安平路山〜摺古木山(松川・大西沢、小西沢)
- GPS
- 20:05
- 距離
- 27.6km
- 登り
- 2,652m
- 下り
- 2,653m
コースタイム
- 山行
- 6:40
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 6:40
天候 | 快晴、満月、低温 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2016年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
蜂の巣まで林道通行可能。その先はゲート。 |
その他周辺情報 | 飯田駅前の新京亭は一本裏通りに新装開店した。賑わっています。 |
ファイル |
遡行図(松原作)
(更新時刻:2016/10/17 16:48) |
写真
装備
個人装備 |
ハーネス+メット
フェルト地下足袋
シュリンゲ+ビナ+ 確保器
防寒具
カッパ
シュラフカバー
マット
水筒【各自4リットル分
その他沢個人基本装備(ナイフや灯り地図磁石)
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共同装備 |
ツエルトかタープ
ストーブ【MSR燃料タップリ】
すて縄多少
焚き付け+ライター
ロープ20m
|
感想
飯田周辺でまた記録の少ない沢行こうと、松っちゃんの15年前の蔵出しビンテイジ計画シリーズからまた一本、栓を抜く。
松川源流で大滝ある大西から未踏峰を踏んで、記録未見の小西を下る。飯田のスーパーで多少買い物して、林道終点では日が暮れた。最後まで行けるかわからなかったがゲートはなく、予定通り二股付近へ。河原で焚き火でもと思ったが水辺が急斜面で狭く、水を汲んで駐車地の空き地で飯盒炊爨する。水汲みの際、1969年の遭難碑を見つけて驚く。兵庫県御影工業高校の山岳部員が小屋泊中、上流からの鉄砲水で遭難死したとのこと。あとから調べた話では『飯田松川のコース(廃道);松川からの松川入のコースがあったが1969年8月に、鉄砲水による遭難があった後、入山禁止となり廃道となった。』当時はここに稜線への登山道があったのだ。
焚き火はあっても寒い。気温は推定10度くらい。冬用寝袋を持ってきた。
10/15
巨大堰堤を左から越える。藪にはいれば、踏み跡らしきものもある。程なく二股で、大西沢へ。巨岩が多く、飛び乗ったり潜ったりが多い。足は冷たいがそのうち体が温まる。標高1500m近くの沢が南北になるあたりからゴルジュっぽくなる。へつって行ける。今日は泳ぎたくなし。やがて20m越える白い柱が見える。下部にプラス5mとの間には、注いだ水流がもんどり打って跳ね返っている蛸壺みたいなやつが付いている。あんなところに転落したらもみくちゃになりそうでごめんだ。右岸から巻く。踏み跡はあるが頼りないブッシュを横切る箇所もある。気の抜けない巻きだ。
そのすぐ上に、大西の滝と思われる20mが出た。左岸側の水際を高度感はあるけどノーザイルで登れた。登るとその上に10m、それを右岸から巻くとさらにその上にも隠れた10mが落ちている。結構な連続帯だ。
その上はたまに小滝があるものの、快適に登って黄葉前線を突き抜ける。青空とカツラの黄色いかわいい葉。日が当たる南東面の沢で、明るい。
2000m付近になると、傾斜が緩み、タンネの疎林が浅い笹の草原に広がる、気持ちの良い小川のようなところになる。わざわざ水も無いし、人がいるかもしれない稜線の避難小屋より、こっちに泊まろうってことになって、急遽支度をする。東の開けた空からは十五夜の大きな満月が上がってきた。星も満天だ。
朝は氷点下だった。凍って革靴のようになった地下足袋にお湯を注いで足にはく。カレーラーメン食べて、30分で稜線の山小屋へ。安平路山頂を往復する。樹林の合間に御嶽、乗鞍、北ア全部見える。雲ひとつない快晴だ。南ア笊ヶ岳の二本耳も見える。駆け足で往復する。
摺古木山への縦走路は笹刈りがしてあった。立派な道だ。大した登り下りなく摺古木山頂。ここは展望がある。南アルプスも全て見えた。安平路山の姿も。
小西沢は降りはじめてからすぐ傾斜があり、小滝、小段差が連続する。記録をほとんど見ない沢で、何があるかわからないぞという覚悟を持って下った。何もなければ四時間、念のため六時間は日のあるうちに当てたいので、稜線は急いだ。気を許せない緊張感だ。一本一本の支沢の合流を地図で確認しつつ下る。
沢の下りは登りより怖い。迷う心配はないが、ヘマをやったらいつでも遭難するのがわかるから。滝が次々出てくる。気配がするたび、懸垂しても届かないほど大きいんじゃないかとか思って緊張する。だがどれもノーザイルで行けるものだった。地図にある小西の滝と思われるものも、横をクライムダウンする。いいペースだ、あと何時間かなと相談した矢先、1470m付近で巨大堰堤と林道が現れて、あっという間に夢から冷めた。安心と同時に、終わってしまった。林道の存在も知らなかった。林道を下ると、駐車していた蜂の巣に戻った。
飯田駅前の新京亭で、前回のようにカツ丼、と思ったら、あの浅草的雰囲気の駅前アーケード長屋の一本奥の路地裏に、新築移転していた。つい2週前のこと。しかも隣に怪しげなペルシア風の水タバコ屋が。新旧両店にて祝杯することとなる。今日はえみちゃんは残念ながら来られなかった。残念。隣の席には声が異常に大きい老男性3人組が餃子&ビールで気ままなトークを続けていて、奥の方の小上がりでは乳飲み子を連れた若い婦人が話し込んでいる。地域の人々の交差点だ、旅情気分を盛り上げてくれる。
新京亭の名も、長春からの引き揚げ者のお店なのだろう。伊那谷は満蒙開拓移民が多かったから。蜂の巣周辺にも、近くの大平にも、満州帰りと思われる開拓跡の碑があった。
松はワンタン麺、僕はカツ丼で満腹になる。飯田線で豊橋には帰らず、一緒に岐阜まで行くことにする。久しぶりにご一家の皆さんの厄介になりたくて。
とりわけ思い出深いのは、あの野営地の一晩だった。もう今年の沢は登り納めだ。
2000年に手を染めた木曽山脈の遡行も、私の中ではあと何ヶ所かの山行で完結しそうなのだが、中で残した大きな空白が大西沢遡行〜小西沢下降の本山行である。その世紀末に立案して以来なので16年越しの待望の計画実践だった。
両沢共に伊那谷らしく花崗岩主体の構成で、これらもまた例外なく人の手に塗れることのない清潔な空間を保っていた。ゴミ一つ無い沢だったが、大きな滝には人の歩いた痕跡が見受けられ、実に巧妙な高捲きルートで我々を導いてくれた。大西沢は核心部が一纏まりに現れて、その後実に平凡な渓相に転じて好ましい。その源頭部には意外にも素敵な楽園が用意されており衆議?一決、当初の小屋泊計画を変更してここを泊地とする。十四日月が昇りまた、日も昇る天場でささやかな火を焚き、酔い、憩う。大いに冷えた快晴の朝を迎えて長く憧れた安平路山頂を目指し登行する。稜線を西進し、二つ目の山頂の摺古木山から小西沢へと東に下降する。これまた意外にも小気味良く快適な小滝を連ねて好意的に迎えられた。空は晴れ渡り、その青にカラマツの黄葉、落葉樹の紅葉、白滝が映える。結局のところ、ロープを要するような小憎らしい滝も現れず、乾いた花崗岩ツルツル岩床の罠を含め程好い緊張の元で実に心地良い降下時間を過ごした。
腰痛の再発を警戒しながらの今季最後の遡行を、こんなにも素晴らしい山行で締められて大いに満足した。同じセンスを持つ同行氏と、巡り合せた好天周期とに感謝だ。
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すごいね、参りました
すぐ隣、裏返しの世界です。
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