昨夜は古峯神社の宿坊に泊まった。
今日の山行はそこからスタート。
いわゆる"禅頂行者みち"を経て、予め自転車をデポしておいた細尾峠を目指す。
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9/28 5:52
昨夜は古峯神社の宿坊に泊まった。
今日の山行はそこからスタート。
いわゆる"禅頂行者みち"を経て、予め自転車をデポしておいた細尾峠を目指す。
神社に併設された庭園、古峯園は夜間は閉鎖されている。
深山巴ノ宿への旧道はおそらくこの中を通っていたはずだが、今はガマン。
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9/28 6:00
神社に併設された庭園、古峯園は夜間は閉鎖されている。
深山巴ノ宿への旧道はおそらくこの中を通っていたはずだが、今はガマン。
遠巻きに園内を眺めつつ、県道58号線(草久足尾線)の舗装路を歩く。
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9/28 6:10
遠巻きに園内を眺めつつ、県道58号線(草久足尾線)の舗装路を歩く。
出来るだけ旧道を辿りたいので、カーブ17の足尾沢1号砂防堰堤から県道を外れ、足尾沢の右岸を歩いてみた。
途切れがちだが、旧い踏み跡が残っている。
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9/28 6:26
出来るだけ旧道を辿りたいので、カーブ17の足尾沢1号砂防堰堤から県道を外れ、足尾沢の右岸を歩いてみた。
途切れがちだが、旧い踏み跡が残っている。
カーブ20付近で県道を乗越す。
この先の旧道が分からず、右往左往してしまった。
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9/28 6:30
カーブ20付近で県道を乗越す。
この先の旧道が分からず、右往左往してしまった。
道が分からない。
道路際に白炭用と思われる炭窯跡が残っていた。
煙道まできれいに残っているのは珍しい。
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9/28 6:45
道が分からない。
道路際に白炭用と思われる炭窯跡が残っていた。
煙道まできれいに残っているのは珍しい。
そのすぐ脇には、石組みを解体されたかと思われる窯跡あり。
天井が落ちるか何かして、すぐ隣で窯を打ち直したのだろうか。
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9/28 6:42
そのすぐ脇には、石組みを解体されたかと思われる窯跡あり。
天井が落ちるか何かして、すぐ隣で窯を打ち直したのだろうか。
旧道を探してウロウロ歩く。
画像は足尾沢2号砂防堰堤が堰き止めた水溜り。
奥で光る尾根は地蔵尾根。
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9/28 6:49
旧道を探してウロウロ歩く。
画像は足尾沢2号砂防堰堤が堰き止めた水溜り。
奥で光る尾根は地蔵尾根。
カーブ25のすぐ西側、踏跡が明瞭だった地点。
あとはほとんど道を追えず__
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9/28 6:57
カーブ25のすぐ西側、踏跡が明瞭だった地点。
あとはほとんど道を追えず__
カーブ29まで登ってきてしまった。
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9/28 7:00
カーブ29まで登ってきてしまった。
カーブ29の古峰ヶ原登山口から登山道に入る。
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9/28 7:04
カーブ29の古峰ヶ原登山口から登山道に入る。
へつり地蔵の磐座に到着。
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9/28 7:10
へつり地蔵の磐座に到着。
へつり地蔵に参っていく。
お地蔵様を守る小堂には3基の礎石があるのに、地蔵尊は2体しか乗っていない。
いずれも丁寧な造りだが、銘は見つからなかった。
中央の1体。
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9/28 7:20
へつり地蔵に参っていく。
お地蔵様を守る小堂には3基の礎石があるのに、地蔵尊は2体しか乗っていない。
いずれも丁寧な造りだが、銘は見つからなかった。
中央の1体。
左のお地蔵さまは、顔がハツられてるように見えた。
余った右端の礎石にはタヌキの置物が置かれている。
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9/28 7:20
左のお地蔵さまは、顔がハツられてるように見えた。
余った右端の礎石にはタヌキの置物が置かれている。
「足尾沢は左岸に行者沢、中ツ沢、アレッ沢が流れ込み、右岸にはキオトシ沢が流れ込む(p.42)」とあるのだが、僕にはどれがどれだか分らない。
橋の架かる枝沢を渡る。上流から2筋の流れが合わさって足尾沢に流れ込む。
左岸から流れ込むこの沢の名は、何なんだろう?
往年を知る登山の先輩の方々には、こうした地名を地図に記して残してほしいと痛切に思っている。広く公表していただきたい。
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9/28 7:31
「足尾沢は左岸に行者沢、中ツ沢、アレッ沢が流れ込み、右岸にはキオトシ沢が流れ込む(p.42)」とあるのだが、僕にはどれがどれだか分らない。
橋の架かる枝沢を渡る。上流から2筋の流れが合わさって足尾沢に流れ込む。
左岸から流れ込むこの沢の名は、何なんだろう?
往年を知る登山の先輩の方々には、こうした地名を地図に記して残してほしいと痛切に思っている。広く公表していただきたい。
標高1020mあたりで右岸から入る枝沢。
キオトシ沢なのかな?
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9/28 7:38
標高1020mあたりで右岸から入る枝沢。
キオトシ沢なのかな?
炭窯跡をまた見つけた。
こちらはほぼ埋没してしまっている。
登山道と並走しているのが旧道のように見えるが、自信がない。
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9/28 7:41
炭窯跡をまた見つけた。
こちらはほぼ埋没してしまっている。
登山道と並走しているのが旧道のように見えるが、自信がない。
旧道を求めて、コンクリート橋のところから登山道を離れて歩いた。
大した成果もないまま県道に乗り上げてしまう。
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9/28 7:55
旧道を求めて、コンクリート橋のところから登山道を離れて歩いた。
大した成果もないまま県道に乗り上げてしまう。
県道に乗ったものの旧い踏跡を見つけてまたコンクリート橋まで戻ってみる。
この日の山行でも42・131頁の石仏と128頁の山神碑を見つけられなかった。
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9/28 8:03
県道に乗ったものの旧い踏跡を見つけてまたコンクリート橋まで戻ってみる。
この日の山行でも42・131頁の石仏と128頁の山神碑を見つけられなかった。
収穫なく、最後は古峰ヶ原峠の東屋近くに登り上げた。
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9/28 8:18
収穫なく、最後は古峰ヶ原峠の東屋近くに登り上げた。
古峰ヶ原湿原を見下ろす。
遊歩道を辿って深山巴ノ宿へ向かう。
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9/28 8:24
古峰ヶ原湿原を見下ろす。
遊歩道を辿って深山巴ノ宿へ向かう。
クモガタヒョウモン。
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9/28 8:25
クモガタヒョウモン。
遊歩道に沿うように咲き乱れていたトリカブト。
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9/28 8:31
遊歩道に沿うように咲き乱れていたトリカブト。
深山巴ノ宿に到着。
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9/28 8:39
深山巴ノ宿に到着。
ここは本当によくできた、夢のような地形だと改めて思う。
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9/28 8:40
ここは本当によくできた、夢のような地形だと改めて思う。
深山巴ノ宿全景。
本殿と思われる石宮の中には「日本武尊」「勝道上人」「大天狗烏天狗」の三柱が祀られていた。
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9/28 9:51
深山巴ノ宿全景。
本殿と思われる石宮の中には「日本武尊」「勝道上人」「大天狗烏天狗」の三柱が祀られていた。
ご神木(イチイ?)の根方に山王院の碑伝あり。
打札はしていなかった。
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9/28 8:47
ご神木(イチイ?)の根方に山王院の碑伝あり。
打札はしていなかった。
もう一本、注連縄されたトチノキ。
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9/28 8:55
もう一本、注連縄されたトチノキ。
『全踏査』45頁に「貞享元年に建立の金剛童子立像」とある像。
銘は摩耗し、ほとんど読めなくなっている。
金剛童子は本当に分かりにくい仏さまで、実態がつかめないでいる。作例によって幅もあるようだ。この像は右手に剣、左手に羂索を持ち、頂蓮のような冠を被って、火焔を背負っている。不動明王と異なるように感じるのは服装くらいだ。
この像、カワゴ石で池田さんが不動明王像だと説明されていた像と、像容がよく似ている。
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9/28 8:43
『全踏査』45頁に「貞享元年に建立の金剛童子立像」とある像。
銘は摩耗し、ほとんど読めなくなっている。
金剛童子は本当に分かりにくい仏さまで、実態がつかめないでいる。作例によって幅もあるようだ。この像は右手に剣、左手に羂索を持ち、頂蓮のような冠を被って、火焔を背負っている。不動明王と異なるように感じるのは服装くらいだ。
この像、カワゴ石で池田さんが不動明王像だと説明されていた像と、像容がよく似ている。
傍らにある地蔵菩薩坐像。
「天明二寅年奉納の地蔵菩薩坐像、奉納者は隼人秀珍、當宿建立願主恵禅(p.46)」
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9/28 8:43
傍らにある地蔵菩薩坐像。
「天明二寅年奉納の地蔵菩薩坐像、奉納者は隼人秀珍、當宿建立願主恵禅(p.46)」
ぼやぼやしていたら今回も「天明二寅年」「隼人秀珍」の部分を確認し忘れた。
悔しい。
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9/28 8:45
ぼやぼやしていたら今回も「天明二寅年」「隼人秀珍」の部分を確認し忘れた。
悔しい。
「中州中央の一段高くなった小平地に四基の金剛堂が居並ぶ(p.44)」として4基の江戸期石祠が紹介してあるのだが、現状は昭和47年奉納の石祠2基と3基の江戸石祠があるのみである。
向拝柱のあるものが昭和の石祠。
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9/28 9:19
「中州中央の一段高くなった小平地に四基の金剛堂が居並ぶ(p.44)」として4基の江戸期石祠が紹介してあるのだが、現状は昭和47年奉納の石祠2基と3基の江戸石祠があるのみである。
向拝柱のあるものが昭和の石祠。
前から見て後列右側の金剛堂が最も古く、44頁に「明和七庚寅歳 / 卯月廿弐日建立」「奉建立深山辨財天弐社」とあるうち「卯月廿弐日建立」の部分は読みにくい。
後列左側の金剛堂は左面に「天保十巳亥天三月」「前鬼主水富義」「後鬼縫殿董勇」、右面に「鏡徳坊禅□ 圓融坊貞誠 妙月坊成海」の銘があると池田さんは記録されているのだが、このうち肝心の前鬼・後鬼云々の個所がほとんど読めなくなっている。「後鬼縫殿董勇」の文言はとても気になる。
また後列中央にあると書かれている「度衆 大月□」「文化五戌辰年正□」「奉寄進□」の金剛堂は、現在そこにはない。仔細は不明である。
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9/28 8:49
前から見て後列右側の金剛堂が最も古く、44頁に「明和七庚寅歳 / 卯月廿弐日建立」「奉建立深山辨財天弐社」とあるうち「卯月廿弐日建立」の部分は読みにくい。
後列左側の金剛堂は左面に「天保十巳亥天三月」「前鬼主水富義」「後鬼縫殿董勇」、右面に「鏡徳坊禅□ 圓融坊貞誠 妙月坊成海」の銘があると池田さんは記録されているのだが、このうち肝心の前鬼・後鬼云々の個所がほとんど読めなくなっている。「後鬼縫殿董勇」の文言はとても気になる。
また後列中央にあると書かれている「度衆 大月□」「文化五戌辰年正□」「奉寄進□」の金剛堂は、現在そこにはない。仔細は不明である。
早発ちだったので、古峯神社の朝食をおにぎりにして持たせてもらっていた。
昼食用にキープしていたのだが、ここで食べてしまう。
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9/28 9:10
早発ちだったので、古峯神社の朝食をおにぎりにして持たせてもらっていた。
昼食用にキープしていたのだが、ここで食べてしまう。
ところで宿の東側に鳥居の部材が打ち捨てられていた。
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9/28 8:48
ところで宿の東側に鳥居の部材が打ち捨てられていた。
出向いてみると木橋がある。
その先を辿ってみると__
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9/28 9:43
出向いてみると木橋がある。
その先を辿ってみると__
マーキングがあった。
少し追ってみたが__
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9/28 9:44
マーキングがあった。
少し追ってみたが__
やはり見失った。
このまま進めば、ニノ鳥居あたりから登山道に入り、三枚石に向かうのだと思う。
巴ノ宿での修業は冬峯で26泊・華供峯で10泊という、長期逗留する籠り修行だった。華供峯においてはここから三枚石を往復している。
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9/28 9:46
やはり見失った。
このまま進めば、ニノ鳥居あたりから登山道に入り、三枚石に向かうのだと思う。
巴ノ宿での修業は冬峯で26泊・華供峯で10泊という、長期逗留する籠り修行だった。華供峯においてはここから三枚石を往復している。
さて、その橋が架かっていた場所あたりだが__
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9/28 9:50
さて、その橋が架かっていた場所あたりだが__
なぜかいくつかの羽釜や文化鍋、おろし金が打ち捨てられていた。
44頁に写真のある擬宝珠は見つけられず。
巴ノ宿でゆっくりしすぎたかもしれない。
先へ進む。
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9/28 9:44
なぜかいくつかの羽釜や文化鍋、おろし金が打ち捨てられていた。
44頁に写真のある擬宝珠は見つけられず。
巴ノ宿でゆっくりしすぎたかもしれない。
先へ進む。
住家比定地の金剛堂に向かう。
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9/28 9:53
住家比定地の金剛堂に向かう。
県道沿いのミズナラにもたれかかるようにして残っている、母屋を欠いた金剛堂。
住家の比定地である。(142頁)
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9/28 9:55
県道沿いのミズナラにもたれかかるようにして残っている、母屋を欠いた金剛堂。
住家の比定地である。(142頁)
ここには住家と称する掛小屋があったのだが、『冬峯副大宿手日記』によれば宿以外の3つの掛小屋は出立前に焼き払われたらしい。(52頁)
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9/28 9:55
ここには住家と称する掛小屋があったのだが、『冬峯副大宿手日記』によれば宿以外の3つの掛小屋は出立前に焼き払われたらしい。(52頁)
足尾道の辻を目指す。
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9/28 10:00
足尾道の辻を目指す。
足尾道に出た。
画面左の石積みの上にあるのが__
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9/28 10:07
足尾道に出た。
画面左の石積みの上にあるのが__
首欠けの地蔵菩薩坐像(55・142頁)
お地蔵様の首に、どなたかが石を置いたようだ。
山王院の碑伝あり。
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9/28 10:08
首欠けの地蔵菩薩坐像(55・142頁)
お地蔵様の首に、どなたかが石を置いたようだ。
山王院の碑伝あり。
背中に掘られた「金剛山」
古峰原講供養塔は、神仏分離令以前は「金剛山」と彫られるのが通例だった。当地にあっては"金剛山"という名称自体が古峯神社を表していたと言ってもいいかもしれない。
古峯神社は日光山の分地のような性格が強く、その歴史は修験者とともにある。日光との関わりから生まれた力が古峰原講の原動力だった気がしてならない。
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9/28 10:08
背中に掘られた「金剛山」
古峰原講供養塔は、神仏分離令以前は「金剛山」と彫られるのが通例だった。当地にあっては"金剛山"という名称自体が古峯神社を表していたと言ってもいいかもしれない。
古峯神社は日光山の分地のような性格が強く、その歴史は修験者とともにある。日光との関わりから生まれた力が古峰原講の原動力だった気がしてならない。
さて、ここから"禅頂修験のみち"までの区間は初めて歩く。
歩き始めたら、意外なことに山林局の次三角点に出合った。
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9/28 10:22
さて、ここから"禅頂修験のみち"までの区間は初めて歩く。
歩き始めたら、意外なことに山林局の次三角点に出合った。
山林局次三角点。
他に刻まれているのは「山」の一字のみ。
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9/28 10:21
山林局次三角点。
他に刻まれているのは「山」の一字のみ。
行者沼に到着。
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9/28 10:25
行者沼に到着。
行者沼。
ここで一般登山道に出合う。
登山道を進み__
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9/28 10:26
行者沼。
ここで一般登山道に出合う。
登山道を進み__
"大天狗之大神"に到着。
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9/28 10:29
"大天狗之大神"に到着。
大天狗之大神に掲げられた掛け軸。
これも僕には仔細が分からない。
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9/28 10:30
大天狗之大神に掲げられた掛け軸。
これも僕には仔細が分からない。
"禅頂修験のみち"に入った。
この尾根は立派なミズナラがとても多く、好きな道だ。
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9/28 10:33
"禅頂修験のみち"に入った。
この尾根は立派なミズナラがとても多く、好きな道だ。
ヌタ場あり。
しばらくは高低差の少ない稜線歩き。
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9/28 10:35
ヌタ場あり。
しばらくは高低差の少ない稜線歩き。
最近トレランのレースがあったらしく、ルート上に多くの白テープが残されていた。
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9/28 10:40
最近トレランのレースがあったらしく、ルート上に多くの白テープが残されていた。
行者清水に到着。
水量豊富だった。
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9/28 10:49
行者清水に到着。
水量豊富だった。
行者清水源流部。
登山道のすぐ脇にある小さな窪地である。
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9/28 10:51
行者清水源流部。
登山道のすぐ脇にある小さな窪地である。
行者平を通過。
0
9/28 10:55
行者平を通過。
行者岳に到着。
3等三角点「焼山」あり。
山王院の碑伝があった。
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9/28 11:03
行者岳に到着。
3等三角点「焼山」あり。
山王院の碑伝があった。
RKさん山名板あり。
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9/28 11:08
RKさん山名板あり。
行者岳〜薬師岳の区間で、池田さんはこのあたりのピークや鞍部の名前をいろいろと書き起こしてくれている。
行者岳から下りきったこの辺りが"行者のタァー(p.57)"か。
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9/28 11:13
行者岳〜薬師岳の区間で、池田さんはこのあたりのピークや鞍部の名前をいろいろと書き起こしてくれている。
行者岳から下りきったこの辺りが"行者のタァー(p.57)"か。
そこから登り返せば、斜面の途中に「金剛童子」との銘板が掲げられた"行者八竜"がある。
幾つもの大岩を八竜に見立てたものかと思われる。
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9/28 11:15
そこから登り返せば、斜面の途中に「金剛童子」との銘板が掲げられた"行者八竜"がある。
幾つもの大岩を八竜に見立てたものかと思われる。
行者八竜の金剛堂と山王院碑伝。
金剛堂は本光坊亮貞が享保20年(1735)に奉納したもの。
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9/28 11:17
行者八竜の金剛堂と山王院碑伝。
金剛堂は本光坊亮貞が享保20年(1735)に奉納したもの。
端正な造りだ。
南南西向き。
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9/28 11:19
端正な造りだ。
南南西向き。
行者八竜にて。
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9/28 11:21
行者八竜にて。
行者八竜から上り詰めると平坦なピークが長く続く。
その東端あたりに__
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9/28 11:44
行者八竜から上り詰めると平坦なピークが長く続く。
その東端あたりに__
山林局主三角点があった。
58頁にある"松倉(別称白樺平)"はこの平坦な頂上部のいずれかだと思う。
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9/28 11:45
山林局主三角点があった。
58頁にある"松倉(別称白樺平)"はこの平坦な頂上部のいずれかだと思う。
標高点1267はこのあたり。
高低差の少ない平坦部。
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9/28 11:52
標高点1267はこのあたり。
高低差の少ない平坦部。
大岩山に到着した。
1
9/28 11:58
大岩山に到着した。
カツカツンさんによる日光山紀行山名板あり。
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9/28 11:58
カツカツンさんによる日光山紀行山名板あり。
山王院碑伝あり。
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9/28 11:59
山王院碑伝あり。
大岩山と唐梨子山との鞍部。
このあたりが"大岩ノタァー(p.59)"か。
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9/28 12:16
大岩山と唐梨子山との鞍部。
このあたりが"大岩ノタァー(p.59)"か。
緩やかな唐梨子山の斜面を登っていくと、頂上付近で湧水がある。
0
9/28 12:25
緩やかな唐梨子山の斜面を登っていくと、頂上付近で湧水がある。
湧水地のうちの一。
見渡すと何か所かから水が湧いているの様子が分かる。
これは登山道上の湧水地点。
0
9/28 12:26
湧水地のうちの一。
見渡すと何か所かから水が湧いているの様子が分かる。
これは登山道上の湧水地点。
水量もある。
フィルター使えば上等の水質。
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9/28 12:26
水量もある。
フィルター使えば上等の水質。
唐梨子山に到着した。
0
9/28 12:30
唐梨子山に到着した。
これで"けなしやま"と読む。
0
9/28 12:32
これで"けなしやま"と読む。
唐梨子山にて。
置き忘れたみたいに、一枚だけ碑伝あり。
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9/28 12:33
唐梨子山にて。
置き忘れたみたいに、一枚だけ碑伝あり。
ここもカツカツン山名板。
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9/28 12:33
ここもカツカツン山名板。
頂上からやや下ると竜之宿八竜がある。
先ほど通った南斜面と同様に、あたりには水が沁みだしているような場所が見える。湧水の確認は怠った。
巨岩が散乱する風景。
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9/28 12:38
頂上からやや下ると竜之宿八竜がある。
先ほど通った南斜面と同様に、あたりには水が沁みだしているような場所が見える。湧水の確認は怠った。
巨岩が散乱する風景。
巨岩の陰に大日如来あり。
無銘かと思われる。
山王院碑伝あり。
竜之宿八竜では冬峯の際、一泊している。
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9/28 12:42
巨岩の陰に大日如来あり。
無銘かと思われる。
山王院碑伝あり。
竜之宿八竜では冬峯の際、一泊している。
そこから下りきればハガタテ平に到着。
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9/28 12:56
そこから下りきればハガタテ平に到着。
ハガタテやハナタテと名の付く峠や薙は多くある。
いずれも登るほどにどんどん勾配が強まる地形。
"端タテ(ハナタテ)"が語源なのだろうと思う。
地蔵岳山頂に向かってせり上がる、この谷の勾配も凄いものがある。
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9/28 13:06
ハガタテやハナタテと名の付く峠や薙は多くある。
いずれも登るほどにどんどん勾配が強まる地形。
"端タテ(ハナタテ)"が語源なのだろうと思う。
地蔵岳山頂に向かってせり上がる、この谷の勾配も凄いものがある。
地蔵岳山頂に到着。
金剛堂から山頂までは20m程度。
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9/28 13:22
地蔵岳山頂に到着。
金剛堂から山頂までは20m程度。
南南西向きに建つ地蔵岳金剛堂。
やはり地蔵尊だろうか。
山王院碑伝あり。
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9/28 13:23
南南西向きに建つ地蔵岳金剛堂。
やはり地蔵尊だろうか。
山王院碑伝あり。
「両五十五峯 前鬼隼人藤原重幸 世話」
名著出版『日光山と関東の修験道』において中川光憙氏が「西五十五峯」と書かれているが、おそらく誤植だと思われる。
禅頂行者みちには古峯神社石原家(前鬼隼人・前鬼主水)の痕跡が数多く遺っているのだなあと、この日の山行を通して実感した。
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9/28 13:25
「両五十五峯 前鬼隼人藤原重幸 世話」
名著出版『日光山と関東の修験道』において中川光憙氏が「西五十五峯」と書かれているが、おそらく誤植だと思われる。
禅頂行者みちには古峯神社石原家(前鬼隼人・前鬼主水)の痕跡が数多く遺っているのだなあと、この日の山行を通して実感した。
地蔵岳山頂にあった標石は主図根点であった。
「宇1」と刻まれていた。
山名板は画像に写っているこの1枚のみ。
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9/28 13:38
地蔵岳山頂にあった標石は主図根点であった。
「宇1」と刻まれていた。
山名板は画像に写っているこの1枚のみ。
地蔵岳山頂から地蔵尾根を望む。
ここまで来れば薬師岳までもう一息だ。
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9/28 13:40
地蔵岳山頂から地蔵尾根を望む。
ここまで来れば薬師岳までもう一息だ。
標高点1491を通過し__
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9/28 13:52
標高点1491を通過し__
三ツ目に到着。
一息入れた。
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9/28 13:54
三ツ目に到着。
一息入れた。
三ツ目から標高で60mほど下ると、登山道上に眺望のいい岩がある。
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9/28 14:25
三ツ目から標高で60mほど下ると、登山道上に眺望のいい岩がある。
眺望岩からの眺めを同定。
天気が良ければ男体も奥白根も見えるはずだ。
1
9/28 14:23
眺望岩からの眺めを同定。
天気が良ければ男体も奥白根も見えるはずだ。
茶ノ木平の"栃木県防災行政無線施設茶ノ木平中継局アンテナ"が見えた。
右後ろは男体山の山体。
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9/28 14:23
茶ノ木平の"栃木県防災行政無線施設茶ノ木平中継局アンテナ"が見えた。
右後ろは男体山の山体。
"焼山沢ノ頭(p.62)"を通過。
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9/28 14:34
"焼山沢ノ頭(p.62)"を通過。
焼山沢ノ頭にあった"山林境界標石121"
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9/28 14:34
焼山沢ノ頭にあった"山林境界標石121"
そこから細鈴沢ノ頭に向かう途中の尾根肩に石祠がある。
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9/28 14:39
そこから細鈴沢ノ頭に向かう途中の尾根肩に石祠がある。
承応2年(1653)銘の「清楚な金剛堂(p.62)」である。
南南東向き。
陰刻は摩耗が進んでおり、読み取れる文字は少なくなっていた。
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9/28 14:42
承応2年(1653)銘の「清楚な金剛堂(p.62)」である。
南南東向き。
陰刻は摩耗が進んでおり、読み取れる文字は少なくなっていた。
そこから少し進めば"細鈴沢ノ頭(p.62)"
1406pにあたる。
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9/28 14:49
そこから少し進めば"細鈴沢ノ頭(p.62)"
1406pにあたる。
細鈴沢ノ頭にあった図根点。
「足34」と彫ってあった。
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9/28 14:54
細鈴沢ノ頭にあった図根点。
「足34」と彫ってあった。
"権兵衛トヤ(p.64)"とはこのあたりか。
稜線上から見渡しても鳥屋を設けるような棚部は見つけられなかった。
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9/28 15:01
"権兵衛トヤ(p.64)"とはこのあたりか。
稜線上から見渡しても鳥屋を設けるような棚部は見つけられなかった。
"見晴平(p.64)"とはこのあたりか。
現状では樹勢が勝り、眺望はあまり無い。
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9/28 15:05
"見晴平(p.64)"とはこのあたりか。
現状では樹勢が勝り、眺望はあまり無い。
ナラノキノトヤはこのあたりか。
ここも棚部は見つからず。
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9/28 15:09
ナラノキノトヤはこのあたりか。
ここも棚部は見つからず。
1365p"ナラノキ沢ノ頭(p.64)"を通過。
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9/28 15:13
1365p"ナラノキ沢ノ頭(p.64)"を通過。
"掛合ノトヤ(p.64)"を通過。
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9/28 15:20
"掛合ノトヤ(p.64)"を通過。
ここには鳥屋にふさわしい規模の棚部がある。
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9/28 15:20
ここには鳥屋にふさわしい規模の棚部がある。
そこから1381pに向けて登れば掛合宿に到着。
宝暦14年(1764)銘金剛堂と、無銘の不動明王坐像。
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9/28 15:24
そこから1381pに向けて登れば掛合宿に到着。
宝暦14年(1764)銘金剛堂と、無銘の不動明王坐像。
への字口の不動明王坐像。
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9/28 15:25
への字口の不動明王坐像。
金剛堂のすぐ横、東斜面に棚部がある。
掛合宿はここにあっただと思われる。
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9/28 15:27
金剛堂のすぐ横、東斜面に棚部がある。
掛合宿はここにあっただと思われる。
かなりスペースがある。
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9/28 15:30
かなりスペースがある。
宿跡の棚部から見下ろすと、すぐ下にもう一段棚部がある。
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9/28 15:35
宿跡の棚部から見下ろすと、すぐ下にもう一段棚部がある。
さて、今まで知らなかった石祠が掛合宿のすぐ近くにあった。
宿から距離50mほど戻ると、大岩の陰に年代不詳の石祠があるのだ。
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9/28 15:36
さて、今まで知らなかった石祠が掛合宿のすぐ近くにあった。
宿から距離50mほど戻ると、大岩の陰に年代不詳の石祠があるのだ。
右面に4人、左面に6人の姓名が記されている。
「旧草久村民名(p.66)」だという。
さきほど説明した"掛合ノトヤの棚部"は、このすぐ横にある。
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9/28 15:39
右面に4人、左面に6人の姓名が記されている。
「旧草久村民名(p.66)」だという。
さきほど説明した"掛合ノトヤの棚部"は、このすぐ横にある。
では、掛合宿の閼伽を探しに行こうと思う。
これが今日の山行の一番の目的だった。
見渡しても水場らしい風景は見当たらないので愚直にこの谷を下っていく。
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9/28 15:58
では、掛合宿の閼伽を探しに行こうと思う。
これが今日の山行の一番の目的だった。
見渡しても水場らしい風景は見当たらないので愚直にこの谷を下っていく。
標高90mほど下ると、水場があった。
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9/28 16:02
標高90mほど下ると、水場があった。
さほど水量はなく汲みにくそうだが、水場発見。
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9/28 16:06
さほど水量はなく汲みにくそうだが、水場発見。
湧水地点から下流を望む。
少し下れば汲みやすい場所もありそう。
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9/28 16:06
湧水地点から下流を望む。
少し下れば汲みやすい場所もありそう。
では登山道に戻ろう。
上に見えているのは斜面のアゴだ。
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9/28 16:07
では登山道に戻ろう。
上に見えているのは斜面のアゴだ。
まだその先がある。
登山道に復帰して薬師岳・細尾峠を目指す。
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9/28 16:10
まだその先がある。
登山道に復帰して薬師岳・細尾峠を目指す。
1381pを通過。
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9/28 16:29
1381pを通過。
薬師の肩を通過。
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9/28 16:34
薬師の肩を通過。
薬師岳頂上南の張り出しから西南を望む。
太陽の真ん前にある山が皇海山。
大萱・備前楯・赤倉・袈裟丸・庚申・半月・狸・錫が見えている。
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9/28 16:38
薬師岳頂上南の張り出しから西南を望む。
太陽の真ん前にある山が皇海山。
大萱・備前楯・赤倉・袈裟丸・庚申・半月・狸・錫が見えている。
薬師岳山頂に到着。
今まで知らなかったが__
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9/28 16:41
薬師岳山頂に到着。
今まで知らなかったが__
山林局次三角点があった。
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9/28 16:41
山林局次三角点があった。
薬師嶽八竜。
「八個の花崗岩(p.67)」との記述もあるが、8個に拘る謂れはない。岩の数はそれ以上ある。
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9/28 16:42
薬師嶽八竜。
「八個の花崗岩(p.67)」との記述もあるが、8個に拘る謂れはない。岩の数はそれ以上ある。
薬師嶽八竜の2基の金剛堂。
寛永9年(1632)銘のあるものは画像左の金剛堂。
右の金剛堂は無銘(もしくは消失)。
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9/28 16:46
薬師嶽八竜の2基の金剛堂。
寛永9年(1632)銘のあるものは画像左の金剛堂。
右の金剛堂は無銘(もしくは消失)。
どちらも石室内に種子が彫られている。
線刻がはっきりしているのは右の金剛堂だが、薬師如来の種子"ベイ"に見えてくるには結構時間がかかった。
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9/28 16:47
どちらも石室内に種子が彫られている。
線刻がはっきりしているのは右の金剛堂だが、薬師如来の種子"ベイ"に見えてくるには結構時間がかかった。
栃木山紀行さんの山名板と山王院碑伝あり。
三角点の近くにリューキチ氏の温度計もある。
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9/28 16:55
栃木山紀行さんの山名板と山王院碑伝あり。
三角点の近くにリューキチ氏の温度計もある。
山頂にて。
ここを下れば三ノ宿・気生ノ宿に至る。
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9/28 16:43
山頂にて。
ここを下れば三ノ宿・気生ノ宿に至る。
山頂の3等三角点「石沢」と女峰山。
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9/28 16:43
山頂の3等三角点「石沢」と女峰山。
日留賀岳・大佐飛山と高原山。
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9/28 16:56
日留賀岳・大佐飛山と高原山。
八溝山(左)と高笹山(右)。
暗くなる前に下山しよう。
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9/28 16:45
八溝山(左)と高笹山(右)。
暗くなる前に下山しよう。
急ぎ細尾峠へ。
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9/28 17:04
急ぎ細尾峠へ。
日光マークが取り外されてしまった薬師の肩への分岐には、ケルンが作られていた。
この先には水場がある。
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9/28 17:07
日光マークが取り外されてしまった薬師の肩への分岐には、ケルンが作られていた。
この先には水場がある。
あとはもう、急ぎ足で__
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9/28 17:15
あとはもう、急ぎ足で__
古谷宿跡、つまり細尾峠に到着し__
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9/28 17:23
古谷宿跡、つまり細尾峠に到着し__
チドリアン回収。
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9/28 17:24
チドリアン回収。
細尾峠から神橋まで戻ります。
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9/28 17:24
細尾峠から神橋まで戻ります。
__その夜のヒトコマ。
僕の山行着は一張羅なのだった。
明日の山行に備えて、日光市内で洗濯しながら自炊中。
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9/28 20:12
__その夜のヒトコマ。
僕の山行着は一張羅なのだった。
明日の山行に備えて、日光市内で洗濯しながら自炊中。
さて山行当日は時間がなくて探せなかったので、9月30日に古谷宿(旧屋ノ宿)から細尾町内に下されたという不動明王立像を探して歩いた。
雨の中出会った地元の方もご存じなく、細尾を歩き回ることになった。
画像は細尾発電所と貯水池。
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9/30 8:06
さて山行当日は時間がなくて探せなかったので、9月30日に古谷宿(旧屋ノ宿)から細尾町内に下されたという不動明王立像を探して歩いた。
雨の中出会った地元の方もご存じなく、細尾を歩き回ることになった。
画像は細尾発電所と貯水池。
目星をつけていた場所も、地元の方に伺った場所も全て空振りに終わって諦めかけたとき、ついに旧屋ノ宿(古谷)の不動明王を見つけることができた。
灯台下暗しって、こういうことを言うんだろうな。
それは奥細尾バス停のすぐ脇にあったのだった。
旧家の敷地の片隅、という感じなのだろうか。
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9/30 8:20
目星をつけていた場所も、地元の方に伺った場所も全て空振りに終わって諦めかけたとき、ついに旧屋ノ宿(古谷)の不動明王を見つけることができた。
灯台下暗しって、こういうことを言うんだろうな。
それは奥細尾バス停のすぐ脇にあったのだった。
旧家の敷地の片隅、という感じなのだろうか。
細尾峠に奉納されていたものを全て、そのまま山から下してここに納めたのだろう。
夥しい数の三鈷剣がある。
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9/30 8:21
細尾峠に奉納されていたものを全て、そのまま山から下してここに納めたのだろう。
夥しい数の三鈷剣がある。
雨天の光では、表情が古寂びて感じられた。
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9/30 8:23
雨天の光では、表情が古寂びて感じられた。
力のこもった像でした。
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9/30 8:26
力のこもった像でした。
このお面も旧屋ノ宿にあったものなのかなあ…。
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9/30 8:23
このお面も旧屋ノ宿にあったものなのかなあ…。
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