初東北・波乱万丈の珍道中 粉篌蟷魁屡幡平編)
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- GPS
- 80:00
- 距離
- 36.1km
- 登り
- 3,010m
- 下り
- 2,091m
コースタイム
- 山行
- 5:40
- 休憩
- 1:20
- 合計
- 7:00
- 山行
- 9:00
- 休憩
- 0:40
- 合計
- 9:40
- 山行
- 5:10
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 5:40
- 山行
- 5:40
- 休憩
- 1:00
- 合計
- 6:40
天候 | 16日晴・17日ガス・18日雨・19日雨のち晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス タクシー 自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
木道がとにかく滑る・下り斜面は土・岩ともに滑りやすいので注意。 特に刈払いされているエリアは音が藪で遮断されるので、熊に注意。 |
写真
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
タイツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
ゲイター
日よけ帽子
着替え
靴
サンダル
ザック
ザックカバー
昼ご飯
行動食
非常食
調味料
飲料
ガスカートリッジ
コンロ
コッヘル
食器
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
筆記用具
常備薬
ロールペーパー
保険証
携帯
時計
サングラス
タオル
ストック
ナイフ
ポール
テント
テントマット
シェラフ
|
---|
感想
注・感想はあくまで個人の回想録であり、登山の参考になるものではないことを断っておきます。
また、誤字脱字もご了承ください。
(前置き)
親族の菜園を引き継いでから趣味を捨て、登山だけはと思いながらは1年に1回になって3年目を迎えた。
幸い今年も、9月に大型連休取得に成功した。
入念な計画に入りたかったが、今年は例年と違う苦労に奔走。
新型コロナウィルスが蔓延し、ライフラインを守る仕事をしているために、年末年始以上の忙しさに見舞われた。
そんな中の猛暑、脱水や熱中症になる仲間が続出。
外での仕事、コロナの脅威に猛暑。
手が攣る足が攣るなんて事態は毎日のことで、自分も9月5日に初期の熱中症にダウン。
当初の計画では新穂高温泉から入り、笠ヶ岳ー双六ー高ヶ天原温泉ー薬師峠キャンプ地2泊(黒部五郎ピストン)−剣岳(途中3泊)を予定してた。
岳友に連絡をし、薬師峠での再会から黒部五郎岳のピストンが楽しみだった。
追い打ちをかけるように、遂行最小人数に満たないと、新穂高行きの夜行バスが欠便になった。
幸い上高地への夜行バスはまだある、3日目からの行程は同調するとみていた。
しかしながら熱中症以降、体調が悪かった。
少しの温度上昇で多汗と運動能力の低下、頭痛と下痢に悩まされた。
これで本当に9泊10日の縦走に、体が耐えられるものなのだろうか?。
声をかけた岳友の重さんにしても、自分の予定に合わせただけである。
夜行バスが欠便になったことが、何かを示唆しているようにも思えた。
自分の行きたいところではなくて、重さんの行きたい場所は他にないか?と。
候補に挙がったのは、自分が交通手段が無くて行けないと嘆いていた聖岳から北岳を含む南アルプス縦走。(聖は重さんは盗聴済みで、自分のアプローチに助力する形になる)
谷川岳は、自分と行くために取ってあると前から言ってくれていた。
そして、八幡平が候補に挙がった。
百名山をやっている重さんに、既に登っている山に付き合わせたくなかった。
東北か・・・なぜかというか、今まで敬遠してきた信越・東北の山。(北海道も)
アプローチの難しさやエスケープの不自由さもあるのだが、勝手なイメージで自然の深さを畏怖していた。
地図に目を通し、行程を試行錯誤する。
うん・・・岩手山とも繋がっているし、日程に余裕がある分は月山にでも行けばいいかと。
土曜日に八幡平で合流するに、行程も丁度良い。
2回登ことになるが、四連休利用の重さんも岩手山にも登れそうだ。
その旨を打診するも、少し反応の悪さを感じた。(あれれ?行きたかった山では、なかったのかな?)
かくして、今回の東北行きが決定することとなりました。
前置きが長いのはいつものこと、さてさて今年はどんなドラマが待っているのか。
〇出発
いつものごとく、登山仕様で出勤。
幸い涼しい一日で、仕事上のトラブルもなかった。
仕事も終わり駅に向うが、荷物を池袋駅のコインロッカーに預けておけば良かったと後悔。
埼京線上の新宿ー池袋ー職場は、同一線上だった。
新宿に到着し、バスタのコインロッカーにザックを預ける。
そしてエルブレスに向かい、普段は携行しない熊鈴を購入。
どうもあの音が無粋で、普段の登山では使用したことがなかった。
しかし、そこは東北だ。用心に越したことはない。
何を食べるかウロウロするが、なかなか決まらない。
ジンギスカンに行きたかったが、登山前に臭いが服に付くのもなぁと。
結局、食べなれた大勝軒のつけ麺にした。
前回同様に人工温泉(カプセルホテル)へ行こうと思ったが、どうもゲームがしたくてネカフェへ向かった。
そう、自分は正真正銘の重度のオタクである。
自称、オタクの完成形だと公言している。
仕事はしているし、妻帯者がいて子供もとうに成人している。
アニメとゲームをこよなく愛し、家庭菜園で野菜を育て、登山へと向かう。
究極の不健全を目指すなら、健全な肉体と精神が必要だ。
街と引きこもりで溜まる毒を、体を動かし汗で流す。
これぞ、究極のオタクであると!。
夜行バス出発1時間前に、急報が入る。
「すまん、いかれへん」
えええええええ。
いやいや、最近身内の不幸があったと聞いていたし。
もしかしたら、今回は来ないということがあるかもとは思っていた。
ネカフェ退出まで30分程度だ。
八幡平からのバスの時刻表を、登山計画書に記載していく。
合流中の飯は任してくれと言われていた分が不足しているが、盛岡ー仙台の移動中に補充できるだろう。
ギリギリまで情報し、一路バスタ新宿から盛岡へ。
しかし、今回はネカフェに入っていてよかった。
〇9月16日
定刻通り盛岡駅に到着、朝食を摂ろうとするが・・・店が開いてねぇ!!。
到着寸前にカツサンドを食べたのは幸いだったが、コンビニも駅前に無い。
見える場所にはあったので、おにぎりと水筒用の1Lボトルのポカリ購入。
バスの時刻表を確認するが、やはり始発の動き出しは遅い。
さいさん地図を確認したが、大更駅から焼走り登山口から入る予定だったが、滝沢駅から馬返し登山口の方が近いのでは?と思っていた。
どちらにしても、電車の発車時刻も迫っていて考えている時間はなかった。
事前情報を調べる時間はあったはずなんだが、ゲームに割いた時間が痛い。(笑)
夜行バス欠便から重さんの登山中止、ここは不安があるならメジャールートから入ろうと決意した。
大更駅でタクシーがすぐあるのか?という不安もあったし。
駅で切符購入、いわて銀河鉄道に。
ICカード使えないんだ・・・久々の切符購入にテンションアップ。
短い道中でローカル線を楽しみたかったが、身支度をしているうちに滝沢に着いてしまった。
おおおお!駅前にコンビニがあるではないか。
トイレに入ると、ウォシュレットが!。
ふっふっふ、勝ったな・・・。(何に!?)
駅前看板から電話し、タクシーを手配。5分程度で、来てくれた。
運転手さんが登山する人で、三ツ石小屋の水場情報を得たのは収穫だった。
レコを見ると3660円と見たが、たしか自分は3740円だったような気がする。
この範囲内だったら、登山口までタクシーも良いだろう。(タクシー利用は初)
コーヒーくらいしか飲めないであろうが、もちろん「釣りはいらねぇ」と。
避難小屋の水場情報は、金では買えない貴重なものだ。
あと、温泉に行くなら「藤七温泉」だとも。
元々、行く予定はあった。
12時に八幡平で重さんと合流する前に時間を作り、入る予定だった場所だ。
八幡平からバスになったので、八幡平登頂後に藤七温泉に戻る予定だった。
そこからバスに乗り、盛岡から仙台に移動し、ネトゲー友ヴェスさんと合流。
1泊した後、志津の野営場に向かいキャンプする予定。
ヴェスさんは休日によくキャンプや、温泉巡りをしている。
ここは事の顛末を説明しつつ、藤七温泉を餌に八幡平に来ないか?とメールしておいた。
駐車場にはそこそこ車が停まっていて、数名が出発して行くところだった。
ゲイターを装着し、登山口まで上がる。
水を補給し、いざ出発だ。
久々の登山に、テンションアップ。
低い場所特有の広葉樹に囲まれて、気持ちの良い森を歩く。
気温の高さは気になるところだったが、体調は上々だ。
あまり汗をかかないようペースを調整するが、久々でマイペースがつかめない。
開けた場所で風を受け、体を冷やしながら登って行った。
分岐では迷わず、新道選択。
3・4・5合目とあるので、進んでいる感がある。
5合目の駒鳥清水は発見できず。
7合目まで上がると、景色が開けた。
8合目避難小屋は目の前だったが、ここで大休憩を入れて一服。
時折、いわて銀河鉄道の音が聞こえ、心地よい。
そこからほどなく、八合目避難小屋に到着。
この時期は管理人が常駐しており、カップ麺くらいは購入できそうだ。
人はまばらで、思い思いに休憩をしていた。
途中下山してきた人も少なく、警戒していたが4連休とは思えないほど空いている山だった。
小屋で一杯のコーヒーを購入し、管理人さんと会話を交わす。
空のカップの処分を聞くと、少し考えたのちに預かってくれた。
感じからして、本来は購入者の持ち帰りなのだろう。
縦走の話をしたので、預かってくれたのであろう。
こういう心配りが、非常に嬉しい。
1700円程度で素泊まりできて、ストーブもある。
後で調べたが、薪も有志が担ぎ上げているようだった。
山には有人・無人の小屋があるが、ただそこにあるわけではない。
それを維持管理する人が、有償・無償問わずいるからこそ存在できている。
また、そんな小屋があるおかげで、安心して山へ登れるというものだ。
午前中は山頂にガスが掛り眺望は無かったと聞いたが、今は風も少なく快晴だった。
天気予報をチェックするが、明日の夜までは持ちそうだった。
八合目に宿泊予定の人が、今登るか・・・みたいな会話が聞こえてくる。
「今日は良さそうでね。午前中は、ガスで眺望なかったみたいですよ」と声をかける。
ご来光は行く予定らしいが、好条件に今日の登頂はよさそうですねと話す。
12時半、お互いに腹ごしらえしながら、岩手山を眺める。
自分が八合目に着いた後に到着した2人、「どうしようかな?」と言ったのは女性の人。
2人で上がってきたのでペアなのかと思ったが、どうやらソロ同士なのかな?。
明朝はわからないし、今が好条件なのは確定している。
時間を見ても、十分余裕はある。
そんな話を3人で交わし、自分は少し上の無人小屋での水を4.5L補充する。
「先に行ってますよー」と声をかけ、不動平避難小屋へ向かう。
道中聞いてい40名くらいの団体も降りて来たし、避難小屋の混雑はなさそうでホッとする。
出発してすぐ、手袋をしていないことに気が付いた。
給水の時に、外したっけな。
慌てて小屋へ戻るが、見つからなかった。
雨蓋を開けた時に、中に入れたような気もする。
無いものは無いと、引き返し避難小屋へ向かう。
不動平避難小屋に到着すると、ザックが1つ。
お泊りですか?と声をかけると、下山だと言う。
おっと、これはまさかの1人か?ラッキー。
荷物を降ろし、さっとほうきを掛ける。
しかし、綺麗に管理されている。
最低限の荷物を入れ、意気揚々に山頂へ向かう。
火口部へ登り詰め、お鉢にある石像にびっくり。
神道における崇拝は全国のことなのだろうが、ここまで明確に山岳信仰を維持している山に初めて目の当たりにした。(高山で)
火口部を直接見るのは富士山以来か。
山の景観を楽しみながら、山頂へ。
ペアかと思っていた男性の方は先に到着しており、女性の方は遅れて山頂へ到着してきた。
丁度よいと、ガラケーを差し出し画像を撮ってもらった。
お鉢巡りを再開し途中から火口部へ降り、岩手山神社奥院へ向かう。
少し後を、女性の方が追従してくる。
奥の院へ到着し、言葉を交わす。
勝手な解釈ではあるが、ああ・・・そういう登り方もいいなと思った。
ソロでありながら、道中出会った人と登ることは安全面で有用である。
自分もソロを好むが、反面、趣向の合う仲間がいないだけな部分もあるからだ。
団体行動は苦手で、我儘な部分が多いからだ。
そこからは山談義に花を咲かせ、避難小屋で別れるまで共に歩いた。
避難小屋に戻ると、荷物が1つ。
さてさて、宿泊か否か。
小屋の温度は14℃、換気のために開け放っていた窓を閉める。
時間もあるし、焼酎を飲みながら外を楽しむ。
帰ってきた男性は、避難小屋宿泊とのこと。
大阪からの男性と、山談義が始まる。
飯豊山や白馬当たりの良い山を勧められ、興味をそそられた。
三ツ石小屋までに、良い水場の情報も聞けた。
また、温泉宿に泊まると送迎が付くこととか。
定年を迎え、登山を堪能している姿が羨ましい。
自分もその年になり、元気に登山できるだろうか?。
そんな人と出会うと思うが、その元気な姿に希望も持てる。
健康であろうと、思える時間だ.
小屋の温度は、相変わらずの14℃。
そして、朗報が入る。
仙台で合流予定だったヴェスさんが、八幡平まで来てくれるとの事。
「藤七温泉に入りたいので」と言ってはいるが、救出に来てくれるのはありがたかった。
19時に就寝し、22時に目が覚めた。
外に出てみると、風もあり真っ白な世界。
下草とか濡れると、厄介なんだよなぁと思いながら一服する。
17日
4時前に起き、いつも通りダラダラと支度をする。
外へ出ると山頂を目指す人の姿が、ヘッドライトの明かりでわかった。
話し声がかすかに聞こえ、1人は女性か。。
昨日のソロペアかな?と、そんなことを思った。
大阪の方はバーナー無しということで、夜に水を入れておいたパスタを食べている。
バーナーを持たずに縦走をするという考えがなかったので、正直びっくりした。
「重たいのがダメなので」と言っているのはわかるが、エスビットやアルコールバーナーという手もある。
エスビットならゴトクも含めて、200g無かったはず。
そもそも、温かい食べ物が欲しい自分とって、できない選択だなと思った。
5時を過ぎ、すっかり外は明るい。
5時には出発しないとなぁと思いながら、支度がゆっくりなのもいつものことだが。
睡眠はとれたし、体の調子も良さそうに思える。
大阪の人が先に出発し、自分も外で一服しながら出発の準備。
山頂から2人降りてくるのが見え、どうやらソロペアの方。
出発前に挨拶をと、降りてくるまでと煙草に火を点ける。
5時50分、挨拶を済ませ遅い出発。
開けた砂利上の道を少し進むと、緩やかに降下を開始。
多少ガレていて、歩きやすくはなかった。
両脇の草木がうるさくなり、朝露があまり付いてなかったのは幸いだったが。
下から見上げる鬼ヶ城は、まさに鬼の様そうだった。
この縦走に至るまでに色々あったために、嫌な予感がして回避した岩場の尾根歩き。
後で聞いたが、鬼ヶ城経由の方がはるかに速いらしい。
気温は11℃、風を感じないので些か暑く感じる。
濡れた石に降り斜面、何でもないようで転んでしまった。
(後々気づいたが、ソールが大分くたびれているらしい)
こんなに滑りやすかったかなぁと思いながら、草木で濡れるのも嫌だったのでザックにカバーをかけて下だけ履いた。
ベンチレーターを半分まで下げるが、はやり暑いな。
先は長い、体調を見ながらゆっくりと行動開始。
序盤はスロー、後半で余力を見ながらペースアップが自分のスタイルだ。
夜になっても一向に構わない、もしもの時はビヴァークも安心してできる装備がある。
この重量を背負って歩けるだけの、筋力を維持しなければいけないのだ難点だ。
今回は水無しで、15kgに抑えた。
3泊でテント入りなら、上々の重量だろう。
お花畑に7時半前に到着、コースタイムは1時間20分を1時間40分か。
15kg装備で、計画はコースタイムの1.3倍設定。
予定通りに、ホッとする。
御苗代湖と御釜湖を見に行き、八ツ目湿地を堪能する。
空には雲が立ち込め、少し物悲しい感じがある。
飴がまだ口中にあり、一服するだけでお花畑を後にする。
木道は楽でいいなと歩いていくと、緩い傾斜で思いっきり滑って転んだ。
左手を地面に着き、結構痛かった。
おおう・・・そうだった。濡れている木道はとにかく滑るんだった。
木道の無いところまで移動し、ダメージチェック。
岩場に手を着いてしまったが、大事には至らなかったようだ。
荷物を降ろし、少し様子見の休憩。
雨粒が時折落ちてくるので、キャップからハットに変更。
口中の飴もなくなったので、行動食をとザックに手を伸ばせばポーチがない!。
まだ2回しか使用していない、カリマーのポーチ。
さっき転んだときか、草木がうるさかった所か。
何を入れておいた?貴重品は入ってないよな・・・。
8時か・・・捜索時間は30分としようか。
荷物を置いたまま、水だけを持ち来た道を戻る。
早立ちしていれば、もう少し探せたものをと毒づきながら探す。
17分ほど戻ったが、発見できずタイムオーバーだ。
残念だが、貴重品が入っていないなら諦めるしかない。
(ファイントラックのナノタオルが2枚入っていたようで、痛い出費となった)
落とし物はしばらく見つけてくれても、気に括り付けられらりして残留することが多いが。
誰かが回収してくれることを祈り、出発した。
装着の際、一応カラビナ等で落ちないようにしておくかと脳裏をよぎったことを思いだし、なぜしなかったと後悔。
今まで外れたことはなかったし、仕方ないと言えば仕方がないのだが・・・。
ガスが出たり消えたりと、景観も悪い。
テンションは駄々下がりで、うつむきながら歩いていたような気がする。
黒倉山での姿をみても、なんか寂しげだ。(笑)
樹林の無い尾根上に出ると、ガスが立ち込め風も強かった。
眺望が良い場所なのだろうが、遠くは何も見えなかった。
姥倉山分岐に差し掛かると、状況はさらに悪化。
ガスだけならいい、風だけでもよい。だが両方はダメだ、体が一気に濡れていく。
岩陰にザックを置き、ハードシェルを羽織る。
水だけ持って姥倉山へ進むが、風が強い。
往復20分、このままいけば腰から下はかなり濡れてしまうだろう。
靴下を通じて、靴の中が濡れることだけは避けたかった。
下も履かなければ・・・お花畑で脱がなければよかったと後悔。
ザックまで戻り、思案する。
そうまでしていかなければいけない山でもあるまい。
行ったところで、このガスでは見えて10m先だ。
高度を下げよう、ザックを担ぎ上げ、早々に尾根を降った。
5分も経たず、風が大人しくなる。
笹藪帯に入り、風の影響はなくなった。
晴れていれば、どれだけの景色を見せてくれたのであろうか?。
想いを馳せても、現実は白いベールの中だった。
ほどなく行くと、おやっ?っと。
落とし物か?小さいクッションを見つけた。
名前と電話番号が書いてある、電波は微妙だが連絡を試みる。
だが、通話は厳しいようだった。
途中何度か連絡を試み、また着信もあったようだが通話はかなわなかった。
後にCメールの存在に気付き、メールを送信。
犬倉山を経由したが、姥倉側の道に比べて、大松倉山側の道は整備状況が段違い。
西側からピストンし巻道を辿る苦労と見合うかはわからないが、西側の道は楽だと記載しておく。
そこを過ぎると、綱張温泉との分岐。
当初の予定ではここを降り、綱張温泉キャンプ場で幕営の予定だった。
が、夜から雨の予報に回避。
温泉があるとはいえ雨の中ではくつろげないし、雨の中撤収するのも嫌だった。
温泉・・・入りたかったなぁと、後ろ髪をひかれながら歩きだす。
その後は、ただ黙々と歩いていたような気がする。
今日の分の行動食を失い、ナッツを食べるが即エネルギーにはならない。
黒糖を掘り出し、口に運ぶ。
パッキングを崩して、補充するだけで解決する話なのだが。
天候の悪さもあり、ダラダラと足を運んできたツケが足取りに出てきた。
だるい、疲れた、楽しくない・・・。
完全にしゃりばてである。
小屋へ、早く小屋へ。その思いに支配されていた。
視界が悪い中、うっすらと三ツ石小屋が見えた時は力が抜けた。
15時半、三ツ石小屋到着である。
先客が1名様、福島からの女性だった。
水場の状況を聞き、事前情報通り出ているとのことだった。
2階建ての小屋で、中は20℃もあり温かかった。
女性と二人か・・・自分は2階にした方が良いのかなとも思ったが、荷物を上に運ぶのも面倒だった。
申し訳ないと思ったが、荷物を降ろした。
水を給水し飯の支度を始めるが、山話が楽しくて手が進まなかった。
ここでも飯豊山の話が出て、帰宅したら地図を見てみようと思った。
登山歴は自分より圧倒的に長く、古い装備を多く使っているといことだった。
山岳会に所属していた話や、色々な話が聞けた。
ライトパックの話になり、自分の軽量装備や最近のウルトラライト装備について話した。
人のいない静かな避難小屋が最高だと、くつろいで本を読んでいたり。
正直、少し憧れる姿ではあるが、登山歴の少ない自分にとって、まだまだ未開の山域に興味があってならない。
台風でも来て停滞でもしない限り、こうやって読書にふける時間はまだこないであろうな。
明日の予定は半日、ヴェスさんと合流するにあたってもう1泊する必要があった。
時間的に八幡平まで届きそうだが、雨の中長く歩く必要もないだろう。
フライングして藤七温泉にも入りたくなってしまうし、お昼に向けて天候は回復する予報なら、ゆっくり出発しても良いだろうと決断した。
22時まで山談義を堪能し、就寝。
18日
1時に目が覚め、外で一服する。
雨音が優しく、これはこれで良い夜だ。
5時前に目が覚め、まずはコーヒーと煙草だ。
外は14℃、小屋内は18℃あった。
小雨が降っていたが、予報では9時ころから回復だ。
3時間ちょっとで着きますよと言われるが、いやいや無理無理。(笑)
自分の計画では、5時間をみていた。
それでも9時出発で、14時到着なら十分だ。
みかん食べますか?と言われ、2個いただいた。
生果物だ!女神かっ!!
美味しくいただいただけでなく、持っているゴミまで引き受けてくれるという。
遠慮をしないのが、自分の良いとこでもあり、悪い所でもある。
他人にゴミを押し付け、9時ちょっと過ぎたところで出発した。
湿原に囲まれた三ツ石小屋、山も人も一期一会。
楽しい夜を、ありがとう。
小雨降る中、三ツ石山への道のりを登っていく。
振り返れば、小屋のテラスに見送りの影が残っていた。
鐘楼の鐘が鳴り響き、ありがたく思う。
心温まる瞬間であり、雨の中でもテンションが上がった。
ほどなくして三ツ石山へ登り詰めたが、そそくさと先に進む。
相変わらず風が強く、山頂でゆっくりできそうになかった。
地形図を確認し、小もっこ山まではなだらかな道が続いていそうだった。
雨は予報通り止んだが、変わりにガスが立ち込める。
広葉樹も随分と多い道、紅葉の時期に合えばさぞかし素晴らしい景色を見せてくれるのであろう。
三ツ沼、小もっこ山、とその感じは往々に色濃かった。
これもまた、山登りか・・・。
見ることのできなかった景色を想像しながら、小もっこ山を降る。
登り返しの急登を越えれば、八幡平までなだらかな道が続くはず。
多めの休憩を取りながら、ゆっくりと進む。大深岳では眺望もなかったので画像だけ撮って進んだ。
途中大きな熊の糞らしきものを発見し、今日のものではなさそうだが割と新しいと思った。
源太ヶ岳分岐を通過し、もうすぐ大深山荘だ。
水場との分岐に到着し、当初の予定は小屋へ先に着いてから水を汲む予定だったのでスルーしようと思ったのだが。
小雨がまた振り出していて、サブザックもないしどうしようと考える。
手が水で塞がるのが嫌な気がして、そのまま水場へ向かうことにした。
これが良かったのか悪かったのかは微妙なところであるが、この後の事態は大変なことになった。
揚々と流れる水に対し、ここで汲んで引き返せば簡単だなと思っていた。
が、水場の画像も残したいし・・・と、水場への道のりを歩く。
途中から木道になり、下り傾斜だわ歪んでいるわで転びまくることになった。
「ふざけな!」と毒づいても、状況はかわらない。
こえーよ!と、恐怖の木道をビビりながら進む。
凄く長く感じたが、やっと水場に到着・・・した瞬間だった。
谷川の笹藪から大きな音が、瞬間的にそちらへ体ごと向き直る。
笹をかき分け、黒い物体が近づいてくるのが見えた。
本当にびっくりしたのは、この時無意識に左手がショルダーハーネスに付けてあったホイッスルに伸びていたことだった。
視線は笹薮に向けたままだったが、的確にホイッスルを掴み口元へ運び始めた時、奴は現れた。
本当に、この時の自分の行動が不思議でならない。
左足を半身前に出し、腰を少し屈め右手のストックを握りなおしていたのだ。
喧嘩をするような性格ではないし、普段なら頭が真っ白になってパニくっていそうなものなのだが。
その時、たしかに異様なほどに自分は冷静であった。
藪から顔を出した熊の視界に自分が入ったのであろう、右足を一歩踏み出したのち、左足はゆっくりと空中で静止した。
ばつが悪そうな顔をし視界に入っているだろうに、こちらを向くことはしなかった。
スローモーションのように顔を少し下げつつ、ゆっくりと左を向き始めた。
視線は向けなくても、視界には入れているであろうことはわかった。
それと同時に、自分も熊を視界に入れながら反対方向へ顔を少し傾けた。
その瞬間、熊はさっと踵を返し藪の中へ消えるが、動きはゆっくりだった。
ここでホイッスルを、思いっきり吹いた。
一気にスピードを上げ、物凄い音を立てながら去っていく。
ふぅぅぅぅ・・・・・。
大きなため息がでる。
良かった、行ってくれたか。
近かった・・・25mプールの端を考えても、明らかに近かった。
もう少し近かったら、本当に危なかった。
熊だって怖いのだ、やらなければやられる。
そう思い、パニックになって戦闘に入るケースが多いと思っている。
よく熊に出会ったらとか言って、対処法云々言っているが、そんなものケースバイケースだ。
生きて帰れば、全て正解だと思っている。
ザックを降ろし、給水作業に入るが気が気じゃなかった。
戻って・・・来ないよな?。
マジで、勘弁してくれーと。
ビクビクしながら、小屋側への木道を歩くがビビりまくっていた。
登りの木道は滑ることなく、大深山荘もすぐだった。
山荘に逃げ込み、汲んだばかりの水を飲む。
落ち着いて考えたのはそのあとだったが、本当に冷静だったなとその時を振り返った。
熊のカーミングシグナルを感じた、そういう感性は動物に長く接した経験からだったろう。
愛玩動物管理飼養士という資格をもっているが、要はペットのケアや法律的な勉強をしたことがあった。
行動学を学び、獣医師の協力を得て、治療の手伝いもやったことがある。
その先生の活動で、熊の生態調査にも同行もした。
性格が凶暴で(というか、飼い主の躾が悪かっただけなのだが)、問題のある犬とも随分対峙した。
偶然だったのかもしれないが、そんな経験が少しくらい生きていたと思いたい。
小屋へ入って5分くらい経った頃だろうか、外をみると土砂降りになっていた。
うへぇ・・・やばかったな。
草木が大きな音を立てて、強風になっていることに気付く。
ポーチを落としたり、天気が悪くて景色が見えなかったりと不運と思っていたが。
ここで大きなラッキーに恵まれ、チャラだなと。(笑)
風下の窓を開け、換気をしなが小屋の掃除に入る。
これで誰も来なければ、今日は独りの時間を楽しむことができそうだ。
小屋の温度は14℃、ここも温かい。
15時を過ぎ、コーヒーを飲みながら遅い昼食。
風は強くなるばかりで、予報を見れば、明日も風だけは強いみたいだった。
雨の方は夜半で止み、明日は曇りのち晴れ。上々だ。
17時半を過ぎても、小屋が明るい。
東北に来て思ったが、小屋の中が本当に明るい。
雪に閉ざされる地域であれば、もっと窓は少ないようなものだと思っていた。
ライト無しでノートを書いたり、残りの焼酎を飲みながら自由に過ごした。
18時を過ぎてお腹が減ったので、定番のゆかりご飯。
その後、知らぬうちに、そのまま寝てしまっていた。
21時ころ目が覚めたが、外は相変わらずの雨と風。
マットを落とした人とも連絡が取れていて、八幡平バスターミナル上のサービスセンターに預けておいて欲しいとのことだった。
また偶然にも自分のポーチを拾い上げたらしいが、貴重品も入ってなかったので、見やすい木の枝に引っかけてきたということだった。
これもあまたケースバイケースで、本人が探しに来ることも考えると、大体は木に置き去りになるのが定番ではある。
同じコースを逆方向から歩いていたらしいが、道中すれ違いはなかった。
山頂部と巻道で、会うことがなかったとも考えられた。
19日
干したばかりの毛布の上に寝袋を敷いたせいか、寝心地は最高だった。
八幡平での合流に際し、予定より前倒しで出発することにした。
3時に目覚ましを掛けたが、2時50分に起床。
棒ラーメンを食べ、残り汁にアルファ米を投入。
小屋の温度は12℃、ちょっと肌寒かった。
外を見れば、雨は止んでいたが、強風はそのままで濃いガスが立ち込めていた。
濡れるなと思い、今日はオープンフィンガーは止めて、ファイントラックの手袋を出した。
ネックウォーマーも装着し、5時を過ぎたところで出発した。
道は歩きやすくなだらかでスピードが出そうだったが、マイペースを守る。
時折横風に当たり、鼻水が出る。
ネックウォーマーは、正解だったなと自画自賛する。
諸桧岳まで、それなりに楽しみながら進んでいった。
その辺からガスが少し晴れてきたが、風は相変わらず。
その風のお陰で、雨具を着ていても蒸れや暑さは感じなかった。
もっこ岳が近づくころから、すれ違う人が増えてくる。
声を掛け合い、挨拶を交わしていく。
三ツ石から降りる人が多かったが、三ツ石山荘・大深山荘に向かう人も。
三ツ石の水場情報と大深の熊の情報を伝えながら、もっこ岳へ。
登り10分、降り5分。
表記通り、登りは随分急で息があがった。
登ったところで何も見えなかったので、早々に撤収。
そこで時間もあるので、ゆっくりと休憩する。
荷物を背負ったまま登って行った若者、荷物を置いて行った人。
その様子を眺め、言葉を交わし、その場を後にした。
15分も歩けば、念願の車道へ出た。
ヴェスさんに連絡を入れると、あと20kmで到着という。
本当に同時くらいだな。
八幡平駐車場に到着すると、ヴェスさんが先だった。
前に合ったのは、冬のキャンプだけど・・・。
去年の2月ぶりか?。
腹が減ったので、レストハウスへGOだ。
勢いよく階段を下りたのだが、ここにもコロナの影響が。
「当面の間休業します」と。
その反面、お土産屋さんは営業していた。
人が集まる施設として、そこに差がどれだけあるか微妙な所と思ってしますが。
やっていないものは、仕方がない。
聞けば菓子パンが売っているというので、アンパンを1つ購入し我慢した。
ヴェスさんのジープに荷物を置き、普段山登りをしない彼と八幡平山頂を目指す。
予想はしていたのだが、まさに観光地。
普段着同様の人々に混ざって、山頂に向かった。
標高が低い場所は、程よく晴れていて暑い。
避難小屋を見に行こうと思ったが、その気もなくなり遠くで眺めるだけにした。
山頂で三角点にタッチし、早々に山を降りた。
そして目当ての、藤七温泉へ。
知らないで来たが、混浴と聞いてびっくり。
中に入れば男性陣は「どや」といわんばかりに、タオルで隠すこともなく歩いていた。
あ〜・・・そんなんで良いんだと、勝手に納得。
連日の雨のせいか、下の露天風呂はぬるかった。
1番上は熱いよと聞き向かうと、たしかに良い温度だった。
地面は泥に覆われ手を潜らすと、火傷するほど熱かった。
道路からも丸見えであるが、こんな温泉も良い。
機会があれば、また来たいと思った。
温泉を堪能し、一路仙台はヴェスさん宅にお世話になった。
久々にかき上げましたが、やはり時間かかりますねぇ。
月山編まで、頑張れるかなぁ・・・。
物好きにも、最後まで読んでくださった方がいたら、ありがとうございました。
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