槍ヶ岳・穂高岳
- GPS
- 72:00
- 距離
- 34.1km
- 登り
- 2,847m
- 下り
- 2,840m
コースタイム
- 山行
- 2:20
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 2:30
- 山行
- 4:40
- 休憩
- 1:50
- 合計
- 6:30
- 山行
- 7:30
- 休憩
- 1:40
- 合計
- 9:10
- 山行
- 5:45
- 休憩
- 1:15
- 合計
- 7:00
過去天気図(気象庁) | 2002年09月の天気図 |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
写真
感想
<1日目>夜行バスは朝6時少し前に東京駅八重洲口に到着。平日でもあり朝の東京駅は閑散としていました。バス内で完璧に熟睡できたので、足取りも軽く中央線で新宿駅へ。ここで昔よく食べたパンの朝食をとり、歌でも有名な7時ちょうどの「あずさ」に乗り込み松本駅に向かいました。予定の時刻に松本駅着。今回は、駅前のBTから直接「上高地」に乗り込みました。
雨だと言うのに、さすが「東洋のツェルマット(本場アルプスの登山基地)」と言われる「上高地」は大型バスが並んでいました。天ぷらそばを食べ、水筒に水を補給し、まずは今晩の宿「横尾山荘」を目指します。「河童橋」から見えるはずの穂高はぶ厚い雲に隠れて姿を現さず、ますます激しくなる雨の中をひたすら歩きました。「明神」で拝観料250円を払って「穂高神社奥宮」を拝し、「嘉門次小屋」のイワナ焼きの誘惑を振り切って足を進めます。ほど無く「氷壁(井上靖著)」の宿として有名な「徳沢園」に着いたものの、雨がひどいので先を急ぎました。「横尾」からの下りの登山者にも会わず、一人もくもくと行くだけ。とにかく「上高地⇔横尾」間は長く(11劼發△襦法一人だと余計にその長さを感じます。ようやく雨が小振りになりだした頃に「横尾山荘」に到着。さっそく受付を済ませ、びしょ濡れになった衣類を乾燥室で乾かし、冷えた体をここの名物でもあるりっぱな風呂で温めました。
山小屋の夕食は早いので17時には夕食にありつけます。驚いたことに、デザートの「完熟りんごゼリー」は「日東ベスト」製。山形県寒河江市の表示に懐かしさがこみ上げてきました。 食後は談話室で情報収集しようとしましたが、20人ぐらいのおばちゃんツアーの旅団がとにかくうるさいので、さっさと部屋に引っ込みました。相部屋ですが、平日なので10人部屋に3人だけ。「熟睡できそう」と思っていたら、今日「奥穂」から下ったという50代サラリーマン氏から嫌な話を聞いてしまいました。なんでも、午前中、「北穂南稜」で60代女性が滑落死し、雨のためヘリが飛べないので遺体はそのままだということです。缶コーヒーを飲むために外に出たら、先ほどまでの暗雲はどこへやら。満天の星空が明日からの快晴を約束してくれました。
<2日目>いよいよ今日から本格的な登りとなります。空はスッキリと晴れてくれたし瑞々しい空気は言うことなし。あのおばちゃんたちは朝5時の早発ちだったそうですが、どうせそのへんで追い抜くハズ。靴紐を締めなおしていざ出発。
10分ぐらい歩いた所で突然サルの親子と鉢合わせ。人慣れしているのか実に堂々としたものです。30分で「槍見河原」から初めて「槍の穂先」を拝むことができました。「一ノ俣分岐」を経て、わずか1時間で「槍沢ロッヂ」着。ここであのおばちゃんたちを越しました。昔「アルプス旅館」があった「ババ平」を経て順調に「槍沢」沿いに高度を上げます。「水俣乗越分岐」で時計に目をやったら、予定よりかなり早く進んでいました。
「氷河公園分岐」で大休止。そろそろ「槍沢」の水も切れそうです。この一滴が「梓川」になり、信州で「犀川」と名を変え、やがて日本一の大河「信濃川」となって日本海に注ぐのです。下山者たちに「運の良い人がいるもんだ。昨日はこの道なんて沢だったんだぜ。」と皮肉られるほど今日の天気は回復したようです。
「坊主岩小屋」手前で「槍」がその全景を現しました。感動のあまり足が止まり震えていました。深田久弥氏が、「悲しいまでにひとり天をさしている」と著しているとおりでした。しかし、ここからが遠いのです。「槍は見えるまでも遠いがそこからがもっと遠い」と言われるように、いつまでも同じ風景が続きます。ようやく肩ノ小屋の「槍ヶ岳山荘」が近づき、「もう少し」と念仏僧のように唱えながら進みやっと到着。小屋でチェックし昼食を取ろうとしていたら、小屋の人に「今日は最高の天気ですよ。運が良いですね。槍沢ロッヂからですか?」と声をかけられたので、「横尾からです」と答えたら、「ずいぶん早いですね」とビックリされました。「今の時間は穂先には誰もいませんよ。ゆっくり楽しんでください。」と送り出され、穂先にアタック。鎖場、鉄梯子とヒヤヒヤしましたが、わずか15分で立つことができました。小屋の従業員の言葉どおり、本当に私一人だけの穂先からは北アルプスだけでなく、遠い山並みまでもに入れることができました。
「槍ヶ岳」に続く山稜はみな痩せて嶮しいことから「鎌尾根」と呼ばれ、その尾根が眼下に鋭く曳いています。「双六岳」からの「西鎌尾根」、「大天井岳」から続く「喜作新道」の「東鎌尾根」、そして加藤文太郎氏が消息を絶ち、松潯明氏が絶命した「北鎌尾根」が牙を剥いていました。記念写真を撮りたいにも人が来ないのでシャッターをお願いすることができず1時間も留まることに。その分天空の展望台からの絶景を十分に楽しむことができました。
夕食までの時間はテラスでコーヒーを沸かしたりしてゆっくりしましたが、明日の「キレット越え」を控えて終始落ち着きません。夕食後は塩尻の夜景や雲海に浮かぶ月が緊張を和らげてくれました。
<3日目>朝4時30分起床。昨晩は緊張のあまり熟睡できませんでした。実は、前夜は寝床で「俺は死にたくないからやらない。」とか「普通行かないぜ。○△大も落ちたらしい。」と不安を煽る会話ばかり耳に入ってきたのです。また、小屋の従業員からは、「単独は危険ですからやめた方が良いですよ。念のため明日の行程を書いておいてください。」と忠告を受けてもいました。
洗面後、真っ暗なテラスでコーヒーを沸かして飲みました。「槍の穂先」にはライトが見えるので、すでに数名が陣取っている様子。まもなく、ご来光の感動的なシーンが3000mの展望台を包みました。5時30分に朝食を取り、今回の最重要課題である「キレット越え」に第一歩を踏み入れました。まずは「大喰岳(3101m)」を目指します。遠くには今日の目的地である「北穂」、「奥穂」のピークが見えるのですが、「あそこまで行けるだろうか」と不安だけがつのりました。
難なく「大喰岳」、「中岳(3084m)」を通過。しかし、この頃から左足踵の皮が剥け痛みを感じるようになってきました。「よりによってこんな所で」とさらに不安が増しましたが、右手に見える「白山(2702m)」、「笠ヶ岳(2898m)」に励まされながら先を急いだのです。
まったく人気のない道でしたが、「南岳(3033m)」で初めて人に会いました。そしてこの二人との出会いがこの難コース突破のうれしい誤算になったのです。「おはようございます」と声をかけたら、「やるんですか?」と返ってきました。「ええ」と答えたら、「じゃあ一緒に行きましょう」と誘ってくれたのです。この千載一遇のチャンスを断る理由などない私は、間髪を入れずに「お願いします」と頭を下げていました。
「南岳小屋」脇の「獅子鼻」からスタート。入口には「キレット越えのみなさんへ」という看板まであります。そして、重大(死亡)事故が多発していること」、「荒天時は避けること」、「単独は避けること」などを警告していました。それほどまでにここはディンジャラスゾーンなのです。目の前では「北穂」が招いているし、もう後戻りはできません。気合いを入れてスタートしました。
一気に「最低のコル」まで下り、案外楽に行けたので面食らいましたが、この先にとんでもない恐怖が潜んでいようとはこの時点では知る由もありませんでした。
そして核心部を迎えたのです。正面には誰もが尻込みするという「長谷川ピーク」。そして、そこには「ナイフエッジ」と呼ばれる接地面が15僂發覆た呂牙を研いでいます。しかも、飛騨側は1000m、信州側は800mも切り落ちている断崖絶壁を渡らなければならないのです。私は生まれて初めて本当に「死」を意識しました。「いつかは槍穂のキレットを」と十何年も夢に見続けてきた場所なのですが、「やっちゃいけない」と言われる訳がようやくわかったのです。冷汗タラタラで「A沢のコル」に着いた時は完全に血の気が失せていました。そして、ここからが最大の難所の「飛騨泣き」です。一歩一歩生きている自分を確認しながら進みました。「三点支持」の大原則に従い、「死」と隣り合わせの断崖をよじ登ります。決して鎖には頼らないと心に決めていたので、二度、三度と岩を確認してからホールドしました。鎖は絶対でないので、命は預けられないからです。最後の急登をやっつけ「北穂小屋」に倒れ込みました。緊張のあまり喉はカラカラで、コーラを買って一気に飲み干しました。デッキから振り返ると今歩いてきた「槍からの道」が延々と続いていました。
「北穂小屋」は、「北穂高岳(3106m)」直下(3100m)の断崖に立っています。そして、ここの売りは北アルプスを一望できる見晴らしの良さで、穂高でも人気の高い山小屋です。私も自慢のラーメンをすすりながら、十分にその恩恵に授かりました。しかし、よくこんな場所に小屋を建てたものです。
昼食後は「涸沢岳(3110m)」へ。驚いたことに、「北穂」山頂を経た断崖絶壁の岩場でうら若き女性バイオリニスト(幸田聡子さん)がバイオリンを奏でていたのです。なんでも、来年の3月21日、TBS系で放映される「穂高よ永遠なれ〜北穂小屋物語」の収録だそうで、撮影クルーも相当気合いが入っていました。
鳥も通わぬ「滝谷」を右手に「涸沢のコル」まで一気に下り、「亀岩」に取り付いた所で「涸沢岳」を見上げて驚きました。「飛騨泣き」よりすごい。「北穂に戻って涸沢に下りる」とビビる私に、「俺だって怖い。下を見ないでゆっくり行こう。」と励ましてくれました。とにかくひどいコースで、今思い出しても記憶がないほどです。「北穂」から300m下って、それを垂直に登り返すわけですから、いかにすごいかは数字でもわかります。見た目美しい「涸沢槍」も不安定な岩だらけのピークで、休む場所が皆無というのが一番ツライものでした。最後の岩を掴んで真っ青になって顔を乗り出した所が山頂でした。二人のおばさんから「ここ来たの。すごいわね。」と言われましたが、死ぬ思いで登り上げた私には、もう返す元気はありませんでした。
「白出のコル」に建つ「奥穂高山荘」にチェツクし、今回の縦走では「絶対に口にするまい」と思っていたビールを無意識に買っていました。そして、ここまで歩けた自分の体に感謝し、「涸沢カール」を見下ろしながらノンビリとビールを楽しみました。充実感と達成感でいっぱいの私は、実に幸せな気分に浸っていたのです。
前夜と同様、夕食後に星空を楽しんだのですが、それにしても先ほどから顔と唇がヒリヒリとします。3000mの強烈な紫外線に冒されたのです。しかし、この夜はそんなことよりも、長年の夢が叶ったことの方がずっとうれしくて、安堵感に包まれながら眠りにつきました。ちなみに、「キレット越え」は初心者は最初から挑まないので最近は落ちないそうですが、「涸沢岳」に犠牲者が多いそうです。
<4日目>明日から低気圧が接近するというので、今日が最後の穂高生活となります。暗いうちに山荘を出発し、途中でご来光を眺めながら、難なく「奥穂高岳(3190m)」山頂を踏むことができました。今日も快晴で山頂から素晴らしい眺望が待っていました。日本第3位の背丈を誇る「奥穂」ですが、それ以上に「穂高の盟主」に相応しい貫禄があります。「西穂」に続く「ジャンダルム」、「明神岳」、「前穂」、「涸沢岳」が「奥穂」に従えています。平日の早朝とあって、山頂には数人しかおらず、お互いに写真を撮り合いみんなで感動を分かち合いました。
次に「前穂」にアタックするため、吊り尾根を「紀美子平」に下ります。ここも結構ヤバそうなトラバースがあり、ヒヤヒヤしながら通過しました。「穂高岳山荘」特製の朝食を取り、「前穂高岳(3090m)」に立ちました。真下に三日前に発った「横尾山荘」が見えました。青空に映える北アルプスを存分に堪能し、山々に再訪を約束して「岳沢ヒュッテ」まで一気に下りました。途中、鎖場や鉄梯子もあって毎年何人かの犠牲者が出るそうですが、私にとっては、正面に噴煙を上げる「焼岳(2455m)」、右手に「西穂」、左手に「明神岳」を見ながらの楽しい山歩きでした。
「岳沢」からは久しぶりに土の上を歩きました。鳥がさえずり、木の匂いがする登山道は実に爽やかで気持ち良いものでした。次第に沢音が大きくなり、「梓川」の畔に辿り着き、四日前とは打って変わって、「河童橋」の奥に本当に見事な穂高の姿を見ることができました。
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