燕・大天井岳〜槍ヶ岳〜北穂高岳
- GPS
- 53:26
- 距離
- 48.7km
- 登り
- 4,839m
- 下り
- 4,770m
コースタイム
(昼食/ザックをデポ)1213−燕岳山頂往復1330−1423大下りの頭−1604切通岩
−1647大天荘
8/10(土)(大天井岳山頂を登った後)0550出発−0624大天井ヒュッテ−喜作新道
−0709ビックリ平−0823赤岩岳−0917ヒュッテ西岳−1051水俣乗越−東鎌尾根
−1345ヒュッテ大槍−1542槍ヶ岳山荘
8/11(日)0513出発(ザックをデポ)槍ヶ岳山頂報復0610−0630出発−大喰岳・中岳−
0943天狗原分岐−1033南岳小屋−16時頃キレットにビバーグ。
8/12(月)0630頃出発−0730頃長谷川ピーク−1420北穂高小屋
8/13(火)0612北穂高小屋出発−1050涸沢小屋−1450横尾山荘−1632徳沢キャンプ場
8/14(水)0610徳沢出発−0800河童橋−0810上高地バスターミナル0840−0945
新島々駅1008−1037松本駅
1108松本−スーパーあずさ14号−13343新宿
天候 | 9日(金)晴、10日(土)曇のち晴、11日(日)晴、12日(月)晴、13日(火)晴、14日(水)晴 |
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過去天気図(気象庁) | 2013年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス
牛久駅21時07分発常磐線上野行きに乗車。 竹橋毎日新聞社ビルを2244にバスで出発。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
中房温泉から、燕岳への登りは急登坂。名物合戦小屋のスイカが喉を潤す。 燕岳山頂近辺の奇岩群とパノラマには目を見張る。 表銀座、大天井岳への道は気持ちの良い稜線歩きだが、大天井岳への登り返しがきつい。 喜作新道は花の宝庫。ヒュッテ西岳から道がいきなり急降下し、水俣乗越からハシゴの急登が始まり、岩の山岳の世界へ踏み込む。 ヒュッテ大槍から先は天に向かうような急傾斜。 槍ヶ岳の岩峰は混むので、早朝に登るのがベスト。槍ヶ岳山荘の弁当は名物のちまきで包みがコンパクト。 キレットは北から南へ難所を下って安心するのは早く、長谷川ピーク、その先の足が震える岩のナイフブリッジ跨ぎ、北穂高の巨岩峰の急登と攻め立てる。 北穂高小屋のショウガ焼き定食。クラッシック音楽が鳴る食事が良い雰囲気。 北穂高岳から涸沢への下りもハシゴ、クサリ、ガレ場の難所なので、気を抜かない方が良い。下りた後の涸沢小屋のラーメンが旨い。 |
写真
装備
個人装備 |
ヘッドランプ 1
予備電池
1/25,000地形図 1
ガイド地図
コンパス 1
笛 1
筆記具 1
ライター 1
ナイフ 1
保険証 1
飲料 3
ティッシュ 1
三角巾
バンドエイド 1
タオル 1
携帯電話 1
計画書 1
雨具 1
防寒着 1
スパッツ 1
手袋 1
ストック 1
ビニール袋 1
替え衣類 1
入浴道具
シュラフ 1
シュラフカバー
ザックカバー 1
クマよけ鈴 1
食器
水筒 1
時計
日焼け止め 1
非常食 5
カメラ予備電池 1式
スマホ予備電池 1式
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共同装備 |
テント 1
テントマット 1
ツェルト
ヘッドライト
コンロ
ガスカートリッジ
コンロ台
コッヘル(鍋)
ローソク
ファーストエイドキット 1式
医薬品 1式
ラジオ
トランシーバ(使用帯)
カメラ 1
ビデオカメラ
ポリタンク
天気図用紙
車
予備ライト 1
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感想
8日会社を終え、牛久駅21時07分上野行きに乗車。慌ただしい。竹橋の毎日新聞社ビルよりバス乗車、北アルプス中房温泉へ。
9日0535到着。有数の急坂を登る。1000合戦小屋名物のスイカ。ああ、生きた心地。
槍ヶ岳、反対側に剱が見える。1142燕山荘到着、素晴らしい天気とパノラマ。昼飯はビーフカレーと氷結。氷結が旨いっ。燕岳へ往復する。イルカ岩、メガネ岩等の奇岩群。360度の大天望。燕山荘へ戻り表銀座の稜線沿いに大天井岳へ。雷鳥の親子連れ、3羽の雛鳥がいきなり目の前で砂浴びを始め、つがいの親鳥がオロオロ。
登り返しが疲れた体に厳し過ぎたが17時前になんとか大天荘へ到着。夕食はハンバーグを選択。
面白エピソードがひとつ、隣の男性のテントに女性二人が近づき、日が暮れたら空きスペースにひとりを寝せてくれ、と頼んでいる。男性はOKしたが、驚くべきシチュエーション?!
確かにここまでの間、巨漢の外人と小柄な日本女性のカップルが歩いていたが、もう一人女性の兄弟か知り合いが山頂で待ち合わせた模様。予定した一つのテントが狭かったのか、巨漢のいびきが尋常でないかのどちらかの理由で、行き当たりばったりで見ず知らずの人に対して、シュラフを持ち込むから横に寝せてと頼んだらしい。「He is a LUKY GUY !」と巨漢の笑い声が聞こえた。大きい方のテントを担いでくれば良かったかな(笑)。お陰様で天の怒りか、その夜はテントごと吹き飛ばさんかの強風に悩まされる。
巨漢はえらく、件の男性テントのペグ打ちをMake sureしていた。
10日、朝食前に大天井岳山頂に日の出を見に行くも雲が厚くあきらめる。
歩き始めは西に進路を取り大天井ヒュッテから南西へ。ビックリ平、赤岩岳を通過。この辺りはお花畑が見事。残念な事にヒュッテ西岳より道が急降下する。
1051水俣乗越。ここからが恐怖の急登。小屋の弁当を開き腹ごしらえ。体調のせいかあまり旨味を感じない。高度を稼いだ後、長いハシゴを前にして怯んでいると、ヘリが飛んできて稜線の前後を入念に確認している。人が落ちたのか・・。
1345ヒュッテ大槍で水を補給。本音的には、「ここ迄充分頑張った終わりにしよう」的な・。さらに勾配は増し悪戦苦闘する。左眼下に殺生ヒュッテ。高度順応はどこに行ったのか苦しいばかり、最後は死力を振り絞り(この苦しみは、実はまだ甘かった)、1542ようやっと槍ヶ岳山荘到着。テン場は既に満杯ということで10名ほどの寝棚に入る。でも岩だらけのテン場を見るとちょっと退く。
テラスで見事な槍の岩峰を見ながらビール。人が取り付いて渋滞になっている。明日晴れる保証はないが飲んじゃったからな(んもあるが、力が残ってないからな)。
夕食は好物の酢豚。
11日(日)4時台に目が覚め外へ出ると出発する人や夜明けを待つ人がチラホラ。
朝食を済ませ朝日を拝み、ヘルメットを着け槍ヶ岳山頂によじ登る。ハシゴ、クサリの連続。荷物が無いのにきつい事。山頂は足が竦むが霧が晴れ、360度の大パノラマ。今日も天気が良い。
ザックを背負ってキレット越えに出発。かすかに頭が痛く体が怠い。少し喉がゼエゼエする。睡眠で酸素が足りてないのか。
それでも大喰岳、中岳、南岳と来て。南岳小屋に1033。キレットの向こうに北穂高岳の威圧的な岩峰がそそり立ち、山頂に北穂高小屋が見える。槍ヶ岳山荘の弁当を開く、名物のちまき。体調のせいか恐れのためか余り味がしない。体力的にはここに泊まるべきだったが、時間がまだあり過ぎた。
キレット下りを何とか苦労して過ぎ、北穂に向け登り返しになって直ぐ、これだけしか登ってないのに、息が続かずとても今日は進めない、3m登って5分10分休むといった状態。駄目と判断し体力回復の為、ビバーグ。心配していた貧血の症状とも違う。
12日(月)平じゃないので安眠したとは言えないか・やはり微かに頭痛。救助隊の人が二人巡回に来て体力が尽きてビバーグと事情を説明。朝6時台に出発、変わらず息が上がる。高度不適合を起こしてる様、長谷川ピーク、その先の足が震える岩のナイフブリッジ跨ぎ(飛騨泣き)、北穂高の急登も口をパクパク、大相撲の舛ノ山の様。肺が小さくなったか?
「休み休み、ゆっくり行ったらええたい。必ず着くて。」小さなパーティのリーダ、懐かしい博多弁。折り返して下りて行く韓国の女性からも「大丈夫ですか?」と気の毒に思われる始末。ビバーグ箇所から普通は2時間強の見立てを、8時間かかって北穂高小屋に到着。
コースをエスケープしようにも、まず登らないと始まらないので死に物狂いになった訳です。
せっかく着いても、景色も余裕を持って見れない。ビールがちっとも旨くない。名物のショウガ焼きをクラッシックを聴きながら食べ少し癒やされたくらい。
13日(火)0620北穂高小屋出発。洋式のトイレも在る良い施設でした。下りだから楽、今日中にあずさで帰れると思いきや、ハシゴ、クサリ、ガレ場の難所の為、大きく動くと息が上がるのは同じ。コースタイムの2倍以上、4時間半かけてしまい、涸沢小屋でラーメンで昼食。今日も驚くほどの晴天で消耗が予想されるが涸沢から先は危険個所無いので、まずは安堵。
結局不調は治まらずその後も時間がかかり、横尾を過ぎ、徳沢で力尽き幕営をすることに。au、DoCoMo両方とも圏外は想定外で予約のあずさの変更出来ず。安否の連絡も出来ず。
着いたのが1632、チェックインが夕食を頼める1700の直前。夕食は1800から。隣りの徳沢ロッジのの風呂を使うなら1930まで、と結構それぞれタイト。
幕営をさっと済ませ、風呂に行き6日分の汗を流し、食事は岩魚定食を頼んでおいたが、あまり味がしない。同席の下山の二人(ひとりは広島から)、これから登る一組と話もそこそこに、刈り込まれた平らな草原のテント場で横になれるのがありがたい。
この日もビールよりスプライトが断然旨く感じる体調でした。
14日(水)突風もさほどの冷え込みも無くゆっくり出来たが、体調は大きくは好転せず。上高地まで更に7km弱。同じキャンプ場でも上高地に近い小梨平なら圏内だった様。知っていてもその前に力尽きたのは同じか。
晴天が続いていることもあり、昔の街道筋の様に次から次に人が奥へ向かって行く。挨拶が面倒、いや我▲Dライフの社員だ、と逆に振るまう。上高地が近くなったら観光者と雑多混合になり、挨拶を解く。
0840発、新島々までのバスと長野電鉄を乗り継ぎ、松本駅で11時過ぎのあずさで帰路に着きました。
どうやら気管支炎から、呼吸困難を起こしていた様。こちらは治まってきたが、足の方が翌日になってもパンパンに浮腫んでゴルフ靴が履けない状態。
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