大日杉から飯豊山
- GPS
- 32:00
- 距離
- 22.4km
- 登り
- 2,254m
- 下り
- 2,241m
コースタイム
- 山行
- 7:10
- 休憩
- 1:35
- 合計
- 8:45
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
種蒔山の山腹から切合小屋への雪渓の横断は注意を要する。 |
写真
感想
6時20分に大日杉小屋を出発する。小屋の前の沢を渡り、登山道に入る。入口に、大日杉跡の案内板がある。古くからの飯豊山信仰の大杉で、直径が3.3メートルもある、樹齢千年の巨木だったが、明治43年に伐採されたとある。
しばらくゆるやかな登りが続くが、いきなり目の前に、鎖の垂れ下がった急坂があらわれる。懺悔坂という、岩肌の露出した急登だ。後ろから来た、夫婦連れに道を譲り、先に行ってもらう。さて、何を懺悔しながら登ろうかと、足を前に出すが、懺悔などする余裕もないほど、足元に集中しないと、登れない。
長之助清水まで急登が続く。次第に暑さがつのって来て、汗がしたたり落ちる。長之助清水は登山道から数メートル左に下ったところにあった。男女2人が水を汲んでいた。管から勢いよく水が出ていた。冷たくおいしい水だった。
長之助清水から10分ほど登ると御田という鞍部に出る。杉の巨木が立っていて、その根方に古い小さな石塔があり、「御田五社権現」と彫られている。
しばらく登ると、新発田から来たという男性に追いついた。ヘルメットとピッケルをザックの背に着けている。今日は本山に登るための下見に来たそうで、雪渓を登るのに、アイゼンも持ってきたという。今回は切合小屋で泊まって、明日下山するそうだ。話好きの人で、しばらく、おしゃべりしながら登ったが、そのうち離れていってしまった。
ここからは、急登と緩登を繰り返しながら、1539mの地蔵岳にたどり着く。地蔵岳の直下では、ヒメサユリが清楚な花びらを、まるでお辞儀でもするように、出迎えてくれた。
山頂脇の、やや小高くなった展望台からは、今日の目的地飯豊本山が望める。本山まではまだまだ遠い。
地蔵岳から切合小屋までは、標高差にして200メートルほどであるが、距離が長い上に、アップダウンが何度かあって、楽ではない。
御坪を過ぎ、御沢分れの分岐まで来た。山形県指定文化財飯豊山の穴堰の表示の方向に道を取った。しばらく、刈り払いされた道が続いた後、道は雪渓に下りたところで、消えた。微かな足跡があったので、そこを辿るように、雪渓をしばらく登った。この谷を詰めれば、切合小屋に出るはずだが、足跡も消え、ルートも良く分からないし、傾斜もきつくなり、アイゼンがないと危なそうなので、引き返すことした。
分岐まで戻り、種蒔山・切合小屋の表示の方向に進む。ここで、30分ほどロスしてしまった。
種蒔山の中腹から、2か所雪渓を横切る。最初の雪渓は、傾斜も緩く、容易に渡ることができた。しかし、2か所目は、傾斜が急で、前方に大きな雪の割れ目があるため、真っ直ぐ横切るのは怖い。足跡に沿って、上部を大きく迂回するように、横断した。足を滑らすと、かなり下まで持っていかれそうなので、緊張を要した。
そこを通過するとすぐ、切合小屋となる。前方に、飯豊本山が、左手には、大日岳が大きく姿をあらわした。この光景を前にすると、飯豊に帰って来たという実感がわいてくる。
切合小屋で、今晩と明日朝の分の水をたっぷり補給する。途中で出会った人に、本山小屋の水場は雪に埋もれて使えないので、切合小屋で汲んでいった方がいいといわれたためだ。小屋脇で、昼食を食べ、水の補給で3キロ以上重さが増したザックを背に、草履塚への登りに掛かる。
草履塚までの道は、ほぼ完全に雪に埋まっていた。雪渓の登りは、滑りやすく、歩きにくい面もあるが、冷たい風が渡って来て、爽やかで涼しい。
草履塚を越え、姥権現までやってくると、姥の姿をした石仏が迎えてくれる。草履塚から見下ろすと、登山者が休んでいるように見えるのだが、近づくと石仏なのだ。今日は、白い前垂れをしている。前に来た時は、赤い前垂れだった。
顔の表情は、長い年月によって、風化してしまっている。微笑んでいるのか、怒っているのか、喜んでいるのか、悲しんでいるのか。じっと見ていると、何か語り掛けてくるようだ。「また来たよ」と心の中でつぶやく。その頭越しに飯豊山が大きくそびえている。
御秘所の岩場に掛かる。手にストックを持って登ったのと、久しぶりの岩場なので、越えるのにひどく苦労する。ストックはザックに収納して登るべきだった。
難所を何とか越え、御前坂までやって来た。最後の急登だ。ここを登り切れば、本山小屋はすぐ近い。電光型に切られた道を、一歩一歩登る。ここまで7時間歩いて来た足にはこたえる登りだ。しかし、道の傍らに咲く、イワギキョウの紫の群れが、まるでおいでおいでをするように、上へ上へと導いてくれる。
頭上に大きな岩の塊が、近づいてくると、登りもすぐ終わりになる。登り切ると、目の前に大きく本山小屋が、見えた。
小屋の中と外には数人の登山者がいた。とりあえず、小屋に入り、片隅に席を確保し、しばらく休んでから、本山に向かった。
2年ぶりに飯豊本山に立つ。青空の下、大日岳から北股岳、杁差岳までの飯豊連峰の全貌が視界の中に、くっきりと捉えることができる。午後のこの時間に、飯豊本山から、これだけの展望を得ることができたのは、初めてかもしれない。
山頂には2人の登山者がいて、若い方の人は、切合のあたりから、前後して登っていた人、もう一人の中年男性は、ダイグラ尾根を登って来て、御西小屋に泊まるそうだ。 この暑さの中、ダイグラ尾根の登りは、大変だったろうと思う。
この日の小屋は、20人ほどの宿泊者がいて、きつきつの状態ではないが、それなりに混雑していた。
食後に、小屋の外に出ると、夕焼けが素晴らしい。遠く日本海の夕日が、あかあかと沈んでいくのを、見守る。じっと見守る。
峰々も、そこに抱かれた雪渓も、淡く茜に染まり、やがて、葡萄色に沈潜し、連峰は静かに眠りについていく。思わず手を合わせたくなるような、敬虔な気持ちに誘われる。一日の終わりが、これほど美しいとは、地上では決して味わうことができない…。
翌朝は、4時に起きて、小屋の外に出る。今日も朝から、素晴らしい天気だ。雲海の中に、朝日連峰、月山、遠くかすかに鳥海山、さらには、吾妻連峰、安達太良山、磐梯山、燧山、男体山までが姿を現している。
御来光を見届けた後、食事を済ませ、下山に掛かる。朝焼けに染まる、連峰の厳かな姿を、振り返り振り返り、下る。御前坂の山腹を彩る、イワギキョウが朝日を浴びて、不思議な色に染まっている。
御秘所を越え、姥権現に、「また来るよ」と声を掛ける。表情は相変わらず読み取れないが、この山の長い信仰を体現しているようなその姿に、思わず手を合わせる。
切合小屋で小休止する。小屋番の人に、昨夜の宿泊人数を尋ねると、超満員だったそうだ。
小屋直下の雪渓の横断が少し厄介だった。登りより、下りの方が緊張を要する。雪が割と堅く締っていて、滑りやすいので、一歩一歩、慎重に足を運ぶ。そのため、たかだか3、40メートルの間を横断するのに、かなりの時間が掛かった。無事渡り切ったところで、ほっと緊張がほぐれる。
ここから、地蔵岳までが実に長く感じた。眺めた感じでも、地蔵岳は遥か遠くにあり、しかも、登っては下り、下っては登るを繰り返す。暑さも募って来て、体力と精神力を奪っていく。登るときより辛く感じた。
途中、日帰りの登山者と、テン泊の人と、数人に出会った。ほとんどが、こちらより年齢の若い人達だった。疲れていたせいか、目洗い清水は分からずに通り過ぎ、地蔵岳までやって来ていた。
地蔵岳で、愛知から来たという40代位の男性に会った。今日は、切合でテント泊をして、本山をピストンする予定であるという。せっかくはるばる遠くから登りに来たのだから、飯豊の素晴らしい景観を存分に楽しんできてほしいと思った。
地蔵岳からの、急な下りに苦しみ、泣きが入りながらも、なんとか正午までに大日杉にたどり着いた。
2年前の飯豊はずっと雨にたたられた。しかし、今回は2日間とも好天に恵まれ、飯豊の素晴らしい景観を堪能できた。やはり、山は飯豊が一番と改めて感じた。下山後、あの苦しさを忘れ、またすぐ登りに行きたくなった。
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