最後の冒険学校〜白馬ひとすじ30余年
- GPS
- 56:00
- 距離
- 19.4km
- 登り
- 2,262m
- 下り
- 2,249m
コースタイム
- 山行
- 7:35
- 休憩
- 2:14
- 合計
- 9:49
- 山行
- 8:53
- 休憩
- 4:29
- 合計
- 13:22
- 山行
- 4:59
- 休憩
- 2:11
- 合計
- 7:10
天候 | 快晴〜晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
行動の記録 子ども達と登るアルプス 冒険学校の30年
これまではアルプス冒険学校と称して、栂池登山口を起点に白馬大池に上がり、そこをベースに幕営して、翌日白馬岳登頂を試みるというパターン+αとして、途中の湿原を探訪すると言う活動を行ってきた。
このパターンは、『山のあしおと小学校』と言う、スタッフが自分だけの弱小組織が、アルプスという過酷な大自然を舞台に展開することができる唯一のスタイルで、広島時代の山仲間の援助を得ながら、過去に何度か試みて来たものである。小・中学生が主対象であるが、子ども達の保護者や断糖生活と言う特殊な生活を送っている参加者もいる。
空身で大池から白馬岳まで往復すると言うスタイルは、経験が少なく体力のない子ども達にとっては、困難を伴いながらも程よい行程である点や、天候の急変等の場合に山荘に逃げ込むことができる点などを考慮してのことであるが、一面では物足りなさと、同じ道を帰らなければならないと言う無駄感がつきまとう。
それを一歩進めて、荷物を背負って登頂・縦走し、白馬で幕営できればその達成感は倍にも3倍にもなる。何とか縦走できないものか〜と言う思いを常に抱えても来た。
とは言えスタッフのいない小さな会にとってはそのハードルは高く、一方、実行するために自分に残された時間はどんどん削られて行く〜スタッフが欲しい‥。そう思って早くから森くらの若い人達に声をかけて見たが、夏はみな忙しく、ボランティアで『2泊3日の応援を‼』とはとても言えない。
それでも僅かな可能性を求めて、スタッフを探しながらダメ元で栂池〜三山縦走〜鑓温泉というコースを想定した計画をつくってみた。
そのメンバーに、昨年の大池〜白馬岳往復の中2生・Tubasaと、春休み瀬戸の旅で準スタッフと言えるほど頼もしい働きをする高2生・Tomokiを始めから加え、これに少数の初心者を募ることにした。
何人かの申し込みがあり、計画を詰めていく段階になると不安と重圧は募る一方で、『やっぱり無謀だ』と言う気持ちが拭えず、従来のパターンに戻したいと言う気持ちとの鬩ぎあいに悶々とする日々が続いた。
どう考えてみても栂池からの三山縦走はあり得ないと断念し、大雪渓からの下山と言う案で計画を進めて行く中で、初めて大雪渓からの三山縦走というアイデアが浮上した。そんな折に、新潟の山仲間、M氏の参加が得られることになり、百万の援軍を得ることとなった。
そのM氏との協議の中から、トレーニングを兼ねた白馬鑓温泉への偵察山行が実現し、一番気がかりだった温泉上部の鎖の岩場を視察することができた。これによって重くのしかかっていた重圧が少しとれ、気持ちが幾分楽になった。
『栂池₋大池₋三山縦走₋鑓温泉』と言うコースは、広島時代の仲間達とは何回か試みたことがある。蓮華温泉から五輪尾根〜白馬水平動道〜三山・鑓温泉経由と言うルートを10名余りの子どもを伴って歩いたこともあった。
4名もの強力なスタッフでさして苦にもせず実施していたのだが、実を言うと鑓温泉上部のこの鎖場の記憶があまりない。それはテキトーだったと言う訳では決してなく、スタッフ陣に自信があって普通程度の慎重度でクリアーしていたのである。若気の勢いと言うか、奢りがあったのも確かだ。今はスタッフも若気の奢りもなくなって怖さがだけが増幅しているのだが、それでも子ども達と一緒にアルプスを歩く楽しさ・喜びを捨てられないでいる。
不安要素は行動することによってしか取り除けないという教訓を得た勢いで、翌週はもう一つの懸念〜大雪渓コースの経験不足〜を払拭すべく、大雪渓〜頂上山荘のトレーニング・偵察を行った。
30回以上の白馬岳山行の殆どは栂池からの登りで、大雪渓からの登りは30年以上前に1〜2度しかなく、また数度しかない下り経験も最後の5月の下山からすでに10年以上が経過している。つまり大雪渓のことは何も知らないに等しかったので、この偵察山行は絶対に必要なものだった。
にも拘らず当初その用意はなかった。白馬岳偵察の日も当日のぎりぎりまで決断しかねていて、誰に強制された訳でもないが、言わば『しぶしぶ』ながらの決行であった。鑓温泉もしかりである。振り返ってみると、それがいかに無謀なことだったか・・,背筋が凍る思いがする。
とまれ、強力な援軍とこの2つの偵察山行によって道が切り開かれたことは疑いなく、かくして本番を迎えたその段階で激震が走った。 頼みの綱のM氏が参加できなくなったのである。
すでに矢は放たれており、責任感の塊のようなM氏は無理偏を二乗三乗して大雪渓の取りつきまで同行し、アイゼン装着から歩き方の指導までして、小さな足に大きすぎるアイゼンの子を気にかけながら見送ってくれたのである。(以下後日‥)
8月5日(金)
前夜(今朝),Mさん、Matuさん等とは別々の場に駐車して朝5時頃合流し、6:05に登山口を出発。Mさんは腰痛を押して行けだけ行ってくれることとなる。5人が先行し自分は最初から遅れる。7:31馬尻小屋着。同7:55溌。8:11ケルンを通過し8:35に雪渓取りつき着。Mさんがアイゼン装着と歩き方をレクチャーしてくれる。4年生のKiratoの靴が小さくてアイゼンが大きすぎるのをやや強引に締め上げたが、体重がないので雪面に刃が立たないきらいがあり、強く踏み込むように指導する。Mさんはアイゼンを横に使うと滑るので足をまっすぐ運ぶようにると言うことを強く指摘し、一緒に雪渓を歩いてくれることになって8:53雪渓歩き開始。しかし9:24まで一緒に歩いたところで『ピリッ』と来たと訴えてそれ以上の動向を断念し、そこで引き返すこととなる。
Kiratoはすぐに慣れた様子でそこからは4人がたちまち先に行ってしまう。1週間前にトレーニングしたとは言ってもその時は軽装で、今回は20堋度に抑えはしたが荷重が大きく、ペースが上がらないままスローペースで喘ぎながら1人で後を追う展開となる。歩き始めてすぐに大きなクレバスが現れる。これは1週間前にはなかったもので、そこから上の様子も渓全体が雪渓に覆われていたイメージは様変わりして、雪渓がやせ細り、中間点付近では対岸の地面が剥き出しになって多くの人がそこで休んでいて先行する4人もそこにいた。10:05にそこを通過。下見の時は短く感じた雪渓が思いのほか長く感じられて苦戦し、途中で一行に追い越されて雪渓終了点に着いたのは10:48。20分休んで11:08にそこを発つ。
そこからの登りも遅れて後を追う形は変わらなかったが、前方が渋滞していて追いついてみると、沢を渡る橋の上の方に数人の登山者がいて動けば石を落としかねない危険な状態に落ち込んでいるのが分かり、じっとして動かないでくれるように言って素早くそこを通過させる。下りで間違えて入りこんだらしいが、こちらも手いっぱいでサポートする余裕はなく通過する(11:35)。
そこから先はロープをまわした大岩から少し登れば避難小屋があるのでそこまで先に行ってもいいと指示して後を追うのをやめる。11:37岩室跡通過。12:23、その大岩の少し上で昼食を摂り終わった一行に追いついたので、『小屋の少し先で、山荘が見えたら上まで行ってもいい。着いたらテン場を確保』と指示して自分も昼食を摂り、40分も休んで出発。13:33避難小屋通過、14:17森林局看板、14:38,2600m岩を通過し、15:20やっとの思いでテン場に着く。
テン場にはすでにテントが張られ、自分が持っている2つ目のテントもTomokiとTubaaがテキパキと設営してくれただけでなく、その後の食事の準備でも活発に動いてくれるので指示するだけでよかった。一服して夕食のアナゴちらしをつくる。蒸らした白米6人前にちらし寿司の素を混ぜ、下拵えして担ぎ上げた錦糸卵、キュウリの細切り、カニカマとアナゴの蒲焼を混ぜるだけでよかった。他は味噌汁だけ。かくして夕餉が始まり、荷揚げで遅れて先導者不在となったことを詫びると共に健闘を称えながら楽しいひと時をすごす。
暗くなると満天の星で星座教室をやりたいところだったが、隣りに明朝2時起きと言うテントがあり、自分達も疲れていたので3時起きと言うことだけを約して早々に休む。
Mさんが参加できなくなって、先導者不在と言うかつてない事態での冒険学校となった。先導者不在で初心者をアルプスに登らせたことは冒険学校を名乗るに値しない由々しき事態で、冒険学校と称する登山はこれで最後になると言い聞かせながら登って来た。
明朝の自分の状態によってはこのまま下山するか、大池廻りで栂池に下山することも考えなければならない。
8月6日(土)
ぐっすり寝て目覚めるとまだ0時前で、それから考え事をしながらウトウトしていると2時頃から隣のテントが動き始める。3時になるのを待って起きKiratoの様子を聴くとまだ起きないとのこと。Kirato父はご来光を楽しみにしていたのだが、1人残して行く訳には行かないので起こすか断念するか迷った末、起こして聴いてみることになる。Kiratoは寝足りない様子だったが『行く』と答え、空身に飲み物だけもって3:28にテン場を出発。少し早めだったので星が見えるうちにと、前夜できなかった星座教室をやって時間調整しながらゆっくり登って4:23に登頂。日の出まで25分あるので写真を撮ったり白んで行く空をバックに浮かび上がる山々のシルエットを解説したりして過ごす。
4:53、妙高山のすぐ南に最初の光が見え、4分かかって太陽が全身を現した。日の出を見守り、明るくなった山頂で登頂記念の写真を撮って5:04から下山。剱岳や黒部ダム、白馬鑓とそれに重なる鹿島鑓・針ノ木岳から遠く槍・穂方面の山々にむかって下り、5:20頃テン場に戻る。すぐに湯を沸かしてアルファ米を蒸らし、素早く朝食を済ませて片づけ・パッキングを完了して7:15には出発準備が整う。自分は昨日と打って変わって体が軽く、荷物が半分になったかと言うほど軽く感じられるほどに体調が回復しているのが分かり、迷わず前進を決めて7:17テン場を後にする。
2日目は天狗平までのゆったりした日程なので花の名前を教えたりしながらのんびり歩く。テン場のすぐ上から稜線に至る辺りには、ハクサンフウロ、タカネシオガマ、ミヤマダイコンソウ、イワツメクサ、ミヤマキンポウゲ等が咲き乱れており、杓子岳・白馬鑓ヶ岳に至る稜線にも花が豊富で、乾地にはイブキジャコウソウやコマクサ、湿地にはクルマユリやウサギギク等が見られたが、今年は雪解けが早かったらしくウルップソウは既に終わっていた。
7:45丸山を通過。ここから大きな下りに入り、杓子岳との鞍部を越えて次の小高い小ピークを登り切ったところで休憩(9:17〜24)し、杓子岳の登りに備える。9:27巻き道との分岐を通過し急登に入って25分で登頂(9:52)。最高地点を見る等してゆっくり休み10:18出発。自分達がいかに怖い場所にいるかを知らしめる写真を撮ったりした後、一足先に縦走路を一気に下る。Kirato父も一緒に下ってふり返ると後続の3人の姿がなく、5分以上待ってやっと姿を見る。更に3分くらい待ってようやく追いついて来た子ども達に聴くと、Kiratoが極端に下りを苦手としていて、ちょっとした斜面でもなかなか足が出ないのだと言うことが分かる。これまでは登り一辺倒で隠れていた問題が、大きな下りのある場面で初めて浮上したのであった。それでもこの段階ではそれ程の問題とは思っていなかった。
11:07に白馬鑓との鞍部を通過し、いよいよ白馬鑓の大登りに向かう。
11:25,1本柱の標識を通過。振り返ると端正な白馬岳と荒々しい杓子岳〜非対称山稜のツインがスゴイ迫力を見せている。白馬鑓ヶ岳は縦走路か少し離れた所にあり、自分は12:00にその分岐に着いて荷物を置き山頂に向かったが、他の4人は荷を背負ったまま山頂に行ってしまっており、追いかけて集合写真を撮り(12:14)、4人は山頂からダイレクトに、自分は縦走路に戻って(12:21)先に下り、そのまま次の丘を越えて鑓温泉分岐まで歩いて後続を待った(12:42)。そこから見える天狗山荘は思ったより遠い気がして疲れ気味のkiratoをそこまで歩かせ、明日朝またここまで戻ってくるのは随分無駄があるような気がした。時刻はまだ13時前。KiratoがTubasaにつき添われて言葉少なに辿りつき、全員揃ったところで予定を変更して鑓温泉まで下ることを提案。鑓温泉まで3時間半を見込んで13:18出発。
すり鉢状の斜面につけられた急傾斜の道を一気に下って振りかえると、後ろに続くはずの一行はまだはるか後方で、その先頭にKratoがいて全員がそれに合わせているのが見えた。その時初めてKiratoが下りを苦手としていると言うことの実態がわかった。TomokiとTubasaは杓子の下りでそれが分かって、Kiratoに合わせているのである。そのままゆっくり下っては振りかえって距離を保ちながら休憩所まで下る。そこに数人の人が休んでいたが、午後の日差しが強く暑いので通り過ごし、少し下の灌木の陰に身を隠して13:35から休みながら待つ。
待つこと40分、14:13にkirato父とTubasaが、5分遅れて14:18にKiratoとTomokiが来て、Tubasaはそこで休み、Kiratoは父を追う。が父はKiratoとは距離を置いて必要以上に子どもの世話を焼かず、TomokiとTubasaに委ねようとする意図が見え、常に先行して写真を撮るなどしていた。ほどなく遅れて歩くKiratoとTomokiに追いつく(14:43)。『足が痛いのか』と聞くと頷いたので靴を脱いで様子を診るも靴擦れ等の外傷はなく、マッサージして靴を履かせ、14:52から再び歩き始める。Kiratoの歩みは相変わらずで、ちょっとした段差があるとなかなか足が出ない。バランスの問題もあるが、疲れて脚力が低下している面もあるので急かさず自分のペースで歩かせ、見守りながらゆっくり下る。
こうして2時間ほど歩いて15:20に『鎖場につきストックしまえ』の標識に至り、15:27から最初の鎖場にかかる。鎖に沿ってトラバースした後、真下に下るこの岩場では自分が先に下りて前をTomoki、後ろを父で固め、間にKiratoを挟んでTomokiのリードで慎重に下らせ、4分かかってクリアー。次いで最も緊張するツルツルの岩を廻り込んで細い岩の溝を連続して下る山場にかかり、ここは自分が前について細かく指示しながら下る。こうして最大の難所を切り抜け、16:10に温泉小屋の見える位置まで下って休憩し、緊張をほぐして16:51、無事鑓温泉に着く。
すぐにテン場の申し込みをしたが、すでに満杯で1張り分の隙間もなく、登山道の脇のわずかなスペースにテントを張りすぐに夕食の準備にかかる。メニューは思い思いのレトルトなど。落ち着いてから4人は風呂に行き、自分は面倒なので流れてくる湯で体を拭くに留める。明朝の期初時刻を5時、出発を6時と決めて早々に休む。
8月7日(日)
この山行のテン泊では大体1時半から2時頃に目が覚める。就寝が早くて20時過ぎには寝ているからこれで睡眠は足りているらしく、その後は色々考え事をしながら朝を待つ。去年までは、時に0時前に目覚めてしまい、まんじりともせず朝までの時間を過ごすことに苦労したが、今年はむしろその時間にあれこれと考えを巡らせることを楽しめている。
で、トイレに行き座ってみたが殆ど出ない。山に入ると腸の働きが山向きに変化するのではないかと思う。4時にTomokiを起こし、すぐに湯を沸かしてサケ雑炊等、予め渡しておいた食材に湯を加え、出来た者から食べさせる。自分は昨日の朝の青菜飯に納豆を混ぜたものを袋ごと持ち歩いていたので、それを雑炊に混ぜ込む。糸を引いていたが傷んでのものではなさそうだった。先にテントを空にして収納。早朝でテントを干す時間がなく湿ったままでやや重くなるがやむを得ない。それそれに食べながら片づけとパッキングを進める。5時過ぎに日の出。いながらにして日の出を迎えるとは思わなかったが、やや眠い太陽だった。暑くなる予感。Kirato父が前夜目の縁をブヨに噛まれ、それが腫れあがって目が塞がり見にくそうだが打つ手がなかった。
5:30に出発。Tomokiを先頭に立て、Kirato、父、Tubasaの順で歩く。Kiratoは相変わらず下りが苦手で時間がかかるがやむを得ない。6:01に鑓沢に到達。雪渓が崩れて橋がかかっており、そのおかげで下がってまた登ると言う行程が省かれる。
小灌木帯辺りで一度休み、そこから自分が先頭に立って落石沢、崩沢を慎重に進む。Kiratoの下りは相変わらずで遅々としたあゆみになる。TomokiとTubasaを先に行かせ、Kirato父に前を行ってもらって6:28崩れ沢通過。この頃から後続の下山者が追いつき始めたので先を譲りながらKiratoの後ろにつき彼のペースで進む。
6:45杓子沢。一休みしようとしたが日陰で寒く、Tomoki等を大岩で待たせて後を追う。この時,石に足を引っかけて派手に転倒し右の膝を打ち、買ったばかりのズボンを破ってしまった。左手に擦り傷が出来たのをヨモギの葉を石で叩いて汁を出し傷を拭っていると、Kirato父が真似して目の縁にあてがっていたが、さほど効果があるようでもなく、歩きづらそうだった。
6:52から大岩でしっかり休んで杓子岳の写真を撮り、7:06出発。だらだらとした下りを黙々と進み7:44サンジロ通過。7:56日陰のあるやや広い水場で休憩をとる。暑いので水を飲み、杓子の大岩峰を撮る等してたっぷり休む。この間に次々と下山者が通過して行く。
8:18発。ここから登りにさしかかって疲れが出始め、8:50にたまらず休んでTubasaらを先に行かせて小日向のコルで待つように指示する。最後の登りを力をふり絞って乗り切り、峠を越えるとそこに一行が待っていたので『そこは違う』とコルの場所を教えて先行。8:57にコルを通過し猿倉台地まで引っ張って9:00に荷を下ろす。3時間半もかかっていた。
本来なら目の前に見える筈の小蓮華岳や本峰はガスに覆われていた。9:25まで休んで長い下りに入る。10:04〜18に一度休憩。その先で最後尾を行き、男性が1人休んでいた先で靴を岩に引っ掛けて転倒し、はずみで道脇の斜面に転げ落ちる。小灌木で止まりはしたが荷が大きい分起き上がりに苦労していると休んでいた男性が飛んできて引っ張てくれて道に戻る。この時左手の小指を捻り、後々まで痛む。鑓温泉の下りは鬼門だ。
礼を言って追いかけ、その先にやや広い湿地帯(水芭蕉平)があるのでそこで休むようにと指示し、11:00に着いて休む。足の裏が熱いような嫌な感じになるので靴を脱いで足を開放する。寡黙だったKieatoがやっと普通にしゃべるようになった。11:26発。11:48遂に林道に出、そのまま下って12:00丁度に猿倉荘に着く。
全員無事で当初の目的を果たしたことを讃え、遠くない時期のアルプスでの再会を約して散会する。
白馬山頂〜杓子あたりを1日違いで通過しました。 他人様のお子さんを連れて行かれるというのは大変なご苦労でしょうね。 うちの子の一人の面倒を見るだけでも大変なのに素晴らしいご活動かと思います。 我が家の今回の山行でもたくさんの子供たちとすれ違ったり挨拶をさせていただきました。 普段はきっと街でゲームをしているような年代の子供さんたちでしたが、やはり汗をかきながら大自然の中での貴重な体験は、将来大切な思い出になると思います。 これからも是非がんばってください。
rxv11051さん こんばんわ コメント有難うございます。お子さんと山旅ナンテ何と幸せな方なんだろうと、羨ましい限りです。5才で白馬岳縦走,小蓮華を希望‥,とはオドロキです。きっとお父さんと山に登り、旅をするのが大好きなお嬢さんなんでしょうネ。貴重な体験を積みか重ねて、沢山の感動、豊かな経験をさせてあげて下さい。
その、他人様の子ども達の中に息子2人が混ざって、栂池−白馬岳−大雪渓と縦走してから30年が経ち、今回を以て冒険学校を閉じることにしました。私と一緒に山を歩いた子ども達と、私に子ども達を託された親御さんたちの勇気に感謝しています。冒険学校は閉じても、子ども達と一緒にまた登ります。
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