10/3(木)。1週間前まで北海道にするか迷った末、青森から北海道を眺めることをテーマとし、直前に手配。始発のはやぶさ1号は満席だろうと思ったが、予想どおりダメ。接続の関係で次善はこの便。そう早起きせずにすむのでこの方が楽ではある。
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10/3 8:44
10/3(木)。1週間前まで北海道にするか迷った末、青森から北海道を眺めることをテーマとし、直前に手配。始発のはやぶさ1号は満席だろうと思ったが、予想どおりダメ。接続の関係で次善はこの便。そう早起きせずにすむのでこの方が楽ではある。
新青森駅にちょうど昼に着く。乗り換え時間は1時間もあるので、駅前の病院へ。治療するわけではない。
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10/3 12:20
新青森駅にちょうど昼に着く。乗り換え時間は1時間もあるので、駅前の病院へ。治療するわけではない。
病院の食堂がリーズナブルなのです。ブランニューという店。
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10/3 12:21
病院の食堂がリーズナブルなのです。ブランニューという店。
豚バラしょうが焼き定食。十和田バラ焼き定食と思えばよい。美味です。750円。
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10/3 12:27
豚バラしょうが焼き定食。十和田バラ焼き定食と思えばよい。美味です。750円。
新青森駅前公園のストーンサークル広場から見た新青森駅。三内丸山遺跡が近くにあるので、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」にあやかっているのだろう。しかし三内丸山遺跡は訪問済(巨大集落跡は驚異的です)。
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10/3 12:51
新青森駅前公園のストーンサークル広場から見た新青森駅。三内丸山遺跡が近くにあるので、世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」にあやかっているのだろう。しかし三内丸山遺跡は訪問済(巨大集落跡は驚異的です)。
今回の旅の第一目的は、この世界遺産でまだ行っていない遺跡を訪ねることだった。津軽線を北上する。1両編成だが乗客は多い。
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10/3 13:15
今回の旅の第一目的は、この世界遺産でまだ行っていない遺跡を訪ねることだった。津軽線を北上する。1両編成だが乗客は多い。
終着の蟹田駅。ここから先は、2022年8月の豪雨により運休中。そのまま廃線が決定されたという。まだ代行バスがあるうちにと来たわけ。
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10/3 14:06
終着の蟹田駅。ここから先は、2022年8月の豪雨により運休中。そのまま廃線が決定されたという。まだ代行バスがあるうちにと来たわけ。
代行バス(わんタク定期便-JR切符で乗れる)で大平(おおだい)駅へ。すでに廃線の気配が漂っていた。
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10/3 14:39
代行バス(わんタク定期便-JR切符で乗れる)で大平(おおだい)駅へ。すでに廃線の気配が漂っていた。
青函トンネルに続く海峡線(かつて在来特急が走っていた)も、大平駅の手前で分岐してしまうので、電化されていないし、もともと寂しい駅だったろうが。
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10/3 14:39
青函トンネルに続く海峡線(かつて在来特急が走っていた)も、大平駅の手前で分岐してしまうので、電化されていないし、もともと寂しい駅だったろうが。
しかし、まだ運休中で廃線にはなっていないので、時刻表と料金表は掲示されたまま。
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10/3 14:41
しかし、まだ運休中で廃線にはなっていないので、時刻表と料金表は掲示されたまま。
目的の縄文遺跡は大平駅のすぐ近くだ。お地蔵さん。白いお化粧は津軽っぽい。
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10/3 14:48
目的の縄文遺跡は大平駅のすぐ近くだ。お地蔵さん。白いお化粧は津軽っぽい。
世界遺産・大平山元遺跡。ここにもいらっしゃるお地蔵さんの方が気になってしまう。
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10/3 15:22
世界遺産・大平山元遺跡。ここにもいらっしゃるお地蔵さんの方が気になってしまう。
白い化粧に着物で着飾っている。津軽の特徴なのだろうか。分布域が気になる。
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10/3 15:22
白い化粧に着物で着飾っている。津軽の特徴なのだろうか。分布域が気になる。
立派なガイダンス施設、むーもん館がある。
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10/3 14:52
立派なガイダンス施設、むーもん館がある。
大平山元遺跡は、縄文草創期。最古級の土器(無文)が出た(1万5千年以上前)。かつ北海道と中部日本と密接な関係をもつ旧石器時代の石器が出た。
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10/3 14:56
大平山元遺跡は、縄文草創期。最古級の土器(無文)が出た(1万5千年以上前)。かつ北海道と中部日本と密接な関係をもつ旧石器時代の石器が出た。
旧石器時代の細石刃核。これから薄く石刃を削り取るわけだが、この岩は珪質頁岩で近くを流れる蟹田川で採取できるという。
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10/3 15:09
旧石器時代の細石刃核。これから薄く石刃を削り取るわけだが、この岩は珪質頁岩で近くを流れる蟹田川で採取できるという。
こうした旧石器(白)と土器片(茶)が広がって見つかった。ここで土器を使いながら石器を加工したりメンテしたりしていた。
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10/3 15:27
こうした旧石器(白)と土器片(茶)が広がって見つかった。ここで土器を使いながら石器を加工したりメンテしたりしていた。
大平山元遺跡は気ら靴泙任△蝓大平段丘に広く分布しているという(整備公開されているのは気里)。
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10/3 15:01
大平山元遺跡は気ら靴泙任△蝓大平段丘に広く分布しているという(整備公開されているのは気里)。
大平山元彊篝廚砲蓮八幡宮があり、、、
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10/3 15:36
大平山元彊篝廚砲蓮八幡宮があり、、、
遺跡には津軽線の線路も横切っている。すでに草ぼうぼうだ。ここは山元集落の中心部だが、家が散在しているものの、森と水田が多い台地である。旧石器・縄文人は、北海道と交流しながら、ここらを闊歩していたわけだ。
3
10/3 15:41
遺跡には津軽線の線路も横切っている。すでに草ぼうぼうだ。ここは山元集落の中心部だが、家が散在しているものの、森と水田が多い台地である。旧石器・縄文人は、北海道と交流しながら、ここらを闊歩していたわけだ。
集落は小さく、雨がぱらつく中、少し歩くと森林となった。蟹田川(支流の砂川沢)。ここに旧石器の材料となる珪質頁岩が採取されるわけだ。この岩は東北日本海側に多いらしい。
2
10/3 16:00
集落は小さく、雨がぱらつく中、少し歩くと森林となった。蟹田川(支流の砂川沢)。ここに旧石器の材料となる珪質頁岩が採取されるわけだ。この岩は東北日本海側に多いらしい。
すごい群生だ。イヌダテも群生していたが、こちらは綺麗だ。
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10/3 16:06
すごい群生だ。イヌダテも群生していたが、こちらは綺麗だ。
アキノウナギツカミだった。
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10/3 16:06
アキノウナギツカミだった。
こちらは白っぽい。葉を見ると、ミゾソバが多いようだ。
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10/3 16:06
こちらは白っぽい。葉を見ると、ミゾソバが多いようだ。
蟹田駅にバスで戻ると暗くなっていた。蟹田は大きな町。
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10/3 17:15
蟹田駅にバスで戻ると暗くなっていた。蟹田は大きな町。
青森駅に戻ってビジネスホテルへ。明日の天気は、大雨注意とTVが叫ぶ。台湾に猛威を振るった台風14号の影響だ。曇りのはずだったのに。慌てて代替案を探す。青森市に博物館が多くあるようだった。
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10/3 18:08
青森駅に戻ってビジネスホテルへ。明日の天気は、大雨注意とTVが叫ぶ。台湾に猛威を振るった台風14号の影響だ。曇りのはずだったのに。慌てて代替案を探す。青森市に博物館が多くあるようだった。
10/4(金)。朝方は大雨のようだったが小雨になったので計画通り蓬田駅へ。津軽線の途中の駅だ。ここから津軽半島を日本海まで一望できるという大倉岳に行ける。
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10/4 8:40
10/4(金)。朝方は大雨のようだったが小雨になったので計画通り蓬田駅へ。津軽線の途中の駅だ。ここから津軽半島を日本海まで一望できるという大倉岳に行ける。
右の方に見えるのが大倉岳かな。
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10/4 8:43
右の方に見えるのが大倉岳かな。
稲刈り直前の田んぼを行く。大倉岳への途中にある小館遺跡だけは見ておきたかった。
2
10/4 8:47
稲刈り直前の田んぼを行く。大倉岳への途中にある小館遺跡だけは見ておきたかった。
あの森のあたりが、小館遺跡だ。雨は降り続く。
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10/4 8:48
あの森のあたりが、小館遺跡だ。雨は降り続く。
あの道に行きたいのだが、水路があって渡れそうもない。一旦引き返して、、、
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10/4 8:51
あの道に行きたいのだが、水路があって渡れそうもない。一旦引き返して、、、
このあたりが小館遺跡だ。説明板はない。ここで土師器とともに擦文土器が大量に出土した。擦文土器とは北海道のアイヌにつながる土器。7世紀〜12世紀。北海道と津軽・下北の双方で擦文土器と土師器が発掘されている。両者が一体化されていたとは断言できないにしても、密接な繋がりがあったのだろう。
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10/4 8:57
このあたりが小館遺跡だ。説明板はない。ここで土師器とともに擦文土器が大量に出土した。擦文土器とは北海道のアイヌにつながる土器。7世紀〜12世紀。北海道と津軽・下北の双方で擦文土器と土師器が発掘されている。両者が一体化されていたとは断言できないにしても、密接な繋がりがあったのだろう。
近くにあった東屋(何のため?前に見えるのは平屋型アパートという感じ)で雨宿りしながら考える。津軽半島の先端の沿海部には17世紀の津軽藩文書では多くのアイヌ集落が記録されていたが、その痕跡はほとんど見つかっていないという(*1)。同化したと考えるのが普通だが、何かが起こったのかもしれない。もう一つ、大倉岳はどうするか。雨はやまない。
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10/4 9:02
近くにあった東屋(何のため?前に見えるのは平屋型アパートという感じ)で雨宿りしながら考える。津軽半島の先端の沿海部には17世紀の津軽藩文書では多くのアイヌ集落が記録されていたが、その痕跡はほとんど見つかっていないという(*1)。同化したと考えるのが普通だが、何かが起こったのかもしれない。もう一つ、大倉岳はどうするか。雨はやまない。
結局、大倉岳は断念した。津軽半島の展望は望めないし、雨のブナ林も面白いものではない(昨年の7月に雨を承知で梵珠山を登ったがそう楽しいものではなかった)。むしろ、前夜発見した、ここ青森市森林博物館が気になった。
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10/4 10:09
結局、大倉岳は断念した。津軽半島の展望は望めないし、雨のブナ林も面白いものではない(昨年の7月に雨を承知で梵珠山を登ったがそう楽しいものではなかった)。むしろ、前夜発見した、ここ青森市森林博物館が気になった。
森林博物館は全国各地にあるが、ここは特色があった。この種の博物館にしては来館者も多かった。いきなり木の化石。
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10/4 10:13
森林博物館は全国各地にあるが、ここは特色があった。この種の博物館にしては来館者も多かった。いきなり木の化石。
中新生とは約2,300万年前から約500万年前。ヒト科が誕生した頃だ。日本列島は熱帯だっんだね。
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10/4 10:13
中新生とは約2,300万年前から約500万年前。ヒト科が誕生した頃だ。日本列島は熱帯だっんだね。
そして、何故かスキー展示。
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10/4 10:31
そして、何故かスキー展示。
三浦雄一郎の出身地なのね(大昔、まだそう有名ではない頃にお話したことがある。クリエイティブに滑ろうという言葉が印象に残っている。私は全く上達せずスキーはやめたが)。
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10/4 10:32
三浦雄一郎の出身地なのね(大昔、まだそう有名ではない頃にお話したことがある。クリエイティブに滑ろうという言葉が印象に残っている。私は全く上達せずスキーはやめたが)。
むしろ、青森は、日本におけるスキーの先進地なわけだ。探検で、あるいは西洋から移入したということなんだ。アイヌはスキーは使わなかったのかな。
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10/4 10:33
むしろ、青森は、日本におけるスキーの先進地なわけだ。探検で、あるいは西洋から移入したということなんだ。アイヌはスキーは使わなかったのかな。
そして、ヒバ(ヒノキアスナロ)。例によって牧野富太郎が命名。
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10/4 10:35
そして、ヒバ(ヒノキアスナロ)。例によって牧野富太郎が命名。
ヒノキアスナロ(緑)は青森に多い。
2
10/4 10:36
ヒノキアスナロ(緑)は青森に多い。
それも、津軽半島と下北半島が中心だ。
2
10/4 10:38
それも、津軽半島と下北半島が中心だ。
へえ、こんなに捻じれるんだ。明日、恐山にヒノキアスナロ林があるようなので、探してみよう。
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10/4 10:36
へえ、こんなに捻じれるんだ。明日、恐山にヒノキアスナロ林があるようなので、探してみよう。
9月下旬って、ちょうど今。5年目の葉が落葉するんだ。これも確認しよう。
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10/4 10:37
9月下旬って、ちょうど今。5年目の葉が落葉するんだ。これも確認しよう。
津軽半島と下北半島の森林史は、ヒノキアスナロ史。奈良・吉野や近江のスギみたいなもんだな。中尊寺がヒノキアスナロで建てられ、弘前城のため大鰐の森が喪われたなんて。
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10/4 10:46
津軽半島と下北半島の森林史は、ヒノキアスナロ史。奈良・吉野や近江のスギみたいなもんだな。中尊寺がヒノキアスナロで建てられ、弘前城のため大鰐の森が喪われたなんて。
江戸時代に入ると、ヒノキアスナロ林は厳重な管理が
された。木曽ヒノキと同じだな。
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10/4 10:46
江戸時代に入ると、ヒノキアスナロ林は厳重な管理が
された。木曽ヒノキと同じだな。
伐採と禁止の繰り返しだ。弘前藩も南部藩も、ヒノキアスナロ林を守る必要がわかっていながらも、喪われる森がある。田名部(むつ市)の森が喪われたのもこの頃か。
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10/4 10:46
伐採と禁止の繰り返しだ。弘前藩も南部藩も、ヒノキアスナロ林を守る必要がわかっていながらも、喪われる森がある。田名部(むつ市)の森が喪われたのもこの頃か。
そして、明治に入って、わが国最初の森林鉄道。5万8千戸分のヒノキアスナロ丸太を運んだとは。昭和42年までつづいた。相当のヒノキアスナロ林が失われたことだろう。
2
10/4 11:20
そして、明治に入って、わが国最初の森林鉄道。5万8千戸分のヒノキアスナロ丸太を運んだとは。昭和42年までつづいた。相当のヒノキアスナロ林が失われたことだろう。
これが路線図。赤も青もだ。津軽半島に網の目のように張り巡らされている。
2
10/4 11:06
これが路線図。赤も青もだ。津軽半島に網の目のように張り巡らされている。
森林鉄道は客車も連結して人も運んだ。
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10/4 11:20
森林鉄道は客車も連結して人も運んだ。
森林博物館を出て沖館川を陸奥湾に向かって進む。このあたりにヒノキアスナロの集積地=貯木場があったという。この川の上流に三内丸山遺跡がある。ちなみに三内は、サンナイ、アイヌ語で「流れ出す川」という意味。
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10/4 11:31
森林博物館を出て沖館川を陸奥湾に向かって進む。このあたりにヒノキアスナロの集積地=貯木場があったという。この川の上流に三内丸山遺跡がある。ちなみに三内は、サンナイ、アイヌ語で「流れ出す川」という意味。
続いて、海に面した、あおもり北のまほろば歴史館。ここも青森市の博物館だ。ここも極めて特徴があった。
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10/4 11:45
続いて、海に面した、あおもり北のまほろば歴史館。ここも青森市の博物館だ。ここも極めて特徴があった。
旧石器から近代までひととおりの展示がある中で、異彩を放っていたのがこれ。船がたくさん並んでいるのである。
2
10/4 12:36
旧石器から近代までひととおりの展示がある中で、異彩を放っていたのがこれ。船がたくさん並んでいるのである。
ムダマハギという丸太舟から板合わせ舟へと変化する途中の型といい、東北北部と北海道に伝わる貴重な存在だという。ここでも、青森と北海道は同じ文化圏にあることが分かる。津軽海峡はヒトにとって障壁でも何でもないのかな。
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10/4 12:44
ムダマハギという丸太舟から板合わせ舟へと変化する途中の型といい、東北北部と北海道に伝わる貴重な存在だという。ここでも、青森と北海道は同じ文化圏にあることが分かる。津軽海峡はヒトにとって障壁でも何でもないのかな。
衣装のことは全然知らないのだが、刺しこ着という江戸後期か明治初期の庶民の着物があって、青森では、こぎん刺しという独特の模様が生みだされたという。
2
10/4 11:52
衣装のことは全然知らないのだが、刺しこ着という江戸後期か明治初期の庶民の着物があって、青森では、こぎん刺しという独特の模様が生みだされたという。
東こぎん、西こぎん、出紋こぎんとあって、たくさんのこぎん着物が展示されていた。
2
10/4 11:52
東こぎん、西こぎん、出紋こぎんとあって、たくさんのこぎん着物が展示されていた。
これは東こぎんなのだが、その隣に、、、。
2
10/4 11:55
これは東こぎんなのだが、その隣に、、、。
なんとこれは。先月、北海道アイヌ旅でたくさん見てきた、アットゥシだ(下)。上のは何だろう。
3
10/4 11:54
なんとこれは。先月、北海道アイヌ旅でたくさん見てきた、アットゥシだ(下)。上のは何だろう。
カパラミプとは「大幅の白布に切り抜きの模様を作り、木綿の生地に張りつけた衣服です。北海道大平洋岸の日高東部に多く見ることのできる木綿衣です。浦河の近く、静内あたりが発祥と言われ、時代も比較的新しく明治の中頃にはすでにつくられていました。カパラミプは現存するアイヌの衣服の中では最も多く残されています」(公益財団法人アイヌ民族文化財団 アイヌ生活文化再現マニュアル)。これが青森県で着られていた。庶民レベルで何らかの交流があったわけだ。
2
10/4 11:53
カパラミプとは「大幅の白布に切り抜きの模様を作り、木綿の生地に張りつけた衣服です。北海道大平洋岸の日高東部に多く見ることのできる木綿衣です。浦河の近く、静内あたりが発祥と言われ、時代も比較的新しく明治の中頃にはすでにつくられていました。カパラミプは現存するアイヌの衣服の中では最も多く残されています」(公益財団法人アイヌ民族文化財団 アイヌ生活文化再現マニュアル)。これが青森県で着られていた。庶民レベルで何らかの交流があったわけだ。
そして、青森大空襲。青森市市民センターに常設展示室があると案内されていた。なぜ青函連絡船が狙われたか、ここには書いてないが、このあと知ることになる。
2
10/4 12:53
そして、青森大空襲。青森市市民センターに常設展示室があると案内されていた。なぜ青函連絡船が狙われたか、ここには書いてないが、このあと知ることになる。
時間がだいぶ余ってしまったので、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸に行ってみた。あまり期待してはなかったのだが。。。
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10/4 13:45
時間がだいぶ余ってしまったので、青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸に行ってみた。あまり期待してはなかったのだが。。。
青函連絡船の歴史が詳しく紹介されていて、よく分かったのは、本州のどん詰まりの青森が何故発展したかというと、その先に北海道があったから。幌内-札幌の鉄道が早いのは幌内炭鉱があったから。石炭を始めとした物資を本州に効率的に運ぶことが、青函連絡船の大きな目的だったわけだ。
2
10/4 14:06
青函連絡船の歴史が詳しく紹介されていて、よく分かったのは、本州のどん詰まりの青森が何故発展したかというと、その先に北海道があったから。幌内-札幌の鉄道が早いのは幌内炭鉱があったから。石炭を始めとした物資を本州に効率的に運ぶことが、青函連絡船の大きな目的だったわけだ。
大正から昭和にかけて、石炭や食料を本土に運ぶ大動脈となったのが青函連絡船。そのための北海道開拓だったことがよくわかる。青森大空襲による青函連絡船の全滅は、その大動脈を断ち切るためだったわけだ。
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10/4 14:06
大正から昭和にかけて、石炭や食料を本土に運ぶ大動脈となったのが青函連絡船。そのための北海道開拓だったことがよくわかる。青森大空襲による青函連絡船の全滅は、その大動脈を断ち切るためだったわけだ。
そんな、明治以来の青函連絡船の歴史をビデオで流していた。
1
10/4 14:10
そんな、明治以来の青函連絡船の歴史をビデオで流していた。
あとで気づいたのだが、これが2時間の大長編。日本の経済発展を支えるという過去の栄光を称える感じで、技術的話題も多かったが、面白くで全部観てしまった。(YouTubeで見れる。「青函連絡船 栄光の航跡」)
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10/4 15:47
あとで気づいたのだが、これが2時間の大長編。日本の経済発展を支えるという過去の栄光を称える感じで、技術的話題も多かったが、面白くで全部観てしまった。(YouTubeで見れる。「青函連絡船 栄光の航跡」)
最後に青森駅ビルにある「あおもり縄文ステーション じょもじょも」に立ち寄った。三内丸山遺跡のパネル紹介が主で展示は少ないが、近年判明した研究成果が報告されていた。これは、縄文時代の北海道式石冠が青森県内でも見つかっていること。
1
10/4 16:47
最後に青森駅ビルにある「あおもり縄文ステーション じょもじょも」に立ち寄った。三内丸山遺跡のパネル紹介が主で展示は少ないが、近年判明した研究成果が報告されていた。これは、縄文時代の北海道式石冠が青森県内でも見つかっていること。
これは三内丸山遺跡の石斧の6割を占める緑色の産地が、日高の額平川流域のものだったと近年判明したこと。額平川とは沙流川の支流。アイヌコタンの二風谷のごく近くだ。
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10/4 16:46
これは三内丸山遺跡の石斧の6割を占める緑色の産地が、日高の額平川流域のものだったと近年判明したこと。額平川とは沙流川の支流。アイヌコタンの二風谷のごく近くだ。
そして、北海道のクリのDNA解析の結果、東北北部のクリが縄文人によって持ち込まれたことが分かった、とある。三内丸山遺跡ではクリは大きな食料源。栽培に近かったともいわれる。先月、札幌の野幌森林公園で立派な北限のクリを見てきたが、あれは東北の縄文人が持ち込んだんだ。
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10/4 16:48
そして、北海道のクリのDNA解析の結果、東北北部のクリが縄文人によって持ち込まれたことが分かった、とある。三内丸山遺跡ではクリは大きな食料源。栽培に近かったともいわれる。先月、札幌の野幌森林公園で立派な北限のクリを見てきたが、あれは東北の縄文人が持ち込んだんだ。
イカソースかつ丼を食べながら、青森から北海道を見る、という今回のテーマは期待薄だったが、意外な収穫を得たことを思い返す。旧石器から縄文までは、東北と北海道は密接な相互交流をしていた。庶民の間では江戸時代まで相互交流が続いたが、近代には北海道は本州への物資供給という一方的関係となった。青森はその結節点として栄えた。こういうことは関東からはなかなか見えない。[ここまでのログ・コースタイムは別掲します]
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10/4 18:52
イカソースかつ丼を食べながら、青森から北海道を見る、という今回のテーマは期待薄だったが、意外な収穫を得たことを思い返す。旧石器から縄文までは、東北と北海道は密接な相互交流をしていた。庶民の間では江戸時代まで相互交流が続いたが、近代には北海道は本州への物資供給という一方的関係となった。青森はその結節点として栄えた。こういうことは関東からはなかなか見えない。[ここまでのログ・コースタイムは別掲します]
10/5(金)。ここからログ・コースタイムを掲載。恐山第1日です。八戸で目覚める。今日はいい天気になりそうだ。(下北半島へは青森駅からより八戸駅からの方が近いので八戸に宿泊した)
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10/5 5:31
10/5(金)。ここからログ・コースタイムを掲載。恐山第1日です。八戸で目覚める。今日はいい天気になりそうだ。(下北半島へは青森駅からより八戸駅からの方が近いので八戸に宿泊した)
青い森鉄道で野辺地に向かう。
1
10/5 7:00
青い森鉄道で野辺地に向かう。
野辺地からの大湊線の車窓からは、風力発電がやけに多く見えた。
1
10/5 8:22
野辺地からの大湊線の車窓からは、風力発電がやけに多く見えた。
下北駅から、すく始発バスに乗り恐山へ。(当初は、付け足しのつもりだった恐山。)
1
10/5 9:48
下北駅から、すく始発バスに乗り恐山へ。(当初は、付け足しのつもりだった恐山。)
太鼓橋の手前でバスを降りる。満員の乗客で他に一人だけしか降りない。彼も三途の川を渡っていった。私は渡らずに大尽山に向かう。(宿が安かったのでよく考えずに大湊のホテルを2泊予約してしまったが、恐山は1日のつもりだった)
1
10/5 9:50
太鼓橋の手前でバスを降りる。満員の乗客で他に一人だけしか降りない。彼も三途の川を渡っていった。私は渡らずに大尽山に向かう。(宿が安かったのでよく考えずに大湊のホテルを2泊予約してしまったが、恐山は1日のつもりだった)
右がこれから登る大尽山、左が釜臥山。(しかし、よくよく調べて恐山3日間にした。今日の大尽山はバスの時間を考えると霊場までは無理なのだ→感想参照)
1
10/5 9:53
右がこれから登る大尽山、左が釜臥山。(しかし、よくよく調べて恐山3日間にした。今日の大尽山はバスの時間を考えると霊場までは無理なのだ→感想参照)
硫黄の匂いで一杯だ。(大尽山+釜臥山+古道よる霊場参拝の3日間だ)
3
10/5 9:54
硫黄の匂いで一杯だ。(大尽山+釜臥山+古道よる霊場参拝の3日間だ)
大尽山の駐車場は6台。地元らしきトラックが多い。お会いした方に聞くとちょうどキノコ狩りの季節なんだとか。
1
10/5 9:55
大尽山の駐車場は6台。地元らしきトラックが多い。お会いした方に聞くとちょうどキノコ狩りの季節なんだとか。
なので、今日は純粋登山+自然観察。ヒノキアスナロの森が保全されているのが嬉しい。ヒノキアスナロの樹自体は見たことあるが、その森は入ったことがない。
2
10/5 9:56
なので、今日は純粋登山+自然観察。ヒノキアスナロの森が保全されているのが嬉しい。ヒノキアスナロの樹自体は見たことあるが、その森は入ったことがない。
宇曽利山湖にはいくつもの沢が注いでいるが、ことごとく橋が壊れかかっている。
1
10/5 10:00
宇曽利山湖にはいくつもの沢が注いでいるが、ことごとく橋が壊れかかっている。
今日のコースタイムはらくルートの標準タイムを1時間短縮しないと終バスに間に合わない(9月までは遅くまでバスがあるのだが)。
1
10/5 10:01
今日のコースタイムはらくルートの標準タイムを1時間短縮しないと終バスに間に合わない(9月までは遅くまでバスがあるのだが)。
なので、余裕がないのだが、樹に注目してしまう。これは、サワグルミかヤチダモか。ヤチダモは珍しいのだ。
1
10/5 10:04
なので、余裕がないのだが、樹に注目してしまう。これは、サワグルミかヤチダモか。ヤチダモは珍しいのだ。
いずれも巨木になるので、葉がよく見えない。両者よく似ているのだ。
1
10/5 10:05
いずれも巨木になるので、葉がよく見えない。両者よく似ているのだ。
おや、ここは東北自然歩道なんだね。(霊場から大尽山の手前で林道に入り大湊に向かうルート。古道とは別。歩けるかどうかも不明)
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10/5 10:10
おや、ここは東北自然歩道なんだね。(霊場から大尽山の手前で林道に入り大湊に向かうルート。古道とは別。歩けるかどうかも不明)
意外にも宇曽利山湖は、終始殆ど見えない道。だが、沢が美しい。
1
10/5 10:14
意外にも宇曽利山湖は、終始殆ど見えない道。だが、沢が美しい。
この樹は、葉が近い。
1
10/5 10:15
この樹は、葉が近い。
うーん、これはサワグルミのようだ。葉の付け根が左右対称ではない。
1
10/5 10:15
うーん、これはサワグルミのようだ。葉の付け根が左右対称ではない。
壊れそうな橋。
1
10/5 10:21
壊れそうな橋。
ほお、酸性の湖か。水生植物は生えていた部分もあった。
1
10/5 10:24
ほお、酸性の湖か。水生植物は生えていた部分もあった。
トリカブト。エゾトリカブトに似ているが、青森には分布しない。オクトリカブトかな。
1
10/5 10:26
トリカブト。エゾトリカブトに似ているが、青森には分布しない。オクトリカブトかな。
ミドリヒョウモン。これはふつうに見られる。
1
10/5 10:26
ミドリヒョウモン。これはふつうに見られる。
湿原。宇曽利山湖の対岸に霊場があることを忘れらせられる。火山活動をしているのは霊場のあるごく一部だけなんだ。
1
10/5 10:27
湿原。宇曽利山湖の対岸に霊場があることを忘れらせられる。火山活動をしているのは霊場のあるごく一部だけなんだ。
カンボクの実。
2
10/5 10:31
カンボクの実。
カンボクは北日本・北海道に多い樹。
1
10/5 10:31
カンボクは北日本・北海道に多い樹。
ヤチダモの説明版があった。北日本・北海道に多い樹。
1
10/5 10:32
ヤチダモの説明版があった。北日本・北海道に多い樹。
看板の近くの樹。ヤチダモかな、よくわからない。やばい時間がなさそうなので、帰りにもう一回よく見よう。
1
10/5 10:32
看板の近くの樹。ヤチダモかな、よくわからない。やばい時間がなさそうなので、帰りにもう一回よく見よう。
トリカブトがたくさん。
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10/5 10:38
トリカブトがたくさん。
こういう風景は好きだな。
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10/5 10:40
こういう風景は好きだな。
チェックポイントの大尽山登山口。なんと標準時間と同じ。急ぎ足のつもりだったのに全然短縮できてない。かなり急がないとヤバい。
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10/5 10:47
チェックポイントの大尽山登山口。なんと標準時間と同じ。急ぎ足のつもりだったのに全然短縮できてない。かなり急がないとヤバい。
これは怖かった。
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10/5 10:54
これは怖かった。
すぐにヒバ(ヒノキアスナロ)が登場する。
1
10/5 10:56
すぐにヒバ(ヒノキアスナロ)が登場する。
しかし落葉に埋もれて道がよくわからず、何度も行ったり来たりしてしまう。そのうちにピンテが多く付いていることに気付く。ピンテに注目すれば問題なし。
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10/5 10:57
しかし落葉に埋もれて道がよくわからず、何度も行ったり来たりしてしまう。そのうちにピンテが多く付いていることに気付く。ピンテに注目すれば問題なし。
ピンテはかなり多いのだ。
1
10/5 10:59
ピンテはかなり多いのだ。
若いこの樹は恐らく、、、
1
10/5 11:05
若いこの樹は恐らく、、、
ヒノキアスナロですね。
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10/5 11:05
ヒノキアスナロですね。
このあたりはヒノキアスナロの純林だ。黒い森だね。
1
10/5 11:11
このあたりはヒノキアスナロの純林だ。黒い森だね。
ヒノキアスナロ林が続く。
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10/5 11:17
ヒノキアスナロ林が続く。
かなりの巨木もある。
2
10/5 11:38
かなりの巨木もある。
カバイロツルタケかな。きのこの同定は難しい。
2
10/5 11:38
カバイロツルタケかな。きのこの同定は難しい。
少し登るとヒノキアスナロの純林を抜ける。
1
10/5 11:44
少し登るとヒノキアスナロの純林を抜ける。
とたんにヤブが多くなる。ここは直進で突破。
1
10/5 11:54
とたんにヤブが多くなる。ここは直進で突破。
一体地蔵。一気に登ってきて少し時間を短縮できたようだ。
1
10/5 12:07
一体地蔵。一気に登ってきて少し時間を短縮できたようだ。
ベンチもあるし休憩しよう。
1
10/5 11:57
ベンチもあるし休憩しよう。
右が大尽、左に六体地蔵というのがあるようだ。
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10/5 11:58
右が大尽、左に六体地蔵というのがあるようだ。
この辺りの樹はブナが多いようだ。
1
10/5 12:07
この辺りの樹はブナが多いようだ。
ブナですね。実も付けている。
1
10/5 12:07
ブナですね。実も付けている。
ブナ林は、黄葉しかかっていて美しい。
1
10/5 12:11
ブナ林は、黄葉しかかっていて美しい。
いいね。
1
10/5 12:18
いいね。
こちらはヒノキアスナロも混ざっているようだ。
2
10/5 12:19
こちらはヒノキアスナロも混ざっているようだ。
おっ、ヒノキアスナロの落葉だ。昨日の森林博物館で5年目の葉と知った。
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10/5 12:20
おっ、ヒノキアスナロの落葉だ。昨日の森林博物館で5年目の葉と知った。
これはブナっぽい倒木に生えているので、ツキヨダケではないだろうか。光る茸。月山の夜の森で見せてもらったことがある。しかし毒キノコ。
1
10/5 12:27
これはブナっぽい倒木に生えているので、ツキヨダケではないだろうか。光る茸。月山の夜の森で見せてもらったことがある。しかし毒キノコ。
黄葉のブナ林の中で急登が始まる。
1
10/5 12:41
黄葉のブナ林の中で急登が始まる。
ヤブがひどい。ここは頭まで隠れるほどだった。
1
10/5 12:45
ヤブがひどい。ここは頭まで隠れるほどだった。
ナナカマドだろうな。
2
10/5 12:46
ナナカマドだろうな。
あともう一息か。
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10/5 12:49
あともう一息か。
山頂です。どかーんと360度の絶景です。ここで初めて見えるもんだから感動です。
5
10/5 12:49
山頂です。どかーんと360度の絶景です。ここで初めて見えるもんだから感動です。
絶好の天気でよく見えます。眼下には宇曽利山湖。カルデラ湖というのがよくわかる。対岸の白いのが霊場。この大尽山は外輪山のひとつ。太平洋も近いんだな。左の奥は北海道、恵山だろう。(写真は高解像度です)
4
10/5 12:50
絶好の天気でよく見えます。眼下には宇曽利山湖。カルデラ湖というのがよくわかる。対岸の白いのが霊場。この大尽山は外輪山のひとつ。太平洋も近いんだな。左の奥は北海道、恵山だろう。(写真は高解像度です)
少し左にパンして拡大。やはり正面奥が恵山だな。この山は登りたいです。
3
10/5 12:50
少し左にパンして拡大。やはり正面奥が恵山だな。この山は登りたいです。
さらに左にパン。津軽海峡越しに北海道だろう。遠くの高い山は何だろう。
2
10/5 12:50
さらに左にパン。津軽海峡越しに北海道だろう。遠くの高い山は何だろう。
拡大する。北海道のあのあたりの一番高い山は大千軒岳に違いない。となると手前の下北半島側の集落は福浦だろうか。
2
10/5 12:51
拡大する。北海道のあのあたりの一番高い山は大千軒岳に違いない。となると手前の下北半島側の集落は福浦だろうか。
さらに拡大。これ(左)が大千軒岳か。
3
10/5 12:59
さらに拡大。これ(左)が大千軒岳か。
さらに左へ。これは津軽半島の先端になると思う。高野崎かな。
2
10/5 12:59
さらに左へ。これは津軽半島の先端になると思う。高野崎かな。
拡大してみる。うーん。手前が高野崎だとすると、その奥が竜飛岬に続く尾根。だが、その奥がある。となると一番奥が竜飛岬で、真ん中が高野岬か。となると手前の島は何だろうか。根本的に違うのかも。
2
10/5 12:59
拡大してみる。うーん。手前が高野崎だとすると、その奥が竜飛岬に続く尾根。だが、その奥がある。となると一番奥が竜飛岬で、真ん中が高野岬か。となると手前の島は何だろうか。根本的に違うのかも。
さらに左へ。真後ろになる。左の山が釜臥山。右に見えるのが陸奥湾。対岸は下北半島。
2
10/5 12:59
さらに左へ。真後ろになる。左の山が釜臥山。右に見えるのが陸奥湾。対岸は下北半島。
釜臥山。
2
10/5 12:50
釜臥山。
少し左へ。尻屋崎。
2
10/5 12:50
少し左へ。尻屋崎。
尻屋崎のアップ。堪能しました。
3
10/5 12:52
尻屋崎のアップ。堪能しました。
下りましょう。樹や笹に掴まりながら、慎重に降りる。
2
10/5 13:11
下りましょう。樹や笹に掴まりながら、慎重に降りる。
急げ急げ。時間がない。
2
10/5 13:41
急げ急げ。時間がない。
とはいえヒノキアスナロを見上げる。
1
10/5 13:55
とはいえヒノキアスナロを見上げる。
捻じれたヒノキアスナロ。昨日の森林博物館で紹介されていた。Z巻?
1
10/5 14:11
捻じれたヒノキアスナロ。昨日の森林博物館で紹介されていた。Z巻?
登山口には計画より早く着いたので、少しのんびりする。イカリモンガ。蛾です。
1
10/5 14:41
登山口には計画より早く着いたので、少しのんびりする。イカリモンガ。蛾です。
ハナタデ。シロバナだな。
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10/5 14:45
ハナタデ。シロバナだな。
さて、これこそヤチダモではないだろうか。
2
10/5 14:54
さて、これこそヤチダモではないだろうか。
ヤチダモの特徴は、小葉の付け根に褐色の毛の塊があること。もっとふさふさしているはずなのだが、ヤチダモとしておこう。
1
10/5 14:53
ヤチダモの特徴は、小葉の付け根に褐色の毛の塊があること。もっとふさふさしているはずなのだが、ヤチダモとしておこう。
ヤマトキホコリ。
2
10/5 15:13
ヤマトキホコリ。
バスには余裕で間に合いました。時間があったので始発の恐山バス停。ただ霊場に行く時間はなく、今日は見向きもしない。明後日にまた来るのだ。
2
10/5 15:36
バスには余裕で間に合いました。時間があったので始発の恐山バス停。ただ霊場に行く時間はなく、今日は見向きもしない。明後日にまた来るのだ。
下北駅から大湊駅へ。大湊線の先端。
1
10/5 16:54
下北駅から大湊駅へ。大湊線の先端。
大湊駅。駅前のホテルに連泊です。
1
10/5 16:55
大湊駅。駅前のホテルに連泊です。
大湊で夕食。むかしなつかし食堂です。メニューも何も掲げてないが入ってみる。「食堂しなだ」。
3
10/5 17:40
大湊で夕食。むかしなつかし食堂です。メニューも何も掲げてないが入ってみる。「食堂しなだ」。
お婆さんが一人でやっているラーメン屋。
3
10/5 17:21
お婆さんが一人でやっているラーメン屋。
丁寧に作ってくれた。醤油ラーメン350円。
4
10/5 17:29
丁寧に作ってくれた。醤油ラーメン350円。
1万円札の両替のため入ったパン屋。ここコンビニより全然よかった。弁当や総菜を求める地元の方で大賑わい。
3
10/5 18:04
1万円札の両替のため入ったパン屋。ここコンビニより全然よかった。弁当や総菜を求める地元の方で大賑わい。
このトマト、写真では深さが分かんないけど、大量で、3日間折に触れて食べたんだけと食べきれず持ち帰りました。
3
10/5 18:51
このトマト、写真では深さが分かんないけど、大量で、3日間折に触れて食べたんだけと食べきれず持ち帰りました。
10/6(日)。恐山第2日です。今日は、釜臥山。ホテルの窓から見える山。この山は、恐山霊場の奥宮があるので外せないが、車で行けてしまうので計画外でした。しかし大湊側からのコースがあると知ったので組み入れた。
2
10/6 7:17
10/6(日)。恐山第2日です。今日は、釜臥山。ホテルの窓から見える山。この山は、恐山霊場の奥宮があるので外せないが、車で行けてしまうので計画外でした。しかし大湊側からのコースがあると知ったので組み入れた。
左上の釜臥山に、水源地公園から登れるのだ。ただ少しハードっぽいので、連泊中日で荷物を少なくできるのは好都合。
1
10/6 7:54
左上の釜臥山に、水源地公園から登れるのだ。ただ少しハードっぽいので、連泊中日で荷物を少なくできるのは好都合。
水源地公園にはいろいろ見所も多そうだ。
1
10/6 7:54
水源地公園にはいろいろ見所も多そうだ。
歩けば1時間ほどだが、バスの本数が多かったので活用。
2
10/6 8:07
歩けば1時間ほどだが、バスの本数が多かったので活用。
水源地公園。
1
10/6 8:12
水源地公園。
重要文化財。東北地方で最初に建設された近代水道施設。海軍が軍艦の水を確保するために整備したもの。海軍のことは帰りにまた触れよう。
2
10/6 8:19
重要文化財。東北地方で最初に建設された近代水道施設。海軍が軍艦の水を確保するために整備したもの。海軍のことは帰りにまた触れよう。
明治35年から43年にかけて建設。これは乙女槽。分岐送水施設。復元したもののようだ。
1
10/6 8:15
明治35年から43年にかけて建設。これは乙女槽。分岐送水施設。復元したもののようだ。
沈澄池堰堤。重力アーチ式石造堰堤が明治後期における石造河川構造物の技術水準を示すものとして重要であるとされる。
1
10/6 8:19
沈澄池堰堤。重力アーチ式石造堰堤が明治後期における石造河川構造物の技術水準を示すものとして重要であるとされる。
公園の先に登山口への道が続いている。林道かな。
1
10/6 8:21
公園の先に登山口への道が続いている。林道かな。
コウモリソウの仲間だが、何だろう。
1
10/6 8:29
コウモリソウの仲間だが、何だろう。
ムカゴがいっぱい。タマブキのようだ。関東以北に分布。
1
10/6 8:29
ムカゴがいっぱい。タマブキのようだ。関東以北に分布。
クロヒカゲ。普通種。
1
10/6 8:32
クロヒカゲ。普通種。
キノコをたくさん携えられていた。
1
10/6 8:42
キノコをたくさん携えられていた。
道標はないが、ここが登山口のようだ。ここからも広い歩きやすい道が続く。
1
10/6 8:44
道標はないが、ここが登山口のようだ。ここからも広い歩きやすい道が続く。
ミズナラの多い森。ヒノキアスナロは見当たらない。二次林かな。
1
10/6 8:52
ミズナラの多い森。ヒノキアスナロは見当たらない。二次林かな。
栗が落ちていた。
1
10/6 9:01
栗が落ちていた。
クリの樹ですね。
1
10/6 9:02
クリの樹ですね。
オオカメノキ。
1
10/6 9:04
オオカメノキ。
チゴユリ。
1
10/6 9:13
チゴユリ。
トチバニンジン。実が一つだけ残っていた。
2
10/6 9:17
トチバニンジン。実が一つだけ残っていた。
オヤマボクチ。ここは野草の花が多そうだ。
1
10/6 9:23
オヤマボクチ。ここは野草の花が多そうだ。
ミズナラのどんぐりかな。
1
10/6 9:33
ミズナラのどんぐりかな。
ミズナラが多い森だ。
1
10/6 9:31
ミズナラが多い森だ。
おっ、ウメバチソウ!
2
10/6 9:39
おっ、ウメバチソウ!
これは全国で見られるノアザミかな。
2
10/6 9:40
これは全国で見られるノアザミかな。
大して登った感じではないが、森を抜ける。七面山だ。左に見えるのが釜臥山。
1
10/6 9:41
大して登った感じではないが、森を抜ける。七面山だ。左に見えるのが釜臥山。
七面山の山頂です。
3
10/6 9:42
七面山の山頂です。
七面大明神が祀られていた。
2
10/6 9:43
七面大明神が祀られていた。
気持ちのいい場所です。
2
10/6 9:45
気持ちのいい場所です。
たくさん生えていたこの低木は何だろう。
1
10/6 9:55
たくさん生えていたこの低木は何だろう。
葉や目の様子、分布上は、ミヤマハンノキのようなのだが、、
1
10/6 9:55
葉や目の様子、分布上は、ミヤマハンノキのようなのだが、、
少し違う気もする。ミヤマハンノキは葉裏の脈に毛があるはずなのだ。
1
10/6 9:54
少し違う気もする。ミヤマハンノキは葉裏の脈に毛があるはずなのだ。
こちらのハイマツみたいなのは何だろう。
1
10/6 10:00
こちらのハイマツみたいなのは何だろう。
ヒノキアスナロですね。大きく育ったヒノキアスナロはなかった。ということは、伐採されたということかな。いずれヒノキアスナロ林になっていくのだろう。
2
10/6 9:59
ヒノキアスナロですね。大きく育ったヒノキアスナロはなかった。ということは、伐採されたということかな。いずれヒノキアスナロ林になっていくのだろう。
ここから岩が多くなっていく。
1
10/6 10:00
ここから岩が多くなっていく。
観音堂コース分岐。こちらから来るのが、信仰登山としては正道だが、情報が少なく自信がなかった。
1
10/6 10:03
観音堂コース分岐。こちらから来るのが、信仰登山としては正道だが、情報が少なく自信がなかった。
アキノキリンソウ。
1
10/6 10:07
アキノキリンソウ。
ニシキギ。
2
10/6 10:09
ニシキギ。
イヌヨモギ、とこの季節お馴染みさんが続く。
1
10/6 10:10
イヌヨモギ、とこの季節お馴染みさんが続く。
またオヤマボクチ。
1
10/6 10:14
またオヤマボクチ。
ツリバナ。
2
10/6 10:16
ツリバナ。
ブナが登場。
1
10/6 10:18
ブナが登場。
岩場が続き歩きにくい。結構な急登です。
1
10/6 10:37
岩場が続き歩きにくい。結構な急登です。
ハナヒリノキ。北日本に多い樹。
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10/6 10:43
ハナヒリノキ。北日本に多い樹。
ハナヒリノキの実。花は下向きらしい。
2
10/6 10:42
ハナヒリノキの実。花は下向きらしい。
岩場が続くが視界が開けてきた。
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10/6 10:46
岩場が続くが視界が開けてきた。
大湊の海上自衛隊基地が見えてきた。長く伸びた砂嘴、芦崎が自然の良港を形成している。
2
10/6 10:46
大湊の海上自衛隊基地が見えてきた。長く伸びた砂嘴、芦崎が自然の良港を形成している。
岩の急登は結構大変です。蓼科山を思い出す。
1
10/6 10:47
岩の急登は結構大変です。蓼科山を思い出す。
イヌツゲ。
1
10/6 10:48
イヌツゲ。
巨岩を見上げる。カメラに収め切らない。
1
10/6 10:54
巨岩を見上げる。カメラに収め切らない。
絶景です。
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10/6 10:55
絶景です。
海上自衛隊施設。
2
10/6 10:54
海上自衛隊施設。
秋に咲くのはヤマゼリ。
1
10/6 10:55
秋に咲くのはヤマゼリ。
ヤマゼリの葉。
1
10/6 10:55
ヤマゼリの葉。
ロープが助かる。
1
10/6 10:55
ロープが助かる。
何だこれ。
1
10/6 10:57
何だこれ。
降りるの怖そうだな。
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10/6 11:02
降りるの怖そうだな。
まだ続く。
1
10/6 11:03
まだ続く。
ヤマハハコ。
1
10/6 11:06
ヤマハハコ。
もうすぐ山頂ですね。荷物を軽くできて良かった。
1
10/6 11:08
もうすぐ山頂ですね。荷物を軽くできて良かった。
レーダーサイトがあり、車で来た観光客もたくさんいて、げんなりだが、、、
1
10/6 11:12
レーダーサイトがあり、車で来た観光客もたくさんいて、げんなりだが、、、
ここが釜臥山山頂。
3
10/6 11:10
ここが釜臥山山頂。
むつ市全域がよく見える。左奥が、尻屋崎。
4
10/6 11:10
むつ市全域がよく見える。左奥が、尻屋崎。
山頂は航空自衛隊の大きなレーダーサイトになっている。軍事用だ。もともと1954年にアメリカ空軍が対空レーダーを設置し、その後、自衛隊に移管されたという。
3
10/6 11:10
山頂は航空自衛隊の大きなレーダーサイトになっている。軍事用だ。もともと1954年にアメリカ空軍が対空レーダーを設置し、その後、自衛隊に移管されたという。
これが2011年に設置された新型のガメラレーダーだという。他に佐渡と鹿児島にあり、弾道ミサイルにも対応しているという。別にこれを見に来たわけではなく、、、
3
10/6 11:44
これが2011年に設置された新型のガメラレーダーだという。他に佐渡と鹿児島にあり、弾道ミサイルにも対応しているという。別にこれを見に来たわけではなく、、、
ガメラレーダーの手前に「恐山釜臥山嶽大明神 奥之院本地法身仏釈迦如来」とある。わかりにくいが、恐山霊場の恐山菩提寺の山号が釜臥山なので、恐山菩提寺の奥院として、釜臥山嶽大明神を祀ってあるという意味だろう。本地法身仏釈迦如来というのは、その本地仏を釈迦如来とするということ。つまり、恐山信仰による奥の院といわけだ。
3
10/6 11:09
ガメラレーダーの手前に「恐山釜臥山嶽大明神 奥之院本地法身仏釈迦如来」とある。わかりにくいが、恐山霊場の恐山菩提寺の山号が釜臥山なので、恐山菩提寺の奥院として、釜臥山嶽大明神を祀ってあるという意味だろう。本地法身仏釈迦如来というのは、その本地仏を釈迦如来とするということ。つまり、恐山信仰による奥の院といわけだ。
気になっていたのは、もう一つのこちら。兵主神社奥宮とある。兵主神社は麓の大湊にある。大湊には「山掛」という神事がありこの山へ信仰登山していたようだ。つまり、恐山信仰とは別に「釜臥山信仰」があったようなのだ。つまり、こちらは釜臥山信仰による奥の院なのだろう。
2
10/6 11:09
気になっていたのは、もう一つのこちら。兵主神社奥宮とある。兵主神社は麓の大湊にある。大湊には「山掛」という神事がありこの山へ信仰登山していたようだ。つまり、恐山信仰とは別に「釜臥山信仰」があったようなのだ。つまり、こちらは釜臥山信仰による奥の院なのだろう。
さて、ここからは宇曽利山湖はあまり見えない。
3
10/6 11:46
さて、ここからは宇曽利山湖はあまり見えない。
あそこの車で来れる釜臥山展望台からは、見えるのだろうか。
2
10/6 11:49
あそこの車で来れる釜臥山展望台からは、見えるのだろうか。
こちらには多くの人がいる。
1
10/6 11:55
こちらには多くの人がいる。
うーん、やっぱり半分しか見えない。宇曽利山湖を見るには大尽山がベストだな。
1
10/6 11:59
うーん、やっぱり半分しか見えない。宇曽利山湖を見るには大尽山がベストだな。
さて、戻りましょう。
1
10/6 12:14
さて、戻りましょう。
普通のアザミにしては葉が違う。
1
10/6 12:18
普通のアザミにしては葉が違う。
ダキバヒメアザミかな。東北ではふつうに見れるアザミだそうだ。
1
10/6 12:18
ダキバヒメアザミかな。東北ではふつうに見れるアザミだそうだ。
岩場を降りる。怖いです。
1
10/6 12:23
岩場を降りる。怖いです。
この山は、地質図によると更新世カラブリアン期の溶岩・火砕岩で安山岩に覆われている(大尽山も同じ)。カラブリアン期とは約146万年前〜約68万年前のことだ。外輪山と共にカルデラ湖(宇曽利山湖)も出来たのだろう。有史の噴火記録はないので休火山。
1
10/6 12:20
この山は、地質図によると更新世カラブリアン期の溶岩・火砕岩で安山岩に覆われている(大尽山も同じ)。カラブリアン期とは約146万年前〜約68万年前のことだ。外輪山と共にカルデラ湖(宇曽利山湖)も出来たのだろう。有史の噴火記録はないので休火山。
景色はいいんだけどな。
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10/6 12:28
景色はいいんだけどな。
第二ガレ場コースとある。いつくものコースがあるようだ。
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10/6 12:34
第二ガレ場コースとある。いつくものコースがあるようだ。
素直に来た道を戻る。
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10/6 12:46
素直に来た道を戻る。
七面山に戻ってきた。
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10/6 13:16
七面山に戻ってきた。
ここは気持ちいい。
2
10/6 13:17
ここは気持ちいい。
振り返って。釜臥山は二段構えになっている。上部は岩だらけの溶岩ドームだという。
3
10/6 13:22
振り返って。釜臥山は二段構えになっている。上部は岩だらけの溶岩ドームだという。
七面山からすぐにスキー場。
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10/6 13:23
七面山からすぐにスキー場。
スキー場を降りるのはつまんないです。(登るのはもっとつまんなそう)
2
10/6 13:26
スキー場を降りるのはつまんないです。(登るのはもっとつまんなそう)
これは、、、。ヒョウモンは種類が多くて難しいが、、、
1
10/6 13:32
これは、、、。ヒョウモンは種類が多くて難しいが、、、
幸い裏も見せてくれた。クモガタヒョウモンのようだ。ほぼ全国に分布するがやや稀のようだ。
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10/6 13:32
幸い裏も見せてくれた。クモガタヒョウモンのようだ。ほぼ全国に分布するがやや稀のようだ。
まあ、海を見ながら降りるのはいいもんだけど。
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10/6 13:37
まあ、海を見ながら降りるのはいいもんだけど。
また、クモガタヒョウモン。さっきのとは別の個体みたいだ。いずれも♀。
1
10/6 13:43
また、クモガタヒョウモン。さっきのとは別の個体みたいだ。いずれも♀。
スキー場入口に降りてきた。ここは市営(指定管理)みたいだ。
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10/6 14:02
スキー場入口に降りてきた。ここは市営(指定管理)みたいだ。
思ったより早く降りてこられたので、海上自衛隊の北洋館へ。
2
10/6 14:26
思ったより早く降りてこられたので、海上自衛隊の北洋館へ。
無料です。建物が貴重なんだね。
1
10/6 14:26
無料です。建物が貴重なんだね。
釜臥山の石が使われた。木造の時は、釜臥山のヒノキアスナロを使ったのだろうか。
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10/6 14:44
釜臥山の石が使われた。木造の時は、釜臥山のヒノキアスナロを使ったのだろうか。
中は、博物館となっている。歴代の海軍司令官の功績をたたえる展示が中心だが、まつわる歴史も少しわかった。
1
10/6 14:51
中は、博物館となっている。歴代の海軍司令官の功績をたたえる展示が中心だが、まつわる歴史も少しわかった。
ここは北海道を中心とした北方の海上防衛の拠点だったわけだ。自然の要塞とは、砂嘴で囲まれていることを指すのだろう。
1
10/6 14:30
ここは北海道を中心とした北方の海上防衛の拠点だったわけだ。自然の要塞とは、砂嘴で囲まれていることを指すのだろう。
北海道・南樺太・千島の防備を担った。
1
10/6 14:31
北海道・南樺太・千島の防備を担った。
興味を惹いたのは、千島に渡った郡司大尉。海軍を辞して、私設武装開拓団って。
2
10/6 14:47
興味を惹いたのは、千島に渡った郡司大尉。海軍を辞して、私設武装開拓団って。
斗南藩にまつわる歴史も紹介されていた。会津藩がこの地への移住を余儀なくされた斗南藩の史跡がむつ市の東側にあり、2022年12月に訪れたのだった。
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10/6 14:49
斗南藩にまつわる歴史も紹介されていた。会津藩がこの地への移住を余儀なくされた斗南藩の史跡がむつ市の東側にあり、2022年12月に訪れたのだった。
北洋館以外にも多くのスポットがあり巡ってみたが、立派な建物があるだけという感じ。その中では、歴史的建造物が保存されているのは、いいことだと思った。この建物は、、、
1
10/6 15:04
北洋館以外にも多くのスポットがあり巡ってみたが、立派な建物があるだけという感じ。その中では、歴史的建造物が保存されているのは、いいことだと思った。この建物は、、、
弐番館と名付けられているが、昔の士官官舎。
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10/6 15:04
弐番館と名付けられているが、昔の士官官舎。
ジオパークの説明版。ひととおり見て来たな。
1
10/6 14:58
ジオパークの説明版。ひととおり見て来たな。
大湊駅まで歩いて戻ろう。「おおみなと湧水群」といっておおみなと湧水群の湧水が至る所に出ていた。これは和戸の水とあった。
2
10/6 15:27
大湊駅まで歩いて戻ろう。「おおみなと湧水群」といっておおみなと湧水群の湧水が至る所に出ていた。これは和戸の水とあった。
海沿いを歩く。
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10/6 15:41
海沿いを歩く。
大湊の一本杉。
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10/6 15:44
大湊の一本杉。
兵主神社。釜臥山の山頂にあった兵主神社奥宮の里宮だ。
1
10/6 15:48
兵主神社。釜臥山の山頂にあった兵主神社奥宮の里宮だ。
兵主神社と上町稲荷神社が合祀されている。兵主神社は明治以降の名で、もともとは釜臥山下居大明神。菅江真澄が脇野沢から田名部に行く途中、神社前の道を通り、紀行文「奥の浦うら」に「釜臥山をまつる下居の宮がある」と記しているという。
1
10/6 15:50
兵主神社と上町稲荷神社が合祀されている。兵主神社は明治以降の名で、もともとは釜臥山下居大明神。菅江真澄が脇野沢から田名部に行く途中、神社前の道を通り、紀行文「奥の浦うら」に「釜臥山をまつる下居の宮がある」と記しているという。
中央に「山掛祭 奥宮例祭」とある。ヤマカケとは、釜臥山への登拝をいい、1657年には存在していたという。この地域一帯の信仰だったようだ。2003年の時点で、川守町のみがヤマカケをしていて、そのヤマカケでは兵主神社が一番格が高いのでここに集まってから登拝したという報告がある(*2)。
1
10/6 15:53
中央に「山掛祭 奥宮例祭」とある。ヤマカケとは、釜臥山への登拝をいい、1657年には存在していたという。この地域一帯の信仰だったようだ。2003年の時点で、川守町のみがヤマカケをしていて、そのヤマカケでは兵主神社が一番格が高いのでここに集まってから登拝したという報告がある(*2)。
兵主神社から海を眺める。もう「山掛祭 奥宮例祭」は行われていないのだろう。だが、海軍で栄えたこの町の前史、かつての姿が信仰という形で伝えられているわけだ。それにしても、ヤマカケはどのルートで釜臥山を登ったのだろうか。
1
10/6 15:51
兵主神社から海を眺める。もう「山掛祭 奥宮例祭」は行われていないのだろう。だが、海軍で栄えたこの町の前史、かつての姿が信仰という形で伝えられているわけだ。それにしても、ヤマカケはどのルートで釜臥山を登ったのだろうか。
5日間の津軽・下北の旅の最後の晩となるので、ホタテの味噌貝焼き定食。大湊駅の京華という居酒屋。定食もたくさんありました。
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10/6 18:06
5日間の津軽・下北の旅の最後の晩となるので、ホタテの味噌貝焼き定食。大湊駅の京華という居酒屋。定食もたくさんありました。
10/7(月)。恐山第3日です。旅としては5日目最終日。今日は一転、雨模様。恐山霊山への参拝のために大湊から古道を歩いて行きます。
2
10/7 7:28
10/7(月)。恐山第3日です。旅としては5日目最終日。今日は一転、雨模様。恐山霊山への参拝のために大湊から古道を歩いて行きます。
スタートは、常楽寺(真言宗豊山派)。恐山への参拝古道はいくつかあるが、そのうちの「大湊口ルート」。常楽寺が恐山とどうかかわるのか明確な資料は見つからなかった。恐山霊場の歴史は複雑でよく判っていないようだが、現在の菩提寺は、江戸時代に田名部の円通寺(曹洞宗)が再興したものだ(現在もそう)。だが、そもそも円仁が建立したと伝わるので、天台宗に属するのが筋だと17世紀に100年間に及ぶ両宗の抗争があった。天台宗側が争いに破れたときに、一時預かった寺としてここ常楽寺の名前が出てくる(*3)。円通寺は斗南藩の藩庁が置かれたほどの大きな寺、常楽寺も大湊の有数なお寺なんだろう。
1
10/7 7:49
スタートは、常楽寺(真言宗豊山派)。恐山への参拝古道はいくつかあるが、そのうちの「大湊口ルート」。常楽寺が恐山とどうかかわるのか明確な資料は見つからなかった。恐山霊場の歴史は複雑でよく判っていないようだが、現在の菩提寺は、江戸時代に田名部の円通寺(曹洞宗)が再興したものだ(現在もそう)。だが、そもそも円仁が建立したと伝わるので、天台宗に属するのが筋だと17世紀に100年間に及ぶ両宗の抗争があった。天台宗側が争いに破れたときに、一時預かった寺としてここ常楽寺の名前が出てくる(*3)。円通寺は斗南藩の藩庁が置かれたほどの大きな寺、常楽寺も大湊の有数なお寺なんだろう。
「大湊口ルート」には、33の観音石仏(密教の六観音)が並んでいて、ともあれ第一番の観音像が、ここ常楽寺にいらっしゃるのだ。こちらは如意輪観音です。これらの観音像は、1861年に開催された開山一千年祭を記念して建立されたもので、安渡村(むつ市大湊)の信者たちや下北のヒバや海産物で利益を上げた商人たちが奉納したと伝えられているという。(*4)
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10/7 7:51
「大湊口ルート」には、33の観音石仏(密教の六観音)が並んでいて、ともあれ第一番の観音像が、ここ常楽寺にいらっしゃるのだ。こちらは如意輪観音です。これらの観音像は、1861年に開催された開山一千年祭を記念して建立されたもので、安渡村(むつ市大湊)の信者たちや下北のヒバや海産物で利益を上げた商人たちが奉納したと伝えられているという。(*4)
確かに第壱番とある。上の「西国」というのは、観音巡りと言えば、西国三十三所巡礼なので、それに倣ってのことだろうか。他の観音像には、西国という記載はなかったように思う。
1
10/7 7:51
確かに第壱番とある。上の「西国」というのは、観音巡りと言えば、西国三十三所巡礼なので、それに倣ってのことだろうか。他の観音像には、西国という記載はなかったように思う。
常楽寺を出発します。
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10/7 7:51
常楽寺を出発します。
これは、一昨晩にラーメンを頂いた食堂しなださんだ。夜で判らなかったが、建物は綺麗だね。
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10/7 7:57
これは、一昨晩にラーメンを頂いた食堂しなださんだ。夜で判らなかったが、建物は綺麗だね。
近川稲荷神社。
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10/7 8:02
近川稲荷神社。
ここに第二番の観音様。
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10/7 8:02
ここに第二番の観音様。
この神社にも湧水だ。
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10/7 8:03
この神社にも湧水だ。
さらに三山水に、、、
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10/7 8:05
さらに三山水に、、、
蕩蕩水。
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10/7 8:07
蕩蕩水。
斗南藩士上陸の地とある交差点を左折。(斗南藩士上陸の地は、2022年12月に訪れた)
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10/7 8:15
斗南藩士上陸の地とある交差点を左折。(斗南藩士上陸の地は、2022年12月に訪れた)
この交差点に第三番。
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10/7 8:16
この交差点に第三番。
さらに進むと第四番。
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10/7 8:21
さらに進むと第四番。
そして、運動公園の交差点に第五番だ。
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10/7 8:31
そして、運動公園の交差点に第五番だ。
2022年12月に訪れた時に、これを見てこの参道のことを知ったのだ。三十三観音のことは知らなかった。
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12/3 8:41
2022年12月に訪れた時に、これを見てこの参道のことを知ったのだ。三十三観音のことは知らなかった。
このカーブに第六番。
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10/7 8:36
このカーブに第六番。
第七番は道から見えない。
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10/7 8:42
第七番は道から見えない。
奥まったところに第七番。上にある樹は何だろう。
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10/7 8:42
奥まったところに第七番。上にある樹は何だろう。
ヤマグワでした。
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10/7 8:43
ヤマグワでした。
右へ旧道を入ります。
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10/7 8:48
右へ旧道を入ります。
ロープ張ってあるけど、、、
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10/7 8:49
ロープ張ってあるけど、、、
第八番。
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10/7 8:49
第八番。
第三番から第八番を、左上→右上→左下の順に並べた。第三から第六が千手観音、第七が聖観音、第八が十一面観音
2024年10月11日 20:58撮影
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10/11 20:58
第三番から第八番を、左上→右上→左下の順に並べた。第三から第六が千手観音、第七が聖観音、第八が十一面観音
右へ行くと矢立温泉。ここは直進する。左手に第九番です。
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10/7 8:53
右へ行くと矢立温泉。ここは直進する。左手に第九番です。
ここから集落をはずれ山に入ります。杉林ですね。
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10/7 8:58
ここから集落をはずれ山に入ります。杉林ですね。
冬季通行止めとなるようだ。
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10/7 9:07
冬季通行止めとなるようだ。
この間長かったが、第十番
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10/7 9:11
この間長かったが、第十番
ノブドウ。
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10/7 9:12
ノブドウ。
右側の展望が開ける。
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10/7 9:16
右側の展望が開ける。
ノハラアザミかな。青森県,秋田県〜長野県,愛知県に分布するという。
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10/7 9:18
ノハラアザミかな。青森県,秋田県〜長野県,愛知県に分布するという。
雨が降ってきた。
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10/7 9:19
雨が降ってきた。
次が、判りにくい。左の奥まったところにいらっしゃる。ここは引き返して探してしまった。
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10/7 9:22
次が、判りにくい。左の奥まったところにいらっしゃる。ここは引き返して探してしまった。
第十一番。
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10/7 9:22
第十一番。
第十ニ番は、大きなアカマツと東屋のところ。雨宿り休憩です。
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10/7 9:38
第十ニ番は、大きなアカマツと東屋のところ。雨宿り休憩です。
釜臥山だな。
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10/7 9:40
釜臥山だな。
右側に第十三番。
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10/7 9:45
右側に第十三番。
次の第十四番はうっかり通り過ぎてしまって、引き返した。
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10/7 10:00
次の第十四番はうっかり通り過ぎてしまって、引き返した。
第十四番。右端にいらっしゃる。真ん中はお地蔵さん。下北一円に分布し,比較的高齢者層の女性の集りであるためババ講と呼ばれた地蔵講が恐山を詣でたという(*3)ので、その関係もあるかもしれない。このあと、お地蔵さんも多く見かけた。
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10/7 10:01
第十四番。右端にいらっしゃる。真ん中はお地蔵さん。下北一円に分布し,比較的高齢者層の女性の集りであるためババ講と呼ばれた地蔵講が恐山を詣でたという(*3)ので、その関係もあるかもしれない。このあと、お地蔵さんも多く見かけた。
第九番から第十四番。順に、不空羂索観音、聖観音、千手観音、千手観音、聖観音、如意輪観音。
2024年10月11日 20:58撮影
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10/11 20:58
第九番から第十四番。順に、不空羂索観音、聖観音、千手観音、千手観音、聖観音、如意輪観音。
車道は右にカープしているが、左の林道に入る。距離的には近道となる。
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10/7 10:07
車道は右にカープしているが、左の林道に入る。距離的には近道となる。
ここらは国有林だ。だから車道をつくれなかったのかも。
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10/7 10:08
ここらは国有林だ。だから車道をつくれなかったのかも。
第十五番。
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10/7 10:08
第十五番。
ここの森はスギだ。植林だろう。
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10/7 10:09
ここの森はスギだ。植林だろう。
これは何の実だろう。
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10/7 10:09
これは何の実だろう。
コバギボウシ(小葉擬宝珠)のようだ。擬宝珠なんて、石仏にふさわしい。誰かが植えたのだろうか。
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10/7 10:09
コバギボウシ(小葉擬宝珠)のようだ。擬宝珠なんて、石仏にふさわしい。誰かが植えたのだろうか。
ここから山に入る。ピンテがあった。
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10/7 10:11
ここから山に入る。ピンテがあった。
地形図に出ていないかったので心配していたが、しっかりした踏み跡がある。
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10/7 10:12
地形図に出ていないかったので心配していたが、しっかりした踏み跡がある。
しかしこの森はスギ。
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10/7 10:14
しかしこの森はスギ。
第十六番。
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10/7 10:15
第十六番。
刺がないから、ツルアリドオシ。青森ではよく見かける。
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10/7 10:18
刺がないから、ツルアリドオシ。青森ではよく見かける。
雨の中のこういう道はつらいところがある。
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10/7 10:22
雨の中のこういう道はつらいところがある。
数百メートルで抜けた。
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10/7 10:25
数百メートルで抜けた。
合流地点には標識。見にくいが「大湊方面」とある。
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10/7 10:26
合流地点には標識。見にくいが「大湊方面」とある。
ここからはバス通り。
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10/7 10:26
ここからはバス通り。
第十七番。
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10/7 10:26
第十七番。
第十八番。
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10/7 10:30
第十八番。
第十九番。
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10/7 10:40
第十九番。
「優良観察林」とあった。
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10/7 10:40
「優良観察林」とあった。
でもこれって、スギの人工林だな。
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10/7 10:41
でもこれって、スギの人工林だな。
第二十番。
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10/7 10:44
第二十番。
第二十番は右側。ここもお地蔵さんと並んでいる。
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10/7 10:44
第二十番は右側。ここもお地蔵さんと並んでいる。
第十五番から第二十番。聖観音、千手観音、聖観音、如意輪観音、千手観音、千手観音。
2024年10月11日 20:58撮影
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10/11 20:58
第十五番から第二十番。聖観音、千手観音、聖観音、如意輪観音、千手観音、千手観音。
第二十一番は一本杉のそばのはず。あれが一本杉だな。
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10/7 10:47
第二十一番は一本杉のそばのはず。あれが一本杉だな。
一本杉。旧大湊分というのは、どういう意味なんだろうか。
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10/7 10:48
一本杉。旧大湊分というのは、どういう意味なんだろうか。
一本杉の根元との石仏は壊れていた。いや、、、
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10/7 10:48
一本杉の根元との石仏は壊れていた。いや、、、
すぐ先に、第二十一番がいらっしゃった。さっきのはお地蔵さんだったか。
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10/7 10:49
すぐ先に、第二十一番がいらっしゃった。さっきのはお地蔵さんだったか。
これはもしや。ヒノキアスナロの稚樹です。
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10/7 10:50
これはもしや。ヒノキアスナロの稚樹です。
ここから、ヒノキアスナロ林となった。
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10/7 10:51
ここから、ヒノキアスナロ林となった。
サラシナショウマ。
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10/7 10:59
サラシナショウマ。
第二十ニ番。
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10/7 11:03
第二十ニ番。
冷水です。この湧き水は、遠い昔から恐山へ参拝する人々の喉を潤す役目を負っていたそうだ。霊験あらたかな水とのこと。ここに、第二十三番。
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10/7 11:09
冷水です。この湧き水は、遠い昔から恐山へ参拝する人々の喉を潤す役目を負っていたそうだ。霊験あらたかな水とのこと。ここに、第二十三番。
ここには、トイレもある。休憩しよう。雨は相変わらず降っている。
2
10/7 11:11
ここには、トイレもある。休憩しよう。雨は相変わらず降っている。
第二十四番。
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10/7 11:26
第二十四番。
立派なヒノキアスナロ。
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10/7 11:27
立派なヒノキアスナロ。
第二十五番。だんだん飽きてきた。
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10/7 11:34
第二十五番。だんだん飽きてきた。
左が、釜臥山展望台への車道。ここを歩いていったら大変だな。
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10/7 11:41
左が、釜臥山展望台への車道。ここを歩いていったら大変だな。
ここから一気に下る。左奥に第二十六番。
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10/7 11:42
ここから一気に下る。左奥に第二十六番。
第二十番から第二十六番。聖観音、千手観音、千手観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音
2024年10月11日 20:59撮影
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10/11 20:59
第二十番から第二十六番。聖観音、千手観音、千手観音、十一面観音、千手観音、如意輪観音
第二十七番。
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10/7 11:48
第二十七番。
山門だ。
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10/7 11:51
山門だ。
霊場恐山とある。
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10/7 11:51
霊場恐山とある。
第二十八番。
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10/7 11:53
第二十八番。
第二十九番。
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10/7 12:10
第二十九番。
第三十番。
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10/7 12:16
第三十番。
宇曽利山湖に出てきた。
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10/7 12:21
宇曽利山湖に出てきた。
今日は、釜臥山も大尽山も雲に隠れている。
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10/7 12:21
今日は、釜臥山も大尽山も雲に隠れている。
第三十一番。
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10/7 12:22
第三十一番。
太鼓橋だ。三途の川を渡って、、、
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10/7 12:26
太鼓橋だ。三途の川を渡って、、、
第三十ニ番。残るは、あと一つ、第三十三番だけだ。
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10/7 12:55
第三十ニ番。残るは、あと一つ、第三十三番だけだ。
第二十七番から第三十ニ番。如意輪観音、聖観音、馬頭観音、千手観音、聖観音、千手観音。
2024年10月11日 20:59撮影
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10/11 20:59
第二十七番から第三十ニ番。如意輪観音、聖観音、馬頭観音、千手観音、聖観音、千手観音。
恐山菩提寺に着きました。
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10/7 13:03
恐山菩提寺に着きました。
総門にある説明板「恐山奥の院」は、難解だ。ここはもちろん奥の院ではない。2つの奥の院があるので、本尊である地蔵菩薩(ここの地蔵堂)と、第一の奥の院である地蔵山の不動明王(地蔵堂の裏にある)と、第二の奥の院である釜臥山嶽大明神が三位一体なので、参拝者はこれら三聖地をお参りしなさい、と読める。とはいっても、第二の奥の院は釜臥山の山頂にあるのだ。(だからこそ昨日釜臥山に登ったのだが)
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10/7 13:02
総門にある説明板「恐山奥の院」は、難解だ。ここはもちろん奥の院ではない。2つの奥の院があるので、本尊である地蔵菩薩(ここの地蔵堂)と、第一の奥の院である地蔵山の不動明王(地蔵堂の裏にある)と、第二の奥の院である釜臥山嶽大明神が三位一体なので、参拝者はこれら三聖地をお参りしなさい、と読める。とはいっても、第二の奥の院は釜臥山の山頂にあるのだ。(だからこそ昨日釜臥山に登ったのだが)
恐山は「比叡山」「高野山」とともに日本三霊山と呼ばれるが、他の二つとは性格が違うようだ。どうも歴史すらあまり明らかではない。写真はバス停の休憩所にあったもので、菅江真澄が5回も訪れたほどだから江戸時代には霊場として有名だったことは確かだ。しかし中世には修験の山として栄えていたようだが、断片的な伝承しか残っておらず、辿れるのは江戸時代以降だという(*3)。
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10/7 12:59
恐山は「比叡山」「高野山」とともに日本三霊山と呼ばれるが、他の二つとは性格が違うようだ。どうも歴史すらあまり明らかではない。写真はバス停の休憩所にあったもので、菅江真澄が5回も訪れたほどだから江戸時代には霊場として有名だったことは確かだ。しかし中世には修験の山として栄えていたようだが、断片的な伝承しか残っておらず、辿れるのは江戸時代以降だという(*3)。
本堂に「イタコの口寄せ」の表示があって、寺公認なんだろう。だが、ここ恐山菩提寺院代の南直哉(禅僧)さんは、「大量のイタコが集まるようになったのが、昭和30年くらいだということです。それ以前は、いませんでした」。当時の観光ブームで「イタコさんと秘境としての下北半島・恐山がワンセットになり」「イタコさんも出張営業にやってくる。言い方は悪いかもしれませんが、縁日の出店みたいな感じです」と語っている。そもそも「恐山の信仰における教義とかがない。だから好きに拝みもできた。昔からそうやって作ってきた場所なんです」「なるべく自由にさせたいんです」(*5)。曹洞宗ってこともあるだろうけど、自由な拝み方を許してきたことにより独特な霊場となったようだ。
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10/7 13:28
本堂に「イタコの口寄せ」の表示があって、寺公認なんだろう。だが、ここ恐山菩提寺院代の南直哉(禅僧)さんは、「大量のイタコが集まるようになったのが、昭和30年くらいだということです。それ以前は、いませんでした」。当時の観光ブームで「イタコさんと秘境としての下北半島・恐山がワンセットになり」「イタコさんも出張営業にやってくる。言い方は悪いかもしれませんが、縁日の出店みたいな感じです」と語っている。そもそも「恐山の信仰における教義とかがない。だから好きに拝みもできた。昔からそうやって作ってきた場所なんです」「なるべく自由にさせたいんです」(*5)。曹洞宗ってこともあるだろうけど、自由な拝み方を許してきたことにより独特な霊場となったようだ。
まずは参拝しよう。地蔵堂に向かう。
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10/7 13:03
まずは参拝しよう。地蔵堂に向かう。
地蔵堂を参拝する。
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10/7 13:09
地蔵堂を参拝する。
地蔵堂の横に、三十三番目の観音様がいらっしゃる。写真の左端だ。
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10/7 13:11
地蔵堂の横に、三十三番目の観音様がいらっしゃる。写真の左端だ。
三十三番。聖観音。これで、第一番から第三十三迄まですべての観音様を参拝できた。
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10/7 13:12
三十三番。聖観音。これで、第一番から第三十三迄まですべての観音様を参拝できた。
残るは、地蔵山だ。すぐ登れて、第一の奥の院である地蔵山の不動明王。昨日の第二の奥の院(釜臥山の山頂)を含めて、恐山三聖地をすべて参拝できた。
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10/7 13:19
残るは、地蔵山だ。すぐ登れて、第一の奥の院である地蔵山の不動明王。昨日の第二の奥の院(釜臥山の山頂)を含めて、恐山三聖地をすべて参拝できた。
恐山霊場は広くて、そして不思議な場だ。境内という感じではない。信仰と全く無関係に自然観察の場としての姿も示す。こんなハイキングコース並みの道があったり、、、
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10/7 13:41
恐山霊場は広くて、そして不思議な場だ。境内という感じではない。信仰と全く無関係に自然観察の場としての姿も示す。こんなハイキングコース並みの道があったり、、、
イソツツジが咲いていたり。(イソツツジは北海道と東北の亜高山帯・高山帯または硫気荒原に咲く。なので自生だと思う)
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10/7 14:00
イソツツジが咲いていたり。(イソツツジは北海道と東北の亜高山帯・高山帯または硫気荒原に咲く。なので自生だと思う)
火山岩の岩屑なだれ堆積物という地質が拡がっていたり。
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10/7 14:27
火山岩の岩屑なだれ堆積物という地質が拡がっていたり。
宇曽利山湖の水の2段のブルーと白い砂浜のコントラスト。(雨でこれなんだからな。)
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10/7 13:44
宇曽利山湖の水の2段のブルーと白い砂浜のコントラスト。(雨でこれなんだからな。)
さらに、宇曽利山湖のむこうの大尽山の景色、などなどとても霊場とは思えない。
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10/7 13:42
さらに、宇曽利山湖のむこうの大尽山の景色、などなどとても霊場とは思えない。
ところが、こうした自然の風景の中に死者を供養する風車が並び、、、(水子供養と言われる)
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10/7 13:55
ところが、こうした自然の風景の中に死者を供養する風車が並び、、、(水子供養と言われる)
白い浜は、極楽浜と名付けられ、、、
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10/7 14:08
白い浜は、極楽浜と名付けられ、、、
火山岩の岩屑なだれ堆積物は、地獄と名付けられる。
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10/7 13:39
火山岩の岩屑なだれ堆積物は、地獄と名付けられる。
ここは、まさに死者の国。
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10/7 14:29
ここは、まさに死者の国。
供養のための塔や仏像が、視界に必ず入る。
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10/7 13:13
供養のための塔や仏像が、視界に必ず入る。
死者に会いに人がやってくる。
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10/7 14:24
死者に会いに人がやってくる。
手ぬぐいは死者の道しるべというから、ピンテみたいなものか。誰が始めたともなく死者の国になっていった。
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10/7 14:02
手ぬぐいは死者の道しるべというから、ピンテみたいなものか。誰が始めたともなく死者の国になっていった。
そして、温泉小屋。古滝の湯、冷抜の湯、薬師の湯、花染めの湯と4つの小屋があちこちにある。これは一番奥にある花染めの湯。
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10/7 14:36
そして、温泉小屋。古滝の湯、冷抜の湯、薬師の湯、花染めの湯と4つの小屋があちこちにある。これは一番奥にある花染めの湯。
ここは「混浴」となっていた。(男性・女性といろいろあって、よく変わるみたいだ。管理人らしき人もおらず、自由に入浴させているところに恐山らしさを感じた)
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10/7 14:55
ここは「混浴」となっていた。(男性・女性といろいろあって、よく変わるみたいだ。管理人らしき人もおらず、自由に入浴させているところに恐山らしさを感じた)
誰もいない。白濁の硫黄湯。ぬるめだがポカポカ温まった。本当は、参拝前に清めるべきなんだろうが、5日間の旅の疲れを癒した。
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10/7 14:50
誰もいない。白濁の硫黄湯。ぬるめだがポカポカ温まった。本当は、参拝前に清めるべきなんだろうが、5日間の旅の疲れを癒した。
あとは、まっすぐ帰るだけ。津軽・下北を満喫した旅でした。(写真は前々日のもの)
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10/5 16:34
あとは、まっすぐ帰るだけ。津軽・下北を満喫した旅でした。(写真は前々日のもの)
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