柿平園地のWC前に車を置いてマリンちゃんで神社まで下ります。
3
8/20 8:10
柿平園地のWC前に車を置いてマリンちゃんで神社まで下ります。
早速興味深い石塔がありました。その昔は古甲州道の通っていた五日市方面からが表参道であったようです。
5
8/20 8:12
早速興味深い石塔がありました。その昔は古甲州道の通っていた五日市方面からが表参道であったようです。
「御嶽山道供養塔」「弘化四未年(1847)四月吉日」「村々万人講」その他施主世話人銘があります。
4
8/20 8:14
「御嶽山道供養塔」「弘化四未年(1847)四月吉日」「村々万人講」その他施主世話人銘があります。
三体の地蔵尊と四基の石塔が並んでいました。
2
8/20 8:17
三体の地蔵尊と四基の石塔が並んでいました。
その中の朴訥な感じの如意輪観音様。「文政七甲申(1824)九月吉祥日」「念仏講」とあります。
5
8/20 8:18
その中の朴訥な感じの如意輪観音様。「文政七甲申(1824)九月吉祥日」「念仏講」とあります。
馬頭観世音文字塔。その他「上(岡)」「講中」の銘。背面に「弘化四(1847)三月吉日」その他講人銘多数。上岡馬頭尊(東松山)を勧請したものでしょうか。
2
8/20 8:22
馬頭観世音文字塔。その他「上(岡)」「講中」の銘。背面に「弘化四(1847)三月吉日」その他講人銘多数。上岡馬頭尊(東松山)を勧請したものでしょうか。
さらに神社脇の石垣の上に首なし地蔵三体と石塔三基。左「念仏供養塔」は寛政六年(1794)、中「南無阿弥陀仏」は文化四年(1807)、右「百番」は享和三年(1803)。
4
8/20 8:27
さらに神社脇の石垣の上に首なし地蔵三体と石塔三基。左「念仏供養塔」は寛政六年(1794)、中「南無阿弥陀仏」は文化四年(1807)、右「百番」は享和三年(1803)。
大岳橋の近くにマリンちゃんをデポ。
2
8/20 8:30
大岳橋の近くにマリンちゃんをデポ。
鳥居手前脇にある道標。「明治廿□年五月吉日/右みたけ山道/是ヨリ四十丁/木住野半吉」
2
8/20 8:34
鳥居手前脇にある道標。「明治廿□年五月吉日/右みたけ山道/是ヨリ四十丁/木住野半吉」
それでは登山口のある養沢神社へ。
3
8/20 8:37
それでは登山口のある養沢神社へ。
石段を上るとまず目を引くのが、狛龍?さんの背中。
4
8/20 8:38
石段を上るとまず目を引くのが、狛龍?さんの背中。
近隣の五社が合祀されているそうです。ちなみに右の赤い稲荷社は個人宅で仕切られています。その間に登山口があります。
2
8/20 8:38
近隣の五社が合祀されているそうです。ちなみに右の赤い稲荷社は個人宅で仕切られています。その間に登山口があります。
左が雌で口中に青玉、右が雄で赤い舌が見えます。建立はS・60年。
6
8/20 8:40
左が雌で口中に青玉、右が雄で赤い舌が見えます。建立はS・60年。
それではスタート、と思ったら目前に
4
8/20 8:47
それではスタート、と思ったら目前に
「門客人(アラハバキ)大明神」の石灯籠(文政十二、1829)があります。
2
8/20 8:47
「門客人(アラハバキ)大明神」の石灯籠(文政十二、1829)があります。
仕切り直してスタートすると、いきなりの急登です。
3
8/20 8:51
仕切り直してスタートすると、いきなりの急登です。
植林帯の登りが続き、そのまま大名子の頭656m山頂になります。山名板がかなり上にありました。
3
8/20 9:21
植林帯の登りが続き、そのまま大名子の頭656m山頂になります。山名板がかなり上にありました。
炭焼鎌跡がありました。
3
8/20 9:41
炭焼鎌跡がありました。
ベンチのある小ピーク。
3
8/20 9:52
ベンチのある小ピーク。
日の出山がよく見えました。江戸時代は貧乏山と呼ばれてたみたいです。
5
8/20 9:53
日の出山がよく見えました。江戸時代は貧乏山と呼ばれてたみたいです。
岩場があると単調な登りのよいアクセントになります。
4
8/20 9:57
岩場があると単調な登りのよいアクセントになります。
予想していた難しい岩場もなく、思った以上に歩きやすい道です。
5
8/20 10:03
予想していた難しい岩場もなく、思った以上に歩きやすい道です。
高岩山とうちゃこ。
6
8/20 10:14
高岩山とうちゃこ。
ここも展望はよくありませんが、
2
8/20 10:14
ここも展望はよくありませんが、
大岳山はよく見えました。旧大岳山荘の建物も。
6
8/20 10:14
大岳山はよく見えました。旧大岳山荘の建物も。
上高岩山の手前に立派な休憩舎ありました。貸切でしばし展望を楽しみました。
6
8/20 10:41
上高岩山の手前に立派な休憩舎ありました。貸切でしばし展望を楽しみました。
大岳山。右まわりに見ていくと
4
8/20 10:54
大岳山。右まわりに見ていくと
奥の院峰(御岳神社奥宮)。甲籠山など幾つかの山名があります。
5
8/20 10:55
奥の院峰(御岳神社奥宮)。甲籠山など幾つかの山名があります。
御岳山(神社が見えます)
7
8/20 10:55
御岳山(神社が見えます)
日の出山〜麻生山、さらに
4
8/20 10:56
日の出山〜麻生山、さらに
金比羅尾根に続いています。その手前が高岩山。
3
8/20 10:56
金比羅尾根に続いています。その手前が高岩山。
麻生山の向こうに西武ドームと多摩湖狭山湖が見えました。
4
8/20 10:56
麻生山の向こうに西武ドームと多摩湖狭山湖が見えました。
石門のような所
2
8/20 11:05
石門のような所
ロックガーデン分岐から
5
8/20 11:07
ロックガーデン分岐から
10歩ぐらいで上高岩山1012mです。
3
8/20 11:08
10歩ぐらいで上高岩山1012mです。
ここも何もありませんでしたが、碑伝がいくつかありました。行場だったのでしょうか。
4
8/20 11:08
ここも何もありませんでしたが、碑伝がいくつかありました。行場だったのでしょうか。
改めて大岳御岳方面へ。
3
8/20 11:10
改めて大岳御岳方面へ。
コースから少し外れて春岩山。
4
8/20 11:16
コースから少し外れて春岩山。
左に巻道もありますが、石段のある右の尾根道へ行きます。すると
2
8/20 11:18
左に巻道もありますが、石段のある右の尾根道へ行きます。すると
するとドーハンの頭の上に中ノ沢ノ頭。
5
8/20 11:23
するとドーハンの頭の上に中ノ沢ノ頭。
芥場峠
2
8/20 11:30
芥場峠
いきなり滑滝から水流が始まっているようです。
1
8/20 11:45
いきなり滑滝から水流が始まっているようです。
こちらの水流は細めでした。
3
8/20 11:52
こちらの水流は細めでした。
旧大岳山荘前から大岳神社の鳥居を潜ります。
1
8/20 11:55
旧大岳山荘前から大岳神社の鳥居を潜ります。
ちょっと外れた所に「四十一丁」目石がありました。
1
8/20 11:55
ちょっと外れた所に「四十一丁」目石がありました。
大岳神社
2
8/20 11:57
大岳神社
お犬様(雌)とも約1年ぶりの再会ですが、
8
8/20 11:58
お犬様(雌)とも約1年ぶりの再会ですが、
参拝を済ませて、とりあえず山頂に向かいます。
5
8/20 12:01
参拝を済ませて、とりあえず山頂に向かいます。
山頂に近づくと少し岩場が続きます。
3
8/20 12:07
山頂に近づくと少し岩場が続きます。
3
8/20 12:09
そして大岳山1266.4m山頂です。残念ながら富士は見えず。
7
8/20 12:13
そして大岳山1266.4m山頂です。残念ながら富士は見えず。
二等です。
4
8/20 12:15
二等です。
浅間尾根、笹尾根、そして丹沢山塊の山並み。
4
8/20 12:16
浅間尾根、笹尾根、そして丹沢山塊の山並み。
右の御前山から三頭山。中央遠景は大菩薩方面。昨年は奥多摩三山縦走でしたが、今は全然無理です。
4
8/20 12:17
右の御前山から三頭山。中央遠景は大菩薩方面。昨年は奥多摩三山縦走でしたが、今は全然無理です。
御前山の右向こうは飛龍。
4
8/20 12:17
御前山の右向こうは飛龍。
神社に戻って「東京/杉守元講記念」碑(昭和三年)。神域の杉木立が立派なのは先人たちのこういった行いがあるからなのですね。
3
8/20 12:34
神社に戻って「東京/杉守元講記念」碑(昭和三年)。神域の杉木立が立派なのは先人たちのこういった行いがあるからなのですね。
本殿の左にある小社は
2
8/20 12:35
本殿の左にある小社は
「白鳥神社」ですね。
2
8/20 12:35
「白鳥神社」ですね。
右にも小社がありますがこちらは判りません。石祠は山の神でしょうか、「寛政拾年(1798)」と古めです。
1
8/20 12:36
右にも小社がありますがこちらは判りません。石祠は山の神でしょうか、「寛政拾年(1798)」と古めです。
そして再びお犬様(雄)。確かにフォルムはかわいいですが、
3
8/20 12:39
そして再びお犬様(雄)。確かにフォルムはかわいいですが、
けっこう目は笑ってないんですよ。
4
8/20 12:40
けっこう目は笑ってないんですよ。
雌のお犬様のお顔。
3
8/20 12:41
雌のお犬様のお顔。
そして結構古いんです。「宝暦九卯(1759)四月吉日」。
2
8/20 12:41
そして結構古いんです。「宝暦九卯(1759)四月吉日」。
WC前からの景色。テラスには入れません。
1
8/20 12:49
WC前からの景色。テラスには入れません。
次は鍋割山へ向かいます。
2
8/20 13:12
次は鍋割山へ向かいます。
学生の頃はユースを使って旅をしましたねぇ。
3
8/20 13:12
学生の頃はユースを使って旅をしましたねぇ。
上高岩山だと思います。
1
8/20 13:17
上高岩山だと思います。
分岐をなだらかに上って行くと
1
8/20 13:25
分岐をなだらかに上って行くと
山頂です・
1
8/20 13:29
山頂です・
鍋割山1084m。この辺りでちょっと雲行きが怪しくなってきました。
5
8/20 13:30
鍋割山1084m。この辺りでちょっと雲行きが怪しくなってきました。
続いて分岐から奥の院に向かいます。
1
8/20 13:41
続いて分岐から奥の院に向かいます。
なんか絵で描いたようなキノコがありました。
6
8/20 13:42
なんか絵で描いたようなキノコがありました。
こちらはちょっと岩々した所を通過して山頂です。石祠は「文化五(1808)戊辰十一月吉辰」、建立理由や願主、それから高遠石工和助の銘があります。
3
8/20 13:47
こちらはちょっと岩々した所を通過して山頂です。石祠は「文化五(1808)戊辰十一月吉辰」、建立理由や願主、それから高遠石工和助の銘があります。
奥の院峰1077m。日本武尊が武具を納めたお話から甲籠山、甲羅山(高良山)とも呼ばれていたそう。
4
8/20 13:52
奥の院峰1077m。日本武尊が武具を納めたお話から甲籠山、甲羅山(高良山)とも呼ばれていたそう。
山頂の少し下にある男具那社、祭神は日本武尊。ここが桐の御坂(道標)にある「奥院征夷高祖御社」です。
4
8/20 13:55
山頂の少し下にある男具那社、祭神は日本武尊。ここが桐の御坂(道標)にある「奥院征夷高祖御社」です。
展望のある岩場からの眺め。「おふむ石」に気を付けながらくだりましたが、結局見つかりませんでした。
4
8/20 14:03
展望のある岩場からの眺め。「おふむ石」に気を付けながらくだりましたが、結局見つかりませんでした。
「橘姫命」(日本武尊の妃)が祀られています。
2
8/20 14:15
「橘姫命」(日本武尊の妃)が祀られています。
天狗の腰掛杉まで降りてきました。
2
8/20 14:25
天狗の腰掛杉まで降りてきました。
今回はこちらから御岳山頂に行ってみましょう。「神苑の森へ」という案内板があります。
2
8/20 14:26
今回はこちらから御岳山頂に行ってみましょう。「神苑の森へ」という案内板があります。
本日一番の急登です。
4
8/20 14:29
本日一番の急登です。
神社の建物が見えてきたと思ったら、
2
8/20 14:34
神社の建物が見えてきたと思ったら、
何と奥宮遙拝所の脇に出ました。
3
8/20 14:35
何と奥宮遙拝所の脇に出ました。
今日はよく見えますね。遙拝いたしましょう。
3
8/20 14:36
今日はよく見えますね。遙拝いたしましょう。
よく見ると中腹に大きな岩場が見えました。あれがオーム岩かな?と思ったら、後に聞いたらその様でした。
6
8/20 14:36
よく見ると中腹に大きな岩場が見えました。あれがオーム岩かな?と思ったら、後に聞いたらその様でした。
左の杉の手前から登ってきましたが、こちら側の案内は特にないようです。
2
8/20 14:38
左の杉の手前から登ってきましたが、こちら側の案内は特にないようです。
御岳山929m山頂。
5
8/20 14:38
御岳山929m山頂。
山頂のレンゲショウマはまだ咲いていました。
7
8/20 14:39
山頂のレンゲショウマはまだ咲いていました。
何度見てもいいです。
7
8/20 14:39
何度見てもいいです。
花期が長いですね。
4
8/20 14:39
花期が長いですね。
銅灯籠は「天保八年(1837)丁酉二月吉日」、何気に作者を確認したら、
2
8/20 14:43
銅灯籠は「天保八年(1837)丁酉二月吉日」、何気に作者を確認したら、
「江戸鋳物師/粉川市正藤原國信」何と大真名子山の御嶽神像(1863)の作者と同名です。(もしかしたら代が違うかもしれませんが)
3
8/20 14:42
「江戸鋳物師/粉川市正藤原國信」何と大真名子山の御嶽神像(1863)の作者と同名です。(もしかしたら代が違うかもしれませんが)
旧社名の社号標。
2
8/20 14:43
旧社名の社号標。
これが霧の御坂にある名所案内の道しるべ。この所こちらに翻弄されている感じ。
1
8/20 14:48
これが霧の御坂にある名所案内の道しるべ。この所こちらに翻弄されている感じ。
小広地にある方位盤。「霧乃御坂/海抜八七九米」
3
8/20 14:51
小広地にある方位盤。「霧乃御坂/海抜八七九米」
「中里介山作/小説大菩薩峠記念碑」。御岳がこの小説発祥の地ということです。それは
2
8/20 14:51
「中里介山作/小説大菩薩峠記念碑」。御岳がこの小説発祥の地ということです。それは
「開平三知流武術」の奉納碑(慶應三、1867年)。是が小説のヒントになったとのこと。碑の冒頭に「甲源一刀流剱術・・・」とあります。小説も「甲源一刀流の巻」で始まります。そして甲源一刀流と言えば・・・長くなるので止めておきます。
3
8/20 14:52
「開平三知流武術」の奉納碑(慶應三、1867年)。是が小説のヒントになったとのこと。碑の冒頭に「甲源一刀流剱術・・・」とあります。小説も「甲源一刀流の巻」で始まります。そして甲源一刀流と言えば・・・長くなるので止めておきます。
これがキツリフネですね。
5
8/20 14:56
これがキツリフネですね。
シュウカイドウと神代欅。キレンゲショウマには今日もふられてしまいました。
3
8/20 14:56
シュウカイドウと神代欅。キレンゲショウマには今日もふられてしまいました。
こちらはまさに花盛り。
7
8/20 14:57
こちらはまさに花盛り。
このお花は? *ツルニンジン(ジイソブ)と教えていただきました。
6
8/20 14:57
このお花は? *ツルニンジン(ジイソブ)と教えていただきました。
これはゲンノショウコかな。
4
8/20 15:03
これはゲンノショウコかな。
ビジターセンター。「岩屋金毘羅」は天狗岩の上の社、「あふむ石」は奥院中腹の岩場と判明しました。
2
8/20 15:06
ビジターセンター。「岩屋金毘羅」は天狗岩の上の社、「あふむ石」は奥院中腹の岩場と判明しました。
それでは道しるべに従って下山しましょう。ここ(神代欅下)は「左 五日市八王子相州道」へ、
2
8/20 15:20
それでは道しるべに従って下山しましょう。ここ(神代欅下)は「左 五日市八王子相州道」へ、
(宝寿閣前)ここは「向 五日市八王子相州道」へ行きます。
2
8/20 15:22
(宝寿閣前)ここは「向 五日市八王子相州道」へ行きます。
スケールの大きい道標。欧米か!
3
8/20 15:25
スケールの大きい道標。欧米か!
「塞坐三柱大神」(明治廿四年)と石祠(S57/武蔵御嶽神社)があります。
2
8/20 15:29
「塞坐三柱大神」(明治廿四年)と石祠(S57/武蔵御嶽神社)があります。
此処までが神域ですかねぇ。
3
8/20 15:39
此処までが神域ですかねぇ。
ふり返って武蔵御嶽神社に一礼して辞します。
2
8/20 15:39
ふり返って武蔵御嶽神社に一礼して辞します。
下山道に咲くヤマジノホトトギス。危うく踏みつける所でした。
5
8/20 15:51
下山道に咲くヤマジノホトトギス。危うく踏みつける所でした。
マツカゼソウはたくさん咲いていました。
5
8/20 16:18
マツカゼソウはたくさん咲いていました。
今回は直接道標の所に下山しました。
2
8/20 16:26
今回は直接道標の所に下山しました。
「明治廿四年五月中立之/右み多け山道/是ヨリ二十丁□木住野かや」。「木住野かや」は人名のようですね。養沢神社の「木住野半吉」とはご夫婦かな。
3
8/20 16:26
「明治廿四年五月中立之/右み多け山道/是ヨリ二十丁□木住野かや」。「木住野かや」は人名のようですね。養沢神社の「木住野半吉」とはご夫婦かな。
駐車地にゴール。トイレは旧いですが、沢でさっぱりできるので○です。
2
8/20 16:33
駐車地にゴール。トイレは旧いですが、沢でさっぱりできるので○です。
私も下山後のコレが美味しく感じる歳になりました。
7
8/20 17:06
私も下山後のコレが美味しく感じる歳になりました。
写真100の花は、ツルニンジン(ジイソブ)だと思います。昨日、そこを通りかかりました。近くをキイロスズメバチが飛んでいて、ビビりまくりました。
山行お疲れ様でした。それではまた😊
早速の御教示ありがとうございます。はじめ何かの実かなと思ったのですが、お花のようだったので驚きました。当日はレンゲショウマの群生地はスルーしてしまいましたが、ミヤマウズラも花盛りだったようで本当にもったいないことをしました。
お花探しの山行、とても楽しそうですね。今回も大変参考になりました。それでは。 godohan
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する