四国八十八ヶ所霊場巡拝Α68番〜88番〜板東駅
- GPS
- 51:29
- 距離
- 187km
- 登り
- 2,688m
- 下り
- 2,747m
コースタイム
- 山行
- 13:23
- 休憩
- 0:29
- 合計
- 13:52
- 山行
- 11:17
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 12:12
- 山行
- 10:19
- 休憩
- 0:27
- 合計
- 10:46
過去天気図(気象庁) | 2017年05月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
26日目 終日雨で地図やGPSを確認する回数がどうしても減るので、道の間違いも多かった。53.1Kmの最長距離になったが、平地が多く時速3.8Kmで歩けた。しかし、71番弥谷寺の階段も滅入った。俳句茶屋にリュックを預けた手前、帰りに立ち寄って、すぐできるはずのうどんがなかなかできず、休み時間が長くなったのが疲れを増加させた。市街地の札所はあっという間の感じである。
27日目 80番から81,82番がある山は大きく立ちはだかって見える。その両サイドの峰に向かうわけだから、気合を入れずにおれない。82番クリア後も田村神社の納経に間に合わせるため、かなり頑張った。それでも時速3.3Kmしか出ず、厳しいコースだったことがわかる。
28日目 お遍路以外の観光客も多い屋島、八栗、志度をクリアすれば、もう結願したような気持で87番に迎えた。
29日目 前山遍路交流館で遍路大使任命書を貰い、88番に到着したのは11時前であった。あとは長い下りを気が抜けたように11番の表示を目指して阿波市に下るだけである。阿波市内で泊った旅館八幡はなかなか良かった。
30日目 板東駅に向かっては遍路最短距離22Kmの平地である。往きとは違う道を歩きたいので、遍路道より一本南側の道路を進むと道を間違えていると思って、わざわざ話しかけてくる親切な方もいました。
今回、私はハンドメイドの納経帳を作成し、各札所や遍路道で出会ったお遍路さんに簡単な住所と名前を記入していただいた。これはお寺での御朱印より意味があると考えたからである。88組の人と出会い、話をし、非常に有意義な遍路になったと思う。以前、車で巡って御朱印を貰ったのとは明らかに重みが違う。我ながら良いアイデアであったと思う。でも、最初は赤の他人に声を掛けて住所と名前を依頼するのはかなりの抵抗がありました。もちろん断られることもありました。私が人を見る目がないのだと気づきます。だんだん協力してもらえる確率が高くなりました。88人のうち、私がまだ歩いて行ったことのない市町村が3ヶ所ありました。これも今後歩いていく目標にしました。
最も多かった都道府県は大阪、愛媛が10人、次いで東京、徳島が6人、意外なのは地元高知県が1人、しかも彼は新入社員教育で自主的なものではありませんでした。やはり土佐の国主長曾我部家の意向が影響しているのでしょうか。高知のために擁護しますが、お接待は高知でも他所と変わらず大変ありがたくしていただきました。
決して足の速くない、肺年齢95歳、実年齢まもなく72歳の老人が30日で一周したことに驚かれる方が多い。単に歩行時間が長いだけである。
30日で346時間、一日当たり11.5時間歩いているのです。
日常、日の出前から朝食までの2時間半で15,000歩、日中に15,000歩を日課にしているので、朝早く歩かずに宿で朝食を待つことはできず、おにぎりを作ってもらったり、自分でパンを準備したり、コンビニで調達したりで7:00過ぎに出発することはありませんでした。
長く歩くために大事なことは、足を痛めないことです。痛めてから手当てしてもダメです。そのためにどうするかは人それぞれだと思います。足を痛めそうかどうかは、ある程度事前にわかるものです。これがわからないようでは普段の歩きこみが足りないと思います。
30日間の詳細データ(歩行時間、距離、宿泊所など)や私の足の手入れ法などは、私のホームページで公開したいと思っています。
コメント
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通し打ちは一ヶ月では不可能と聞いており、定年後の楽しみと考えていました。
(通し打ちでなければ、「お四国」文化がない、他所の方がよっぽど厳しいと思います。白衣を着てあるいていれば、巡礼者と見做されて融通が利くところがあるという意味です。却ってきつい面もあるようですが。)
札所における本堂・大師堂の参拝、団体とかち合ったときの拘束、納経所の7〜17時縛りを考えると全行程1100劼濃咳曚─峠越えもいれると1ヶ月の壁は高いと思うのです。
水曜どうでしょうスタイルで門前で済ませれば、納経絡みの縛りも札所での締まりもなくなり、難易度は下がると思いますし、それならば、可能性はあると思っていますが。
それとスタイルですね。どこまで伝統スタイルを採用したかです。
例えば信仰上は金剛杖は欠かせませんが、安全安心に重きを置くならダブルストックでしょう。靴はどうしたか、雨具はどうしたか、菅笠は採用したか、白衣は纏ったか、納経の行為(唱経は行ったか)か、日々の宿泊はどうしたかなどなど、気になることは一杯あります。
四国遍路は信仰の道。他の街道歩きとは違う重みがあると思います。
ただ歩くものでは決してないです。
「なぜやらないんだ」という人には、ひとまず、「お大師様」ってわかっていってる?と言いたいし、それも知らないならグダグダ言うなといってやりたい。
現地の札所や、道中を黙々と歩く人々、そこにお接待する人の情景を見てから言えと。
お接待を断れない、ゆえに軽々しくやれるものではない。って知らないのかと。
「お四国」は色んな意味で他の地を歩くのとは別物だと思います。
これは、私も車遍路としては閉じており、遍路転がしと呼ばれる焼山寺道を歩きでストンしたから言えることなのですが…。
旧土佐を除いた3国(今の3県)で現代でもなおお接待文化が色濃く残っている地域性は稀有だと思いますし、元来、日本人が持っていた美徳なのだと思うんです。
古臭いと言われようが、こういう精神性が今にあることもっと広く知るべきなのではないでしょうか?
失われた20年を経てなお誇るべきことはこういう価値観なのではないかと。
四国遍路に対する思いを暑苦しく語ってしまいましたが、きっとやった人なりに色々なことを気づくものと思います。
長旅お疲れさまでした。足などのケアをなさり、気持ち的にはやり切った感で一杯でしょうが、次、何をしようか?
そちらに意識を向けましょう。
レコの詳細、楽しみにしています。
メッセージありがとうございます。返信遅くなりました。
宿屋やお会いした人に早いとよく言われましたが、自分としては、無理して急いだつもりはありません。全国を徒歩旅しているときと同様に日々の行動計画を立てた通り歩いただけです。実は計画では、板東駅まで27日でした。
計画を作り上げた時、これまで早くて33日位と聞いていたこともあり、どこかに無理があると思っていました。そのため、スタートから4泊目までは宿の予約を取り、帰りの夜行バスは予約せずに出発しました。
30日間のデータの要約を紹介します。
平均スタート時間5:17、平均宿入り時間16:50、総歩行距離1235.3Km、総歩行時間346.2時間、平均時速3.5Km、総歩数2,036,299歩(自動集計なので宿舎内や買い物の移動も含む)、一日平均歩行距離41.2Km、一日平均歩行時間11時間30分。
以上のデータで分かる通り、決して速い訳ではありません。ただ、長く歩いて時間で稼いだ結果です。
朝早く出発したからと言って長く歩くことが出来る訳ではありません。足や膝など体調に変調をきたさない努力が必要です。その点では多少、人様に勝るノウハウを持っているようです。
靴
何度も履きつぶしたことのあるトレッキングシューズを新調した。(SIRIO PF116)
靴紐はほどかなくても、靴が脱げる程度に、緩く結ぶ。
足の保護
登山用ではない少し厚めの靴下(冬に履く普通の靴下です)
毎朝、ボルダー(ムースタイプ)を丁寧に十分に足の指、甲、踵、足裏に擦りこむ。
*スポーツ用品店で販売しています。
三段折り畳みのダブルストックを使用。(Black Diamond製)
金剛杖の代用にするため『南無遍照金剛大師』、発心、修行、菩提、涅槃の梵字をパソコンで打ち、テープ状にしたものをストックに巻き付けました。
余談ですが、『弘法大師も杖の誤り』です。世の中に3本足の動物はいません。必ず左右のバランスが崩れます。気がついて時々、持ち替えている人もいますが、是非両使いしましょう。坂道を登るのに、足だけでなく手も使って登ることになり大変楽です。但し、その分、肩は凝ります。全身で登るので、膝や腰も楽です。
筋肉の保護
足が攣った時や、攣りそうな時、筋肉が変だと感じた時は、ツムラの漢方『芍薬甘草湯』を服用します。今回の旅では大変重宝しました。途中で自宅から追加を送らせたほどです。薬局で買うと高いそうですが、医者で処方してくれます。
足の異変の予兆を感じた時
“小指がちょっと痛い”とか“足指に汗をかいたような湿りを感じる”時は、無理せずにすぐに休んで、靴と靴下を脱ぎ新鮮な酸素を足に与える。そして、傷をしていなければ前述のボルダーを痛い部分に擦りこむ。傷をしていればテープで保護する。今度は靴紐をしっかりと締める。(私の経験則です。最初は緩くして酸素を供給し、痛めそうになったら動かないようにしっかり締める)
アフターケア
温泉が一番ですが、必要に応じ、消炎剤や湿布薬を使います。
スタイルのお尋ねもありました。
私は真言宗の信者として参拝するわけではありませんし、にわかまねごとをする気持ちもありません。お寺にいる僅かな時間より、歩いたり登ったりする中に、歩く修行を実感したり、歩く座禅をしたり、人々との出会いを楽しんだり、四国の自然や文化を体感している時間がほとんどです。従って神様である一宮巡拝の納経帳をリュックに入れて仏様をお参りもしました。人それぞれのスタイルがあって良いと思っています。しかし、お四国は広大なテーマパークであるとの認識があります。入場の証として、白衣を纏い、菅笠を身に着けました。これは宗教的な意味合いよりも、お遍路さん同士、あるいは地元の人達との交流をし易くする効果とともに、運転者からの視認度も上がる効果があると思っています。白衣は暑いと思ったので、袖なしにしましたが日焼けを考えれば長袖が良いでしょう。
雨具は登山用上下セパレーツレインウエアと大きめの菅笠、リュックカバーで臨みましたが、リュックやショルダーバッグを十分に守れません。ズボンとポンチョの組み合わせにしました。
ポンチョを使用するとリュックの出し入れは、一々ポンチョを脱がなければなりません。チョクチョク取り出す可能性のあるものはショルダーに移しておけば、ポンチョの前をめくるだけで出し入れでき、便利でした。但し、雨が冷たい時期は、ポンチョの袖から雨水が入り、体が冷えると思います。その場合は、上下レインウエアにポンチョの組み合わせが良いでしょう。
唱経は行いませんでした。本尊では“南無*****”を、大師堂では“南無大師遍照金剛”を6回づつ唱えました。納札は手作りの物を納めました。本尊用はその寺専用でその寺の御本尊を写仏したものを取り入れています。大師堂用は共通で弘法大師を写仏したものを取り入れています。唱経したのは、苦しい山道を登っているときです。涙声になりながらです。賽銭は本尊には50円、大師堂には5円いづれも穴銭です。紐に通して自宅から持参しました。
納経帳も手作りで、お寺の御朱印でなく、お遍路さんのサインを貰いました。これは私としては最高のアイデアだったと自負しています。多くの人と交流でき、世界で一つだけの納経帳が完成しました。私が歩いて行ったことのない市町村が3つありました。そのうちにきっと歩きに行くと思います。
277回目と言う人や、歩きで100回以上の人にもお会いしました。お二人から布製の納札を戴きました。納札を戴いたのは他には4人ですが、うち二人は外人(オランダ、カナダ)でした。
宿泊は全て宿を取りました。5月連休の時期を除き、前日予約ですべて確保できました。
連休時の宿は3〜4日前に予約を入れました。満室の所もありましたが、5月3日松山を除いて確保できました。松山も当日、相部屋が確保できて、すべて屋根と布団のある所で泊りました。
宿で困ったことは、保存協力会の地図にある宿で廃業しているところが何軒もあることです。ネットで最新情報を公開して欲しいと思いました。
42番近くの民宿とうべやはなかなか電話が通じません。私は結局数日前から何十回と時間を変えて掛けましたが繫がりませんでした。御主人は耳が悪くて、お手伝いの人がいれば通じるようです。仕方なく電車で宇和島駅に出て、ホテルを取りました。このため日程を1日延ばしました。(3日のコースを4日コースに組み直し)
泊った宿屋と個人評価などのリスト、その他はメールで送れます。必要ならばアドレスを教えてください。
焼山寺は難所に違いありませんが、スタート地点に近く話題になりやすいと思います。実際には疲労が蓄積して、体力が落ちてきた愛媛で難所を感じると思います。
次の目標は?
取りあえず日本一周はできましたが、美しい日本を美しく歩きたいので、まだ海岸線を歩いていない東北地方、大隅半島、長崎の東シナ海沿いをボチボチと思っています。
遍路で出会ったオランダの学生は私の全軌跡を見て、即座に“ホッカイドー センター”とアドバイスされました。
9月には石垣島ウルトラウオーキングに参加しようと考えています。その折に宮古島と今回の遍路でお会いした人が住む多良間島へ行ってみたいと思っています。飛行機便でしかアクセスできない両島なので計画が難しそうです。
HP更新もなかなかできそうになく、取敢えず、本内容で貴方への返信としたく思います。何かあれば、ご遠慮なくお知らせください。
時折拝見させてもらっています。満願おめでとうございます。これからもご健勝で旅が続きますよう、応援いたします。
メッセージありがとうございます。これからも日本全国、山、街道、半島、島など億歩をめざしてを歩きたいと思っています。
プロフィールの写真は建仁寺法堂の龍ですね。
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