今までで一番山頂で泣いた…塩見岳、登頂‼️
- GPS
- 47:23
- 距離
- 26.3km
- 登り
- 2,570m
- 下り
- 2,583m
コースタイム
- 山行
- 5:20
- 休憩
- 0:41
- 合計
- 6:01
- 山行
- 9:37
- 休憩
- 1:04
- 合計
- 10:41
- 山行
- 3:10
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 3:20
天候 | 初日は曇りから大雨、2日目は最高の天気 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年04月の天気図 |
アクセス | 越路ゲート前の第一駐車場 |
写真
感想
1. 機は熟した
鳥倉林道冬期ゲートが開く。もうそんな季節になってしまった。1月22日に塩見岳に安易にチャレンジし、半泣きで避難小屋に駆け込んだ。避難小屋の扉を泣きながら開けると、若い男性と目があった。「助かった」と心底思った。彼らは、2人で朝の5時にスタートし、冬期ゲートから完全ノートレースの中、12時間かかって僕が来る少し前に避難小屋に入ったらしい。彼らの他にも3人(4人かも)のパーティーが小屋にはいて、その2人に遅れること2時間、冬期ゲートをスタートした。三伏峠まで残り2割の所で2人に追い付き、そこからは代わってラッセルしたという。そしてその3人にさらに遅れること2時間、冬期ゲートをスタートしたのが僕だった。
都合5人のトレースをフォローしたのに、疲労度が半端なかった。一番頑張った男性2人パーティーの1人は床に座り込み、憔悴しきっているように見えた。「明日、どうします?」と聞かれ、「それは皆さん次第ですよ…」と答えたが、1泊の予定で入山していたので、正直アタックは到底無理だな、と思っていた。その男性2人パーティーも1泊でやりきる予定だったらしく、お互い「無理だよな…」という雰囲気で一致した。結局、僕は翌朝一番、逃げるように避難小屋を後にした。
普段ならすぐに再チャレンジを試みる所だが、全身から「止めておけ」のサインが出て、僕の脳を制止した。まずは圧倒的に体力が足りないと思い、少し走ってみたりもした。しかし、早朝しか走る時間を確保できず、同時にマーケットの異常な動きに翻弄され、朝の時間は睡眠に優先された。一方で、週末の山行は壊れた精神を修復すべくコンスタントに続けられた。先ずは、ひかりものさんにお勧めされた「夜叉神峠からの鳳凰山」で自信を取り戻した。次に、技術と体力が同時に要求される「南八ヶ岳サイクル縦走」を楽しみながらやり遂げることができた。さらに、少し調子に乗って、舟山十字路からの「もっと」南八ヶ岳サイクル縦走をトライした。西岳まで全ラッセルを強いられ、サイクルは失敗するも、ノートレース全ラッセルの経験を積むことができた。次の週は、西岳全ラッセル後のカオスの最中に見失ったワカンを探すため、青年小屋でテン泊した。ワカンは見失ったままだったが、ギボシ、権現岳、旭岳を踏破し、八ヶ岳ハイカーの称号を手に入れた。仕上げは五龍岳アタックで、これもノートレースだったが、なんとか週末一番乗り登頂を果たした。
最後の難関は日程調整だった。あまりに海外対比多すぎる日本の祭日のせいで、さらに有給を取りたいとロンドンのボスに言い出しにくかった。塩見岳アタックには絶対に2泊3日を確保したい。結局祭日だけで3連休を確保できるのはGWしかなかった。少し雪山とは言い難いかもしれないが、仕方がない。それに、それ以降もたまに「塩見岳」とYAMAPで検索しても、出てくるレコはいつも変わらずだった。最新は今年の1月8日のrokiさん、その前は去年の12月13日のてつさんだ。天気予報は早くからGWの悪天候を噂していた。GWが近づくにつれ、29、30日が全GW期間中で最も登山日和になりうると山天は言い始めた。一方でWindyを見ると、29日は夜の時間は20ミリを超える土砂降り予想になっていた。かなり悩んだ挙げ句、その時間には避難小屋に入っていて雨をしのげ、翌朝サイコーの天気の中アタックできるとの皮算用のもと、29、30、5月1日で腹をくくった。
2.やっぱり半泣きで避難小屋に駆け込んだ
懐かしい気持ちで冬期ゲートをくぐり、越路ゲート前駐車場に到着した。午前7時30分だった。広々とした駐車スペースの一番ゲートから遠いところに1台だけ車が止まっていた。がらんとした駐車場を見て、「また、アカンやつか?これ…」とかなり不安になる。GWなのに、やはりシオミとはこういうものなのか。僕が準備を終えるころ、もう1台大きめの車がやって来て、一番ゲート側に止まった。男性2・女性1の3人パーティーだった。準備を終え、ゲートの方へ歩いていく時に、車の外で着替えていた男性に話しかけた。
Ttm 「今日は三伏峠の避難小屋泊ですか?」
大男 「ええ、そうです」
Ttm 「そうですよね。土砂降り予想ですもんね…こんな時にテント張ったら大変な目に合うもんなんですか?」
大男 「死んじゃいますよ!」
Ttm 「あ、、死んじゃいますか🤣ってことはもう絶対に避難小屋に入らないといけないですね😅」
小男 「もちろん、テントでも大丈夫ですけど…ただ…」
Ttm 「濡れちゃいますね、中とか」
小男 「そうそうそうそう」
「残念ながら俺も避難小屋利用やな。本当は本谷山でテント張りたかったけどな…」。この時点では僕はまだ極めて楽観的だった。
マイカーやタクシーで来た登山者は、越路ゲートから鳥倉登山口までは林道を40分ほど歩かないといけない。夏場はバスが1日2本運行されており、そのバスは鳥倉登山口まで登山者を運んでくれるそうだ。ザックは最近手を出してしまったEXPEDITION PACK80で来た。やはりかなりの容量で、まだまだ上部に余裕があったので、トップリッドのおさまりが悪かった。前回のチャレンジでは肩の痛みに苦しんだんが、今回は最後まで特に気にならなかった。やはり、平地歩きが少ないおかげなのか。登りの時は自然と前傾姿勢になるので、肩よりも腰に荷重がかかりやすくなるのかもしれない。
40分ほど歩き、鳥倉登山口に到着した。どうも雲行きが怪しい。天気予報より大分早く雨が降りそうだった。12時ごろ三伏峠に着く算段でいたが、その頃か、もしかしたらもう少し早いかもしれない。時間は8時42分だった。鳥倉登山道は、鳥倉登山口(TRAILHEAD)から三伏峠小屋(SANPUKU PASS)までを10に区切って道標が設置されている。最初は1/10だが、前回同様8/10までしか見当たらなかった。塩川ルート分岐には「鳥倉林道終(点)」の矢印はある。順調に3/10まで来たとき、恐らく駐車場に止まっていた車の方だと思われる、少し僕より年長そうな男性2人組が休憩していた。挨拶をすると、「速いですね☺」と言われ、「ここまで全く雪がなかったので」。「あの(駐車場の)一番手前に止められてた方ですよね?」と聞くと、「ええ、トイレの前辺りです」。そして、「真ん中辺りに止めらた方ですよね?」と逆に聞かれ、もう車には誰もいなかったはずなのに少し変に思った。彼らも三伏峠避難小屋泊を目指しているらしく、「僕らの分もキープしといて下さい☺」となかなか面白い方達。「では、また上で!」と送り出された。
ここから、4/10にかけて豊口山間のコルを通る。ここまでは完全なる夏道で極めて楽チンだったが、この辺りから少しずつ試練が始まるはずだ。北面のトラバースになるので、雪もボチボチ出てくると予想された。同じ時期に行った昔のレコを見ると、この北面トラバースが一番の核心で、「腐れ雪なのでアイゼンはいらないがピッケルを出した」とあった。実際にコルに来ると前回は全く気付かなかったが、「三伏峠まで約2/約2時間?」の道標がある。登山道にはまだ雪はなかったが、登山道左下の斜面には雪が残っていた。このコルからほんの少しだけ尾根を登り北面トラバースに入る。ちょうどそのあたりで楽チン登山の終わりを告げる4/10の道標があった。
この辺りから桟道(山の崖の中腹に、棚のように設けられた道)が頻繁に出てくる。ひかりものさんによれば、ここにしっかり雪が付くと、どこまでが地面かわからない恐怖トラバースに化けるという。5/10辺りではしっかり桟道は見えてはいたが、傷みがひどくそこに足を乗っけるのを躊躇するような感じだった。
6/10を越えた辺りから、腐れ雪トラバースが本格的に始まった。緊張感を持って坪足で行く。左側がなかなかに切れ落ちているので、緊張で喉が乾いてきた。悩んだ挙げ句、ストックをしまいピッケルを投入した。前回そんなに恐怖を感じなかったのは、ほやほやトレースが逆に深い「足の入れどころ」を作っていたからなのか。まだ気温も高く寒さを全く感じなかったので、ミドルレイヤー(トレールアクションパーカとマウンテンガイドパンツ)に素手で登っていく。今日は半ば予想した通り、明確なトレースは一切なかった。「この前ここを登山者が通ったのはいつなんだろう?」。慎重に右足を傾斜に対して爪先から右斜め方向にハの字に突き刺し、左足を滑らないように送り出す。しかし、腐れ雪なのもあって、頻繁にずぼってしまう。簡単に膝上まで行ってしまうので、マウンテンガイドパンツが濡れてしまうんではないかと不安になって来た。登山で「濡れ」は大敵だと頭では知ってはいながら、今まで濡れで恐怖する状況に遭遇したことはなかった。また、ずぼった際には当然ピッケルも引っかからずバランスを崩し、雪を素手で触ってしまい手が冷たくなってきた。「これ、ぼつぼつアウターレイヤーとグローブいるな…」と思い、あまりスペースはなかったが、狭いトラバースの途中にピッケルでバケツを掘って、ザックをおろした。モンベルのアルパインパンツは、一度冬靴を脱がないと足先が細くて履けないのが面倒くさい。狭い足場で慎重に靴を脱ぎつつ、アルパインパンツに足を入れ、靴を履きなおした。そしてその上からスパッツも装着した。ストリームパーカを羽織り、まだ暑かったので、前の止水ファスナーは半分ほど開けておいた。最後にアルパインテックグローブをはめた。このグローブはちょっとした違いなのだがかなり取り回しがよく、細かい作業も比較的ストレスなくできるので気に入っている。値段が段違いに高いのが難点だが。
7/10から本格的な恐怖トラバースになった。幻覚を見ているのではないかと思うくらい、同じような危険な左回りのトラバースをやり終えては、またそれが再出現する。左側はものすごく切れ落ちているので、失敗は即滑落停止動作の発動を意味した。やはりピッケルが正解のようだ。桟道はトラバースの終了地点で所々露出していたが、そこに乗っかってしまうと先が行き詰まるので、そこに足を乗せることはほぼなかった。引き続きかなりの頻度でずぼり続けていたので、精神力とともに体力もかなり消耗して来た。しかも、恐れていた通り、ずっと霧のような小雨が降っていたのだが、本降りになってきた。ストリームパーカのフードを被った。頭のてっぺん部分のベルクロを調節し、視界を確保する。「しかし、オレこんなに道を切り拓いて牛歩してるのに、一向に追いつかれへんな…」。後ろから男性2人組と3人パーティーが僕を追っているはずだったからだ。途中、何度も、「お疲れ様でした!ここからは僕たちに任せてください😊」と、いつ後ろから声をかけられるんだろうと思っていた。しかし、実際は独りずぼり続け、悶絶していた。結局誰にも声を掛けられることもなく、7/10から8/10まで一時間もかかってしまった。時刻は12時20分になっていた。
12時35分頃、一つの目安の塩川ルートとの分岐に到達した。ここからはトラバースではなく尾根道になる。標高も上がってきて、少しは雪も締まり楽になるかなと期待したが、ずぼり度合はさらに上がっていった。逆に傾斜がきつくなる分だけさらに地獄だった。もうほぼ精神力だけで登っていた。未練がましく、「なんでみんな追いついて来えへんねん…」とまだ思っていた。「これ、全く前回と同じパターンやな。せっかく越路ゲートまで車使えたのに、苦しさ全く同じやぞ…」。本当に限界だった。雨もますます土砂降りになり、「オレはこの土砂降りの中、何をしとんねん!」と腹も立ってくる。休み休み、歩みを続けた。唯一の救いはまだまだ時間に余裕があることだった。しかも今回は2泊3日の日程を確保している。前回とは決定的にここが違った。
永遠に続くと思われる道もいつか終わりが来る。そう信じて歩いていると、前方に三伏小屋の屋根が見え始めた!「やっと来たよ😩よっしゃー😠!!!」。山小屋を見て、ここまで吠えたのは初めてだった。「これ…、普通の人には無理だよ。俺は精神力だけでここまで来たけど…」。結局誰にも声をかけられないまま、独りでずぼり道を踏破した。記憶に新しい「三伏峠」の大きな木看板の方まで歩いていく。その右手に前回は気付かなかった別の大きな木看板があった。そこには「日本一高いと言われる峠」とあった。「日本一高いんちゃうん?言われてるだけ⁉️」。僕には十分日本一の苦しみだった。
3. 濡れという恐怖
重い冬期避難小屋の扉を開けた。時間は午後2時だった。結局塩川ルート分岐から90分近くもかかってしまった。窓は雨戸が閉められていて、日は全く入らない。ザックを下ろし、ヘッデンを取り出して点灯した。(ちなみに電球は天井についていたが、スイッチは見当たらなかった)。普通、こんなに誰でも使えるように開放していると、もっと無法地帯になりそうなのに、小屋の中はとても小綺麗に保たれていた。ここに来る登山者のマナーの良さが感じられる。入ってすぐの部屋の右隅には、ござが3つきちんとロールされて立て掛けられてあった。その横に箒もかかっていた。後から5人がやって来るはずなので、自分がどこに陣取るか思案する。入ってすぐのスペースは、テントを張らなければ、3人はギリギリ寝れる。そこを抜けて右に行くと、もうひとつ大きなスペースがあって、前回はそこに3人のパーティーがテントを張っていた。「後から来る3人組はここやろうな…」。さらに、奥に小屋番部屋が何部屋かあり、使っていいのか不明だが、ソロにちょうどよいスペースだった。前回仕方なく使わせてもらったが、正直、奥過ぎて使い勝手が悪かった。ちょっと悩んだが、入ってすぐ左の角の一等地を確保させてもらった。場所が決まったので、先程あったござを広げて自分のスペースに引いた。やれやれと、ストリームパーカを脱ぎ、壁に打ち付けられた釘にかけた。「土足禁止」と書かれてあるのがずーっと気になっているので、早くテントシューズに履き替えたい。しかし、パッキングミスだが、避難小屋に泊まるのが確実だったのに、テントシューズをザックの一番底に入れていて取り出すのに難儀する。何とか引っ張りだし、先ずはスパッツを外した。スパッツを付けていると靴紐の締め直しも面倒臭く感じるのは僕だけだろうか?次に片足ずつ、冬靴を脱ぎつつ、アルパインパンツから足を抜き、ヘロヘロなので、バランスを崩しながらテントシューズをやっとこさ履いた。アルパインパンツも隣の釘にかけた。この時は気付かなかったが、前の止水ファスナーを上までしっかり閉めていなかったせいで、ストリームパーカは中までびっしょりになっていた。
小屋の中は日も入らないので、少し肌寒く感じていた。フリースのミドルレイヤーがかなり濡れてしまっていたからだった。いつも汗びっしょりになってしまうので、外から濡れいている感覚に鈍感だった。意識朦朧として土砂降りの中登って来たので、ストリームパーカの止水ファスナーを上まで閉めることを完全に忘れていた。暖かくなるので本当は小屋の中にテントを張りたかったが、マナー違反なので我慢していた。もしかしたら、後から来る5人以外にも、もっと遅い時間に駆け込みがあるかもしれない。とりあえず、ござの上にグラウンドシートを引き、サーマレストのネオエアーXサーモを膨らました。パンプサックは根気よく何回もやらないマットをパンパンにできない。いつも、途中でいやになって最後は息を吹き込んでしまう。コンプレッションバックからシュラフも出しマットの上に広げた。「何とか落ち着いたな。よしまずはビールでしょ…」と、荷揚げしたPSB500ml2缶をザックから出した。意外にキンキンだった。途中で気付いたのだが、肝心のおつまみを持ってくるのを忘れ、若干傷心だった。缶のまま口を付けた。体に染みる。「えぐかったな。なんで三伏峠ってこんなにキツイんやろう…」。気持ちは前回と全く同じままだった。「明日行けるんかな…」
アルファ米で作った牛丼とスープの遅い昼食を終え、水作りのための雪を外に取りに行こうと思い、ダウンジャケットの上に、「濡れないように」と内側がびしょ濡れのストリームパーカを着た。この時はびしょ濡れなことに気付いていなかった。外は相変わらずひどい雨だった。近場のきれいそうな雪をポリ袋に入れ、急いで小屋に戻った。ストリームパーカを脱ぎ、釘のフックにかけてから、ダウンジャケットが水に濡れてぺったんこになっているのに気が付いた。「なんじゃこれ!(松田優作ばり)」。急いで、ストリームパーカの内側を触った。びちゃびちゃだった…。「あちゃ〜、またやってもうてる。なんで俺毎回こうなんやろう」と自分のあほさ加減に幻滅する。「そうか、止水ファスナーちゃんと閉めなアカンかったんか…」。かなり寒さを感じてきた。初めてリアルに「濡れの恐ろしさ」を感じ始めた。
そういえば、僕が小屋に来てからかなりの時間が経つのに、まだ誰も来ない。時間は午後4時になろうとしていた。マットの上に座り、コッヘルに雪を入れてジェットボイルで水を作っていると、避難小屋の扉が開いた。「ひぃ〜、寒い〜…」。やっと3/10で追い抜いた男性2人組が到着した。レインウェアのようなものを頭からかぶっているが、ずぶ濡れだった。「お疲れ様です!疲れたでしょう!!」と声をかけた。「いや。。。疲れた。。。足跡を必死に追いかけてきました!」と疲労困憊の様子だった。「これは大変ですよね!僕の足跡も悶絶の限りを尽くしていたでしょう?😂」と言うと、「ハイ!よくわかりました!」「途中足跡が消えたんですよ。焦りました😣」と言われ、「あ…、一か所、道が分からなくて派手に間違えました😅」と答えた。「まあ、まずはゆっくりされてください。ちょっと僕がここに陣取ってしまったんで、もしよければここの空いているスペースとか…。あとは右に同じようなスペースの部屋があるんですが、後からさらに3人のパーティーが来るはずなので、そこは彼らが使いたいかも…」と後から考えれば余計なことを言ってしまった。というのも、彼らは結局来なかったからだ!かなり登山慣れしたパーティーに見えたが、だからこそ雨が激しくなってきた時に、早めの撤退を決断したのかもしれなかった。やはり、避難小屋の陣取り争いは早い者勝ちで、後で困った状況になってから相談する形をとった方がいいと痛感した。「とりあえず、ちょっと落ち着いてから、またご挨拶に来ます」と言いながら、彼らは僕の言葉を受けて、その広いスペースは使わず、小屋番部屋のさらに奥にあるスペースに向かったようだった。
しばらく根気よく水作りに励んでいると、「寒い!寒い!」と先ほどまで震えていた先輩っぽい方の男性が、暖かそうなダウンジャケットにダウンパンツを履いて、生き返ったような面持ちで戻って来た。「明日はどうされますか?」と聞かれ、「まあ、とりあえず、塩見岳アタックします」というと、なぜかかなりびっくりされた様子で、「え!行くんですか?」と聞かれたので、「まあ、行けるところまで」と答えた。しかし、内心、確かに精神的に結構やられていたので、「とりあえず、アタックします」と躊躇なく答えた自分に、自分で驚いた。「明日はアタックしないんですか?」と逆に質問すると、「僕らには到底無理です」とおっしゃった。「それで、相談したんですけどね」と続け、「僕らはここまで上がってくるのも本当に危険で、足跡がないとまずたどり着けませんでした。で、下山されるときはご一緒していただけないかと思っているですが…」。なるほど…。「僕は明日アタックして、次の日の朝一、4時過ぎくらいに下山するつもりです」と伝えた。「あー、そうですか…でもいずれにしても、明後日なんですね、下山は?」とおっしゃった。「わかりました。もし、明日戻られて私たちがいなかったら、帰ったと思ってください」と言い残して、彼らは奥のスペースに戻って行った。「そうか、僕も明日下山するのであれば、一緒について来てほしかったのか…」
ぺったんこの濡れたダウンジャケットのせいでやたらと寒くなってきた。我慢できない。もう、ここからは誰も来ないだろう。「もうテント張ってもいいよね…」。そうと決めたら、荷物を急いで移動させ、インナーテントを高速で張った。荷物をテントに放りこみ、自分も中へ逃げ込んだ。さすがに布切れ一枚と言え、かなり暖かくなった。やっぱり、登山、特に春山とはいえ雪山に濡れは厳禁やな。リアル厳冬期ならそもそも雨はあり得ないが、この時期だからこそ気を付けないといけないリスクファクターだった。靴下は替えを持ってきたので、テント中で履き替えた。しかし、ミドルウェアの替えは持ってきていなかった。「これ、絶対にアカンやつやん…」。濡れに敏感になり、自分の持ち物をじっくり観察すると、どれもこれもびっしょりだった。インナーグローブ、靴、アウターレイヤー、ザック、ハーネスポーチ…。ザックは中にアクアバリアサックが入っているので中身は濡れないが、トップリッドの中に入れていた「山登りABC 雪山入門」は端が水で濡れてしわしわになっていた。愚かだったのは、雑巾は重宝するので毎回2枚持ってきているのだが、それをザックの外サイドポケットに入れていたことだった。びっしょりだった。時間は午後6時になろうとする頃だったが、食欲がなかった。濡れている物を全部シュラフに突っ込む。靴もインソールを外し、ビニール袋に入れてシュラフに入れた。自分の足も入れ、明日のゲームプランを考え始めた。「この時期も含めて雪の塩見岳が難関なのは、実は三伏峠のせいちゃうか?」。ここまで、体力的・精神的に追い込まれ、なおかつ、明日アタックする気持ちを持ち続けるのはなかなか大変なことに感じた。僕自身、降り続く雨風の音を聞きながら、明日朝一下山したい衝動に駆られた。しかし、前回も後日地図を見返しながら思ったのは、「一番辛いとこだけやって撤退したな…」ということだった。確かにここまでノートレースだったから、三伏峠からもノートレースだろう。しかし、明日は基本尾根伝いだし、朝一出ればこの時期だけに、雪が締まっていてラッセルにならない可能性もある。今日の大雨の影響がどれくらいあるのかは全く読めなかったが、なんといっても、明日は塩見岳に登頂後、この避難小屋に戻ってくるだけでいいと考えると気持ちが楽になった。「最悪ヘッデンで戻って来たっていいんだ。最低本谷山、いや三伏山だっていい。とにかく前に進もう」
4.塩見岳アタック
いつも通り2時に目覚ましをかけていた。ちんたら2時間かけて準備をし、午前4時にスタートする予定だ。Sunnto9Baroの振動を感じ、停止スイッチを押した。やはり春山なのか、珍しく寒さを感じることなく寝ることができた。また昨夜は風も強かったので、珍しく耳栓を入れて寝ていた。自然の中で音が聞こえないのはリスクと感じるので、あまり耳栓は使わないが、なぜか昨晩は使いたい気分だった。夜から喉が痛かった。いつもテントやハンモックで外で寝ると、乾燥するのか喉が痛くなる。よくよく考えたら、あんなに長時間土砂降りの中を歩いたら風邪を引いたってちっとも不思議ではなかった。ファーストエイドキットの中にはバンドエイドやテーピングなど外傷系のものしかなかった。解熱剤くらい入れておいた方がいいかもしれない。
昨日、自分を奮い立たせたものの、なかなか気分がのってこない。とりあえず、シュラフの中に入れたあんデニッシュをつまんだ。外はまだ風が強く吹いているのが聞こえてくる。「風が落ち着くまでスタート遅らせようかな…」、まるで嫌なことを先延ばしにするような感じだった。何とか水をジェットボイルに入れ、クリームシチュー用に湯を沸かす。ライターでジェットボイルに点火するのも自然な動作になってきた。もう、カチカチは言わせない。クリームシチューを飲み、体が温まり少し元気になってきた。「外の様子を見るか」とテントから出て、重い避難小屋の扉を引く。風は強いものの、雨は全く降っていなかった。空を見上げると星も木々の間から見え、天気も予報通りよさそうだった。
テントに戻り、残りのあんデニッシュを全部平らげた。昨日の夜よりは多少食欲があった。シュラフに入れていたものを取り出す。靴はあまり乾いていなかったが、少なくとも昨日よりましだった。インソールはしっかり乾いていたので、それを靴に突っ込んだ。インナーグローブは問題ない程度に乾いていた。意外に昨日濡れてしまった分厚い冬靴下(メリノウールエクスペディションソックス)はあまり乾いていない。昨夜のうちに、バランスライト20に必要な装備は全部用意していたが、起きた直後のグダグダのせいであっという間に4時15分前になった。観念してテントから這い出る。部屋の壁に打ち付けられた釘からアルパインパンツを取り、片足ずつ足を入れ、そのまま、まだ濡れているアルパインクルーザー3000に足を突っ込んだ。意外に気にならない。そのまま、これもまだ明らかに濡れているスパッツを取り付けた。壁にかかったストリームパーカを取ると袖口がまだ湿っているものの、内側はそこそこ乾いていた。
重い引き戸を引き、外に出た。まだ多少風はあったが、起きた直後よりは弱まってきていた。外に置いてあったアイゼンを装着しようとするも、ここで手こずる。前回の五龍岳アタックで気付いたのだが、僕のアイゼンは雪壁を蹴り込み過ぎたせいか、バインディングの調節ノブにつながっているねじ棒がひん曲がってしまっていた。そうなると調節ノブがきっちり回せなくなり、バインディングをコバに適切なテンションで引っ掛けられない。ちょっとの衝撃ですぐにバインディングがコバから外れるようになってしまっていた。五龍の時は、一番危険なトラバースが終わった直後に、アイゼンが外れてしまっていることに気が付いた。恐ろしかったのでモンベルにアイゼンを持っていくと、「修理は可能だが、その場合アイゼンを1か月預けないといけない」らしい。それは、強制雪山終了を意味するので、今回はリスクを取ってこのカジタックスでやるしかなかった。しかし、バインディングをコバにあてがうと、全くテンションがかからない。おかしいなと思い調節ノブを渾身の力を込めて右に回すと微かに動き、さっきよりはきもちテンションがかかるようになった。「しゃーない、外れてないか常に気にしておこう」
まず、避難小屋からのスタートが難しかった。本当は、避難小屋の裏手からも行けるのだろうが、一旦、大きい「三伏峠」の道標の場所まで戻った。行きにそのあたりに、塩見岳と烏帽子岳を指し示す道標があったのを確認していたからだ。しかし、その道標に従って進むも、一度ピンクテープがあったきりで、道がどうもわからない。「三伏峠から本谷山までは尾根を行く」という雪山ルート集の記述を頼りに、できるだけ尾根を目指した。五右衛門山の巻道の入り口までは、この「ひたすら尾根を行く」がワークする。それほど頻繁にピンクテープがあるわけでもなく、「ホンマにここか?」というくらい枝が張り出して歩きにくいが、徹底的に尾根を追求していけば一番歩きやすかった。何とか無事に短い急登を登り、三伏山の広い尾根に出た。時間は4時40分で、まさに日の出が始まろうとしていた。いきなりの爽やかな大絶景が広がる。前方にむちゃくちゃ塩見岳が見える!!昨日までのダークな気分が、一瞬でどこかに行ってしまった。「これだから登山やめられへんねんなぁ〜」。左手には雲海気味の雲の向こうに中央アルプスが近い。朝焼けに背後を照らされた塩見岳をしばらく見つめていた。「最低でも三伏山」は楽勝でクリアした。
嬉しかったのは、ずぼりが皆無だったことだった。昨日の雨の影響はあるのかないのか不明だが、すくなくとも悪影響は全くなかった。朝のしまった雪がアイゼンをかっちりホールドしてくれた。三伏山から尾根通しに一気に100mほど標高を下げる。しつこいが、いくら枝が邪魔だろうが、ここ歩けるか?と思っても、徹底的に尾根で問題ない。標高を下げ切った2498mから本谷山の2658mまで短い急登で一気に登る。コルから見た本谷山が意外に巨大で、「あそこまで登るんか…?」と少したじろぐ。このルートの±100m登り下りは、帰りは雪質が悪化し、ずぼり始めたこととも相まってかなり堪えた。
何とか、邪魔な枝をかいくぐり続け「恐らく」本谷山に登頂する。というのも、山頂標識があると思ったのに、のっぺりした山頂には何もなかったからだ。もしかしたら、雪の下だったのかもしれない。余裕があって天気が良ければ、やはりここでテン泊するのが最高だろう。残念ながら、折角2658mまで来たのに、ここからまた一気に下る。ここからも引き続き枝が多く、そんなに道もはっきりしないが、ひたすら尾根がワークする。そして、わかりにくい、五右衛門山の巻道への入り口に到達した。入口周辺にはピンクテープは集中的にあり、行きには気付かなかったが、道標(三伏峠 塩見岳)もある。この巻道はかなりヒステリックにピンクテープが用意されていてあまり迷わなかった。ただ、枝のストレスがここでマックスに到達する。小さいアタックザックなのでギリギリ我慢できたが、デカザックだと発狂するかもしれない。
「五右衛門山巻道を終えると、塩見小屋までの急登が始まる」とあったが、ここからは枝がなくなり一気に気持ちよくなる。それほど急登は気にならなかった。終盤、右手にハイマツ帯を見ながらの、のっぺりした雪の急斜面になる。ここには、有名(?)な「がんばるんだに、もうじきだしな」の木看板が地面に横たわっていた。また、後方の景色が最高だった。中央アルプス、槍穂、後立山連峰に見とれながら、何度も振り返り登っていった。すると、「え⁉️」というほど前方が急登になってしまう。「さすがにこれは登れんのんちゃう😓」と思い、結構登ってしまった道を引き返す。すると、ハイマツ帯の途中に入口があり、シオミ小屋へと続くかなり歩きやすい登山道が続いていた。「そりゃそうだよね😅」
その道を行くと、雪に豪快に埋もれたシオミ小屋の前に出た。ここから、前方に見える海坊主の頭のような雪の丘を越えて、一旦下る。この下りは左側が切れ落ちていて、かつ、すごい細い腐れ雪の足場を渡らないといけないので、少し緊張する。
上部に行くにつれ、雪がほとんどなくなってきた。前方に「あれが天狗岩?」と思われる厳つい岩峰が見え始めた。この天狗岩を巻くトラバースが最初の恐怖ゾーンらしい。このために、源治トラバースに挑戦したと言っても過言ではなかった。同時期に行ったレコにはここを直登しているものもあった。「あまりにトラバースが恐怖だったら、俺も直登しよう」と思いながら向かって行った。すると、融雪が進んでいて、トラバースがかなりミニチュア化していた。「う〜ん😒拍子抜けやな…」。軽く通過し、安全を素直に喜べない自分がいた。
ここから先は、たま〜に少し嫌らしい凍った雪が出てくるが、基本アイゼンの爪を削って歩いた。アイゼンを付けながらの岩場歩行なので少し危険だが、まさに北アルプスの夏の岩場を歩いているようだった。後知恵だが、アイゼンを外した方が気持ち良かったかもしれない。
かなり登ってきた。山頂標識と見間違うような「落石注意」とかかれた看板が出てくる。そこを登り、右に回り込んだ。山頂はもうすぐな筈だ。右手に、甲斐駒と仙丈ヶ岳を思わせるようなやたらどっしりとした山が見える。「なんかすごいな…」と思わず見とれる。甲斐駒と仙丈ヶ岳は反対側にもっと小さく見えていた。後から地図を見ると、それは荒川岳の東岳(何故に悪沢岳と呼びたくなるのだろう⁉️)と中岳のようだった。ハッキリ言って、シオミ小屋以降、恐れていたような難所は皆無だった。が、やはり三伏峠を乗り越えての「今」に満足感と感動が高まってくる。「やっぱり、あの三伏峠までの地獄を見た後に、さらにそこから上に行こうかと思えるかどうかだよな…」。正直、今回もギリギリの判断だった。
誰もいない山頂へのビクトリーロードを静かに歩いていた。風もほとんどなくとても穏やかだ。四方八方の大絶景だったが、極めつけに、「おー!富士山も😂」と前方に雲海に浮かんだ富士山が登場した。「完璧だよ。。。これ」。もう、終わってしまうのをもったいないと思いながら歩みを続ける。すると、ついに三角点が、そして目の前に「塩見岳西峰」の山頂標識が現れた。「やったよ、オレ頑張ったよ」。直前まで何ともなかったのに、急に目頭が熱くなり、涙が溜まる。あっという間に許容量を超え涙が頬を伝った。「やっぱり、嬉しいもんだな…」。山頂標識の後ろの富士山が神々しかった。「東峰でパンでも食おうよ。コーヒー持ってくりゃよかったな…」。東峰は目と鼻の先だ。ゆっくりと下り、少し登る。この道でも泣きながら「よっしゃ、よっしゃ」とつぶやいていた。東峰からの景色はなおサイコーだった。盛り上がった岩峰の上に登り、平たい岩に腰掛ける。びっくりするくらい無風の快晴だった。悪沢岳と中岳を見つめながら余韻に浸る。その長大な尾根が目に焼き付いた。富士山の左手には、北荒川岳も大迫力だった。暖かい日差しと絶景に包まれながら、なんとも言えない幸福感に満たされていた。
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