大川沢遡行 - カクネ里 - 鹿島槍北壁敗退 - 白岳沢へ撤退
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- GPS
- 35:31
- 距離
- 26.0km
- 登り
- 2,835m
- 下り
- 3,068m
コースタイム
- 山行
- 11:45
- 休憩
- 0:01
- 合計
- 11:46
- 山行
- 12:06
- 休憩
- 1:05
- 合計
- 13:11
- 山行
- 9:18
- 休憩
- 0:54
- 合計
- 10:12
鹿島槍北壁とカクネ里には、強烈な印象をもっていました。
1989年残雪期の4月にパラグライダー山頂フライトを決めた鹿島槍、そしてモノスキーで白馬周辺の雪壁を滑っていた1990年代前半は、あの北壁を滑っやる!と妄想していた・・
時は流れ、鹿島槍北壁は遠い存在となっていましたが、昨年の事SM100Cさんから夏の鹿島槍北壁、大川沢を遡行しカクネ里を詰めて取り付くプランを提案され飛びつきました。以前より長く患っている半月板水平断裂、7月より軽度の鼠経ヘルニア発症、更に直前の魚野川中高沢で前脛骨筋腱鞘炎が発症して、痛くてたまりでしたが、もういい年なので一生一度のチャンスかもと勇んで出撃した次第です。
沢から雪渓、そして壁を登って秀峰に立つ。アルパインクライミングというか登山の原点そのものを味わえる日本では数少ないルートの様に思えます。
詳細な記録の少なさ、雪渓崩落による不確実性、ルートの特定から始まる難解さ、戦前から戦後にかけて初登攀時代を味わえる好ルートでもあります。
残雪期に東尾根やキレットから雪壁をトラバースして北壁に取り付くというのは、多くの記録がありますが、夏季大川沢からカクネ里を詰めて北壁を登る詳細な記録は殆どありません。日本登山大系の初登攀記録以外で、この周辺の夏季登攀記録をネット検索で出てきたのは、下記四つのみという少なさで、北壁を成功させたのは一つのみです。
鮎島仁助郎氏(山登魂) 大川沢 - カクネ里 - 洞窟尾根
wellenkuppeさん(ヤマレコ) 白岳沢 - カクネ里 - 北壁主稜 - 黒部方面へ
macchan90さん(ヤマレコ) 大川沢 - 白岳沢 - 五竜岳
M&C 3Bさん、NYさん(JUGEMブログ) 大川沢 - カクネ里 - 洞窟尾根 - キレット - 鹿島槍
上記記録、参考にさせていただきました。本当にありがとうございます。
記録の少ないルートに行くのは楽しみ〜なんて言っていられたのは、入山前まででした。
記:桃奈々
天候 | 晴/曇 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
大町市観光協会によれば橋の前後に15台程度駐車とのこと。 明るいうちはこの時期多くのアブに悩まされます。 五竜テレキャビンの終了時間は16時30分。 小遠見に電話番号が記載された看板が有り、電話すると待ってくれる。 5時を過ぎると30分毎に\2000の割り増し料金との事だが、とてもありがたい。 五竜テレキャビンの駐車場タクシー乗り場にタクシー会社の電話番号有り。 五竜テレキャビンから大谷原ので、タクシーで\7,500位。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
●大川沢下流部 砂防ダム建設歩道 ブル道等も有り、水量も少ないので障害はアブ位です。 取水ダムより水量が増え「靴を濡らさずに」なんて考えは捨てる事になります。 ●大川沢中流部 小滝程度しか有りませんが、水量は非常に多く渡河できるところは限定されます。 従って、先を見通し渡れるところで左岸右岸何方を行くかの決定をミスれば、戻る羽目になってしまうので慎重に見極めて遡行しました。 渡河可能と判断したところも、激しい水流に緊張を強いられます。全域に渡り瀞や浅瀬は皆無に等しく、流された場合を想像するのが怖い感じでした。 側壁は低く、へつり切れずに巻く場合は、小さく巻くことが出来ますので、気楽でした。 荒沢、濁沢など支流を分けても水量が減少したという実感が有りません。 数少ないネットの記録では、簡単に遡行した様に書いてありましたが、多分今回は湧水期で水量が多かったと思われます。 尚、激流の渡河にはストックが役立ちました。 ●大川沢上流ゴルジュ ゴルジュ入り口はそれ程極端に側壁が高く狭まっているわけでは無く、それが核心のゴルジュだと気が付いていませんでした。 ここから、多大な水量に水線通しの遡行/渡河は不可能と判断。右岸を巻くよう側面に取り付きました。事前の記録では「左岸を巻き、右岸に移って右岸を巻く」あったのですが、ここが核心部だと気が付かなかったのです。後から考えると水量が多い為、記録の巻き始めより下流から巻き始めたと思われます。 左岸の巻きは悪い草付きや露岩でなかなかトラバース出来ず、上に追い上げられます。無理にトラバースして行くと岩稜で行くてを遮られ、草付きより岩の方がマシかと岩稜側面を探りますが、岩は脆く結局少し戻り、更に追いあげられます。 対岸に滝を幾段にも掛けて落ちる支流が見え、ここが核心部で有る事を知りました。 硬く下に向かって生える灌木に掴まって登る80度を超えた藪岩や草付きを登り、岩稜の上を巻き、少し傾斜の落ちた藪を漕ぎトラバースをしていくと、ガレルンゼが有り沢筋に降りました。ガレルンゼは水線から4m程度の被った側壁となり、それを降りると、やはり上流は激流で水線遡行不能でした。 側壁をショルダーで登り返しガレを少し登り返すと、今までより低い位置の笹薮から巻いて行けました。水流線復帰に懸垂下降は不要でした。 途中からSM100Cさんが体調を崩したのか「俺落ちるかもしれない」とヘタレてしまい、ザイルを出したことも有り、300〜400mのゴルジュの巻きに6時間を要しています。(今までどんな状況でも冷静で闘志を失わなかったSM100Cさんがヘタレたのを、初めて見ました) 当初核心ゴルジュでは無いと思っていた為に、低い位置を無理やり困難なトラバースをしたので、最初から大きく巻く覚悟で登り切ってしまえばもっと楽だったかもしれません。対岸(左岸)の斜面を観察する限り、滝の有る支流より上流側は露岩が多く明らかに困難です。湧水期でゴルジュ内で渡河不能と判断した場合は、右岸のこのルートで最良だったと思っています。SM100Cさんの体調が良く、最初から側面を高く登り切ったとしても3〜4時間位は見ておいた方が良いと思われます。 ●カクネ里 ◎出合の滝は左岸がガレで埋まっており、困難は有りません。 ◎1567m標高点、左岸からの支流の下左岸に良好な台地が有りました。日没も迫りSM100Cさんもフラフラなので、ここを天場としました。この上流にも天場は点在しており、最終は1800m付近でキレットに突き上げる沢左岸に台地状の良好な天場を見ました。この支流は雪渓も切れており水も得られます。(計画ではここを天場とする予定でした) ◎主稜テールリッジ末端の雪渓標高は2100mで、ここまで斜度も弱く困難では有りません。しかし、出発が遅れた事も有りますがSM100Cさんの体調は回復せず、私の1.5倍の時間を要した為、到着時間は9時40分でした。 ●北壁主稜末端テールリッジ 日本登山大系の記述は積雪期の物で、テールリッジ右側の雪渓を登りコルに出ると有りますが、右側の雪渓はズタズタで、登って上から見たら雪渓の下の滝が顕となっている状態で、とても登攀不可能。 末端付近も大きくシュルンドが大きく口を空けていましたが、奇跡的に一か所高さ2m幅1m程度の垂直クライムダウンで渡れるポイントが有りました。それでもピッケル/出歯アイゼンが無いと厳しい下りです。左右はポッカリ口を空けていて落ちれば助かりませんので、ザイルで確保しました。 シュルンドを渡り3m程登ったテラスでアイゼンを脱ぎピッケルを仕舞って、登攀開始は10時位になっていました。 テールリッジ末端壁のルートは、右にリッジを回り込み、凹状フェースをリッジに上がれば藪に突っ込めると判断しました。(帰宅してから wellenkuppeさんの記録を見返すと、テールリッジ末端 左フェースを登るのが正解だった模様です) ◎1P目 フェース 40m 掘銑+ (桃) リッジを右に回り込み凹状側面の70度程度のフェースを登り、凹角に入ったところにあるテラスまで40mランナウト。当然残置等一切なしです。北壁は脆いと聞いていましたが、浮石は大量にあるものの、それ程脆さは感じず快適な登攀でした。 ◎2P目 バンドからリッジ 30m - (SM100C) 右に上昇バンドを登りリッジに出て藪下のテラスへ。 ◎3P目 バンドから90度超の藪岩壁 20m (桃) 左にバンドを辿り藪に突っ込みます。ハングした岩盤に下向きに生えた直径3cm位の灌木城塞の隙間を強引に突破し、80度以上の密生した灌木帯を登ってザイルが重くなってきた所でピッチを切る。セカンドのSM100Cさんは突破に1時間超を要した。 藪登りにグレードは無いが、あえて付けるなら藪叉蕁 ◎4P目 80度超の藪岩壁 20m (桃) 3P目よりは楽だが、下向きに生えた直径3cm位の灌木城塞の隙間を強引に登るのは同じ。先にSM100Cさんがチャレンジするも、力尽きてビレイ点直ぐ上まで墜落し交代。 ◎5P目 藪リッジ〜ザレフェース 40m (SM100C) 灌木の有る容易なリッジから、傾斜は60度程度だがザレザレで不安定なフェースを10mで灌木。容易だが体調不良のSM100Cさんにはキツイ様で、フラフラな登攀を見て撤退を決意。 ※ 5P目の先は、灌木が密生したリッジで、斜度の強い所もありそうでした。 目測2P〜3Pで、日本登山大系に記載の有るコルに到達出来そうでした。 ●撤退 4時間を要してもテールリッジを登り切れず、既に2時を回ってしまった。 意外と陽当たりが良く、ビバーク覚悟で桃奈々2.5函SM100C2.0隼ち上げた水も40%をも消費してしまっている。なによりSM100Cさんの消耗は激しく、撤退を決めた。SM100Cさんは判断力の喪失していた様で、限界だと言い出す事も出来なかった様だ。 私の撤退目算では、日没ギリギリで前日の天場。翌日、白岳沢を遠見尾根へ半日。白岳沢雪渓の状態は不明だが、下降に使用されるので容易と判断。そしてテレキャビンに間に合う筈・・ ◎5P目下降は50m1本では足りず、ザレ斜面懸垂後、岩稜はクライムダウン。クライムダウンではSM100Cさんを先に行かせ確保した。 ◎3P目藪壁の懸垂は空中懸垂となり、やはりハングしていたと確認・・ ◎1P目+2P目のザイルスケール70m有った下部フェースは当然50m一本では足りず、7m程クライムダウンして灌木で最初の支点を取る。途中のテラスでハーケンを打ってピッチを切り、2Pで雪渓に降り立つことが出来た。ここでもSM100Cさんがバランスを崩し大きく振られ、撤退の決断が正しかった事を実感した。 ◎カクネ里の下降に入ってもSM100Cさんのスピードは上がらず、桃奈々が先に降りて焚火やツエルト等の準備をするという事で別れる。それでも、昨日の天場に到着する前に日没となりヘッテンのお世話になった。CM100Cさんが到着したのは焚火/ツエルト設営などが完全に終了した1時間半以上後であった。 昨日の天場より上流に、いくつも良好な天場は存在しており誘惑されたが、翌日の白岳沢経由遠見尾根というの行程の長さから我慢した。 SM100Cさんも、不調を押してヘッテン下山を良く頑張ってくれました。 ●カクネ里から白岳沢、遠見尾根 ◎天場から白岳沢出合までの下降に問題は無い。 ◎白岳沢出合のハングした滝 左岸からザレバンドをトラバースして登れそうであるが、左岸を巻く事にした。獣道らしき踏み跡有り。 ◎雪渓 途切れている所や滝も有るが、寸断されたクレパス状では無く、概ね楽な登り。 それでもSM100Cさんのペースは上がらず、1.5倍の時間を要し休憩で30分は休まさないと動けないので、2倍の時間は掛かっている。 「二人で元気に生きて帰るぞ」と励ましながら、ひたすら登る。 ◎2050m付近の滝 右岸支流の雪渓を登り、ザレたリッジを超えて本流に戻る。 ◎20170m付近遠見尾根登り口 草付きを割って小ガレ窪が入るので、それを登る。本流雪渓はこの上流でズタズタに切れている。 ◎ガレ窪 半分位は快適に登るが、途中完全にガレとなるので、右手の草付きから灌木帯に逃げる。灌木帯を少し登ると踏み跡が有り、藪漕ぎ無しで遠見尾根に楽に出られた。 ◎遠見尾根 フラフラとなった二人は、中学生など一般登山者にガンガン抜かれてしまう。 大遠見でテレキャビン終了時間ギリギリという事が判明し、SM100Cさんも最後の踏ん張りを見せる。結果15分遅刻したが、小遠見に電話番号が有り電話したお陰で待ってもらいました。ありがとうございました。 記:桃奈々 |
その他周辺情報 | 精魂尽き果て駐車場に戻り、そこでなおもアブに襲われる…そそくさと退散。 あまりに汚くみすぼらしい風体だったので、『道の駅おたり』の日帰り湯利用。 ここでも浴室にアブがいて襲われる…(SM100C) 「肉が喰いて〜」「風呂に入りて〜」というところでしたが、飯を食う気にもなれないというので、大谷原で即時解散(*_*; 気合で下道帰宅を慣行したが、妙義で力尽き関越に乗って帰宅しました。 途中でラーメンを汁全て飲み干したお陰が、山中では毎晩つっていた足が自宅ではつらなかった。(桃奈々) |
写真
(S)水量がもっと少なく、水線を行ければ、この後の体調ももっと良い状態だったかも知れません。
と、いう事はここは核心ゴルジュです。
数少ない記録を思い出すと左岸巻き滝の有る支流を下り右岸に移ると有った様な〜
しかし、上から見る限り渡河は不可能な程の水量で、今回は最初から右岸巻きが正解だったかと・・
(S)高巻きのレベルもここまで来ると、来た目的が高巻きのような錯覚に陥ります。
これでやっと巻きから解放されるか(*^^)v
そしてその先は・・・なんか行けそう(*^^)v
ハング気味の4m程を無理やり降りて水線に立ち、写真の顔を出している岩に乗って見ましたが、奥はやっぱり大水量で遡行不能の模様です。
ハングを無理やり下降した側壁をショルダーで登り返し、ガレ沢を登ると、下降した位置より遥か下に巻いて行けそうなポイントを発見(*^^)v
(S)結局ゴルジュは丸々巻いてきた感じです。そしてその巻いた壁は極悪な泥藪で足は安定せず、腕の力を無駄に消費するばかり。
結局、白岳沢の二股まで、容易に遡行出来る程に水量が減る事は有りませんでした。
7月遡行した過去の記録では、なんてことないと記載されていたので、ほんの数週間の差で融水期となり水量が激増するのかもしれません。
(桃)滝は二段でそこそこの高さと規模がありますが、右側は1/3がガレで埋まっているので、通過は容易です。
もっと上までキャンプを上げないと、明日が厳しくなるのですが、SM100Cさんの体調からすると限界か・・
到着を待って状態を確認すると、やはり限界の模様です。
折角作った南魚沼産コシヒカリの飯盒飯と桃奈々特製激辛タイカレーも喉を通らない模様です。
明日は、白岳沢経由で撤退かな〜??
しかし、二人でアーリータイムスをしっかり呑んで、就寝しました。
(S)こんなハードなことをやってきたのに、食事が喉を通りません。そして立ち上がるのもやっと。でも喋るのは快調なのが余計に悔しい。
一本締めのバンドで固定しましたが、ズレてズレて難儀しました。色々締め方を模索変更し、白岳沢を登るころには安定する締め方に出来ました。
しかし前だけだと片足95gと超軽いんです。
しかし、一か所だけ高さ2m幅1.5m程度、垂直では有りますが岩壁とつながっている部分が有りました。
奇跡です(*^^)v
(S)まさに奇跡でしたね。ここ以外はどこも不可能。
シュルンドを降りて対岸の岩壁を4m程度登ったところにテラスが有りました。
ハッキリ言って3P目と4P目は、究極/極限の藪岩魂(*_*;
4P目をリードしたSM100Cさんは「落ちる〜」と叫んだ後、本当に落ちてきました(*_*;
(S)支点がしっかりしたものを取れたので、落ちても大丈夫という思考がありました。酸素が腕や指に全く供給されない感覚で、もうこれ以上は無理かな、と思いました。
テールリッジ右側の雪渓が絶望的な状態となっているのが見えます。日本登山大系によると、このズタズタとなった雪渓を登りテールリッジのコルに出ると有ります。
(S)ほぼ人跡未踏のこの世界。食料と時間さえあれば、1ヶ月でもここにいたいと本気で思いました。
(S)もうここで十分だなぁ…
後は灌木の付いた藪岩稜なので確保してSM100Cさんを先にクライムダウンさせました。
(S)帰ろう。生きて帰るにもなかなか一筋縄ではいかないところです。空中懸垂だったり、濃い藪中だったりと、懸垂下降もすんなり降れないところばかり。
*写真では雪渓と岩壁がくっついて見えますが、数Ḿのシュルンドが口を空け、暗く底知れぬ深い隙間となっています。
計画では、一日目にここまで上がる予定だった・・
いくつもの天場は有り誘惑されましたが、明日の撤退行程を考慮すると、今日中に前日の天場まで戻らねばなりません。
私も1550m付近の天場に戻る前に日没となりヘッテンのお世話に。そして、SM100Cさんがたどり着いたのは1時間半以上過ぎてから。焚火に着火し湯を沸かし、ツエルトもきちんと張った後でした。
装備
個人装備 |
ラバーソール渓流靴「忍者」
アルミ12本爪アイゼン(SM100C)
アルミ12本爪アイゼンの前だけ6本爪(桃奈々)
アイスハンマー(SM100C)
ロックハンマー(桃奈々)
ピッケル
一般登攀具一式
|
---|---|
共同装備 |
8.9mm x 50m 1本
|
感想
過去、人類の飽くなき挑戦がなければ拓かれていなかった、現在のあらゆる登山道。拓かれる時は間違いなく、命にかかわる冒険であったことだろう。
今やそんな山登りをする人もごく限られ、安全登山が当たり前、危険を伴う登山は揶揄され、遭難などしようものなら徹底的に叩かれる。それはそうだ、救出には人命やお金がかかり、多大な迷惑をかけることになる。
だから、必ず這ってでも生きて帰らねばならない。こんな山行を実行するならなおさらだ。
十年以上前、遠見尾根から見たカクネ里と鹿島槍北壁は、それは衝撃的な景色であった。大迫力の北壁から長大な雪渓。いつか、あそこに行ってみたい。北壁は登れないまでも。そう思って今まで過ごしてきた。
昨年momo7nanaさんに話したところ、一緒に行ってくれると言うじゃありませんか。とても嬉しかった。あそこに立ち、生で北壁を見上げるだけでも十分だ。
年齢・体力・技術を考えると、もう時間はほとんどないと思えた。
敗退でもいい、何が何でも生きて帰るという意志のもと、行って来ました。
結果、体調を崩したことにより、敗退となってしまいました。
自ら言い出した計画で、自らの体たらくにより、momo7nanaさんには多大な迷惑と後悔を残してしまったのではないかと気に病んでいます。
ビバーク地では動けず、全てmomo7nanaさんに世話をしていただいたし、リードなのに墜落したり(もちろんしっかりした支点を取れていたからなのですが)、今から冷静に考えれば単なる無謀なヤツだった気がします。
突っ込み始めればキリがないのですが、しかし、行ってよかった。
行きたいと思える場所に行ける、これはしあわせなことです。
いつものことですが、momo7nanaさんたいへんありがとうございました。
間違いなく、一生の思い出となる山行となりました。
カクネ里は近年氷河認定された大きな雪渓ですが、その美しさにも関わらず、簡単に訪れることが出来ない場所です。氷河調査の入山を除けば、登山者が訪れるのは10年に1パーティー位がいい所なのでは??
そんな秘境に足を踏み入れて眺めたカクネ里の奥に聳える北壁は絶品でした。
敢え無く北壁は撤退したものの、カクネ里での二晩、旨い酒が飲めました。
大川沢ゴルジュでSM100Cさんが体調を崩し夕食も喰えない状況から、白岳沢を撤退するしかないかな〜と思っていましたが・・
カクネ里の天場で二日目の朝、素晴らしい好天にSM100Cさんが「これで登らない手は無いでしょう〜」と、元気を取り戻した模様。
しかし、カクネ里を詰める段階から遅れ気味となり、3P目の藪城塞の突破は困難を極め、4P目ではトップでの墜落。5P目もフラフラ。時間/水の残量も限界で撤退を決めました。
せめてテールリッジを突破し、核心部を目の当たりにしたかったですが、あの時、そのまま突っ込んでいたら・・
SM100Cさんの気力/体力は、北壁途中で確実に尽きていたと思います。
救助を求めて桃奈々が単独登攀して運よく成功しても、救出には困難を極め残り少ない水と食料で命を繋いでいたか確証が持てません。そしてもしも桃奈々が単独登攀に失敗し墜死したら、SM100Cさんは北壁テラスで餓死していた事でしょう。
また、もう1ピッチ登っていたら3日目に下山は出来ず、食料も尽き、荒天だった翌日の下山という悲惨な結果となっていたでしょう。
表題に敗退とは書きましたが、二人とも元気な状態で下山出来、本当は敗退では無く綺麗な撤退を決められたと思っています。
三日間の好天、奇跡的に渡れたシュルンドという幸運を生かすことが出来ず、撤退とはなりましたが、生きて帰れば成功という事で悔いは有りません。
夏季に大川沢遡行 - 鹿島槍ヶ岳北壁というルートは、本当に登山の総合力を試される厳しいルートでした。そして、その総合力の未熟さから撤退となってしまいました。
下山直後は二人して「二度と来るか!」と言っていましたが・・・
雪渓状況/融雪増水の情報収集と時期選定、テールリッジのルート選定など、反省点を詰めなおし、今一度チャレンジ出来たら・・
また、チャレンジしようねSM100Cさん、そして二人で元気よく生きて帰りましょう(*^^)v
↓桃奈々ブログ
https://minkara.carview.co.jp/userid/256635/blog/45351373/
コメント
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百戦錬磨のおふたりにおこがましいのですが、撤退とはこういうタイミングでするのだと、少しばかり参考になった気がしました。ここまで来てここで帰るのか、という気持ちもあるかとは思いますが、頑丈そうなロープがほつれているのを見て、自然って容赦しないんだなと感じました。山のプロでも大変そうな玄人オンリーな山歩き、ご無事でなにより。そしてお疲れさまでした。
ここは、技術的にこんな難しいところ絶対行けないということもなくて、ほぼ体力勝負という印象でした。なにしろ事前情報が極めて少なく、行ってみなければどんな状況なのかわからないところでした。
体調が良ければどこまでやれたんだろうと思うのですが、今となってはどうすることも出来ません。
撤退出来る力が残っている限り進んでやろうという意志で向かいましたが、30ピッチ程度あるという壁にはまったくの無力でした。
3ピッチ目を終えたときくらいにこれは無理だ、生きて帰ろうという方向に意識が変わりましたが、momo7nanaさんはしっかり状況を把握してくれていて、さすが百戦錬磨は違うな、ということを強く感じました。
これで悪天候に変わったり、雪渓崩落や落石に巻き込まれでもすれば一発アウトだったんでしょうけれども、そこは神様が味方してくれたようです。
失敗には終わりましたが、あの地にたどり着き、北壁を見上げたこと、とても素晴らしく貴重な体験となりました。
人間って、がんばろうと思えば限界を超えて動けるものなんだなぁと自分ながら感心しています(´_`;)
SM100Cさんの「生きて帰るぞ」という生命力の強さが伝わる記録ですね。
体調不良は熱中症?でしょうか
沢から雪渓歩きなので、比較的涼しいのではと想像しましたが、嫌らしい高巻きなどあるとそうは言ってられませんからね
この景色の前に立つことだけでも苦難の道だと思います。
その中で光るmomo7さんの判断力、感服しました。
こういった山行は情報量の少なさや、その時のタイミングによる運(水量、雪渓、天気、体調)にも大きく左右すると思うので、ベストコンディションでリトライできる日を願っております。
本当の栄光は艱難辛苦の先にある!
ナイスファイトな挑戦、大変お疲れ様でした。
生きて帰れればこっちのもの、また機会もあるかも知れませんしね(´ω`;)
とはいえ、この体調不良の原因は一向に掴めないんですよね…熱中症の可能性ももちろんありますが、水分・塩分は充分摂りながら進んでいたので、実際はなんなのか。
二日目など、朝は食べましたが昼・夜とも食べることが出来ず、このままmomo7nanaさんのツエルトで白骨化するんじゃないかと思ったくらいです
一人で決して行く場所ではありませんが、仮にそうだったとしたらかなりの確率で戻れなかったと思います。
momo7nanaさんはやはりさすがですね。
まだいろいろなところが痛いしかゆいので、2〜3日安静に仕事したいと思います(笑)
それにしても沢や雪渓は運の要素が大きいですね。
お疲れさまでした。
ご無事で何よりです。
(返コメのお気遣いは不要です。)
お気遣いは不要とのことですが、そのお気遣い大変恐縮です。
山岳小説のスリルという点ではよくわかりませんが、景色は本当に外国にいるような気になれました。
日本にはまだこんなに素晴らしいところがあるんだ、と思えた久々の体験でした。
カクネ里は、北アルプスでも屈指の景観でした。
遠見尾根からも眺める事が出来ますので、時間がありましたらご覧になって下さい。
「テールリッジのたったあれだけしか登れず、敗退してやんの!」と思われるかもしれませんが・・
SMさんの体調不良/症状は経験の無いもので、はたから見ていても、本人自身も全く分からないです。
今一度、状況を思い出して整理すると・・
高巻きに入る際に核心ゴルジュだと認識していなかった為、私は水を携帯せずSMさんもわずかでした。融水による大増水により、通常は巻くことの無いルートを開拓しての大高巻は困難でSMさんの不調も重なり6時間以上も要しています。その間、水分補給は極わずかだったので、脱水が引き金となった可能性があります。
しかし最後までSMさんは頑張りました。敬服しています。
撤退を決めたあの時、SMさんの状態を見て頭をよぎりました。
ここで、無理して突っ込んだら・・
SMさんを引っ張って登頂するのは無理だろう・・途中で力尽き動かなくなったら。
救援を求め単独登攀、運よく自分は脱出に成功しても、救出は困難を極めるのに残りの水食糧は少ない。
そして「相棒を見捨てた奴」という誹りを受け、後悔し続ける残りの人生・・( ゚Д゚)
悪くすれば、失敗して自分も墜死・・(*_*;
実際に下山後の天候を鑑みると、あと数ピッチ進めてしまっていたら、SMさんと二度と酒を酌み交わす事は無かったのではないかと背筋が寒くなります。
困難な撤退では有りましたが、二人元気で下山出来たので、悔いはありません。
無雪期鹿島槍北壁は、沢から雪渓、そして大岩壁を攀じ、秀峰の頂に立つ、素晴らしいラインだと信じています。
よくいう総合力が必要なんて生易しいものでは無い様に感じました。
クライミング/支点工作の技量、ルートファインディング、常に沈着冷静な判断力、気力、体力、適切なアイテムの選定と極限の軽量化とかいう個別の能力は、有って当たり前の世界・・
雪渓の状態という運が大きく、ネットの4つの記録でも北壁登攀を成功しているのは1例のみ。2例は大きく開いたシュルンドにより、取り付く事さえ不可能だった様です。
今回の様に、奇跡的にシュルンドを渡れるポイントが有っても、渡った地点からのルートは限定されルート開拓となってしまいます。
逆に、雪渓の状態、融雪増水の時期など隈なく調査し、ベストな時期にベストな所から取り付き、適確なラインを見出す事が出来れば、難なくこなせるかも・・
水/食料/天候によるリミットを念頭に、撤退に一日以上を要するあのロケーションで、重荷を背負い、登れるかどうかわからないラインを探るのは、爆音車の音が聞こえる西上州とはわけが違いました。開拓期を味わうどころか開拓そのものを味わわされてしまった気分です。
本当の開拓期は、雪渓の状況/融雪増水状況など、労力を惜しまず調査したと思われますが、開拓当時の詳細な記録は古すぎて失われているし、近年のネット記録も簡素な物であまり参考にならず、現代でも当時の困難と同様とも言えます。
今回の経験を出来る限り詳細に記しましたので、充分将来の踏み台となると信じています。
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