【大朝日岳】ガスが絶景を支配も、一瞬の青空に苦労報われる
- GPS
- 10:33
- 距離
- 16.8km
- 登り
- 1,646m
- 下り
- 1,626m
コースタイム
- 山行
- 9:34
- 休憩
- 0:59
- 合計
- 10:33
▼復路の小朝日岳を巻く巻道は、記録によると20分で通過していることになっているが、意外だった。疲労のせいかもしれないが、もっと長く時間が掛かったイメージだった。後半は、いつまで経っても本道に合流しないので、終わりが見えない感覚が襲ってきた記憶があります。
天候 | ▼前回A隊長と燧ケ岳を登った直後に、9月25日に山に登ろうとのお誘いがあり、場所は確定しないまでも、予定にはずっと入れていた。K副隊長とMさん【元インド駐在】も参加することになった。行先決定に一番大きなウエートを占めるのは当然、当日の現地の天気であることは議論を要しないであろう。重要情報の第一報となる長期天気予報は、10日にから入手可能となるのだが、当初の行先第一候補はどうもあまり良い予報ではなかった。第一候補だけではなく、関東甲信越を含む広域で天気が悪そうだった。 それを受けてPlanBの準備を始めるA隊長。尾瀬の草紅葉や西吾妻山などが候補と上がるが、K副隊長が天気が悪いなら、良い所まで足を伸ばせば良いと大胆な発想で大朝日岳を提案、東北の紅葉見たいよねと、登山隊の雰囲気は一気に大朝日岳に傾いた。 ▼山行まで1週間を切ると、第一候補の天気予報を気にする者はいなくなり、大朝日岳一色となる。候補地は大朝日岳にほぼ絞られた。数日前のてんくらの予報は、曇りながらも登山指数はA、雨の心配はなさそうだった。気圧配置でも、高気圧が本州上空に張り出す予報、晴れ間も期待できそうだと期待が膨らんでいった。 山行前日の予報はさらに好転、tenki.jpもウエザーニュースも晴れ予報を出す。元々雨が降らなければいいやくらいの気持ちが、晴れて当たり前に切り替わったと思う。 ▼山行前日、18時に栃木駅に集合、そこからA隊長の車にて古寺案内センターの駐車場に向かった。栃木から福島の県境を越える前に、小雨が降ったと記憶しているが、東北に入ってからは夜空に月が浮かんでいた。22時半過ぎに古寺案内センター駐車場着。明らかに満月とは違ったが、月明かりで十分明るい夜だったと記憶している。9月後半東北地方で標高600m超での車中泊は、深夜早朝は冷え込むことが十分予想できるので、各自寝袋を持参、寒さに備えた。寝袋を使うとしまうのが面倒な私は、寒さで耐えられなくなるまで寝袋の使用を見合わせ、スタッフ袋に収納された状態の寝袋を抱きかかえる形で仮眠を取ることにした。予想より冷え込みはきつくなく、寒さで目が覚めることもなく、結果私は寝袋は使わず終いだった。中厚手のインナーを着込んでいたことも寒さと無縁でいられた理由かもしれない。只、やはり9月後半の東北地方の標高600m超地点の夜は、そこそこ冷えたのだと思う。車中3人の男達が発した人いきれは、夜半過ぎに社内で結露に変わった。因みにMさん【元インド駐在】はテント持参で、駐車場隅にテントを張り仮眠を取った。 ▼山行当日の午前4時気象。秋分の日を超えた午前4時台早朝は暗い。月だけではなく、オリオン座がはっきりと夜空に浮かんでいるのが見えた。刺すような寒さもないため、中厚手のインナーの上に、伸縮性のある少し厚めの合繊長袖Tシャツを着用しただけの服装にヘッデン装着して登山開始、ほどなく汗ばみ始める。仮に3枚目を着込んでいたとしても20分以内に脱いでいたことは明らかだった。暗いから登山道周辺の様子はよくわからないが、路面が濡れていることはよく分かった。前日の雨か、夜半過ぎに露が下りたかはわからないが、Mさん【元インド駐在】によると、テントが濡れていたので夜露が下りたのではないかと推測していた。路面は濡れていても、滑ることなく、気温も登山には適した域内に収まっていたのか、息切れもなく快調に登っていく。自分に合った勾配なのだろうと思っていたが、復路での下りでは結構急に感じたので、暗さで余分な情報が入ってこなかったことにより体も騙され、結果快調に登っていけたのかもしれない。この辺は登山における三文の徳説として感想欄にて述べてみたい。 ▼兎に角快調に登っていく。空が段々白み始め、登山開始1時間内外でヘッデンが不要となる。青空に朝日も確認し、晴天を疑うこともなかった。その後、眺望の良い場所で、日本海や月山も見えた。当然ガスの発生を露とも想定していない。しかし、古寺山に到着するや否や状況が一変した。A隊長の悲鳴があがる。「大朝日岳見えているけど、ガスに隠れてしまうのも時間の問題」慌てて大朝日岳を撮影する。青空に浮かんでいるが、白いガスがものすごい勢いで大朝日岳を包み込もうとしているのが見えた。大朝日岳の写真数枚と、青空を背に堂々とした山容を目に焼き付けた後、今度は正面に大きく見える小朝日岳を撮影しようとしたが間に合わなかった。古寺山に到着したときは、間違いなく全容が見えていた小朝日岳は、完全に白いガスに包まれて見えなくなっていた。その後は、あらゆる青空や風景が白く塗り替えられたガスの支配する世界となった。【後日記】尚、写真18,19,21のキャプションでも述べている通り、当パラグラフで大朝日岳と表現されているピークは中岳の誤りであったが、当日は、中岳を大朝日岳と認識して行動していたのは間違いのない事実であるため、修正せずにそのまま記載している。 ▼暗さを感じなかったので雨の心配はしていなかったが、小朝日岳への登り坂を登っている最中、再度A隊長の悲鳴があがる。「雨だ!!」悲鳴のすぐ後に水滴を感じた。この気温で濡れることは低体温症を引き起こしかねないので、慌ててレインコートを着用、ザックにはカバーを被せた。その後、幸いにも本降りにはならず、やがて雨は上がった。今思うと雨というより、部分的に水蒸気を過度に含んだガスが、山肌を登っていく過程で、過剰に含有していた水分が凝縮し、水滴を落としたに過ぎないのかもしれない。だが、部分的とはいえ水滴を落とすほど過剰に水蒸気を蓄えた空気が下界から連続的に供給され続けるのであれば、ガスが晴れることはない。実際大朝日岳山頂に到着するまで、濃いガスが晴れることはなかった。またガスの発生と同時に、風も吹き出したことを付け加えておきたい。太陽に温められた湿度の高い空気が風となり流れだし山肌を登った結果ガス発生、というメカニズムだ思っているのでガス発生と風はワンセットと考えるべきだろう。山行中の我々に吹き付けた風は、突風という感じではなかったが、雨が降らずにレインコートを着用していなければ、登山中にもかかわらず汗冷えを引き起こすくらいの強さはあったのではないかと思う。古寺山近辺から先は、小朝日岳から大朝日岳間の最低標高地点近辺を除いて森林限界を超えているのか、低木やハイマツが繁る稜線だったと記憶している。風が登山者の体温へ与える影響は大きかったのではないかと思う。 ▼苦労して登った小朝日岳からは何も見えない。僅かだが雨にも打たれたこともテンションを下げるには十分な理由だ。更に小朝日岳からしばらくはせっかく稼いだ高度を150m以上吐き出さなければならないことが追い打ちを掛ける。そんな負のコンディションが悪影響を与えたのか、最低標高地点を通過後のA隊長の足にトラブル発生。色々協議した結果、A隊長のみ古寺案内センターに引き返すことになった。皮肉なことにA隊長撤退後からコースはややなだらかになる。風景も晴れていたら絶景だったことがわかるものへと変わっていった。青空と十分な光が与えられたものと比較するのは酷だが、赤や黄色の紅葉は、例え濃いガスで覆われていてもその美しさは完全に褪せることはない。晴れていなくても雨が降らないだけでも十分、百名山の大朝日岳に登れて怪我無く下山できれば十分、ガスに覆われていても紅葉を楽しむことが出来るではないかと、この区間で徐々に心の折り合いをつけながら淡々と大朝日山頂へと登っていく。 ▼銀玉水から先はまた勾配がきつい登りとなった。また、高度が上がる毎にガスも濃くなってきた。大朝日岳神社の奥宮がある稜線に出た当たりが一番ガスが濃かったと思う。ここら辺で、雨が再度パラリと来たかもしれない。これまた幸いに本降りとはならなかった。「高気圧が張り出すから、晴れを確信してきたのに雨とはねえ」とボヤキながら我々を追い抜いていった登山者がいたのもこのあたりだったと思う。 ▼濃霧の中、淡々と登り続ける。やがて避難小屋に着き、すぐに山頂を目指し始める。避難小屋で体力のあるMさん【元インド駐在】はA隊長が心配だからと、我々より先行して山頂に登り、間髪入れずに折り返して下山していった。本当にナイスガイだと思う。K副隊長と私は、自分のペースを崩さずに山頂を目指す。やがてガスに包まれた山頂が目の前に現れるが、ペースを変えずに山頂にたどり着いた。山頂で撮影すべき写真を撮影して、眺望もないのでそろそろ折り返そうかと思っていた時、「見えた」との声が上がる。山頂からなにが見えるかはわかっていないが、本能が絶景が見えるに違いないと教えてくれる。果たしで、ガスの切れ間から対面にある山塊が垣間見えた。中々の山容だ。慌ててカメラを用意するが、シャッターを切るより早くガスが再び山塊を覆いつくしてしまった。絶好のチャンスを逃したという絶望感はなかった。なぜか次のチャンスがあるような気がしていた。また、頂上を覆うガスが薄くなり日が射し込む量が増えたのか、ガスにぼんやりとした虹状の光の輪が浮かび上がっていたと思う。K副隊長がブロッケン現象が発現する可能性を指摘していたことも付け加えておく。太陽の角度が適切でなかったのか残念ながら怪物は現れなかったが、出現してもおかしくない環境だったと思う。 ▼しばし頂上で様子を窺っていると、予想通りガスは再度晴れた。晴れる度にガス帝国軍も攻撃の手を緩めず何度でも絶景を覆いつくそうとするのだが、青天反乱軍が奮闘する。やがて空の一部は反乱軍の旗印色に置き換わった。十分な光が供給された絶景は、私が事前に想像していた風景を超えていた。特に中岳に続く稜線上に刻まれた登山道とそれを彩る紅葉の組み合わせはどうだ。筆舌に尽くしがたいとはまさにこのことだ。この風景が見れただけでここまでの苦労が報われた気持ちになった。 ▼いつまでも山頂にいたいけど、帰路のスケジュールがあるのでそうも言ってはいられない。後ろ髪をひかれつつも下山開始する。反乱軍の攻勢は30分程度続いたと思うが、大朝日岳山頂避難小屋を通り過ぎるころには、劣勢となりやがてガス帝国軍により鎮圧、再びガス支配時代となった。ただ、反乱前とは少しだけガス帝国の統制は緩んだかのように見える。湿気を含んだガスが、体にまとわりつくような曇りではなく、所謂普通の曇天となった感じだ。ガスが薄れたのと同時に、風も止んだと思われる。風とガスの相関性に関する仮説はすでに述べたが、復路でも有効の様だ。復路では、往路より少しだけ光量が増えた紅葉の風景を特に撮影まではしないが目で楽しみながらも、下山を急ぐ。風がやんだことで体感温度が上がったのだろうか?顔にほてりを感じた。最初に雨を感じた地点から着用し続けたレインコートも脱いだ。前へ前へと気持ちは急ぐが、どうもこの登山道の下りは相性が良くない。足が付いてこない。後続に次々と抜かれるが、ペースを乱して転倒、怪我だけは絶対に避けなければならない。下山マシーンに徹するんだと自分に言い聞かせながら下山していくが、徹しきれずに終わりの見えない下山作業に疲労と倦怠感が混じったささくれ立った気持ちに支配されていく。もう限界と思った頃に、ようやくA隊長とMさんが待つ駐車場にたどり着いたのであった。 ▼最後に帰路上の車中、ほぼ福島県を走行中は、群馬の県境を越えるまで中々まとまった雨がフロントガラスを叩き続けたことを記録しておく。 |
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過去天気図(気象庁) | 2021年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 自家用車
電車:最寄駅 ⇒ 待合せ場所 自家用車:待合せ場所 ⇒ 栃木駅 栃木駅 ⇒ 古寺案内センター駐車場 【復路】 自家用車:古寺案内センター駐車場 ⇒ 栃木駅 栃木駅 ⇒ 東川口駅 電車:東川口駅 ⇒ 最寄駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
▼のコース全般で、難易度が高い箇所のない、また整備状況も良好な登山道であったと総括できる。路面は土、表面は土と小石が混じりしっかり踏み固められた個所、風化した岩と砂地、石畳、木の根の上を歩く箇所、等々バリエーションに富んでいたが、どれも雨で濡れても格別滑りやすいと感じた個所がなかった印象。 ▼一服清水〜小朝日岳間が、本コース上で一番傾斜がきつく、体力的に消耗する個所と思われる。 ▼小朝日岳・大朝日岳間にある最低標高地点から銀玉水までは、比較的なだらかで紅葉も楽しめる稜線歩き。 ▼銀玉水から大朝日岳山頂までは、再び勾配が急となるが天候が許せば眺望は良いと思われるので、疲労感は和らぐのではないかと推測。 ▼小朝日岳の巻道は復路で使用、体力的に消耗していたからか巻道の割には傾斜がきつく、非常に長く感じた。ただ、コースコンディションは良好で、幅員がやや狭い箇所はあるものの、危険な場所はなかったと記憶している。 ・小朝日岳分岐(北側)の件、実際の分岐と道標の位置が少しずれている。詳細は写真67〜69を参照のこと。 |
その他周辺情報 | ・大井沢温泉 湯ったり館 入浴料\300と都心部では考えられない安さ。泉質はアルカリで、入浴後の肌はスベスベ。おすすめです。 |
写真
感想
▼2021年最後の遠征登山となるであろう山行は、山形県の大朝日岳をターゲットに選定、無事遂行された。何時ものように写真のキャプションが完成したので、とりあえず先行してUP。感想欄は後日加筆予定。
▼ただ、今回のレコは道中の詳細な情報はあまり提供できないかもしれない。疲労と、悪天候によるテンションダウン等が影響しているのか、記憶に今回の山行よろしく靄がかかっている状態。どこまで思い出せるのか些か自信がない。
▼備忘録
・転倒回数(済)
・距離、勾配度合いは大倉⇔丹沢山と変わらないつもりだったのに・・・(済)
・山行での早起きは3文の得説とは
【後日記】
■天候欄で沢山書いたから感想欄はソコソコでいいような気がしてきた。当日の天気のことを出来るだけ詳しく思い出しながら書くと、やはりそれだけで山行感想欄相当のものが作成できてしまうんだよなあ。どこまで続けられるかわからないけど、行けるところまでこのスタイルで行こうかな。自分の私見や感情面だけに焦点を絞った感想欄なんかは、時間が経った後で書いても全然問題ないしね。取り合えず備忘録にて頭出ししたことのみを記述しておく。
■山行中の転倒について。序盤で、登山道に張り出した木の根の上に足を置いたところ、足を滑らせて軽く尻もちをついた。木の根は滑るのは分かっており、注意していても滑って転倒するね。注意していたから軽いしりもちで済んだのかもしれないが。
・転倒回数:1回(目標未達)
・転倒理由:木の根に足を滑らせた。臀部が地面にふれるかどうか程度の軽く尻もちだったが、転倒とカウント。
・目標達成山行率(目標達成山行/全山行数 2021年8月21日以降の山行より集計開始): 1/4=25.0%
■事前の情報では朝日岳は難易度の高いコースはないことはわかっていたが、結構体力のいるコースという評価がチラホラ。どれだけきついのか、距離と傾斜を割り出し、過去の自分の山行の中から似たものを探し出し、照らし合わせることで事前にきつさのイメージを把握しておこうと企てた。
・写真<資料>をご覧いただきたい。各記号の意味するところはキャプション参照のこと。結果として、古寺鉱泉〜大朝日岳は、大倉BS〜丹沢山に酷似していると結論付けている。楽ではないけど、まず問題なく行けるでしょうとのイメージが出来上がる。山行時間は、遅いケースで4+4時間=8時間程度、十分休憩時間を入れたとしても、総山行時間は9時間から9時間半と思っていました。
・蓋を開けてみると、往路5時間22分、復路4時間12分で計9時間34分で、特に登りの往路で想定より時間が掛かっている。レインコートに着替えザックをつけるなどのロスはあったにせよ、1時間22分もロスするものではない。距離的にも大倉BS〜丹沢より古寺鉱泉〜大朝日岳の方が距離が短いはずなのに・・・。原因はよくわからない。丹沢のほうが、ほぼ平地と同じ速度で歩ける距離が多いイメージがあるくらいしか、差異が見いだせないでいる。
・体力的な消耗度でも、大朝日岳の方が丹沢よりきつかったと思っている。特に復路は本当に長く感じた。いつまで経っても下山に至らない。この感覚は、越後駒や燕岳の合戦尾根下山時に経験したものと同質のものだ。登山の奥の深さなのだろう。山行の難易度は、単純に距離と勾配だけでは測れないのでしょうね。
■山行における早起きは三文の得説は、本山行中にK副隊長が唱えたものだ。ひょっとすると、同じようなことを以前も主張されていたかもしれないが、今回その仮説をしっかりと記録しておきたい。
・K副隊長がこの仮説を唱えたのは、復路だったと思う。内容はこうだ。「体や頭が寝ぼけている間は疲労を感じにくいから、その間に出来るだけ高度や距離を稼いでおくべし」K副隊長も復路の下りがきつかったのでしょう。だからこんな発言になるのだと思うが、主張されていることにはあまり異論はない。勿論出発した直後は体力も十分にあるという至極当然の事実があるので、寝ぼけているから=疲労を感じにくいは完全には一致しないであろう。だけど、上述の越後駒も燕岳もピストン山行で、登りより下りのほうが本当にきつかった山行だった。特に燕岳合戦尾根は、距離・勾配とも今まで私が経験してきたものの中でも一番きつい部類に入る(写真<資料>参照)が、登りがきつかったという記憶があまりない。ただ、下りは本当にきつかった記憶は今でも鮮明に残っている。
・ここでK副隊長の仮説を再掲する。「体や頭が寝ぼけている間は疲労を感じにくいから、その間に出来るだけ高度や距離を稼いでおくべし」早朝出発時は、ヘッデン装着のナイトハイク状態であるというのも、余計な視覚から入ってくる情報が遮断され登山に集中し、雑念がわく余地がないというのも仮説をサポートする材料かもしれない。今後のロングハイクの際の参考となればと思う。
・K隊長は、この説を昨年の越後駒山行の時に唱えていたかもしれない。越後駒のレコを読み返すと、同じようなことに触れている箇所あり。
■Mさん【元インド駐在】のヤマレコIDが判明したので、IDと当レコの紐付けを実施した。(2022年7月27日)
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