五老岳・建部山《京都百名山No.28・29》
- GPS
- 06:04
- 距離
- 21.2km
- 登り
- 990m
- 下り
- 989m
コースタイム
天候 | 曇り |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2022年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
復路:京都丹後鉄道東雲駅 |
コース状況/ 危険箇所等 |
五老岳は、五老岳ハイキング道、ロータリーの道を歩き 建部山は、今日軍用道路跡を辿り近畿自然歩道から先は道はないが、下草なく支障なし |
写真
感想
中舞鶴線は、東舞鶴駅を折り返すように分岐し北吸を経由して赤レンガ倉庫群や海上自衛隊の施設を縫って中舞鶴まで走っていた路線で大正8年(1919)7月21日新舞鶴〜中舞鶴間を国鉄の前身、鉄道院が開業させた。北吸から中舞鶴にかけては海軍の重要な地域で、その軍需物資の輸送にあたった。中舞鶴駅は客貨8線を要する駅で海軍工廠への引き込み線も存在していた。戦後海軍施設は海上自衛隊によって再利用されたが国道の整備により徐々に貨物輸送は減少し、元々旅客輸送は振るわず昭和47年10月31日限りで廃止された。開業時の新舞鶴駅は昭和14年に東舞鶴駅に改称され今に到っている。
東舞鶴駅の西舞鶴寄りの場内信号機の辺りから緩いカーブで分かれて行く道路が嘗ての線路跡で辿って行くと遊歩道となり明確な線路跡が続く。右にカーブを切って四面山の稜線に迫ると北吸トンネルで西側に抜ける。北吸駅跡には東門駅の駅名標がモニュメントとして設置されていた。北吸駅は開業時「東門(とうもん)駅」と称し昭和21年に北吸に改称された。舞鶴市役所の西側は赤レンガパークとして観光地となっているが嘗ては海軍の倉庫だった。線路跡が海岸近くに出ると海上自衛隊第三護衛隊群司令部でイージス艦らしき艦艇も見られた。通常なら基地内の艦艇を見学できるようだがコロナ此の方中止しているようだ。舞鶴総監部の入口には海軍記念館受付との看板が出ていたので興味をそそられたが今日は寄り道していられない。中舞鶴駅の広い構内は海上自衛隊のグランドとなり傍らに中舞鶴駅跡の案内板があった。駅跡に宮津線を走っていたC58が保存されていたが中舞鶴線を走っていたC12でないのが残念なところだった。
廃線跡ウォークが終わり、更に街中歩きで中舞鶴小学校脇の五老岳登山口に達した。五老岳ハイキングコースとして整備された道で羊谷三角点に達すると東側の展望が開け青葉山(693m)や愛宕山(282m)を望むことができた。トレランナーが追い越して行き、後を追って行くと初老の男性を追い越した。この日出会った登山者はこれで終わり。誰も居なくなった登山道は整備されて歩き易い。P214に達すると「五老ヶ岳ハイキング道」の標識があった。地形図には“五老岳”と書かれているが現地には“五老ヶ岳”の表示も多かった。90°向きを変え鞍部に下ると五老岳に登る車道が左側に近づき取り付け道が上がってきた。稜線を進むと松の広場に達し槙山(483m)の方向が開けていた。やたらと烏が多く不気味なほど上空を飛び交っていた。
山頂に直行する階段は以前に通ったので山頂の北側の遊歩道を歩き山頂北側から階段で五老岳(301m)山頂に到った。山頂には五老スカイタワーがあるが山頂展望台から十分な展望が得られた。青葉山、由良ヶ岳(648m)、赤岩山から大江山の稜線がしっかり望めた。昼食休憩を取り、2等三角点「餘内村」を探し回ったが見つけられなかった。帰って調べてみると展望台の五老タワーと錨のモニュメントの間位に埋め込まれプレートがあるようだった。五老トンネルに下る車道がヘヤピンカーブするところで“ロータリーの道”が分岐した。舞鶴ロータリークラブが設置した真新しい看板が100m毎にあり、山頂までの距離と標高が記されていた。
巨大な十字架のある十字架山(64m’)に達するとキリスト教式の墓が並んでいた。その下の方は仏教式の墓地となった。上安久の“みなと安久トンネル”の南出口付近に降り立った。旧道を辿り相生橋で伊佐津川を渡り国道に合流した。27号線から175号線となり下福井で北に折れ建部山登山口に達した。登山道は嘗ての軍用道路で入口付近は少々荒れているもものトラックも走った道の跡が山頂まで続いていた。軍用道路の北端で下東集落にある安寿塚への道が分岐し、指導標も掲げられていた。何度も折り返し山頂に到ると“建部山堡塁砲台跡”の遺跡が残り、カノン砲の台座やレンガ造りの弾薬庫が軍港の厳しさを物語っていた。建部山の砲台は舞鶴港の守備ではなく由良川方面を睨んでいたようだ。
旧軍用道路を引き返し下東・大君分岐から北方向に進んで鞍部に下り立った。喜多と下東を結んでいた古道が越えているが、峠道の下部では藪が覆い完全に道形は失われていた。登山道は登り返してピークに到ると虚空蔵菩薩が祀られた祠があり、由良川と大江山(833m)の展望が得られた。登山道は北西方向に進み近畿自然歩道の広い道に出会った。下東への道を左に分け近畿自然歩道を北に進み尾根の先端部の微かな踏み跡に入って行った。踏み跡は谷筋に入って行き軈て途切れてしまったので稜線に取付いた。下草もなく支障はなく歩けたが急斜面となり木に掴まりながら牛谷三角点峰の西尾根に乗り上がった。3等三角点「牛谷」(266m)があり傍らに“舞鶴要塞第二地帯標”があった。陸軍省が明治30年代に設置したもので嘗ては兵士による巡回が行われていたのだろう。
下山は平成23年11月に三角点の観測が行われた時に国土地理院の測量隊が登った尾根を下って行った。古びて傾いた祠が現れ人里に近く、この先は道があると一安心だった。しかし下って行くと民家の裏側が見えてきたが、かえって道があやふやになってしまった。藪を漕いで先端に下り立ち民家の脇を通って車道に出ることができた。水間集落の此の辺りに“大関ケヤキ”と呼ばれる樹高15m、幹周囲6mの巨樹がある。東雲駅の観光案内で初めて知ったのでほんの近くを通っていたのに残念なことだった。京都丹後鉄道の1両編成の列車に乗って西舞鶴へと戻った。帰りの特急まで1時間半ほどあるので駅前の寿司屋でビールを飲み舞鶴の魚を味わった。
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