魚沼三山・浦佐駅から八海山─中ノ岳─駒ヶ岳─銀山平─荒沢岳


- GPS
- 104:00
- 距離
- 51.6km
- 登り
- 4,677m
- 下り
- 4,026m
コースタイム
- 山行
- 3:04
- 休憩
- 2:25
- 合計
- 5:29
- 山行
- 3:05
- 休憩
- 5:15
- 合計
- 8:20
- 山行
- 7:35
- 休憩
- 1:31
- 合計
- 9:06
- 山行
- 8:03
- 休憩
- 1:52
- 合計
- 9:55
- 山行
- 6:51
- 休憩
- 2:07
- 合計
- 8:58
天候 | (1日目)晴れ (2日目)曇り (3日目)晴れ後曇り (4日目)晴れ (5日目)晴れ後曇り |
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アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
<ゆき> 松本412(急行ちくま)524長野530━709森宮野原718━848越後川口906━926浦佐 <かえり> 銀山平1733=1828小出1858━1909越後川口1933━2314長野2343(急行ちくま)053松本 |
コース状況/ 危険箇所等 |
難所・オカメノゾキの通過は中高年登山者には難しいらしい。 |
写真
装備
個人装備 |
Tシャツ
ズボン
靴下
防寒着
雨具
着替え
靴
ザック
ザックカバー
行動食
非常食
調理用食材
飲料
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
調理器具
ライター
地図(地形図)
コンパス
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
日焼け止め
ロールペーパー
時計
タオル
カメラ
ポール
テント
テントマット
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感想
北ア・烏帽子岳から下山してきた4日後の1994年8月27日から、大学の夏休みが終わる8月31日まで、4泊5日の日程で、越後三山(魚沼三山)+荒沢岳を登って来た。ホントは「越後三山+荒沢岳+平ヶ岳」の予定だったけど、八海山の登頂に体力を消耗し、千本檜小屋まで2日を費やしてしまったため最後の平ヶ岳は無念のカットとなった。
8月27日は、松本から下りの『急行ちくま』に乗車し、長野に移動。飯山線の一番列車の森宮野原ゆきに乗る。森宮野原と越後川口で乗り換え、上越線の浦佐駅に9:26に到着。この頃は、浦佐駅東口の田中角栄像にはまだ覆いが無かったと記憶してる(笑)。浦佐駅東口から、登山口の大崎まで炎天下のなか歩く。バスに乗らなかったのはバスまでの待ち時間が長かったためだけど、2022年のダイヤみたら9:30発のバスがある。全く記憶に無いけど、もしかして乗り遅れた? 8月下旬の陽射しのなか、大崎まで2時間近くかけて歩く。熱中症の危険性が叫ばれている今だったら絶対やらなかったと思うけど、当時「日射病」についてはそんなにうるさくは無かった。この炎天下の歩きが著しく体力を消耗。4泊分の食糧やテントなど荷物が重かったのも悪かったのかもしれない。この日は千本檜小屋までは無理としても、女人堂くらいまでは登って泊まるつもりだったけど、車道歩きから登山道歩きに入った途端ペースは上がらず、少し休んでは長く休み…を繰り返した。霊泉小屋前を一旦通過したけど、疲れひどく、霊泉小屋に戻って宿泊を決意。予定の行程の半分しか歩かないうちに初日が終わった…。
難所・オカメノゾキの通過に1日を要するため、翌8月28日はどんなに頑張っても千本檜小屋ストップが運命付けられている。そのため、通常はあり得ない朝6:45出発、途中での4時間休憩(たぶん、昼寝していたものと思われる…苦笑)など、異例の1日となった。地域の小中学校の学校登山が予定されていたのか、枝道がみんなビニールテープで封鎖されていた。間違って迷い込まないように…ということだろう。午後3時過ぎに千本檜小屋に到着。千本檜小屋は当然のことながら改築前で、小屋はガレージのような雰囲気で、小屋のなかを登山道が通り抜けるような構造になってた。テント泊にしたと思うけど(もしかしたら、素泊まりにしたかもしれない)、小屋のかたとたくさん雑談をした。私が浦佐駅から暑いなか大崎まで歩いたことを伝えると、誰もクルマに便乗させなかったなんて、あり得ん!…と憤り、翌日歩く難所・オカメノゾキにとある中高年パーティーが挑まれたけど、途中で日暮れとなってしまい、みんな荷物を放り捨て、身ひとつだけのほうほうの体で中之岳避難小屋にたどり着いたという話を聞かせてくれた。放り出された荷物は、千本檜小屋だったか駒の小屋だったか忘れたけど、山小屋の従業員が回収しに行ったとのこと。凄く迷惑な話…(苦笑)。
翌8月29日は難所・オカメノゾキを越える日。難所通過のために体力を温存しときたかったので、八ツ峰縦走路では無く、迂回路に入った。いずれ八ツ峰縦走路を歩きに再訪するつもりで居たけど、再訪は実現するも(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1527593.html)八ツ峰縦走路はまだ歩いていない(苦笑)。千本檜小屋を4:58に出発し、八海山の代表峰・入道岳には6:06に到着。五竜岳を過ぎて、いよいよオカメノゾキへの縦走路に入る。9:20にオカメノゾキを通過。中高年パーティーが荷物を放り出して身ひとつとなって通過したという難所のオカメノゾキだけど、全然記憶に残ってないということは大したことは無かったんだろう(苦笑)。記憶に残ってないのは、朝はそこそこの展望があったけど、ガスが出て来て真っ白ななかの歩きになった影響かもしれない(苦笑)。たぶん、道が歩きにくいのと、オカメノゾキまで大きく下った後の中ノ岳までの上り返しが体力的に厳しいんだと思う。御月山まで来ればもう安全地帯で、祓川で水を汲んでから、中ノ岳までの最後の上りに挑む。祓川から1時間足らずで、中之岳避難小屋に到着。荷物を下ろして空身で中ノ岳の頂上を往復。この日は中之岳避難小屋に宿泊。
翌8月30日は、4:56に中之岳避難小屋を出発し、晴れのなか駒ヶ岳を目指す。8:26に駒ヶ岳に到着。駒の小屋には長居せず(苦笑)、枝折峠を目指す。今だったら道行山から直接、銀山平に下りたと思うけど、枝折峠へ向かう。そんなコースは当時は知らなかった(苦笑)。枝折峠から駒ヶ岳を往復するひとは多く、全行程中、一番登山者の姿をみた(笑)。枝折峠からは「酷道」として有名な国道352号を道なりに下って銀山平に出て、銀山平の船乗り場から山のほうに入ったところにある銀山平キャンプ場でテント泊。
最終日の8月31日は、銀山平キャンプ場を5:40に撤収。荒沢岳登山口にクソ重い荷物をデポし、身軽になって荒沢岳を往復。危険な鎖場があるとの触れ込みだったけど、危険な思いをした記憶は…これも残っていない(苦笑)。9:53に荒沢岳頂上に到着。この日も晴天だったけど、ちょうど雲がモクモク上がってくるところで、駒ヶ岳が消えようとしていた。この日は登山口まで下りて、銀山平からバスに乗るのみ。そのバスも17:33発なので早く下りてもバスの待ち時間が長くなるだけなので、1時間も頂上に居座った。だけど、平日なのに他の登山者は来ない(苦笑)。14:15に登山口まで戻ったけどそれでもバスの時間まで3時間もあり、ヒマを持て余した記憶はしっかりと残ってる(苦笑)。当初の計画では銀山平からバスと船とバスを乗り継いで清四郎小屋まで行ってさらに1泊し、平ヶ岳を目指すつもりだった。しかし、八海山の上りで2日消費してしまい、食糧ももう全て食べ尽くした。何より、翌日の9月1日からは授業が始まる。体力的はまだまだいけそうだったけど、夏の終わりの無情を噛み締めながら浦佐駅ゆきのバスに乗車。往きの逆のルートで長野に出て、『急行ちくま』に乗車。日付が変わった0:53に松本駅に到着。1時間弱かけてアパートに戻った。今や実現不可能な『急行ちくま』に始まり『急行ちくま』に終わる山旅(苦笑)。
(2022.9.3・記)
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