八ヶ岳完全縦走(七里岩〜八重原)



- GPS
- 120:27
- 距離
- 234km
- 登り
- 10,342m
- 下り
- 10,217m
コースタイム
- 山行
- 6:35
- 休憩
- 0:17
- 合計
- 6:52
- 山行
- 9:38
- 休憩
- 1:24
- 合計
- 11:02
- 山行
- 9:38
- 休憩
- 1:08
- 合計
- 10:46
- 山行
- 10:01
- 休憩
- 1:44
- 合計
- 11:45
- 山行
- 12:00
- 休憩
- 2:54
- 合計
- 14:54
天候 | 全行程を通じて晴れ 日により午後は雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年07月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
全て一般登山道または舗装道 蓼科山以降、関係者以外立入禁止の別荘地があるためコース取りに注意 |
写真
感想
甲府に生まれ育ち、山に囲まれて生きてきた。360°の空と地を分つ線の中で、最も長い単一の曲線が、八ヶ岳の裾の曲線である。地図を見ると、その山体は、南は韮崎の七里岩から、北は上田・東御の八重原まで達していた。このラインを辿りたいと思うのは、私としては自然な感情である(父が釣れなかったので一般には違うようだ)。
また、八ヶ岳完全縦走と検索すると、いわゆる「大八ヶ岳」と呼ばれる、八ヶ岳から筑北山地に入り、霧ヶ峰を越え美ヶ原まで縦走している記録をよく見る。近隣の百名山で同じ火山ということで、こちらに繋げて登りたくなる気持ちもよく分かる。そこで今回は、まず韮崎から美ヶ原まで、大八ヶ岳を縦走し、その後蓼科山まで戻って八重原までの完全縦走を遂げる計画とした。ちょうど梅雨が開けたところで、オリンピック連休に繋げて有給を申請し、職場にザックを担ぎ込んだ。
○1日目
午前中に仕事を片付けて夏休みに入った。駅に行くついでに役所で手続きをしようとしたら、書類に不備があって炎天下を家まで自転車で往復する羽目になり、電車に乗れたのは16時頃であった。
韮崎駅で電車を降りる。高架になっており、美しく裾を引いた八ヶ岳と、その端に立つ平和観音がよく見える。駅を出て平和観音から七里岩に登り、登山口を目指す。まだ高い日に焼かれ、道端の草むらからの湿気に蒸されながら歩く。日が暮れると酷い暑さはなくなるが、孤独と不安と戦うことになる。およそ7時間で30kmを歩き、23時過ぎにやっと観音平に着いた。東屋の下でシュラフカバーに潜って寝た。
○2日目
早朝、大八ヶ岳縦走を目指す父と合流。普通八ヶ岳縦走と言えばここからスタートだと思う。持ってきてもらった荷物が入り、ズッシリと重くなったザックを担ぐ。
編笠山まで長く単調な登りをこなす。山頂からは、南北八ヶ岳、霧ヶ峰、美ヶ原と、これから歩く峰々を一望できる。振り返ると富士山に南・中央アルプス、遠くは乗鞍まで視認できた。
権現岳付近からは南八ヶ岳らしい雰囲気になる。遮るもののなくなった、阿弥陀岳と赤岳の迫力ある姿に、今からこれに登るのかとウンザリする。ザレやゴーロが多く歩きづらいが、雲が増えてきて日差しが遮られ、体力の消耗は抑えられる。標高差400mの岩場を一気に登り、赤岳の頂に立った。
平日とはいえ、流石は八ヶ岳の最高峰、山頂はかなりの人だった。営業自粛中の頂上山荘の方へ移動して休憩した。横岳から硫黄岳の荒々しい岩肌に、これからの行程のキツさがうかがえる。
赤岳まではコースタイムを巻けていたが、そこからはなかなか思ったように進まない。横岳のギザギザのアップダウンを越え、硫黄岳山荘に下った時点で15時になっていた。遠くからは雷鳴が聞こえ、ガスが上がってきた。雨雲レーダーを見ると、風上から雨雲が発達しながら向かってくるようだ。咲き誇るコマクサには目も暮れず先を急ぐ。
硫黄岳の下りでとうとう雨が降り出してきた。樹林帯まで急いで下りる。雨は夏沢峠付近でピークに達し、100mm/h近いような猛烈な強さになった。雷も近くで鳴っている。沢のようになった登山道をオーレン小屋まで急いだ。
小屋に着く頃には雨はほぼ止んでいた。テントの上にタープを張り、その下で優雅にα米の夕食を摂った。レトルトの肉団子の濃い味が疲れた体に染み渡る。寝不足だったこともあり、テントに入るとすぐ寝てしまった。
○3日目
2時半起床。朝食の棒ラーメンを胃に押し込む。空が白み始めてきた4時18分に出発。昨日とは打って変わって晴れ上がった夏沢峠から綺麗な朝焼けを拝み、朝の涼しいうちにと快調に飛ばす。
天狗岳からはこれまで見えていた山々に加えて、浅間山や北アルプスまでも望むことができた。北八ヶ岳らしい穏やかな樹林帯を抜け、麦草峠の車道の側で一本。連休中だが思ったより車は少なかった。
ここからは茶臼・縞枯・雨畑とアップダウンが連続する。標高差も傾きもそこそこ大きく、だんだん上がってきた気温も相まって体力を削られる。山が台形をしていて、登り切ったと思ったら山頂までまだあるのも嫌らしい。
三ツ岳に取り付くと、岩が次第に大きく登りづらくなった。山頂付近は岩が重なっている上を渡り歩いたり、垂直に近い岩場があったりして緊張を強いられる。日差しを遮るものがない上に、風も吹かないためたまらなく暑い。
坪庭への分岐からはこれまでの道が嘘のように非常に歩きやすい道になった。しかし今日も遠くで雷が鳴り始めている。北横岳に着いた時点で、上空には暗い雲が立ち込めていた。道標にはご丁寧に「大岳・双子池(難路)」と書いてある。雨で岩が滑りやすくならないうちに先を急ぐ。
大岳との分岐までは三ツ岳より楽だったが、急坂を下った天狗の露地には同じくらいの難易度の岩場があった。双子池の手前で雨がポツポツ降りだし、早く下りてきて良かったと思った。
双子池ヒュッテのテン場はヒュッテからそこそこ離れており、場所を必要とする上張るのが遅かった我々は、その中でも最も奥に張らざるを得なかった。
夕食は、具のないほうとう、高菜の漬物、α米のぶっかけ飯、レトルトの炭焼きハンバーグ。量があってエネルギーの回復に良かった。下がやや傾いており寝づらかったが、そのうち寝やすい体勢を見つけることができた。
○4日目
2時半起床。今朝も棒ラーメン。味はともかく、早く出来て汁で体も温まり、朝には良い。ヒュッテに戻ってトイレと水汲みを済ませて出発。
霧雲が低く垂れ込めていて、双子山からは北横岳も蓼科山も中腹までしか見えない。一旦大河原峠に下りる。ここのトイレは広くて快適らしい。蓼科山までは急登だが道が良く、サクサク登れる。日の出とともに霧は晴れ、山頂からは360°の絶景を望むことができた。南にはこれまで歩いてきた八ヶ岳の峰々が遠く霞み、北の霧ヶ峰や美ヶ原は眼下に平たく広がっていた。「蓼科が八ヶ岳の一番北」と言われるのがよく分かる。
女神茶屋の登山口まで、800mの標高差を一気に下る。植生もハイマツからコメツガ・シラビソ、広葉樹の中の笹原と変化していく。下り切ってから八子ヶ峰に登るとWindows XPのような草原が広がっていた。スキー場の向こうには白樺湖のリゾート地が見える。登山のための山は終わり、登山者がマイノリティになる遊ぶための山が始まる。
白樺湖に下りたあたりから、一旦は翳っていた日が差してきて、低い標高と相まってとても暑い。白樺湖でこう思う人は少ないだろう。辺りにはランニングやサイクリングをする人が多いが、標高の高い涼しい場所ということで来ているはずだ。
湖畔を離れ車山に取り付く。霧ヶ峰はそこまで高くない印象だが、この登りの標高差は意外にも500mもある。高温・日差し・無風・登りの四重苦の中を、日傘をさしながらあえぎ登り、やっとのことで車山山頂に立った。
遠くは雲が湧いていて見えなかったが、南には蓼科が大きく見えた。北には霧ヶ峰の湿原の向こうに、異常なまでに大きく平らな美ヶ原が見える。レーダーの陰で休憩し、人混みの中をキャンプ場へ向かった。
4連休の真っ只中の車でも入れるキャンプ場だったので、泊まれるかどうか心配だったが、流石敷地面積1万坪は伊達ではなく、タープの張りやすい木に挟まれた平地もまだ空いていた。
周りのキャンパーは9割以上が登山ではなくキャンプ目的でやってきたような雰囲気で、焚き火の煙が方々から上がっている。そんな中でも我々はいつもの山の中のスケジュールで過ごす。5時には飯、終わったら睡眠。
カレーメシはアルファ米の中で一番美味いと思った。セブンイレブンのレトルトのハンバーグも、常温で最後まで問題なく美味しかった。一般のキャンパーが夕食を楽しむ声を聴きながら眠りに落ちた。
○5日目
今日も2時半起床。たらこソースでパスタを食べた。昨晩あれだけ楽しそうにわいわいしていた一般キャンパーたちは、不気味なほど静かに息を潜めている。一番乗りで受付の札を返却し、そそくさと4時ちょうどに出発。
八島ヶ原湿原には朝霧が立ち込めていた。日の出前後の刻々と色を変える空に息を飲む。八島ヶ池には池に映る日の出を撮る人々がカメラを並べていた。
ここから美ヶ原まで、鷲ヶ岳、三峰山、茶臼山と、標高差数百mの山を3つ越えていく。だんだんと遠くなる霧ヶ峰と近くなる美ヶ原を楽しみにしながら淡々とこなしていく。徐々に気温が上がってくるが、三峰山と茶臼山の間の扉峠付近には、道路脇の斜面のパイプから冷たい水が出ている場所があり、気持ちよかった。
茶臼山を下り切ると、次第にあたりが開けてきて、美ヶ原の始まりを感じる。百曲園地から観光地ゾーンに入り、人がどっと増えた。大きい荷物に人目を感じながら、まず王ヶ鼻へ向かった。
岩峰の先からは、低く垂れ込めた雲の下に松本の街並みを望むことができた。曇っていなければ北アルプスを一望できるそうだ。
王ヶ頭に戻って山頂で写真を撮り、牧場の中に進む。果てしない草原の中にぽつぽつと見える牛を眺めながら道の駅まで歩いた。本当に桁が外れて広い。王ヶ鼻から道の駅まで、美ヶ原の端から端まで約6kmの道のりを、100mの起伏もなく歩けた。
道の駅美ヶ原高原美術館はほぼ美術館だった。建物に道の駅の文字はなく、中も美術館のお土産コーナーに入らせてもらっているような感覚だった。屋外にポツンとあるトイレだけが、わずかに道の駅を感じさせる。広い駐車場の端からは上田盆地の素晴らしい眺めを見ることができた。
荷物の受け渡しをしてお土産を買って母に迎えを待つ。霧ヶ峰から白樺湖まで、「この上にはこんな山があった」と話しながら大河原峠まで送ってもらった。父とはここでお別れである。普通八ヶ岳縦走と言えば蓼科山か美ヶ原までだと思う。
大河原峠の駐車場には車中泊の車が何台か停まっていた。テントを張るのはなんだか憚られたので、ベンチにシュラフカバーで寝ることにした。観音平から3〜4℃下がるくらいだからそこまでの寒さではないだろうと思ったが、持っている服をほとんど着込んでも寒さでしばしば目が覚めた。
○6日目
最終日も2時半起床。夜露か雨か、ザックカバーとシュラフカバーは濡れていた。最後の棒ラーメンを口に押し込む。
飯を食べるとあれだけ寒かったのが嘘だったかのように体が温まった。綺麗なトイレで用を足し、パッキングを済ませ、半袖になって出発した。
蓼科荘に着いた頃にはヘッドライトは不要になっていた。ここから八ヶ岳完全縦走の再開となる。小屋の外にいた人の「山頂に行かずに何をしに来たんだ……?」という表情を横目にロープウェイ方面へ下った。
7合目からは40kmに及ぶロードが始まる。20kgの荷物を背負った、高原の朝の涼しく快適なウォーキングを楽しむ。
つつじヶ丘の別荘地は本来関係者以外進入禁止であったが、入口の看板を見落としてしまい、それに気づいたのは出口の看板を見てからだった。皆様が計画を立てる際はコース取りに注意するようお願いしたい。
気を取り直して県道の緩やかな下りを延々と下る。アスファルトが足に響く。体力は使わないので休憩のしどころがよくわからない。およそ2時間に一度を目安に休憩しながら歩いた。
稜線に乗るため県道を離れて林道に入った。今日も気温が上がってきて、ロードは安全だから夜に歩いた方が良い、早く日が沈まないかと思いながら歩く。
大沢山と芦田坂山を越えて笠取峠に下り、国道をさらに少し下った。芦田坂山からの尾根が平地に消えるこのあたりが、八ヶ岳の溶岩流の北端となる。南端は大泉の大湧水のあたりで、今回通ったルートでは観音平である。ここまで長かった。ここからは岩窟なだれの上を歩いていく。
別荘地を回避してもう一度稜線に乗った。足の痛みと暑さから速度は上がらず、一度の休憩も長くなってきた。重い足を気力で前に運ぶ。
道は階段状に高度を下げ、その斜面からは八重原の美しい農村風景が一望できる。田んぼとりんごが中心だった農地が、急に垣根仕立てのぶどう畑になると、岩窟なだれも間も無く終わりを迎える。
高度を保てなくなった道はカーブを描いて坂を下りていく。その手前で後ろを振り返ると、蓼科山が韮崎で見たのと同じように、綺麗に裾を下ろしていた。目の前には浅間連峰が遮るものなく迫っていた。ここで八ヶ岳は終わるのだ。
最後のおまけのような天下山を越え、千曲川の段丘面上を大屋駅まで向かった。しなの鉄道、小海線、中央本線と乗り継いで、実質4日かかった道のりを4時間で甲府まで戻った。
ぐっと標高が下がった甲府は、まだ気温が27℃もあった。ここから家まで数十分の自転車はなかなかの重労働だ。真昼の炎天下に家と駅を往復などした日には大変なことになるだろうが、日差しがないのでなんとか凌げた。やはりロードは夜に限る。
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