62.間ノ岳「重いつばさ」
- GPS
- 32:00
- 距離
- 19.8km
- 登り
- 984m
- 下り
- 3,158m
コースタイム
8月14日(三日目)大門沢小屋0605−0800大きな岩0810−0850広河原庵?−1000?奈良田温泉 所要時間:3時間55分?
天候 | 二日目 晴時々曇り 三日目 晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
帰りは奈良田より早川乗合バスで身延駅へ向かった。 一日4便あり。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
道の状況:肩ノ小屋から下降点分岐は、僕が来た時は晴れていて気分良く空中散歩を楽しむことが出来ましたが、問題は、下降点分岐から大門沢小屋は、登山レベルが問われるほどの難所でした。ヨモギ沢と平行して降って間もないところで、急斜面で土だけの登山道で足を滑らせ、危うく滑落しそうになりました。 大門沢小屋からしばらく降ったところで、片側が切れ落ちていて、脆そうな細い登山道があって冷や冷やしながら通過しました。僕はここで降りは甘くないということを再認識しました。 ※農鳥小屋と大門沢小屋のトイレにトイレットペーパーありません! 登山ポスト:広河原インフォメーションセンターで登山届を提出済。 下山後の温泉情報:奈良田温泉 奈良田の里 女帝の湯を利用。入浴料500円 座敷使用はプラス1000円。食堂も併設されていて、居心地がいい。水曜日定休日だが、この日は臨時に営業していて嬉しい限り。でも、近くにある白簱史朗写真館が閉館だったのが残念(水曜日定休日) |
写真
感想
北岳からの続き
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-333368.html
第62座 重いつばさ
8月13日、前日の反省を踏まえ、起床は3時に起きた。外へ出ると、強風が吹いていて非常に寒かった。それでも、空は満天の星空で天の川も見えた。折りしも、この時期はペルセウス座流星群がもっとも良く見える頃で、時々、流れ星が見えた。光の軌道が短いものもあり、長いのもあって、眺めながら、朝食を作るためのお湯を沸かすのだが、強風のためなかなか沸騰しなかった。かといって、テントの中でガスバーナーを使いたくはなかったし、沸騰するのを待たずにぬるま湯の状態で止めた。
朝食を済ませた後は、ご来光を待ちながら、テントを撤収した。そして、5時頃にご来光を拝んだ。僕にとっては何年か振りのご来光だ。心が洗われる瞬間であった。6時15分に肩ノ小屋を出発。まずは北岳山頂をまた登った。北岳山頂は多くの登山者で一杯で、景色を眺める登山者、記念撮影をする登山者で賑わっていた。僕もそこから、富士山を眺めた。多分、あそこの山頂周辺はもっと登山者が多いんだろうなぁ〜と思った。富士山が世界遺産に指定されて初めて見ることになるが、威風堂々、この言葉がふさわしい山容であった。
ここから北岳山荘へ向かうのだが、急な坂が続き難儀した。6時50分に北岳山荘に到着。15分ほど休憩して、まずは中白根山を目指した。このあたりはミヤマシオガマの紫色の花が目立つようになった。そして、9時5分に中白根山に到着。ここまで来ると、塩見岳が見えるようになった。もちろん、次に登る間ノ岳も立派な山容でそびえていた。
10時30分に間ノ岳に到着。山頂は広く、多くの登山者は広く散らばって休んでいた。
これで、日本で最も高い山、トップ5(富士山、北岳、奥穂高岳、間ノ岳、槍ヶ岳)を全て登頂したことになった。山頂の記念写真は志村けんの持ちネタ、「アイーン」で撮ってもらった。これは2002年7月に鳳凰三山の一峰、夜叉神峠に立った時、初めて白峰三山を見て、この時に間ノ岳に登頂したらアイーンで記念撮影しようと心に決めていたのだ。この思いが、今実現出来て最高な気分になった。
間ノ岳を後にして、次に農鳥小屋を目指すのだが、戦々恐々としながら下山していた。その理由は、そこの小屋の親父さんが厳しいお方で、自分のような癖の多い奴は、ちょっとしたことで怒られるんじゃないかと思ったのである。以前、南アルプスの某小屋で自分の軽率な行為で怒られたことがあったので、理由はどうあれ、やっとたどり着いた小屋で怒られたら凹むよなぁ〜と思いながら、農鳥小屋に向かっていた。
12時に農鳥小屋に着いた。僕はここでコーラを買って、それを飲みながらソイジョイやカロリーメイト、羊羹などを食べた。幸い小屋の親父さんは小屋の中で接客中で、怒られるどころが、出会うことがなかった。ここから大門沢小屋まで遅くとも6時間かかるそうだが、ここでテントを張るか、無理して大門沢小屋まで下山するか迷ったが、明日早く下山することを考え、あえて後者を選択した。何か、ここで登山を終わらせるのも早過ぎると思ったし。
西農鳥岳の登りは急登で、西農鳥岳までは所要時間50分のところを1時間10分でたどり着いた。相当疲れているなと感じながら、次の農鳥岳に向かった。農鳥岳には14時35分に着いた。これで白峰三山を全て登頂することになった。ここまで来ると登山者は僕を含め3人と少なかった。登頂の感動に浸る暇もなく、下山に入った。大門沢下降点に向かう途中でハイドレーションに入れていた2リットルの水が尽きてしまった。僕は別に汲んでおいた1リットルの水をハイドレーションに移し変えた。
15時30分に大門沢下降点に着いた。黄色く着色された鉄の骨組みで組まれたやぐらがあって、上には鐘が吊るされている。僕は戯れで軽くカーンと鳴らしてみた後、大門沢小屋までの下降を始めた。このあたりは結構、高山植物が咲いていたが、それを眺める余裕もなかった。早く大門沢小屋まで降りなければ・・・・。そればかりを考えていた。
樹林帯に入ると、急勾配の坂が続いて、疲れた膝には辛いものがあった。滑りやすいところもあって、慎重に降った。途中、倒木もあって、それをくぐらなければならないところもあって、「登りは体力、降りは技術」といわれるが、登山技術が大いに問われた下山となった。
それでも、やっと水音が聞こえるようになって、ヨモギ沢と並行するように降って間もないところで、土だけの急斜面の道で足を滑らせて転倒してしまった。辛うじて僕の身体は滑落を免れたが、石や砂は大きな音と砂埃を立てながら、50メートルはあるだろう沢まで落下した。ヒヤリとする暇もなかったが、この時にまたポールを曲げてしまった。修理
したばかりなのに、また修理しなければならないのかと思うと気落ちした。
「一体、どれだけ降るんだろう・・・・」
高度計は既に2000メートルを下回っていた。降っても降っても大門沢小屋は遠く感じて、まるで落ち武者のような感じで降っていたように思う。ブラックアウトも頭をよぎった。いつの間にか、林の中に入っていた。途中、ハシゴ状の橋が架かった沢があって、そこで一本立てたのだが、ザックを背負って立ち上がろうとした時に派手に転倒した。ケガはなかったが、相当に疲れていたらしいと感じた。
降っているうちに、その下にオレンジ色の何かが見えた。
「何だろう? もしかすると・・・・」
と思いながら、降りていくと、オレンジ色の物体はテントであった。
「と、いうことは・・・・」
とうとう着いたのだ。大門沢小屋に! 長い下山も今日はここで終わりだ! 小屋に着いたものの、この後、自分がどうしたらいいのか解らなかった。そんな僕を認めて、若い小屋のスタッフが近寄って来た。
「大丈夫ですか?」
「と、取りあえず、水を飲ませて下さい・・・・」
大門沢小屋は水がタダであることは知っていたので、思い存分に水を飲んだ。落ち着いたところで、この後、どうしようかと考えた。幕営地はテントで一杯みたいだし、あったとしても、テントを張るだけの体力はなかった。取りあえずスタッフと話そう。
「あの、すいません、テント場は一杯でしょうか?」
「あー、まだ数張分は張れると思うけど・・・・」
ここでしばらく考えた。
「小屋に泊まることは出来ますか?」
「シュラフとかはあるんですか?」
「あります」
「素泊まりなら3500円で泊まれますよ」
「じゃあ、そうします!」
こんなこともあろうと、金は多めに持って来ていたし、決断は早かった。素泊まりで泊まることにした。案内されたスペースは板張りの床で、僕はそこにエアマットとシュラフを敷いた。このスペースは僕の他に誰もいなくて、落ち着いて眠れそうだと思った。
食欲がなかったが、せめて、インスタントのそばでも腹の中に入れておこうと、ガスバーナーで水を温めたが、肩ノ小屋で強風の中、バーナーを酷使したのが仇となって、沸騰する前にガスが切れてしまった。困った僕は、食事が終わって談笑している客にお願いして、その方のバーナーを使って水を沸騰させた。これで何とかインスタントのそばを食べることが出来た。それでも眠れるかどうか不安だったし、心も落ち着いたし、ビールを買おうとスタッフに聞いたら、販売はもう終わったといわれてしまった。
この日の夜も眠れなかった。別に同室の客のいびきがうるさかったというわけでもなく、客が一杯であったというわけではなかったのに、眠れなかった。疲れているはずなのに、何故か目が冴えているのだ。肩ノ小屋から大門沢小屋まで12時間15分かかって下山して、疲れているはずなのに、どうしてなんだろう? と思ってしまった。時々、あの時に滑落しそうになった時のことを思い出して、もし、自分があそこから落ちていたら・・・・。と考えることがあって余計に眠れなくなった。
8月14日、4時になり、部屋の電気が点灯した。僕は再びパッキングをし直した後、ソイジョイとカロリーメイトとカントリーマァムのみの朝食を済ませた。6時5分に大門沢小屋を出発。歩いて見て、筋肉痛気味で足が重いと感じた。途中、片側が切れ落ちて、道が細くて脆そうなところはゆっくり慎重に降った。下山を始めて2時間を経過した8時に大きな岩のところで一本立てた。そこから吊橋を三本通過して、ようやく車道に出た。車道に出て間もないところに「広河原庵」という休憩ポイントが地図にあったので、茶店でもあるのかと思ったら、単なるあずまやだった。僕はここでも一本立てた。
車道をしばらく歩いて、発電所を通って、10時頃に奈良田に着いた。奈良田温泉にいくのに登り坂を登らなければならず、結構辛かった。こうして僕は「奈良田の里 女帝の湯」に到着した。ここで久し振りに入浴して、昨日飲めなかったビールにもありついた。こうして、白峰三山縦走は何とか無事に終了した。
縦走は一応成功したが、課題も多かった。縦走中にガス缶やトイレットペーパーが切れて難儀したし、テント泊縦走がこんなに疲れるとは思わなかった。テント泊縦走に耐えられる身体を作ることは当然としても、もう少し、ゆとりを取っても良かったのではないかと思った。今回の縦走は失敗に近いものがあったが、それをどう反省して活かすか? 次の登山までに考えなければならないと思った。
追伸:木曽川駅から自宅まで、重さ20キロのザックを背負っての自転車を漕ぐのが辛かったし、その横をクルマが追い抜くので怖かったよ・・・・。
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