常念岳(過去レコです)。
- GPS
- 32:00
- 距離
- 14.2km
- 登り
- 1,668m
- 下り
- 1,650m
天候 | 1日目 曇り。 2日目 雨。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2004年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
それなりに注意が必要です。 |
写真
感想
後立山連峰の南に続く北アルプスの連なりの裾に安曇野があり、そこで「←常念岳登山口」の標識を見た事がある。その名前からしてただ者ではない雰囲気があり、三角形の美しい形をした山らしい山で一度登ってみたいと思っていた。上高地徳沢園から蝶ケ岳へ登り、稜線をたどって常念岳に至るか、あるいは中房温泉から燕岳へ登り、大天井岳を経ての縦走で常念岳に至るか、どちらかの経路が推奨されている。しかしいずれも1泊2日では無理で、安曇野の端のヒエ平から登る一の沢ルートを選んだ。
平成16年8月22日、朝四時に自宅を出発。長野道を豊科インターで降り、「常念岳登山口」の案内に従って、ヒエ平に到着。途中で見る三角形の常念岳の頂上は、見る位置によって時には二峰に、時には三峰に見え、最後は一峰となる。「これより先一般車通行止め」と記された手前に大きな駐車場がり、その半分程のスペースが空いていた。ここは車上荒らしが多い事で有名な駐車場で、その対策として穂高のタクシー会社では自家用車を駅前の駐車場にあずかり、タクシーで登山口まで送迎しているとの事である。駐車場にも車上荒らしに気をつけるようにとの注意書きが立てられている。わが愛車は見かけはボロなのでこれを狙う奴は居まいと、それよりも駐車場が空いていた事に安心する。7時56分に駐車場を発ち、20分程舗装された車道を歩くと登山口に到着。一の沢山岳補導所とトイレ、水場があり、そこで登山届けを記入。8時半、「常念岳登山口、標高1260m」の案内の横を通って登山口に入る。林間からチラチラ見える一の沢に沿って、その流れの音を聞きながらなだらかな道を登る。ゆっくりと10分程歩くと鳥居と石の祠があり、「橡の木山の神」の旗竿が立てられている。トチノキの大木の横に古びたベンチがあり、「常念小屋5.2辧一の沢林道0.5辧廚箸△襦N咾涼罎里覆世蕕な道が続き、9時25分、清流が流れる一の沢の明るい川原に出た。川原の大石に腰をおろし一服する。傍らの標識には「常念小屋3.6辧一の沢林道2.1辧廚箸△襦時間はたっぷりあるのでゆっくりと休もうとするも、誰もいない所ではやはり熊さんが気になって気分が落ち着かない。9時35分、川原を出発し再び林間の登山道をゆるやかに登る。この頃から下山して来る人と行き交うようになる。中には20人以上の団体もいる。昨夜は土曜日で、常念小屋に泊まった人はさぞ多かったものと思われる。9時25分、再び一の沢の川原に出て、ここでまた一服し、たっぷりと休んでから登り始める。ミヤマトリカブトの群生、ミヤマシャジン、オタカラコウ、ミヤマシシウド、サラシナショウマ、シラネニンジン、イワツメクサなどが咲き競っている。つるつるの平皿状の大岩を豊富な水が滑り、滝となってほとばしり落ちる。ヤマハハコ、オヤマリンドウ、センジュガンピが群れ咲いている。登りが徐々に傾斜を増し、右手の山肌に、丸太で土留めされた急な階段が続く。カニコウモリの細い花に励まされ、階段をよたよたと登る。水場でペットボトルに水を入れ、これを頭からかぶりタオルを浸して顔を拭く。再び一の沢に出て、丸太の橋をたどって右岸に渡る。「最後の水場」で給水し、「胸突き八丁」をゆっくりと登る。小雨がパラパラと葉を打つ音がするが、雨具を取り出す程でもない。12時40分、石がゴロゴロところがる幅の広い稜線に出た。そこが常念乗越で、霧の向こうに赤い屋根が見え、左手に常念岳がなだらかな山容を現す。小屋に寄り、受け付けをすまし、靴をビニール袋に入れて部屋の前に置く。6畳の部屋に5人という事で余裕の泊まりが出来そうだ。まだ時間も早いのでカメラだけ持って常念の頂上を目指す。ガレ場をジグザグに登り始め、前常念への道を分けると大きな石が重なりあった斜面となる。振り返れば小屋の赤屋根はガスの中に沈み、その向こうに横通岳が大きく坐っている。穂高、槍は雲に隠れているが、それをつなぐ大キレットは見る事が出来た。ハイマツの陰にトウヤクリンドウが咲き、白黒まだらの上着をまとったホシガラスが飛び交う。斜めに積み重なった大きな岩の赤丸印をたよりに、岩の間を乗り越えて登る。そこが頂上と思い頑張って登るが、登り切ると頂上はまだまだ先で、頂上から続く稜線を人が歩いているのが見える。三股への道を分ける頃には相当くたばっていたが、目の先に見える頂上に励まされ、14時10分、頂上に到着した。小屋から見た感じでは1時間もかからないだろうと思ったが、意外に時間がかかった。花崗岩が積み重なった狭い頂上にさらに石を重ね、その上に祠が鎮座し、その前に「常念岳2857m」と書かれた板が置かれている。360度の眺望が得られる筈であったが、乳白色の世界が広がっているのみである。いくら待っても晴れる事はなさそうなので早々と下山にかかる。針の木岳で痛めた左足関節をかばいながら慎重に下ったつもりだが、小屋へ帰って坐ると左膝の内側に痛みがあり、今度は膝を捻ったようだ。5時から夕食を摂り、7時から東京音楽大学の学生7人とその先生によるフルートコンサートが開かれた。毎年1回行われているそうだが、丁度その日に泊まりあわせたのは幸運であった。5人入る筈であったが、燕岳から縦走してきた3人組だけで、6畳の部屋に4人と余裕のスペースがあり、8時半に寝床に入った。
翌朝5時に起床、雨が降っており風も強い。同室の3人組は蝶ケ岳から徳沢へ下りる予定であったが、この天候で断念しヒエ平に下りる事にしと云う。朝食を食べている彼らをあとにし、雨具を着込んで5時半に小屋を出た。稜線は強い風であったがこれを越えると風は遮られ、木の根っ子や丸太に足を滑らさないようにだけ注意して下る。「胸突き八丁」を左足と膝をかばいながら慎重に下り、あとはだらだらと下る道であるがゆっくりと歩き、川原で山小屋の作ってくれた弁当を開き、丁度3時間で一の沢山岳補導所に帰り着いた。昨日はあんなに沢山の人と行き交ったのに、今日は誰一人会う事は無かった500mlのペットボトル3本をザックに詰め込み、一Lの空のポリタンクを用意してきたが、水場は豊富にあり、タンクは全く不必要であった。
最近、「岩崎元郎が選ぶ『新百名山』」なる記事が週刊朝日に掲載されたが、ここには常念岳は消されてしまっている。中高年者相手に登山教室を開いている岩崎さんが、彼らを念頭に選んだという事だが「新百名山」というネーミングはいただけない。「新」というからには旧を越えるものでなければならないが、岐阜県の百名山である伊吹山も恵那山も焼岳も消されて代わりに大日ケ岳が入っているが、大日ケ岳が伊吹山や恵那山に取って変われる山とは到底思われない。その上この記事の文章は極めて通俗的で深田の名文「百名山」を越えるものは何も無い。
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