積雪期単独日高山脈全山縦走(日勝峠〜襟裳岬)
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- GPS
- 384:23
- 距離
- 175km
- 登り
- 14,325m
- 下り
- 15,295m
コースタイム
- 山行
- 10:08
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 10:18
- 山行
- 7:52
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 8:02
- 山行
- 10:18
- 休憩
- 0:10
- 合計
- 10:28
- 山行
- 9:30
- 休憩
- 0:01
- 合計
- 9:31
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 10:58
- 休憩
- 0:03
- 合計
- 11:01
- 山行
- 10:34
- 休憩
- 0:01
- 合計
- 10:35
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 11:08
- 休憩
- 0:04
- 合計
- 11:12
- 山行
- 8:39
- 休憩
- 0:01
- 合計
- 8:40
- 山行
- 8:26
- 休憩
- 0:04
- 合計
- 8:30
- 山行
- 5:11
- 休憩
- 0:08
- 合計
- 5:19
- 山行
- 12:30
- 休憩
- 0:07
- 合計
- 12:37
- 山行
- 12:20
- 休憩
- 0:04
- 合計
- 12:24
- 山行
- 5:10
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:10
天候 | 詳細記録参照。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
入山前までの積雪量は例年に比べて少なかったと思われるが、入山中に積雪が何度もあったので実際に少ないと感じることはあまりなかった。 |
写真
装備
個人装備 |
スノーシュー
長袖シャツ
長袖インナー
ハードシェル
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
アウター手袋
予備手袋
防寒着
ネックウォーマー
バラクラバ
毛帽子
着替え
靴
ザック
アイゼン
ピッケル
ビーコン
スコップ
ゾンデ
行動食
非常食
調理用食材
飲料
ガスカートリッジ
コッヘル
食器
調理器具
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
GPS
筆記用具
ファーストエイドキット
針金
携帯
時計
ナイフ
カメラ
ポール
テント
テントマット
シェラフ
|
---|
感想
プロローグ
大学ワンゲル1年生のセンター試験休み、初めて「日高」に登った。野塚岳の頂上から望んだひと際大きな山は真っ白なワシのように両翼を広げている。聞くとあれはトヨニ岳だと言う。野塚の辺りは木も生えている一方、純白に輝くその山に心奪われる。先輩曰く、あの先にはもっと急峻な山々が連なっているらしい。十分急に見えるのにもっと険しいのか。漠然と、いつかあの先へ行ってみたいと思った。
あれから4年の月日が流れた。その間、何度か「日高」を登るチャンスはあったが、核心部と言われる中部日高はおろか、憧れのトヨニ岳以北には足を延ばせないでいた。そしていつしか、学生時代の目標は、核心部は未知のまま取っておいた「日高」の全山縦走だと思うようになった。部活を引退して初めての春休み、行くなら今だ。
日高の全山縦走は一般に、狭義では芽室岳〜楽古岳だと言われているが、それだとどうしても端から端までではないような気がしたから、日勝峠〜襟裳岬までにこだわって行けるところまで行くこととした。そうすると予備日も併せて3週間くらい必要となる。3週間近い日程を次にいつとれるか分からないし、今行けると思うのなら行けばいい。そうは言っても単独長期の経験は無かったから、まず準備山行として知床半島を全山縦走しようと決める。それからはあっという間だった。無事知床の計画を完遂
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し、これなら「日高」に行けるかもしれないという自信を得た。帰って十分に休息を取ると、慌ただしく準備を済ませ、あとは出発するだけになった。本当はもっと経験とか技術とか、もちろん体力も付けてから行くべきなのかもしれないが、行きたいと思ってしまったものは仕方がない。入山は3/14、14泊15日で予備日は4日、最終日は4/1。しかし63代の後輩たちの追いコンが3/30の14時からありそれには何としても出席したいからそれに間に合う、つまり3/30の午前までに下山することを最低目標とする。
前夜、体重を測ってみる。75.0圈2嫉海垢襪海蹐砲呂いつになっているのだろう。そもそも無事に生きて帰れるだろうか。考え出すときりがない。明日は初日からハードだからと思い直して、しばらくお別れになるだろう暖かい布団に潜り込む。
3/14
日勝峠(8:15)-ペケレベツ岳(12:00)-ウェンザル(15:00)-ルベシベ分岐(16:50)-1318コル(17:50)=Camp1
夜は色々なことを考えすぎてあまり寝られなかった。4時に起きて車で日勝峠まで。ドライバーをしてくれた優子を見送ると一人になってしまった。あれだけワクワクしていたはずなのにいざ出発が近づくと、出る直前まで「今日は天気悪そうやし明日からでも…」などと考えてしまう。空は予報通りどんよりと曇っている。いっそのこと吹雪いていれば明日からにするのだが、この天気が今の自分の気持ちをあらわしているのか。などと小説のようなことを考える。最後のパッキングをしていたら出発は8時を過ぎる。そして斜面に取り付くとと雪が降り始める。そのせいなのか、いまいちテンションが上がらない。ペケレベツの前後はスノーシューでもズボズボで、思うように進まない。1458への登りが一番ズボズボだった。辺りはガスに包まれ、入山を歓迎されていないようにすら感じる。予定より時間は遅れているが、今日中にウェンザル(1576)は越えておかないと後々面倒なので頑張る。しかしウェンザルPで吹雪。極い(ごくい。北大の用語?で辛い、きつい等の意)。その後も肩に食い込む20日分近い荷物に嫌気が差しながら1318コルへ。着く直前で日が暮れる。ギリギリ明るいうちにテントを張る。もう少し早く札幌を出ればよかった。まぁ何とか予定テン場まで来られたので良しとする。
夜、今回も知床の時と同様に心の友となるだろうと思っていたラジオの電源が入らず焦るが、電池の±が逆なだけだった。あぁ心の友よ、3週間弱仲良くやろうぜ。
3/15
C1(4:45)-芽室岳(7:45)-雪盛山(11:55)-1644(14:10)-1484コル(15:00)=C2
今日は高気圧圏内なので出来るだけスムーズに進みたいところ。しかし前日の降雪で15僂曚廟僂發辰燭蕕靴、早朝にも関わらず芽室岳まではズボズボ。そして晴れているせいで昼前には雪が腐り始める。稜線は雪庇が出ているものの歩く場所には困らない。だが、如何せんスノーシューでも沈み込み消耗する。思うように進まない。これが明日からも続くのかと思うと少し憂鬱になる。今日は風がないので稜線上の申し訳程度のチョロタンネの横にテントを張る。明日は天気がいまいちのようだがどこまで行けるだろうか。
3/16
C2(8:13)-ピパイロ分岐(13:25)-1967峰(14:47)-岩稜帯先1900付近(15:57)=C3
朝起きると大粒の雪が降っている。昨日からさらに20僂らいは積もっただろうか。止むまで待って少し収まった気がしたので出る。しかし結局、雪は終日止むことはなかった。ラッセルが極い。単独行で交代してくれる人がいないことの辛さを思い知る。1707は真上を通過。斜面に入るのは雪崩のリスクが高いのでお勧めしない。去年もここを歩いたからか、ラッセルがあっただけで怖いとは思わない。ムショの壁もスノーシューで駆け上がる。雪がついていると大して怖いと思わなかった。去年はガチガチに氷化していたから大違いだ。1967峰への登りはさすがに締まっていて登りやすかった。ツボだとはまるのでその先の岩場もスノーシューで行ってしまったが、面倒がらずにアイゼンを出せばよかった。このことが後々更なる面倒を引き起こすこととなる。テントは風下側の斜面を開削して張る。知床に入山していた時より食欲が増している気がする。この1週間で胃袋が拡張されてしまったか。
3/17
C3(6:02)-北トッタベツ岳(7:22)-トッタベツ岳(9:13)-神威岳(15:06)-1513先東尾根(16:12)=C4
夜中、23:43を確認した直後、突然テントが吹き溜まりにつぶされる。雪にテントごと体が押しつぶされて焦るが、何とか這い出て除雪をする。風がないので油断していたが、風上側から新雪が吹き溜まっていたらしい。一時はどうなることかと思った。その後は2時間おきに除雪をしていた。
恐怖の夜を越えて、ガスに覆われた稜線を歩く。少し進むとガスが薄くなり、北トッタベツ岳につく頃には快晴になる。今山行最初の快晴に一人雄たけびを上げる。トッタベツとの間のポコは岩場になっていてアイゼンを出す。そこを過ぎるとすぐに沈むようになったのでスノーシューに戻す。そのままトッタベツ岳へ。快晴のピークでは北日高が全部見える。最高に気持ちが良い。これから歩く稜線の先にはカムエクが鎮座している。新雪のおしろいでおめかしをした美しい幌尻岳をバックに写真を撮って先へ。きっと昨日の雪は僕に会う前のお化粧直しだったんだろうな。ザクザク下ろし切ると再びラッセルが始まる。神威岳までの細尾根は雪庇が出ていて尾根も細く、歩けるところが限られている。さらに南下して稜線が東向きになると尾根は素直で歩きやすくなる。この辺りでガスがわき、小雪もちらつく。今日も雪かと思ってしまうが、一日晴天で午後に雪が緩むよりはましなのかもしれない。明日は風が強そうだがどうなることやら。
3/18
C4(5:10)-エサオマントッタベツ岳(5:11)-ナメワッカ分岐(10:25)-春別岳(11:41)-1917(13:38)-1732コル(14:36)=C5=Ω
今までで一番寒い朝。それもそのはず、満天の星で雲一つないから放射冷却のせいだ。気分よく出発。エサオマンまで雪庇のある尾根をガシガシ登る。快晴だが稜線に出ると風が強い。ナメワッカ分岐(1831)までスノーシューで進み、その先からアイゼンを出す。強風で飛ばされそうになりながら進む。ときおり地吹雪で視界がなくなるが晴れているので気持ち良い。しかし春別岳(1855)を越えて1917につく頃にはさらに強くなり、耐風姿勢をとりながらジリジリ進むことになる。1917先の岩場を慎重に越えて、ヒラヒラになって1732コルに着く。この辺りは一昨年の夏に踏み跡を辿って縦走したのでその時の記憶が役に立った。
明日はさらに風が強そうなので、雪洞を掘ることにする。積雪深が180僂靴なかったが何とかテントを張れるくらいの雪洞を掘ることが出来た。
3/19
C5=C6=Ω
今日は弱い谷の中だと言っているが、等圧線が込み入っていて稜線は爆風が吹いている。風下は吹きだまってくるだけで無風だが、稜線からはジェット機が飛んでいるかのような爆音が聞こえてくる。おとなしく雪洞の中で一日過ごす。午後になると順調に天井が落ちてきて、テントに食い込み始める。大丈夫かなこれ。そして下界の気温は4月中旬並みだと言うのにそれほど暖かくないのは一人だからか。不安な夜。氷下魚が旨い。ラジオが友達。一方的に話してくるだけなのが玉に瑕。
3/20
C6(5:03)-カムイエクウチカウシ山(8:22)-ピラミッドピーク(9:47)-1807峰(10:36)-1823峰(14:44)-1823峰南東コル(16:04)=C7
もう一晩越えるとさらに天井が落ちてきて見るに耐えない薄さになっていたが何とかなった、勝った。しかしあいにくの天気で、風はないが視界もない。そして1730への下りで下ろす方向を間違える。しょっぱい。さらに、正しい尾根に復帰しようとトラバースしていると右足のスノーシューが壊れる。どうやらリベットで止めていたゴムが取れてしまったらしく、登ることはできるが、下ることが出来ない。ズボズボなところが多く、沈みたくない一心で強引に使っていたのが原因だろう。とりあえずアイゼンを出すが、先が思いやられる。カムエクのピークについても視界は晴れず、何も見えない。ここでの眺望を楽しみにしていたので残念だが、晴れるのを待っているわけにもいかないので先へ進む。結局今日は一回もカムエクは見えなかった。ピラミッドピークへ登っている途中で少しガスが飛び始める。1807への下りはかなり急でリッジになっていて、ここで今山行初めてピッケルを出す。いよいよ中部日高、核心部に足を踏み入れたことを実感する。1737が遠く感じて、1823峰はさらに遠く感じる。本当にいくつ偽ピークがあれば気が済むんだ。さらに稜線上は左足をシュカブラの上に踏み出すと、そのすぐ左から2~3m伸びる雪の庇がぽっかり無くなり、直後に轟音とともに谷底に消えていく。笑えない。そしてガスは抜けてきたが代わりに風が強くなって気が抜けない。やっとの思いで1823峰に着いた。少し休憩して下り出すが、思っていた感じと違うので確認するとやはり尾根を間違えていた。疲れて集中力に掛けていたのかもしれない。気を引き締め直して正しい尾根に戻る。
今日はとことんツイていなかった。しかしそれは全て自分のせいだ。一つのミスが命取りになるのだからもっと慎重に行動しなければ。命取りになっていないだけツイているのかもしれない。今晩は風が弱そうなので急な斜面を開削してテントを張る。ほとんど無風の穏やかな夜だった。
3/21
C7(5:31)-コイカクシュサツナイ岳(8:40)-ヤオロマップ岳(11:31)-1599峰(15:42)-1599峰北尾根Co.1350m付近(16:05)=C8
今日は低気圧の前面だ。あまり早く影響が出ないことを祈って出発。コイカクの登りは岩場でアイゼンとピッケルでクライミングチックに登る。難しくはないのだが落ちたら止まれない気がする。登りきるとヤオロとのコルでまたズボズボ地獄にはまる。仕方がないので瀕死のスノーシューを出すがそれでも沈む。ヤオロの登りでまたEPに替えて進める。ここも思っていたより急だ。今日も気圧の傾きが大きいらしく風は強いが、ある程度視界は利く。ここから見る1839峰は見事だ。初めて見たが一目で分かる。1967峰もそうだが、こうした秀峰に名前が付けられていないのはどうしてなのだろう、といつも思う。奥地過ぎて知られていなかったんだろうか。今回は稜線から外れているからカットしてしまったが、次はぜひ1839峰に行きたいと思った。そしてここから予想外の今日の核心が始まる。ヤオロから下りきるまでは良かったのだが、アップダウンが無くなると緩んだ雪も相まって股まではまる。しかしスノーシューで進めるほど稜線は太くなく、日高側の斜面を行こうにもカンバが通せんぼしている。十勝側に大きく張り出している雪庇を何度も落としながら進む。一度は右手でカンバに捕まっていなかったら危なかった。もうヘトヘトになって1599峰へ。途中、如何にも寒気の塊と言った感じのガスが十勝側から飛んできて一気に体感気温が3℃くらい下がる。ちょっと面白い。低気圧の影響が本格的に出始めたか。天気概況によると明日はこの低気圧がさらに発達して春の嵐になるそうなので、これ以上先へは進まず北尾根を樹林帯まで下ろすことにする。これまたズボズボの斜面を下って緩くなったところでカンバの大木の横にテントを張る。テントに入ると雪が降り始めるがさすがは樹林内、快適なテン場。
心の友によると、今日の東京ドームでの試合を最後にイチローが引退したらしい。偉大なスーパースターが引退する日に入山していたことが少しだけ嬉しい。きっと記憶に残るだろう。
3/22
C8=C9
夜は低気圧の影響でかなり荒れて、みぞれのシャワーがずっとテントを叩く音がした。この尾根は北側にあるので低気圧の南風は受けないが、通過して冬型になった8時くらいから北風に変わりバサバサし始める。ラジオを聴きながらスノーシューを修理する。あとはすることがないのでゴロゴロしていたのだが、どうしても腹が減る。停滞中は行動日よりもレーション(行動食)を食べてしまう。どうしたものか。明日はいよいよペテガリ、頼む、晴れてくれ!
3/23
C9(3:56)-ルベツネ山(8:37)-ペテガリ岳(11:06)-1469(13:50)-1314先コル(15:06)=C10
昨日冬型が決まって夜から強い寒気が流入しているせいでものすごく寒い。今日は雪も締まって快適に歩けそうなので3時半発、のはずがここ数日暖かくて濡れていた装備がことごとく凍ってパッキングに苦労する。結局4時。だが時間を掛けたおかげでロールマットをザックの中に収納することに成功する。荷物も大分減ってきた。星空の下、斜面を登り返す。ズボズボだった斜面はガチガチに氷化している。もうこれは停滞前とは違う山域だと思った方が良いかもしれない。ルベツネまででまた雪庇を2回くらい落とす。際を攻めすぎなのかもしれないが落ちていないんだから問題ない。毎回ヒヤリとするが。ルベツネの登りは急で氷化のせいもあってアイゼンの前爪しか刺さらない。これまでにない緊張を強いられる。ピークから先の尾根は比較的緩い。行く先にはペテガリがどっしりと佇んでいる。端正で格好良い。空は段々と薄曇りになってきたが、風がないので歩きやすい。ペテガリまでも尖がった尾根を進む。雪庇はほとんどなく、素直でシュッとした尾根に風格を感じる。どんよりとした曇り空さえもペテガリの荘厳さを演出しているようだ。これでようやく折り返しと言ったところか。まだまだ先は長い。クラストが激しいと滑落のリスクが上がるから良いことばかりではないのだろうが、歩きやすくてよい。1409までは再び雪庇出てきて面倒。その先は体力勝負なので気合で1314を越える。
今日は春の甲子園が開幕したらしい。こっちはまだまだ冬だ。
3/24
C10(00:58)-中の岳(2:26)-ニシュオマナイ岳(5:24)-神威岳(8:35)-1361手前(10:34)=C11
寒気のせいかなかなか寝られず、一度は寝たものの夜中に寒くて目が覚める。暖かい紅茶を飲んで一息ついて、外に顔を出すと満天の星。そういうことか、放射冷却もあるのだろう。予報を見る限り、今日の午後にはまた次の低気圧が来るので、この晴れも長くは続かない。一方で今日の午前中、低気圧の前面なら多少はチャンスがありそうだ。タイミングよく今日は月が出ていて明るいので、もう出発してしまうことにする。まだ日付も越える前からゴソゴソと準備をする。ラテルネの電池を入れ替えていざ。月明かりの中、無風の中の岳を越える。たまに吹く冷たいそよ風が肌に刺さる。クラストの中にはバリズボが潜んでいる。暗闇の中で少しの明かりを頼りに必死に目を凝らしてルートを探す。ニシュオマナイ岳(1493)までの稜線は意外と細く、暗い中ではルートファインディングに気を遣う。ピーク手前で日の出。直後からガスが湧き、小雪もちらつき始める。視界は一瞬で落ちてしまい、一気にテンションも落ちる。この感じではやはり今日中にソエマツは無理そうなのでペースを落とす。士気が下がる中、ダラダラ登って神威ピーク。ピークは吹雪で何も見えない。湿ったドカ雪がすさまじい勢いで積もっていく。新雪ももラッセル。稜線上でも構わず生えているカンバが半端じゃなくうざい。はまりまくって全く進まない。心が折れかける。吹雪はますます強くなって、堪らず少し平らなところでテントを張る。まだ正午にもなっていないが今日はこれにて終了。たまには諦めも肝心だと自分に言い聞かせる。この先も天気は悪そうだし神威山荘に下山してしまいたい、と思う自分を振り払うのがこの日最大の核心だった。思い返すと、この日が一番精神的に辛かった。
今日の分の水を雪から作っていて、これでは最終日までガスが持たないんじゃないかと思い始め、急遽節約生活が始まる。もっと早く始めれば良かったか。今日は平成最後の大相撲大阪場所千秋楽、白鵬が歴代最多42回目の優勝を全勝優勝で飾るのを聞いていて、あぁ、おれも強い山屋になりたいと呟く。
3/25
C11(4:56)-靴幅山(6:45)-ソエマツ岳(10:44)-1471先コル(13:32)=C12
今日も等圧線が込み合っていて気圧の傾きが急らしい。毎日言っていないか、このフレーズ。週間予報を見る限り、しばらく一行動日分を二日に分ける作戦になりそうだ。牛歩作戦と名付ける。すでに外は風の音がする。だが午後になるとさらに風が強まりそうなのでいつも通りに出る。あわよくばピリカまで…。靴幅山まで相変わらずズボズボ。吹雪いていることもあって苦戦、疲弊する。ピークは風が強く、どうしても休憩したくて北側の尾根を下すがなかなか風が弱まらない。余計な時間を食ってしまった。そして実は一番楽しみにしていた靴幅リッジは歩けるところは本当に靴幅しかない。ここだけ無風だ。両脇のカンバがホールドになるので高度感は薄れるが、カンバが無かったら真上は無理そう。真上を潰したり馬乗りになったりして通過する。ちょっとした下りが怖くてバックステップもした。靴幅山を過ぎるとカンバのズボズボは少しマシになる。一方天気はさらに悪くなる。徐々にしかし確実に悪化してきているようだ。どうしようもなくきついが、その中で冷静に自分を俯瞰できているもう一人の自分を見つけて少し安心する。ソエマツのピークまで雪と岩と高山植物の斜面にアイゼンを引っかけて攀じ登る。ピーク先で風がさらに強くなり、少しでも気を抜くと吹き飛ばされそうだ。コルへの下りは爆風を避け、尾根や岩の陰に隠れながらジリジリと下ろす。やはりピリカは無理。テン場は今日も斜面を開削。どれだけ風が強くてもしっかり風下側を選べばバサバサとはなるが何とか張れる。
ガスを節約し始めたせいか水分不足な気がする。大量のカロリーを消費しながら牛歩しているからか、レーションの残量も心もとない。もう少し燃費の良い体になれないかなぁ。
3/26
C12(5:00)-ピリカヌプリ(6:04)-トヨニ岳(9:55)-1151先コル(12:43)=C13
今日も今日とて天気予報は悪天を告げている。牛歩の予感。あわよくば野塚まで…。とりあえず5時にテン場を出る。視界なく、すぐ先のポコすら見えない。知ってた。と思っていると突然晴れ始める。ものの5分で視界は∞、神回復だ。概況によれば明らかに前線持ちの低気圧の前面晴れだが、そんなことは関係ない、核心部はもう過ぎたんだからあとはもう進むだけだ。急いで斜面を駆け上がり、快晴のピリカヌプリに立つ。振り返ると歩いてきた中部日高の尖った稜線が青い空に突き上げている。前を向くとこれから進む南日高の稜線が朝日に照らされている。この絶景を心に刻む。こういう瞬間があるから止められないんだろうなと思う。折れかけていた心も晴れた気がした。ピークを過ぎると早くもガスが湧く。トヨニへの下りは岩場もあるが、ここまでに比べれば楽勝。登りもただ頑張るだけだ。だがやはり登っている最中に吹雪に捕まる。強風に耐えながらトヨニを越える。フラフラだ。下ろしてもいまいち収まらず、めちゃくちゃ極い。やはり野塚は無理。適当なコルにテントを張って転がり込む。
そしてこの吹雪がとんでもない湿雪で全身がずぶ濡れになる。がっくり。早めにテンパって必死に乾かすが乾ききるわけもない。今日もバサバサのテン場。連日の悪天行動で常に右から風を受けていた結果、ずっと踏ん張っていたのであろう右膝に違和感を感じ始める。何とか最後まで持ってくれ。
3/27
C13(12:01)-野塚岳東峰(14:03)-双子岳東峰(16:18)-双子岳先コル(17:04)=C14
ドカドカと湿雪が降り積もり、テントも気分も沈み込む。全身が濡れていて、これまでで一番寒い夜だった。朝になっても雪は止まず風も強いこと、このまま出たら凍傷になりそうなこと、今日は午後の方が比較的良さそうなことから10時半まで半停滞。少し服も乾いてきた。もう今日はこのまま停滞してしまいたいところだが、今日中に双子くらいまでは行かないと、完走した上で追いコンに間に合わせるのは不可能だ。現状の週間天気予報と残り物資を見る限り、野塚or楽古下山が現実的に思えてくる。そうすれば追いコンにも余裕で間に合うだろうが、それではどうも納得がいかない。日勝峠から入山した時点でゴールは襟裳岬と決まっていたんだ。楽古で降りるつもりならきっと芽室から入っただろう。…。考えていても仕方がないので今出来ることをしようと思い直し、まだ回復はしていないが12時に出る。良く休んだので風に逆らって駆け上がる。連日の強風のおかげか、風上は締まっていて、風さえ耐えれば歩きやすい。そうポジティブに捉えるしかない。野塚先で回復傾向を見せ始め、風はまだあるが雪は止み視界が開けてくる。もうそれだけで幸せだ。一気に双子も越えてヒラヒラになってテン場入り。
短時間だったが精一杯の行動と言った感じ。どうしても腹が減ったので日程を1日生贄に停滞食の棒ラーメンを召喚する。これが旨いのなんの。個人的に一番美味いインスタントの食べ方だと思う。そして今日頑張ったおかげで明日次第で光が見える。バサバサテン場も今日が最後だったらいいな。
3/28
C14(3:53)-十勝岳(5:37)-楽古岳(8:27)-ピロロ岳(11:34)-広尾岳分岐(15:29)-998先Co.900付近(16:28)=C15
今日はこれまでに比べると少し予報がよい。風も弱めで気が楽だ。だが午後はあまりいいことを言わないので早めに出る。薄暗い中十勝岳ピーク。思っていたより早くガスが湧く。楽古岳までは予想以上にアップダウンがあり遠く感じる。晴れているがピークだけはガスに包まれている。その先もワシワシ進むが、ピロロの手前でついにガスに捕まる。ここまでアイゼンでこの先は片足スノーシュー、片足アイゼン。変な感じだがそれなりに締まっているからか意外といける。しばらく進むと吹雪き始める。結局今日もですか…。雪は深くなり登りは瀕死のスノーシューも出動する。下りでいちいち外すのは面倒だが仕方がない。広尾分岐の登りは吹きだまっていてスノーシューでも膝ラッセル。
何だかんだ今日も極かった。だが、バサバサテン場からは解放され、下山の見通しも立った。明日は圏外だろうから今のうちに明後日の迎えを頼む。あとはひたすら歩くだけだ。問題は今日でレーションが切れたこと…。
3/29
C15(4:37)-1068(6:28)-林道出合い(8:44)-豊似湖(14:39)-沼見峠(16:01)-除雪終点(16:53)=C16
今日はようやく稜線を下りられる。今日に限って天気が良い。まぁ世の中そんなもんだ。レーションが切れてしまったが、もう出しても良いだろうと非常用のα米に水を入れて携帯する。ザクザクと尾根を下ろして良い感じに林道にぶつかる。最初の方で渡渉を3回くらいすると林道はしっかりしてくる。雪は少しあるだけで歩きやすい。天気は良いし気温もそれほど低いわけではないはずなのに防寒着を脱ぐ気になれない。水が凍ってシャリシャリにになったα米を食べて体温が下がることを考慮してもさすがにおかしい。カロリー不足で発熱能力が落ちているのだろうか。体は元気なつもりだが、こういうところに影響が出てくるんだなぁ。ひたすら林道を歩いて豊似湖まで。湖は全面凍結している。ここから笹と泥の斜面をアイゼンで登り返す。最後の頑張りどころだ。登りきって北側の斜面を下ろすと雪解け水で沢が流れていた。これなら午前中に水汲みする必要はなかったようだ。適当に進んで除雪されている道路まで。この付近まで沢が流れていて今日は初日以来2週間ぶりの水飲み放題だ。道路手前で雪のない芝生の上にテントを張って、明日の朝食を残して持っている食料を食べ尽くす。星空を眺めながらこの16日間を振り返る。この間、誰にも会わなかった。それにしても幸せな時間だったなぁ。
3/30
C16(3:32)-襟裳岬(8:24)
今日は道路を岬まで歩くだけなのだが、14時から札幌で後輩の追いコンがあるので1時半に起きる。朝食に停滞用の棒ラーメンを食べ、残っている砂糖を全部ぶち込んだ甘ったるい紅茶を飲み干すと残った食料はティーパック4つだけだった。ダラダラと最後の準備をして3時半出発。暗いうちから歩き始めて5時間、とうとう襟裳岬にゴール。今山行1・2を争う快晴。今日にはもったいない気もするが感無量だ。
本当に完走してしまった。迎えに来てもらっていた優子にたくさん写真を撮ってもらって快速ドライブで札幌まで。窓から覗く日高の峰々がカッコいい。ついさっきまであそこにいたんだなぁ。座って右足首を動かすだけでビュンビュン進むと喜ぶと「もう本当にクマみたいだね」と笑われる。確かに食べ物を求めて山から下りてきたのだからあながち間違ってはいないのかもしれない。
春を待ち望むクマの気持ちが少しだけ分かった気がした。
エピローグ
下山して最初に思ったことはもうこれで食料や燃料の残りを気にしなくていいということだった。荷物はかなり切り詰めて行ったから、それだけギリギリだったのだろう。実際に体重は8圓盡困辰討靴泙辰討い(何とか間に合った追いコンを始め暴飲暴食を繰り返した結果、1週間も経たないうちにほとんど元に戻った)。それでも心から行って良かったと思えた。それがなぜなのかは上手く言葉に出来ないのだが、一人で山に籠った16泊17日が幸せな時間であったことは確かだ。話し相手もいなければ、歩いているときは荷物も重くてしんどいし、食事だってノンデポの長期となると毎日満足には食べられない。それを分かった上で、ヘトヘトになって帰ってくるとまた次の計画を考えてしまう。どうやら私はそれほどに山に惚れ込んでしまったらしい。
最後に、このような山行を計画・実行、そして完遂出来るまでに私を育ててくれた北大ワンゲルと、歴代のOB・OGの皆様、そして送迎と在札を引き受けてくれた優子に心から感謝の意を表します。ありがとうございました。
さぁ、次はどこへ行こうか。
追記(2019/7/13)
山岳雑誌「岳人」2019年8月号にて、知床・日高単独全山縦走についての記事をフルカラー4ページ、インタビュー記事付きで掲載していただきました。このような機会を得られたことをとても光栄に思います。ご興味を持っていただけた方はぜひご覧下さい。
追記(2020/3/18)
知床・日高単独全山縦走の功績が評価され、令和元年度『北大えるむ賞』を受賞することが出来ました。関係者の皆様には心から御礼申し上げます。
北大えるむ賞についての概要は以下の北海道大学公式ホームページをご覧ください。
(https://www.hokudai.ac.jp/gakusei/campus-life/campus/commendation.html)
コメント
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気づいてくださるでしょうか…
拝読致しました、昨年ガスガスで景色無しのザンクへ行った思い出とともに、日高こそ、日本最後の大冒険の地であると。感動と、やる気貰えました、ありがとうございます。
コメントありがとうございます!
そう言っていただけると嬉しいです。
今回は主稜から逸れるので行けませんでしたが、ぜひざんくにも行ってみたいです。
日高は本当に良いところですね。
すごい!
ありがとうございます!
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