縦走/立山・剱岳から後立山連峰 變山連峰〜剱岳】

- GPS
- 10:51
- 距離
- 12.3km
- 登り
- 1,355m
- 下り
- 1,331m
コースタイム
- 山行
- 6:05
- 休憩
- 0:43
- 合計
- 6:48
- 山行
- 3:38
- 休憩
- 0:22
- 合計
- 4:00
| 天候 | 8/16晴のち曇り、8/17雨のち曇り |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2016年08月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
バス 自家用車
ケーブルカー(ロープウェイ/リフト)
|
| コース状況/ 危険箇所等 |
・立山〜真砂山〜別山は特に危険個所なし。上り下りは結構大変。 ・別山から剣沢への下り道は分岐がわかりづらい。道標から右(東)側に道がある。 道は急坂。 |
| その他周辺情報 | ・剣山荘にはシャワーあり。 |
| 予約できる山小屋 |
|
写真
感想
5月に雲取山に登って以降、6,7月と仕事が立て込んで全く山に行けなかった。
今夏は立山・剱岳に行くと決めていたものの、山の体力不足が不安であった。
折角ならば由緒正しく富山側から入山して、黒部立山アルペンルートを使って長野側に抜けようと考えていたのだが、富山まで車で行くとなると帰りが大変になる。電車を使うのも帰りが億劫だ。いろいろ思案して、長野側の入口・扇沢まで車で行き、最初からアルペンルートを使うことにした。
となると、帰りにもうひと山行できるのではと気づき、それならば扇沢から鹿島槍ヶ岳、五竜岳を縦走しようという計画を立てた。
普通、剣・立山に行くなら黒部に抜けるか、薬師岳方向へ行くのが筋かもしれないが、ちょっと変な山行計画になった。
【初日・8/16】
天気図とにらめっこしてこの日入山とした。翌日の台風関東上陸が懸念されたが、進路の関係で富山方面の影響は少ないのではと考えた。
扇沢からの始発でアルペンルートを乗り継ぎ、室堂には8:55に着く。
この日朝の室堂の天候は良く、立山連峰は目の前にくっきりと聳え、期待を持って登り始める。
しかし、小一時間かけて雄山への尾根の取り付きである一ノ越に着いた時には、雲が下から湧き上がってきていて、雄山登頂時には霧の中だった。
立山は古くからの信仰の山。頂上の岩山に聳える雄山神社本宮は小さいが霧の中にあったこともあり、厳かな雰囲気に満ちていた。そこに宮司さんが常駐していて、登拝者に祈祷を行なっていたが、それを授かるだけでこの山まで来てありがたやという気分になったのは、そう思わせるだけの雰囲気があったからということだろう。
室堂からだと600mほど登れば3,000mの頂に達するということは、果たしてありがたやになるのかとも思ったが、そのことは忘れることにしよう。
雄山からは3,000m近い稜線を縦走していくことになるが、最高峰の大汝山から先はとにかくアップダウンがきつく、ペースが一向に上がらなかった。
というのも、わけあって一睡もせずに車を運転して登山をしていたからだ。
睡眠不足が一番よくない。大汝山から別山までは、例えれば丹沢主稜縦走の西半分のアップダウンのきつさに匹敵するように思えた。
すっかり雲に包まれてしまった稜線からはほとんど眺望がなくなり、砂礫と岩の道を行く様はさながらこの世の日常とは遠い場所を行くようであった。
今思えば、軽い高山病のような状態だったのかもしれない。
真砂岳から別山までは長い稜線をきつく登り返すため、特にきつかった。
それでも自分がこれまであまり見たことのない、氷山が作ったカールや雪渓の風景を楽しみながら歩いた。
別山は剱岳を望む絶好の場所と聞いていたが、何の眺望もなし。
その下山の途中、雲が切れてきて、剱岳の姿がいきなり眼前に現れた。
険しい。こんな山、登れるのか。
たまたま数日前に映画「剱岳 点の記」を見て、明治期の初登頂時の困難が描かれていたが、実際には遥か昔(平安時代初期?)に修験者が登頂していて、錫杖を山頂に残していたのが明治期の登頂時に見つかっている。
一体、どこを辿って頂上までたどり着いたのか。
立山信仰では(どうやら天台宗らしい)、立山は極楽、剱岳は地獄のシンボルだったらしい。剱岳の険しさを見ていると、本当にそう思えてくる。
別山からの下山途中から、剱岳の麓に本日宿泊の剣山荘が見えていたが、見えてからがとにかく遠かった。剣沢まで下りきってそこからいくつか高みを乗り越えて、やっと剣山荘に着く。
【2日目・8/17】
未明から雨。台風が関東上陸。小降りになれば出かけられると思ったが、5時過ぎになって雨脚が弱まったところで出ようとした矢先、また降りが強くなった。その後も雨は弱まったり強まったりを繰り返す。10時半まで様子を見ていたが、登頂を断念することにした。初めての場所で、雨中の岩場は危険と判断した。
午後は回復に向かうと思われたが、登頂しても何の眺望もないことだろう。
夜明け前や降りが弱くなった時に山頂に向かった人たちは、無事に登頂・下山できたのだろうか。
翌日まで待って剱岳登頂を目指す(代わりに転戦は断念)か、後立山連峰への転戦を予定どおり行うか、思案の結果、転戦する方を選んだ。剱岳はいずれ再挑戦だ。
別山乗越を越えて室堂に戻る道も楽ではない。本当に一山越えるという言葉にふさわしい。しかも別山乗越までの道を間違えて、時間がかかる方の道を進んでしまった。
きつい雷鳥坂をだらだら下る途中から、韓国から来た女性登山者と話しながら歩いた。あまりきつさも感じないまま、気がつけば雷鳥荘まで歩いてしまっていた。小雨の中の山行だったが、会話しながら歩いていれば、それほどしんどさも感じないのかもしれない。
室堂まで出ると、天気が良くなった。前日歩いた立山連峰が余す所なく見渡せた。
別山山頂からは剱岳も望めたかもしれないが、室堂からでは剱岳の様子はわからない。こちらでは晴れていても、剱岳は雲がかかっているかもしれない。
いずれにせよ、再度来ると誓って室堂を後にすることにした。
(後立山連峰縦走に続く)
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-946264.html
【追記】
室堂山荘で同室だった二方のうち一人は愛知県から来た真言宗の僧籍の方で、剱岳には何度も来ているとのことだったが、彼と映画・剱岳点の記の話をしていたところ、立山は天台修験者によって登られたのに対し、剱岳は真言修験者によって登られていたのではないかとのことだった。立山の仏は阿弥陀如来、剱岳は不動明王、剱岳早月尾根の麓・上市町にある大岩山日石寺は巨大な不動明王の磨崖仏がある真言密宗の大本山ということで、この日石寺が剱岳の修験道に大きな役割を果たしていたのではないかとのことだった。明治期に陸軍測量隊が登頂した際に発見された錫杖等は、真言密教の修験者が遺したものだったのだろうか。
ichi11





















こんにちは♪
最初、写真を見ていて快晴で素晴らしい景色なので
雨で剣を断念されたとは思わなくて・・ビックリでした
見ると迫力があって恐そうですがichi11さんならきっと登れますね!
山は逃げないのでまたリベンジしてください♪
トロリーバスやケーブルカーにも乗った事があるし
雄山〜大汝山間は私も雨の時に(^_^;;歩いた事があるので懐かしく思いました!
立山のもっと奥の方にも行ってみたいです!
それから縦走の後半の山々の記録を楽しみにしていますね
こんにちは。ご無沙汰していました。
コメントありがとうございました
剱岳登頂が達成できなかったのは残念でした。
危ない岩場はそれなりに経験してきましたが、
それでも雨の中の経験はない(回避してきた)ので慎重に行動しました。
剱岳では下山の際の方が危険で
特に「カニのよこばい」と呼ばれる岩場では、最初の一歩目の足をかける場所が難しい、
またハシゴや鎖より下山時のザレ場で事故が多いと聞いていました。
まあ、再訪する理由ができたので良かったかと思います。
天気の良い日の方が眺望も得られて、達成感もありますしね。
剱岳からだと、日本海まで見渡せるということですから。
鹿島槍や五竜岳を縦走した後半の方が、天気は少しましでした。
最大の目的だった立山・剱岳遠望がばっちりでした
しばしお待ち下さいませ。
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