南米最高峰アコンカグア 〜6,962m単独登頂9日間〜
- GPS
- 200:00
- 距離
- 87.9km
- 登り
- 5,529m
- 下り
- 5,424m
天候 | 1/30 快晴 1/31 快晴、やや雲あり 2/1 快晴 2/2 快晴 2/3 快晴 2/4 快晴 2/5 快晴→吹雪&雷 2/6 快晴 2/7 快晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2018年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
バス
飛行機
|
コース状況/ 危険箇所等 |
・オルコネス(2,950m, 登山口)〜コンフルエンシア(3,400m) オルコネスの登山ゲートからアコンカグア登山は始まる。ゲートからしばらくは家族づれの観光客や軽いトレッキング目的で入る人たちで賑わっており、道もよく整備されている。草原をしばらく谷沿いに歩くと川にかかった橋が見えて来る。この橋を越えると、いよいよ本格的に登山の始まりである。道幅は狭くざれており、あまり整備はされていない。その上、ラバとたまにすれ違うため、その度に避ける必要がある。一方で、両側にそびえ立つ山々はどれも特徴的な形をしており、色も赤色から緑色までカラフルでみていて飽きない。入山ゲートから3〜4時間も歩けば、最初の幕営地となるコンフルエンシアに到着する。ここでは飲み水を水道から汲むことができ、トイレもある。なお、お金を払えばご飯ももらうことができる。コンフルエンシアではメディカルチェックを受ける必要があり、これに通らないと上に進むことはできない。なお、ここには2泊することが望ましいとされており、翌日はプラザ・フランシアにアコンカグア南壁を見に行く人が多い。 ・コンフルエンシア(3,400m)〜プラザ・フランシア(4,100m) コンフルエンシアで2泊する場合、到着した翌日にアコンカグア南壁の真下にあるキャンプ地、プラザ・フランシアに高所順応を兼ねて行くといい。コースは、コンフルエンシアから谷沿いをさらに歩くと、ベースキャンプであるプラサ・デ・ムーラスとフランシアの分岐点があり、ここをフランシア方面に進む。道は悪くないが、木がないため日光を直に浴びることになる。道は完全に荒野であるが、谷沿いに行くだけなので迷うことはない。約5時間歩くと、南壁の真下に出る。南壁が荘厳である。 ・コンフルエンシア(3,400m)〜プラサ・デ・ムーラス(4,300m, ベースキャンプ) コンフルエンシアからベースキャンプとなるプラサ・デ・ムーラスはある意味、この登山の核心部と言えるだろう。道のりは約15kmであり、コースタイムは7〜10時間とされている。南米は、この時期、夜の9時くらいまで明るいが早めにコンフルエンシアを出発することが望ましい。コンフルエンシアからしばらく歩くと、見晴らしのいい、美しい湿原に出る。この湿原を越えてしまうと、荒野がしばらく続く。この荒野の難点は2つある。 ‘擦たまにぬかるんでおり、ランニングシューズやトレランシューズで歩くと泥まみれになる。 泥色の川には橋が全くかかっておらず、渡る地点を見つけるのが難しい。人によっては靴を脱ぐか、もしくは靴のまま川を渡っていた。 この難点を克服すると、谷は徐々に狭くなっていき、ちょっとしたアップダウンが現れる。最後に、100mから200mくらいを一気に登るとプラサ・デ・ムーラスに着く。ここまで水を汲める場所はほぼないので、水は多めに持って行こう。プラサ・デ・ムーラスには多くの登山代理店がテントを構えており、ビールを飲むことができたり、高額ではあるがインターネットも利用することができる。水ももちろん得ることができるが、若干茶色である。レンジャー小屋でチェックインしたのち、指示に従ってメディカルチェックを受ける。ベースキャンプではみんなくつろいでいるか、情報交換などをしている。 ・プラサ・デ・ムーラス(4,300m, ベースキャンプ)〜プラザ・カナダ(5,080m, C1) C1であるプラザ・カナダはプラサ・デ・ムーラスから3〜4時間上がったところの大岩の後ろにあるキャンプ地である。ベースキャンプより上は急ながれ場が多く、落石にも注意が必要である。多くの人はここを1つの目安として高所順応を行う。ただ、私が上がった時はカナダには誰もおらず、気づかずに通り過ぎてしまった。このキャンプ地の難点は雪が近くにない場合、水が汲みずらいことにある。 ・プラザ・カナダ(5,080m, C1)〜ニド・デ・コンドレス(5,580m, C2) C2のニド・デ・コンドレスまで来ると標高もだいぶ上がり、アコンカグアの山頂も近づいて来る。カナダを越えると雪がちらほらと見えて来る。相変わらず登りはきつく、息を切らしたり、急激に高度を上げないようにジグザグに坂を登って行くことが望ましい。やがて、傾斜が少し緩くなると、遠くに風速観測の旗が見えて来る。この旗の真下がC2である。C2はC1と比べると広く、雪も多く見られる。キャンプ地は自由であるが、坂を登り切って向かって右側にほとんどのテントが集中している。一方、左側の池の側はほとんど人がおらず、岩の影にもなるため風が避けられ、おすすめである。なお、池の水は多分飲める(私は飲んだがお腹を壊すことはなかった)。この高度に来ても、日が出ている間は暑く、テント内にいるのが苦痛である。夜はまあまあ寒いので着込む必要がある。寒暖の差がありえないくらい激しい。 ニド・デ・コンドレスから山頂にアタックする人も多く、その場合は夜中の1〜3時くらいに出発する。 ・ニド・デ・コンドレス(5,580m, C2)〜キャンプ・コレラ(5,970m, C3) C2から山頂にアタックしない場合や、高所順応をする場合はキャンプ・コレラに泊まることになる。C2からC3はコースタイムは4〜5時間とあるが、体調が悪くない場合は2時間もあれば着く。踏み跡はいくつかあるが、大きく蛇行しながら上がって行く踏み跡を選ぼう。上部に見える稜線まで出ればC3である。他のヤマレコ投稿やブログではキャンプ・コレラとほぼ同じ高度にあるキャンプ・ベルリン(5,933m)に泊まると書かれていることが多いが、現在はベルリンに泊まる人はほとんどいない。理由としては、以下の2点が挙げられる。 .戰襯螢鵑篭垢、風避けとなる岩も少ないため、風をダイレクトに受けてしまう。 多くの地図ではベルリンから上の道を歩き、稜線に出ることになっているが、あまり人が通らないらしく、道が大変わかりずらく、夜中に歩くのは危険である。比べて、コレラは稜線上にあり、この稜線に沿って歩けばいいだけなので道がわかりやすい。 私はコレラに泊っていないので実際に経験したわけではないが、泊った人曰く、キャンプ地は日中ぬかるんでいるらしい。C3から山頂にアタックした方がC2からアタックするよりもちろん距離は短くなる。一方で、C2からアタックする人が一定数いるのは、C3では風が強く、高度も高くなるため寝れない人が多いことにある。自分の体力と体調、または天気と相談しながらアタックを開始するキャンプ地を決めよう。なお、C2からC3はそんなに距離としては離れていないため、個人的にはC2からのアタックがおすすめである。ちなみに、午後2時が登頂のタイムリミットと決められている。 ・キャンプ・コレラ(5,970m, C3)〜アコンカグア山頂(6,962m) アタックする日によっては、C3より上は人が多くいるため安心である。空気の薄さを感じながら、稜線に沿って歩いて行く。壊れた避難小屋であるインディペンデンシア小屋(6,377m)が見えたら、山頂まであと一息。ただし、高所順応に失敗して敗退する人の多くは、この小屋付近で動けなくなるようである。実際に、私の前や後ろを歩いていた何人かは、この付近で撤退をしていた。この小屋からアイゼンを装着し、斜面を上がり、稜線を乗り越え、斜面を大きくトラバースする。空気が薄すぎて一歩踏み出すのも辛い。そんな中、最後にして最大の難所であるカナレータと呼ばれる急勾配が待っている。ひっくり返って滑落しないように気をつけよう。急勾配を上まで登り切ると、南米最高峰アコンカグアの山頂が待っている。晴れていれば南壁も少し覗ける。景色は絶景の一言につき、疲れも忘れる。山頂には十字架のモニュメントがあり、結構広い。ゆっくり休もう。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
長袖インナー
ハードシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
アウター手袋
予備手袋
防寒着
ゲイター
ネックウォーマー
バラクラバ
毛帽子
着替え
靴
予備靴ひも
ザック
ザックカバー
サブザック
アイゼン
ピッケル
昼ご飯
行動食
非常食
調理用食材
調味料
飲料
水筒(保温性)
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
調理器具
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
ファーストエイドキット
常備薬
日焼け止め
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ツェルト
ナイフ
カメラ
ポール
テント
テントマット
シェラフ
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感想
・1/24〜1/29
アコンカグア登山を目的として、アルゼンチンのメンドーサという街にやって来た。しかし、ブエノスアイレスについて早々、日本を出国する直前に会った父親からインフルエンザが移っていたようで発熱。どうにかメンドーサまでたどり着くが、とても登山ができる状態ではないため、ホテルにて療養をする。
27日頃になると、体調もだいぶ良くなって来たため、準備を開始する。大まかにやらないといけないことは4つに分けられる。
[沼
ATMでキャッシングも可能だが、一回に引き出せる限度額が少ないのと手数料が高額であるため、日本で日本円をドルに両替して、20万円分近く現金で持って来た。これを事前にやっておかないと痛い目にあう。なお、両替所はサン・マルティン通りに集中している。
▲燹璽藺緲店の手配
ムーラ(ラバによるベースキャンプまでの荷物の移送サービス)を利用する場合は、代理店で手続きをする。なお、アタックする体力を残すために、ムーラの利用をオススメする。代理店はいくつもあるが、最大手であるINKA社がオススメである。何らかの理由でINKAが利用できない場合は、LANKO社、Grajales社を利用する。INKA社では、コンフルエンシアとベースキャンプで飲み水がもらえるほか、トイレの利用、登山中の荷物の預かりサービスなどが受けられる。
E仍概可
代理店で入山料の払込用紙をもらったら、PAGOという看板がある店の窓口で指定された金額を払い、レシートを受け取る。このレシートを持って、登山許可をもらいにいく。前年までは市街にある観光局が窓口であったが、今年からサン・マルティン将軍公園内の事務局に窓口が変更になった。普通に遠いが歩いていける範囲内である。
で磴な
食事やガスなどの登山用品を買い揃える。フアンB.フスト通り、INKA社の建物の近くに大型のスーパーがある。ここで食事を買い揃えることをオススメする。おそらくメンドーサで最大のスーパーである。買っておくとオススメなものとしては、粉ジュース、ジェルなど固形物でない食べ物等である。粉ジュースは大量に種類がありなかなか面白い。そして結構美味しい。
登山用品は、インディペンデンシア公園の隅に、Aconcaguaという登山用品店がありそこでレンタルまたは購入が可能である。この他にラス・エラス通りにあるPireという登山用品店には、日系で日本語が話せる店員さんがいるのでオススメである(今後いるかはわからないが...)。ガス缶はロング缶3本あれば十分である。私は1本も使い切らなかった。
・1/30
朝早く、バスでメンドーサを出た。メンドーサから荷物を預けるペニテンテスという小さな村までバスで約4時間。バスから見える景色も素晴らしいので寝てなどいられなかった。ペニテンテスで下車し、荷物を預け、INKA社の人の車で登山口まで連れて行ってもらった。レンジャー小屋で入山手続きをする。チェックイン、チェックアウトをする場所やゴミの処理方法など説明を受ける。そして、少し上に上がったオルコネス登山口に車で降ろされた。砂漠か何かに置き去りにされた気分である。
ゲートを潜ってしばらくは、家族づれの観光客が多くいる。大きなザックを背負って歩いていると場違い感が半端ない。この時期、アコンカグアは朝の6時すぎに明るくなり、夜の8時まで日が出ている。つまり、行動時間が長くとれため、途中途中岩の上などで昼寝をしつつ、16時頃にコンフルエンシアに到着した。INKA社の大テントまでいくと、フルーツ缶の盛り合わせみたいなものを出してくれた。とても美味しかった。ちょうどアコンカグアから降りてきた三人組と話をした。単独であることを伝えると、「標高が高い山をなめるな」、「一人で行かずにベースキャンプでレンジャーに相談しろ」と言われたため、ありがたく忠告を無視した。
17時にはテントに入ったが、テント内が暑すぎて眠れない。服の袖をまくって横になっていたら寝られた。気づいたら日は沈んでおり、今度は寒くなってきたため急いでシュラフをだし、入って寝た。よく寝れた。
・1/31
朝起きると、インフルエンザの影響なのか右の扁桃腺がめっちゃ痛い。高所順応のため、コンフルエンシアにもう1泊する。せっかくなので、4,100mのプラザ・フランシアまでアコンカグア南壁を観にいくことにする。道中、誰にも会わない。南壁までの道も土が赤かったり、岩が真っ白だったり、山が緑だったり、色彩感覚がおかしくなりそうなくらいカラフルで面白い。残念ながらアコンカグア上部は雲に覆われていたがそれでもすごい迫力であった。フランシアは絶対に行った方が良い。ここまで来るだけでも価値がある。
コンフルエンシアに帰って、しばらく休んでから最初のメディカルチェックを受けた。なんの問題もなくパスした。明日は15km歩く。山場である。
・2/1
朝起きると今度は左の扁桃腺がめっちゃ痛い。9時くらいにコンフルエンシアを出発する。しばらくいくと、遠くまで見渡せる湿原にでる。きれいすぎてテンションが上がるが、きれいなのはここまでであった。湿原の先はただただ荒野、荒野。直射日光は日焼け止めや服など無視して肌を焼いてくる。もう肌が自分史上もっとも黒くなっていた。そして茶色い泥川。何回か渡らないと行けなかったが、なぜか橋が一本もない。アコンカグア登山を簡単と言っていたサイトや人々を恨む。靴を泥まみれにしながら進む。標高が上がってきているからか、坂が非常に辛い。途中、何度か土石流をみる。トランク大くらいの大きさの岩がものすごい勢いで川?を流れていく。どうやら上部で土砂崩れがあったみたいだ。
18時ころにベースキャンプであるプラサ・デ・ムーラスに到着する。レンジャー小屋でチェックインすると、衛星電話を持っているかと聞かれ、持っていないと答えるとめっちゃ嫌な顔をされた。トイレの近くにテントを張って寝る。
・2/2
この日は休息日にしようと決めていた。火花で点火する式のライターの火がここにきて完全につかなくなる。火花が出る部分をバラして、火花でガスに点火させる技を編み出す。これがいつまで通じるだろうか。
大きなビニールに水をためて洗濯をした。水汲み場でアタックした兄ちゃんと話をする。曰く、カナダ1泊、ニド1泊、ベルリン1泊でアタックしたらしいが、ベルリンは寝られなかったらしい。
それにしても、ここまで日本人どころかアジア人に一人も会わない。どうなっているのか。浮いてしまうじゃないか。
夕方、二度目のメディカルチェックを受ける。メディカルチェックの小屋で順番待ちをしている間、フランス人のおばあさんと仲良くなる。彼女は去年ツアーで来たが、人数が多すぎて上まで登れず、今年単独で再挑戦しに来たらしい。メディカルチェックが始まると、「なぜ一人で来たのか」と女医さんに質問された。単独登山のなんやかんやを語るのもなんなので、正直に「友達がいないから」と言ったら結構ウケた。嬉しかった。この日もよく寝れた。
・2/3
この日は上部キャンプまでいく予定であった。C1であるカナダで体調に問題がなければC2のニドまで行こうと考えていた。前日会ったフランス人のおばあさんに挨拶をしてからベースキャンプを出発する。カナダに上がる途中、有名な登山家の方と会い、色々とアタックやオススメのテント場などのアドバイスをいただく。このアドバイスがかなり役に立った。登っても登ってもカナダに着かない。ほぼ同じスピードで登っていたおじさんとお姉さんの二人組に、カナダはどこかと聞くと、とっくに通り過ぎたよと言われた。途中、岩の後ろにゴミが少し落ちているところがあったが、そこがカナダだったらしい。地図ではアラスカというキャンプ地もあることになっているが、完全に消え失せていた。よって、この日はC2のニドまで上がってしまうことにした。まだ日中だったので、途中昼寝をしたり、のんびりしながら上がっていく。右手のアコンカグア山頂方面に厚い雲がかかり始めていたのが気になった。ニドの200m下くらいで、少し上を苦しそうに上がっていた兄ちゃん二人組が降りて来た。「厚い雲が来て嵐になりそうだからカナダまで降りるぞ」と言われるが、200m下まで来てカナダまで引き返すのは嫌なので、これを断り登る。すぐにニドに着き、アドバイスをしていただいた場所にテントを張る。かなり快適なテント場だった。
しかし、夜寝る前に、一気に高度をあげたからか吐き気と頭痛に襲われる。天気予報だとアタックチャンスを2日後であり、その日以降は大雪が降るようであった。ほとんど高所順応をしていないが2日後にアタックをしてしまいたい。とりあえず頑張って寝た。
・2/4
朝になると頭痛と吐き気は消え去っていた。頭痛が続くようであればカナダかベースキャンプまで降りようと思っていたので助かった。
本日は、インディペンデンシア小屋近くまで高所順応で上がり、ニドまで戻って、明日アタックして見ようと思っていた。少し早すぎるが、体調に問題はないし、何よりアルファ米に飽きて米が食えなくなっていた。下山して肉が食べたかった。
高所順応に出発する前にチリ人の単独行のおじさんとアタックの予定やら何やらの情報交換をする。話が盛り上がり、出発が大幅に遅れる。ついにライターの火花ですらガスに点火できなくなった。レスキュー小屋でマッチをくれとお願いしたら、大量にマッチをくれた。ありがたい。高所に行くときはマッチは絶対持って行こう。
ベルリンに人が大勢いるだろうと思って上がったが、誰もいない。ベルリンじゃないんじゃないかと思うくらい誰もいなかった。ベルリンより上の道はかろうじて踏み跡が見えるくらいで、正しい道なのかもよくわからない。とりあえず登る。稜線に出る前に、上部が雲で覆われて来たので、インディペンデンシア小屋まで行くことは諦めてニドまで戻る。
途中、会った人に話を聞くと、ベルリンで寝る人はほとんどおらず、上の道も地図にあるが不明瞭なためあまり通らない。みんなコレラに泊まって、稜線を通ってアタックする。という情報を得た。
6,100mあたりまで上がったが体調に変化はなかった。ニドまで戻ってくると少しだけ頭痛がしたが、翌日アタックすることにする。明日の天気は午前は快晴、午後から少し雪が降り、夜は大雪の予報であった。
・2/5
とりあえず、詰め込めるものを腹に詰め込み、朝の3時にニドを出発する。結局、道が短いし、偵察もできていたので、コレラを経由せずにベルリン上の道を行く。この道では誰にも会わなかった。星がとても綺麗でアコンカグアに来てよかったと感じる。
日の出をインディペンデンシア小屋で迎える。稜線ではいくつかのグループが前後にいたが、だんだん脱落していき、インディペンデンシア小屋ではパーティー数もかなり減っていた。インディペンデンシア小屋でアイゼンをはいて大トラバースを進む。少し上がるだけでも足がきつい。トラバースの先に、難所の急勾配カナレータが見えてくる。途中、高山病の症状はほとんどなかったが、唯一、気圧の差からか胃がガスで膨らんで苦しくなった。嗚咽をしてガスを抜くが、すぐにまたたまる。ドンペリドンという胃薬を飲んだらこの症状は消え去り、快適に登れた。カナレータは噂に聞いていた通り、とても急である。この高度、頂上直下でこの難所とはなんともな、と感じた。2息で1歩進むことを意識しながら進んで行く。そして、ついに南米最高峰アコンカグア6,962mの頂上を踏んだ。頂上で、偶然にもカナダを通り過ぎたことを教えてくれたブルガリアのおじさんとお姉さんに会った。風はほぼなく、快晴であったため、おじさんやお姉さんと長話をしたり、昼寝をしたり写真をとったりしているうちに1時間半くらい経過し、12時近くなっていた。
下山を開始するが、カナレータの急勾配をアイゼンで降りるのに苦労する。途中、ダウンが入った袋を落とし、カナレータをすごい勢いで落ちていった。もうダメかと諦めたが、下の方の雪の溝で偶然止まり、回収に成功する。トラバースを戻り、インディペンデンシア小屋まで帰ってくると、雹のような大粒の雪が降り始めた。カメラでこれを撮ろうと思ったがカメラがどこにも見当たらない。20分間、身の回りを探して落としたことを確信する。しかし、天候はどんどん悪くなり、雷が鳴り始める。取りに戻るか悩んでいたら、髪に違和感と痛みを感じた。紙を落としてしまったので拾おうとしたら、電気で紙が弾けた。次の瞬間、横の方に落雷した。死ぬかと思った。
雷に打たれるのを覚悟でカメラを探しに行くか迷う。次の日もう一度アタックして探しに来てもいいが、雪が降って埋まってしまったら見つからないので1時間限定で探しに行くことにする。とりあえず雷が鳴り止まないので、カーボン製のトレッキングポールや荷物をインディペンデンシア小屋にデポし、トラバースを戻る。カナレータ下を探していたら、上から降りて来た人に、「カメラを探しているなら見つけたぞ」と言われ、無事カメラを回収する。感動で涙が出るかと思った。
お礼を言い、カメラを回収し、ようやく嵐の中下山を開始する。途中、アラスカ人のお兄さんとコレラまでの下山を共にする。彼は登頂できなかったらしく、二日後にまたアタックするといっていた。なんと、彼は地図を持って来ておらず、もう登頂したからあげるよといったが、「修行だから大丈夫」と訳のわからない理由で固辞された。おかしなやつもいるもんだ。
コレラからニドに降りる途中、フランス人のおばあさんと再会を果たす。登頂したことを伝えるとすごく喜んでくれた。連絡先を交換して別れる。
雷雪の中、ニドのレスキュー小屋まで降りてくると、また髪の毛に違和感を感じた。荷物とトレッキングポールを放り投げ、レスキュー小屋の岩の下に隠れていると、レスキューの人に小屋に入れと言われた。小屋の中で、岩の下で丸まっていた理由を説明する。今思い返せば、頭の違和感は、雪が当たっていただけではないかと思う。トラウマになっているのだ。恥ずかしい思いをした。
嵐のため、ベースキャンプまで降りるのは諦め、ニドにもう1泊することにする。テント場に着くと、周りのテントの人が祝ってくれた。テント内は雪まみれになっていた。よく寝れた。
・2/6
朝、風はあるものの雪は止み、天気は回復していた。周りのテントの人と喋ってからニドを出発する。新雪なので進むのが楽である。途中、キャンプ・カナダの存在を認識する。数日前に登って来た時とは打って変わって、大量のテントがあった。カナダの下で、日本人の単独の方と会って、山の話で盛り上がる。
正午に、プラサ・デ・ムーラスに着く。山めしを食べることに限界を感じ始めていたので一刻も早く下山して、メンドーサでステーキが食べたかった。この日のうちにコンフルエンシアまで行くことにする。なお、ムーラをお金がかかるため、40キロくらいの荷物を全て担ぐことにした。
全てチェックアウトをし、ベースキャンプをでる。荷物が重く、一回下ろすと、もう一度背負うのに体力を使うため、休憩をあまりしないようにする。苦しい。途中、ブラジル人のおばさんに会う。話していると、なんでもそのおばさんはダウラギリやエベレストなどいくつかの8,000m峰に登ったらしい。あの竹内洋岳さんとダウラギリで一緒にロープ設置をしたという。半信半疑では会ったが、帰って調べたらかなり有名な方だった。
20時ころにコンフルエンシアに死にそうになりながら到着する。INKA社の人と交渉をし、翌日オルコネスまで車で迎えに来てもらえることになる。
テント場では、日本人の方とスウェーデンの方と仲良くなり、遅くまで山の話で盛り上がった。23時に就寝。この日、ここ数年で一番熟睡した気がする。
・2/7
朝起きて、荷物を整理し、また背負ってコンフルエンシアから登山口まで歩く。普通に辛い。だが、帰ってステーキが食べられると思うと頑張れた。観光客がちらほらと見えるようになってくると安心感がある。一人だけ浮いていたが、アコンカグアの方からやって来た人が珍しいのか、写真撮影を何回か求められた。11時少し手前にオルコネスの登山口について9日間のアコンカグア登山は無事終了した。ただ、ホテルについて風呂に入るまでは終わったことを実感できなかった。
・総括
アコンカグアは素晴らしい。日本では絶対に見られないような貴重な景色が見られる。ベースキャンプまでのトレッキングでも、アコンカグアの素晴らしさの90パーセント近くは体験できる気がする。ただ、様々なサイトに書いてある「アコンカグアは比較的簡単である」という文言は間違っている気がする。確かに技術的に難しい箇所はない。ただし、十分な体力がないと、ベースキャンプまでもたどり着けない。
頂上までは、天候と高度順応ができればいけるだろう。ただし、滑落、落石などの危険があることは承知の上で行きたい山である。
今回は、入山してから7日で頂上に立つことができた。早く登ることができたのは、周りの方々のアドバイスと、飯への渇望があったからである。アコンカグアでお世話になった方々には感謝したい。また、登山の準備からサポートまでお世話になり、応援してくれた家族、友人にはこの場を借りて感謝します。
なお、メンドーサでは美味しいワインとステーキを食べることができた。やっぱり肉は牛!
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雪をかぶった山がきれいですね
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