奥多摩 七つ石山・雲取山
- GPS
- 25:07
- 距離
- 23.2km
- 登り
- 1,780m
- 下り
- 1,778m
天候 | 一日目 夕方より雨 二日目 晴天 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2009年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
鴨沢バス停までバス |
写真
感想
七ツ石山・雲取山登頂記 2009年10月17日〜18日
2009年10月18日、かねてより登る気で満々だった雲取山に登頂できた。以下はその登頂記。
17日、13時50分、奥多摩駅に到着した。
出だしがこんなに遅いのは、午前中にアパート統一での地デジの工事が入ってしまい、家を開けられなかったからだ。工事が終わるないなや、10時40分の電車に飛び乗り、奥多摩に向かった。
彼女には、「遅いんじゃない、来週にすれば?」とも言われた。
それもわかる。だが、いっつもそんなこんなで山行日程を延期してばかりだったので、「とにかく、行ってしまおう」と、出かけてしまったのである。
この日の予定は、
鴨沢〜堂所〜七ツ石小屋テント泊
コースを紹介してくれた『奥多摩・高尾を歩く』という本では、2時間35分のコースになっている。この時間なら午後の出発でも、まぁなんとかたどりつけるだろうという感じである。夜は七ツ石小屋のテン場にテントを張らせてもらい、翌朝に雲取山にアタックしよう・・・・という計画だった。
14時20分の「西鴨沢行き」のバスに乗る。
14時50分、鴨沢着。
自分のほか、同じようなバックパックを背負った一組の男女も下車。ここから登るなら、時間的に目的地も同じのようだ。
自分はストックを出し、プラティバスのビニール水筒をハイドレーションシステムにつないだ。
ハイドレーションシステム。
ようは袋状水筒にゴムチューブをつなげたもので、チューブの先端をくわえて吸えば、歩きながら水が飲めるという代物だ。プラティバスは、プラスチック製袋状水筒の商品名。
チューブを加えて吸い込むと、勢い良く冷たい水が口に飛び込んできた。プラティパスは、昨夜冷凍庫で凍らしておいたのだ。
準備完了。
登山口に向かった。
「雲取山方面 5時間」と書かれた、小さい木の看板がある。自分は七ツ石小屋までなので、かかっても三時間。
最初は民家の中を舗装された道路を進む。百メートルほど進み、折り返してまた登る。
ふうふう。息が上がる。というか、息が切れる。
いつもこんなだったっけ?
ふだんより、はるかに苦しい。もしかして、太ったか? 息を切らせながら、登る。
民家が途切れるころ、舗装は終わり、林に続く山道になる。
そこでちょっと一休み。バックパックのベルトを調整してみる。どうも息が苦しい。太ったのかもしれない。行動食を入れているウエストバックを外してみた。とたんに楽になった。やっぱり太ったのだろうか。
男女のペアが上がってきた。
こんにちは、と挨拶する。
「どちらまで行かれるのですか?」と、男性が聞いてきた。
ちょうど苦しい呼吸を何とかしようとベルトと格闘中だったので、とっさに地名を度忘れした
「ええっと、どこでしたっけ、なんとか小屋の・・・」と醜態をさらす。
時間的に、同じコースだと思ったのだろう。
「七ツ石(小屋)ですか」と、男性。
「そう、それです」
やはり、一緒のコースらしい表情をした。
小休止を終え、しばらく歩くと、舗装された林道と交わるところに出た。
「雲取山」と書かれた矢印の方向を目指し、道を進む。
やがて、道の左側、崖にそって上へ上がる道が見えてきた。「七ツ石山・雲取山」の看板もあり、「熊に注意!」とも書かれている。ここからようやく登山道のようだ。上がっていく。
杉林の中を、あまり斜度の無い楽な道が続く。
林業のお仕事なのか、豪快に倒された杉が斜面にそって不規則に大量に倒れている。中には道をまたいだものもある。
15時50分頃、歩き始めてちょうど一時間くらいたったころ、道の右側の斜面に立つ廃屋が見えてきた。二万五千分の一の地図にも一箇所建物のマークがあるが、これだろうか。見る限り、全て木造。使われなくなって、10年以上は確実に過ぎている。非日常的な不気味さが漂っている。
とりあえず、写真を撮っておく。
道は急ではない。
だが、このあたりから、小雨がちらついてきた。
パラパラと葉にあたる雨が意外に大きな音を立てるが、雨自体はたいしたことはない。
天気予報では、朝の予報では一日中0%だった。昼に再度確認したとき、三時から六時に30%という予報に変わっていた。
その雨が予報どうりに来たという感じだった。
雨は強くはならないが、やみそうな気配も無かった。しばらくそのまま歩いたが、体力を奪われるのは良くないと、上だけレインウェアを着ることにした。レインウェアを着てフードをかぶると、頭に雨が当たらなくなることが、意外なほど快適だった。ただ、周りの音が聞きづらくなった。
何度か下山者とすれ違った。
四時半を過ぎ、ずいぶん暗くなってきた。まだ道が見えないほどではない。足元も見える。
まだ大丈夫、本当に暗くなってしまう前に、目的地に着けるはず。そう思いながら歩き続けたが、木陰が濃いところは地形が見ずらくなってきた。
何人目かの下山者がヘッドライトをつけているのを見て、自分もヘッドライトをつけることにした。ついでに、バックパックにレインカバーもつけた。
5時。
すれ違う女性二人もヘッドライトをつけている。
「こんな時間にこれからどこまでいくんですか?」
雨天ということもあってだろう、心配した口調で一人の女性が聞いてきた。
「七ツ石小屋にテントを張って泊まるんです」
「ああ、あの避難小屋の・・・。気をつけてください」
やがて、すっかり真っ暗になった。
小雨はあいかわらず降り続いている。そのせいで、ライトの光がもやって見える。
だが、もうライト無しでは真っ暗闇で、何も見えない状態だ。
もうあと少しで着くのだ。もともと、ガイドブックの行程では二時間半の距離だ。もう少しだ。
だが、標識も何も出てこない。二万五千分の地図はずっともっている。尾根に出たり、道が尾根を左に巻くのか右に巻くのかするたびに、地図で場所を確認する。尾根に出たあたり、地図上では七ツ石小屋まで直線距離で1キロほど。あともう少しだ。あと、もう少しだ。
雨は降り続いているが、レインウェアを早々に着ていたので寒くは無い。
ただ、暗い。ライトの明かりは、足元しか見えない。七ツ石小屋まではずっと一本道で、最後に二股の分かれ道があり、右に行けばいいことがわかっている。
数十メートル進むたびに地図を見、場所を同定し、また進む、これの繰り返し。ただ、場所の同定など、確実にできているわけではない。なにしろ真っ暗なのだから。気休めにしかならない。
こんな情況なら、小屋にたどり着けるのは、五時半か、六時か。
小屋の親父に怒鳴りつけられるかも知れないと思った。こんな真っ暗な状態でほとんど手探り状態での登山など、危険極まりない。計画が間違っている、山を甘く見るな、そう叱責されるような気がした。
途中でバックパックの中の携帯電話が、着信を知らせて何度か振動したことも、気になっていた。今日バイトで来れなかった彼女からだと確信した。雨が降っていたし、行程を急ぐあまり、その場では出なかった。小屋についてから乾いた場所で改めて出るつもりだったのだ。が、すでに予定よりも到着が遅れている。彼女が心配していないか。心配した彼女が、家に置いておいた登山計画書に書いてある山小屋の電話番号に電話したりしていないか。電話を受けた山小屋の主人が、「まだついていない」ということで、慌てて大騒ぎになっていないか。
そういえば、先に行った男女は、もうついているかもしれない。その男女が山小屋の主人に、「自分たちのあとにもう一人登ってくる人がいる」ということを話しているかもしれない。それを聞いて山小屋の主人は・・・・・・・。
そんなことが次々と頭を駆け巡った。そんなことを思えばこそ、「へたにビバークなんかできない。絶対に山小屋にたどり着かなければならない」と、気を焦らせた。動けるところでは一歩一歩が大またになり、また息が切れ始めた。
少し靴先が濡れてきたのだろうか。つま先が冷えてきた。
からだは寒くは無い。だが、疲れてきていた。転びはしなかったが、何度も足を滑らせた。
ここで足をくじいたらまずい、と思った。が、焦る気持ちは身体を急かした。
荒く息を吐きながら、「まずい、まずい、たいへんだ、たいへんだ」と、弱気がもれた。
地図上では、標高1416メートル。
おそらくそこだろうと思える地点に着いた。
ここからなら、山小屋までだいたい500メートル。
もう少しだ。あとすこしだ。
一休みしたい。だが、今バックパックを下ろす気にはなれない。下ろしたら、次持ち上げる自信が無いからだ。ふと、さっきから腰に何かが当たっていた。触ってみると、バックパックにかけているレインカバーの下部分に、何かが落ちて引っかかっていた。手探りで取り出してみると、登山口近くで外したウエストポーチに入れていた飴を入れた袋だった。
まったくの偶然だが、天の助けだった。レインカバーをつける時に、雨蓋に入れていたその飴の袋が落ちたのだろう。幸運にもそれは落ちきらず、レインカバーの底に入って引っかかっていたのだ。疲れてしまって今バックパックを下ろせない自分には、二重の意味で幸運だった。
飴玉を二つ、口に入れる。その袋にはほかに固形蜂蜜も入っていたが、手の指に力が入らなくて開けることができず、固形蜂蜜を食べることは断念した。
それでも、一息つけた。水を飲む。暖かい飲み物が飲みたい。着いたら飲もう。
また歩き始めた。稜線上に進み、尾根を左に巻く道。
あと少しで道が左右に分かれるはず。そうしたら、右に行けばいい。山小屋があるはず。
地図上では1・5センチほど。370メートルほどか。が、このあたりが非常に辛かった。
それまでわりと平坦で楽な上り坂だったのが、木の根が多く小刻みなアップダウンが繰り返す歩きにくい上り坂に変わったのだ。そして、何より、暗く、雨が降っていた。
地図上での短い道が、非常に長く感じられた。
歩いても歩いても分岐点にたどり着かない。
疲労は極度に達していた。早くたどり着かなければならないという焦りが、余計に疲労を増していた。小屋に着いたら、なんとかお願いして小屋に泊まらせてもらおう、そう考えて始めていた。こんなに疲れて、ツェルトを張って寝るなんて、もう無理だ。
一度、少し広い道のふくらみに出た。
ここかもしれない。ここが分岐点かもしれない。必死で標識を探した。が、それらしきものは無い。いや、見えない。小雨が、霧雨のようになっている。ライトが周りの靄に乱反射して白く光り、よく見えない。いや、もしかしたら、自分がメガネをかけていることも関係しているのかもしれない。とにかく、地形が良く見えなかった。
正面左に道があるのはわかった。ならばふくらみの右側に道があるかもしれない。近づき、ライトで照らして捜した。が、見つからない。少し急な崖になっているが、道には見えない。
何より、標識が無い。もし道が分かれているのならば、必ず標識があるはず。ならば分岐点はここではないのだ。
一本しかない道を進んだ。
ただ、歩いた感じとしては、そろそろ分かれ道が出てくるはずなのだ。距離的には200メートルかそこらのはず。
だが、歩いても歩いても分かれ道は出てこなかった。次第にさっきのふくらみの場所が、やはり分岐点だったのではと思えてならなくなってきた。道が見つからなかったのも、標識が見当たらなかったのも、視界が不明瞭だったためで、もう少し良く捜せば見つかったのではなかったかと、思えてならなくなってきた。
地図を確認する。
もし、分岐点を行過ぎているのだとすれば、今進んでいる道は山小屋へ行くには遠回りになる。
だが、その確証も無かった。もう少し進めば、分かれ道が見えてくることもありえた。もしこの道が正しいのなら、戻ってさっきのふくらみを確かめることは意味が無い。たとえ間違っていたとしても、遠回りにはなるが、山小屋への道にはつける。
そこまで考え、やはりそのまま前進を続けた。続けるしかなかった。
周りのものの見え方が先ほどと少し変わってきた。暗闇がより深くなったために、ヘッドライトの光がかえってよく物を照らしてくれるように感じた。暗闇に目が慣れたこともあったかもしれない。足先が少し痛く感じるようになってきた。すこしきつい傾斜がずいぶん続く。その傾斜を登りきったあたりで、奥に白く標識らしきものが浮かび上がってきた。ハッとした。今までも闇の中に何度も白い四角いものを見かけた。が、喜んで近づくと、それは木造の鳥の巣だったりしていたのだ。が、今度は、形状からして標識そのものだった。
標識は三方を指していた。
一方は「雲取山」。
一方は「鴨沢バス停 110分」、今来た方向だ。
そして、一方は「七ツ石小屋 雲取山」。
道は二つに分かれていた。
ようやく分岐点に着いたのだ。
ここを、おそらく地図上で二つ目の分岐点についたのだと思った。これを「七ツ石小屋」のほうに行けば、遠回りではあるが七ツ石小屋に着くのだ。おそらく750メートルほどだ。地図では道は、二回大きな曲がり角があり、そのあとでまた二方向に道が分かれている。右に折れると百メートルほどで七ツ石小屋だ。
疲労は極度に来ていた。
だが、「あと、もうすこしだ!」
体力は戻らなかったが、気力が戻った。
地図では三センチほど。
最初の一センチのあと道は左に折れる。
一歩一歩歩く。確かに百メートル歩くか歩かないかで、道は左に折れた。
やった! 地図どおりだ!
次は、地図ではまた一センチのあとに道は右に折れている。
一歩一歩歩く。もうすこしだ、もうすこしだ、あとすうひゃくめーとるだ、とか思う。
「!?」
地図と違っていた。
道は勢いよく左に折れていた。
道の奥を見通し、確かめたが、確かに左に折れている。右ではない。
身体中から力が抜け、軽いパニックになった。
地図と違う! じゃあ、ここはどこなんだ!?
迷った!
ここで迷ってしまったのだとしたら、今の体力ではとてもではないが挽回できなかった。
そのまま座り込みそうになった。絶望が頭をよぎる。もうここでビバークするしかない・・・。
だが、思い直した。
地図の見方は間違っていたが、さっき標識がこちらを指していたのは間違いじゃない。
標識からここに来るまでの間に別な分かれ道があったかどうか、考えてみた。いや、ないと結論した。
また考え直した。もしかしたら、自分が知らずに通り過ぎてしまったと考えていた最初の分岐点が、実はさっきの分岐点なのではないだろうか。さっきの分岐点は、地図上の二番目の分岐点ではなく、地図上の最初の分岐点だったのではないだろうか、と。
歩いた距離感覚と地図上での距離にずいぶん差があったが、「標識を右に行き、左におれ、さらに左に折れる」というのは、地図上の最初の分岐点を右に進んだものだった。
そうして、その感覚でもう一度地図を見ると、地図上では今の坂を上ったところに七ツ石小屋があることを示していた。
坂を上り、顔を上げた。ライトに反射して、暗闇の中に小さな建物上の壁が見えてきた。そして、看板も!
『七ツ石小屋』
ああ、ようやくついた、やっとついた。
どっと力が抜けた。
が、喜びもつかの間、建物に明かりがついていないことに気付いた。
入口に回る。
引き戸を開けようとするが、開かない。手元に、「こちらは開きません」というようなことが書いてある。ガラス戸から中が覗けるが、暗くて見えない。誰もいないのだろうか。
明かりが煌々とつき、ストーブが暖かく燃え、寡黙だが心優しい管理人の親父と何人もの登山仲間が談笑している・・・・そんな夢のような山小屋を想像していた。頼んで今夜一晩小屋で寝させてもらおうと思っていた。が、誰もいないみたいなのだ。
ここまできて、夢破れた気がした。
と、光が目に入り、眩しく感じた。
気付かなかったが、中に人がいて、その人がヘッドライトをつけて、こちらを見たのだ。
人だ、人がいる!
慌ててもう一つの開くほうの引き戸を開けて、中に入った。
「こんにちは!」
(たすけてください!)みたいな気持ちで出た「こんにちは」だった。
相手は若い女性だった。
「こんにちは。なんか、誰もいないみたいなんですよ」
どうやら女性もついたばかりだったのか、戸惑ったようなか細い声で言った。
せっかく山小屋が見つかって、なんとか入ることができたのに、なんか、バツが悪くて困った。
女性も、誰もいない山小屋に一人でいたら、男が入ってきて困っちゃってるだろう。
「あ、じゃあ僕テントなんで・・・・」とか言ってすぐ外に出てあげたかった。ていうか、出たかった。
それでも、もう疲れに疲れていたので、休まない訳にはいかなかった。
「すいません、ちょっとだけ、休ませてもらっていいですか?」
「はい・・・」
狭い三畳ほどの土間に、奥に一つ左側に一つ木製のベンチがあり、土間の真ん中に古びた小さい巻きストーブがあった。
女性は奥のベンチに座っている。僕は左のベンチに、先ずバックパックを下ろし、座り込んだ。
ふーーーーーっとため息が漏れた。
ようやく腰を下ろすことができた。とたんに、ブルッと寒気が来た。
ザックを開けてフリースを出し、レインウェアの下に着た。その後で、飴を二個口に入れた。しかしなんとなくそれだけでは足りない気がし、先ほど包装のプラスチックを剥けなかった固形蜂蜜をもう一度取り出し、落ち着いて剥き、口に入れた。
飴と蜂蜜と何がどう違うのかわからないが、飴とは明らかに異なる濃厚な香りと甘みが口の中一杯に広がり、ほとんど本能的な喜びが全身に拡がり背筋に震えが走った。ここで本当に人心地がついた気がした。続いて温かい飲み物を口にしたかったが、主人のいない小屋の中に許可も取らずにいることに罪悪感を感じ、すぐ横にいる女性に遠慮もし、我慢することにした。
それでも、蜂蜜と飴の糖分を口いっぱいに感じながら、久しぶりに身体を休めることに堪能した。身体を休めることに集中したといってもいい。真っ暗な小屋の中ですぐそばに見知らぬ若い女性がいることも一切気にならず、しばしぼーっとすることに集中した。
そうしていて5分もたたないうちに、足音が聞こえてきた。目を開けると、入口のガラスにライトの光が反射して光っている。管理者の人が来たのかもしれないと思った。
引き戸をガタガタ開けて入ってきたのは、一人の男性だった。
「こんにちは」とこちらから声をかける。
「あ、こんにちは」と男性。
ヘッドライトの光で、相手が登山口で出合ったカップルのうちの男性であることがわかった。
疲れ切っていたせいで今まで考えもしなかったが、小屋の中で休んでいた女性も、カップルの女性だとこの時初めて気付いた。
「誰もいないみたいなんですよね」と、男性。
「週末と祝日は人がいるってガイドブックで読んだんですけどね」と、僕。
「もしかしたら、予約をしないと、管理者の人は上がってこないのかもしれませんね」
「なるほどですね」
「テント張るところはあるんですか?」
「風が強いけど、裏にありますよ。水くみ場もそこです。眺めはいいけど、場所は狭いです。二張りぐらいしか張れそうに無いですよ」
「そうですか」
そのあとカップルはカップル同士の話に入っていった。
遠慮はしたかったが、疲れているのでそのまま休み続けさせてもらった。
登ってる途中は、小屋に泊まらせてもらおうと思っていたが、想像していたものとは情況がまったく異なっていたので、一休みした後テント場に行くことに決めた。管理人がいない以上、無断で泊まる気にはなれなかったのだ。想像していたことは、明かりのついた暖かい小屋に管理人がいて、温かいうどんや甘酒など簡単な食事も出してもらえるような、そういう情況だ。前に行った尾瀬がそういうところだったので、無意識にそういうイメージを引きずってしまっていたようだ。よく言う、山小屋はホテルじゃないという当たり前のことを、ようやく体験として理解できたことは、良かったと思う。
10分ほども休み、ようやく少し動く元気がでてきた。
ツェルトと杖二本を取り出し、テン場に向かうことにした。
暗かったが、小屋を過ぎた奥に少し開けた場所があり、そこにテントを張ってよいようだった。
自炊する人が使うための流しや鍋窯まな板の類があり、その奥に薪が大量に積んであった。
右は下に下る崖で、左は上に上がる崖。奥にはトイレらしき小さな建物。その間の挟まれた数メートル四方の面積が、テン場のようだった。ギリギリつめればテント四つ、普通に張るならテント二つぐらいが限界の小さいスペースだ。
雨はまだぱらついていたが、男一人だ、文句いうやつもいないと、ツェルトを広げ始めた。
二本のストックをポール代わりにし、ペグで止めた紐で引っ張って支える。
思った以上に手が冷えていて、紐をよく結べない。それでも15分ほどでなんとかできた。
最後にエアマットを膨らませて中に敷いた。これで今夜の寝床ができた。
先ずザックを、ポールにぶつけないように慎重に中に入れ、ポールやツェルトの布に無理なテンションをかけないように注意しながら、自分もツェルトの中にもぐりこんだ。張り方にもよると思うが、ツェルトは入口の真ん中にポールが立っているため、どうしても中に入るのに難渋する。
水筒を取り出し、水をコッヘルに入れ、ガスに火をつけた。狭いツェルトの中が一瞬で温かくなった。お湯が沸くと、リプトンのティーバッグとスティックシュガーを三本投入。
カップに入れて飲む。ようやく、身体が温まるのを感じる。
もう一度鍋に湯を沸かし、マジックライスの海老ピラフにお湯を入れる。少し混ぜてからジップロックを閉じ、保温と暖房のために服の下に入れる。
昨日炒めて冷凍しておいた野菜と、味噌を塗って味をつけておいた豚肉を取り出し、鍋に投入、少し炒めた後水を入れて煮、しばらく後カレールゥを投入。カレーの完成である。
スキットを取り出し、先ほどの紅茶にウイスキーを注ぐ。
ホットウイスキーをやりながら、カレーの肉にかぶりつく。うまい。味噌でもんで味をつけた豚肉・牛肉をよく持ってくるが、食べると不思議と味噌の味はしない。味噌の濃い味はしないのだが、確実に旨味成分が肉にしみこんでいるようで、非常にいい味がするのだ。もちろん、味噌で揉むそもそもの目的は保存である。
ふところからいい感じになったピラフも取り出し、食べる。これもうまい。最近の山食はうまいとよく聞くが、たしかにうまいと思う。あまりまずいのにはあたったことが無い。
ピラフにカレーをかけ、食べる。当然、これもうまい。
ウイスキーも温かい紅茶でわると、がぶがぶ飲める。
カレーは、三分の二ほどを食べ、残りを明日の朝に。
食べ終わり、トイレと水くみに外に出ると、雨はいつの間にかやんでいて、空は晴れ渡り、満天の星空になっていた。すごい、こんな星空は本当に久しぶりだ。何年ぶりだろうか。
でも、風は相変わらず強かった。
もどってまたホットウイスキーをやりながら、(この)日記を書き始める。
ツェルトは、やはり結露がすごい。先ほど中で煮炊きをしたからだろうか。
それでも、男一人なら問題とも感じなかった。
テントのようにきちんと閉鎖された空間ではなく、底や入口下の部分が開いているので、さっきから小さいバッタやクモなどが出入りするのを見かける。それでも寒いせいだろう、蚊はいない。
先ほど水くみのときに小屋の前にある温度計を確認したが、6:30の時点で摂氏5度だった。
携帯はau、ソフトバンクともに圏外になっている。
いつまでもガサガサやっていると隣のテントのカップルに悪いのでそろそろ寝ることにし、消灯にした。
10月18日
翌朝はゆっくりするつもりだったが、5時過ぎには起きだしてしまった。
音がしなかったので気付かなかったが、カップルも既に起き出しており、日の出を見つめていた。
「おはようございます」と、挨拶。
遠くに、うっすらと富士山が見えた。あまりにきれいで、何度も写真を撮った。
昨日のカレーを、どうかして食べた。どうやって食べたか忘れた。
そうするとすることもなくなり、片づけをしているうちに、いつの間にかツェルトまでたたんで、全部ザックにしまってしまった。もっとゆっくりしておけばよかったのに。
隣でもテントはたたみ終わったところだが、朝食はこれからのようだった。
時間にして、7時ちょうど。
人の朝飯を見ているのもなんなので、キリがいいので、もう出発することにした。
小屋を過ぎ、急坂を登る。また息が切れる。昨日と同じだ。登り始めは息が切れるのか?それとも急坂だからか?
それでも自分に急坂と思えるその坂はそう長く続かず、すぐに尾根に到達した。
その尾根が見事だった。『石尾根縦走路』と標識が立っている。鷹巣山から七つ石山まで続く尾根に、落ち葉がまるでじゅうたんのように降り積もって、幅広い廊下のような印象だ。
斜度は気になるほどもなく、気持ちよく歩ける。
見上げると、天気は非常に良い。紅葉した木々が、青空に良く映える。
坂の向こうに木々の間からやけにくっきりと青い空が見え、そこを越えると頂上だと予感する。
その最後の軽い急坂を登りきると、七つ石山の山頂だった。
ほんとに一番高いところに来たのだ。やり遂げた達成感に、全身が震える。
視界が360度に開け、四方の山が見下ろせた。そして、東の空に、ほかの山々をはるかに見下ろして、富士山の優美な姿が浮かび上がっていた。
10月18日午前7時45分 七つ石山登頂。
疲れは大して無い。
風景に心を奪われ、座り込んで感動にひたること数分、立ち上がってザックを背負った。
続いて今度は雲取山登頂を目指さなければならない。
石尾根縦走路からみて反対側の見た感じはるか向こうに、モコモコッとふくらみが見える。二つあり、手前が少し低く奥が少し高い。手前が小雲取山で奥が雲取山である。そこから今いる七つ石山までは尾根がつながっており、尾根沿いに歩いていくことでたどり着ける。
ザックを背負いなおし、歩き始めた。
頂上を過ぎると、斜度のきつい下り坂になっていた。下り坂の向こうはなだらかな尾根になっていて、その向こうから何人もの登山者がこちら側に登って来る。団体客もいるようだ。
下りるのもきつい急勾配を、彼らは登って来るのだ。
すれ違うのはおじさんおばさんが多く、同情してしまう。この時間にこっちに登って来るという事は、昨日は雲取山荘にでも泊まったのだろうか。
坂をおりきるとなだらかな尾根が続く。
多少のアップダウンはあっても、激しい急勾配はあまり無い。
それにしても、ここからみる景色は見事だ。昨日は夕方から雨だったが、今日は朝からすばらしく澄み切った青い空が一点の曇りも無くどこまでも続いている。尾根を歩きながら、左を見ると常に富士山がいた。自分にはその才は無いとして、普段は写真などはあまり撮る事はないのだが、この日ばかりはシャッターを押し続けた。
8時50分
奥多摩小屋到着。
ここも荒れた印象だ。トイレを借りる。山のトイレには珍しくチップのお金を入れるところが無い。
一休みして、また歩き始める。奥多摩小屋を出てすぐ、ぐっと坂道を登ると、小さなピークになっている。1813メートル。
すこしくだり、またきつい坂を上る。
1937メートル。小雲取山だ。
ここから、もう雲取山の頂上とそこにある避難小屋がはっきり見える。もうすぐだ。
少し下る。尾根にはどんぐりが転がっている。目的地はもう目と鼻の先だ。最後の坂を目前にする。見上げると避難小屋でラーメンをすすっている人が見える。もう、その動作がはっきり見えるくらい近い。
少しきついが、短い坂だ。それでも休み休みのぼる。休んでいる時は、カメラを取り出し富士山を撮るまねをする。ああ、富士山ありがとう。
10時 雲取避難小屋到着。
最後はわりとあっさりてっぺんに着いた。
そこは避難小屋。眺めは非常にいい。無人だが外見は非常にきれいで、その裏側が頂上になっている。
裏に回り頂上に出ると、ここが雲取山の頂上。
こちらのほうが人が多い。
10:10 雲取山山頂到着
少し写真を撮る。
皆こうふんし、団体客はにぎやかである。
10:20 出発。
ここを、登りと反対側に下りていく。結構急。
10:35 雲取山荘到着
ここが雲取山荘かと思う。
ようやく、営業しているまともそうな山小屋にたどり着いた。
小屋の前に親父らしき男性がいたので、あいさつする。
「こんにちは」
「こんにちは」
小屋の前に木製のベンチとテーブルがあったので、何気ない世間話のつもりで、
「休ませてもらっていいですか」と聞いた。
とたん、
「だめです。そこの外のベンチで休んでください」
と強烈な反撃を食らった。
予期していない反撃なので、面食らった。
別に、山小屋の中に泊まらせろとか、言っていないし、そのつもりも無かった。外のベンチに座らせてもらうつもりで、それでも、ベンチの所有者は小屋だろうから、挨拶のつもりで「休ませてもらっていいですか」と聞いたのだ。
「ダメです」といわれるとは思わなかった。もちろん、男性は、僕が小屋での休憩を要求していると思ったのだろう。それにしても、なぁ。
「だめです」って日本語、日常じゃ、客に対してあまり言わないぞ、と思う。
「買い物とかは、良いですか? 飲み物とか・・・・」
「・・・どうぞ」
これが、いわゆる偏屈な山小屋のおやじか、と思った。
それでもとりあえず、ベンチ使用の許可はもらえた(?)ので、ベンチに座った。
けっこう疲れていた。
ザックを下ろし、ベンチ前のテーブルに立てかける。
靴を脱ぎ、足を伸ばし、足指の運動をした。
そうしながら見ていると、後からきた登山客と山荘主人とのやり取りが、きわどくておかしい。
山荘の入口に近づいた登山客男性に対し、
「何か用ですか?」と、山荘主人。
戸惑う登山客。客のつもりで近づいたのに、「何か用ですか?」と言われては、返答のしようも無いだろう。
「いや、買い物でもしようかと・・・・。」
「何が欲しいんですか」とさらに問いかける山荘主人。
「あの、何があるかなと・・・・、バッジとか」
悪いことは何もしていないのに、詰問され、しどろもどろで気の毒だ。彼がバッジを買えたかどうかまでは知らない。
慣れた登山客は、この山荘主人の性格をわかった上で、近づくらしい。
「すみません、ビールをください」
山荘主人に声をかけられるまえに、要件を告げている。
飲み終わり、空き缶を戻すときには、
「どうもご馳走様でした」と、丁重だ。
なるほど、そういう手らしい。
ここに着いたとたん、山荘主人の毒気に当てられてしまい、ちょっとビールとか我慢しようかなと思っていたが、丁重に行けば大丈夫らしいので、僕も財布を取り出した。
と、まずは、ビールを買う前に、トイレへ向かう。
山荘より一段下に、トイレがある。きれいだと聞いていたが、きれいだった。
チップ制。小銭を投入。屋外のトイレなのに、靴を脱がなければならない。それでも清潔なので、不満は無い。
すっきりした後、山荘の入口に入り、ビールを求めた。
「キリンと朝日とがあります」と、愛想もくそも無い。
朝日スーパードライをもらった。350ミリリットル缶が、500円。山では仕方の無い価格だ。
中にカウンターもあり、お土産も売っているようだったが、ざっと見た感じ、バッジは見当たらなかった。
ビールを飲みながら、何を食べたかは、忘れた。この山荘は、温かい食べ物などは提供しないようだ。聞いてはいないが、おそらく、無い。ちょっとあの主人には話しかけることを躊躇してしまう何かがある。
実は、ガスでお湯を沸かすことも、躊躇していた。
が、隣の別の登山客男女が、コンロを出し、ラーメンを作り始めた。主人も何も言わない。
どうやら、かまわないらしい。
こちらもお湯を沸かし、棒ラーメン九州味を煮て、食べた。食べたが、あまり食欲は無かった。
疲れから来るもののようだ。
ビールを飲みきり、ラーメンも食べ終わり、それでもまだなんとなく動きたくなかった。天気は良く、日当たりもよく、気持ちが良い。人は入れ替わり立ち代り来るが、混んではいないので、もうそろそろ行かなきゃという気にはならない。
小型のヤカンを取り出し、お湯を沸かし、コーヒーを淹れた。
コーヒーを飲みながら、帰りのルートを考える。
ルートを考えるというほどのものではない。来た道を戻ればいいのだから。ただ、雲取山山頂は巻き道をとおって頂上を迂回し、七つ石山も同じように巻き道を通るつもりだった。降りた道をまた登るというのは、ちょっときついからだ。
残ったコーヒーを水筒につめ、12時、出発。
一時間半も休んだ。
ザックを背負い、まず、階段を上る。十分休んだのに、これだけで疲れる。ここからさらに登って行くなんて、もう考えられないよなーと思う。
程なく、山頂へと続く道、三条の湯への続く道、そして巻き道と、道が分かれた。
巻き道はほとんどアップダウンが無く、歩きやすい。
途中、鹿のフンを発見した。
30分ほどで巻き道は終わり、元来た縦走路に合流。楽な道だ。頂上を経てきていたら、一時間以上はかかったはずだ。
標識の写真を撮っていると、
「あれ、さっきの?」と、声をかけられた。
誰かと思うって見てみると、さっき雲取山荘でラーメンを作っていた男女。
何でこんなところで会うのかなと思う。彼らのほうが僕より先に出発していたから。
でも、考えてみたら、彼らは雲取山頂を通るルートを進み、今縦走路に下りてきたのだろう。こちらは、彼らより遅く山荘を出たが、巻き道を通って近道をして来たので、彼らより早くここに出たというわけだ。
「ああ、巻き道を通ったんですね」と男性。
「ええ、頂上は来る時に登ったんで」と僕。
「巻き道はどうでした、見晴らしとかは?」
「うーん、歩きやすいですけど、あまり見晴らしは良くなかったですねー」
「そうですか、どうも」
天気の良い縦走路、朝来た道を折り返して歩きだした。
この日は一日中天気が良かった。歩いていてとても気持ちがいい。縦走路の木々の紅葉もちょうど良く色づいている。
一時に、奥多摩小屋に到着。写真を撮る。
1時半ごろ、地図で言う「ブナ坂の鞍部」に到着。ここから、七つ石山の頂上へ向かうルートと、頂上を避ける巻き道とに分かれる。
朝、下りてくる時に、七つ石山のこちらからの登りのきつさを逆から見ていたので、ここは迷わず巻き道を選んだ。先ほどと同じく頂上をさけるルートだが、こちらのほうが少しアップダウンがあったように思う。途中には、橋を渡してある場所などもあり、昨晩歩いたところがここでなくて本当に良かったと思った。そのせいか、昨晩の七つ石小屋への分岐点にたどり着くまで、30分ほどだったが、地図の感覚よりも歩く距離がずいぶん長く感じた。
七つ石小屋への分岐点にたどり着き、標識を見て、「ここだここだ」と得意になった。
ここまでの上りがきつかったのだ。暗かったこともあったが。
昨日の段階では、ここまでの景色をまったく見れていない。また、ヘッドライトで足元を照らしながら歩いていたので、きつかったとはいえ、それがどれほどの坂道だったのか、まったくわかっていない。昨日自分を苦しめた地形が、明るい場所ではどれほどのものなのか、確認しながら歩いた。
昨日苦しかったとおり、急なくだりがいくつもある。何度か足を滑らせ、足をくじきそうになった。意外にも景色が良く、紅葉がとても美しく、心を和ませてくれた。
二時半、堂所到着。
昨日の時点では、このあたりはもう暗くなっていたのではなかっただろうか。
ここからは、後はもうひたすら下りるだけだ。バス停まで二時間ぐらいだろうか。逆算して、四時半かと思い、バス時刻表を見ると、3時過ぎにバスはあるが、4時代はバスが無い!次は5時半過ぎだ。
ここまでくると、もう早く下山したくてたまらなかった。早く下りて、どっかあったかい居酒屋なんかでビールを傾けたかった。奥多摩駅前の店なんかでもいい。また、暗くなってくるのも嫌だった。
足を運ぶスピードが速くなった。ところによっては、駆けるように、時にはほとんど走るように下り始めた。そうしながら、怪我をするのはこういう時だと、強く感じた。
何度か足をくじきそうになり、また、どうがんばっても15時15分のバスには間に合いそうにないとわかり、スピードを落とした。
足を停め、水を飲み、飴を口に入れた。足がかなり痛くなってきていた。
3時半、小袖の登り口に到着。
人界まで下りてきた!ついた!、と喜ぶが、ここからがまた、長く感じた。
アスファルトの道路をとぼとぼ歩き、5分ほどで、「鴨沢近道」と書かれた標識の場所に着く。ここから、標識の指す鴨沢バス停へ下る山道を下りる。
これが最後の山道だ。と思うが、思った以上にこの最後の山道が長い。なかなかたどりつかない。
20分。
コンクリートの細い舗装路にたどり着く。硬いコンクリートと、下り坂の角度がきつく、足が痛い。
舗装路登り口の黄色い看板を折り返し、昔は登山客をもてなす茶店だったような民家を数件通り過ぎ、3時58分、鴨沢バス停に帰着した。
時刻表を確認、バスは46分までこない。ここには座るところも無い。
バス停の向かい側の駐車場に、歩道があり、そこに何人かの登山客が休んでいた。
歩道に荷物を置き、倒れこむように座り、靴を脱いだ。
暗くなってきたからか、少し風が出てきた。寒さを感じ、フリースを羽織った
最後のお湯を沸かし、紅茶を淹れた。スティックシュガーを数本投入し、その滋味を味わった。
4時40分過ぎ、バスが来て、それで奥多摩駅へ向かった。ありがたいことにバスでは座ることができた。
奥多摩駅のバス停前の店で、バッジが売っていたので、それを買った。
そのほか、途中の東京駅で、急激に空腹に襲われ、サンドイッチとビールを衝動買いした。また、そこから自宅駅までの電車を、グリーン車に乗るという贅沢をしてしまった。
そんな調子で、今回の雲取山山行は終了した。
ここまで体力を消耗する運動は、ここ数年では初めてのことだった。
翌日からきつい筋肉痛が出始め、翌々日、翌々々日まで筋肉痛に苦しむことになった。
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