< 七尾城址に繋がる道路 >
〇堝嗣霤超81号線:通称は「農免道路」。
◆\仞邯道177号「城山線」:藤野町北交差点から起点し、矢田郷81号線を横切り、七尾城址(駐車場)前で終点。
市道南大呑1号線:通称は「黒崎線」。七尾城址(駐車場)前から富山湾に面した黒崎までの市道。城山線と南大呑1号線は1本に繋がった道になっている。
ぁ[啼讃訐仞:城山と石動山を結ぶ林道。南大吞1号線の展望台登り口から黒崎町側に少し進んだ所から始まり、荒山峠付近で県道18号氷見田鶴浜線の合流して終点。
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< 七尾城址に繋がる道路 >
〇堝嗣霤超81号線:通称は「農免道路」。
◆\仞邯道177号「城山線」:藤野町北交差点から起点し、矢田郷81号線を横切り、七尾城址(駐車場)前で終点。
市道南大呑1号線:通称は「黒崎線」。七尾城址(駐車場)前から富山湾に面した黒崎までの市道。城山線と南大呑1号線は1本に繋がった道になっている。
ぁ[啼讃訐仞:城山と石動山を結ぶ林道。南大吞1号線の展望台登り口から黒崎町側に少し進んだ所から始まり、荒山峠付近で県道18号氷見田鶴浜線の合流して終点。
< 城山の古道(登城道) >
‖臉价道:主郭への入り口だった「九尺石」のある場所に上がる道。落ヶ谷口で、不動滝ルートが分岐。安寧寺跡から不動滝に下る道も拓かれている。
◆‖膽蠧察Ц渋犬垢襯瓮ぅ鵑慮兎察陛仂詁察法
蹴落川道:大谷川の支流の蹴落川に沿って登るルート。寺屋敷跡に繋がっていたらしい。
ぁ‖臾臚察А崗觧垣」で分断されていて一部分が残存のみ。大門集落から登るルートで、長殿丸の北側(駐車場のある辺り)に繋がっていたらしい。
ァ‐松原道:大門集落から城山山頂=百間馬場(現・展望台)に上がるルート。現在も登山道として残されている。
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< 城山の古道(登城道) >
‖臉价道:主郭への入り口だった「九尺石」のある場所に上がる道。落ヶ谷口で、不動滝ルートが分岐。安寧寺跡から不動滝に下る道も拓かれている。
◆‖膽蠧察Ц渋犬垢襯瓮ぅ鵑慮兎察陛仂詁察法
蹴落川道:大谷川の支流の蹴落川に沿って登るルート。寺屋敷跡に繋がっていたらしい。
ぁ‖臾臚察А崗觧垣」で分断されていて一部分が残存のみ。大門集落から登るルートで、長殿丸の北側(駐車場のある辺り)に繋がっていたらしい。
ァ‐松原道:大門集落から城山山頂=百間馬場(現・展望台)に上がるルート。現在も登山道として残されている。
< 尾根と登山道 >
『城山を愛する会』様のブログの情報を参考にして、七尾城主郭から伸びている尾根を想像してみました。うち、松尾尾根の上にが、古道である「大手道」が登山道として現存しています。
■ 松の尾=尾根上を大手道(赤坂道)が通る。 ■ 鶴の尾 ■ 亀の尾 ■ 龍の尾 ■ 虎の尾
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< 尾根と登山道 >
『城山を愛する会』様のブログの情報を参考にして、七尾城主郭から伸びている尾根を想像してみました。うち、松尾尾根の上にが、古道である「大手道」が登山道として現存しています。
■ 松の尾=尾根上を大手道(赤坂道)が通る。 ■ 鶴の尾 ■ 亀の尾 ■ 龍の尾 ■ 虎の尾
< 大石谷道 >
〜を辿りました。大谷川を遡るルートで「大谷川道」とも呼ばれます。古道としての大石谷道の正確なルートは判っていません。今回、沢を登ってみましたが、私には急登すぎて、主郭を目前にして引き返しました。あとで調べて判明しましたが、このルートでは、沢に下りないほうが良いようです。「龍の尾」と呼ばれる尾根の上を歩けば、西の丸直下の「九尺石」のある位置に到着できたみたいです。
2015年09月17日 02:25撮影
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9/17 2:25
< 大石谷道 >
〜を辿りました。大谷川を遡るルートで「大谷川道」とも呼ばれます。古道としての大石谷道の正確なルートは判っていません。今回、沢を登ってみましたが、私には急登すぎて、主郭を目前にして引き返しました。あとで調べて判明しましたが、このルートでは、沢に下りないほうが良いようです。「龍の尾」と呼ばれる尾根の上を歩けば、西の丸直下の「九尺石」のある位置に到着できたみたいです。
< 大谷川の上流にある登山口 >
〜に、自家用車で向かいました。市道矢田郷81号線(農免道路)から県道245号花園藤野線に入り少し進んだ所で、林道古府線に入った先に、「落ヶ谷・善谷」の入り口があります。
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< 大谷川の上流にある登山口 >
〜に、自家用車で向かいました。市道矢田郷81号線(農免道路)から県道245号花園藤野線に入り少し進んだ所で、林道古府線に入った先に、「落ヶ谷・善谷」の入り口があります。
< 落ヶ谷・善谷入り口 >
〜から探検(登山)を開始します。矢田郷81号線から花園藤野線に約450m入った所で、左に分岐している林道古府線に進んで約450mの場所です。
2018年10月18日 09:09撮影
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10/18 9:09
< 落ヶ谷・善谷入り口 >
〜から探検(登山)を開始します。矢田郷81号線から花園藤野線に約450m入った所で、左に分岐している林道古府線に進んで約450mの場所です。
< 落ヶ谷・善谷の案内図 >
現在地から落ヶ谷と善谷曲輪群に向かうルートが示されています。今回も含めここから2度探検して判った事ですが、とどちらのルートも気軽に散策できる感じではありませんでした。迷い道、倒木(倒竹)、流木(流竹)、道の崩落〜などのリスクがあります。
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10/18 9:09
< 落ヶ谷・善谷の案内図 >
現在地から落ヶ谷と善谷曲輪群に向かうルートが示されています。今回も含めここから2度探検して判った事ですが、とどちらのルートも気軽に散策できる感じではありませんでした。迷い道、倒木(倒竹)、流木(流竹)、道の崩落〜などのリスクがあります。
< 今回(1回目)のルート >
不動滝(落ヶ谷)からの流れ(大谷川の支流)を横切り、竹林の中を進み、「龍の尾」と呼ばれる尾根を乗り越え、曲輪群跡を通り、善谷(大石谷)を遡ります。
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10/18 9:09
< 今回(1回目)のルート >
不動滝(落ヶ谷)からの流れ(大谷川の支流)を横切り、竹林の中を進み、「龍の尾」と呼ばれる尾根を乗り越え、曲輪群跡を通り、善谷(大石谷)を遡ります。
< 大谷川を渡り >
〜入り口を進みます。入ってすぐ右手に進みます。なかなか探しにくいですが、ピンクのリボンが目印です。白いリボンの方に進むと、落ヶ谷(不動滝)方面に行ってしまいます。
2018年10月18日 09:11撮影
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10/18 9:11
< 大谷川を渡り >
〜入り口を進みます。入ってすぐ右手に進みます。なかなか探しにくいですが、ピンクのリボンが目印です。白いリボンの方に進むと、落ヶ谷(不動滝)方面に行ってしまいます。
< 落ヶ谷からの小川 >
〜を渡ります。こんな所で砂地が、と思ったら〜
2018年10月18日 09:23撮影
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10/18 9:23
< 落ヶ谷からの小川 >
〜を渡ります。こんな所で砂地が、と思ったら〜
< 砂防堰堤 >
〜が現れました。よく砂防ダムと言ってしまいますが、正確には高さ15m以上がダムでそれ以下は堰堤です。竹林をしばらく進みます。
2018年10月18日 09:28撮影
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10/18 9:28
< 砂防堰堤 >
〜が現れました。よく砂防ダムと言ってしまいますが、正確には高さ15m以上がダムでそれ以下は堰堤です。竹林をしばらく進みます。
< 小さな谷筋 >
〜を何本か横切りますが、崩落していて道に迷ってしまいました。なんとかピンクリボンに救われました。
2018年10月18日 09:37撮影
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10/18 9:37
< 小さな谷筋 >
〜を何本か横切りますが、崩落していて道に迷ってしまいました。なんとかピンクリボンに救われました。
< リボンに導かれ >
〜尾根に上がりました。
2018年10月18日 09:54撮影
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10/18 9:54
< リボンに導かれ >
〜尾根に上がりました。
< 龍の尾(尾根) >
〜から、善谷(大石谷)に下ります。このあと、本丸まで上がるつもりでしたが、退却することに〜後日判ったのですが、ここで尾根の上を進む(龍の尾道)と、「西の丸」の直下から「九尺石」の場所に上がれたらしいです。
2018年10月18日 09:55撮影
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10/18 9:55
< 龍の尾(尾根) >
〜から、善谷(大石谷)に下ります。このあと、本丸まで上がるつもりでしたが、退却することに〜後日判ったのですが、ここで尾根の上を進む(龍の尾道)と、「西の丸」の直下から「九尺石」の場所に上がれたらしいです。
< 善谷曲輪群 >
〜らしき曲輪の跡にでました。「城平曲輪群」がこの先にあるのですが、「善谷曲輪群」との境界や、曲輪の構造がよく判りませんでした。2018年4月、このあたりで、七尾湾から運ばれたと思しき『泥板岩』が発見されました。往時ここに庭園が造られていたといいます。
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10/18 9:58
< 善谷曲輪群 >
〜らしき曲輪の跡にでました。「城平曲輪群」がこの先にあるのですが、「善谷曲輪群」との境界や、曲輪の構造がよく判りませんでした。2018年4月、このあたりで、七尾湾から運ばれたと思しき『泥板岩』が発見されました。往時ここに庭園が造られていたといいます。
< 善谷(大石谷)の滝 >
倒竹につかまり、滝上の登りました。残念ながら、ツルツルしていて滑りやすい沢を60mほど登った所で、断念し引き返しました。あと150mほど遡れば、「九尺石」の下に出れたはずです。
2018年10月18日 10:03撮影
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10/18 10:03
< 善谷(大石谷)の滝 >
倒竹につかまり、滝上の登りました。残念ながら、ツルツルしていて滑りやすい沢を60mほど登った所で、断念し引き返しました。あと150mほど遡れば、「九尺石」の下に出れたはずです。
< 龍の尾 >
〜を横切り、下山します。
2018年10月18日 10:34撮影
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10/18 10:34
< 龍の尾 >
〜を横切り、下山します。
< 谷の入り口 >
〜に帰還して、第1回目の探検は終了です。1週間後に、この場所を再訪します。
2018年10月18日 10:53撮影
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10/18 10:53
< 谷の入り口 >
〜に帰還して、第1回目の探検は終了です。1週間後に、この場所を再訪します。
< 不動滝ルート >
〜を辿りました。1回目と同じ「落ヶ谷・善谷入り口」からの登山ですが。この2回目は、大谷川の下流から遡上しました。(※:上杉軍も大谷川を攻め上ったといいます。)矢田大谷橋からスタート、大谷川べりの遊歩道を上流に向かって歩き出します。矢田郷81号線を横切ると、旧道(多根道)に入り途中から古道(大石谷道)に合流します。「落ヶ谷・善谷入り口」−落ヶ谷−不動滝−安寧寺跡−本丸跡−(引き返し大手道を下る)−七尾城史資料館−矢田大谷橋〜で2回目終了。
2015年09月17日 02:25撮影
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9/17 2:25
< 不動滝ルート >
〜を辿りました。1回目と同じ「落ヶ谷・善谷入り口」からの登山ですが。この2回目は、大谷川の下流から遡上しました。(※:上杉軍も大谷川を攻め上ったといいます。)矢田大谷橋からスタート、大谷川べりの遊歩道を上流に向かって歩き出します。矢田郷81号線を横切ると、旧道(多根道)に入り途中から古道(大石谷道)に合流します。「落ヶ谷・善谷入り口」−落ヶ谷−不動滝−安寧寺跡−本丸跡−(引き返し大手道を下る)−七尾城史資料館−矢田大谷橋〜で2回目終了。
< 矢田大谷橋 >
さて、私の家は、この橋の近所です。第2回目の探検は、家から歩いて来てのスタートです。
2018年10月25日 07:00撮影
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10/25 7:00
< 矢田大谷橋 >
さて、私の家は、この橋の近所です。第2回目の探検は、家から歩いて来てのスタートです。
< 大谷川べりの遊歩道 >
〜を上流側に向かって歩きます。この先に、天神山小学校、鵬学園高校、七尾東部中学校があり、通学路としても利用されています。
2018年10月25日 07:02撮影
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10/25 7:02
< 大谷川べりの遊歩道 >
〜を上流側に向かって歩きます。この先に、天神山小学校、鵬学園高校、七尾東部中学校があり、通学路としても利用されています。
< セイタカアワダチソウ(背高泡立草) >
キク科アキノキリンソウ属。雑草あつかいされていますが、綺麗です。先週あたりまでは、城山の大手道にはアキノキリンソウが咲いていました。
1
10/25 7:03
< セイタカアワダチソウ(背高泡立草) >
キク科アキノキリンソウ属。雑草あつかいされていますが、綺麗です。先週あたりまでは、城山の大手道にはアキノキリンソウが咲いていました。
< 遊歩道から見上げた >
〜城山です。大谷川を遡るにつれて、城山の見え方が違ってきます。
2018年10月25日 07:05撮影
0
10/25 7:05
< 遊歩道から見上げた >
〜城山です。大谷川を遡るにつれて、城山の見え方が違ってきます。
< 左手から「蹴落川」 >
〜が大谷川に合流しています。県道177号城山線を横切る手前の場所です。「蹴落川(けおとしがわ)」は、七尾城跡の主郭近くの烏帽子谷あたりから源流しています。城山口の七尾城史資料館のそばを流れ、この場所で大谷川に流れ込んでいます。
2018年10月25日 07:12撮影
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10/25 7:12
< 左手から「蹴落川」 >
〜が大谷川に合流しています。県道177号城山線を横切る手前の場所です。「蹴落川(けおとしがわ)」は、七尾城跡の主郭近くの烏帽子谷あたりから源流しています。城山口の七尾城史資料館のそばを流れ、この場所で大谷川に流れ込んでいます。
< 名も無き橋 >
〜を渡り、蹴落川べりから大谷川べりに戻りました。下の写真は、来た道を振り返った物です。
2018年10月25日 07:13撮影
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10/25 7:13
< 名も無き橋 >
〜を渡り、蹴落川べりから大谷川べりに戻りました。下の写真は、来た道を振り返った物です。
< 大谷川橋 >
〜と城山橋(城山線の橋)が、平行して並んでいます。横断歩道を渡り、大谷川左岸の遊歩道をさらに進みます。
2018年10月25日 07:14撮影
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10/25 7:14
< 大谷川橋 >
〜と城山橋(城山線の橋)が、平行して並んでいます。横断歩道を渡り、大谷川左岸の遊歩道をさらに進みます。
< 天神川原交差点 >
この交差点の西隣りにある交差点「藤野町北」から、七尾城本丸北駐車場までの道が、県道177号「城山線」になります。
2018年10月25日 07:14撮影
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10/25 7:14
< 天神川原交差点 >
この交差点の西隣りにある交差点「藤野町北」から、七尾城本丸北駐車場までの道が、県道177号「城山線」になります。
< 七尾東部中学校 >
〜の前と〜ショッピングモー(愛称:ナッピーモール)ルの後〜の間を抜けると、後畠橋に出ます。
2018年10月25日 07:20撮影
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10/25 7:20
< 七尾東部中学校 >
〜の前と〜ショッピングモー(愛称:ナッピーモール)ルの後〜の間を抜けると、後畠橋に出ます。
< 後畠橋 >
〜の所で、遊歩道が右岸側に移動します。
2018年10月25日 07:25撮影
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10/25 7:25
< 後畠橋 >
〜の所で、遊歩道が右岸側に移動します。
< 田園 >
〜を縫うように大谷川をたどって行きます。
2018年10月25日 07:32撮影
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10/25 7:32
< 田園 >
〜を縫うように大谷川をたどって行きます。
< 城山を見上げ >
〜ました。これから、不動滝から本丸に上がり、大手道を下り帰投します。
2018年10月25日 07:34撮影
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10/25 7:34
< 城山を見上げ >
〜ました。これから、不動滝から本丸に上がり、大手道を下り帰投します。
< 市道 >
〜矢田郷81号線(農免道路)を横切ります。田んぼ道(旧・多根道)を進みます。なんと、昭和の初期まではこの田んぼ道が、石動山のそばにある多根地区に通じる県道だったといいます。
2018年10月25日 07:39撮影
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10/25 7:39
< 市道 >
〜矢田郷81号線(農免道路)を横切ります。田んぼ道(旧・多根道)を進みます。なんと、昭和の初期まではこの田んぼ道が、石動山のそばにある多根地区に通じる県道だったといいます。
< 能越道大谷川橋 >
〜の下をくぐります。下流で渡ったのは、大谷川橋(ばし)でしたが、こちらには、能越道大谷川橋(きょう)です。
2018年10月25日 07:48撮影
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10/25 7:48
< 能越道大谷川橋 >
〜の下をくぐります。下流で渡ったのは、大谷川橋(ばし)でしたが、こちらには、能越道大谷川橋(きょう)です。
< 大谷川にかかる橋を渡り >
〜古道(大石谷道)に入ります。この橋を渡らずに、田んぼ道(旧・多根道)を直進すると、林道古府線(多根道の続きに相当)にぶつかります。
2018年10月25日 07:53撮影
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10/25 7:53
< 大谷川にかかる橋を渡り >
〜古道(大石谷道)に入ります。この橋を渡らずに、田んぼ道(旧・多根道)を直進すると、林道古府線(多根道の続きに相当)にぶつかります。
< 気をつけて >
〜電気柵を跨ぎます。杉林の中に入ります。
2018年10月25日 08:04撮影
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10/25 8:04
< 気をつけて >
〜電気柵を跨ぎます。杉林の中に入ります。
< 道が崩落 >
〜していました。エンゾ(側溝)のなか歩いて先をすすみました。側溝のことをこちら(能登)では、「エンゾ」と呼びます(方言)。所変わって、加賀では「ドブス」、越中では「エンゾロ」となります。
2018年10月25日 08:07撮影
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10/25 8:07
< 道が崩落 >
〜していました。エンゾ(側溝)のなか歩いて先をすすみました。側溝のことをこちら(能登)では、「エンゾ」と呼びます(方言)。所変わって、加賀では「ドブス」、越中では「エンゾロ」となります。
< 落ヶ谷・善谷入り口 >
〜に来ました。ここは、先週に続き2度目です。入り口の手前で古道部分が途切れていて、仕方なく川底を歩きました。
2018年10月25日 08:09撮影
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10/25 8:09
< 落ヶ谷・善谷入り口 >
〜に来ました。ここは、先週に続き2度目です。入り口の手前で古道部分が途切れていて、仕方なく川底を歩きました。
< 今回のルート >
大谷川の下流−谷の入り口−不動滝−本丸−大手道−大谷川の下流〜とほぼ七尾城の城郭を取り囲むように回遊します。
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10/25 8:11
< 今回のルート >
大谷川の下流−谷の入り口−不動滝−本丸−大手道−大谷川の下流〜とほぼ七尾城の城郭を取り囲むように回遊します。
< 入り口 >
〜を入って直後に迷いました。倒木のため道が判りにくくなっていました。白のリボンが目印でした。ピンクリボンは善谷群に導いています。
2018年10月25日 08:17撮影
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10/25 8:17
< 入り口 >
〜を入って直後に迷いました。倒木のため道が判りにくくなっていました。白のリボンが目印でした。ピンクリボンは善谷群に導いています。
< 倒木・倒竹 >
〜に道がふさがれていました。竹が滑りやすく乗り越えるのに大変でした。ここから先は、ホワイトリボンが、流されてしまっていて、目印なしです。
2018年10月25日 08:27撮影
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10/25 8:27
< 倒木・倒竹 >
〜に道がふさがれていました。竹が滑りやすく乗り越えるのに大変でした。ここから先は、ホワイトリボンが、流されてしまっていて、目印なしです。
< 道がない! >
沢登りのように、谷の中を歩いていきます。
2018年10月25日 08:31撮影
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10/25 8:31
< 道がない! >
沢登りのように、谷の中を歩いていきます。
< 三段の滝 その一 >
50mほどの間隔で、小さな滝(いずれも落差1.5mほど)が3つあります。
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10/25 8:39
< 三段の滝 その一 >
50mほどの間隔で、小さな滝(いずれも落差1.5mほど)が3つあります。
< 三段の滝 その二 >
なんとなく庭園で見られるような小滝です。
1
10/25 8:45
< 三段の滝 その二 >
なんとなく庭園で見られるような小滝です。
< 三段の滝 その三 >
滝の横から登ることが出来なかったので、滝壺に足を入れて、よじ登りました。
0
10/25 8:55
< 三段の滝 その三 >
滝の横から登ることが出来なかったので、滝壺に足を入れて、よじ登りました。
< 谷が二叉 >
〜になっています。左手の谷は安寧寺跡あたりから流れていています。よくGPSを見て、右手に進みました。
2018年10月25日 09:02撮影
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10/25 9:02
< 谷が二叉 >
〜になっています。左手の谷は安寧寺跡あたりから流れていています。よくGPSを見て、右手に進みました。
< 再びの二叉 >
〜です。右手の谷の先は、善谷になります。右手の流は、先週(1回目の探検)、善谷の沢登りをした滝から流れて来ています。なんとか、倒竹・流竹でふさがれている左手の谷(落ヶ谷)に進みます。
2018年10月25日 09:04撮影
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10/25 9:04
< 再びの二叉 >
〜です。右手の谷の先は、善谷になります。右手の流は、先週(1回目の探検)、善谷の沢登りをした滝から流れて来ています。なんとか、倒竹・流竹でふさがれている左手の谷(落ヶ谷)に進みます。
< 谷には >
〜木や竹、泥が流落ちていて歩きにくくなっています。ようやく、不動滝が見えてきました。
0
10/25 9:12
< 谷には >
〜木や竹、泥が流落ちていて歩きにくくなっています。ようやく、不動滝が見えてきました。
< ダイモンジソウ(大文字草) >
ユキノシタ科ユキノシタ属〜が、不動滝のマイナスイオンをあびて咲いていました。
1
10/25 9:12
< ダイモンジソウ(大文字草) >
ユキノシタ科ユキノシタ属〜が、不動滝のマイナスイオンをあびて咲いていました。
< 不動滝 >
〜に到着。大きな瀑布ではありませんが、周囲に細かい霧のようなミストを放出しています。
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10/25 9:15
< 不動滝 >
〜に到着。大きな瀑布ではありませんが、周囲に細かい霧のようなミストを放出しています。
< 脚立 >
〜とロープを頼りにして、祠のある所に上がります。
0
10/25 9:18
< 脚立 >
〜とロープを頼りにして、祠のある所に上がります。
< 不動尊 >
地元の人びとが、雨乞いの願いが叶ったお礼に、この不動尊を建立されたそうです。大正13年(1924年)のことでした。
2
10/25 9:20
< 不動尊 >
地元の人びとが、雨乞いの願いが叶ったお礼に、この不動尊を建立されたそうです。大正13年(1924年)のことでした。
< 祠の位置から >
〜滝を見上げました。垂直に切り立っています。
1
10/25 9:22
< 祠の位置から >
〜滝を見上げました。垂直に切り立っています。
< 滝壺 >
〜を見てから、恐る恐る下におります。
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10/25 9:22
< 滝壺 >
〜を見てから、恐る恐る下におります。
< 安寧寺跡への登り口 >
〜が見当たりません。登り口部分が、崩落してしまっていて、どこから登って良い物か判りません。しかし、適当に登ると、登山道に巡り会えました。
0
10/25 9:35
< 安寧寺跡への登り口 >
〜が見当たりません。登り口部分が、崩落してしまっていて、どこから登って良い物か判りません。しかし、適当に登ると、登山道に巡り会えました。
< 安寧寺跡に繋がる道 >
〜ですが、一旦、下って落ヶ谷に登り口を確認して来ました。
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10/25 9:50
< 安寧寺跡に繋がる道 >
〜ですが、一旦、下って落ヶ谷に登り口を確認して来ました。
< 登り口の位置 >
〜で、道も踏み跡もありません。崩落しています。立っている塩ビ管がが目印なのかも知れません。
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10/25 10:00
< 登り口の位置 >
〜で、道も踏み跡もありません。崩落しています。立っている塩ビ管がが目印なのかも知れません。
< 尾根道 >
〜を登ります。
2018年10月25日 10:12撮影
0
10/25 10:12
< 尾根道 >
〜を登ります。
< 防火ポスト >
〜という名の灰皿。昨今は、見当たらなくなったものです。安寧寺跡までの途中に、削平地らしき部分が何ヶ所かあります。曲輪の一部だったかも知れません。
2018年10月25日 10:20撮影
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10/25 10:20
< 防火ポスト >
〜という名の灰皿。昨今は、見当たらなくなったものです。安寧寺跡までの途中に、削平地らしき部分が何ヶ所かあります。曲輪の一部だったかも知れません。
< 安寧寺跡 >
〜に到着。供養塔のうしろに出てきました。
2018年10月25日 10:26撮影
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10/25 10:26
< 安寧寺跡 >
〜に到着。供養塔のうしろに出てきました。
< 「供養塔」 >
〜に向かって右手に、「開山記念櫻(桜は無くなっています)」、左手に、「七尾城祭功労物故者慰霊碑」と「七尾城祭功労物故者名簿」が建立されています。
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10/25 10:27
< 「供養塔」 >
〜に向かって右手に、「開山記念櫻(桜は無くなっています)」、左手に、「七尾城祭功労物故者慰霊碑」と「七尾城祭功労物故者名簿」が建立されています。
< 安寧寺跡の広場 >
〜を一周してから、広場下のベンチに立ち寄ります。
2018年10月25日 10:27撮影
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10/25 10:27
< 安寧寺跡の広場 >
〜を一周してから、広場下のベンチに立ち寄ります。
< ベンチで眺望 >
〜を楽しんでから、本丸を目指します。
2018年10月25日 10:29撮影
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10/25 10:29
< ベンチで眺望 >
〜を楽しんでから、本丸を目指します。
< 今日もよい眺め >
〜です。2つの尾根(※)の間から見下ろせる城下(七尾市街)と能登の島山が絶景です。※:2つの尾根は、「鶴の尾」と「松の尾」に相当すると思います。
1
10/25 10:30
< 今日もよい眺め >
〜です。2つの尾根(※)の間から見下ろせる城下(七尾市街)と能登の島山が絶景です。※:2つの尾根は、「鶴の尾」と「松の尾」に相当すると思います。
< 袴腰に上がった所 >
〜の階段から三の丸に進みます。
2018年10月25日 10:31撮影
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10/25 10:31
< 袴腰に上がった所 >
〜の階段から三の丸に進みます。
< 2ヶ所の階段 >
〜を登ると三の丸です。
2018年10月25日 10:32撮影
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10/25 10:32
< 2ヶ所の階段 >
〜を登ると三の丸です。
< 広い曲輪 >
〜です。七尾城では最大級の曲輪跡です。
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10/25 10:35
< 広い曲輪 >
〜です。七尾城では最大級の曲輪跡です。
< 建物跡(基礎石) >
〜に沿って歩き、三の丸から出て、二の丸に向かいます。
2018年10月25日 10:36撮影
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10/25 10:36
< 建物跡(基礎石) >
〜に沿って歩き、三の丸から出て、二の丸に向かいます。
< 三の丸の出口 >
〜で振り返りました。実は、三の丸に上がってくる道は2本あります。今回登ってきたのは、袴腰の安寧寺跡そばの階段からの道です。もう一本は、袴腰の沓掛場側からの階段から登る道があります(写真右手の奥)。
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10/25 10:37
< 三の丸の出口 >
〜で振り返りました。実は、三の丸に上がってくる道は2本あります。今回登ってきたのは、袴腰の安寧寺跡そばの階段からの道です。もう一本は、袴腰の沓掛場側からの階段から登る道があります(写真右手の奥)。
< 崖っぷち >
〜を歩き、大堀切りの所に出ます。
2018年10月25日 10:38撮影
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10/25 10:38
< 崖っぷち >
〜を歩き、大堀切りの所に出ます。
< 大堀切り >
二の丸と三の丸を分断する〜大がかりな堀切です。また、本丸の東側にも、長殿丸と分離する堀切りがあります。つまり、主郭部分が、堀切と谷で前後左右に外部から遮断された格好になっています。七尾城は、完璧な防御を備えていました。
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10/25 10:38
< 大堀切り >
二の丸と三の丸を分断する〜大がかりな堀切です。また、本丸の東側にも、長殿丸と分離する堀切りがあります。つまり、主郭部分が、堀切と谷で前後左右に外部から遮断された格好になっています。七尾城は、完璧な防御を備えていました。
< 大堀切りの西側の崖 >
この崖下を100mほど西に下りた位置に、先週、お参りした「不動滝」があります。
2018年10月25日 10:39撮影
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10/25 10:39
< 大堀切りの西側の崖 >
この崖下を100mほど西に下りた位置に、先週、お参りした「不動滝」があります。
< 切られた道から >
〜二の丸方面に上がります。2ヶ所の階段を登ると〜
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10/25 10:39
< 切られた道から >
〜二の丸方面に上がります。2ヶ所の階段を登ると〜
< 二の丸 >
〜です。
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10/25 10:44
< 二の丸 >
〜です。
< 本丸側から振り返りました。 >
ここの紅葉は素敵なのですが、今年の見頃は例年より遅く、11月中頃かもしれません。
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10/25 10:45
< 本丸側から振り返りました。 >
ここの紅葉は素敵なのですが、今年の見頃は例年より遅く、11月中頃かもしれません。
< 隣の「温井屋敷跡」 >
〜に下ります。ちなみに、向かいに「西の丸」があるのですが、樹木に覆われていて上がることができません。
2018年10月25日 10:45撮影
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10/25 10:45
< 隣の「温井屋敷跡」 >
〜に下ります。ちなみに、向かいに「西の丸」があるのですが、樹木に覆われていて上がることができません。
< 九尺石 >
〜拝見しました。大手門などのそばに巨石を置く習わしが、あったと言いますから、ここに繋がっていた古道「大石谷道」は、登城のメインルートだったのかも?
2018年10月25日 10:46撮影
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10/25 10:46
< 九尺石 >
〜拝見しました。大手門などのそばに巨石を置く習わしが、あったと言いますから、ここに繋がっていた古道「大石谷道」は、登城のメインルートだったのかも?
< 災害復旧事業 >
〜が実施されています。七尾城跡には、まだまだ壊れている石垣がたくさんあります。全部復元できたら、日本一の城郭となるかも?
2018年10月25日 10:47撮影
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10/25 10:47
< 災害復旧事業 >
〜が実施されています。七尾城跡には、まだまだ壊れている石垣がたくさんあります。全部復元できたら、日本一の城郭となるかも?
< 桜馬場の前 >
〜を横切り、本丸に向かいます。
2018年10月25日 10:48撮影
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10/25 10:48
< 桜馬場の前 >
〜を横切り、本丸に向かいます。
< 主郭からの下り口 >
〜を横目にして進み、遊佐屋敷跡の前を通り、本丸に登ります。本丸からは裏手から下り、この下り口に戻ってきます。
2018年10月25日 10:49撮影
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10/25 10:49
< 主郭からの下り口 >
〜を横目にして進み、遊佐屋敷跡の前を通り、本丸に登ります。本丸からは裏手から下り、この下り口に戻ってきます。
< 本丸正面のの石垣 >
〜の横の階段を登ります。
2018年10月25日 10:50撮影
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10/25 10:50
< 本丸正面のの石垣 >
〜の横の階段を登ります。
< 台形三段の石垣 >
〜です。『七尾城の戦い』では、弓隊をこの石段に配置していたかもしてません。
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10/25 10:50
< 台形三段の石垣 >
〜です。『七尾城の戦い』では、弓隊をこの石段に配置していたかもしてません。
< 本丸跡 >
〜に上がりました。城山神社のある位置が、天主台のようになっています。東側の山頂の展望台が見えています。
2018年10月25日 10:51撮影
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10/25 10:51
< 本丸跡 >
〜に上がりました。城山神社のある位置が、天主台のようになっています。東側の山頂の展望台が見えています。
< 本丸から見た七尾湾 >
湾の手前(七尾港側)が、七尾南湾です。左端の和倉温泉側は、七尾西湾になります。能登島の後側が、七尾北湾です。
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10/25 10:52
< 本丸から見た七尾湾 >
湾の手前(七尾港側)が、七尾南湾です。左端の和倉温泉側は、七尾西湾になります。能登島の後側が、七尾北湾です。
< 説明パネル >
〜が設置されていました。ここから、上杉謙信も七尾の城下を見下ろしていたはずです。
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10/25 10:52
< 説明パネル >
〜が設置されていました。ここから、上杉謙信も七尾の城下を見下ろしていたはずです。
< 七尾湾の中央 >
〜を能登島が占めています。
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10/25 10:52
< 七尾湾の中央 >
〜を能登島が占めています。
< 能登島に架かる >
〜2本の橋をズームしました。手前の橋が、「能登島大橋」。奥の橋が、「ツインブリッジのと(中能登農道橋)」です。この2本の橋の間が、七尾西湾になります。
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10/25 10:52
< 能登島に架かる >
〜2本の橋をズームしました。手前の橋が、「能登島大橋」。奥の橋が、「ツインブリッジのと(中能登農道橋)」です。この2本の橋の間が、七尾西湾になります。
< 七尾大田火力発電所 >
〜をズーム。北陸電力の石炭火力発電所です。総出力が120万kW(1号機50万 kW、2号機70万 kW)もあります。火力発電所の後方に、LPガス国家備蓄基地(LPG基地)があるのですが、ここからは見えていません。日本全国のLPガス需要の約1週間分に相当する量が備蓄されています。
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10/25 10:52
< 七尾大田火力発電所 >
〜をズーム。北陸電力の石炭火力発電所です。総出力が120万kW(1号機50万 kW、2号機70万 kW)もあります。火力発電所の後方に、LPガス国家備蓄基地(LPG基地)があるのですが、ここからは見えていません。日本全国のLPガス需要の約1週間分に相当する量が備蓄されています。
< 城山神社 >
〜にお参りしました。城山神社は、昭和17年の第1回城山祭りの際に建立されています。七尾城跡では一番高い位置ですが、東の山頂にある展望台も城郭の一部だったとすると、七尾城の最高所は展望台(山頂)だったことになります。近年、展望台の周辺でも城郭跡が発見されています。
2018年10月25日 10:53撮影
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10/25 10:53
< 城山神社 >
〜にお参りしました。城山神社は、昭和17年の第1回城山祭りの際に建立されています。七尾城跡では一番高い位置ですが、東の山頂にある展望台も城郭の一部だったとすると、七尾城の最高所は展望台(山頂)だったことになります。近年、展望台の周辺でも城郭跡が発見されています。
< 井戸跡 >
〜のそばを通り、小口を出ます。
2018年10月25日 10:55撮影
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10/25 10:55
< 井戸跡 >
〜のそばを通り、小口を出ます。
< 本丸外枡形 >
小口を出たところが、敵を誘い込む枡形になっています。
2018年10月25日 10:57撮影
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10/25 10:57
< 本丸外枡形 >
小口を出たところが、敵を誘い込む枡形になっています。
< 桜馬場 >
〜に下ります。遊佐屋敷の横手で桜馬場を縦断します。
2018年10月25日 10:57撮影
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10/25 10:57
< 桜馬場 >
〜に下ります。遊佐屋敷の横手で桜馬場を縦断します。
< 主郭部分 >
〜から下ります。下には調度丸があります。
2018年10月25日 10:58撮影
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10/25 10:58
< 主郭部分 >
〜から下ります。下には調度丸があります。
< 野面積みの石垣 >
〜を眺めながら石段を下ります。
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10/25 10:59
< 野面積みの石垣 >
〜を眺めながら石段を下ります。
< 下ってきた石段 >
〜を振り返りました。
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10/25 11:00
< 下ってきた石段 >
〜を振り返りました。
< 四段の石垣 >
〜を見上げました。この場所の一段下に小口があります。寺屋敷跡に下る坂の小口です。そこの石垣も含めると、五段の石垣になります。
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10/25 11:00
< 四段の石垣 >
〜を見上げました。この場所の一段下に小口があります。寺屋敷跡に下る坂の小口です。そこの石垣も含めると、五段の石垣になります。
< 調度丸 >
〜を見ました。駐車場側には行かず、寺屋敷跡に下ります。
2018年10月25日 11:01撮影
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10/25 11:01
< 調度丸 >
〜を見ました。駐車場側には行かず、寺屋敷跡に下ります。
< 小口を通り >
〜石段を下ります。
2018年10月25日 11:02撮影
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10/25 11:02
< 小口を通り >
〜石段を下ります。
< 石段の途中から >
〜振り返りました。温井屋敷跡の東側の石垣が崩れていましたが、だいぶ修復されています。
2018年10月25日 11:03撮影
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10/25 11:03
< 石段の途中から >
〜振り返りました。温井屋敷跡の東側の石垣が崩れていましたが、だいぶ修復されています。
< 大手道を下り >
〜ますが、寺屋敷跡に立ち寄ります。
2018年10月25日 11:04撮影
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10/25 11:04
< 大手道を下り >
〜ますが、寺屋敷跡に立ち寄ります。
< 大塚 >
寺屋敷にあったと伝わる「大塚」が再現されています。3年ほど前に、この場所の樹木が伐採し、木の枝と土を混ぜて塚を形成したみたいです。
2018年10月25日 11:06撮影
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10/25 11:06
< 大塚 >
寺屋敷にあったと伝わる「大塚」が再現されています。3年ほど前に、この場所の樹木が伐採し、木の枝と土を混ぜて塚を形成したみたいです。
< 樋の水(とよのみず) >
七尾城があった頃は、大事な水源だったのでしょう。
2018年10月25日 11:09撮影
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10/25 11:09
< 樋の水(とよのみず) >
七尾城があった頃は、大事な水源だったのでしょう。
< サンショウウオも喜ぶ >
〜水です。ヒダサンショウウオが生息していますが、今は冬眠中のようです。
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10/25 11:09
< サンショウウオも喜ぶ >
〜水です。ヒダサンショウウオが生息していますが、今は冬眠中のようです。
< ヒダサンショウウオ >
(飛騨山椒魚)サンショウウオ科サンショウウオ。体もまだ小さく(成体の半分以下の5僂曚鼻法外鰓(エラ)が大きいので「幼体」のサンショウウオです。
※:2021年7月15日の撮影です(追加の写真)。
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< ヒダサンショウウオ >
(飛騨山椒魚)サンショウウオ科サンショウウオ。体もまだ小さく(成体の半分以下の5僂曚鼻法外鰓(エラ)が大きいので「幼体」のサンショウウオです。
※:2021年7月15日の撮影です(追加の写真)。
< 沓掛場 >
〜に入ります。
2018年10月25日 11:17撮影
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10/25 11:17
< 沓掛場 >
〜に入ります。
< 枝葉の間から >
〜七尾湾の出口方面が見えます。能登島の北側の出口が大口瀬戸で、南側が小口瀬戸です。
2018年10月25日 11:18撮影
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10/25 11:18
< 枝葉の間から >
〜七尾湾の出口方面が見えます。能登島の北側の出口が大口瀬戸で、南側が小口瀬戸です。
< 安寧寺跡手前の三叉路 >
〜を通り大手道を下ります。
2018年10月25日 11:20撮影
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10/25 11:20
< 安寧寺跡手前の三叉路 >
〜を通り大手道を下ります。
< 一本道 >
〜ですが、いろいろ遺構が残されています。番所跡−七曲り−時鐘跡−長坂−赤坂〜と続いています。
2018年10月25日 11:21撮影
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10/25 11:21
< 一本道 >
〜ですが、いろいろ遺構が残されています。番所跡−七曲り−時鐘跡−長坂−赤坂〜と続いています。
< 赤坂口 >
〜に下りてきました。後方の平地には、畠山氏の菩提寺であった『妙圀寺』がありましたが、1615年(慶長20年)、山の寺寺院群(七尾市小島町)に移転されています。
2018年10月25日 11:36撮影
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10/25 11:36
< 赤坂口 >
〜に下りてきました。後方の平地には、畠山氏の菩提寺であった『妙圀寺』がありましたが、1615年(慶長20年)、山の寺寺院群(七尾市小島町)に移転されています。
< 登山口(赤坂口) >
〜を振り返りました。車道の奥に「蔵屋敷跡」がありますが、道は行き止まっています。
2018年10月25日 11:37撮影
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10/25 11:37
< 登山口(赤坂口) >
〜を振り返りました。車道の奥に「蔵屋敷跡」がありますが、道は行き止まっています。
< 古城町のメイン道路 >
〜から右に古道「大手道」がそれています。
2018年10月25日 11:39撮影
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10/25 11:39
< 古城町のメイン道路 >
〜から右に古道「大手道」がそれています。
< 高屋敷跡 >
〜の前で左折し、林の中を進みます。
2018年10月25日 11:40撮影
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10/25 11:40
< 高屋敷跡 >
〜の前で左折し、林の中を進みます。
< 小屋場跡 >
下級武士の家が建ち並んでいた所かもしれません。いつもこの時期(秋)になると、この辺りは紅い果実が沢山実ります。
2018年10月25日 11:43撮影
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10/25 11:43
< 小屋場跡 >
下級武士の家が建ち並んでいた所かもしれません。いつもこの時期(秋)になると、この辺りは紅い果実が沢山実ります。
< 紅い実 >
〜2種。上の写真は、マムシグサ(蝮草、サトイモ科テンナンショウ属)の仲間の果実。下は、カラタチバナ(唐橘、サクラソウ科ヤブコウジ属)の果実です。
2018年10月25日 11:44撮影
1
10/25 11:44
< 紅い実 >
〜2種。上の写真は、マムシグサ(蝮草、サトイモ科テンナンショウ属)の仲間の果実。下は、カラタチバナ(唐橘、サクラソウ科ヤブコウジ属)の果実です。
< 立石のお地蔵さん >
お祈りすると歯の病にご利益があるそうです。
2018年10月25日 11:46撮影
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10/25 11:46
< 立石のお地蔵さん >
お祈りすると歯の病にご利益があるそうです。
< 能越道 >
〜の下をくぐります。このあたりで、能越道と総構え跡(遺構)と交差しているはずです。総構えは、大谷川と蹴落川(大谷川の支流)の間で[コの字]の形をしていました。総構えの内側に屋敷群があり、さらに尾根を上がると曲輪群が位置していることになります。
2018年10月25日 11:48撮影
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10/25 11:48
< 能越道 >
〜の下をくぐります。このあたりで、能越道と総構え跡(遺構)と交差しているはずです。総構えは、大谷川と蹴落川(大谷川の支流)の間で[コの字]の形をしていました。総構えの内側に屋敷群があり、さらに尾根を上がると曲輪群が位置していることになります。
< 民家の間 >
〜を通ります。
2018年10月25日 11:49撮影
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10/25 11:49
< 民家の間 >
〜を通ります。
< 町道(メインの道路) >
〜に戻りました。
2018年10月25日 11:50撮影
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10/25 11:50
< 町道(メインの道路) >
〜に戻りました。
< 蹴落川のそばにある >
〜資料館に立ち寄ります。今歩いている〜古城町から古屋敷町に下る道(町道)が『健康のみち』に指定されています。
2018年10月25日 11:51撮影
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10/25 11:51
< 蹴落川のそばにある >
〜資料館に立ち寄ります。今歩いている〜古城町から古屋敷町に下る道(町道)が『健康のみち』に指定されています。
< 30mほど横道 >
〜に入ります。
2018年10月25日 11:53撮影
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10/25 11:53
< 30mほど横道 >
〜に入ります。
< 七尾城史資料館 >
庭先には日本一小さいと言われている茶室があります。
2018年10月25日 11:54撮影
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10/25 11:54
< 七尾城史資料館 >
庭先には日本一小さいと言われている茶室があります。
< 旧・樋爪家の茶室 >
傘天井の下に半畳の部屋が造られています。
2018年10月25日 11:54撮影
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10/25 11:54
< 旧・樋爪家の茶室 >
傘天井の下に半畳の部屋が造られています。
< 懐古館「飯田家」 >
資料館の隣りにあります。代々、加賀藩の庄屋を務めていた家です。
2018年10月25日 11:55撮影
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10/25 11:55
< 懐古館「飯田家」 >
資料館の隣りにあります。代々、加賀藩の庄屋を務めていた家です。
< 城山線に出て >
〜横断歩道を渡ります。城山線は中腹あたりで通行止めになっています。道路が50mにわたって崩落しています。災害は2018年9月11日の未明のことでした。
2018年10月25日 11:57撮影
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10/25 11:57
< 城山線に出て >
〜横断歩道を渡ります。城山線は中腹あたりで通行止めになっています。道路が50mにわたって崩落しています。災害は2018年9月11日の未明のことでした。
< 登山者用の駐車場 >
〜の前を通り、大谷川に向かって下ります。
2018年10月25日 11:58撮影
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10/25 11:58
< 登山者用の駐車場 >
〜の前を通り、大谷川に向かって下ります。
< 交差点「城山」 >
この先、県道177号城山線は、交差点「天神川原」の所で、大谷川を跨いでいます。もう一つ先の交差点「藤野町北」が、城山線の起点になっています(終点は本丸北駐車場です)。
2018年10月25日 11:59撮影
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10/25 11:59
< 交差点「城山」 >
この先、県道177号城山線は、交差点「天神川原」の所で、大谷川を跨いでいます。もう一つ先の交差点「藤野町北」が、城山線の起点になっています(終点は本丸北駐車場です)。
< 蹴落川(※1) >
〜沿いを歩き、大谷川の遊歩道に入ります。この辺りは古くから「天神川原」と呼ばれていました。上杉謙信が、七尾城の戦いで本陣(※2)を置いた場所です。
※1:「蹴落川(けおとしがわ)」は、またの名を「木落川(きおとしがわ)」と言います。
※2:石動山衆徒(一向勢)を従わせていた謙信はのちに、七尾城に近い石動山に城砦(石動山城)を造り本陣を、石動山城に移しています。
2018年10月25日 12:13撮影
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10/25 12:13
< 蹴落川(※1) >
〜沿いを歩き、大谷川の遊歩道に入ります。この辺りは古くから「天神川原」と呼ばれていました。上杉謙信が、七尾城の戦いで本陣(※2)を置いた場所です。
※1:「蹴落川(けおとしがわ)」は、またの名を「木落川(きおとしがわ)」と言います。
※2:石動山衆徒(一向勢)を従わせていた謙信はのちに、七尾城に近い石動山に城砦(石動山城)を造り本陣を、石動山城に移しています。
< 遊歩道から >
〜城山を眺めまして、第2回目の探検は終了しました。
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10/25 12:20
< 遊歩道から >
〜城山を眺めまして、第2回目の探検は終了しました。
< 小松原道 >
〜を辿りました。3週目にして第3回目の城山探検になります。矢田大谷橋−矢田町大門−八幡神社−小松原道(登り)−城山展望台(山頂)−(黒崎線を下る)−本丸−二の丸−三の丸−安寧寺跡−本丸北駐車場−(城山線を下る)−交差点「城山」−矢田大谷橋(大谷川)〜で終了です。
2015年09月17日 02:25撮影
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9/17 2:25
< 小松原道 >
〜を辿りました。3週目にして第3回目の城山探検になります。矢田大谷橋−矢田町大門−八幡神社−小松原道(登り)−城山展望台(山頂)−(黒崎線を下る)−本丸−二の丸−三の丸−安寧寺跡−本丸北駐車場−(城山線を下る)−交差点「城山」−矢田大谷橋(大谷川)〜で終了です。
< 朝日の方向 >
〜に向かって歩き始めます。大谷川の川縁(矢田大谷橋)からの出発です。
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11/1 7:22
< 朝日の方向 >
〜に向かって歩き始めます。大谷川の川縁(矢田大谷橋)からの出発です。
< 鍛治谷川 >
大谷川の支流で、城山展望台(山頂)の北麓側が源流になっています。大門集落の西側を流れ、矢田大谷橋の北側(下流側)で大谷川に合流しています。これから、この支流の上流域を通る「小松原道」を登ることになります。
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< 鍛治谷川 >
大谷川の支流で、城山展望台(山頂)の北麓側が源流になっています。大門集落の西側を流れ、矢田大谷橋の北側(下流側)で大谷川に合流しています。これから、この支流の上流域を通る「小松原道」を登ることになります。
< 田んぼの野原 >
〜で城山を眺めました。前回(2回目の探検)は、反時計回りに城郭(曲輪群)をめぐりました。今回は、百間馬場だったとされる展望台(山頂)に登り、本丸に立ち寄ってから城山線を下ってきます。時計回りのルートとなります。
2018年11月01日 07:28撮影
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11/1 7:28
< 田んぼの野原 >
〜で城山を眺めました。前回(2回目の探検)は、反時計回りに城郭(曲輪群)をめぐりました。今回は、百間馬場だったとされる展望台(山頂)に登り、本丸に立ち寄ってから城山線を下ってきます。時計回りのルートとなります。
< 交差点「七尾城山IC口」 >
〜に出てきました。正面奥に、これから登る小松原道の登り口が見えています。このまま直進しても良かったのですが、ここで左折して、大門集落にある神社にお参りしてきます。
2018年11月01日 07:47撮影
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11/1 7:47
< 交差点「七尾城山IC口」 >
〜に出てきました。正面奥に、これから登る小松原道の登り口が見えています。このまま直進しても良かったのですが、ここで左折して、大門集落にある神社にお参りしてきます。
< 八幡(はちまん)神社 >
所在地の住所は、七尾市矢田町酉ですが、大門という旧集落名でとおっています。石川県内には「八幡神社」が385社もあります(石川県神社庁のHPより)。うち377社(98%)は『はちまんじんじゃ』ですが、残り8社だけが、『やわたじんじゃ』です。
2018年11月01日 07:50撮影
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< 八幡(はちまん)神社 >
所在地の住所は、七尾市矢田町酉ですが、大門という旧集落名でとおっています。石川県内には「八幡神社」が385社もあります(石川県神社庁のHPより)。うち377社(98%)は『はちまんじんじゃ』ですが、残り8社だけが、『やわたじんじゃ』です。
< 神社の由緒 >
元々、七尾城のどこかに建立され『竹の尾八幡』と称されていたという。七尾城落城とともに失われていたご神体が70年後に発見され、集落の山側にあるお宮が本殿となり、ここのお宮は拝殿のみとして建立された?〜みたいです。通常、山側のお社は「奥宮」で、里のお社は「本社」=拝殿+本殿〜となるはずです。奥宮の位置するべき場所に本殿を配して、里のこの場所に拝殿のみを配しているのでしょうか?
2018年11月01日 07:52撮影
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11/1 7:52
< 神社の由緒 >
元々、七尾城のどこかに建立され『竹の尾八幡』と称されていたという。七尾城落城とともに失われていたご神体が70年後に発見され、集落の山側にあるお宮が本殿となり、ここのお宮は拝殿のみとして建立された?〜みたいです。通常、山側のお社は「奥宮」で、里のお社は「本社」=拝殿+本殿〜となるはずです。奥宮の位置するべき場所に本殿を配して、里のこの場所に拝殿のみを配しているのでしょうか?
< ともかく >
〜大門集落を横切り、小松原道に向かいます。
2018年11月01日 07:55撮影
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11/1 7:55
< ともかく >
〜大門集落を横切り、小松原道に向かいます。
< 上がってきた道 >
〜を振り返りました。集落側から入ってきましたが、城山IC口からも入って来れます。
2018年11月01日 07:58撮影
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11/1 7:58
< 上がってきた道 >
〜を振り返りました。集落側から入ってきましたが、城山IC口からも入って来れます。
< 真っ直ぐ農道 >
〜を進みます。能越道の下を通る「ボックスカルバート(マンポ)」をくぐると、神社本殿と小松原道があります。
2018年11月01日 08:04撮影
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11/1 8:04
< 真っ直ぐ農道 >
〜を進みます。能越道の下を通る「ボックスカルバート(マンポ)」をくぐると、神社本殿と小松原道があります。
< 振り返ると「虹」 >
〜が出ていました。今朝は雨上がりで良い天気になりそうでしたが、後半は雨に降られることになりました。
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11/1 8:06
< 振り返ると「虹」 >
〜が出ていました。今朝は雨上がりで良い天気になりそうでしたが、後半は雨に降られることになりました。
< マンポの中 >
〜に入ります。本来、動物(人、猪、狸)のための通路ですが、電気柵が敷かれているので、人のみが通行出来ます。マンポとは、鉄道や自動車道の下をくぐる短いトンネルのことです。特に四角い坑道状のものを「ボックスカルバート」と呼びます。なんでも、鉱山の坑道を意味する『間府(まぶ)』という言葉が語源らしい。
2018年11月01日 08:08撮影
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11/1 8:08
< マンポの中 >
〜に入ります。本来、動物(人、猪、狸)のための通路ですが、電気柵が敷かれているので、人のみが通行出来ます。マンポとは、鉄道や自動車道の下をくぐる短いトンネルのことです。特に四角い坑道状のものを「ボックスカルバート」と呼びます。なんでも、鉱山の坑道を意味する『間府(まぶ)』という言葉が語源らしい。
< マンポの外 >
〜に出ます。右に曲がり、少し行くと、八幡神社本殿(奥宮のようですが)の参道口と、小松原道に繋がる林道口があります。
2018年11月01日 08:09撮影
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11/1 8:09
< マンポの外 >
〜に出ます。右に曲がり、少し行くと、八幡神社本殿(奥宮のようですが)の参道口と、小松原道に繋がる林道口があります。
< 出たところで >
〜小川が溢れたためか、砂地になっている場所があります。大門の田畑を狙っていたかも知れない「猪」の爪痕を見つけました。
2018年11月01日 08:10撮影
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11/1 8:10
< 出たところで >
〜小川が溢れたためか、砂地になっている場所があります。大門の田畑を狙っていたかも知れない「猪」の爪痕を見つけました。
< 手前に参道口 >
〜奥に林道口があります。奥に行って引き返してきました。
2018年11月01日 08:13撮影
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11/1 8:13
< 手前に参道口 >
〜奥に林道口があります。奥に行って引き返してきました。
< 八幡神社参道口 >
〜から入山させて頂きました。
2018年11月01日 08:15撮影
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11/1 8:15
< 八幡神社参道口 >
〜から入山させて頂きました。
< 参道を >
〜約100m進むと本殿(奥宮)に上がる最後の階段下に辿り着きました。
2018年11月01日 08:19撮影
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11/1 8:19
< 参道を >
〜約100m進むと本殿(奥宮)に上がる最後の階段下に辿り着きました。
< 急登の石段 >
〜を登り、お参りしました。
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11/1 8:21
< 急登の石段 >
〜を登り、お参りしました。
< 八幡神社(本殿) >
〜です。大門集落にある里宮は、拝殿となっているらしいが、八幡神社の奥宮と里宮という言い方でもよいと思います。
2018年11月01日 08:22撮影
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11/1 8:22
< 八幡神社(本殿) >
〜です。大門集落にある里宮は、拝殿となっているらしいが、八幡神社の奥宮と里宮という言い方でもよいと思います。
< 奥宮から下り >
〜ます。踏み跡がハッキリしませんが、小松原道に入るルートが何となく石ころの配置から推測できます。
2018年11月01日 08:32撮影
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11/1 8:32
< 奥宮から下り >
〜ます。踏み跡がハッキリしませんが、小松原道に入るルートが何となく石ころの配置から推測できます。
< 100m弱ほど >
〜進んで山道(小松原道)に入りました。この合流点で右に下ると先ほど観察した林道口に出ます。
2018年11月01日 08:34撮影
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< 100m弱ほど >
〜進んで山道(小松原道)に入りました。この合流点で右に下ると先ほど観察した林道口に出ます。
< 笹藪や倒木 >
〜の多い道です。
2018年11月01日 08:40撮影
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11/1 8:40
< 笹藪や倒木 >
〜の多い道です。
< 何度か迷い道 >
〜しました。以前、展望台からこちらの道を下ってきた事がありますが、道に迷うことはありませんでした。登りで迷いやすくなる理由は、行く手の見通しが悪くなるのと、畝状に盛り上がっている部分が歩きやすく見えてしまい、あらぬ方向に誘い込まれてしまいます。
2018年11月01日 08:52撮影
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< 何度か迷い道 >
〜しました。以前、展望台からこちらの道を下ってきた事がありますが、道に迷うことはありませんでした。登りで迷いやすくなる理由は、行く手の見通しが悪くなるのと、畝状に盛り上がっている部分が歩きやすく見えてしまい、あらぬ方向に誘い込まれてしまいます。
< 七曲り(大手道)と似ている >
〜部分もありますが、山頂に近くなると、再び笹藪が増えてきました。足元を確認しながら進みました。
2018年11月01日 09:25撮影
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11/1 9:25
< 七曲り(大手道)と似ている >
〜部分もありますが、山頂に近くなると、再び笹藪が増えてきました。足元を確認しながら進みました。
< 山頂の展望台 >
〜が見えてきました。
2018年11月01日 09:38撮影
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11/1 9:38
< 山頂の展望台 >
〜が見えてきました。
< 図がはげ落ちた俯瞰図 >
〜でしたが、良い眺めです。季節は晩秋ですがまだ、シモツケ(下野、バラ科シモツケ属)の花が残されていました。
2018年11月01日 09:38撮影
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< 図がはげ落ちた俯瞰図 >
〜でしたが、良い眺めです。季節は晩秋ですがまだ、シモツケ(下野、バラ科シモツケ属)の花が残されていました。
< 七尾西湾の方面 >
〜がよく見えました。能登富士とも呼ばれる「高爪山」がはっきりと見えています。
2018年11月01日 09:39撮影
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11/1 9:39
< 七尾西湾の方面 >
〜がよく見えました。能登富士とも呼ばれる「高爪山」がはっきりと見えています。
< 展望台の横に三角点 >
〜があります。
2018年11月01日 09:40撮影
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< 展望台の横に三角点 >
〜があります。
< 三等三角点「小松原」 >
〜です(標高379.47m)。大切にしまわれています。
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< 三等三角点「小松原」 >
〜です(標高379.47m)。大切にしまわれています。
< 城山展望台 >
2015〜2016年に行われた、航空機によるレーザー測量の結果がもとになって、この展望台の周囲にも、堀、堀切、土塁〜の跡が発見されました。従来想定されていた七尾城の城域が、拡大されるようになりました。
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11/1 9:51
< 城山展望台 >
2015〜2016年に行われた、航空機によるレーザー測量の結果がもとになって、この展望台の周囲にも、堀、堀切、土塁〜の跡が発見されました。従来想定されていた七尾城の城域が、拡大されるようになりました。
< 七角形の展望台 >
〜に上がり。七方向?に展望します。この展望台は、七尾城の天守閣をイメージさせているので、「展望」ではなく『天望』と言いたいところです。
2018年11月01日 09:51撮影
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< 七角形の展望台 >
〜に上がり。七方向?に展望します。この展望台は、七尾城の天守閣をイメージさせているので、「展望」ではなく『天望』と言いたいところです。
< 近隣の峰々 >
〜を見回しました。5.4kmほど南に「石動山」があります。南西方向には、邑知地溝帯を挟んで細長い「眉丈山丘陵」が南西方向に伸びています。
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11/1 9:52
< 近隣の峰々 >
〜を見回しました。5.4kmほど南に「石動山」があります。南西方向には、邑知地溝帯を挟んで細長い「眉丈山丘陵」が南西方向に伸びています。
< 石動山をズーム >
〜しました。「石動山(※1)」とその奥にある「枡形山(※2)」は、『七尾城名戦い』のあと、戦場となった峰々です。※1:石動山衆徒(一向勢)の天平寺があったが、織田軍に焼き討ちされ全山消失。※2:一向勢と手を組み、織田軍に対抗していた「温井・三宅兄弟」が、荒山合戦の時に立て籠もった荒山砦があった。
2018年11月01日 09:52撮影
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< 石動山をズーム >
〜しました。「石動山(※1)」とその奥にある「枡形山(※2)」は、『七尾城名戦い』のあと、戦場となった峰々です。※1:石動山衆徒(一向勢)の天平寺があったが、織田軍に焼き討ちされ全山消失。※2:一向勢と手を組み、織田軍に対抗していた「温井・三宅兄弟」が、荒山合戦の時に立て籠もった荒山砦があった。
< 七尾城主郭跡をズーム >
後方には、眉丈山丘陵(雷ヶ峰・眉丈山など)と眉丈山地(眉丈が丘など)が見えています。
2018年11月01日 09:53撮影
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< 七尾城主郭跡をズーム >
後方には、眉丈山丘陵(雷ヶ峰・眉丈山など)と眉丈山地(眉丈が丘など)が見えています。
< 北方向を遠望 >
〜しました。城下と七尾湾一帯が見渡せます。右下には、登って来た小松原道の下り口が見えています。
2018年11月01日 09:53撮影
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11/1 9:53
< 北方向を遠望 >
〜しました。城下と七尾湾一帯が見渡せます。右下には、登って来た小松原道の下り口が見えています。
< ひょっこり島 >
〜をズーム。観光PRでの能登島の愛称です。
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11/1 9:54
< ひょっこり島 >
〜をズーム。観光PRでの能登島の愛称です。
< 橋をダブルでズーム >
「能登島大橋」=(七尾南湾と西湾の境界)と「ツインブリッジのと」=(七尾西湾と北湾の境界)です。
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11/1 9:54
< 橋をダブルでズーム >
「能登島大橋」=(七尾南湾と西湾の境界)と「ツインブリッジのと」=(七尾西湾と北湾の境界)です。
< 七角の柱の七面 >
〜にプラカードが貼られています。この山の七つの尾根が、七尾市の名前の由来になっています。七尾城の主郭部分が乗っかっている尾根が『松尾』と呼ばれていましたので初期の頃は、七尾城は松尾城と呼ばれていたらしい。残りの尾根については正確には特定されていないようです。
2018年11月01日 09:56撮影
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11/1 9:56
< 七角の柱の七面 >
〜にプラカードが貼られています。この山の七つの尾根が、七尾市の名前の由来になっています。七尾城の主郭部分が乗っかっている尾根が『松尾』と呼ばれていましたので初期の頃は、七尾城は松尾城と呼ばれていたらしい。残りの尾根については正確には特定されていないようです。
< 展望台から出て >
〜下り始めた所が「百間馬場」という曲輪だったらしい。現在の地名は、城山採草地となっています。
2018年11月01日 10:04撮影
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11/1 10:04
< 展望台から出て >
〜下り始めた所が「百間馬場」という曲輪だったらしい。現在の地名は、城山採草地となっています。
< 道の向かい側 >
〜にトイレがあります。手前の道は、市道南大吞1号線(黒崎線)に下りる道路です。トイレの前が駐車場になっていて、展望台のそばまで車で上がって来れます。
2018年11月01日 10:05撮影
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11/1 10:05
< 道の向かい側 >
〜にトイレがあります。手前の道は、市道南大吞1号線(黒崎線)に下りる道路です。トイレの前が駐車場になっていて、展望台のそばまで車で上がって来れます。
< 水源涵養保安林 >
〜の説明板をみつけました。簡潔な地図ですが、道路と河川の位置関係が判りやすくなっています。
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11/1 10:06
< 水源涵養保安林 >
〜の説明板をみつけました。簡潔な地図ですが、道路と河川の位置関係が判りやすくなっています。
< 用を足してから >
〜下山開始です。
2018年11月01日 10:07撮影
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11/1 10:07
< 用を足してから >
〜下山開始です。
< 七尾城の歴史を語る >
〜と題したパネルが3ヶ所に設置されています。山頂側から、この写真がパネル3/3。
2018年11月01日 10:09撮影
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11/1 10:09
< 七尾城の歴史を語る >
〜と題したパネルが3ヶ所に設置されています。山頂側から、この写真がパネル3/3。
< パネル2/3と1/3 >
Q&Aの形式で6問が出題されています。
2018年11月01日 10:12撮影
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11/1 10:12
< パネル2/3と1/3 >
Q&Aの形式で6問が出題されています。
< 展望台登り口 >
〜に下りてきました。下りた先の道が、市道南大吞1号線(黒崎線)です。
2018年11月01日 10:14撮影
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11/1 10:14
< 展望台登り口 >
〜に下りてきました。下りた先の道が、市道南大吞1号線(黒崎線)です。
< 向い側にもトイレ >
〜と駐車場があります。ここで右折して、本丸側に車道を下って行きます。
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11/1 10:15
< 向い側にもトイレ >
〜と駐車場があります。ここで右折して、本丸側に車道を下って行きます。
< 城趾前のトイレ >
2014年に新らしく立て直されたものです。当初は、冬期間使用禁止でしたが、最近は、凍結しても流せるようにポリタンクの水を配置して対応しているみたいです。このトイレの前の部分が、市道南大吞1号線(黒崎線)と県道177号城山線との接合部分です。
2018年11月01日 10:37撮影
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11/1 10:37
< 城趾前のトイレ >
2014年に新らしく立て直されたものです。当初は、冬期間使用禁止でしたが、最近は、凍結しても流せるようにポリタンクの水を配置して対応しているみたいです。このトイレの前の部分が、市道南大吞1号線(黒崎線)と県道177号城山線との接合部分です。
< 本丸北駐車場 >
〜から本丸などの主郭跡を見てきて、ここにまた戻って来ます。帰りは、県道177号城山線を下ることにします。
2018年11月01日 10:38撮影
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11/1 10:38
< 本丸北駐車場 >
〜から本丸などの主郭跡を見てきて、ここにまた戻って来ます。帰りは、県道177号城山線を下ることにします。
< 奥に歌碑 >
〜があります。二代「畠山義忠」公の御歌です。
野も山も みな うづもるる 雪の中に しるしばかりの 杉の村立
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11/1 10:42
< 奥に歌碑 >
〜があります。二代「畠山義忠」公の御歌です。
野も山も みな うづもるる 雪の中に しるしばかりの 杉の村立
< 本丸への入り口 >
〜の横に「堀切」があります。
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11/1 10:43
< 本丸への入り口 >
〜の横に「堀切」があります。
< 長殿丸と本丸を隔てる >
〜堀切です。樹木が多い繁っているのは、長屋敷跡のある「長殿丸」は私有地なので、史蹟として十分整備されていないからです。この堀切も、二の丸と三の丸の間にある堀切と同様に大規模な防御施設でした。七尾城は、かなり大がかりな城砦だったことが想像されます。
2018年11月01日 10:43撮影
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11/1 10:43
< 長殿丸と本丸を隔てる >
〜堀切です。樹木が多い繁っているのは、長屋敷跡のある「長殿丸」は私有地なので、史蹟として十分整備されていないからです。この堀切も、二の丸と三の丸の間にある堀切と同様に大規模な防御施設でした。七尾城は、かなり大がかりな城砦だったことが想像されます。
< ウッドチップの歩道 >
〜を歩き、調度丸の前に出てきました。
2018年11月01日 10:47撮影
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11/1 10:47
< ウッドチップの歩道 >
〜を歩き、調度丸の前に出てきました。
< いざ本丸へ >
〜先週に引き続いての登城です。七尾城跡の由緒には、上杉謙信が、自分が落とした七尾城で呼んだ漢詩が載せられています。
2018年11月01日 10:48撮影
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11/1 10:48
< いざ本丸へ >
〜先週に引き続いての登城です。七尾城跡の由緒には、上杉謙信が、自分が落とした七尾城で呼んだ漢詩が載せられています。
< 石垣を見ながら >
〜本丸に上がります。
2018年11月01日 10:54撮影
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11/1 10:54
< 石垣を見ながら >
〜本丸に上がります。
< 城山神社 >
〜の所まで上がり、見下ろしました。もし、ここに天守閣が復元されれば最高です。
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11/1 10:59
< 城山神社 >
〜の所まで上がり、見下ろしました。もし、ここに天守閣が復元されれば最高です。
< 九尺石 >
〜の所もパトロールしました。谷を覗き込みました。2週前(1回目の探検)、善谷曲輪群から、沢登りをしてここに上がろうとしまいたが、途中退却しています。九尺石の後方(西の丸の直下)から、「龍の尾道(尾根上のルート)」を下ると、大谷川道(大石谷道)に繋がるみたいです。注:正式な登山道ではないので、自己責任で通行して下さい。
2018年11月01日 11:09撮影
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11/1 11:09
< 九尺石 >
〜の所もパトロールしました。谷を覗き込みました。2週前(1回目の探検)、善谷曲輪群から、沢登りをしてここに上がろうとしまいたが、途中退却しています。九尺石の後方(西の丸の直下)から、「龍の尾道(尾根上のルート)」を下ると、大谷川道(大石谷道)に繋がるみたいです。注:正式な登山道ではないので、自己責任で通行して下さい。
< 二の丸 >
〜に来ました。見事な〜ハウチワカエデ(羽団扇楓、ムクロジ科カエデ属)がありますが、見頃は数日後のようです。
2018年11月01日 11:12撮影
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11/1 11:12
< 二の丸 >
〜に来ました。見事な〜ハウチワカエデ(羽団扇楓、ムクロジ科カエデ属)がありますが、見頃は数日後のようです。
< 大堀切を渡り >
〜三の丸に来ました。右側の下り口に進みます。
2018年11月01日 11:17撮影
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11/1 11:17
< 大堀切を渡り >
〜三の丸に来ました。右側の下り口に進みます。
< 袴腰 >
〜に下り、安寧寺跡を見てきます。ちなみに、袴腰(はかまごし)という名は、袴(はかま)の腰の部分に入れていた台形の板と同じような形の地形になっているのが由来です。
2018年11月01日 11:23撮影
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11/1 11:23
< 袴腰 >
〜に下り、安寧寺跡を見てきます。ちなみに、袴腰(はかまごし)という名は、袴(はかま)の腰の部分に入れていた台形の板と同じような形の地形になっているのが由来です。
< 安寧寺跡 >
〜見て、ベンチのある展望場所に寄ったところで、雨が降り出しました。グレーに染まった景色も、渋くて良いかもしれません。
2018年11月01日 11:26撮影
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11/1 11:26
< 安寧寺跡 >
〜見て、ベンチのある展望場所に寄ったところで、雨が降り出しました。グレーに染まった景色も、渋くて良いかもしれません。
< 樋の水 >
〜の所は通り過ごしました。Uターンして、本丸の方向に登り返しています。小口から調度丸に上がります。
2018年11月01日 11:35撮影
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11/1 11:35
< 樋の水 >
〜の所は通り過ごしました。Uターンして、本丸の方向に登り返しています。小口から調度丸に上がります。
< 駐車場 >
〜も素通りして、城山線を下ります。災害のため、車は途中までしか通れません。
2018年11月01日 11:39撮影
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< 駐車場 >
〜も素通りして、城山線を下ります。災害のため、車は途中までしか通れません。
< 城山古道「大門道」 >
城山線の途中に、分断された古道「大門道」の一部が残されています。大門集落から、城山線の脇を通るようにして、七尾城址前まで繋がっていた古道でした。
2018年11月01日 11:56撮影
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< 城山古道「大門道」 >
城山線の途中に、分断された古道「大門道」の一部が残されています。大門集落から、城山線の脇を通るようにして、七尾城址前まで繋がっていた古道でした。
< 2つの碑 >
〜が建ち並んでいます。開拓道路完工碑と戦没船員之碑です。先ほどの古道跡の50mほど下側に位置しています。
2018年11月01日 11:57撮影
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< 2つの碑 >
〜が建ち並んでいます。開拓道路完工碑と戦没船員之碑です。先ほどの古道跡の50mほど下側に位置しています。
< モノレール? >
〜ではありません。歯抜け状態になったガードレールです。2018年9月11日の未明の事でした。道路が50mにわたって崩落してしまいました。一ヶ月前から続いていた大雨が原因だったみたいです。
2018年11月01日 12:01撮影
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< モノレール? >
〜ではありません。歯抜け状態になったガードレールです。2018年9月11日の未明の事でした。道路が50mにわたって崩落してしまいました。一ヶ月前から続いていた大雨が原因だったみたいです。
< 100m下の道路 >
〜にまで土砂が流れてきています。災害現場からさらに道路を下り、標高110m位の所にさしかかりました。
<<追記>>
2019年6月14日、分断されていた県道「城山線」の復旧工事が完了し全線開通しました。
2018年11月01日 12:10撮影
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< 100m下の道路 >
〜にまで土砂が流れてきています。災害現場からさらに道路を下り、標高110m位の所にさしかかりました。
<<追記>>
2019年6月14日、分断されていた県道「城山線」の復旧工事が完了し全線開通しました。
< J.Road >
地元では有名な喫茶店です。「能登半島の眺望カフェ」と銘打っています。11:00〜19:00の営業ですが、閉店間際の夜景も最高です。
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11/1 12:15
< J.Road >
地元では有名な喫茶店です。「能登半島の眺望カフェ」と銘打っています。11:00〜19:00の営業ですが、閉店間際の夜景も最高です。
< お店の前の道(城山線) >
〜からの眺めです。すぐ下に能越道が通っています。今回は入店しませんでしたが、ぜひお店の中から眺めてみて下さい。
2018年11月01日 12:17撮影
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11/1 12:17
< お店の前の道(城山線) >
〜からの眺めです。すぐ下に能越道が通っています。今回は入店しませんでしたが、ぜひお店の中から眺めてみて下さい。
< 料理旅館「七尾城」 >
J.Roadから250mほど下りてきました。天守閣はありませんが?展望露天風呂が備わっています。
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11/1 12:21
< 料理旅館「七尾城」 >
J.Roadから250mほど下りてきました。天守閣はありませんが?展望露天風呂が備わっています。
< 城山口=交差点「城山」 >
〜に下りてきました。長細い「七尾城址登口碑」が建立されています。
2018年11月01日 12:35撮影
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11/1 12:35
< 城山口=交差点「城山」 >
〜に下りてきました。長細い「七尾城址登口碑」が建立されています。
< 田園と住宅街を通行 >
〜して、出発地点の戻りました。
2018年11月01日 12:55撮影
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11/1 12:55
< 田園と住宅街を通行 >
〜して、出発地点の戻りました。
< 矢田大谷橋 >
〜で、第3回目の探検を終了です。これにて3週にわたる合計3回の探検は終了しました。
〜このスライドを見て下さった方に『お疲れ様』です。ついでに自分自身にお疲れ様を言いたいです。〜以上です。
2018年11月01日 12:58撮影
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11/1 12:58
< 矢田大谷橋 >
〜で、第3回目の探検を終了です。これにて3週にわたる合計3回の探検は終了しました。
〜このスライドを見て下さった方に『お疲れ様』です。ついでに自分自身にお疲れ様を言いたいです。〜以上です。
< おまけの写真
2018年11月15日の撮影です。本丸北駐車場からの眺めです。烏帽子谷の紅葉が最盛期でした。
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11/15 16:31
< おまけの写真
2018年11月15日の撮影です。本丸北駐車場からの眺めです。烏帽子谷の紅葉が最盛期でした。
< おまけの写真 ◆
本丸跡からの眺めです。城下は、秋から冬を迎えようとしています。(2018年11月15日撮影)
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11/15 16:41
< おまけの写真 ◆
本丸跡からの眺めです。城下は、秋から冬を迎えようとしています。(2018年11月15日撮影)
< おまけの写真 >
二の丸跡のカエデが見頃になっていました。夕暮れ時のためフラッシュを焚いてしまいました。(2018年11月15日撮影)
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11/15 16:51
< おまけの写真 >
二の丸跡のカエデが見頃になっていました。夕暮れ時のためフラッシュを焚いてしまいました。(2018年11月15日撮影)
< おまけの写真 ぁ
城山展望台からの夜景です。(2018年11月15日撮影)
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11/15 17:09
< おまけの写真 ぁ
城山展望台からの夜景です。(2018年11月15日撮影)
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