初めてのテント泊で白峰三山縦走
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- GPS
- 70:30
- 距離
- 23.9km
- 登り
- 2,424m
- 下り
- 3,133m
コースタイム
広河原(昼食)11:30〜14:10白根御池小屋(テント泊)
【歩程=2:40】
第2日目 22日(木)曇りのち晴れ
白根御池小屋5:30〜7:40小太郎尾根分岐7:45〜8:25北岳肩の小屋8:35〜9:25北岳9:40〜10:40北岳山荘(昼食)11:30〜12:20中白根岳〜13:35間ノ岳13:45〜14:50農鳥小屋(テント泊)
【歩程=9:20】
第3日目 23日(金)霧
農鳥小屋5:50〜7:00西農鳥岳〜7:50農鳥岳8:05〜8:35大門沢下降点8:40〜11:30大門沢小屋(小屋泊)
【歩程=5:40】
第4日目 22日(土)曇り
大門沢小屋6:10〜9:10林道終点(登山口)〜9:30広河内橋(発電所)〜10:00奈良田
【歩程=3:50】
天候 | 曇り時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
(帰り)奈良田〜(バス)〜広河原〜(バス)〜甲府〜(JR中央線)〜新宿 |
写真
感想
昨年、北アルプスに初めて足を踏み入れた。景観の素晴らしさには息をのんだが、山小屋の混雑ぶりには、いささかうんざりした。
その北アルプスに同行した友人と、今年は南アルプスに登ろうということになった。そして、山小屋の混雑を避けるため、テントを持っての山行に挑戦してみることにした。
コースは友人がかつて若いころ登った経験のある白峰三山縦走。ただし、テント泊は2人とも全く経験がないので、かなりの不安を抱えての南アルプス初体験となった。
8月21日(水)
甲府から広河原までの2時間のバスでのアプローチはうんざりするほど長く、南アルプスの山の奥深さを実感した。
広河原の登山口からは北岳が見えた。快晴ではないが、まあまあの天候だ。テントを背負っての登りは、ザックの重さが身に応える。
次第に急登となり、それが延々と続く。前を行く相棒も最初は飛ばし気味だったが、しだいにペースは鈍って行く。
途中で、男女3人のパーティーに追い付いた。話を聞くと、我々と同じテント泊で、同じコースを縦走するという。我々の計画と違って、2日目は農鳥小屋まで行く予定だという。
我々は、2日目は北岳山荘までを予定していたのだが、それだと3日目の北岳山荘から大門沢までの行程が他に比べ、非常に長くなる。彼らの計画の方が無理がないように思われた。様子を見て、彼らと同じ日程で行こうと話し合う。
登り始めてから2時間半ほどで、白根御池小屋に着いた。標高が2200メートルもあるのに、けっこう高い木々に囲まれている。やはり、ここは南アルプスなのだと実感する。
受付を済ませてから、見よう見まねでテントを張る。1、2人用のテントなので、男2人が横になるだけで、精いっぱいだ。ザックはテントに入れる余地がないので、ツエルトにくるんで、テントの脇に置く。
テントを張り終わり、とりあえずは生ビールで乾杯する。まだまだ始まったばかりなのだが、前途を祝して、といったところか。
相棒は、昨年の秋以来の山行なので、2時間半余りの歩程でも、結構足に来たようで、テントの中に落ち着いた途端、足が攣って、かなり痛そうだ。しかし、彼の場合、この痙攣の後、しぶとく立ち直って歩き切る、というのがこれまでのパターンなので、何とかなるだろう、と思う事にする。
夕方、雨になり、このまま朝まで降り続けたら、テントの撤収など面倒だな、と不安が広がったが、幸い、直ぐに止んで、雲の間から月ものぞいたので、その夜は、比較的安らかに眠りに着いた。テントの中は、狭いには狭いが、昨年の北アの小屋のことを思えば、天国とまでは行かないが、よしとしなければ。
22日(木)
雲は多いものの、稜線から朝日が顔を出す、まずまずの天候だ。腹ごしらえの後は、いよいよ草すべりの急登だ。登り始めは、体がよく目覚めていないせいか、足が重く、ペースが上がらない。相棒は、昨夜の痙攣にもかかわらず、調子良く、いいペースで登って行く。
登る人、下って来る人、登山者の往来が絶えない。天気はどんどん良くなって来ているのだが、肝心の北岳は厚い雲に覆われている。
それにしても、尾根に出るまでの標高差500メートルの急登は見通しの悪い灌木の中を行くので、いささかうんざりした。ただ、中間点を過ぎる頃から、体が慣れて来て、調子が出て来たので、それほどのきつさは感じなかった。
肩ノ小屋を過ぎ、北岳への登りに掛る。日本で2番目の高峰へ近づいていると思うと、やはり胸が高なる。岩稜を登ること50分、ついに山頂に到達する。3193メートル。自分としては、これまでで一番標高の高い山巓に立ったことになる。しかし、残念ながら、ガスで眺望はまったくきかない。
山頂の片隅に何という花だろう、白い花がまるでブーケのように咲いている。けなげでありながら、毅然としてもいる。屈みこんで、写真に収める。
晴れそうな気配も見えるので、しばらく待ったが、当分駄目そうなので、諦めて、先を急ぐことにする。
北岳山荘まで下って来ると、北岳の山頂はすっかり晴れ渡り、その全容を見せていた。深田久弥が「日本百名山」で「屹と天を突くような鋭い頭角をあげ、颯爽として軽薄でなく、ピラミッドでありながら俗っぽくない。惚れ惚れするくらい高等な美しさである」と讃えたその姿が聳え立っている。
北岳山荘着が11時前だったので、最初の予定を変更して、農鳥小屋まで足をのばし、そこでテントを張ることにした。
北岳山荘から間ノ岳までの標高差は約300メートル。それほど急な登りではないが、既に5時間以上歩いてきているので、ペースは上がらない。しかし振り向くと、北岳の雄姿と、その肩に、両翼を広げたような仙丈ヶ岳、そして遠くに富士山をぐっとスマートにしたような甲斐駒と、南アルプスの主役並んでいる。
すると、後ろからひとりの若い女性の登山者がものすごい勢いで、追い付いてきた。
―健脚ですね、と声を掛けると、肯定も否定もせず微笑んで、あっという間に遠ざかって行った。まるで女・加藤文太郎だな、と思う。
間ノ岳、標高3189メートル、日本で第4番目の高さを誇る山だ。一日のうちにナンバー2とナンバー4に登れるなんて、ちょっと嬉しくなる。
山頂にはあの山ガールが岩陰に腰をおろして休んでいた。しばらくすると彼女の仲間と思われる山ボーイが3人追い付いてきて。お前、早すぎるとか何とか、楽しそうに冗談を言い合っている。
談笑する若者を残して、先を急ぐ。目路はるか下方に、農鳥小屋の赤い屋根が見える。そしてその向こうに農鳥岳が、これまた堂々とした山の姿を見せている。農鳥小屋までは、そうたいした距離でなさそうに見えるが、なかなか小屋は近づいてこない。
そのうち、あの健脚山ガールがまたまた非常な勢いで追い付いてきて、あれよという間に後姿が小さくなっていった。
間ノ岳から農鳥小屋までは1時間ちょっとだったのだが、へたに小屋が見えるだけに、実に長く感じた。
小屋の手前にテント場があったので、ザックを置いて、受付をしにいこうとしたら、あの健脚山ガールがやってきて、置いてあったザックを担ぎ、小屋の向こうにもう1カ所テント場があり、そちらの方が水場に近いと、教えてくれた。
すると彼女もテントを担いでの山旅なのだ。それなりの重装備であるはずだが、どうやったらあんなふうに飛ぶように足を運ぶことができるのか。
小屋で受付をする。奥の方にあのうわさの農鳥小屋の管理人と思われるおじさんがテレビで高校野球を見ていた。こちらを見て、テントは一つか、とか何とか受付の若い人にいっているのが聞こえたが、無事受付は通過した。その際、水が不足しているので、テント泊まりの人には、水を売ることができない。往復30分の水場で、調達してほしいといわれてがっくりする。
テントを張ってから、15分以上山道を下り、水を汲みに行く。冷たくて、実においしい水だったが、また急坂を延々と登り返すのがしんどい。9時間以上歩いて来た身にはけっこうこたえる。
テント場には、最終的に8つほどのテントが張られた。夕暮れると、眼下に甲府の夜景も少し見えたが、曇りがちで、星も見えず、雨が降らないだけましと思わなければ。夜中に時折ごーっという強い風がテントを揺らし、何度も目を覚ました。
23日(金)
ガスの中で朝を迎える。我々ともうひとつのテントを残して、皆、早々に出発して行った。テントをたたみ終わる頃、例の小屋のおじさんが見回りにやって来た。
―あれだけ行ったのに、ちゃんと石を上の方に寄せて置いてないじゃないか、とお怒りの様子。適当に相槌をうちつつ、あわてて、石をかたずける。
農鳥岳への登りに掛る。尾根に出ると、ガスとともに西からの強風が吹き付けて来る。道はほとんど西側の山腹を巻いているので、常に風にさらされながら歩くことになる。時折、突風のように吹き付ける烈風に、体が浮きそうになるので、身をかがめて、やり過ごす。風は確かに、息をしている。
西農鳥岳からしばらく行ったところで、踏み跡を辿って右に下り始めた。しかし、そのうちそれまではこまめに付けられていたマークが消え、どうも登山道らしい感じがなくなって来た。相棒もちょっとおかしいんじゃないか、というので、一旦戻ってみることにする。道が下り始めたあたりをよく見ると、左上部の岩に書かれた矢印が見えた。やはり、道を間違えていたのだ。あのまま下っていたら、ヤバかった、と胸をなでおろす。
農鳥岳の山頂もガスと強風で、展望どころではない。山頂に小さな黒い石碑が立っていて、どうやら明治時代の歌人・大町桂月の歌碑であることは分かったが、何と書いてあるのかほとんど読むことができない。帰ってから調べてみたら、それは次のような歌だった「酒のみて高根の上に吐く息は散りて下界の雨になるらん」。気宇壮大というか白髪三千丈的というか、本当に、山の上で酔っぱらって詠んだのかもしれない。
東側の岩陰で休憩していると、広河原からずっと同じコースを相前後しながら縦走していた3人のパーティーがやって来た。農鳥小屋では我々より先に出発したはずだが、彼らを追い越した覚えはない。
聞いてみると、道に迷ったという。どうも我々と同じ個所で間違ったらしい。30分位さまよっていたが、上の方にいる登山者に声を掛けられて、ようやく登山道に戻れたという。
農鳥岳を下ること、50分弱、大門沢下降点の黄色の道標が霧の中からあらわれる。下るにつれて、ガスが晴れ、周囲の景色も見えるようになってきた。ついに富士山も雲の中から顔を出す。
それにしても、大門沢小屋までの道のりは長かった。しかも、滑りやすい個所が断続的にあらわれ、数回尻もちを突く。足に疲労がたまり、踏ん張りがきかなくなっているのだろう。
11時30分、ようやく大門沢小屋に到着。テント場は小屋のすぐ近くにある。小屋に張ってあった天気予報を見ると、晴れ時々曇り、雷雨とある。
2日に渡る慣れないテント生活に、相棒共々、若干疲れ気味だ。小屋の混み具合を聞いた上で、相談の結果、軟弱にも小屋泊まりに決定する。
寝具なしの素泊りにしたら、3500円と、1泊2食付きに比べて、4000円も安い。その上、寝具なし素泊りは我々だけで、広々としたところに場所を与えられた。寝具あり組は、土間をはさんで向かい側に結構ぎっしりと詰め込まれていた。何か申し訳ないような気持ちだ。
その夜は、長い時間に渡って、激しい雷雨に襲われた。テントにしていたらどうなっていたか。相棒と2人小屋泊りにして正解だった、軟弱路線が当たったな、と胸をなでおろした。
24日(土)
朝をむかえると、あの激しい雷雨も治まって、晴れ渡ってはいないが、小屋からは富士山も見えた。なんてツイテいるんだろう、と相棒と話すことしきりだ。
小屋からの下りは、何度か沢に掛る木橋を渡る。昨日の雨で沢が増水しているためか、かなり流れが激しい。そのうえ、橋はかなり不安定な作りで、渡るのに緊張を強いられた。
途中の森がまるで新緑の頃のように、美しくしっとりしていて、歩いていて気持ちがいい。その森の中で、かなりお歳をめされている単独行の女性と出会った。彼女も下山途中だったが、この年齢で、しかも女性独りで、縦走して来たのだろうか。ひと言ふた言、言葉を交わしたが、静かな上品そうな人だった。何故かその姿が心に残った。
登山道が尽きてから、1時間弱の退屈な林道歩きの後、奈良田温泉に到着。我々の山旅も終点となった。
町営の奈良田の里温泉で湯に浸かり、無事縦走を果たしたことを祝して、生ビールで乾杯する。
帰りは、バスで広河原まで行き、さらにバスを乗り継いで、甲府駅までの経路を使った。山中の断崖を縫って走る3時間のバスの旅は実に長かった。
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