北穂−大キレット&誤算の南岳新道
- GPS
- 22:55
- 距離
- 37.1km
- 登り
- 2,484m
- 下り
- 2,885m
コースタイム
- 山行
- 2:06
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 2:26
- 山行
- 5:34
- 休憩
- 1:32
- 合計
- 7:06
- 山行
- 11:01
- 休憩
- 1:09
- 合計
- 12:10
天候 | 【23日】晴れ時々曇り 【24日】晴れ後曇り 【25日】晴れ時々曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
■復路:新穂高-(バス)-平湯-(高速バス)-新宿 |
コース状況/ 危険箇所等 |
・北穂南陵は涸沢小屋の脇からひたすら一本調子の急坂が続く。振り返れば涸沢カールの景色が素晴らしいが、ガスると辛さが募りそう。 ・大キレットは高度感があるものの、高所への耐性とある程度の岩場歩きの経験があれば、整備は良好なので通行可能(ただし落ちれば死ぬ所多数) ・南岳新道は植生のある下部の木段がほとんど破損し、かえって歩きにくいなど整備状況が非常に悪くなっている。我々が極端に遅かったのは事実だが、山と高原地図(12年度版)のコースタイム2時間45分で下るのは困難だと思う。 |
その他周辺情報 | ■新穂高温泉「深山荘(しんざんそう)」は川辺の露天風呂が有名ですが、飛騨牛の付く料理もなかなか。下山後の日帰り入浴も可能です。 |
予約できる山小屋 |
槍平小屋
|
写真
装備
個人装備 |
ヘッドランプ
予備電池
1/25000地形図
ガイド地図
筆記具
保険証
飲料
ティッシュ
バンドエイド
タオル
携帯電話
雨具
防寒着
ストック
水筒
時計
緊急保温シート
着替え
|
---|---|
共同装備 |
GPS
ツェルト
計画書
非常食
|
感想
一日ごとに歩行時間が倍になるようなコース設定が失敗その1。下山の南岳新道の現状をヤマレコで研究しなかったのが失敗その2。足慣らしの八ヶ岳でこけまくり、下りは用心で爪繰るような足運びになったAlps165ことDr.エモンの低速と、そんな低速で腿がパンパンになった当方の脚力低下が失敗その3。望外の好天で景色は楽しめたが、反省点のある山行となった。
【23日】 雨模様の天気予報が直前で変わって、秋雨前線が南下して松本盆地は晴れていた。新島々駅から女性のガイドさんが乗るようになったバスで上高地に至り、昼食を採ってから出発した。横尾が満室とのことで、「奴隷船の雑魚寝は嫌だ」というDr.の提案で一つ手前の徳沢ロッジを予約した。
時間があり過ぎるので、河童橋を渡って明神館まで自然探勝路を歩くことにする。梓川の河畔に出ると、雲は多いのに岳沢カールと吊尾根が全容を見せていた。前日までの雨のせいか、探勝路周辺の小川は結構水位が高い。そんな水の中をのぞき込むと、大きなイワナが2,3匹逃げもせず近くを泳いでいた。
一部木道を直している所は並行する林道を通り、気が付けば明神橋。渡って明神館で本来の登山道に合流した。この先も二、三回登り坂がある程度で、車の通れる道が続く。意外とあっけなく初日の行程を終了。この距離では当然ではある。
徳沢ロッジは、静かにジャズの流れる心地よい宿だった。アコモデーションは「旅館」の範疇か。風呂も石鹸とシャンプーありで、夕食のご飯が異様に固めの炊き上がりだったのが玉に瑕だった。
【24日】 6時半からの朝食を食べて出発。今日も北穂までだから、さほど急ぐ必要はない・・・というか、あんまり急ぐと最後の登りに差支える。土曜とあって、横尾は大勢の登山者でにぎわっていた。橋を渡り、屏風岩を巻いて行く登山道を行く。今日は誰も取りついていないようだ。やがて前方頭上に北穂が見えた。
本谷橋でひと休み。岩と岩を結ぶ板橋と立派な吊り橋の二つが架かっている。水を補給してひと登りすると、遠く涸沢カールが見えてきた。S字ガレからは涸沢の小屋も見える。振り返れば東大天井岳のたおやかな稜線がそびえている。雪渓が見えた所が涸沢ヒュッテと涸沢小屋への道の分岐だった。左前方を見上げると吊尾根から前穂が一望できた。前穂の切っ先から雲が湧いている。頂上は風もあるようだ。
右後方に屏風岩の影から常念岳が見えてきた。腹も減ったので涸沢小屋でランチ休憩。ここではスマホがドコモではなくauが通じる。ラーメンとソフトクリームで腹を満たして、いよいよ北穂高岳への急登に挑んだ。初めから急坂で、それが延々と続く。梯子や鎖も現れ、標高も高くなって息が切れる。70歳代見当の元気な女性グループを追い抜いたころ、ようやく頂上が見えてきた。振り向けば涸沢カールが指呼の元で、穂高岳山荘に至るザイテングラートの道もよく見える。
南峰と小屋のある北峰との分岐に着いた頃、急速にガスが増えてきた。じきに頂上というのに間が悪い。最後のひとアルバイトで登頂した時は、下方の一部を除いてガスに包まれてしまった。しばらく待ったが、眺望は戻りそうもないのですぐ下にある北穂高小屋に投宿。
おりしもこの日はDr.の誕生日で、涸沢小屋の若い女性従業員も偶然同じ誕生日だと喜び合ったところだった。そこで、コーヒーと持参のパウンドケーキをおごって、地上3100mのテラスでささやかなお祝いをした。これでパッと霧が晴れてくれれば言うことなしなのだが、そうはうまくいかず、寒くなったのですごすごと自分らの猊屋”(区画)へ引き上げた。
山に来ると眠り病になるDr.は速やかに沈没。先ほどのベテラン女性グループが隣の「ドーム」という個室に到着し、初めは元気いっぱいに話していたが、すぐにおとなしくなった。結局、夕食の呼び出しにもノックされるまで反応がなく、強烈な登高に相当消耗したようだ。
【25日】 4時半に明かりがついた。外をさぐると、なんと雨。危ないので南陵へそのまま折り返すことを考えなくてはならない。暗澹として朝食を採っていると、「雨あがった」の声が聞こえた。隣に座ったくだんのベテラン女性陣から分けてもらったおかずでパワーを補給し?、ガスの晴れるのを待つ。
6時を回り、裏の山頂の様子を見てみる。そろそろ出発しないと下山時間に差し支えるが、振り仰ぐ空がわずかに青く、一瞬だが笠ヶ岳方面のガスが切れた。雨雲レーダーにも次の雲はないので、予定通り出発を決断。6時半、居合わせた登山者の「大キレットですか? お気をつけて」の声に送られて文字通りの急降下を開始した。
初めは岩の急斜面に足がすくむ思いがしたが、だんだんと慣れてくる。やがてガスが晴れ始め、滝雲のような雲の流れがキレットを乗り越えていくのが見えた。それにしても、どこまで下るのかと言いたいほど下降する。前回7年前に逆行した時、この辺りはガスと雨で何も様子が分からなかった。
朝日の当たりだした槍沢側から飛騨側にルートが移ると、冷たい風が吹き寄せて途端に寒くなる。岩に固定した4つのステップと水平に張った鎖を頼りにその飛騨側へ尾根をまたぎ越し、鎖と短い杭を駆使して岩を回り込むのが飛騨泣きの核心部。足元の谷底はなるべく見ないようにするのが得策だ。
ふと振り向くとDr.が遅れ気味。足場を助言してあげるのだが、転ぶまいと慎重の上にも慎重を重ねている。南岳側から越えてきた登山者とすれ違うようになり、進路を譲るためにさらに時間を使ってしまう。まあ、落ちたら一巻の終わりだから待つしかない。A沢のコルで一息つき、もう一つの難所・長谷川ピークに挑んだ。
雲はすっかり消えて、獅子鼻に至るキレットの全容が見渡せる。飛騨泣きに比べると危険は少ない感じだが、ナイフリッジを右へ左へ移りながら乗り越していくので、高度感は凄まじい。やがて岩に一つだけ固定したステップが現れ、「Hピーク」の文字が見えた。
ここまで来れば、後は徐々にコースの難易度は落ちていく。次々と登山者と擦れ違いながら鼻歌気分で進んでいくと、うっかり動物の糞を踏んでしまい、慎重居士と化していたDr.に笑われた。ルートの真ん中にいくつもマーキングしていたので不覚を取った。猿だろうか。
岩石を積み重ねたような区間に至ると、獅子鼻が眼前にのしかかるように迫り、いよいよ最後の登り返しとなる。梯子と鎖でそれなりに体力を要するため、スピードが落ちた。700ヘクトパスカル程度の気圧だと、当方の肺は働きが不十分になるらしい。喘ぎ喘ぎ最後の木段区間を詰めるとなだらかな稜線が見え、すぐその手前に南岳小屋があった。
やれやれと見渡すと、たちまち濃いガスがやってきて、ショータイムは終わりとばかりに周囲を覆い隠してしまった。飛騨側からは冷たく噴き上げる風が募りだす。大キレットを渡るのに、コースタイムを大幅に上回る4時間近くを使ってしまった。先を急ぎたい気持ちを抑えてリュックを降ろし、大休止。この分だと降りてから槍平小屋で昼食を採るどころか、途中でフリーズドライ食品を湯で戻す暇もなさそうなので、昼は行動食で済ますことにした。
20分休んで綿入れを着込み再出発。初めはなだらかだったが、すぐに急傾斜となり、小規模なカール地形のガラ場を急降下する。見下ろすと、最後はカールを斜めに横切って西尾根に乗るルートのようだ。何人かが登って来たが、一様に消耗した様子なのが気になる。
西尾根は、初めに平均台のような木道があるハイマツの痩せ尾根だった。やがて岩場の下りとなり、疲れた脚に負荷をかける。森林限界の下に出て、尾根から外れて灌木の生える山腹を辿りだしたのを喜んだのは、大きな間違いだった。足元にはごろた岩が散らばり、ところどころ歩けないほど壊れた木の梯子や木段の残骸が行く手をはばむ。
登りの人の苦労が知れたが、下る場合は転倒防止に非常な神経を使わざるを得ず、Dr.の歩行速度が目に見えるほど落ちた。たちまち昼が近づき、小休止でカロリーメイトを頬張る。Dr.は「腹が減らない」と何も口にしないので心配した。飴玉を渡して、2人で飴をしゃぶりなら下山を再開した。
この間も次々と登山者に出会ったが、誰に聞いても「ずっとこんな感じの道です」と疲れた様子で答える。午後1時を回って最後に行き合った若い女性3人は、「この先、クマザサに覆われて道が見えません。そこに壊れたハシゴがあったりしてとても危ないです」と教えてくれた。また、南沢を渡った先の最後のコースは比較的なだらかとのこと。まだ難所があるのかと気落ちしたが、実態はクマザサ区間の方が、いざとなれば笹につかまることもできるため、ずっと歩きやすかった。この程度が「危なかった」とすると、彼女らは無事に南岳小屋に辿り着けたのか心配になる。
再び普通の植生の森に戻る。Dr.は爪繰るように足場を選んでは一歩ずつ下りて行くスタイルで、大変な時間を要している。彼にペースを合わせてゆっくり足を出すのは、負荷がかかり過ぎるのでやりたくない。勢いオトシブミのようにちょっと歩いては止まりを繰り返して時間調整することになり、こちらも結構消耗した。
南沢の横断地点に着いた時は、いい加減いやになっていた。おぼつかない足取りのDr.を励ましてガレ沢を渡り、森の中を歩くことさらに30分余り、やっとのことで槍平小屋に到着した。登山口に「老朽化で通行困難な区間がある」などと書いた注意書きがあったが、上の下山口にそうした注意喚起はなかったようだ。
少し休ませてほしいというDr.の希望に応えてベンチで休憩を取った。すでに午後3時を回り、食事休憩を抜いていながら計画より2時間も遅れている。新穂高温泉の到着見込みは6時半。せめて林道になる白出沢出合までは少しでも早く着かないとまずい。
できる限りのスピードで右俣谷沿いの林の道を歩いたが、次々と若い下山者に抜かれた。やがて後続も槍平に泊まる擦れ違いの人の姿も絶え、太陽が西の山の端に隠れる寸前、なんとか白出沢出合に到着することができた。
さあ、後は歩きやすい林道となってDr.の歩調も軽快さを取り戻したが、気が付けば午後5時半と伝えた新穂高温泉深山荘の到着予定時刻になっている。午後6時、穂高平でやっとスマホの電波が入ったので遅れる旨を伝えた。すると、しばらくして「迎えの車を出す」との連絡が。日もとっぷり暮れて脚もきつくなってきた頃、前方の新穂高ロープウエー駐車場前の道路に宿の車のヘッドライトを見つけた時は、まさに地獄に仏の気分だった。
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