《甲府北山》コミュバス入山。茅ヶ岳、金ヶ岳、獅子吼城
- GPS
- --:--
- 距離
- 18.6km
- 登り
- 1,379m
- 下り
- 1,462m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
|
コース状況/ 危険箇所等 |
雪、全くなし。炊事用程度には残っていますが。 アイゼンピッケル、軽登山靴は持って行ったけど不要で運んだだけでした。地下足袋で十分。 |
写真
装備
個人装備 |
スパイク地下足袋。ノコ
アイゼン+軽登山靴+ピッケル
その他冬山個人装備
|
---|---|
共同装備 |
ツエルト
|
感想
太刀岡山からの一周縦走で金ヶ岳にと思っていたけど、チャンスがないまま4年が過ぎた。いつまでも甲府に居られるわけでもないので、日帰りで、でも前後に山麓集落と古城を絡めて、充実の計画を貫徹した。
家からバイクで竜王駅まで10分。汽車で10分200円で韮崎、タウンコーチバスで終点まで15分で100円。とても近い近所の山なのに、なかなか来られなかった。
終点の柳平のお地蔵前で脚絆を巻く。タビは家から履いてきた。ウグイスがバンバン鳴いている。春だぜ。バイクでは上着も手袋も要らなかった。
集落の裏の岡山に上がるのにウロウロする。ここも住みたい古い家がたくさんある。果樹園の中の簡易舗装路を上がっていくと、草ぼうぼうながら続いているが地形図とも違うような。藪は薄いので、尾根の一番高いところを乗っていくと、程なく三角点に。そのまま稜線上を行こうと思ったけど、すぐ右下の1000mラインを地図にない林道が並行して伸びているのでこれを行く。すると深田久弥の石碑の裏に出た。ということは地図にある910mラインの林道だった。
女岩ルート歩いてすぐ廃屋がある。土壁で結構古そうなので見学すると、鉄の風呂釜まであった。昭和30年代くらいのものだろうか。誰か住んでいたのか、宿だったのか。
登山者がたくさんいて、道もしっかりしていて、只々黙々登る。女岩は、遠くから見て、巻いた。巻道は結構落ちたら痛そうだ。肩で休息。ここから南南東に下るルートから上芦沢下降も考えている。踏み跡が濃い。
深田久弥の遭難地の碑でひざまづく。命日は3月21日、明日だった。碑の後ろに白い金峰山が見えた。
山頂は30人くらいいる。先日誰かが藪を払ってくれたらしく、景色が良い。人が多いところは苦手だ。早々に先へ進む。結構降って登ると、静かな金ケ岳。春霞で甲斐駒なんかはぼんやりしている。山麓のソーラー施設がギラギラ見える。おにぎりを二つ食べて人のいない北尾根に踏み込む。
尾根が細いので迷わない。崖記号が多いが、稜線上に岩が阻むことはない。藪もおとなしい。細いところは踏み跡が明瞭だ。しかし、1630mで北の尾根に分かれるところは、下りでは地図を見ていないと難しい。
1500mのゆるい尾根には祠があった。昔はここも人が通ったのか。祠の背景には白い金峰山。いい配置だ。
兎藪からの下りは、広いナマズみたいな尾根に取る。ここへの分岐も1260mあたりでやや南へ向ける。伐採の放置倒木が多い尾根だが、踏み跡もある。1060の尾根のくぼみで湧き水を発見。今日は気温高く喉が渇いて、水も切らしていたので助かる。ささやかな湧き水なので、イノシシがヌタバにしていて泥沼風だが、ヌタヌタから時間が経っているので幸い清水になっている。500CCほど一気飲みする。そのすぐ下には飯場あとがあった。酒の瓶かと思ったら、亀甲マンと宝焼酎だった。瓶が透明ではなく青いのは時代的に昭和30年代と聞いた。
ナマズ台地の下の林道は近道すると案外法面が崖でどハマりする。しかもつかむブッシュがノイバラばっかり。最後の詰めは、放棄農地のあたりをうっかり進んだら道を外して、獅子吼城南の深くて狭い谷を降って登り返す羽目に。天正壬午の乱の時この城を攻めた服部半蔵もこここでハマったのだろうか。トンビがバンバン鳴いている。時代劇の効果音みたいだ。
獅子吼城をたっぷり見学する。事前に想像図を印刷していき、堀切や土塁や曲輪の位置などを確認しながら見学した。素晴らしい城だ。管理されきっていない放置感も手頃でいい。
周辺の根古屋集落もゆっくり歩いて通り抜ける。こんな山登りを終える、最上の時間だ。斜面の家の前を通ったら、洗濯物を干していた家から、子供が大きな声で挨拶をしてくれた。歩行者の通行人、時には通るのだろうか。根古屋神社は社よりも古いケヤキの大木に驚く。周囲の住宅も佇まいが良い。
平のバス停で、バスまで1時間あるのを知り、歩き下る。平から下の東向まで、無人の地域を通るが、ここは塩川の断崖絶壁が美しい。谷底は青い流れがしぶきをあげている。古来はどこに道があったのだろうか。この自動車道路ではないだろう。対岸の明野側とは隔絶感がある。もし、この崖を削った自動車道路やトンネルがなければ、とネパールの旅など思い出す。吊り橋の痕跡のような送水チューブのようなものもあった。ここは往年、塩川沿いに信州に抜ける重要道だったとのことだが、ここを抜けても信州のはずれに出るだけだ。裏街道ではあるけれど。今は、瑞牆山かラジウム温泉見物の行楽の車が猛スピードで通るのみ。
東向の集落は開けた平地だ。ここから下流は田畑も広い。振り返ると瑞牆山が陽を浴びて輝いていた。犬を連れたおっさんがバス停はそこだと教えてくれた。「バスルート」をスマフォで見られるのでバス停位置もわかって大変便利。追いついてきたバスに乗った。3人母子とおじさんが後から乗ってきたのみ。若神子の砦を見上げ、獅子吼城を振り返り、八ヶ岳が見えてきて、茅ヶ岳と金ケ岳が裾野を広く引くのが見えたら韮崎についた。
晩御飯を家族で食べて、お風呂に入り、まるが、お手伝いサービス券のハンコ1個分で、ふくらはぎモミモミマッサージをしてくれた。普段ならこっていて痛いのに、今日は全然痛くない。1日地下足袋で歩いたから、帰ってツボ押しが効きまくったのか。人体の神秘。
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
よーくみたら、背中に火炎背負ってましたね。お不動様大好きな私なので興味があり、武器を持ってるから明王のどなたか?と降三世明王様でしょうかね…我が家の玄関、勝手口には泥棒よけに五大力のお札貼ってます。深田久弥さんの命日はお彼岸なんですね。その道に呼ばれたんでしょうね。私もお彼岸の1週間に3人の看取りをしました。また、今週は叔父の慰霊旅に初、高雄に行こうかと。
足が痛くないのは間違いなく娘さんのマッサージのおかげですよ。
腎不全手前の若い27才のお父さんが、毎回、治療に奥様、6才の娘さんを連れてきてたんですが、長い退屈な治療時間を6才が頑張ってお父さんを励ましてたら、今日、ミラクルに治療効果が出て治療中止になりました。家族あっての健康です。こんなに嬉しい休日出勤なら大歓迎です。
三面の不動明王でしたね。やっぱり戦地だから戦いのお不動さんでした。いつからある像なのか。
タイワンは気持ちのいい島ですね。またゆっくり山歩きをしに行きたいなあ。
休日出勤お疲れ様です。病んだ人相手のお仕事だと快復の現場も目にする機会があるわけですね。
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する