコブ手前のピークに達するとペテガリ岳が近い、南の急斜面を流れ落ちる沢はずっと滝で雄大な眺めだ。写真撮りで同行者との間隔が開いたが、前方で誰かと話す声が聞こえる。そしてやって来たのは桑名の男性だった。もうペテガリに行ってきたのだ。この人このまま神威山荘まで帰る計画で行程35キロに及ぶ何とも凄いことを考えたものだ。
喋っていると同行者はずっと先に行ってしまい鈴の音も聞こえなくなってしまった。急いで1,301mコブを越え鞍部へと下った。小さなピークを越えた最低鞍部は1,215m。ペテガリ岳は1,736m、標高差は520mもある最後の難関だ。ひたすら登りが続く。同行者に追いつこうと意を決して登りだすがどうも調子が出ない。だんだんペースが落ち、息が続かなくなってしまった。そういえば今日は暑かったのでかいた汗の量は半端じゃなかった。暑さに弱いのは私の弱み、越後三山で熱中症になった悪夢が蘇った。
ここまで来たからにはペテガリには這ってでも行かなければならない。ゆっくりと休みながら時間をかけて登った。今日の登山者残りの3人が次々と下山してきた。標高1,400m位で雲の中に突入し小雨が降ってきたのでザックカバーを掛けた。ほうほうの態で辿り着いた山頂には余裕たっぷりの同行者が待っていた。流石は元国体選手である。
ガスで何も見えない。笹原に倒れこんで暫しお昼寝。一寸楽になると山頂写真を撮り、固形物は食べられそうにないので流動物でエネルギーを補給し下山開始。小屋まで9辧∪茲歪垢ぁ2爾蠅覇厩埃圓箸竜離を稼ぐが、登りになると極端にスピードが落ちた。1,301mコブまでは先行できたが、1293mコブの登りはきつい。そして最後の試練は1,050mコブへの登り。大した登りではないのにもうヘロヘロ。堪りかねた同行者はザックを奪い取るように自分のと取っ替えて最後の3.2劼魏爾辰拭
ペテガリ山荘は、今日ペテガリに行った5人に加え登山口から来た人が10数人、総勢20人近くになったが大きな小屋で比較的余裕がある。バテてまったく食欲のなくなった私は早々に寝床に入り、同行者は1階で歓談、反対の端をふと見るとどこかで見た顔が・・・間違いない東京時代の山仲間のMさんだ。えらい山奥で出会うものだ。懐かしいが余り話す気力もなく寝についてしまった。
3日目(7/20)
当初の計画では神威山荘に戻って神威岳に行く予定だった。昨日のバテた体では自信が持てず、同行者もそれほど拘っていないので神威岳は断念してそのまま下山することにした。と云っても山越え+林道歩き20キロはそう楽ではない。3時になるとペテガリ岳を目指す人たちが起きはじめ埼玉のMさん達も4時に出発して行った。寝床から見送り5時まで寝ていた。
隣で寝ていた神奈川県厚木市から来た男性は定年退職後300名山を目指し1ヶ月の予定で北海道に来たと云っていた。1週間前にもここに来たがバテて登れなかったので今回はリベンジだったそうだ。しかし今回は山越えで足を滑らせストックを壊しおまけに左手の中指を負傷。痛くて昨夜は眠れなかったそうだ。見ると随分腫れている。骨折の疑いが濃く一緒に下山して欲しいと頼まれた。事情が事情なので承諾し、先ず負傷した指を何とかしなければならない。α米のスプーンを副子に使い固定してあげると痛みが和らぎ少し楽になったようだ。昨日固定していたら少しは眠れただろうに・・・
大阪の男性を含め即席4名パーティーでの山越え下山となった。雲は低く山は雨だろう。ベッピリガイ沢川の渡渉も問題なくクリアし、いよいよ沢登りが始まる。昨日使わなかったが折角持ってきたので沢靴に履き替え沢に突入した。厚木の男性は水没覚悟で登山靴のまま進み同行者がトップを歩き、私が厚木の男性の後を歩きサポートするが問題なく進めそうだ。案外大阪の男性が遅れがちとなるが、この人のことは余り気には掛けなかった。
峠で暫し休憩しシュオマナイ川へ向けての沢下りとなった。両手を使わないと厳しい所があるが殆ど補助なしで歩けそうだ。しかし最大の難所である滝のトラバースではストックを利用しザックを吊下ろし、ルートになっている岩のさらに外側の茂みを慎重に下りクリアできた。これで一安心、サポートを放棄し沢靴の特権をフルに生かし沢歩きを楽しみ写真を撮っていると随分離れてしまった。やがて道は林道となり最後のニシュオマナイ川本流の渡渉で沢歩きは終わった。
登山靴に履き替えて後は延々林道歩きが待っている。大阪の男性は神威山荘の方向に去って行き、小雨の降りだした林道は3人で下ることになった。二股橋で右岸に渡り、ペテガリへの分岐から2.5辧∋拯の沢に架かる緑橋を越えた林道の真ん中で昼食を食べていると1台の軽トラが上がってきた。緑橋の下で作業をされるようだ。いつ帰るのかと問うとまだ1時間以上掛かるとのことなので、密かに期待した荷台への便乗は難しそうだ。
諦めて歩き出すと前方から男女2人が歩いてくる。どうも山屋ではないようだ。林道ゲートが開いていたので入って来てすぐそこに車を止めての散策だと言う。さっきの軽トラだ。「作業の車が入っているから開いていたが出て行くときっと鎖錠されてしまうよ、取り残されたら大変なことになるよ」と脅かして分かれた。そしてこの人達のRV車は林道ゲートから8.5卞った鹿追橋の袂に置かれていた。
ニセオマナイ橋で左岸に戻り高巻のヘアピンカーブに入ったとき、さっきのRV車が戻ってきた。後ろを歩いていた同行者はここぞとばかり手を振る。何事かと停車した車に「荷台に乗せてくれ!」と哀願すると、リアシートを整理し車内に案内してくれた。これで林道歩き7.6劼鬟ットできた。十勝の太平洋側豊頃町大津に住むご夫婦で「山には登らないが山に近づきたくて林道を走ってきた。」とよく分からない目的で来ておられた。ゲートは閉じられていたが鎖錠はされず開けて通過、お礼を言って別れた。浦河の病院に行くと言う厚木の男性ともここで別れ30卆茲砲△觧粟从布温泉「蔵三」に立寄り、こてこての汗を流した。
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