【1日目 (10/23) 】 大杉谷の道ー1。登山口から少し進んだ宮川第三発電所前。天候にも恵まれ登山開始です。60代のNさん&傘寿まじかい Fさんと3人。
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10/23 11:40
【1日目 (10/23) 】 大杉谷の道ー1。登山口から少し進んだ宮川第三発電所前。天候にも恵まれ登山開始です。60代のNさん&傘寿まじかい Fさんと3人。
大杉谷の道ー2。鎖場の道が続きますが、足元をみて慎重に進めば問題ありません。初日はN さん先頭に進みます。
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10/23 11:43
大杉谷の道ー2。鎖場の道が続きますが、足元をみて慎重に進めば問題ありません。初日はN さん先頭に進みます。
大杉谷の道ー3。
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10/23 11:49
大杉谷の道ー3。
大杉谷の道ー4。エメラルドグリーン色した水の流れが目に沁みます。
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10/23 11:51
大杉谷の道ー4。エメラルドグリーン色した水の流れが目に沁みます。
大杉谷の道ー5。最初の吊橋。40数年前、細い針金による吊橋だったころ怖かった思いを想起、段違いに立派な吊橋になっていました。
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10/23 12:10
大杉谷の道ー5。最初の吊橋。40数年前、細い針金による吊橋だったころ怖かった思いを想起、段違いに立派な吊橋になっていました。
大杉谷の道ー6。
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10/23 12:16
大杉谷の道ー6。
大杉谷の道ー7。
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10/23 12:27
大杉谷の道ー7。
大杉谷の道ー8。
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10/23 12:49
大杉谷の道ー8。
大杉谷の道ー9。日浦杉吊橋。数人一緒に渡っても安全な吊橋がこの後も続きます。
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10/23 13:13
大杉谷の道ー9。日浦杉吊橋。数人一緒に渡っても安全な吊橋がこの後も続きます。
大杉谷の道ー10。落差 160mと言われている千尋滝。
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10/23 13:37
大杉谷の道ー10。落差 160mと言われている千尋滝。
大杉谷の道ー11。千尋滝をバックにFさんとNさん。
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10/23 13:37
大杉谷の道ー11。千尋滝をバックにFさんとNさん。
大杉谷の道ー12。渓谷に沿った道が続きます。水の音と時々小鳥の囀りが響きます。
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10/23 14:27
大杉谷の道ー12。渓谷に沿った道が続きます。水の音と時々小鳥の囀りが響きます。
大杉谷の道ー13。猪ケ淵が姿を見せました。
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10/23 14:29
大杉谷の道ー13。猪ケ淵が姿を見せました。
大杉谷の道ー14。逆さ滝が映り幻想的な趣があります。
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10/23 14:35
大杉谷の道ー14。逆さ滝が映り幻想的な趣があります。
大杉谷の道ー15。猪ケ淵とNさんの佇まいは絵になっています。
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10/23 14:37
大杉谷の道ー15。猪ケ淵とNさんの佇まいは絵になっています。
大杉谷の道ー16。FさんとM。
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大杉谷の道ー16。FさんとM。
大杉谷の道ー17。落差50m 二段の ニコニコ滝です。宮川ダム貯水湖は渇水で貯水量が少なかったにも拘らず、この滝の水量は何処からくるのか? 不思議な感じさえします。
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10/23 14:55
大杉谷の道ー17。落差50m 二段の ニコニコ滝です。宮川ダム貯水湖は渇水で貯水量が少なかったにも拘らず、この滝の水量は何処からくるのか? 不思議な感じさえします。
大杉谷の道ー18。長い平等グラ吊橋。
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10/23 15:09
大杉谷の道ー18。長い平等グラ吊橋。
大杉谷の道ー19。桃の木山の家直前の吊橋から。計画より30分以上早い到着です。小屋は平日にもかかわらず20数名程の登山客でした。夕食はおかわり自由のカレーライス(カツ付)。
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10/23 15:55
大杉谷の道ー19。桃の木山の家直前の吊橋から。計画より30分以上早い到着です。小屋は平日にもかかわらず20数名程の登山客でした。夕食はおかわり自由のカレーライス(カツ付)。
大杉谷の道ー20。桃の木山の家直前の吊橋にてのM。
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大杉谷の道ー20。桃の木山の家直前の吊橋にてのM。
【2日目 (10/24) 】大杉谷の道ー21。6:20 出発。Fさん先頭に進みます。
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10/24 6:38
【2日目 (10/24) 】大杉谷の道ー21。6:20 出発。Fさん先頭に進みます。
大杉谷の道ー22。三段に分かれ優美な姿の七ツ釜滝。
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10/24 6:49
大杉谷の道ー22。三段に分かれ優美な姿の七ツ釜滝。
大杉谷の道ー23。七ツ釜滝をバックに FさんとNさん。
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10/24 6:50
大杉谷の道ー23。七ツ釜滝をバックに FさんとNさん。
大杉谷の道ー24。渓谷沿いの道
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10/24 7:14
大杉谷の道ー24。渓谷沿いの道
大杉谷の道ー25。
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10/24 7:22
大杉谷の道ー25。
大杉谷の道ー26。落差40mの光滝。
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10/24 7:46
大杉谷の道ー26。落差40mの光滝。
大杉谷の道ー27。与八郎滝
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10/24 8:13
大杉谷の道ー27。与八郎滝
大杉谷の道ー28。
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10/24 8:19
大杉谷の道ー28。
大杉谷の道ー29。広い滝壺を備えた美しく豪快な落差18mの堂倉滝。
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10/24 8:34
大杉谷の道ー29。広い滝壺を備えた美しく豪快な落差18mの堂倉滝。
大杉谷の道ー30。堂倉滝をバックにFさんとNさん。ここからが本番の急登が始まる前の休憩中でもあります。
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10/24 8:35
大杉谷の道ー30。堂倉滝をバックにFさんとNさん。ここからが本番の急登が始まる前の休憩中でもあります。
堂倉滝から標高差 約380mを75分程で到着した堂倉避難小屋前。ランチタイムをとり日出ケ岳迄の急登(標高差535m程)に備えます。
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10/24 10:21
堂倉滝から標高差 約380mを75分程で到着した堂倉避難小屋前。ランチタイムをとり日出ケ岳迄の急登(標高差535m程)に備えます。
標高1450m付近にあった”故・増井敏央記念碑” 「信じて疑わず、望みて屈せず、愛して止まず」
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10/24 11:31
標高1450m付近にあった”故・増井敏央記念碑” 「信じて疑わず、望みて屈せず、愛して止まず」
樹木層も変わり紅葉の中の道。
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10/24 12:22
樹木層も変わり紅葉の中の道。
笹原が現れ大台ケ原山頂に近づいていることが分かります。堂倉避難小屋から2時間以上休憩なしで先頭を歩き続けたFさんには感服です。
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笹原が現れ大台ケ原山頂に近づいていることが分かります。堂倉避難小屋から2時間以上休憩なしで先頭を歩き続けたFさんには感服です。
Fさんのペースのお陰で計画より1時間半以上早い到着。遠景は大峰奥駈道の連なる山容。20分程の休憩で、Fさん&Nさんはバス時間に余裕があるからと大蛇グラ方面へ散策。Mは尾鷲道を日没前に行ける所まで進むことに。
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10/24 12:58
Fさんのペースのお陰で計画より1時間半以上早い到着。遠景は大峰奥駈道の連なる山容。20分程の休憩で、Fさん&Nさんはバス時間に余裕があるからと大蛇グラ方面へ散策。Mは尾鷲道を日没前に行ける所まで進むことに。
尾鷲道−1。40数年以来の尾鷲道。所々に尾鷲道の立札と赤テープがあり、沿って進みます。
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10/24 14:14
尾鷲道−1。40数年以来の尾鷲道。所々に尾鷲道の立札と赤テープがあり、沿って進みます。
尾鷲道−2。紅葉の樹林帯の道を進みます。
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10/24 14:18
尾鷲道−2。紅葉の樹林帯の道を進みます。
尾鷲道−3
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10/24 15:56
尾鷲道−3
尾鷲道−4。雷峠前の標高1450m付近。更に進みコブシ嶺 1411m付近でテントを張ります。夕方の天気予報では悪天の見通し。最悪停滞を含めテントの張り具合等を徹底する。未明から降雨。
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10/24 16:17
尾鷲道−4。雷峠前の標高1450m付近。更に進みコブシ嶺 1411m付近でテントを張ります。夕方の天気予報では悪天の見通し。最悪停滞を含めテントの張り具合等を徹底する。未明から降雨。
【3日目 (10/25) 】尾鷲道−5。予報に反し、降雨の程度も小雨で西の空には晴れ間が覗いており、早々に出発準備するも出発は6:20と大幅に遅くなってしまう。
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10/25 6:46
【3日目 (10/25) 】尾鷲道−5。予報に反し、降雨の程度も小雨で西の空には晴れ間が覗いており、早々に出発準備するも出発は6:20と大幅に遅くなってしまう。
尾鷲道−6。快適な道です。
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10/25 6:53
尾鷲道−6。快適な道です。
尾鷲道−7。木組峠 1200m。
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10/25 7:32
尾鷲道−7。木組峠 1200m。
尾鷲道−8。標高1220m付近
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10/25 7:46
尾鷲道−8。標高1220m付近
尾鷲道−9。標高1220m付近から観た大峰奥駈道の連なる山容。ひとまず降雨の心配はなさそうです。
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10/25 7:56
尾鷲道−9。標高1220m付近から観た大峰奥駈道の連なる山容。ひとまず降雨の心配はなさそうです。
尾鷲道−10。新木組峠(標高1200m付近)。ここからは ”中の嶺 稜線” のトラバースルートをとります。30分程進んだ ”神明水” は水が枯れていました。
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10/25 8:08
尾鷲道−10。新木組峠(標高1200m付近)。ここからは ”中の嶺 稜線” のトラバースルートをとります。30分程進んだ ”神明水” は水が枯れていました。
尾鷲道−11。又口辻(標高1200m付近)。ここから暫く進むと渓谷迄の急下降(標高差200m程)が始まります。
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10/25 9:11
尾鷲道−11。又口辻(標高1200m付近)。ここから暫く進むと渓谷迄の急下降(標高差200m程)が始まります。
尾鷲道−12。標高860m付近に聳えていた巨木。この付近から雷音と小雨が時々続きました。
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10/25 10:19
尾鷲道−12。標高860m付近に聳えていた巨木。この付近から雷音と小雨が時々続きました。
尾鷲道−13。標高680m付近に聳えていた桧の巨木。
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10/25 12:12
尾鷲道−13。標高680m付近に聳えていた桧の巨木。
尾鷲道−14(標高580m付近)。かっての木材運搬用に作られたトロッコ線路跡。道は荒れてやや危険個所も。この後目印の赤テープを数回見失い古和谷林道終点には、又口辻から3時間半程要しました(計画では2時間40分)。
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10/25 13:01
尾鷲道−14(標高580m付近)。かっての木材運搬用に作られたトロッコ線路跡。道は荒れてやや危険個所も。この後目印の赤テープを数回見失い古和谷林道終点には、又口辻から3時間半程要しました(計画では2時間40分)。
古和谷林道終点から猪母娘が道を横切る姿を見ながら車道を約7km歩いた産廃処理工場前で休憩中、市内住いのご婦人からイオン尾鷲迄(約4km) の同乗の誘いを受ける。道迷いで遅くなり日没前にテント泊着が危ういことでもあり、その誘惑に負けてしまう(この時間は本記録からロガを切断)。お陰で略計画通りにテント泊予定地に。国道42号線から南方面山容を八鬼山かと思い撮った写真は、その右に連なる ”三田谷の頭(752m)-猪山(640m)” でした。
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10/25 16:21
古和谷林道終点から猪母娘が道を横切る姿を見ながら車道を約7km歩いた産廃処理工場前で休憩中、市内住いのご婦人からイオン尾鷲迄(約4km) の同乗の誘いを受ける。道迷いで遅くなり日没前にテント泊着が危ういことでもあり、その誘惑に負けてしまう(この時間は本記録からロガを切断)。お陰で略計画通りにテント泊予定地に。国道42号線から南方面山容を八鬼山かと思い撮った写真は、その右に連なる ”三田谷の頭(752m)-猪山(640m)” でした。
八鬼山登山口 16:50着。右はトイレ棟。飲料用&食事用水はトイレの手洗い水を浄水器&煮沸して使用。若干薬臭がして不味かったが已む無し。
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10/25 16:55
八鬼山登山口 16:50着。右はトイレ棟。飲料用&食事用水はトイレの手洗い水を浄水器&煮沸して使用。若干薬臭がして不味かったが已む無し。
明日に備え、登山口の下見。熊野古道の標識があり石碑の左側から八鬼山への道が延びている。
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10/25 16:56
明日に備え、登山口の下見。熊野古道の標識があり石碑の左側から八鬼山への道が延びている。
熊野古道「八鬼山道」: 平安時代後期には既に開かれ、熊野詣や西国33カ所巡礼に代表される庶民の「信仰の道」として発達した・・・と記載。
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10/25 16:57
熊野古道「八鬼山道」: 平安時代後期には既に開かれ、熊野詣や西国33カ所巡礼に代表される庶民の「信仰の道」として発達した・・・と記載。
【4日目 (10/26) 】5:20 出発。八鬼山迄は標高差 600mの登り。「八鬼山・石畳道」:これより上り約50mの区間は八鬼山越えの石畳のなかでも施工当時の面影を残し敷石も立派。遅くとも江戸時代 紀州藩の街道整備に伴って敷設されたと言われている。・・と記載。
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10/26 5:46
【4日目 (10/26) 】5:20 出発。八鬼山迄は標高差 600mの登り。「八鬼山・石畳道」:これより上り約50mの区間は八鬼山越えの石畳のなかでも施工当時の面影を残し敷石も立派。遅くとも江戸時代 紀州藩の街道整備に伴って敷設されたと言われている。・・と記載。
「八鬼山の町石」:道端に立てて1町毎に道程を記した石。八鬼山(627m)まで50町を1町ごとに立てられたと考えられるが、現存するのは33体。この町石を奉納したのが1573~1591年、伊勢信仰を広めた人たち。この町石には戦国時代、戦乱の世にもめげず遠く伊勢の地から奉納した人々の真摯な想いが刻まれている。・・と記載。
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10/26 5:56
「八鬼山の町石」:道端に立てて1町毎に道程を記した石。八鬼山(627m)まで50町を1町ごとに立てられたと考えられるが、現存するのは33体。この町石を奉納したのが1573~1591年、伊勢信仰を広めた人たち。この町石には戦国時代、戦乱の世にもめげず遠く伊勢の地から奉納した人々の真摯な想いが刻まれている。・・と記載。
「籠立場」:紀州藩や巡検使などが街道を通行する時乗っている籠を止めて休憩した場所。この急登を命令とはいえ、駕籠かきを負った人達の想いの方に気持ちが入ってしまいます。
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10/26 5:57
「籠立場」:紀州藩や巡検使などが街道を通行する時乗っている籠を止めて休憩した場所。この急登を命令とはいえ、駕籠かきを負った人達の想いの方に気持ちが入ってしまいます。
「伊勢内宮 清順上人供養碑」:戦国時代20年に一度の遷宮が長きにわたり行われず、伊勢神宮は朽ち果て荒れていた。これをみて尼僧 清順は諸国を勧進して浄財を募り、宇治橋の復興し、1563年には外宮の造営と遷宮を成し遂げた。・・と記載。仏教僧が伊勢神宮遷宮のために、自らの命を懸けて遷宮の役割を果たしという、日本独特のことかも。
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10/26 5:59
「伊勢内宮 清順上人供養碑」:戦国時代20年に一度の遷宮が長きにわたり行われず、伊勢神宮は朽ち果て荒れていた。これをみて尼僧 清順は諸国を勧進して浄財を募り、宇治橋の復興し、1563年には外宮の造営と遷宮を成し遂げた。・・と記載。仏教僧が伊勢神宮遷宮のために、自らの命を懸けて遷宮の役割を果たしという、日本独特のことかも。
石畳の道
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10/26 6:27
石畳の道
西国第一の難所「八鬼山越え」のうちでも大難所の「七曲がり」について記載。
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10/26 6:32
西国第一の難所「八鬼山越え」のうちでも大難所の「七曲がり」について記載。
「八鬼山・桜茶屋一里塚」についての説明
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10/26 7:01
「八鬼山・桜茶屋一里塚」についての説明
「久木峠の道標」:鉄道開通までこの峠道は、「生活道路」として欠かせない道でもあった。・・と記載。
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10/26 7:26
「久木峠の道標」:鉄道開通までこの峠道は、「生活道路」として欠かせない道でもあった。・・と記載。
「八鬼山三宝荒神堂」
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10/26 7:37
「八鬼山三宝荒神堂」
「八鬼山三宝荒神石像」:ここに八鬼山日輪寺があり、その歴史は1300年もさかのぼる。・・この荒神堂は西国33ケ所第一番札所の「前札所」として八鬼山越えの巡礼が道中安全を願って参拝した。・・・と記載。
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10/26 7:38
「八鬼山三宝荒神石像」:ここに八鬼山日輪寺があり、その歴史は1300年もさかのぼる。・・この荒神堂は西国33ケ所第一番札所の「前札所」として八鬼山越えの巡礼が道中安全を願って参拝した。・・・と記載。
「八鬼山・荒神茶屋跡」について記載。
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10/26 7:39
「八鬼山・荒神茶屋跡」について記載。
「八鬼山峠・三木峠茶屋跡」(627m)について記載
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10/26 7:53
「八鬼山峠・三木峠茶屋跡」(627m)について記載
何の変哲もない八鬼山 山頂の標識/647m
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10/26 7:56
何の変哲もない八鬼山 山頂の標識/647m
さくらの森公園。八鬼山山頂から100m付近の箇所に。
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10/26 8:03
さくらの森公園。八鬼山山頂から100m付近の箇所に。
さくらの森公園から観た尾鷲湾
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10/26 8:04
さくらの森公園から観た尾鷲湾
尾鷲湾の標識
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10/26 8:05
尾鷲湾の標識
「八鬼山登山口ー山頂ー下山口」に至る道標。熊野古道にある峠越えの殆どにこのような道標が立てられていました。
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10/26 9:33
「八鬼山登山口ー山頂ー下山口」に至る道標。熊野古道にある峠越えの殆どにこのような道標が立てられていました。
下山口 道標 63/63 の付近。
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10/26 9:34
下山口 道標 63/63 の付近。
「名柄一里塚」:一里塚についての説明。
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10/26 9:43
「名柄一里塚」:一里塚についての説明。
「名柄一里塚」にあった東屋
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10/26 9:43
「名柄一里塚」にあった東屋
「名柄一里塚」には立派なトイレもあります。
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10/26 9:53
「名柄一里塚」には立派なトイレもあります。
三木里町に降りてきました。
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10/26 10:10
三木里町に降りてきました。
三木里町を通っている熊野古道。古道歩き用かと思われる休憩用椅子が所々に家の軒先に設置してありました。
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10/26 10:20
三木里町を通っている熊野古道。古道歩き用かと思われる休憩用椅子が所々に家の軒先に設置してありました。
三木峠入口にあった案内板「熊野参詣道伊勢路 ”三木峠”」。尾鷲市三木里町から標高122mの「三木峠」を越えて古江町に至る・・。江戸時代後期の越後の文人・鈴木牧之(苗場山-信越Trail縦走時にも拝見した名)も紀行を残している。・・と記載。
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10/26 11:09
三木峠入口にあった案内板「熊野参詣道伊勢路 ”三木峠”」。尾鷲市三木里町から標高122mの「三木峠」を越えて古江町に至る・・。江戸時代後期の越後の文人・鈴木牧之(苗場山-信越Trail縦走時にも拝見した名)も紀行を残している。・・と記載。
羽後峠(ハゴ)道についての案内板。三木峠を越え古江町に入り、更に賀田町に至る峠道(150m)について記載。
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10/26 12:21
羽後峠(ハゴ)道についての案内板。三木峠を越え古江町に入り、更に賀田町に至る峠道(150m)について記載。
羽後峠(ハゴ)の標識。
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10/26 12:30
羽後峠(ハゴ)の標識。
羽後峠から10分程進んだ所に、今回歩いた熊野古道で最も印象に残っている水場。水質・水量共に良く、時間さえ取れれば全身水拭きしたい思いにかられました。
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10/26 12:52
羽後峠から10分程進んだ所に、今回歩いた熊野古道で最も印象に残っている水場。水質・水量共に良く、時間さえ取れれば全身水拭きしたい思いにかられました。
飛鳥神社の道路向い聳えていたクスノキの巨木。
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10/26 13:39
飛鳥神社の道路向い聳えていたクスノキの巨木。
クスノキの紹介内容。樹齢1000年以上、幹回り13.2m (地上より1.3m)、 高さ30m。三重県下第三位に選ばれたとのこと。
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10/26 13:39
クスノキの紹介内容。樹齢1000年以上、幹回り13.2m (地上より1.3m)、 高さ30m。三重県下第三位に選ばれたとのこと。
飛鳥神社の鳥居
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10/26 13:42
飛鳥神社の鳥居
飛鳥神社の案内板
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10/26 13:42
飛鳥神社の案内板
曽根集落からの甫母峠(ホボ)310mへの登り口。
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10/26 13:55
曽根集落からの甫母峠(ホボ)310mへの登り口。
「曽根太郎 次郎坂」の案内板。646年(大化2年)から1582年(天正10年)の936年にわたり、志摩国と紀伊国の国境であった。次郎は「自領」、太郎は「他領」の意味で国境であったことに由来・・・と記載。
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10/26 14:07
「曽根太郎 次郎坂」の案内板。646年(大化2年)から1582年(天正10年)の936年にわたり、志摩国と紀伊国の国境であった。次郎は「自領」、太郎は「他領」の意味で国境であったことに由来・・・と記載。
「曽根の一里塚」の案内板
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10/26 14:31
「曽根の一里塚」の案内板
約1時間で甫母峠 310m 到着。
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10/26 14:53
約1時間で甫母峠 310m 到着。
「猪垣」の案内板:ここの猪垣は熊野地方でも群をぬく見事なもので、高さ2~3mあり、1741年3月から1年がかりで築いた。行動範囲が広く何でも食べる猪は昔から人間にとって厄介な動物らしく、壊れても修復され続けてきた猪垣は猪と戦い続けてきた人々の汗と涙の結晶でもあった。・・・と記載。
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10/26 16:03
「猪垣」の案内板:ここの猪垣は熊野地方でも群をぬく見事なもので、高さ2~3mあり、1741年3月から1年がかりで築いた。行動範囲が広く何でも食べる猪は昔から人間にとって厄介な動物らしく、壊れても修復され続けてきた猪垣は猪と戦い続けてきた人々の汗と涙の結晶でもあった。・・・と記載。
【5日目 (10/27) 】昨日は海辺にある二木島集落の東屋にテント泊。近くのトイレを利用する釣り人や近くを通っている紀勢線を通過する電車が22時頃迄あったりしたが・・。本日も満天の月の中を 4:45 出発。写真は「二木島峠」/約249m の案内板。
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10/27 5:36
【5日目 (10/27) 】昨日は海辺にある二木島集落の東屋にテント泊。近くのトイレを利用する釣り人や近くを通っている紀勢線を通過する電車が22時頃迄あったりしたが・・。本日も満天の月の中を 4:45 出発。写真は「二木島峠」/約249m の案内板。
二木島峠から水場を経由しての逢神坂(オカミザカ)峠/280 m。
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10/27 6:01
二木島峠から水場を経由しての逢神坂(オカミザカ)峠/280 m。
休憩中の逢神坂(オカミザカ)峠に陽がさしてきました。
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10/27 6:21
休憩中の逢神坂(オカミザカ)峠に陽がさしてきました。
逢神坂峠を古江集落まで降りてきました。新鹿海岸はすぐ近く。
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10/27 7:03
逢神坂峠を古江集落まで降りてきました。新鹿海岸はすぐ近く。
砂浜が続く新鹿海岸。トイレ棟・シャワー棟があるが全て海水浴客用で、至る所に”キャンプ禁止”の立札が立っていました。
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10/27 7:22
砂浜が続く新鹿海岸。トイレ棟・シャワー棟があるが全て海水浴客用で、至る所に”キャンプ禁止”の立札が立っていました。
「甦る神々の道・熊野古道/西行松」の案内板
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10/27 8:00
「甦る神々の道・熊野古道/西行松」の案内板
「波田須の道」の案内板。この道に残る石畳は一つ一つが重厚で大きく、敷き方も豪快で鎌倉期のものといわれ、伊勢街道では一番古い時代のもの。この素朴な石畳は江戸時代のものとはっきり区別ができる・・。と記載
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10/27 8:11
「波田須の道」の案内板。この道に残る石畳は一つ一つが重厚で大きく、敷き方も豪快で鎌倉期のものといわれ、伊勢街道では一番古い時代のもの。この素朴な石畳は江戸時代のものとはっきり区別ができる・・。と記載
重厚な石畳
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10/27 8:12
重厚な石畳
徐福茶屋前からの展望。半島の左は「カイタロー鼻」
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10/27 8:21
徐福茶屋前からの展望。半島の左は「カイタロー鼻」
大吹峠口(標高120m程)
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10/27 9:07
大吹峠口(標高120m程)
大吹峠(約205m)
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10/27 9:23
大吹峠(約205m)
「大吹峠」の案内板
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10/27 9:24
「大吹峠」の案内板
大泊町まで降りてきました。遠景は「鬼ケ城」。
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10/27 10:06
大泊町まで降りてきました。遠景は「鬼ケ城」。
大泊から標高差120m 程の急登を登って着いた「松本峠」。ここから南へ約0.7km行けば「鬼ケ城跡地/154m 」ですが、先に進みます。
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10/27 10:45
大泊から標高差120m 程の急登を登って着いた「松本峠」。ここから南へ約0.7km行けば「鬼ケ城跡地/154m 」ですが、先に進みます。
「松本峠の説明版」。鬼ケ城跡地・千畳敷などのハイキングコースの案内が記載。
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10/27 10:46
「松本峠の説明版」。鬼ケ城跡地・千畳敷などのハイキングコースの案内が記載。
松本峠から熊野市街へ下る途中からみた七里御砂。
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10/27 11:01
松本峠から熊野市街へ下る途中からみた七里御砂。
七里御浜から熊野詣や西国巡礼は山路コースへ、海辺コースは速玉大社や那智大社へ向かう分岐点。私は山路コースをとります。
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10/27 11:01
七里御浜から熊野詣や西国巡礼は山路コースへ、海辺コースは速玉大社や那智大社へ向かう分岐点。私は山路コースをとります。
獅子岩。
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10/27 11:37
獅子岩。
「獅子岩」と「七里御浜」の案内板
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10/27 11:38
「獅子岩」と「七里御浜」の案内板
「獅子巌」の案内碑。高さ25m、周囲約210mの岩塊。地盤の隆起と海蝕の現象の生み出した奇観として稀にみるもの、と記載。
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10/27 11:39
「獅子巌」の案内碑。高さ25m、周囲約210mの岩塊。地盤の隆起と海蝕の現象の生み出した奇観として稀にみるもの、と記載。
「花の窟神社」の案内板
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10/27 11:48
「花の窟神社」の案内板
「花の窟神社」の鳥居
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10/27 11:53
「花の窟神社」の鳥居
神体である窟は大木があり撮ることができません。神社向いにある「道の駅 花の窟」でランチタイム。名物のサンマ寿司とコーラを頂きました。
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10/27 11:58
神体である窟は大木があり撮ることができません。神社向いにある「道の駅 花の窟」でランチタイム。名物のサンマ寿司とコーラを頂きました。
産田神社の鳥居。ここからアスファルト道が神木集落まで約7km続きます。途中100m程の区間全面通行止めの表示(今年12月末迄)。引き返すゆとりなく監視者がいないことを確認して進みました。熊野古道標識は311号線出て暫くしてから見当たるようになりました。
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10/27 13:09
産田神社の鳥居。ここからアスファルト道が神木集落まで約7km続きます。途中100m程の区間全面通行止めの表示(今年12月末迄)。引き返すゆとりなく監視者がいないことを確認して進みました。熊野古道標識は311号線出て暫くしてから見当たるようになりました。
産田神社の案内板。サンマ寿司発祥の地とのこと
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10/27 13:10
産田神社の案内板。サンマ寿司発祥の地とのこと
途中の水場を経て到着した「横垣峠(310m)」
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10/27 16:22
途中の水場を経て到着した「横垣峠(310m)」
「甦る神々の道・流紋岩の石畳と折山地蔵」の案内板。
横垣峠から坂ノ峠(280m)を経て阪本集落に向かって続く石畳には地殻変動の際にできた流紋岩が多く使用されている・・・と記載。
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10/27 16:46
「甦る神々の道・流紋岩の石畳と折山地蔵」の案内板。
横垣峠から坂ノ峠(280m)を経て阪本集落に向かって続く石畳には地殻変動の際にできた流紋岩が多く使用されている・・・と記載。
坂ノ峠から下ってきた阪本集落前の空地に今晩のテントを張りました。
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10/27 16:51
坂ノ峠から下ってきた阪本集落前の空地に今晩のテントを張りました。
【6日目 (10/28) 】5:35出発。写真はアスファルト道とやや荒れた山道がない交ぜになった6km程を歩いた風伝峠登山口から山道に入った所。
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10/28 7:05
【6日目 (10/28) 】5:35出発。写真はアスファルト道とやや荒れた山道がない交ぜになった6km程を歩いた風伝峠登山口から山道に入った所。
風伝峠茶屋前にあった「風伝峠道」の案内板。風伝峠道は麓に風伝トンネルができるまでは、本宮道、北山道、十津川道が合流する重要拠点であった・・と記載。
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10/28 7:17
風伝峠茶屋前にあった「風伝峠道」の案内板。風伝峠道は麓に風伝トンネルができるまでは、本宮道、北山道、十津川道が合流する重要拠点であった・・と記載。
朝7時過ぎにも関わらず「営業中」の表札。思わず扉を開けると、小奇麗なカウンターに50歳半ばと思われる精悍な人とその奥さんらしき人が。子育てを終えこれからの人生を見据え、江戸時代から続くこの茶屋を引き継ぐため大阪から移り住んだとのこと。美味しい味噌汁を頂きました
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10/28 7:19
朝7時過ぎにも関わらず「営業中」の表札。思わず扉を開けると、小奇麗なカウンターに50歳半ばと思われる精悍な人とその奥さんらしき人が。子育てを終えこれからの人生を見据え、江戸時代から続くこの茶屋を引き継ぐため大阪から移り住んだとのこと。美味しい味噌汁を頂きました
千枚田・通り峠入口バス停に荷物を置き(110m)、丸山千枚田展望台へ。400年以上前(1601年)から米一粒でも増やしたいとの先人達の開墾作業により2240枚田まで。しかし昭和40年半ば以降耕作放棄面積がふえ平成初期には530枚程に。地元住民が「先祖から受け継いだ貴重な資源・棚田を復元し、将来に向け伝承していきたい」との熱意から復元活動が始まり、一部行政支援と全国のオーナー等により1340枚迄に復元・・・と記載。
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10/28 9:12
千枚田・通り峠入口バス停に荷物を置き(110m)、丸山千枚田展望台へ。400年以上前(1601年)から米一粒でも増やしたいとの先人達の開墾作業により2240枚田まで。しかし昭和40年半ば以降耕作放棄面積がふえ平成初期には530枚程に。地元住民が「先祖から受け継いだ貴重な資源・棚田を復元し、将来に向け伝承していきたい」との熱意から復元活動が始まり、一部行政支援と全国のオーナー等により1340枚迄に復元・・・と記載。
丸山千枚田展望台(420m)からの丸山千枚田の景観−1
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10/28 9:13
丸山千枚田展望台(420m)からの丸山千枚田の景観−1
丸山千枚田の景観−2
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10/28 9:45
丸山千枚田の景観−2
丸山千枚田の景観−3
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10/28 9:54
丸山千枚田の景観−3
丸山千枚田の景観−4
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10/28 9:56
丸山千枚田の景観−4
標高150〜200mの車道5km程歩いた小集落で休憩していた所、近くに住む80歳前後と思しき人が大きめのミカン10数個入った袋を下げてき、「持っていけ」と。荷物を少しでも軽くしたいと思っていたもののその好意を有難く頂くことに。写真は更に2km程進んだ箇所にあった「明倫小学校跡地」の案内板。明治9年設立、昭和45年廃校に・・、そして校歌と校舎配置図も記載されていた。
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10/28 13:15
標高150〜200mの車道5km程歩いた小集落で休憩していた所、近くに住む80歳前後と思しき人が大きめのミカン10数個入った袋を下げてき、「持っていけ」と。荷物を少しでも軽くしたいと思っていたもののその好意を有難く頂くことに。写真は更に2km程進んだ箇所にあった「明倫小学校跡地」の案内板。明治9年設立、昭和45年廃校に・・、そして校歌と校舎配置図も記載されていた。
「明倫小学校跡地」から約200m進んだ箇所、「夕陽の丘」(標高260m)。ゴールの熊野本宮迄は本日中到着は無理と判断。ここにある東屋を利用して6泊目に。夜露で濡れたテント等を乾かしたりしてのんびり過ごすことに
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10/28 13:32
「明倫小学校跡地」から約200m進んだ箇所、「夕陽の丘」(標高260m)。ゴールの熊野本宮迄は本日中到着は無理と判断。ここにある東屋を利用して6泊目に。夜露で濡れたテント等を乾かしたりしてのんびり過ごすことに
【7日目 (10/29) 】5:05出発。今日も快晴。今日は10数kmのアスファルト道を歩き万才峠経由して熊野本宮へ。写真は「楊枝川銅山史跡案内板」。紀和町における鉱山開発は703年ともいわれ・・、747年奈良東大寺の大仏鋳造の原料は紀州からも供給されたといわれ・・と記載。
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10/29 6:29
【7日目 (10/29) 】5:05出発。今日も快晴。今日は10数kmのアスファルト道を歩き万才峠経由して熊野本宮へ。写真は「楊枝川銅山史跡案内板」。紀和町における鉱山開発は703年ともいわれ・・、747年奈良東大寺の大仏鋳造の原料は紀州からも供給されたといわれ・・と記載。
万丈峠への登り途中に「リンドウ」の群生地がありました。
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10/29 8:57
万丈峠への登り途中に「リンドウ」の群生地がありました。
何の変哲もない万丈峠(415m)を経て、「中辺路分岐」の標識。これまで出会うことなかった登山客が一気に増えました。日本人と外国籍と思われる人とは半々くらいに。
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10/29 10:29
何の変哲もない万丈峠(415m)を経て、「中辺路分岐」の標識。これまで出会うことなかった登山客が一気に増えました。日本人と外国籍と思われる人とは半々くらいに。
旧社地「大斎原」の案内板。明治22年夏の大洪水による災害により遷座したとの記載。
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10/29 12:36
旧社地「大斎原」の案内板。明治22年夏の大洪水による災害により遷座したとの記載。
熊野坐旧社「大斎原」水害前の絵図
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10/29 12:38
熊野坐旧社「大斎原」水害前の絵図
巨木が林立する所に立つと、自然厳かな気分になり引き締まります。
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10/29 12:39
巨木が林立する所に立つと、自然厳かな気分になり引き締まります。
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10/29 12:42
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10/29 12:42
大鳥居
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10/29 12:44
大鳥居
熊野本宮大社。今回の山旅のゴール。これからバスを利用して「わたらせ温泉・おとなしの郷キャンプ場」へ、テント泊。温泉にて7日間の汗を落とします。帰路は明日(10/30)に。
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10/29 12:49
熊野本宮大社。今回の山旅のゴール。これからバスを利用して「わたらせ温泉・おとなしの郷キャンプ場」へ、テント泊。温泉にて7日間の汗を落とします。帰路は明日(10/30)に。
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