記録ID: 731361
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ハイキング
奥武蔵
ウノタワ~大持山
2015年09月29日(火) [日帰り]


- GPS
- --:--
- 距離
- 13.1km
- 登り
- 1,064m
- 下り
- 1,054m
コースタイム
天候 | 晴/曇 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2015年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
帰り 「名郷」~「さわらびの湯」下車~「飯能」 http://transfer.navitime.biz/5931bus/pc/diagram/BusDiagram?orvCode=00021942&course=0001000507&stopNo=1 |
コース状況/ 危険箇所等 |
名郷バス停に公衆トイレ有り |
その他周辺情報 | さわらびの湯 3時間800円 http://sawarabino-yu.jp/access/access2.html |
写真
「ウノタワの伝説
昔ここは大きな沼になっていて山の神様の化身の鵜が住んでいた。この鵜を猟師が誤って射ってしまい死なせてしまった。
すると鵜もろとも沼は消滅してしまった。
ウノタワの地名は鵜の田(ウノタ)から来たもので、地元の人にはいまだにウノタの名称で親しまれている。」
昔ここは大きな沼になっていて山の神様の化身の鵜が住んでいた。この鵜を猟師が誤って射ってしまい死なせてしまった。
すると鵜もろとも沼は消滅してしまった。
ウノタワの地名は鵜の田(ウノタ)から来たもので、地元の人にはいまだにウノタの名称で親しまれている。」
峠に安置された地蔵。
妻坂峠は横瀬の「根古谷絹を江戸へ運ぶ秩父シルクロードとして栄えた峠」だったらしい。「鎌倉武士の鑑、畠山重忠が秩父から鎌倉に向かう時,愛妻と別れを惜しんだ峠」だそうだ。
妻坂峠は横瀬の「根古谷絹を江戸へ運ぶ秩父シルクロードとして栄えた峠」だったらしい。「鎌倉武士の鑑、畠山重忠が秩父から鎌倉に向かう時,愛妻と別れを惜しんだ峠」だそうだ。
名郷に到着。しずかな集落。「名郷木材」の建物もレトロ。
下記は引用
「・・・名郷銀座と呼ばれる界隈には、パチンコ屋が二軒、コップ酒の出る飲み屋が三軒位あった。 ここには名郷木材の職工や近辺の石灰の採掘に関わる人なども集まってきてにぎやかだった。
石灰の採掘は、白岩で戦前からはじまった。戦中、鋼管工業がこれを引継ぎ、その後一時 中断されたが戦後すぐに再開された。字山下にある新鋼工業は昭和三五~六年から開始。 鋼管は、名栗の人の他にも、吾野からも人が来て働いていた。坑内の採掘は吾野の人が携わっていた。
・・・白岩では、戦後も昭和三十年代まで、炭を焼いていた。・・・」
(『名栗村史研究 那栗郷 2』 2001年3月31日発行 名栗村史資料調査委員会)
下記は引用
「・・・名郷銀座と呼ばれる界隈には、パチンコ屋が二軒、コップ酒の出る飲み屋が三軒位あった。 ここには名郷木材の職工や近辺の石灰の採掘に関わる人なども集まってきてにぎやかだった。
石灰の採掘は、白岩で戦前からはじまった。戦中、鋼管工業がこれを引継ぎ、その後一時 中断されたが戦後すぐに再開された。字山下にある新鋼工業は昭和三五~六年から開始。 鋼管は、名栗の人の他にも、吾野からも人が来て働いていた。坑内の採掘は吾野の人が携わっていた。
・・・白岩では、戦後も昭和三十年代まで、炭を焼いていた。・・・」
(『名栗村史研究 那栗郷 2』 2001年3月31日発行 名栗村史資料調査委員会)
撮影機器:
感想
近場の奥武蔵でまだ歩いていない尾根の鳥首峠から大持山、妻坂峠を結ぶ周回コース。展望にも恵まれどんぐりが地面落ちる音が心地よい快適な稜線歩き。
ヤマレコでもしばしば登場するウノタワは不思議な空間であったが、白沢の廃村部落跡も不気味な空間で印象深かく、非日常的な世界に癒された山行であった。
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訪問者数:2122人
初めまして。
ogawawasiといいます。
noburekoさんの2時間後にウノタワにいた者です。
ウノタワは本当に不思議な空間ですね
やはりどんぐりの落ちる音を聞きながら、まるでトトロの森でもいるような錯覚に
浸ってました
また、紅葉でも見に行きたいですね。
お疲れ様でした。
名栗源流の山々は静かでいいですね。
紅葉か新緑の時期に又行こうと思っています。
お疲れ様でした!
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