北ノ俣岳↓薬師沢左俣、雲ノ平、祖父岳↓祖父沢、五郎沢右俣↑黒部五郎岳↓中ノ俣川


- GPS
- 166:04
- 距離
- 52.8km
- 登り
- 4,083m
- 下り
- 4,092m
コースタイム
7/22飛越トンネル着(130)起床(520)発(615)寺地山(925-45)北ノ俣岳(1255)赤木平泊地(1430)就寝(1800)
7/23起床(222)発(444)橋(615)黒部川本流出合(650-705)木道末端(815)祖母岳(910)雷岩分岐(945-1015)祖父岳(1100-1111)日本庭園(1145-50)雷岩分岐(1250-1310)祖父沢黒部川出合(1507)祖母沢出合(1514)五郎沢出合(1520)五郎沢標高2100m(1540)
7/24起床(400)発(530)登山道(705-20)黒部五郎岳(810-30)中ノ俣川へ下降開始(850)標高2380m本流出合(915-35)20m滝下(1100-20)右岸支流出合(1300-30)取水堰堤(1525)
7/25起床(220)発(430)左支流出合(630)水の平(830)・1842(930)飛越トンネル着(1030)
天候 | 概ね晴れ。夕刻に一時降雨アリ。 |
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過去天気図(気象庁) | 2021年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
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ファイル |
(更新時刻:2021/08/07 21:19)
|
写真
装備
備考 | 今回ロープは携行しなかったが、中ノ俣川には持って行った方が良いだらう。 |
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感想
長く温めていた計画の一つである五郎沢右俣溯行を実践して、黒部五郎岳への登頂を果たした。黒部五郎への、私にとり最も礼節を尽くした登頂と成せた。
黒部五郎岳は21年前の2000年秋に五郎沢左俣を下降した際にも意識することはなかったし、勿論右俣遡行という発想すらなかった。二年後の2002年5月に室堂から縦走して登ってはいたが、北からの縦走では黒部五郎のその個性が知れなかった。ガス故か、そのカールを見下ろした記憶もない。
今回、カールへと上がるその五郎沢右俣を遡行して、かなり上質のルートであると感じた。清潔でゴミ一つなく、スケールもそこそこ備えて且つ、難しさがない(ここが大事!)。傾斜を落としたその沢の先に展開した風景に、思わず日高山脈を思い出した。志水哲也著「黒部へ」未掲載だが五郎沢右俣、これもまた黒部渓谷の一姿と言えよう。
今回、上記をメインとしてその前後に以前から地図で見て訪れたかった赤木平と雲ノ平を付属し、更には下降路に私にとって長い空白部であった中ノ俣川をトレースする欲張りプランに4日を割いた。
蓋を開けてみれば、噂高かった雲ノ平は乾燥化が進んでいる模様で好天下にも関わらず好い印象を持てなかったのに対し、ひと気ない赤木平は素晴らしい別天地に感じた。また、下りに採った薬師沢左俣も源頭は穏やか、大らかな下降を提供呉れ、滝は幾つもありながら沢登りを齧った入門者にもお勧めできる。黒部川本流への下降路とした祖父沢に滝と呼べるものは一切なく、かつては山の民に道として活用されていたのではと想像する。
何も無かろうと高を括って降った中ノ俣川だったがいやいや何が何が、遡行対象としては冗長であろうが部分的には大味でありながらゴルジュ帯ありナメ滝の連瀑帯ありで「何も無い」沢というわけではなかった。4日(正確には3.5日)に3.5乗っ越しと、些か詰め込み過ぎた感のある山行であったがその分満足度も高かった。
夏の、「五郎繋がり」野口五郎岳山行の個人的準備山行だった。
山に香気というものがもしあるならば、今回の山行にはソレが満ちていた。
コメント
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「ズク」と言う言葉を初めて知りました。
ロマンの御言葉、ありがとうございます。「ズク」は長野方言とのことですが、岐阜でも使います。あまり良い意味でなく。
時間を見てチクチクと浪漫的叙情的記録を書くつもりでおります。
梅雨明け10日の安定した天候の中、北アの沢から沢へ自由自在に歩くワンダーは最高の贅沢だと思います。また、それを許してくれる事態も幸せであるように思います。劔や槍穂も心湧きたつけれど、黒部五郎や雲ノ平あたりは緑と光が瑞々して心癒されたのではないでしょうか。
『黒部五郎への、私にとり最も礼節を尽くした登頂と成せた』という思惟はいいですね。心の深層で山と対話されているのではないかと感じました。単独行でこそ最大限に生じる思いなのかもと思いました。
コメントに感謝します。
山との対話という程の事はありませんが、孤独が醍醐味の単独数日山行で得られる思いでした。
それにしても長っっ
神岡新道の廃道区間、登らはったんすね。私も去年11月末に行きました。
神岡新道は、トンネル開通前のかつての由緒あるメインルートのはずだと思い登りました。
え、五郎沢出合で会いませんでしたっけ?
五郎沢いってないすよー、悪寒がしたんでw
うそうそ、体力なくて、そない遠いとこまで行けませんでした。飛越トンネル金曜朝九時半発で、日曜22時戻りでした。
佐々木夫妻(仮称)です! 記事拝読しました。
無事下山されていることを知り安堵しました。
黒部五郎の頂上で再開したのは何かのご縁のように感じました。
会話での笑顔 印象に残っております。
おお、ヤマレコされていたとのこと、連絡に感謝です。記録も拝読しました。
私もあのタイミングであの山頂でお二人と再会できたのは唯ならぬ御縁と感じた次第です。素晴らしい天気でしたね。
ちなみに今回、ノリさんを佐々木夫妻と仮称しましたのは、1997年に私が海外をブラブラしていた際にマカオでお会いした札幌の佐々木氏とnori1496さんがソックリだったことに依ります。鈴木ちなみに、私もnori(憲)です。
山頂でお会いした際に奥さんは畦地梅太郎のT-shirt着てみえましたか?
似たような御年、家庭(猫)環境?ということで今後とも宜しくお願い致します。奥さんにも宜しくお伝え願います。
「あっちからあっちに行って〜」と言う説明に、爆笑しました😆。
tシャツは畦地さんのものです。mont-bellで一目惚れして買いました。
重いテントを運んでくれるO型のご主人と山に行けるなんて羨ましい限りです。ウチは未だ子供が片付いていないのでO型の家内と黒部五郎に立つのは先のことになりそうです。
畦地道太郎Tに一目惚れとはお目が高い。私にも好きな作品が数点あります。
隣県にお住まいとのことで、きっとまた(沢からガサゴソ登って)お会いすることもあると思われます。その際には爆笑せずに宜しくお願いします。
20年前に小学6年の息子と飛越トンネルから、寺地山、北の俣へ歩いた時のことを思い出しました。北の俣避難小屋手前で雷に怒られて、以後金輪際飛騨の山には入るまいと思いました。
でも、岐阜最北端北の俣からの眺めはまさしく「これぞ日本の山々」でした。
息子はコロナ禍の盆休みに、ひとり白河転法輪沢から白山剣ヶ峰に上がったみたいです。わたしが蒔いた種とは言え、親としては「困ったものだ」。
以上。
飛越なので富山と共有ですが、私も初めて行ってみて静かで岐阜の誇る景観に感じました。
おお、息子さん転法輪に行きましたか。あそこには下部に大湧水ポイントがあったはずです。
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