記録ID: 21367
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積雪期ピークハント/縦走
日高山脈
ピパイロ岳 1940峰 トッタベツ岳 幌尻岳 神威岳 エサオマントッタベツ岳
1988年03月22日(火) ~
1988年04月01日(金)
- GPS
- 166543:00
- 距離
- 61.4km
- 登り
- 3,285m
- 下り
- 3,210m
コースタイム
3月22日晴れ後雪:最終人家(6:55)→8の沢出合(10:30ー11:00)→1712尾根末端C1(13:00)
3月23日雪ー9度:C1(6:20)→1712ポコ(15:50ー16:10)→1712先の雪洞完成C2(19:00)
3月24日吹雪冬型:停滞C2=C3山森発熱
3月25日ガス風後晴れ風:停滞C3=C4山森復活ディック微熱
3月26日ガス雪後晴れ:C4(6:00)→ピパイロ分岐(7:30)→ピパイロ東峰(8:10ー10:10)→C4=C5(11:40)ディック発熱
3月27日快晴後ガス吹雪ー13度:C5(5:00)→ピパイロ分岐(6:15)→1940峰(7:05ー15)北トッタベツ岳(9:25ー40)→トッタベツ岳(11:15)ピーク直下に雪洞C6
3月28日晴れ時々ガスー16度:C6(5:45)→幌尻岳(7:25ー35)→トッタベツ岳C6=C7(9:25ー10:05)
3月29日快晴:C7(5:20)→カムイ岳(10:07ー12:55)→分岐に雪洞C8(13:30)
3月30日晴れ後曇りー11度:C8(6:00)→エサオマントッタベツ岳(8:50ー9:30)→C8=C9(12:00)
3月31日快晴:C9(6:00)→末端尾根(8:30ー9:10)→トッタベツヒュッテC10(12:30)
4月1日快晴:C10(9:20)→日高小屋(10:30)→オピリネップまで除雪→十勝平野
3月23日雪ー9度:C1(6:20)→1712ポコ(15:50ー16:10)→1712先の雪洞完成C2(19:00)
3月24日吹雪冬型:停滞C2=C3山森発熱
3月25日ガス風後晴れ風:停滞C3=C4山森復活ディック微熱
3月26日ガス雪後晴れ:C4(6:00)→ピパイロ分岐(7:30)→ピパイロ東峰(8:10ー10:10)→C4=C5(11:40)ディック発熱
3月27日快晴後ガス吹雪ー13度:C5(5:00)→ピパイロ分岐(6:15)→1940峰(7:05ー15)北トッタベツ岳(9:25ー40)→トッタベツ岳(11:15)ピーク直下に雪洞C6
3月28日晴れ時々ガスー16度:C6(5:45)→幌尻岳(7:25ー35)→トッタベツ岳C6=C7(9:25ー10:05)
3月29日快晴:C7(5:20)→カムイ岳(10:07ー12:55)→分岐に雪洞C8(13:30)
3月30日晴れ後曇りー11度:C8(6:00)→エサオマントッタベツ岳(8:50ー9:30)→C8=C9(12:00)
3月31日快晴:C9(6:00)→末端尾根(8:30ー9:10)→トッタベツヒュッテC10(12:30)
4月1日快晴:C10(9:20)→日高小屋(10:30)→オピリネップまで除雪→十勝平野
アクセス | |
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コース状況/ 危険箇所等 |
【行 程】 正月には力量不足で計画が承認されなかったピパイロ→エサオマンの北日高主稜線計画を3月、また出した。前年下りたピパイロ川のl712ポコの東尾根を登り、メンバーのデイック、山森は去年の続き、それに岩瀬と斉藤でのパーティーで貫徹した。再度訪れたトッタベツ川源流は、正月の冷たい風と変わって春の光に満ち、連日快晴の痛快な山行になった。 ピパイロ川の林道から昨夜降った一尺の雪を10時間かけて空身ラッセルまでして登る。l7l2の南のコルで前回の場所に穴を掘る。スキーはここまで。ピパイロを軽い身でまずはアタックしてかたづける。デイックは風邪で動けなくなったので、1712の雪洞で留守番してもらい、4人で出かけた。日差しがあり、気温が比較的高かったので山頂で1時間ほど日高の山並みを眺めて雪洞に帰った。 翌日、ディックが復活し、再び刑務所の壁を登る。ピパイロ岳を横目にみて、l940を登る。この日はペテガリあたりまで見える快晴。山頂までの急斜面は相変わらずのふかふかの雪だ。登りきってあらためてあたりを見渡す。すばらしい眺めだ。この日の空気は澄んでいた。行く手のエサオマンまでのルー卜がよく見える。 ここから南へ下るところがいよいよ核心部。少々やっかいなところである。右側の急なルンゼ状をバックステップで慎重に下り、急斜面をトラバースして稜線に戻る。ザイルは出さずに、一人ずつ抜けた。ここから振り返るl940の姿もまた格別、巨大な岩壁に削ぎとられた南側の荒々しい印象だ。難所を抜けて一服、腰を下ろす。「いい天気だ、北日高の主稜線でこんな日がくるのを、1年目のころから待っていたんだ。」と僕は言った。 北トッタベツ岳の南側が岩稜になっている。これを西側の急斜面をまいて抜けると、そろそろいい時間になり、トッタベツのピークの辺りで穴を掘ろうということになる。頂上の下50mほどのところでよい吹き溜まりがあり、ここに決める。穴の下には、でかいカールボーデンが見渡せる。巨大な半欠けどんぶりの縁にいるようなゴーカイな気分だ。5人用の快適な雪洞を掘って夕食をこしらえた。 翌日のポロシリアタックで、ディックは再び熱を出した。また雪洞に置いていった。ディックは割合都合良く熱を出してくれる。トッタペツのピークはディックのためにわざわざ踏まず、頂上の下50mを卜ラバースしてポロシリのアタックに行った。 ガスと風、展望には恵まれなかった。分かっているのにまたまたニセピークで一度おきまりのがっかりをした。七ッ沼カールの上の稜線は、巨大な雪庇が斜め上に出ていた。頂上直下の戻り道が迷い易そうだったのでデポ旗を打って方向を確認した。山頂周辺でもガスにまかれたままだった。ポロシリはいつでもこうだ。 アタックを終え、雪洞に戻り夕飯を食べたら、ディックが突如「よし、復活したぞ。」とむっくりおきあがった。雪洞の入り口から真っ赤な残照がしのびこむ。デイックの復活祝いということでウオッカのビンを持ってみんなで最後の50mを登り、トッタベツの山頂をそろって踏みに行く。夕焼けが、暗い紺色に変わっていく大風景を見ながら飲む。夜のとばりが降りて行く、日高山脈に。 次の日、パーティーは神威岳めざして雪洞を後に前進した。ディックが、もう一度みんなでポロシリに行かない?と言った。リーダーの僕は、逃げ場のないやばい天場だから早く神威の北東尾根に抜けたいと言った。結果的にその後の天気周期は良く、もう一度アタックする余裕はあった。その時ディックを喜ばせられなかった事を僕は今も憶えている。 トッタベツ岳の雪洞を出発した朝は、すばらしいあかね色だった。朝焼けの眩しい七ツ沼カールは足跡一つ無い広大な窪地、それが朱色に金色に輝きを変えた。見下ろしながら北日高の大展望に目を奪われ、足元の注意もいい加減になる程だった。気温の高くなった午後、ヤブあり雪庇ありの稜線を越えて神威岳に到着。エサオマンへの分岐に穴を掘って泊まるつもりだったが時間に余裕が有り、気温が高くて気持よかったので神威岳の頂上で3時間も昼寝をした。 このときの思い出で、神居への愛着を深めた。1965年の同じ日、このピーク直下のトラバースで東北大生がナダレで死んだとはとても思えない1日だった。 神居岳尾根の頭の北西側に掘った雪洞からは、左右にカールを削るエサオマンの姿がバッチリ見える。アタックの朝もエサオマンは金色に輝いていた。春のこの日は好天に恵まれ、ナイフリッジを歩く足元の両側に数百メートル切れ落ちるカールを見ながら登っていった。肩に着いたとき、少し遅れてきたディックを先に送り、そこから数十メートル見上げたところにあるピークを眺めた。太陽を背に、他のみんなは既に山頂でくつろいでいた。最後の天国への階段のような斜面を一歩一歩登り、山頂の握手。ピパイロからの長い山行を締めくくる良いピークだ。カムエクを始めとする札内川源流の山々が数々のカールをちりばめて南に広がる。のどかで、眩しい時間を過ごした。 |
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