鏡平〜笠ヶ岳/花いっぱい山チラリ
- GPS
- 49:45
- 距離
- 33.9km
- 登り
- 2,604m
- 下り
- 2,605m
コースタイム
- 山行
- 4:38
- 休憩
- 0:17
- 合計
- 4:55
- 山行
- 8:10
- 休憩
- 1:49
- 合計
- 9:59
- 山行
- 6:20
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 7:15
天候 | 【8月30日】曇り後雨【31日】曇り【9月1日】曇り後雨 |
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過去天気図(気象庁) | 2014年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
整備は良好で道迷いの心配はほとんどなし。岩場らしい岩場もないが、笠新道は名うての急登だけに一部手を使って登降する所がある。この道は下りに使うと正面に穂高連峰が終始見えていてgood!(晴れていればですが)。 笠新道の林道出合で蚊に刺された。標高1300mにヤブ蚊がいるとは驚きだった。 |
その他周辺情報 | 新穂高温泉の深山荘の露天風呂は川べりにあり、開放感ある男湯は野趣満点。バス停から少し下流に歩くが、寄ってみる価値はあります。 |
写真
装備
個人装備 |
ヘッドランプ(1)
予備電池(1)
1/25
000地形図(1)
ガイド地図(1)
コンパス(1)
笛
筆記具(1)
保険証(1)
飲料(1)
ティッシュ(1)
三角巾
バンドエイド(1)
タオル(3)
携帯電話(1)
計画書(1)
雨具(1)
防寒着
ストック(1)
水筒(3)
時計(1)
非常食(1)
緊急保温シート(1)
着替え(1)
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共同装備 |
ツェルト(○)
ファーストエイドキット(○)
医薬品
カメラ(○)
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感想
【30日】松本駅前のバスターミナルでalps165ことDr.エモンと顔を見合わせた。新穂高温泉行きのバスが、ない…。夏季限定の直行バスは24日をもって運行を終了したとのこと。完全に当方の確認ミスだった。平湯乗り継ぎのバスはあるが、出発は1時間以上先で、これでは鏡平に着くのが厳しくなる。背に腹は変えられず、近くに見えた日産レンタカーに飛び込んだ。
幸い小型車がすぐ借りられた。割引利用で2泊3日2万1000円也。2人で割ってもバス利用の倍くらいだが、行動の自由度が増したと前向きに考えることにした。お詫びを兼ねて運転手役を買って出て、バスよりやや早く新穂高温泉に到着できた。それは良いが、今度は駐車場が一杯で、ロープウエーの中間駅近くの駐車場へ回れという。Uターンしてシェルターの道を戻っていくと、右手に「深山荘」という文字に並んで「登山者用無料駐車場」と表示のある入口が見えた。シェルターを出た所にちょうどよく駐車スペースがある。言われた通りの駐車場しかなかったら、大変なことになるところだった。
やれやれと正午前に出発。無料温泉が撤去されたバス停の広場を過ぎ、工事の仮橋を渡る。道がカーブしたあたりで、バスの中で食べる予定だったおにぎりの昼食を済ませた。一般車通行止めのゲートを通り、ところどころ舗装された林道を歩くこと1時間余、笠新道の分岐に至った。いきなりの階段を見て、「登りはパスして正解だったな」と、Dr.と意見が一致した。
わさび平小屋を過ぎ、太い鉄骨の欄干が雪でぐにゃぐにゃに曲がった橋を渡って、道に勾配がつき出したあたりで林道と別れ、小池新道に入った。喘息だか慢性気管支炎だかの持病の機嫌が悪く、肺がすっきりしなくて息が切れる。まあ、2月に左膝を骨折して以来初の本格的登山なので、脚力と心肺のバランスが取れていいと解釈することにした。
このところ低温が続き、予報では雨の心配もあったが、先ほどから太陽が出て暑いくらいだ。秩父沢出合で小休止し、徐々に勾配を増す道を行くと、やがてイタドリ平。道端にはアキノキリンソウやシシウドがたくさん咲いている。男性数人のグループを追い抜き、さらに若い男女2人ずつのパーティーと前後して歩くうちに、雲行きが怪しくなってきた。
少々の雨なら暑いレインウエアより折り畳み傘の方がいい。Dr.もその主義で、2人して傘をさして登って行ったが、やがて激しい降り方に変わってきて万事休す。木の下で互いに傘を持ち合いながらあたふたとレインウエアに着替えて、ようやくのことで鏡平の池にたどり着いた。木道を曲がればすぐに小屋がある。着いたとたんに雨が上がった。
夕食では、前後して到着したくだんの男女4人と話に花が咲いた。岐阜から来たそうで、山ガール姿の女性の1人は今回が山デビューとのこと。明日は双六岳に登って帰るそうで、初めての人にはややハードな行程だろうが、きっと若さで乗り切るのだろう。
2人で貸切状態の部屋に帰るとDr.は直ちに轟沈。まだ7時なので、こちらは持参のウイスキーをなめて明日の行程を検討してから布団に入った。余り寒くはないが、時折激しく雨が屋根を叩く。
【31日】5時前に目覚めると雨だったが、食事をするうちにあがった。早立ちする皆さんを見送って6時半ごろ出発。猝犬涼罎慮諺枦な”鏡平の池、つまり水面に槍穂高のカケラも映っていない池を写真に収め、「ついてない」とつぶやいていると、小屋の前で男性が空を差し、「上の雲が薄くなっているから、じきに日が差すよ」と教えてくれた。
弓折乗越へ向かって急坂を喘ぎ登っていると、確かに雲が割れて下方に先ほどの池が見えた。30分後には向かいにそびえる穂高連峰も雲間から姿を現した。沸き立つ雲に見えたり隠れたりの状態だが、これはこれでなかなかの絶景だ。息切れ休憩を兼ねて山のショーを楽しみながら1時間で乗越に到着すると、先発した昨夜の男女4人が休憩中だった。
我々も笠ヶ岳に向かう前に双六小屋までの稜線を往復してみるつもりなので、ご一緒することにした。鏡平山荘にリュックを置いて軽装になったので、山慣れない女性たちも大丈夫だとのこと。再びガスに覆われた稜線を登り降りし、砂浜のような花見平を過ぎたあたりで一瞬、右手のガスが薄れて槍ヶ岳が影絵のような全身を現した。「槍ヶ岳だ」の声に初めて見る女性陣が歓声を挙げる間もあらばこそ、ほんの10秒ばかりで槍は雲のカーテンに隠れてしまったが、心憎いような自然の演出だった。
山デビューの女性の脚運びが少々心もとなくなってきたころ、ガスが薄れて双六岳の丸い山容と、その裾にある小屋が遠望された。双六池の脇を通り、弓折乗越から1時間20分ほどで双六小屋到着。結局、山デビューの女性は小屋に残り、3人で双六岳を目指すことになって、小屋前で一緒に記念写真を撮って今回の臨時パーティーを解散した。
残った女性とコーヒーを楽しんでから、鷲羽岳の威容を背にやおら我々も笠ヶ岳へ出発した。どうしても雲が減らず、槍穂高連峰はその後姿を見せてくれなかったが、足元を見ると夏と秋の高山植物が結構咲いている。Dr.も花の写真を次々と収めだしたから、なかなか足がはかどらないが、喘息持ちにはかえってありがたい。
いったん森林限界以下の大ノマ乗越まで大きく下り、その後は上がったり下がったりを繰り返しながら徐々に標高を稼ぐ尾根道となった。大ノマ岳と思わるあたりで昼食休憩。それからが長かった。秩父平から秩父岩へと急坂を詰め、そろそろかなと思うのだが、印象としては行けども行けども抜戸岳に辿り着かない。
昼食から2時間を経て、ようやく抜戸岳脇の笠新道分岐に着いた。息を整えていると、50代と思しきご夫婦と擦れ違った。なんと朝5時に新穂高をたち、笠新道経由で笠ヶ岳へ登って、日帰りでこれから笠新道を戻るのだという。その健脚には舌を巻くしかなかった。
さて、あと1時間余りだと勇を鼓して歩き始めたが、こちらも長かった。ようやく雲の間から覗いた笠ヶ岳山荘は遥か上。双六なんか回らなければ良かったと後悔しつつ、最後の岩の堆積の道を何とか登り切った。
疲れてはいたが、ちょうど雲が晴れて頂上も見えているので、玄関にリュックを置いて出発した。健脚ご夫婦の言った「山荘から10分」は無理でも、15分もあれば登頂できそうだ。と、前を行くDr.が突然立ち止まり、そっと道端にカメラを向けた。もしや、と思って近づくと、ライチョウのつがいが7、8m脇を歩いている。北ア来訪7回目にして、やっと会うことができて感激だった。
2人で写真を撮りまくっていると、後から女性が登ってきた。双六小屋を出る際、「槍ヶ岳から来た」と言っていた単独行の健脚な方で、ライチョウのことを教えると、「ああ、さっきからあちこちにいたでしょ」。え? 我々が気づいたのはこれが初めてなんですけど……。そう言えば、それらしい鳥が登山道を横切って飛んで行ったのは見た気がするが、「あちこちにいた」とは。実は、以前も同じようなことを言われたことがあり、よほど我々は目が悪いか注意散漫らしい。
山頂にしばらく粘ってみたが、周囲の雲は晴れてくれず、すごすごと小屋へ戻った。割り当てられた2階の部屋は東の穂高連峰に面しており、中段を仕切った2層構造の下の段に収まった。窓の外は雲しか見えない。眠り病患者のDr.は、きょうも横になるなり速やかにダウンした。夕食だぞと声をかけるまで起きず、食後、持参のウイスキーを飲んで7時に部屋へ戻ると、再び秒殺状態で白河夜舟と相成った。
天気予報を調べると、明日は午後から雷雨と出ている。雨も嫌だが、稜線の雷は剣呑だ。早く下るにしくはない。
【1日】 5時前、うっすら明け始めたころに誰かが「食事できたそうですよ」と起こしてくれた。爆睡Dr.を起こし、食堂へ。部屋の窓の外はガスが巻いていたが、玄関でふと見ると槍穂高連峰が全身を見せている。食事を終え、完全に明るくなったら写真を撮ろうと先に身支度をしていると、にわかに槍穂高連峰の上に雲がかかり始めた。しまった、とカメラを構えた時はすでに遅しで、槍の穂先だけは雲に飲まれてしまった。
我々としては早めに荷をまとめ、6時過ぎに小屋を出発。高曇りで、槍穂高連峰も 3000m以上のてっぺんを除けば見えている。四方の山々をカメラに収めながら歩いたので早く出た割にはなかなか前に進まない。
前方、北の彼方にきのう双六小屋から見た鷲羽岳がそびえている。その左手前は位置的には双六岳だが、まんじゅうのように見えた山容がまるで違う。左端の高い峰は黒部五郎岳に間違いないと思うのだが、どうも分からない。一方、右後方、南寄りにはかすかに噴煙を上げる焼岳、その向こうに乗鞍岳、遠く御嶽山が見えている。
ツアーらしき団体を追い抜き、最後の登り返しを頑張って笠新道分岐に1時間半弱で到着。道草を食った割にはまずまずのペースだった。休憩中のグループを後に先を急ぐ。話の通りの急坂がジグザグに杓子平に向けて続いている。岩は多いが鎖や梯子が必要なものではない。
急坂を過ぎて杓子平の緩やかな道を辿っていると、後ろから「熊だ!」という声が聞こえた。300mほど後方のパーティーが「熊がいる」「どこどこ?」などと叫んでいるが、こちらからは見えない。指差している方向が登山道の行く手ではなさそうなので、ひとまず安心して再び歩き始めた。
杓子平の道標の手前で、奥穂高岳とジャンダルムが雲間から姿を見せた。槍は見えないが、涸沢岳から西穂高岳までの稜線が一望のもと。振り返れば、槍穂高側から見慣れた山容の笠ヶ岳が堂々とそびえていた。
杓子平の先は樹林帯の急坂となるが、木々の間からは引き続き槍穂高を望むことができる。ふと見やると渦巻く雲が引き、槍の穂先がじわじわと見えてきた。やがて再び雲のベールに包まれるまで、別れの名残を惜しむかのようなシーンを楽しむことができた。
もっとも、急坂を下る脚の方はのんきなことを言っている状況ではなく、ひと時も休むことなく体重を支えなくてはならない。無意識に2月に骨折した左膝をかばうせいか、良い方の右脚が痛み出した。ストックを左に持ち替えてみたが、やはり利き腕でないと上手に扱えない。ちょこちょこ休憩を入れていると、単独行の女性、さらに夫婦らしきパーティーに抜かれてしまった。
標高が下がるにつれ、木々が大きくなって眺望は期待できなくなった。足元のごろた岩がなくなり、土の登山道になっていくらか歩きやすくなった頃、「標高1450m」という標柱を見つけた。だが、当方のカシオ製腕時計の高度計は1575mを示している。「精度悪いな」とDr.。「こっちが正しい」と言い張ったが、100mほど下ると、標高1350mプラスアルファの林道出合に到着した。高度計が狂った理由はただ一つ、気圧が低下傾向にあることで、思ったより雨が早いかもしれない。
何はともあれ、無事急坂を下り切ったことを喜び合い、さっそく昼にすることに。天水利用の笠ヶ岳山荘の水に比べ、笠新道登山口の水場の水はうまい。今日のメニューは非常食を兼ねたアルファ米のおこわとピラフだ。その湯を沸かしていたところ、なんとヤブ蚊が何匹も寄ってきた。標高1300mに蚊?と目を疑ったが、どうも本物のようだ。仕方なく、アルファ米に湯を注いだところで撤収し、少し先の開けた荷揚げ用ヘリポートに場所を移した。
日が蔭ったおかげで暑くはない。フリーズドライのスープと紅茶まで付けて、ゆっくりと最後の山ご飯を堪能した。後は車へ戻って、すぐ近くの深山荘の露天風呂で温泉を楽しむだけだ。林道を歩くこと1時間余、ポツリポツリと来ていた雨が、車に乗ったとたんに強くなった。目と鼻の先だが、深山荘駐車場まで車で行くことにしよう。これもレンタカーを借りることになった怪我の功名だ。
2泊3日、歩ききりましたね!
31日のアップダウンと最終日の下降はけっこうハードですね。
レコを拝見すると骨折療養者とは思えません
ストックでなくステッキを持つところが何となく匂わせてますが
しかし、急下降では膝に負担がかかって痛み、つらそうですね。
私も全く同じです。
痛い方をかばうために、痛くない方を痛めちゃう。
お互いにもう少しの辛抱ですが、使いながら治せるのはありがたいですね。
gankoyaさん、こんばんは。無事下山の連絡もせず失礼しました。
私が笠ヶ岳でうんうん言っているころ、どうしてらっしゃるのかなあと思ってレコを見ると、寒さに負けず沢三昧。沢、滝、ナメで毎週充実の山歩きをなさっているようで、何よりです。
10月に脛のプレートを抜く手術をなさるとのこと。当方、いまだネジを抜くべきか否か迷っております。gankoyaさんの場合は残置という訳にはいかないでしょうから、早く傷が癒えて復活されることを祈っています。
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