梵字飯場に自転車をデポして、山王帽子山登山口近くの路肩からスタート。
今回は普段のカメラが入院中だったので、AW1にて撮影です。
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9/30 5:18
梵字飯場に自転車をデポして、山王帽子山登山口近くの路肩からスタート。
今回は普段のカメラが入院中だったので、AW1にて撮影です。
今日も北から山王帽子に取り付きます。画面中央の立ち木を境に左右に尾根筋あり。今日は右のぼんやりした小尾根を登ります。
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9/30 5:35
今日も北から山王帽子に取り付きます。画面中央の立ち木を境に左右に尾根筋あり。今日は右のぼんやりした小尾根を登ります。
登りながら於呂俱羅を見返る。
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9/30 5:46
登りながら於呂俱羅を見返る。
植樹帯から森に入ったところにある人工物。小尾根の尾根筋の目印。
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9/30 5:48
植樹帯から森に入ったところにある人工物。小尾根の尾根筋の目印。
山王帽子・西の肩を目指す。藪はほぼない。
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9/30 6:02
山王帽子・西の肩を目指す。藪はほぼない。
登山道に合流。
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9/30 6:25
登山道に合流。
山王帽子山に到着。
中川光憙氏によって『私記』の小太郎嶽と比定された場所です。
現在の小太郎山とは異なります。
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9/30 6:43
山王帽子山に到着。
中川光憙氏によって『私記』の小太郎嶽と比定された場所です。
現在の小太郎山とは異なります。
山頂広場の西端にある御料局境界標石は「界甲六四一」
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9/30 6:29
山頂広場の西端にある御料局境界標石は「界甲六四一」
前回の山行から1週間で一気に秋めきました。
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9/30 6:36
前回の山行から1週間で一気に秋めきました。
山王帽子山から男体山を望む。
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9/30 6:34
山王帽子山から男体山を望む。
大永7年(1527)6月27日(グレゴリオで8月4日)、深山之宿を発った一行は隠水にて柴宿を取っています。
今日はまずその痕跡を探さなければなりません。
登山道を下りながら御料局境界標石を探しますが見つかりません。
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9/30 6:46
大永7年(1527)6月27日(グレゴリオで8月4日)、深山之宿を発った一行は隠水にて柴宿を取っています。
今日はまずその痕跡を探さなければなりません。
登山道を下りながら御料局境界標石を探しますが見つかりません。
「界甲六四三」が見つからないまま山王帽子東の肩に到着。
ひとまずp.264に写真のある岩を探します。
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9/30 6:52
「界甲六四三」が見つからないまま山王帽子東の肩に到着。
ひとまずp.264に写真のある岩を探します。
ありました。平地の南端です。
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9/30 7:00
ありました。平地の南端です。
『山王帽子山のハガタテ側にある巨岩(p.264)』を特定。
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9/30 7:01
『山王帽子山のハガタテ側にある巨岩(p.264)』を特定。
巨岩。
特定はしたものの『全踏査』で書かれている「露岩」のことなのか「西北の巨石群」なのか扱いかねて、困窮します。
下調べの段階では「西北の巨石群」の写真だと思っていたのです。場所的にそのどちらでもないように見受けられます。
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9/30 7:02
巨岩。
特定はしたものの『全踏査』で書かれている「露岩」のことなのか「西北の巨石群」なのか扱いかねて、困窮します。
下調べの段階では「西北の巨石群」の写真だと思っていたのです。場所的にそのどちらでもないように見受けられます。
巨岩から西を望む。
『露岩の西側に御料局境界標石柱「界甲六四八」が埋まっている。この付近に小祠は確認できない(p.263)』
やはり何も見つけられず終わりました。
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9/30 7:04
巨岩から西を望む。
『露岩の西側に御料局境界標石柱「界甲六四八」が埋まっている。この付近に小祠は確認できない(p.263)』
やはり何も見つけられず終わりました。
巨岩のすぐ脇にヌタ場のような跡がありました。
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9/30 7:05
巨岩のすぐ脇にヌタ場のような跡がありました。
近づいてみます。
「隠水の柴宿」というからにはここには宿(小屋掛け)は無く、本当のビバークだったのかもしれません。
落ちていた枝で5cmほど掘ってみましたが水は出ず。
ここから北方向に沢状の浸食痕があったので追ってみましたが、閼伽となりそうな場所は分かりませんでした。
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9/30 7:07
近づいてみます。
「隠水の柴宿」というからにはここには宿(小屋掛け)は無く、本当のビバークだったのかもしれません。
落ちていた枝で5cmほど掘ってみましたが水は出ず。
ここから北方向に沢状の浸食痕があったので追ってみましたが、閼伽となりそうな場所は分かりませんでした。
巨石のあたりからハガタテ薙を見下ろす。
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9/30 7:23
巨石のあたりからハガタテ薙を見下ろす。
混乱のなか、先へ進むことにしました。もちろん小祠も見つけられていません。
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9/30 7:23
混乱のなか、先へ進むことにしました。もちろん小祠も見つけられていません。
標高点1919を通過。
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9/30 7:30
標高点1919を通過。
封鎖された、ハガタテ薙ルートの跡を通過。
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9/30 7:41
封鎖された、ハガタテ薙ルートの跡を通過。
小太郎山に到着。
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9/30 8:09
小太郎山に到着。
御料局三等三角点あり。
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9/30 8:21
御料局三等三角点あり。
いい天気です。
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9/30 8:22
いい天気です。
男体山と大真名子、そして裾野に広がる広い森。
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9/30 8:25
男体山と大真名子、そして裾野に広がる広い森。
男体山と大真名子の間に見える、三ノ宿や六郎地を同定。
こんなに低く見えることに改めて驚きます。
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9/30 8:24
男体山と大真名子の間に見える、三ノ宿や六郎地を同定。
こんなに低く見えることに改めて驚きます。
中禅寺湖の向こうに見える山々。
お〜、鳴神山だ。
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9/30 8:24
中禅寺湖の向こうに見える山々。
お〜、鳴神山だ。
いずれ歩くことになるタカノス沢のあたりをしげしげと観察。
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9/30 8:24
いずれ歩くことになるタカノス沢のあたりをしげしげと観察。
袈裟丸・皇海・奥白根。
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9/30 8:25
袈裟丸・皇海・奥白根。
県境尾根を同定。
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9/30 8:25
県境尾根を同定。
奥白根 - 金精 - 温泉の向こうの山を同定。
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9/30 8:23
奥白根 - 金精 - 温泉の向こうの山を同定。
燧ヶ岳。
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9/30 8:26
燧ヶ岳。
平・燧・アイコマあたりを同定。
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9/30 8:26
平・燧・アイコマあたりを同定。
さらにその東側、台倉高山あたりを同定。
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9/30 8:26
さらにその東側、台倉高山あたりを同定。
今日の山行目的を忘れそうになりますので先へ進みます。
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9/30 8:27
今日の山行目的を忘れそうになりますので先へ進みます。
実際、忘れて太郎山までスカッと歩いてしまいました。
(久しぶりにいろんな人と楽しくヤマの話して浮かれちゃいました) いやはやなんとも。
もうしばらくの間、三峯五禅頂のなかでも夏峯でしか歩かない道を歩いていたのですが、太郎山は五禅頂(秋の抖)でも歩きます。他の日光表連山も同様です。
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9/30 8:39
実際、忘れて太郎山までスカッと歩いてしまいました。
(久しぶりにいろんな人と楽しくヤマの話して浮かれちゃいました) いやはやなんとも。
もうしばらくの間、三峯五禅頂のなかでも夏峯でしか歩かない道を歩いていたのですが、太郎山は五禅頂(秋の抖)でも歩きます。他の日光表連山も同様です。
山頂に2つの山名板と2つの石祠と碑伝あり。
手前の祠は昭和31年・奥は平成15年、ともに二荒山神社による建立。
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9/30 8:40
山頂に2つの山名板と2つの石祠と碑伝あり。
手前の祠は昭和31年・奥は平成15年、ともに二荒山神社による建立。
石祠。
粉引(李朝陶器)を模した蕪がありました。
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9/30 8:47
石祠。
粉引(李朝陶器)を模した蕪がありました。
石祠に立てかけるようにして残されていた太郎山神社奥宮碑。
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9/30 8:41
石祠に立てかけるようにして残されていた太郎山神社奥宮碑。
「太郎山神」まではありますが、その先の「社奥宮」はどこかに欠損している模様。「昭和34年 安蘇○○講」などの銘あり。
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9/30 10:00
「太郎山神」まではありますが、その先の「社奥宮」はどこかに欠損している模様。「昭和34年 安蘇○○講」などの銘あり。
その裏手にある三等三角点「太郎山」2367.68m 異常(露出)。
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9/30 8:42
その裏手にある三等三角点「太郎山」2367.68m 異常(露出)。
折れたまま横たわる山名板あり。
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9/30 8:42
折れたまま横たわる山名板あり。
マウンテン・タロー。
2枚の山名板。
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9/30 8:42
マウンテン・タロー。
2枚の山名板。
小太郎山を見返る。
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9/30 8:45
小太郎山を見返る。
山頂から梵天岩を望む(画像中央)。
『「申ニ螺スリヲ駈ル」とある(中略)一方では、太郎山旧火口の通称お花畑の外側の縁を回って、山頂に至った様子を比喩したようにも取れる(p.266)』とあって、掲載された地図にもそのようなルートが描かれています。
『私記』に記述のある「ナビキ左の石躰」や「右の秘水」も通常の登山ルートで素直に説明できるように思うのですが、一応花畑を外周してみます。
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9/30 8:45
山頂から梵天岩を望む(画像中央)。
『「申ニ螺スリヲ駈ル」とある(中略)一方では、太郎山旧火口の通称お花畑の外側の縁を回って、山頂に至った様子を比喩したようにも取れる(p.266)』とあって、掲載された地図にもそのようなルートが描かれています。
『私記』に記述のある「ナビキ左の石躰」や「右の秘水」も通常の登山ルートで素直に説明できるように思うのですが、一応花畑を外周してみます。
お花畑の入り口まで戻ってきました。
画面右端に見える屏風のような岩は…
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9/30 8:55
お花畑の入り口まで戻ってきました。
画面右端に見える屏風のような岩は…
下からはこう見えます。
(帰路、裏男体林道の湯殿沢橋より撮影)
この岩が火口を堰き止めているみたいに見えます。
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9/30 16:22
下からはこう見えます。
(帰路、裏男体林道の湯殿沢橋より撮影)
この岩が火口を堰き止めているみたいに見えます。
では行ってみましょう。
全般に鹿道が繋がっています。
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9/30 8:56
では行ってみましょう。
全般に鹿道が繋がっています。
歩きながら、お花畑。
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9/30 8:57
歩きながら、お花畑。
屏風岩(仮称)のあたりは巻きます。
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9/30 9:02
屏風岩(仮称)のあたりは巻きます。
サクサク進むと…
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9/30 9:05
サクサク進むと…
薙のトップに出ました。ほほぅ…。
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9/30 9:07
薙のトップに出ました。ほほぅ…。
薙からの眺め。
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9/30 9:08
薙からの眺め。
ちょっと藪を抜けて登山道と合流。
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9/30 9:11
ちょっと藪を抜けて登山道と合流。
登山道からお花畑を望む。
阿弥陀様に会いに行きます。
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9/30 9:13
登山道からお花畑を望む。
阿弥陀様に会いに行きます。
お花畑を行く。
右端が梵天岩。この日は「金銀岩戸(p.373)」は左端の岩だと勘違いしていましたが、どうやら違うようです。
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9/30 9:14
お花畑を行く。
右端が梵天岩。この日は「金銀岩戸(p.373)」は左端の岩だと勘違いしていましたが、どうやら違うようです。
屏風のような岩。左の岩の足元に阿弥陀様。
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9/30 9:17
屏風のような岩。左の岩の足元に阿弥陀様。
阿弥陀如来、日光山中屈指の名品だと思う。
寛永元年(1624)に東照宮別当(大楽院)が設けられた際、大楽院初代別当の行恵が出羽三山を勧請したようで、その時に「太郎山外輪山の一端」(太郎山そのものでないことに注意)を月山に見立てたようです。阿弥陀如来は月山の本地仏。ちなみに湯殿山は男体山北面の火口内、羽黒山に至っては寂光院の裏山(1039峰か?田母沢に羽黒滝という名が残る)に勧請したらしい。志津乗越の「志津」という地名も月山参詣口の「志津口」に因みます。荒沢や御沢の名も同様の付与のようです。
太郎山の新薙ルートには旧道があって、そちらにも阿弥陀如来像が残っているとのこと。
日光修験とは関係ない場所だと思ってたけど碑伝あり。出羽三山勧請についてはのちに、大田和宿で驚く陰刻を見ることになります。
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9/30 9:19
阿弥陀如来、日光山中屈指の名品だと思う。
寛永元年(1624)に東照宮別当(大楽院)が設けられた際、大楽院初代別当の行恵が出羽三山を勧請したようで、その時に「太郎山外輪山の一端」(太郎山そのものでないことに注意)を月山に見立てたようです。阿弥陀如来は月山の本地仏。ちなみに湯殿山は男体山北面の火口内、羽黒山に至っては寂光院の裏山(1039峰か?田母沢に羽黒滝という名が残る)に勧請したらしい。志津乗越の「志津」という地名も月山参詣口の「志津口」に因みます。荒沢や御沢の名も同様の付与のようです。
太郎山の新薙ルートには旧道があって、そちらにも阿弥陀如来像が残っているとのこと。
日光修験とは関係ない場所だと思ってたけど碑伝あり。出羽三山勧請についてはのちに、大田和宿で驚く陰刻を見ることになります。
では再び外輪に戻り、梵天岩を目指します。
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9/30 9:25
では再び外輪に戻り、梵天岩を目指します。
梵天岩。帰宅後分ったのですが、池田氏は画面右に見えているリッジの立った岩を金銀岩戸と比定されているようです。
金銀岩戸は五禅頂の拝所。夏峯を記した『私記』にその名はありません。
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9/30 9:28
梵天岩。帰宅後分ったのですが、池田氏は画面右に見えているリッジの立った岩を金銀岩戸と比定されているようです。
金銀岩戸は五禅頂の拝所。夏峯を記した『私記』にその名はありません。
梵天岩のあたりから、小真名子手前に横たわる2034峰とそこから右に続く標高点1909、タカノス沢を凝視。
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9/30 9:32
梵天岩のあたりから、小真名子手前に横たわる2034峰とそこから右に続く標高点1909、タカノス沢を凝視。
梵天岩の後ろに回り込みました。
祠などは見当たらず。
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9/30 9:33
梵天岩の後ろに回り込みました。
祠などは見当たらず。
そこからの眺め。
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9/30 9:33
そこからの眺め。
岩場を越えて太郎山目指します。
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9/30 9:33
岩場を越えて太郎山目指します。
お花畑を北東から。
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9/30 9:34
お花畑を北東から。
登山道(新薙ルート)に合流。
池田氏はこのあたりから寒沢薙に下ったかと思われます。
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9/30 9:43
登山道(新薙ルート)に合流。
池田氏はこのあたりから寒沢薙に下ったかと思われます。
山頂直下の分岐を通過。
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9/30 9:49
山頂直下の分岐を通過。
本日2度目の太郎山にて、山頂の石躰。
『まず、手前が行者石であろう。次は2個の巨石が確かに向き合って対面している姿に見える。穴のある方を「権現」と見立てると、それをのぞき込むように首を伸ばした方が「弘法」ということになる。そして背の低い西端のものが馬頭石ということになろう(p.267)』とあります。
画像左が行者石、右が権現弘法御対面石の「権現」に比定された岩だと思います。
2
9/30 9:53
本日2度目の太郎山にて、山頂の石躰。
『まず、手前が行者石であろう。次は2個の巨石が確かに向き合って対面している姿に見える。穴のある方を「権現」と見立てると、それをのぞき込むように首を伸ばした方が「弘法」ということになる。そして背の低い西端のものが馬頭石ということになろう(p.267)』とあります。
画像左が行者石、右が権現弘法御対面石の「権現」に比定された岩だと思います。
穴はすぐに分かります。「権現」
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9/30 9:54
穴はすぐに分かります。「権現」
穴のある岩の陰にある岩。…これを「弘法」としたのかな?
「穴 → 星 → 求聞持法 → 空海」の連想で、穴をのぞき込む空海を想起したのでしょうか。
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9/30 9:55
穴のある岩の陰にある岩。…これを「弘法」としたのかな?
「穴 → 星 → 求聞持法 → 空海」の連想で、穴をのぞき込む空海を想起したのでしょうか。
西端には中途半端なサイズの岩がチラホラ。馬頭石はどれだろう。よく分らない。
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9/30 9:58
西端には中途半端なサイズの岩がチラホラ。馬頭石はどれだろう。よく分らない。
小太郎と中禅寺湖。
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9/30 9:55
小太郎と中禅寺湖。
奥白根から根名草まで。
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9/30 9:55
奥白根から根名草まで。
根名草から燧まで。
双耳型の根名草ピーク間に見えているのは至仏山。
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9/30 10:17
根名草から燧まで。
双耳型の根名草ピーク間に見えているのは至仏山。
いよいよ寒沢薙を下ります。
太郎山山頂には2か所のロープバリケードがあります。
石祠に向かって左側、shige-ponさんが登ってきたのはここ。
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9/30 10:02
いよいよ寒沢薙を下ります。
太郎山山頂には2か所のロープバリケードがあります。
石祠に向かって左側、shige-ponさんが登ってきたのはここ。
もうひとつが祠に向かって右側のここ。
こちらの方が道筋が素直そうなので、こちらを下ることにしました。『薙の起点を西にトラバースすれば、呼称梵天岩と太郎山山頂との鞍部にでる(p.372)』とありますが、尾根筋を見てみたいです、こちらで参ります。
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9/30 10:28
もうひとつが祠に向かって右側のここ。
こちらの方が道筋が素直そうなので、こちらを下ることにしました。『薙の起点を西にトラバースすれば、呼称梵天岩と太郎山山頂との鞍部にでる(p.372)』とありますが、尾根筋を見てみたいです、こちらで参ります。
始めは踏跡が続きますが…
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9/30 10:35
始めは踏跡が続きますが…
直に見失います。コンパスを頼りに進むと…
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9/30 10:39
直に見失います。コンパスを頼りに進むと…
ドンピシャで薙の先端に到着。ガーミンは標高2312mを示しています。
薙の対岸からここに下りてくれば池田氏の歩いたルートになるのだろうと思います。
2
9/30 10:42
ドンピシャで薙の先端に到着。ガーミンは標高2312mを示しています。
薙の対岸からここに下りてくれば池田氏の歩いたルートになるのだろうと思います。
薙を下る。左手に見えるのが薙の左岸。
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9/30 10:45
薙を下る。左手に見えるのが薙の左岸。
下りながら、高原山。
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9/30 10:46
下りながら、高原山。
茶臼岳の溶岩ドームが良く見えます。今日は凄い人出だろうなあ。
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9/30 10:46
茶臼岳の溶岩ドームが良く見えます。今日は凄い人出だろうなあ。
そして女峰・小真名子・大真名子の、ツッコミ入れたくなるような並び。
2034峰北面の4本の薙がよく見える。
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9/30 10:53
そして女峰・小真名子・大真名子の、ツッコミ入れたくなるような並び。
2034峰北面の4本の薙がよく見える。
彼はこの尾根を登ったので逆の歩き方ですが、shige-ponさんが標高2200mまでは尾根筋を登り、そこからこの薙に下りていることをギモンに思っていました。
が、実景を見て納得しました。
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9/30 10:55
彼はこの尾根を登ったので逆の歩き方ですが、shige-ponさんが標高2200mまでは尾根筋を登り、そこからこの薙に下りていることをギモンに思っていました。
が、実景を見て納得しました。
奥を見ると歩きにくそうな地形です。標高2200mで自分も左岸尾根に入ることにしました。
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9/30 10:55
奥を見ると歩きにくそうな地形です。標高2200mで自分も左岸尾根に入ることにしました。
入口らしき踏跡あり(笑)
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9/30 10:55
入口らしき踏跡あり(笑)
なんとなく踏跡はありますがやはり見失います。
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9/30 11:04
なんとなく踏跡はありますがやはり見失います。
尾根筋ははっきりしませんが、右手は薙で塞がれているので気が楽です。歩くだけなら迷いません。
でも歩けども御料局境界標石が見当たらないのです。できるだけ尾根筋らしい部分を歩こうとしているのですが…。
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9/30 11:19
尾根筋ははっきりしませんが、右手は薙で塞がれているので気が楽です。歩くだけなら迷いません。
でも歩けども御料局境界標石が見当たらないのです。できるだけ尾根筋らしい部分を歩こうとしているのですが…。
マークあり。赤いビニールテープによるものもありましたが、頼りに歩けるような量ではありません。
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9/30 11:21
マークあり。赤いビニールテープによるものもありましたが、頼りに歩けるような量ではありません。
『御料局境界標石「界甲六九八」の埋まる標高二〇〇〇メートル付近にM字型の露岩がある。五禅頂の拝所地蔵石と推定される(p.268)』とありますが、何も見つけられず焦ります。
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9/30 11:30
『御料局境界標石「界甲六九八」の埋まる標高二〇〇〇メートル付近にM字型の露岩がある。五禅頂の拝所地蔵石と推定される(p.268)』とありますが、何も見つけられず焦ります。
『この露岩以外に、この道筋に大きな露岩はない(p.371)』とありますが、露岩は結構多く見受けられます。道筋のはっきりしない尾根を上下に右往左往。
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9/30 11:47
『この露岩以外に、この道筋に大きな露岩はない(p.371)』とありますが、露岩は結構多く見受けられます。道筋のはっきりしない尾根を上下に右往左往。
やっと見つけた御料局境界標石。
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9/30 11:34
やっと見つけた御料局境界標石。
界甲七〇〇でした。標高2025m。六九八はこの上か…。
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9/30 11:37
界甲七〇〇でした。標高2025m。六九八はこの上か…。
見上げても見下ろしても尾根筋が分からない、の図(画面右に写っているのが七〇〇)。
M字型の露岩も見当たらず、失意のまま尾根を下り切り…
2
9/30 11:55
見上げても見下ろしても尾根筋が分からない、の図(画面右に写っているのが七〇〇)。
M字型の露岩も見当たらず、失意のまま尾根を下り切り…
とぼとぼ歩いてたら薄暗い森の中に緑色の光が。
(ホントにそんな感じでした)
苔生した緑色の広場に到着しました。
真ん中を一本の道が貫いています。
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9/30 12:14
とぼとぼ歩いてたら薄暗い森の中に緑色の光が。
(ホントにそんな感じでした)
苔生した緑色の広場に到着しました。
真ん中を一本の道が貫いています。
広場の西隅に護摩壇と金剛堂・不動明王立像が見えました。ここが寒沢宿です。
4
9/30 12:39
広場の西隅に護摩壇と金剛堂・不動明王立像が見えました。ここが寒沢宿です。
寒沢宿の護摩壇(右)と金剛堂(左)。
周辺の樹木はそれほど太くありません。数十年前に皆伐されている感じです。
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9/30 13:11
寒沢宿の護摩壇(右)と金剛堂(左)。
周辺の樹木はそれほど太くありません。数十年前に皆伐されている感じです。
護摩壇。
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9/30 12:15
護摩壇。
「六段の石段」と『全踏査』にはあります。宿を見下ろすように並ぶ金剛堂と不動明王立像。
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9/30 12:15
「六段の石段」と『全踏査』にはあります。宿を見下ろすように並ぶ金剛堂と不動明王立像。
2基の金剛堂と不動明王立像。
南南東向き。
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9/30 12:16
2基の金剛堂と不動明王立像。
南南東向き。
石組の中の金剛堂・不動明王立像。池田氏が271頁で述べているように、1基の母屋が潰れたため新しい金剛堂を奉納したのかもしれません。
2
9/30 12:16
石組の中の金剛堂・不動明王立像。池田氏が271頁で述べているように、1基の母屋が潰れたため新しい金剛堂を奉納したのかもしれません。
碑伝は宇都宮の多氣山不動尊(持寶院)によるもの。現代の五禅頂を実行されているようです。
2
9/30 12:19
碑伝は宇都宮の多氣山不動尊(持寶院)によるもの。現代の五禅頂を実行されているようです。
享保14年(1729)の紀年銘。願善坊雄契・正円坊浅栄・妙月坊観禅・常観坊義錬・櫻栄坊貞栄による寄進。
2
9/30 12:17
享保14年(1729)の紀年銘。願善坊雄契・正円坊浅栄・妙月坊観禅・常観坊義錬・櫻栄坊貞栄による寄進。
金剛堂から見た護摩壇。ほとんど直交するように設置されている。
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9/30 12:19
金剛堂から見た護摩壇。ほとんど直交するように設置されている。
広場をぐるりと囲む排水溝と思われる溝。
この広場は材木伐採の基地として使われた気配が濃厚で、あるいはそれ用の遺構かもしれません。
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9/30 13:04
広場をぐるりと囲む排水溝と思われる溝。
この広場は材木伐採の基地として使われた気配が濃厚で、あるいはそれ用の遺構かもしれません。
広場を貫いて南へ延びる道。
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9/30 12:23
広場を貫いて南へ延びる道。
同じく北へ延びる道。
さて、閼伽と行者石・両部石を探さねばなりません。石躰については『東寄りに下って、野門道まで出(p.268)』るという文章を解しかねて、269頁の地図通りに北側を中心に探索しました。
宿周辺は踏跡が入り乱れています。
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9/30 12:23
同じく北へ延びる道。
さて、閼伽と行者石・両部石を探さねばなりません。石躰については『東寄りに下って、野門道まで出(p.268)』るという文章を解しかねて、269頁の地図通りに北側を中心に探索しました。
宿周辺は踏跡が入り乱れています。
宿のすぐ東にあった源頭部のような場所。涸れ沢なのですが…
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9/30 12:41
宿のすぐ東にあった源頭部のような場所。涸れ沢なのですが…
何か所もの場所溜まり水がありました (湧いているかどうかは分かりかねました。いずれもすぐに伏流してしまいます)。
昔は深山巴の宿のように水の流れに囲まれた場所だったのでしょうか。
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9/30 12:47
何か所もの場所溜まり水がありました (湧いているかどうかは分かりかねました。いずれもすぐに伏流してしまいます)。
昔は深山巴の宿のように水の流れに囲まれた場所だったのでしょうか。
涸れ沢は北に向かって延びています。いつでも飲める水質なら本当にありがたいのですが…。
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9/30 12:50
涸れ沢は北に向かって延びています。いつでも飲める水質なら本当にありがたいのですが…。
地形図を拡大すると出てくる、変な長方形記号のある場所を撮影。
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9/30 12:38
地形図を拡大すると出てくる、変な長方形記号のある場所を撮影。
真ん中のヤツっす。
2017年10月07日 17:42撮影
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10/7 17:42
真ん中のヤツっす。
石躰、見つからず。今日は諦めます。宿の南にあるという湿地帯(閼伽推定地)も見つかりませんでした。
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9/30 12:50
石躰、見つからず。今日は諦めます。宿の南にあるという湿地帯(閼伽推定地)も見つかりませんでした。
寒沢の空。
若い林による、怖いくらいに深い森です。
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9/30 13:05
寒沢の空。
若い林による、怖いくらいに深い森です。
こんな夢みたいな場所に来れたことを良しとして、今日は下山します。
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9/30 12:55
こんな夢みたいな場所に来れたことを良しとして、今日は下山します。
標高点1879に立ち寄りました。268頁にその座標についての記述がありますが、やはり結構ずれています。
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9/30 13:14
標高点1879に立ち寄りました。268頁にその座標についての記述がありますが、やはり結構ずれています。
寒沢宿を南に出ようとすると踏跡はいきなり2手に分かれています。左が正解。
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9/30 13:16
寒沢宿を南に出ようとすると踏跡はいきなり2手に分かれています。左が正解。
新薙ルートの登山道に出合うまで、地形図に印刷してきたshige-ponさんのトラックを頼りに、コンパスを振って歩きました。
沢地形を何本も横断します。
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9/30 13:28
新薙ルートの登山道に出合うまで、地形図に印刷してきたshige-ponさんのトラックを頼りに、コンパスを振って歩きました。
沢地形を何本も横断します。
涸れ沢。
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9/30 13:29
涸れ沢。
途中出合った広場跡。
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9/30 13:31
途中出合った広場跡。
大まかに言って、この赤ペンキを追えばいいようですが、たまに道から外れた場所にもマークがありました。
また下り方向に歩くとマークされた向きが見にくいものも多かったです。
1
9/30 13:33
大まかに言って、この赤ペンキを追えばいいようですが、たまに道から外れた場所にもマークがありました。
また下り方向に歩くとマークされた向きが見にくいものも多かったです。
ビニールテープによるマークは信頼がおけました。
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9/30 13:33
ビニールテープによるマークは信頼がおけました。
宿周辺だけ見かけたテープマーク。
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9/30 13:33
宿周辺だけ見かけたテープマーク。
地形図にあった建物記号に立ち寄ってみました。飯場の跡みたいです。
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9/30 13:40
地形図にあった建物記号に立ち寄ってみました。飯場の跡みたいです。
大きな涸れ沢のほとりで見出標乙20発見。
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9/30 13:42
大きな涸れ沢のほとりで見出標乙20発見。
大きな涸れ沢を(画像だと右から左へ)渡ります。ここは対岸の小さな踏跡ではなく、ハスに歩いてやや下流の踏跡(たしかテープマークがあったと思う)に取付きます。
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9/30 13:45
大きな涸れ沢を(画像だと右から左へ)渡ります。ここは対岸の小さな踏跡ではなく、ハスに歩いてやや下流の踏跡(たしかテープマークがあったと思う)に取付きます。
涸れ沢から上ったところにある見出標乙22。
乙21は道から外れています。順番に追えばいいわけではないようです。
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9/30 13:52
涸れ沢から上ったところにある見出標乙22。
乙21は道から外れています。順番に追えばいいわけではないようです。
今の徒渉を復習しておきます。
乙22へは、涸れ沢からここを上ってきました。
この踏跡の対岸にも明瞭な踏跡あるので注意。
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9/30 13:52
今の徒渉を復習しておきます。
乙22へは、涸れ沢からここを上ってきました。
この踏跡の対岸にも明瞭な踏跡あるので注意。
乙22対岸の踏跡。
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9/30 13:54
乙22対岸の踏跡。
少し上れば先ほど渡った大岩があります。対岸に赤ペンキマークあり。そこを上れば乙21があります。
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9/30 13:54
少し上れば先ほど渡った大岩があります。対岸に赤ペンキマークあり。そこを上れば乙21があります。
さて、先へ進んで地形図の破線に出合いました。新薙ルートの跡のようで、ここもハスに渡ります。徒渉先に赤テープあり。
ちなみに阿弥陀仏があるとされる新薙ルート旧道(というより月山参道と呼ぶべきか)は、こことは別の道です。
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9/30 14:11
さて、先へ進んで地形図の破線に出合いました。新薙ルートの跡のようで、ここもハスに渡ります。徒渉先に赤テープあり。
ちなみに阿弥陀仏があるとされる新薙ルート旧道(というより月山参道と呼ぶべきか)は、こことは別の道です。
大きな広場に出ました。見出標乙37と38の間にあります。
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9/30 14:24
大きな広場に出ました。見出標乙37と38の間にあります。
今下りて来た方向。
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9/30 14:26
今下りて来た方向。
広場の西端にある乙38
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9/30 14:26
広場の西端にある乙38
乙38から道は真南に延びています。
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9/30 14:27
乙38から道は真南に延びています。
途中あった、標高点1853と巻き道の分岐。手前の境界標に見出標がないことに気を取られて、左の道を直進してしまいました。赤ペンキの打ってある右へ進み、小ピークを巻きます。
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9/30 14:38
途中あった、標高点1853と巻き道の分岐。手前の境界標に見出標がないことに気を取られて、左の道を直進してしまいました。赤ペンキの打ってある右へ進み、小ピークを巻きます。
そこから新薙登山道へはすぐです。2本の白杭が分岐の目印。
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9/30 14:40
そこから新薙登山道へはすぐです。2本の白杭が分岐の目印。
傍らのシラビソには赤い矢印が。
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9/30 14:41
傍らのシラビソには赤い矢印が。
分岐から太郎山方向を望む。左の新薙登山道には日光マークが打ってあります。寒沢方面には赤ペンキ。
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9/30 14:41
分岐から太郎山方向を望む。左の新薙登山道には日光マークが打ってあります。寒沢方面には赤ペンキ。
あとはフツーに下って林道まで下りました。この日はshige-ponさんの歩いたルートをなぞりましたが、他にもいろいろな歩き方をした方がいらっしゃるようで、なかなか面白いです。
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9/30 14:52
あとはフツーに下って林道まで下りました。この日はshige-ponさんの歩いたルートをなぞりましたが、他にもいろいろな歩き方をした方がいらっしゃるようで、なかなか面白いです。
林道を行く。
shige-ponさん、ここから大真名子に登ってたよなー。
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9/30 15:04
林道を行く。
shige-ponさん、ここから大真名子に登ってたよなー。
せっかくなので大多和宿だけ立ち寄ってくることにしました。ここから地形図に落としてきた宿のおおまかな位置を頼りに歩いてみます。
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9/30 15:32
せっかくなので大多和宿だけ立ち寄ってくることにしました。ここから地形図に落としてきた宿のおおまかな位置を頼りに歩いてみます。
林道から下りてすぐ、最初の涸れ沢があります。
復路に分かったのですが、大多和宿までマーキングと踏跡が続いていました。以下それに基づいてルートを説明します。
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9/30 16:03
林道から下りてすぐ、最初の涸れ沢があります。
復路に分かったのですが、大多和宿までマーキングと踏跡が続いていました。以下それに基づいてルートを説明します。
巣箱があります。
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9/30 16:02
巣箱があります。
赤黄2本線のマークをたどればOK。
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9/30 16:01
赤黄2本線のマークをたどればOK。
2本目の涸れ沢を渡る。
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9/30 16:00
2本目の涸れ沢を渡る。
さらにマークをたどれば…
(復路撮ったので、巣箱からここまでの撮影方向は[宿 → 林道]向き)
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9/30 15:58
さらにマークをたどれば…
(復路撮ったので、巣箱からここまでの撮影方向は[宿 → 林道]向き)
金剛堂・不動明王立像が見えました。大多和宿に到着です。
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9/30 15:39
金剛堂・不動明王立像が見えました。大多和宿に到着です。
左から地蔵菩薩坐像・不動明王立像・金剛堂・火焔光背付不動明王立像。その手前に椀状の窪みのある石造物が4つ並びます。
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9/30 15:40
左から地蔵菩薩坐像・不動明王立像・金剛堂・火焔光背付不動明王立像。その手前に椀状の窪みのある石造物が4つ並びます。
3つは円型、ひとつは自然石っぽいもの。
『同形の石造物が四基並べられている(p.281)』とはこれのことかと思われます。『爐と推定される石造物が二基(同頁)』については気づかず。
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9/30 15:40
3つは円型、ひとつは自然石っぽいもの。
『同形の石造物が四基並べられている(p.281)』とはこれのことかと思われます。『爐と推定される石造物が二基(同頁)』については気づかず。
ほぼ北向きに並べられた石仏群。
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9/30 15:41
ほぼ北向きに並べられた石仏群。
その足元にはきちんとした基礎が設けられています。
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9/30 15:41
その足元にはきちんとした基礎が設けられています。
火焔光背付不動明王立像の前面。印刻はもはや読みにくくなっていますが『全踏査』によれば『奉寄進 不動尊』『奉元禄十丁丑天七月日 山口信隆(*1697)』とのことです。『不動尊』の下にそれ以外の文字があることも分ります。
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9/30 15:42
火焔光背付不動明王立像の前面。印刻はもはや読みにくくなっていますが『全踏査』によれば『奉寄進 不動尊』『奉元禄十丁丑天七月日 山口信隆(*1697)』とのことです。『不動尊』の下にそれ以外の文字があることも分ります。
金剛堂。多氣山碑伝あり。
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9/30 15:42
金剛堂。多氣山碑伝あり。
右側面に『願主 櫻正坊宗明』の印刻あり。その他の面は無銘。
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9/30 15:42
右側面に『願主 櫻正坊宗明』の印刻あり。その他の面は無銘。
これ不動明王立像の背面じゃなかったかなあ。思い出せず。『全踏査』には『この立像には印刻は認められず』と書いてある。
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9/30 15:41
これ不動明王立像の背面じゃなかったかなあ。思い出せず。『全踏査』には『この立像には印刻は認められず』と書いてある。
不動明王立像。『天眼地眼の形相』とありますがもはや分かりかねる。右目は上を向いているように見えます。
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9/30 15:50
不動明王立像。『天眼地眼の形相』とありますがもはや分かりかねる。右目は上を向いているように見えます。
そして地蔵菩薩坐像の背中には『湯殿山開山』の印刻。先に述べた男体山火口に湯殿山を勧請した歴史がここにも残っています。日光修験の宿に出羽三山か、と思ったのですが…
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9/30 15:50
そして地蔵菩薩坐像の背中には『湯殿山開山』の印刻。先に述べた男体山火口に湯殿山を勧請した歴史がここにも残っています。日光修験の宿に出羽三山か、と思ったのですが…
うっすらと残る、この胸に刻まれた文字は『行恵』だそうです。出羽三山を勧請した張本人の名前です。紀年名はありませんが寛永元年(1624)ごろ奉納されたのでしょうか。宿で他山勧請を同列で祀っていることに驚きました。懐が深いと言うか、いい加減と言うか。
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9/30 15:50
うっすらと残る、この胸に刻まれた文字は『行恵』だそうです。出羽三山を勧請した張本人の名前です。紀年名はありませんが寛永元年(1624)ごろ奉納されたのでしょうか。宿で他山勧請を同列で祀っていることに驚きました。懐が深いと言うか、いい加減と言うか。
閼伽はこの石仏群のすぐ脇にありました。
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9/30 15:46
閼伽はこの石仏群のすぐ脇にありました。
閼伽。この水、飲んで来ればよかったです。フィルター持ってたし。
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9/30 15:53
閼伽。この水、飲んで来ればよかったです。フィルター持ってたし。
護摩壇は閼伽と石仏群に正対するかのように、中央に据えてあります。
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9/30 15:48
護摩壇は閼伽と石仏群に正対するかのように、中央に据えてあります。
火焔光背付不動明王立像から護摩壇を望む。
『落ち葉に埋もれた石造物が一個』も分らずじまい。
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9/30 15:45
火焔光背付不動明王立像から護摩壇を望む。
『落ち葉に埋もれた石造物が一個』も分らずじまい。
2本の沢にはさまれた台地の上にある大多和宿。
今日の山行はここまでとしました。帰ります。
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9/30 15:54
2本の沢にはさまれた台地の上にある大多和宿。
今日の山行はここまでとしました。帰ります。
裏男体林道を下ります。湯殿沢橋と男体山。
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9/30 16:18
裏男体林道を下ります。湯殿沢橋と男体山。
大真名子!
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9/30 16:24
大真名子!
梵字飯場のゲートに到着です。
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9/30 16:48
梵字飯場のゲートに到着です。
チドリアン回収。
スタート地点に向けて、今から山王林道をクライムヒルするわけです(笑)
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9/30 16:56
チドリアン回収。
スタート地点に向けて、今から山王林道をクライムヒルするわけです(笑)
こんにちは。
いつも「後追いで実踏できる」記録作り、お疲れ様です!
読むたびに、おもしろい(笑)!ヘビー(苦笑)と
楽しませていただいております。
>碑伝は宇都宮の多氣山不動尊(持寶院)によるもの。
>現代の五禅頂を実行されているようです。
写真を見た瞬間、ををっ!でした。
尊いものごとに触れると、清々しい気持ちですね。
>正確性より情感を重視した流れがちな文章だと感じる自分がいて、
>残念でなりません。
そこまで到達しているのですから、志を高くもって
シリーズ山歩きをされているのですね。尊敬します♪
>シリーズ山行を続けるなか見つけられなかった場所が
>宿題のように少しずつ増えていき、少々息苦しくなってまいりました。
>見逃したものを探し直すことを考えると年内にこのシリーズを
>終えられる気もせず、気が急いています。
壮大ですねー。
私の足利百名山、一座一記録も、息苦しいことがあります。
度々、めんどっちーなー、三座一記録にまとめたいと感じます。
でもまあ、いつか、だれかの役に立つかも?なあんて思って、
一座一記録を励行中です(笑)
足利百名山は、昨シーズンで終えたいと思っていましたが、
自分で決めた一座一記録により、時間切れ。
まあ、再来年辺りには終わるかな?という気分です。
thoughtmayさんも、急がなくても大丈夫ですよ!
ramisukeさん、コメありがとです。
一座一記録と決められていたんですか。
小さな山を堪能するかのような歩き方に惹かれていたのですが、
なんだか納得しました。
続きを期待してお待ちしていますが、再来年はすごいなあ!(笑)
自分の場合は、池田さんの記録をとにかくデータ化して残しておきたい気持ちが強いです。
山は往古からそこにあるものなのにも関わらず、
ヤマ歩きって時代ごとの一過性が強いんだなあ、と最近思うようになりました。
放っておくと消えてしまう物事が結構たくさんあるよなあ、って。
下山後、レコを書きながら分かったことなのですが、
寒沢宿周辺をグーグルアースで俯瞰すると
森の中に幾筋もの道らしきものが放射状に伸びているのを見ることができます。
(みー猫さんのブログで知りました)
今回寒沢宿から下ってくる際に出合った2か所の広場は
どちらもその放射の中心部です。
みー猫さんが寒沢宿から富士見峠に向かって歩いた記録があるのですが、
その途中小真名子の北側で出会った、レールの遺されていた広場も
放射の中心にあたるようです。
材木の切り出しにトロッコか索道を用いた痕跡なんだろうなと考えていますが、
こんなことの実態も調べるとなかなか骨が折れそうですよね。
野門道、と池田さんは古道と作業道とを一括りにしているのかもしれないのですが、
人の生きたもっと多層的な跡が、あの辺には残っているような気がします。
人が為したことは、やはり記録しておいた方がいいと自分は思います。
たとえ当事者が記録に何の関心を持っていなかったとしても。
オレのすることじゃないよな、とは思うのですが
記録がないと頭に来ます(笑)
カッコ悪いと思うんですよね。
林道の名、沢の名、橋の名、すべからく分りやすくデータベース化してくれい!
…と、ホントそう思います。
時代が経てばこれらはみんな消えて無くなってしまいますもん、間違いなく。
…とは言いつつも。
早く『全踏査』探索に区切りをつけてもっと自由にヤマ登りがしたいです。
これもまた、偽らざる現在の心境です
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