聖岳・光岳 百名山50座目 西沢渡〜易老渡周回
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- GPS
- 56:00
- 距離
- 37.8km
- 登り
- 4,131m
- 下り
- 4,129m
コースタイム
- 山行
- 7:10
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:10
- 山行
- 8:00
- 休憩
- 2:10
- 合計
- 10:10
- 山行
- 10:30
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 11:00
5:00 飯田市鼎発
7:40 遠山川 易老渡先 中電隧道工事宿舎
<復路>
16:50 易老渡付近発
19:00頃 鼎着
天候 | 晴れ |
---|---|
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
中電 隧道工事宿舎駐車場へ 車を止めさせていただく(1989年当時) |
コース状況/ 危険箇所等 |
西沢渡 橋がない 西沢から東沢辺り草に覆われた分かり難い道 易老岳からの易老渡へ 不明なところもあり慎重に下る |
その他周辺情報 | 遠山郷 下栗の郷 |
写真
感想
1989年(平成元年)10月8日(日)〜10日(火)
聖岳・光岳 百名山50座目 西沢渡〜易老渡周回
飯田市鼎から赤石林道、上村・南信濃村へ。
南信濃村上島から林道を、北又渡、その先易老渡へと車を走らせる。
易老渡の先に中電の隧道工事の宿舎があり、その片隅にサファリを駐めさせてもらった。
遠山川沿いに西沢渡へ。
道は整備されて快適と思いきや西沢渡の橋がない。
徒渉しかなく、一番安全な渡り場所を見つけるのに時間をかける。
リックの重さを考えると慎重になり不安も襲ってきた。
渡ったものの、この先の登山道はしっかりしているのだろうか、そんなことまで考えていた。
最後は渡れそう、行くしかないとの決心だけだった。
西沢渡を何とか渡り、西沢と東沢の間にある尾根に登り上げる。
途中使われていない営林署の建物の横を通る。
この付近の道が一番草に覆われ分かり難いところだった。
聖平まで2時間地点で、二人の登山者が抜いていった。
急登が続き、西沢から登りでは2時間30分ほどかかったが、下りに西沢までは1時間とある。この大きな時間差は何なんだろう。
午後になり霙が降り出した。
薊畑が出てきて、聖平が近い。
2300m付近分岐から30分ほどで聖小屋へと到着する。
3人組、2人組(抜いていった人たち)の5人と私だけだ。
水場(大井川に注ぐ)も近く豊富。
キャンプサイトもいくつかあるが、寒さ故小屋の中にテントを張り一晩過ごした。
9日(月)4時30分起床。
熱い雑炊が冷えた身体に力を与えてくれた。
本日快晴。少し明るくなったのを見て出発する。
霜柱をザクザクと踏みながら聖岳を目指す。
前日通った分岐を聖岳へ急な登りとなる。
霜を被った枯れた薊が広がる。
御来光だ。
富士山の方向から光が差す。岩を紫色、橙色、そしいてピンク色へと染め変えて行く。
聖岳3011m登頂。
赤石岳が聳え、北アルプスの槍・穂高も遠く眺められた。
飯田方面からやってきたと思われるパーティーに易老渡への道の状態を尋ねたところ、しっかりとした道があるとのことで、今日・明日と天気もよさそうなので、易老渡へと下ることに決める。
その後、奥聖岳まで足を延ばし暖かな日差しを浴びながらゆっくりしてきた。
1時間ほど聖で時間を過ごし下山。
聖小屋へ戻り、紅葉輝く中で早めの昼食を済まし上河内岳へ向かった。
富士山を左横に紅葉樹の中を南は進む。
途中アグリカルチャーの帽子を被った方と話をしながら聖岳を眺める。
このとき立山で何人かの遭難者が出たことを知った。
昨晩は小屋の中にテントを張って寝たこともあって寒さをそれほど感じなかったが、北アルプス方面では雪になり、そうとう冷え込んだようだ。
そんな遭難騒ぎとは無縁の南アルプスの好天日だった。
上河内岳の山頂から。
ガスがかかってくる。聖岳は残念ながら白い雲の中、強い風が吹けば飛びそうな雲だが、次から次へと聖岳へ突撃をかけて、その山頂を奪ってしまう。
茶臼山との分岐からほんのわずかで茶臼山山頂。
よくぞここまで来た、南の南アルプス。
天候に恵まれ、予定以上の山行になっている。
仁田池へ。
小屋は屋根が落ちて潰れている。こんな所になぜ直径7〜8mほどの円形の池が存在するのか。
今日の宿泊場所は仁田池脇のふわふわした草地にテントを張る。
水場を求めて10分ほど下る。十分な水を得て、気分も充実してくる。
夕焼けの聖岳をウイスキーを飲みながら味わう。
今回の山旅で、最も安らぎを感じ、美しい風景を堪能することが出来た一時だった。
どうも山を急いでしまう。もっとゆっくり楽しめば良いのにと思うのが常だ。
次が知りたい、行ってみたいと好奇心の塊になり急いでしまう傾向がある。
まだ子供のような感性が備わっているのかな、と一人思ってみたりして、若い、若い。
最終日の朝がやってきた。
鹿の声だろうかキィーンキィーンという甲高い声が夜から響いていた。
今日の行程は光岳、そして易老渡へと下山だが長い。
薄暗く寒い中、仁田池を後にする。
希望峰から仁田岳へ。
すでに太陽が顔を出し、オレンジ色に一帯が輝き始める。
朝日はほんのり暖かく、昨日登った聖岳、上河内岳が映える。
展望が素晴らしい山だった。一日いても飽きないだろう。
その後易老岳へ。展望はなくその先光岳に向かい荷物をデポし先を急いだ。
三吉平、木々が鬱蒼として芯から寒さを感じた。
昔ここに三吉さんと言う方が人里離れ住んでいたという。
今で言う正に「ぽつんと一軒家」
自給自足の生活を営んでいたのだろうが、生きて行くには大変な場所で、時々訪れるならばこれほど素晴らしいところはないのだが。
この三吉平からの登りは谷沿いのかなりの急坂だった。
光小屋に着く。
今日は誰にも会うことなくここまで来ている。
静かだ。長閑だ。そして太陽のありがたさを存分に感じた。
小屋からわずかばかりの所が光岳山頂。
深田久弥氏の百名山中、50座目の節目となった。
日本を北から南へと良く歩いているがまだ50座ある。
東北地方と岐阜県側がこれから中心になりそうだ。
テカリとは白く輝く岩から命名されたということで、山頂から少し下った所に見ることができる。
遠くから見ると光り輝いて見えるというのだ。
山頂からの眺めは木々に覆われあまり良くないが、山頂北側に聖から縦走してきた登山道が見渡せる場所がある。
北アルプスのように観光地化された山域、そして時期的に静寂そのもの自然がそのままの姿であった。
今回の山行で9座目、そして最後のピークとなるとなるイザルガ岳。
笊を伏せたような形、そこから名前の由来が来ているという。
仮名表示というのも本州の山では珍しい。
360度の展望、ハイマツが覆う山だ。
このハイマツが見られるのはこの光岳付近が南限になるそうだ。
さすがに3日目歩きに歩き、左足膝裏が痛み出してきた。
これからが長い下山になる。
易老渡への下山口、デポしておいた荷物を背負い下山を開始する。
天候に恵まれ素晴らしい山行はここまでだった。
下山は悲惨。
左足が痛みで思うように動かず進まない。
明るい内に下山しなければとの思いが、焦りに生じる。
ライトは持っていても知らない道、真っ暗な道は万事休す。
足はますます痛みが走り、太陽は西に傾き始める。
今回の縦走はちょっと無理があったかなと思ったが、ここで弱音を吐くわけにはいかなかった。何が何でも下ろうと思う。
暗くなればビバークもできるとの覚悟が気を楽にした。
面平と呼ばれる大木の杉・桧の広場に出る。
夏なんかはちょっと遊びに来るには涼しく最適な場所だと思った。
ここまで下ってくると安心感が湧いてきた。
足を引きずりながら最後の急坂を
「慌てず一歩一歩」と心の中で念じながら下った。
沢の音が聞こえ始める。直ぐに易老渡になると感じ嬉しさが湧いてくる。
橋に出た。
汗が噴き出るのが分かった。苦しい下りだった。安堵感で一杯だった。
駐車場までわずかばかり歩き無事下山。
駐車場を出発する頃には辺りは暗くなり始めていた。
最初の計画は聖岳まで行ければ良かったものが、光岳まで延長。
天候に恵まれ計画をハードなものへと変更していたのだが、なかなか行けない山域だけに無理は承知の行動となった。
思わぬ足の痛みというおまけ付きだが、強烈な思い出の聖岳・光岳への山行となった。
ふるちゃん
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