アコンカグア 世界七体陸五座目は登頂できず
- GPS
- 194:53
- 距離
- 56.0km
- 登り
- 7,494m
- 下り
- 6,082m
コースタイム
- 山行
- 23:36
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 23:36
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 4:05
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 4:05
- 山行
- 5:27
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:27
- 山行
- 3:45
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:45
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 9:41
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 9:41
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 3:14
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 3:14
天候 | 2019年1月度は積雪多く 風の強い日も多い |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年01月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
タクシー
飛行機
|
その他周辺情報 | アコンカグア登山 の起点となるメンドーサはステーキが安くて有名 |
写真
感想
1月3日
先ずは関西空港から地球の裏側 南米アルゼンチン メンドーサまでエア フランスにてパリ、ブエノスアイレス経由で40時間
マイル修行のような長旅です
パリにて
9時間の飛行機乗継時間を利用してパリ市内観光
ルーブル美術館前を歩いていると、黒人のダフ屋の兄ちゃんが 声をかけてきた この兄ちゃんから安くルーブル入場券を購入
実はルーブル美術館は初体験
ルーブル美術館内を閉館時間ギリギリ追い出されるまで見学、かなり見応えがある
その後コンコルド広場、シャンナゼリゼ通り、凱旋門、エッフェル塔、セーヌ川畔を歩き自由の女神と回ってきました
1月4日
ブエノスアイレス到着
パリから14時間乗った飛行機を、降りると「メンドーサ」と書かれたボートを持つグランドホステスのお姉さんいた
「おれメンドーサ行きなんだけど」
と名乗ると、
「バゲージがスルーじゃ無くなった
一旦ピックアップしてドメスティックに乗り換えて」
とのコト、アテンドしてくれるのかと思ったがそれも無し
仕方なくイミグレーションへ歩いていくと長蛇の列
そしてなかなか進まない
行列で世間話をしてた人から
「あなたこのままじゃ10:45メンドーサ搭乗時間に合わなくなるわよ」
と言われる
ふと時間を見るとあと15分しかない
大慌てで、「ミニマムコネクティング、ソーリー ソーリー」と叫びながら行列を一気に100百人以上順番抜かし
意外にも、みな寛容だった
イミグレーションでは「君、急がなければならないよなぁ〜まぁナンとか間に合うよ」
と言いながら笑顔でノンビリ作業する
荷物をターンテーブルからピックアップしてカスタムへ
メンドーサ行きはどこだ?と片っ端の係員へ言って誘導してもらう
建物を一旦出て工事中のガタガタ道をダッシュでカートを押してターミナルCへ
搭乗開始時刻の10時40分無事にチェックイン バゲージも預ける
セキュリティを通り搭乗口へ
今は11時10分 まだ搭乗手続きの気配すらない…
エアフランス2412便ことAU2414出発定刻は11:30也
あぁ〜疲れた
メンドーサ到着
日本から40時間かけてメンドーサ空港到着後、そのままタクシーにてアコンカグア専門ランドオペレーターのインカトラベルへ
事前依頼していた登山許可申請書とベースキャンプまでのロジスティックスの代金決済にきた
一通り説明を受けた後、先ずは登山許可書の代金を振込へ出かける
灼熱のなか東へ20分ほど歩いて、登山許可書発行料金を振込む
さらにインカトラベルを挟んで西方向へ30分ほど歩き公園事務所へ、振込控えと登山許可申請書を提出
ようやく登山許可書をもらえた
インカトラベルへ戻る
汗だくだくで戻ってきた僕を見てインカのおばちゃんがとても気を遣つてくれて、ひと休憩
その後タクシーで、インカトラベルが手配したホテルへ移動
明朝 9時ピックアップだそうだ
ホテルでシャワーを浴び裸のまま寝そべる、ふと気がつくと二時間も寝てしまった
20時前えっちらおっちらとホテルを出て買い出し
夕食にメンドーサ名物ステーキを食べようと
「Google近所の美味しいステーキ屋さん教えて!」
出てくるのは日本のステーキ屋さんばかり
2万キロも離れてるやんけ💢
今さら探す気力も無いので、マクドのビックマックで済ませる
昨日は凍える寒さのなかパリの街を歩き回っていたのに今日は灼熱の街歩き
いやぁ〜やっぱり地球は広いわぁ
1月5日
メンドーサのホテルから専用車にて登山口のペニテンスへ
ペニテンスでムーラ(馬)に荷物を預け登山開始
初日は灼熱のなか2時間40分歩きコンフェルシア3430mへ
フルアコモデーションサービスと聞いていたので寝袋をムーラに預けたのだが、来てみるとナント寝袋必須
仕方が無いので、30ドル支払い寝袋を借りる
19時メディカルチェックを受ける 問題なし
明日は午後から雪になる
7時出発するようにレンジャーから言われる
1月6日
7時丁度に出発
最初の4時間はひたすら平原の中を歩く
歩けども歩けども景色は変わらない
暑く長い道のり
途中何度も渡渉が有るが最後の一つだけ苦労した
多分、ドボンと靴を濡らす人も多くいるハズ
僕は、一旦上流50mほどさらに登り渡渉地点を探した
後半4時間はモレーン地帯を歩く
アップダウンの激しい行程
最後2時間で雪がパラついてきた
Tシャツ一枚の上にアルパインジャケットを着込む
ベースキャンプムーラスが見える頃になる吹雪に
ベースキャンプ到着時、レンジャー事務所で到着登録
事務所に暖房が無くめちゃくちゃ寒い
到着登録後インカキャンプサイトへ行く
キャンプサイトで受付を申し出ると
インカベースキャンプのボス ベロニカ(女性)から
ちょっと待って
と云われ吹雪の吹きさらしの中、暫し待たされる
吹雪なのでベースキャンプの皆はダウンジャケットを着ている
俺はTシャツにアルパインジャケットを着てるだけ
(当たり前だが誰もそんなん判りやしない)
ホンの数分間で一気に身体が冷え切って低体温の初期症状が出始めた
顎がガチガチと鳴るほど身体全体が震えだす
歩いている最中は自己発熱でナンの問題無いのだが立ち止まった途端一気に症状が進むコトを身を持って体験した
僕があまりにも寒さを訴えるので、ベロニカはお湯を沸かすテントへ案内してくれた
僕は速攻でジャケット内側に長袖シャツとフリース着込む
パントリにいたインカ社員はジャケット内側は半袖シャツ一枚しか着用していなかった僕をみて驚いて笑っていた
火の前でお湯を飲んで体を温め震えを落ち着かせる
一旦体が温まり震えが収まったので、
お腹が空いたでしょう〜ランチを用意するわ〜
とダイニングテントへ案内され昼食が出される
暖房の無い雪が吹き込むダイニングテントにて
寒中我慢大会を独り開催(他に選択肢が無い)
昼食はコールドミール
フルーツポンチとサラダ、サラミ、フランスパン、唯一温かいスープがあったのが救いだったがあっと言う間に冷める
滅茶苦茶寒い
幸いなのはお湯があること
本来はお茶をつくる為のお湯で数々のティーバッグが用意されている
紅茶が飲みたかった。のだが、スペイン語記載でどれが紅茶か判らない
色合いから、コレだぁ、と思いつくってみたら煎じ薬みたいな味がして恐ろしくマズい
紅茶を作るコトを諦めて砂糖お湯を作りひたすら砂糖お湯を飲む
ベースキャンプで荷物の受取を申し出ると、荒天のためムーラが登って来ていない
今夜はインカのキャンプに泊まるように云われる
寝袋も貸してくれる
吹雪の中、テントを設営せずに済んだのがラッキーだった
ナルゲンボトルに熱湯を入れ、湯たんぽにして寒さに耐える
夕食はステーキ
独りでダダ広い、雪吹き込む寒いドームテントで、あっと言う間に冷めるステーキ肉は美味しくなかった
就寝時、ピーボトル(尿瓶)が無い
仕方がないので、飲料用として持参した500嫗冉ボトルをピーボトルとして使用する
1月7日
雪による荷物の不着
昨夜は雪で寒かったもののナルゲンボトルを湯たんぽとして寝たので暖かく過ごせ
た ただ寒さで再発した左肩コリが辛い
朝テントから出てみると約15センチの積雪
一面銀世界の快晴でとても美しい
凍えるように寒く、酷暑対策はしてきたが、防寒着一式はムーラへ預けた荷物の中
荷物が来なければ何もできない
天候さえ良ければ今日、キャンプ2まで行き、明日登頂をさえも狙っていたが、すべてご破産となった
事前説明では10時に到着すると聞いていたが、やはりアルゼンチン そんな訳にもいかず待ちぼうけをくらう
ぼーっとしてても仕方が無いので、勝手にインカ社のテントの除雪をしたり、自分のテント場を整地して過ごす
13時すぎに漸く荷物が到着
購入したばかりのFinetruckのカミナドームテント4人用を組み立てる
ベースキャンプとして組み立てたが流石にデカい
高度順応のためキャンプカナダへ登る
ベースキャンプ4370mを14時45分過ぎから登りはじめ2時間35分でキャンプ1カナダ5050mに到着
ノンストップだがゆっくりゆっくり登って一時間当りの登坂は270m
キャンプ地到着直前まで風がキツかったが、キャンプ地のみ無風だった
足元にはベースキャンプが広がる、絵葉書のような光景
下山時は写真など取りながらゆっくり降りる
往復ほぼ4時間で下山
下山後メディカルチェックを受けるが問題無し
問題なのはこの先明日から3日間は大荒の天気予報
さてどうなることやら
1月8日
深夜、時折テントポールが折れるんじゃないか?
と思うような強風が四方八方から吹き荒れる
午前中は風の強い予報だったのでインカ社テントにて10分10ドル遅いインターネットを利用
最低限のメールのみ見る
頂上付近は10日夕方まで風速25m11.12日は風速15m
キャンプ2は10日は風速15mその後10mの予報
そして13日以降、山は徐々にまた大荒れになる予報
9日ベースキャンプ待機、10日キャンプ2ニド 11日登頂日を設定する
正直、7000m付近で風速15mの中を行動する自信は無い
しかしこの日にアタックしなければこの先当面登れそうになく、登頂を断念しなければならない
幸いにして、登山時より下山時の方が風が弱まる予報なので、突っ込んでしまい、どうしようも無くなるコトだけは無さそう
インカ社員へ
「強風の中、テントを張る自信が無いんだ」
と漏らすと35ドルでテント荷揚と設営をしてくれるとのコト
驚く程安い、即決で申し込む
14時からは5400mまで水筒だけ持ってサクッと登る
ペースは変わらないが昨日よりも身体は遥かに楽である
ただ左肩の肩こりがとても痛く辛い
一昨年 北アルプス全山縦走をしたとき10日間、重いザックを背負い歩いた時に肩を痛め、整形外科で「肩の筋肉の肉離れ」と診断された
6日にベースキャンプまで長時間重い荷物を背負ってバンテリンを塗って痛みをダマシ、ダマシ歩いたので、再発したようだ
下山後4日ぶりにシャワーを浴びる
夜、体調は悪くないのだがいつものように頻繁に小便が出ない
水分はキチンと補充しているのに…
深夜、一度だけドロドロしたオレンジジュースのような小便が出た
左肩コリも痛みだして、未明かなり不安になって来たのでダイアモックスを服用
朝までに一気に2リットルも小便が出た
1月9日
今日一日強風の予報なのでベースキャンプで待機
昨夜のドロドロした小便が不安で仕方ない
ダイアモックスを服用したあとは、普通の小便になっていったが…大丈夫だと思うのだが
普段ならインターネットで検索するが、恐ろしく料金が高く、そして遅い
インカの金庫番カリーナに頂上までポーター頼んだら幾らになるか聞いてみた
ポーターサービスは頂上までなく、キャンプ2ニドまで10キロ150ドル
とのコト
「脚」的は何の問題も無い
しかし「肩コリ」が辛い
でも肩コリで死ぬコトは無い
一時間以上かなり迷ったが、荷揚げを申し込むコトに
とてもラッキーな情報があった
登頂日の天気予報が良くなった
それでも風速10m程度有るが、7000mで風速10m程度なら経験がある
因みに今の登山計画はこうだ
10日ベースキャンプ→キャンプ2ニド
11日AM0時キャンプ2ニド→10時登頂→17時キャンプ2ニド→20時ベースキャンプ
インカ社員には、出発を遅くして下山時にキャンプ2ニドで泊まるコトを強く勧められた
そのため体調不良の場合はキャンプ2ニドで泊まり、レンジャー経由でインカへポーター150ドルの依頼をかけて12日空身でベースキャンプというオプションも打合せした
今、16時ベースキャンプは吹雪
意外に天気が良かったので、少し登ろうか?と迷ったが待機は正解だった
明日アタック開始さてどうなるコトやら
1月10日
今日はキャンプ2 ニド へ登る
8時ポーターへ荷物を渡す
事前打合せでは10キロ+テントと聞いていたのだがポーターいわく、テント込みで10キロ
いやいや条件違うよ、と文句を言いに行きかけたが事務所はまだ営業前
ザックの荷物も実質ピッケル一つだけ持てば解決したのでそのままスタート
この騒動に粉ジュースとチェーンスパイクを置き忘れてしまった
先ずはキャンプ1カナダを目指すが今回3回目にして一番ペースが悪い
一、ニ回目は2時間30分でキャンプ1カナダへ着いたのに今回はナント3時間30分
アタック用ミレーエベレストという重たいモノに履き替えたからだろか?
脚がとにかく重い
キャンプ1カナダでひと息ついてそのままキャンプ2を目指す
一昨日キャンプ2目前まで歩いているのだが今回 息が切れる
前回達した高度より下なのに
キツイ
ポーターへ荷物を預けて無ければ引き返したいが、今、引き返すとポーターへ預けた寝袋やバーナーが無く不自由する
息を切らしながらホウホウの体でキャンプ2ニドに到着
早速だが明日のアタックは諦める決断をした
1月11日
ホントはAM1時出発予定にしていた
昨日の体調は悪かった
もうアコンカグア登頂は辞めよう
そう誓って寝たのだが、0時すぎからもう一人自分が淡々と用意を始める
お湯を沸かして、朝食を作り、装備を整える
いつも以上に手際が良い
なぁ今日は辞めるって決めたんじゃないのか?
何度もそう言い聞かせるが、もう一人の自分が驚く程手際よく粛々と用意をする
装備が完全に整い、テントのファスナーに手をかけた時、
オイもぅ辞めようや!
ともう一人の自分にキツく問い詰め
おぉそうだったな…
とファスナーから手を離した
とっても不思議な体験だった
満腹だっただからだろうか?
そのまま気持ち良く朝まで就寝
朝9時頃、気だるくテントから抜け出すと隣のインカドームテントにてガイドが休憩していた
僕は完全にアコンカグア登頂を諦めたつもりで、
「昨日体調が悪かったから諦めたんだ。」
と話しかけると
「そうか、それなら明日アタックだな」
と意外な返答だった
「明日以降はこの先一週間ダメだぞ」
とも
僕は完全にアコンカグア登頂を諦めていた
しかし思い返せばそ〜いえばもう一日天気予報、風が穏やかだったな…そんな考え無かった
「実はガスが無いんだ…」
と僕が云うとガスボンベを一つ分けてくれた
「ココから明日、誰かガイドは頼めないか?」
と聞くと
「インカは2000ドルだ 総てパックになっている、ポリスへ行ったら総ての会社と無線で繋がっているから何処か安い会社を無線で調べて手配してもらえ」
と教えてもらった
ポリスへ行くと、
「そのへんにいるガイドに頼んみれば?」
と云われる
何人か声をかけるが断られる
そりゃそうだ
逆の立場なら僕でも断る
キャンプ2ポリスボックスにて暫し世間話をする
彼はメンドーサ署の警察官で山岳救助専門で刑事等は対応しない
2週間シフトで街と山を行き来する
今年のアコンカグアは雪が多く特に状態が悪い
毎年4.5人が亡くなる
明日も頂上には同僚の○×君が登るから単独でも安心して登山してくれ
昼過ぎからテント場をウロウロして時間を潰す
ここは標高5590m他の山々の稜線がとても美しい
一つ問題が
昨夜からオシッコが全く出ない
出たら出たでマンゴージュースのような濃いヤツ
大量に水を飲んでいるのにもかわらず
夕方ダイアモックスを飲んだ
すぐに小便が2Lでた
ちょっとホッとした
1月12日
1時30分に起き、お湯を沸かし朝食を食べ出発の準備を整える
2時30分キャンプ2ニドをツボ足で出発
明るいテントはあるモノの誰も歩き出しておらずトップでの出発だ
最初は雪原をトラバースするように積雪でも微かに残ったトレースを辿りながら徐々に高度を上げてゆく
暫く登ると立山雄山のザレ場の登りのようにトレースの輻輳する斜面を登る
積雪で覆われた微かなトレースを頼りに登るのだが、途中でトレースが消えては行き詰まる
下部の方ではまだヘッドライトを頼りに20m程度先の別のトレースに辿り着けたりしたが、そのうち何度も一進一退を繰り返す
後から出発した人々の光がバラバラと取り付いているが皆それなりに苦労しているようだ
その中で登山ツアーらしい光の隊列が迷うことなく歩を進めてこちらへ向かって来ている
きっと一時間後ぐらいに出発したツアーだろう
暫くすると僕の下方50mのところを横切って確実に登ってる
斜面を強引に斜めに降りてトレースに合流
一時間以上ルートファインディングにかなりの労力を費やしたコトになる
トレースに従い暫く歩くと、登山ツアーが休憩していた
ガイドは
「君は独りか?我々はゆっくり行くから」
と言って先に行ってしまった
ひと息ついた後、彼らの後を追うが、登山ツアーのペース速く追いつかない
しかしトレースだけは確実に残っており、確実に進む
ロート地形になり風が強くなり、最後はFIX鉄線のある岩場
岩場を登り切るといきなりキャンプ3ベルリンに躍り出た
キャンプ3ベルリン内を歩くと、先程の先行ていたい登山ツアーが休憩中
僕も休憩すると入れ替わりに彼らが出発
登山ツアー客は今度は先程と、違いかなりゆっくり歩いており、僕もほぼ同じペースで追従する
こちらは最初からペースは変わっていない
「君のその歩き方大丈夫かい?」
「あぁ大丈夫だ この歩き方でエベレストも登った」
「おぉそうか…俺は山岳医だ、無理すんなよ〜」
と一人の山岳医が颯爽と僕を抜いていった
先の登山ツアーにも声がけをしている
エベレストでもそうだが、高度順応完了している人はスーパーマンに見える
周りは徐々に明るくなりつつあるが猛烈な睡魔が僕を襲い始める
風も強く吹き付けテムレスの指先が凍結してる
インナー手袋は凍結していない
手袋を交換するのが面倒ナノで手袋の中で指を縮こませグーパーを繰り返し指先までの循環を確保する
さらに進むとツアーの連中がバテ始めて、ツアー客を追いつき渋滞の中、人の背中を見ながら歩くコトになる
単調な歩行にさらに睡魔が襲って来て、半分寝ながら歩くコトになる
周りのペースが遅くなり、ペースの落ちない僕はドンドンと人を追い抜いていくコトに
兎に角眠くて仕方ない
いつも深夜出発した場合、夜明け前が一番キツく太陽が登り始めると元気になるのがパターンなのだが、何故か今回は日が上ってからの方がキツかった
大トラバース地帯に差し掛かり、ここに来て初めてアイゼンを取り付ける
同時に手袋を指先がカチンコチンに凍りついたテムレスから。ミトングローブに交換
トラバース地帯遥かに下方にベースキャンプとキャンプ1カナダが見える
標高も6500mを超えかなり空気が薄いのだが痛み止めを大量に服用したからだろうか?
頭痛はしない
猛烈な睡魔が襲ってきて歩きながら夢をみるようになった
それが、徐々に夢と現実の境目が無くなっていた
殆どの夢は覚えてない
ただ母が夢に出てきて
俺ってまだ立ち直ってないのか?まだダメダメだなと考えたのを覚えている
あとは多幸感溢れるモノばかりで、アルプスの溢れんばかりのお花畑の中を歩いている夢(幻覚)があったのを少し覚えている
こんな状態でいったいどのくらい歩いたのであろう?
気がつけば岩場の休憩地点に来ていた
その時他の登山者から
「あいつはイカれてるこの先登らせるな」
と僕を指して会話しているのが聞こえてきた
言葉はスペイン語で何を言っているのか判らないハズだが、ハッキリと理解できた
休憩中も夢ばかり、いや幻覚ばかり見ていた
ホント何を見ていたか覚えて無いが数多く色んなモノを見た
僕が歩き始めると他の登山者が僕を引き留めた
引き留められた瞬間、糸が切れたかのように歩けなくなった
体力的には問題がないのだが、精神的に完全にイッテしまった
僕のアコンカグア登山はコレで終わった
僕も数回、高山病で精神がオカシクなった人を見てきたが自分が当事者になるとは想定していなかった
登頂を諦めた次の瞬間アイゼンを脱いでザックへ収納し始めた
つまり装備解除を始めたのである
いやいやど〜考えったってコレから麓へ降りなければならないのにである
収納中に
「あれ?俺何してんだろ?」
と気付き再度装備する
取り敢えず心を落ち着かせなければ
と思い手持ちの残りのお湯を一気に飲み干しお菓子を食べて心を落ち着かせる
山の上には医師と山岳警察が必ずいる
(前日キャンプ2.ニドの山岳警察官から「明日、仲間が警備しているからガイド無しでも安心して登るんだ」と云われていた)
必ず助けてもらえる
自分自身にそう言い聞かせ心を落ち着かせ、下山を開始する
心の折れた俺
いつもならナンてコトない雪面を降るのがもうフラフラ
トラバース地帯を降りていると後ろから人が駆け下りて来るのが見えた
ヘルプ〜
と叫ぶと
「俺は医者だ!すぐ行く!」
と聞こえてきた
あぁ助かった
人間とはこうなったら力が出なくなる
普段なら余裕で歩ける登山道が歩けない
「お前、エベレスト登ったんだろ?コレぐらい歩けなくてどうする!そら歩け!」
言葉攻めを受ける
僕も逆の立場で経験有るのだが、こうゆう時は優しい言葉をかけてはイケないのである
そぅは言っても精神力が絶え、普段の歩き方ができないこの僕は普段の歩き方が出来ず、ナンと下り坂で膝が笑いだしてしまった
キャンプ3コレラまで降りて、同じくキャンプ3ベルリンへ移動する
移動の際は他のレンジャーからショートロープをして貰った
膝が笑ったアトのショートロープ
天国である
ベルリンの避難小屋で他のレンジャーや他の要救助者と合流
インスタントラーメンや食料を与えてもらう
腹が落ち着くと途端に悔し涙が出てきた
悔しくて悔しくて泣けてきて仕方ない
「もぅ泣くなよ またアコンカグア来いよ」
レンジャーたちが励ましてくれるが増々泣けてくる
奥歯を思い切り食い縛り嗚咽を堪える
僕はこの時点でレンジャーの会話を勘違いして思い込んでおり、今日中にヘリコプターで麓へ下山すると思っていた
皆でヘリコプター待っているのかな?
と思ったら、何故か徒歩で下山
キャンプ2ニドまではスンナリと降りて、医務ボックスへ
そのまま夕食を食べさせてもらい、
じゃあケイジ自分のテントで寝な!オヤスミ〜
と解散となってしまった
最後はナンカあっけらかんとした
不思議な終わり方をした一日だった
1月13日
夜 ウンチを漏らした
寝ている時、無意識にオナラをしたら中身まででた
ヘッドライトを装着点灯しバーナーの火を着けテント内を暖め、トイレットペーパーを用意し、寝袋から出て四つん這いになってパンツをずらして尻と汚れたパンツを拭く
この尻を拭く作業、狭く空気の薄いテントの中では重労働となる
お尻を一度拭くたび、息を切らす
「拭く」→「確認」→「ゴミ袋に入れる」
たったこれだけの作業だが卒倒しそうになる
そしてこの下痢
テント内3回も漏らしてしまった
もぅ交換のパンツも無くなって、最後には寝袋をバーナーで溶かしてしまいテント内が羽毛だらけになってしまった
勿論大急ぎで、テープにて補修
朝10時にポーターが迎えに来るというので、テント一式収納し到着を待つが…当然時間通りには現れない
医療ボックスへ行きドクターへ下痢をした旨伝える
水を4l飲んだか?
と聞かれたので
1Lのみとと答える
水をそんな大量に作る気力も飲む気力も残ってない
下痢止めを処方して、水とお湯合計3L分けてもらう
僕の保険加入加入も確認の上、ベースキャンプから先はヘリコプターで降ろすように処方箋を書いてくれるとのコト
ありがたかった
実は、インカからヘリコプター特別料金として1000ドルと聞いていた
降りたらインカに1000ドル払ってヘリコプターをチャーターして下山しようと考えていた
ビジネスクラスに乗ったと思えば遥かに此方の方がコストパフォーマンスが高い
ウンチを漏らして尻はヒリヒリ、クサイ上にパンツも履かず
いつウンチを漏らすのか?と気にしながら
掘立て小屋トイレまで徒歩30秒、テントポールが折れそうなほど強風の標高4300mのテントで寝るのは辛い
それより1000ドル払ってでもシャワーのついたホテルの部屋で裸になって便器に座り込みながら寝落ちするほうが遥かに快適だ
ホント処方箋書いてくれると聞いた時とても有り難かった
しかしコレが次のトラブルの引き金になる
先にドクターたちはベースキャンプへ下山して、僕はポーターを待つ
インカのテントサイトには他の客がいた、
「ポーターは11:30には必ず上がってくる それまで待ってな」
と言って降りていった
風はあるものの太陽が照っているのでそこそこ暖かい
しかしポーターを待ってる最中もウンチが漏れた。
もう紙も無い パンツも履いて無い
無の境地に達しかけたが諦めてはいけないと、無人のインカテントの中に入ってみるとキッチンペーパーが置いてあり、それを利用して処理と肛門に紙を当ててこの先しのぐコトにする
女性なら直ぐにこの発想が出るで有ろうが、僕には直ぐには思いつかなかった
11:30どころか12:00を過ぎてもポーターは登って来ない
これだけ時間があれば独りで全部荷物を担いでゆっくり下山出来たな…
2時間以上待ちぼうけ、単独でも下山でよかった
ポリスボックスへ行くと一昨日と担当は変わっていたが、ドクターから僕のコトは引き継ぎされており、
「OKケイジ、無線で確認するよ」
と直ぐに無線を飛ばす
「あと二分で着くそうだ、外で待ってな」
と言われ待つこと約5分 ようやく到着
荷物を計量してもらう
ポーターへ
「俺、ドクターにポーターと一緒に降りるように云われたから一緒に降りて」
と伝えると
「俺たちはポーターでガイドではない、今から追加料金を払ってガイドを呼ぶか?」
という
時間にはルーズだが金にはしっかりしている
アンタらコレだけ病人待たせておいて、どの口が言ってるの?
日本なら言っただろう…哀しいかな、そんな語彙力なかった
こんな所でまた数時間待つなんて出来るわけがない
早く降りたかったので、独りポーターより先に下山開始する
アミノバイタルを服用したおかげだろうか?
昨日笑った膝は回復しており、体調不良とはいうものの、他の下山者を余裕でガンガン追い越して1時間40分とハイペースでベースキャンプへ下山する
あぁポーター代150$ナンカ使うんじゃなかった…
因みに下山中もしっかりウンチは漏れたがナプキンがしっかりと受け止めてくれた💦
下山後即洋式トイレへ駆け込み、暫し籠城したあと、医務所へ行くと担当ドクターはいない
「16時になったら来て」
と云われ、テントへ戻るが午睡しようにも寝袋が無い
独りテントのなか膝を抱えて待ちぼうけ
16時になり保険書類を持って医務所へ行くと担当ドクターが早速ヘリコプター下山の処方箋を書いてくれた
ドクターとその処方箋を持ってインカ事務へ
さぁコレで降りれる!
と思いきや
ナント!
「貴方の保険はヘリコプター代が出ない」
とインカ社員言い出した
「この保険はインカで加入したんだぜ?」
(因みに100ドル弱)
「それは知ってます」
「じゃあ問題ないだろ?」
「保険はリンクにて紹介しただけで、私達には関係なく…」
と苦しい言い訳が、始まった
「じゃあ1000ドル払うからヘリコプターに乗せてくれ」
「1400ドル」
「この前1000ドルって言ったじゃないか!」
「それとはまた違う」
と僕とインカの金庫番カリナーとの攻防が始まる
インカベースキャンプのトップ ベロニカと男性事務員はその間も保険会社やメンドーサと連絡を取り合って善後策を練っている
「ケイジ、ナンとかお金が出るように考えるから暫く待って」
と云われる
いやいや俺は「金」の問題じゃ無くて「乗れるか?乗れないか?」の問題なんだよ…
でも語彙力が無いので伝えられない
小一時間経っても埓があかない
僕も精神力が途絶え、急に深い眠りに落ちたりする
「ケイジ、テントで横になったら?」
と云われたが
「ここで待つ」
と事務所テントから移動しなかった
金庫番のカリーナが
「ど〜してもお金が出ない」
と言い出した
「俺にナンのミスがあったのか?」
と聞くと、皆、
「わかっている、ケイジにはミスが無い」
と重苦しく口を揃えていう
「コレは俺の問題じゃない インカのポリシーの問題だ」
と強く伝えた
コレで周りの雰囲気が一気に変わった
今までヘリコプターの手配をしていなかったのだが、ベロニカが手配の指示をだす
30分後にはヘリコプターが来るから!
どうなるのかわからなかったのでテントすら畳んでいない
大急ぎでテントを畳みパッキング
夕食時間になっており、バーベキューを焼いている
ベロニカが
「ケイジ食べなさい」
と夕食を用意してくれ、お慌てでかきこむ
大急ぎで食べてる最中、
「ケイジ荷物が駄目だ!」
と呼び出される
ヘリコプターには5キロまでしか荷物が詰めないとのコト それ以外はムーラスで荷卸
大慌てで荷物を選別
そのまま手荷物とウンチ袋を持ってレンジャー事務所へ
山の上でしたウンチは指定された袋に纏めて提出して、登山許可証にサインをもらわねばならない
事務所もヘリコプター受入体制を整えるのに忙しく、僕のウンチはドクターが処理してくれた
僕の前に一往復、セレブお祖父ちゃん登山家がヘリコプターをチャーターして下山
あぁこうゆう人がセレブ、ナンだなと思わせる所作であった
続いて僕の番
ドクターは何度も
「ケイジお前は悪くない インカが悪いんだ
どんなコトがあっても、金を出すな
I have No money!
で通すんだぞ
絶対に金を出すな!」
と強く励ましてくれた
ヘリコプターの音が聞こえてきた
インカの所長ベロニカが
ケイジ ゴメン貴方は、良い人だ
と泣いている
何が良い人か?自分にも判らない
僕が独り勝手にインカの雪掻きをしていたのでも見たのであろうか?
インカにはホント迷惑をかけた
体調管理はいかなる場合も自己責任
なのに色々と迷惑をかけたのに彼女は強く抱きついてポロポロ泣いて別れを惜しんでくれる
ヘリコプターが着いた
大量のペットボトルを積んでの到着
荷卸後、即座に乗り込んであっと言う間に離陸
8時間かけて歩いた道のりを10分足らずで下山
下山後直ぐにメンドーサへ行けると考えていたが、ペニテンテスの公園事務所で事情聴取
1400ドルの請求書を渡される
救急で降りる場合、公園事務所の管理の元で行動しなければならない、1400ドルは定価なのだ
公園事務所をあとにして、ペニテンテスのインカ事務所へ預けていた荷物を回収
専用車に乗り込んで一気にメンドーサのアコンカグアホテルへ
肌寒いペニテンスから蒸し暑いメンドーサのホテルへ到着したのは深夜1時を回っていた
1月14日
ぼろ雑巾のようになって深夜ホテルにつく
蒸し暑くてたまらないが、ジャケットやフリースを脱ぐ気力もない
ホテルの廊下をふらふらになりながら歩き部屋へ到着
もぅ一歩も歩きたくない
先ずは裸になって便器座り込み腸をカラカラにするつもりでトイレで気張る
ここでの失敗の可能性が無い
安心感が違う
一通り気張ったあと6日ぶりシャワーを浴びる
服は幼稚園児みたたいに何もかも裏返したまま脱ぎ散らす
一秒でも早くこの不快感から抜け出したい
一週間分の垢のせいでなかなか泡立たない
モチロンお尻も綺麗にあらう
体を洗って自分を鏡で見てみると、とんでもに事になっているコトになっている
日焼け止めクリームが服に擦れて取れたのであろう
サングラスの跡以外は縦方向へ一直線の日焼け跡が汚く残っている
バーナーかなんかで焼いたんじゃないの?
という顔
顔全体も腫れており、この僕の顔写真を見て娘は直ぐに帰国するようにと言ったらしい
シャワーを終えるとそのまま素っ裸でシーツにくるまって気絶するように横になった
次に気づいたのは9:30
ふらふらと立ち眩みするなか朝食を腹一杯食べる
乾ききった内臓にジュースや牛乳ヨーグルトが吸収されてゆくのがわかる
部屋に戻りさらにゴロンとなる
次に動き出したのは15時
自然公園事務所に出頭しなければならない
自然公園事務所まて歩いて1.5キロ
緑も多く程よい散歩コース
ただ散歩中、下半身に危機的状況が訪れた
マ・ズ・イ
ひと目をはばからずやってしまうとい最悪のシミュレーションもしてみたが紙がない
ホテルへ戻るにはチト遠い
肛門に全身全霊の力を集中しし自然公園事務所へ
トイレが有るだろうと思ったら無く、公園事務所裏に、チップ制トイレがあった
トイレに入る際、チップを請求されたがアルゼンチンの通貨を持ってない
緊急事態なので.一ドル渡す
受付の彼がのんびりトイレットペーパーの一部をクルクルと手に入にとって僕に渡そうする
そんなんで足りるか!
ロール丸ごと彼の手から強奪してダッシュで個室へ入った
これで今日メンドーサの平和が一つ守られた
公園事務所へ行くと単刀直入に
「1400ドルを現金で払ってください」
といわれた
公園事務所曰わく
『あなたが使ったのだから保険会社が払おうとインカが払おうと私たちは関係ない すぐに払ってください』
とのこと
とりあえずインカ事務所へ支払いの交渉しにいく
インカ事務所では思いのほか暖かく僕を迎え受け入れてくれた
インカから保険会社、公園事務所と交渉してみる
とのコト
僕はまた来年アコンカグアへチャレンジするつもりなので、ヘリコプター代金を逃げ切るコトは出来ない
必ず解決してほしいと念押しをして、インカ事務所を後にした
その後時間が出来たので、メンドーサの路面電車に乗って名もなき街まで往復乗車
とても楽しい
その後メンドーサに戻り、有名な?ステーキハウスで夕食を食べる
独りステーキハウスで食事をするのは侘しい思いがする
夕食後は涼しくなったメンドーサの街を歩いてそのまま歩いてホテルへ
メンドーサはとても気持ちの良い街
とても気に入った
1月15日
昨夜もうたた寝をしたらそのまま朝まで寝てしまった
朝食を腹一杯食べて、一息ついた後、ホテルのプールサイドで昼過ぎまでビーチチェアに寝そべり目の保養をしつつ、スマホで事務作業をする
なかなか集中できる環境であった
15時すぎインカへ向かう
昨日から話の発展はあっただろうか?
インカから説明は、ケイジは払わなくても良い
公園事務所とインカで交渉もする
保険がでないかもしれないけど、協力をしてほしい
とのコト
ならば僕が日本で加入している保険は使えなか?調べてみる
ということになってインカ事務所の電話を使い調査開始
結論をいうと難しいかもしれないが日本帰国後、申請してみることになった
インカ社員の方も喜んでくれた
いやダケドまだ保険金ご降りる可能性は半々だからね
その後インカ事務所にて今後の善後策と来年のことを打ち合わせる
必ず来年帰ってくるから宜しくねインカ!
インカ事務所をあとにして、夕食を食べるコトに
美人なウェイトレスのいるお洒落なステーキ店にしよう(笑)
そう決めて街を歩く
道路にテーブルの出ているレストランに決める
ステーキを腹一杯食べたが15ドルと雰囲気も含め激安だった
メンドーサプラザ公園でベンチに座り三時間ほど色々な人々とFBをする
Google翻訳様々で日本、ロシア、ネパール、アルゼンチン
ここ数年でなんかスゴいワールドワイドな状況になっている
色々な国の友達が出来た
面白い仕組みが出来れば良いと思う
23時頃ホテルへ戻り遅れて届いた荷物を受け取る
テントなどドロドロのままなので、ホテルで半分徹夜で装備品の清掃をする
雪と泥が混じった半端なく汚れたモノを洗ってパッキングする。やりがいのある作業
AM4時前までパッキング作業をして仮眠
さぁ明日はいよいよ帰国だ
1月16日
メンドーサ空港出発
アルゼンチンから地球の裏側日本までブエノスアイレス国内空港→ブエノスアイレス国際空港の空港チェンジ パリシャルルドゴール空港経由して関西空港まで30時間以上かけて帰ります
着席の刑です
因みにブエノスアイレス〜パリはエアフランスでは二番目のロングポーション
かなり座り応えがある
1月17日
パリの乗り継ぎ時間を利用して市内まで出かけて、パリノードステーション付近を散策
この駅には色んな列車が乗り入れている
見ていて飽きることがない楽しい駅
シャルルドゴール空港への帰る列車はノード駅から空港までノンストップだった
シャルルドゴール空港
今までシャルル・ド・ゴール空港へ何度も来たが、総てスターアライアンス利用ばかりだった
今回はエアフランス
パリはエアフランスの本丸だけあってスターアライアンスより総てにおいて設備が整ってる
綿密にデザインされた空港に照明や調度品が芸術品のように配置してある
さ、す、が、パリである
ただしラウンジの食事はやはりイマイチ
シャワーを浴びてサッパリ
ここから関西へ直行
関西行きの飛行機にて着席した座席のモニターが故障し他の席に案内される
僕はそれを断って同じ座席に座る代わり3列総て占有して横になることが出来た
ブエノスアイレスからの帰りだと申し出ると、CAさんも納得
1月18日
関西空港到着
長かった旅も終わり無事に関西空港到着
MKタクシーにて神戸の自宅に帰宅
自宅に着くと高所疲れのため、歩く気力もなくなり、うどんを食べると、そのまま寝込んでしまった…
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する