三頭山・浅間尾根
- GPS
- 12:15
- 距離
- 27.0km
- 登り
- 2,193m
- 下り
- 1,862m
コースタイム
- 山行
- 6:32
- 休憩
- 0:58
- 合計
- 7:30
天候 | 1日目(12/23): 曇り一時雪 2日目(12/24): 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年12月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
下山口:数馬の湯から西東京バスでJR五日市線武蔵五日市駅 |
写真
感想
1日目(12/23): 曇り一時雪
今日は三頭山避難小屋に泊る予定だ。長丁場なのでK藤さんの体調を気遣い短縮コースを取ってもらうことにした。他の二人も短縮コースに同調し人里(へんぼり)から登り人里峠で浅間尾根に乗ることになった。早朝のバスは瀬音の湯に入らないので十里木BSまで歩き同じバスに乗った。山本は再会を約して笹平で下車し浅間尾根の先端から登りだした。登山口はバス停のまん前で、お墓の横から細い踏跡に取付いた。登山地図には赤点線道で記されているのでこんなものかと思ったが他の踏み跡が合わさり明瞭な道となった。となるとあれが正しい登山口だったのかどうか怪しいが、尾根通しの道はやがて立派な指導標も現れ、赤実線道でも十分だと思われる状況になった。
南秋川を捻じ曲げるように押し出した浅間尾根(せんげんおね)の先端は等高線が混み合って急登を強いられた。登り口から1.4卆茲701m標高点まで50分も掛った。人里峠まではまだ5.6劼△襦C蚕魅魁璽垢粒Г8時には峠に達するだろう。追い付くにはスピードを上げて行くしかない! しかしそう簡単にいかない浅間尾根、2.5万図には表れないアップダウンが結構出て来た。その中に予期しなかった山頂標識を見つけ嬉しくなった。内蔵ノ助山(783m)と払沢ノ峰(ほっさわのみね858m)で、小さな山頂標識があるだけで展望はなかったがピーク性のある処は嬉しいものだ。次の857m標高点にも名前はあるかなと期待したが新たな発見はなく松生山(まつばえやま934m)に到った。3等三角点「松倍」があり笹尾根や御前山の展望が良かった。
松生山を過ぎ浅間嶺を目指して歩を進めると936m標高点に「天領山」と山頂標識がありまた1山儲けた。展望はないので証拠写真を撮っただけで通過した。浅間嶺は登山地図によると上川乗からの登山道と合流した後に出てくる903m標高点の地点に記されているが、実際は合流点に到るまでの時坂峠(とっさかとうげ)からの道が合流した直後にあった。なだらかなピークに立派な標識が立ち冬枯れの木立ちの隙間から御前山や大岳山を望むことができた。等高線から読み取ると浅間嶺の標高は約890mとなった。西の鞍部に下ると上川乗からの登山道が合流し90°右に曲がった。浅間嶺休憩所の東屋とトイレがあり直ぐ近くまで林道が上がってきていた。メイン登山道は稜線の北側を巻いているが稜線ルートにも指導標があった。勿論稜線ルートを通り地形図に示されている903m標高点に到ると“小岩浅間”の標識があり浅間嶺とは別の山として存在を誇示していた。
巻道と合流し少し行くとK藤さん達が登って来た筈の人里峠に着いた。時刻は9時38分で1時間30分余りのビハインドであろう。ゆっくり行程とは云え追い付くのは大変だ。それにしてもどうして人里と書いて「へんぼり」と読ますのだろう? 地名とは摩訶不思議。人里峠を過ぎP911の取り付きに達した時、今日始めて人と出会った。ひょっとしたら山名のある山かもと思い斜面を這い上がり最高所に立ったが残念ながら山頂標識はなかったが石宮ノ頭のようだ。明瞭な道があり巻かず真面目に稜線ルートを歩く人もいると云うことだろう。登山道がピーク南の巻道で入り組むと先端に「一本松(一本杉)」の標識を発見。右手に登路がありピークに這い上がると此処が本当の一本松山頂、3等三角点「石宮」のある標高930mのピークで浅間尾根北側の笹久保からの赤点線道が上がってきている筈だ。樹林帯で展望はないが、10時を過ぎお腹が空いた、大休止を取って昼食タイムとした。
一本松の北西尾根通しに進むと元の縦走路に復すことが出来た。P929の南を巻く地点で笹尾根が障害物なく見えるポイントがあり、丸山や土俵岳を望むことが出来た。もう少し進むと“サル石”なる大岩があり案内版に「サルの手形のついた大きな石、手の形はよく探せばわかるよ!」と記されているのだが・・・
明日笹尾根から下山する浅間尾根登山口から反対側の浅間尾根に登ると“数馬分岐”或いは1.1卆茲砲△訖馬峠に出て来る。その先に仲ノ平からの道が合流している。この少し手前で縦走路は漸く標高1,000mを越えた。御林山(1,078m)は登山道が南側を巻いており踏み跡に従って山頂に立ち寄った。修験道の行場なのか那智山西岸渡寺の碑伝が置かれていた。展望はないが3等三角点「風張峠」がありその名前から奥多摩主稜が近いことを感じた。風張峠は奥多摩主稜線にある峠でこの辺りの指導標には「←風張峠」と記されている。鉄柵に行き当たると奥多摩周遊道路が浅間尾根を横切る地点で10m近く切り通されていた。斜面を下りると駐車場があり数台の車が止められていた。分断された尾根の続きに乗るには恐ろしく急な斜面を這い上がり稜線の西側を巻き気味に進む。登山地図でもこの区間は赤点線道となっており一寸危険。砥山(といしやま1,302m)が左手に谷を挟み大きく見えるので短縮隊が歩いているのではと比良山コール「ホ、ホホーイ」を試みるが帰って来るのはこだまばかり。女性3人組一体どこを歩いているのだろう。
長い浅間尾根もいよいよ終わり奥多摩主稜線に吸収された。1,249mの標高点で指導標にはマジック書きで戸沢峰と書き足されていた。此処からは2年前に歩いた道だが余り記憶に戻ってこない。そして砥山の登山道は北側を巻いているので短縮隊が山頂に寄ることは考えられない。御林山も登っただろうか? と考えながら歩いていると鞘口峠(さいぐちとうげ1,140m)に達した。時刻は12時40分、人里峠から3時間歩いた。2倍の速度で歩いているとしたら1時間30分のビハインドは取り戻せている筈。K藤さんは案外元気なのだろうか?
此処からは三頭山へ標高差390mの登りが始まった。標高が上がり終に雲の中に突入してしまい展望は何もなくなってしまった。檜原都民の森の遊歩道が蜘蛛の巣のようにあり、陽光の路やコマドリの路など名があるが何れも登山道とは別物のようだ。下山してくる人に「女性3人組を見なかったか?」と尋ねるが「見てないね」と言う。と言うことはもう避難小屋に着いているのだろうか? それとも・・・ と心配になってきた。三頭山が近づいて来たとき前方に見覚えのあるザックが動いている。「ホ、ホホーイ」、振り返った顔はK藤さんとI上さんだった。K島さんがいない。二人を置いて先に行ってしまったと言う。それでは女性3人組は見ない筈だ。しかも一行は人里ではなく、更に奥までバスに乗り浅間尾根登山口から数馬分岐に上がったと云う。山道8.4劼眞蚕未垢譴亟蔽韻膨匹ど佞筈はない! 言い方を変えれば未だ此処か! と云うことでやはりK藤さんは回復していなかった。
三頭山はその名の如く3つのピークを持つ山で、最高峰は中央峰の1,531m、次いで東峰(1,528m)、西峰(1,525m)と続く。東峰には展望台があり御前山や大岳山が見える筈で、3等三角点「三頭山」も設置されている。中央峰は主峰と云うだけで展望なし。御堂峠を挟んで西峰は東京都と山梨県の都県境で山梨百名山の標識が立っていた。山頂は広いが泥濘んで田圃状態、富士山や雲取山を始め石尾根、奥秩父の山々の展望が良い筈。東峰で亀島さんとも再会し記念写真を撮って今日の宿泊地の避難小屋へと長い階段を下って行った。
三頭山避難小屋はムシカリ峠の南20m程の処にあり、新しく綺麗で窓は二重サッシで隙間風はない。以前はストーブが置かれていたそうだが広すぎてこの季節は寒々しい。やがてK島さんの知人で昨年末の関西百名山シリーズ七種山にも来てくれた東京浅草橋在住のM森さんが都民の森からの最短コースで登って来た。歩荷してきた酒を飲んでウダウダしていると男性が一人入って来たが少し休憩して知らぬ間に出て行った。今日は我ら5人の貸切で早々と夕食を済ませ陽が落ちると急激に寒くなりシュラフに入り自由が奪われると6時には寝に付いた。
2日目(12/24): 三頭山・笹尾根・大羽根尾根 晴れ
未明に外に出てみると凄い星空、今日は行ける! 日の出は6:44。夜明け前に三頭山に登りご来光を見よう。という事で、6時20分に小屋を出発し東峰で日の出を待った。地平線に雲があり、太陽が顔を出したのは6時48分だった。太陽の出る方向にブナの大木があり冬枯れの隙間から拝んだ。三頭山と御前山、大岳山を合わせて奥多摩三山と称し東峰から三山の2峰を望むことが出来きた。西峰に進むと昨日は見えなかった富士山が優雅な姿を現し三ッ峠山と鹿留山を両翼に従え麓に富士吉田の街が広がるロケーションで、北の方には雲取山・石尾根の山々も望むことができた。昨日田圃状態だった山頂は完全に凍り全く不愉快さはない。
小屋に戻り小屋前からも富士山を拝み、予定通り出発、笹尾根を下ると直ぐに大沢山(1,482m)に達した。此処からも富士山の展望が良かった。この先は比較的なだらかな稜線で大きな登り返しもなく、K藤さんも辛さが少ないようだ。槙寄山との鞍部はクメケタワ(1,130m)で長い距離で緩やかに登り返した。槙寄山(1,188m)山頂は3等三角点「千軒平」があり展望も良い。御前山や富士山が望めるが権現山の稜線で富士の裾野が隠されてきた。東に下ると直ぐに西原峠(さいはらとうげ)で数馬への下山路が分岐した。
笹ヶタワ峰は縦走路が北側を巻いているので山頂にそれほど拘りのない人達は何の興味も示さず先に行ってしまったが、一人で稜線を辿った。Y本の持っている2008年の登山地図にはP1157の処に笹ヶタワ峰と書かれているが2012年版ではその先の仲ノ平への分岐の先にあるP1121の地点が笹ヶタワ峰とされている。さて本当はどちらということだがP1157には標識はなく、P1121に古い私製の標識が掲げられているが私製の標識ではどれほど信憑性があるか? ピーク性からするとP1157としたい。だが謎は深まるばかりだ。
このP1121を越えると大羽根山への分岐はすぐの筈、先頭のK島さんは随分先に行っている。左手に伸びる尾根に間違いない。標識はないが明瞭な道が北方向に分岐した。本来はP1121の直下で分れていたようだがここは南からの分岐のようだ。「ホ、ホホーイ」のコールで皆を呼び戻し、偵察してみるとやはり北からの道と合流しそこには大羽根山、浅間尾根登山口を示す指導標があった。歩き易い尾根で標高1,100mの地点で平坦な稜線となり木立の途切れから笹尾根では木が邪魔して見えなかった三頭山や砥山をしっかり見ることが出来た。大羽根山(992m)は尾根の張り出しの先端部の膨らみで上から来ると殆ど登ることなく達した。檜原街道、南秋川の谷間に張り出した大羽根山は浅間尾根から見るとそれなりの存在感がありそうだが見通せる地点はなかった。山頂からの展望は良く、三頭山を始め奥多摩三山がすべて望めて最後に大満足した。
大羽根尾根は登山地図には細点線道となっているが明瞭な登山道があり気持ち良く歩けた。10数人の高齢者集団とすれ違った。この集団とは帰りのバスでまた一緒になった。尾根の先端部は道が二途に分れ好奇心から別ルートを歩いたらもう登山口まで一緒になることはなかった。昨日短縮コースを取った皆はこの浅間尾根登山口からぐるりと一周したことになる。檜原街道を奥に歩き数馬の湯温泉センターへと向かった。帰りのバスまで2時間20分もありゆっくり入浴し昼食も食べて寛いだ。13時27分のバスに乗ると笛吹(うずしき)だったかで大羽根尾根で出合った高齢者グループが乗り込んで来た。後の席に座ったリーダーは早速日本酒を飲みだしその酒臭い口で話しかけられ閉口したがそこは山屋、話は盛り上がり、彼らは東京野歩路会(とうきょうのぼろうかい)のメンバーと知れた。この会90年の歴史を持つ会員数1,000人を超える会で都岳連に属し長谷恒カップの運営にも参加したそうだ。
東京に着くと復元された丸の内の東京駅舎を見て、明日の仕事が休めないK藤さんが新幹線で先に帰京し残り3人は“ムーンライトながら”で帰る。Y本の友人4人がJoinし、八重洲の居酒屋に入りクリスマス忘年会で時を過ごした。
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