《伊那山地》豊丘村佐原【鬼面山】上村+断層+程野城攻め
- GPS
- 11:03
- 距離
- 22.8km
- 登り
- 1,792m
- 下り
- 1,731m
コースタイム
- 山行
- 8:19
- 休憩
- 0:44
- 合計
- 9:03
- 山行
- 3:16
- 休憩
- 0:06
- 合計
- 3:22
●バス待ちの2時間で、中央構造線断層露頭と程野城をまわる
天候 | 晴れ&高曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2024年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
7:09駒場(バス)徒歩約 6 分 7:35こまんば バスW0-1 駒場線飯田高校前行き 7:58飯田駅前 徒歩約 1 分、63 m 400圓 ■飯田 2番線発 飯田線(岡谷行) 8:17 - 8:38 210円 ■市田駅 (徒歩6分) ■田村バス停8:58 -9:18■上佐原 佐原線(豊丘村村営バス 土日運休)100圓 https://www.vill.nagano-toyooka.lg.jp/06bousai/04soneibus/2020.7jikokuhyou.pdf 計2,910円 |
写真
装備
個人装備 |
地下足袋+脚絆
焚き火セット
ノコギリ
弁当
水筒
軍手
ラテルネ
地図磁石
防寒具
雨具
寝袋カバー
マット
|
---|---|
共同装備 |
ツエルト
鍋
|
感想
南アルプス西列、伊那山脈の鬼面山。信州百名山に呼ばれた。でも最短登山道からの山頂だけがほしいわけじゃない。この山の裾野の満蒙開拓引き揚げ者の歴史や中央構造線の地質、すべてを含めて歩き倒したい。
松本から飯田へは、朝最早なら名古屋行き高速バスだ。なぜか飯田ではなく阿智村の駒場だけで停まる。そこから女子高生だらけの通学バスで飯田駅、また女子高生だらけの通勤電車で市田駅へ。天竜川を渡って豊丘村のコミュバスを待つ。終点の上佐原集落から峠越えで入山。
坂島への峠道には良いお地蔵さんが多数あり。道もよく保存されていて感じが良い。
坂島集落はリニアの工事基地のようになっていて住民はもういないのだろう。峠道から高いアラーム音や低温の破壊崩落音が喧しい。樹林の奥の盆地中央には行かなかった。少し前、工事現場の安全管理視察の取材で行ったことがある。
坂島から野田平への山腹の道も来てよかったところ。コーナーにはお地蔵さんがおり、人は歩いていないだろうに廃れていない佇まいだ。家があったあたりに古いトラックがある。おそらく1960年代のものだ。戦後開拓に入り、ようやく自動車が入れる道が整備され、苦難が報われたと思ったら、子どもたちは街へ出ていってしまった。
以前、満蒙開拓団の戦後を追ったインタビューで、この近くに入植したおばあさんと、廃屋を訪ね、お墓参りに来たことがある。マサゴ土の傾斜地をならして家を建て、畑を作り、外地で失くした子どもの骨も収めたお墓だ。全部森に帰っていた。鬼面山に登るなら、そんな山間集落跡をたどりたいと思っていたのだ。
地獄谷の入口にも廃屋跡があって、よい佇まいだった。希望に燃えて入植したのだろうな。草地と花。地獄谷は中生代の花崗岩でナメが多い。この峠越えで、登山口のある林道にまっすぐつながる。
登山道は樹齢300年の栃の木。その後、標高差600mはよく整備されている。階段のように整備された急登を順調に登る。途中5人組とすれ違う。山頂は展望のためか大規模にシラビソが伐倒されていた。1970年の記録(信州百名山)では展望なしだったそう。伐倒から時が経っているのか、その周りの木々が伸びて今はかろうじて見える感じだ。飯田の街が見渡せた。地蔵峠への道はやはり整備この上なく、地蔵峠へ。
ここから下る上村川の他には国道152号とは名ばかりで、踏み跡さえ途切れがちな獣道だ。てっきり林道かなにかかと思っていた。上村からの飯田行きバスは間に合わないので、河原のほとりで泊まる。薪はあまり燃えないやつで、扇ぎ続けるのに疲れて、8時ころにはツエルトに入った。納豆ラーメン豆板醤入りは温まった。
4時に起きてまた納豆ラーメン豆板醤入りを食べて下る。武田信玄軍も通った道だ。足で歩くなら何の不足もない行程だ。自動車道路はかなり上を切り崩しているようだ。河原に自動車道を作っても大雨が来たら全部流される。多分ここに国道を作るのは諦めたのだろう。国道標識をパロった手製標識が粋にかけてある。踏み跡さえ不明瞭なのに。途中大崩落支流を超えるところでピンクテープが結構な巻道を誘う。途中鹿の鳴き声が盛んだと思ったら、生まれたてホヤホヤの子鹿が茂みから飛び出して逃げていった。親鹿が私を警戒して鳴き続けていたのだろう。
ほどなく車道の終点、穴だらけがけ崩れだらけのみちを下ってバス停まで。2時間の待ち時間を使って、片道30分にある中央構造線断層の程野露頭を見に行く。丁寧な案内板があり、直に見学する。しかし、これは地形図を見て山を歩いた者には面白いが、車で来て、山の名前も岩石の名前も知らない人には全く面白くはないだろうな。
帰り道には程野城址に登ってバス停に戻る。この城址の小山も、断層のズレで尾根から切り離された地形なのだと看板を見て知る。城址は、地蔵峠を越えて来た軍勢が丸見えの位置だ。さぞや睨みを利かせたものだろう。土塁と郭を確認する。
コミュバスの運転手も、乗ってきた女性も、電力施設入口であった人も、「クマ怖いですよね、気を付けてくださいね」と屈託なくいう。見たこともないからコロナみたいに怖いのだな。TVでは悪いクマのニュースばかりするが、私が会ったクマはみな良いクマだけだった。毎日近くにいて働いていても、車に乗って、山の名前さえも知らず、歴史も知らず、中央構造線も知らず無邪気に過ごしている。
日に三本のありがたいバスは伊那山脈をぶち抜く矢筈トンネルを抜け、1時間700圓で飯田駅まで運んでくれた。電車発射までの1時間、駅前の新京食堂でカツ丼。10時半開店の1分前に到着する最高のタイミング。次々に客が来た。この開店時間でなぜこんなにお客が?良い店とは知っているが。「新京亭」の名は、無論先代がこの地域に多い満洲引き揚げ者なのだろう。
飯田線で久しぶりに特急フリーで松本へ。1980圓で3時間半。ヒマって素敵だ。また女子高生がたくさん載ってきた。きょうは半日授業なのか。JR東海の広報は大嫌いだけど飯田線の乗務員は大好きだ。無人駅だらけなので停車のたびに駆け足で切符あらために行く。走ってばかりだ。いつまでも走らせてほしい。
鬼面山の登山ルートより、その前後の印象がすごく強かった。でも鬼面山という名山だったからこの山行を企画した。日の当たる伊那山脈と入道雲を眺めながらまどろんだりして岡谷、松本へ。
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