飯豊連峰オンベ松尾根〜大日岳+西大日岳
- GPS
- 32:00
- 距離
- 33.7km
- 登り
- 2,320m
- 下り
- 2,307m
コースタイム
- 山行
- 7:10
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 7:40
- 山行
- 14:20
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 14:50
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2017年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
感想
第一日
職場の同僚の親戚の方が、初冬のオンベ松尾根を登ったという。その話を聞いたのは、ずいぶん前のことだ。その同僚は、山のことには疎いので、その時の状況がどうだったのかは明確ではない。しかし、その時からオンベ松尾根から大日岳に登ってみたいという動機が芽生えた。今までに登ろうと思えば、そのチャンスはあったのだが、何故か登ることは出来なかった。いつしか登山口の湯ノ島小屋まで通じていた林道が、実川集落にゲートが出来て、一般車は入れなくなった。実川集落から、往復およそ6時間の歩程である。日帰りする人もあるが、その多くは、実川から車で入れる人か、バイクなどを利用しているようだ。今年6月初旬に実川越に行ったときに、そろそろ歩く覚悟を決めなければ、と強く思った。
私は、足が遅いので一泊は必至である。その前提で計画を立ててみると、湯ノ島小屋に前日に入って、早朝出発往復。月心清水でテン泊、早朝出発。または、早朝、ゲートから出発して御西小屋泊り、翌日下山等が考えられるが、いずれも帯に短し襷に長し、である。そこで考えたのが、一服平でテン泊する案である。一服平に水場は無いので、月心清水で水を確保して登らなければならない。それはあるが、翌日はアタックザックでの登下降となる。この案ならば、アシ沢を明るいうちに越えられる、と判断した。後はしっかりした林道の一本道「覚悟」の歩きである。何よりも一服平は展望が期待できる。山懐に囲まれた稜線上のテン泊。考えただけでも心が騒ぐ。
実川集落の駐車場5時「覚悟」の一歩を踏み出す。細かい雨が降っているが、雨合羽を羽織るほどではない。3時ころから雨の予報だから予報通りなのだ。予報通りであれば明日の天気は約束されたようなものである。およそ20分で車道ゲートだが、いきなり黒い物体が道を横切る。小熊? 慌てて笛を吹く。しばらく様子をうかがっていると、ギャーギャーと鳴いた。道に出てきたあたりでも呼応するように鳴いた。猿か。やれやれ。ゲートを抜け、後はひたすら林道を歩く。林道後半にヘッドランプを点けて約20分トンネルを歩くと湯ノ島小屋は近い。そのまま林道を進み、沢を一つ越え、実川本流にかかる橋の手前から上流に踏み跡をたどると、アシ沢の渡渉点に出る。
ロープが渡してあるが水量が多く、その地点は渡れず石跳びでも無理なので裸足で渡る。ふと与謝野晶子の「絵日傘を かなたの岸の 草になげ わたる小川よ 春の水ぬるき」を思いだす。が、現実はそんな官能的な歌とはかけ離れ、靴を脱いで河原の対岸に投げ、ズボンを捲りあげて、ストックを突きながら渡る。官能とはまったくかけ離れた光景である。
沢を渡ってすぐにロープの下がる滑りやすい急坂を登る。それはわずかな距離で、アシ沢に橋があった時の道に合流すると、良く踏み込まれた道となる。ブナやシラビソの大木が疎らに生える道を休み休み登る。ひたすら歩き続けると、土のむき出しになったちょっとした平地に出ると月心清水だ。ひと形が浮き彫りになった小さな石が鎮座するが、風化が進んで何を現すかは不明だ。水場は、右手へ5分とかからない。テントは3〜4人用一張程度であろう。見晴らしは無い。今日のテント場一服平まではあと一頑張りだ。
山肌は灌木に代わり、所どころザレの滑りやすい道や、ロープの下がる急な箇所も出てくるが、特に危険というようなところは無い。少しずつ周りの景色も見えてくる。沢筋の雪を見ると、やっぱり飯豊だなあ、と思う。アキノキリンソウ・ダイモンジソウ・ウメバチソウ・リンドウなどが咲いている。
徐々に、前方の景色が変わってこう配の緩んだ所が見えた。一服平に違いない。やれやれ。しかし、実は、テントを張れるスペースがあるのか確信はなかった。SNSで検索した写真を見て判断していたのだ。まあ、最悪でも「平」という名が付いていれば、人ひとり横になれるスペースはある、という安易な判断だったのだ。一人程度の平場は確保できた。最大の懸案は消えて、残る問題は体力だけになった。
ラジオの明日の天気予報は、晴れ。夜中に空を見上げれば満天の星。明日の道程に期待して早々に寝る。
第二日
朝、テントを出ると下界は雲海に包まれていた。雲海を突き破ってピラミダルな山容の磐梯山が見えた。雲海の上空は雲一つない。大日岳山頂に着く頃は絶景が広がっているに違いない。アタックザックに必要なものを詰め込む。テントなど余分なものは、ザックに入れて藪の中にデポして出発。
荷物が軽い。荷物が軽いという事は、何ものにも替えがたい“御馳走”である。櫛ヶ峰の右手「早川のつきあげ」に向かって登って行く。笠掛山に連なる稜線に朝日が当たり始めた。三国岳から本山へは影の稜線が続く。櫛ヶ峰を斜上するように早川の突き上げに出ると、ガスがかかってきた。大日岳は飯豊連峰の最高峰で、奥深く位置するため気象の変化が激しいのであろう。
一登りして大日岳山頂だと思ったが標柱は無く下って行く。ここが牛首山だった。大日岳山頂までには、あと一汗絞られるのだ。ガスはかかっているし、景色も見えないんでは、もう戻ろうかと思った。しかし、それではあまりにも軟弱だ。思い直して進む。牛首山から下って行くとハクサンイチゲ・ヤマハハコ・アザミ・アキノキリンソウ・トリカブトなど花が多くなった。地形的に見るとこの辺りは、残雪期には厳しいルートになるんだろうなあ、と容易に想像できた。右手に緩登すれば標柱の立つ大日岳である。山頂には誰も居ない。周りはガスに覆われているが時々見晴らしが出る。西大日岳への踏み跡を探してみる。踏み跡は定かでないが、その形跡はすぐにわかった。
今日は、これまでと大休止する。しばらくすると西大日岳方面のガスが切れてその山容が現れた。以前来たときはGWの残雪期だったので全然気づかなかったが、ハイ松帯と思っていたら笹と草の山容だった。紅葉が始まっていて空の青と草紅葉、笹の緑。その三者が絶妙なコントラストを醸し出す。
急に、猛烈に西大日岳に行きたくなった。私の後に二、三人登ってきたが、そのうちの一人が「西大日・・・・・・・」というのが聞こえた。私と同じで、ガスが切れたので行きたくなったらしい。「時間はあるんですか」と声をかけて見る。「時間はある」という。「では行きましょう」と即決、二人で出かける。彼も、ガスの吹き付ける見通しの無い中を行くのをためらっていたという。ガスは完全に上がって日がサンサンと降り注いできた。草紅葉のなだらかな山容に気が急かされる。
踏み跡は深い溝状になって草が覆っていたり、ほとんどそれと気づかなかったり、どこが踏み跡かと思うようなところもあるが、よくよく見れば何となくそれらしい雰囲気が漂っている。なだらかなピークが二つあり、その先にピラミダルな山容が見える。それが西大日岳であろう。三角点が確認できれば間違いない。それを目安に進むとやっぱり三つめのピークに三角点はあって、間違いなく西大日岳に登ったことがわかる。絶景に誘われて、腰を下ろしてしばし展望を楽しむ。飯豊連峰というのは、北アルプスのような岩峰が織りなす華やかさは無いが、緑に覆われた山の連なりが重厚さを感じさせる。
大日岳に戻ってもすぐには去りがたく一人たたずむ。山頂には誰も居なくなった。しばらくすると2、3人登ってきた。西大日岳への踏み跡を探しているようだったが、すぐに戻って行った。入れ替わるように若い女性二人がやってきて、西大日岳に行くための道を探しているようだった。山岳雑誌から抜け出てきたような容相である。声をかけたら、やっぱり西大日岳に行きたいとのことだった。藪の道を歩いているようには見えなかった。直ぐに戻ってくるだろうと思った。しかし、踏み跡は教えてやった。彼女たちは西大日岳目指して進んでいった。
思いがけずオンベ松尾根から、男性が二人やって来た。これは早い。早すぎる。「早いですねえ」と声をかけると、ゲートのカギを持っているとのことだった。そうだろうなあ。小荒から歩いて来たとしたら早すぎる。毎年一回か二回は登っているとのことだ。日帰りだというので、一緒に下りたら車に乗せてもらえるかもな、と思う。しかし、毎年登っているようでは置いて行かれそうなので先に下りる。あにはからんや西大日岳に向かった彼女たちは、戻ってこなかった。
来るときはガスがかかっていて判然としなかったが、結構なアップダウンが続く鋸歯状の行程だ。西大日岳に向かった彼女たちが、戻ってくるのが見えた。途中から戻るという予想通りだったが、ちょっと気になっていたので一安心である。来るときは気づかなかった夏ハゼの実がたくさんなっていた。まとめて口に入れると、甘酸っぱい味が疲れた体を生き返らせてくれる。実は、2ℓと思っていたプラティパスが1ℓ入りだったので、昨日の夜から節水に努めているのだ。今日の行動は、月心清水まで1ℓで頑張らなければならないのだ。すでに、0.5ℓ消費していたのでこの夏ハゼの実は有りがたかった。
若者が一人登って来て一言二言、言葉を交わす。一服平で一口だけ残して水を飲み干す。デポしたザックを回収、荷物を詰め替えると、頂上で一緒になった二人パーテーが下りてきた。これはラッキー。一緒に下りて行ったら車に乗せてもらえるかもしれない、とさもしい心でついていくと、月心清水手前で見事に離されてしまった。月心清水で大休止。水をたらふく飲んだ。小さな沢の水場の水勢は、昨日より明らかに少なくなっていた。アシ沢も石跳びで渡れるかもしれないなあと思う。
予想通りアシ沢は、飛び石で渡れた。日曜日なのに重機の音が聞こえた。休日なしで工事をやっているのだろうか。電通社員の長時間労働死で騒動になった後も、国立競技場の建設工事で、若者が過労死したが建設業の労働事情はどうなっているのだろうか。しかし、もしかしたら帰りの車に乗せてもらえるかも、とちょっと期待する。
少し足の裏が痛んだ。水ぶくれが出来かかっているのかもしれないが一心不乱に歩く。トンネルが過ぎて一休み。足裏を見ると皮が赤くなってマメが出来かかっていた。左足の小指と薬指も赤くなっている。ばんそうこうでも貼っておくかと、救急パックを見るとカットバン類は入っていなかった。救急パックなんて使ったことが無いから、入っているものだと思って確認していなかったのだ。直接マメに当たるよりはいいだろうと、ガムテープを張り付けて歩く。
車は2台来たが、みな追い越していった。昔は、「乗ってくか」なんて声かけてくれたけど、今は会社の車両管理が厳しくなって、乗せてもらえないのだ。事故が起きた時の保険の問題とかいろいろあるらしい。期待してはいけないのだ。だから「覚悟」なのだ。やがてとっぷりと日は落ちた。ヘッドランプは2個、替えの電池と電球もそれぞれ準備して万全を期したので、明かりに関して不安は無かった。
星空がきれいだなあ。と、音もなく道路面をスーッと動いた。近寄ってみると何もない。子供のころ、狐に化かされてとんでもないところに行ってしまったとか、肥溜めで「風呂」に入っていたなどという話を聞かされたが、あれは自己催眠にかかってしまったという事なんだろうなあ。今回も道なりに進むと山の方に入り込みそうになった。ライトの当たっているところが白くなっていて道のように見えたのだ。そんなことの積み重ねが「化かされてしまう」原因だと思っている。そんなことを考えながら歩いていたが、狐に化かされることもなくゲートに着いた。
後20分か〜。まだ20分も歩くのだ。こんなことなら、ここに駐車しておけばよかったなあ、と後悔するが後の祭りだ。って、こんなことでグダグダ言っちゃだめだよね〜。武士は食わねど高楊枝。誇り高く行かなくては。
駐車場は、意外にも明るかった。明日登る人が前泊しているのかと思ったら、トイレについている電灯の明かりだった。太陽光発電システムで灯しているのであろう。19時15分、駐車場着。アシ沢から休みも入れて3時間15分。やっぱり覚悟の林道歩きだった。
携帯が通じないのはわかっているが、一応、下山報告。単なるアリバイ作り。道の駅まで走って、再度、下山報告。神さん曰く「あら、早いのね。今日は、泊りじゃなかったの」だって。まったく存在感なし。そんなんなら、一服平でもう一泊。夕日を眺め、朝日を拝みながら至福の時を過ごしたかった。覚悟の山行を西大日岳登頂というおまけ付きで終えて、有森選手じゃないけれど「自分で自分を誉めてあげたい」気分だったのに、一気に現実世界に引き戻されて「覚悟」の山行は終わった。
コメント
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おはようございます^^
それにしても超ロングの山行、おつかれさまでした!
わたしにはできない山行ですが、
レコで堪能させていただきました
二日目の行程、びっくりです
真夜中に歩いたことがないわけではありませんが
前後に人がいるご来光登山しか経験がないので
山肌のきれいな写真、雲海から顔を出した磐梯山
とっても感動しました^^
こんにちは〜。
遅くなった原因は、予定していなかった西大日岳を往復したことです。往復2時間でしたが、その分がプラスでした。
とにかく沢を渡ってしまえば、あとは暗くなっても歩けると思っていましたので、夜道歩きは想定内でした。ヘッドランプも2個持っていきました。道路は、林道といっても幅5m位ある立派な道路で、路面も整備されているので心配していませんでした。
それよりも何よりも、西大日岳の景色が良かったんですよ。紅葉の色合いといい、山の連なりといい。猛烈に行きたくなったんです。千載一遇のチャンスとでもいうのでしょうか。北アルプス遠征は没になったけど、西大日岳往復できたので良しとします。ではまた。
月心清水に鎮座する「小さな石」は、月心地蔵と言います。
この尾根を、一カ月近くも山に入って伐開した猪俣次郎氏、彼は僧侶で法名が月心でしたから、その名に因んでいます。
藤島玄氏は彼の功績を称え、当初、この尾根を「次郎新道」と命名しました。
初めまして
地蔵様でしたか。「月心」という名は坊さんの名だというのは聞いていましたが、道を切り開いた人の法名でしたか。「次郎新道」と命名されていたというのは初めて知りました。一つ利口になりました。
普通、新道というと地勢とは関係なしに、山頂目指してがむしゃらについているような道が多いようですが、よく考えられたルートだと思います。特に櫛ヶ峰から大日岳間は、ここしかないという感じでした。いいルートでした。
これからもいろいろ教えてください。ではまた。失礼します。
いつもながら、小説のような、読み応えのある文章に引き込まれてます。
飯豊の大日岳と西大日岳、気持ち良さそうですね。
このコースは、ハードルが高すぎて無理ですが、違うコースから、大日岳だけでもいつか、行ってみたいです。
2日間、とても長い距離、本当にお疲れ様でした。 (^O^)/
おはようございます。minkさん。
長いこと登ってみたいと考えていたので、満足感があります。飯豊とか朝日とか東北の山はいいですね。なんていうか「山懐に抱かれる」というような感じでしょうか。
大日岳に登るなら、仙台からだと飯豊温泉か大日杉からになるんでしょうが、一泊だとのんびりできないので二泊確保できるといいでしょうね。天気予報眺めて、エイヤッと。そんなわけにはいきませんか。現実世界は厳しいですから。でも上杉鷹山の藩ですから。為せば成る。計画成就を願っています。ではまた。
myokohiutiさん
凄い計画に挑戦されましたね。
完全踏破おめでとうございます。
オンベ松ルートはダイグラに比べても飯豊最難関の様ですから、相当の「覚悟」が必要だったことでしょう。
諸々の不安や葛藤を乗り越えた末の完全踏破ですから、さぞかし達成感と喜びも相当なものでしょうね。おめでとうございます。
年齢と共に体力が衰退すると、気力にも及んで、中々「覚悟」が出来なくなるものですが、貴兄の体力にも敬服です。日頃からの心掛けの賜物でしょうか。
ヘッデン帰還と成りましたが、想定内のことで、全体的にも余裕が感じられます。豊富な体験と用意周到さの勝利ですね。
レコ拝見し、こちらも爽快な気分と喜びを得られ感謝です。
ご理解ある奥様にも感謝ですね。
tonkaraさん おはようございます。
うじうじと考えてばかりいましたが。やっと行くことができました。満足しています。
いろいろありますが、実は、最大の難関は、神さんですね。昨年、登山を始めて以来初のフォーストビバークに追い込まれて、ちょっと分が悪いんです。深謀遠慮。手練手管を弄してやっています。ローマは一日にしてならず、ですw・・・
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